自分を語るということ

これは所謂ブログであるが、日記代わりの個人的備忘のつもりで書いている。建前として読者は自分自身だけである。もちろん前提から矛盾しているが。
ブログ、フェイスブック、ツイッターなどのSNSが流行している。もはや社会の支柱のひとつとなった模様。しかし、なんで誰も彼もが、そんなくだらない事を書き続けるのか、またそのような他者には何の意味もないプライベートをわざわざ晒して、何が楽しいのか、自己逃避、自己表現願望の亜種なのか、そう思っていた。
雑誌に記事があった。「米国科学アカデミー紀要」掲載のハーバード大学ミッチェル博士論文。その実験は人が自分のことを話すためにとる行動選択についての心理学的試験とか。被験者にさまざまな質問を行い、その傾向を分析すると、そこには明確に人は日常的シーンでも自分のことを話すのを好む傾向があるとか。調査によれば、日常生活の30~40%もが、私的な経験や個人的な人間関係の話題に費やされているとか。
つまり、人は自分のことを話す時、快感の脳回路を活性化させていることが判明したのである。ミッチェル博士の研究によれば、「自己暴露は快感である」という脳生理の基本原理が見られるのである。どんなにつまらないことでも、人は自分を語ること、自己暴露の快感、本能を持っているということになるようだ。
個人の経験を話すことは、知識や知恵の伝授につながり、これは社会的利益となるから、人類は、自己暴露を促進する脳回路を発達させたかもしれないとか。
なるほど、SNS隆盛の裏には、それが人間の脳構造とピタリと一致していたことによるのか。フェイスブックの爆発的成功の裏には、それが人類の脳構造の満たされない根源的欲求を、自由にWEB空間に開放させたことに在るという事だったのか。それをブラックホールのように吸い集めて、若い億万長者が誕生したのか。
子育てのころ、子供たちが「聞いて、聞いて」とよく言っていたが。

カウンセラーや精神科医は、まず相手の話をひたすら聞くことから始める。この初期手順は「受容」と呼ばれて、信頼関係を構築するというのが教科書的解釈だが、同時に相手の快感を満たすという心理療法的な意味あいもあるかもしれないと。
そういえば、かってキリスト教の成功要因の一つに、あの「懺悔システム」があると考えたことがある。自己暴露を公式に行い、そして自分に勝手に免罪符を発行するシステムである。あれも、そうか。新興宗教でも、座談その他の形で、自分のことを語らせる教団が多い。あれも、そうか。企業社会でも「聞き上手」は優れた成果を挙げる率が高いのは、これは経験的にわかる。成功した経営者には話しの上手い人が多く、じつに座持ちがよい。かならずこちらに話をふってくる。みな相手に快感を与えているのだ。恋愛術でも、「ここだけの、君にだけの話だが」という秘密の共有戦術は、有効なテクニックとされている。なるほど、そんなものだ。

SNS隆盛の理由が理解できたし、読者を想定していないと称してこのブログを書いている私も、あらあら、えっ。まあ、団塊世代であり、自身のボケ防止もかねているのだが。ナボコフの「記憶よ語れ」ではなく、記憶を残せ、だが。それに、文章を書くことで、自分の思考を整理し「見える化」する効用もあるわけだし。

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