人生の総量 拡大式

さて、浦島太郎さんも理解するしかなかったように、誰もの人生において、
「幸福の総量 = 不幸の総量」であるとする。
これは人生全体においても、またその瞬間においても、通用する式と考える。たとえばある男がいるとする。ある程度の年齢になると、金・健康・家族の三つは欠かせないものだ。しかし、彼には金と健康はあるが、家族は失った。でも彼は京都の高級なホテルに気まぐれに泊り、鴨川を見ながら、ちゃんとした日本料理の朝食をとる。会社のオーナーであり、著書もあり、資産と年収もある。しかし家族を失っての一人の朝食をさびしがる。だが君よ、それは「金∔健康-家族」だ、それなりの帳尻は合うのではないのか? その朝の瞬間的にね。朝からそんな良いところで、そんなご馳走をたべて。

ここで問題となるのは、人ごとに、おそらく人生の総量、絶対数値が違うのではないかという事だ。ゴリラとして生まれる者もいれば、障害をもって生まれる者もいる。生まれた家庭には貧富もある。すると前式だけでは、成り立たない。もう一式あって連立式が成り立つし、よりしっかりと人の人生を、ついでに自分の人生を数値で眺めるという視点が成り立つはずである。

本屋の棚を眺めていると、帯に「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まる!」とキャッチコピーしてある文庫本があった。 おーっだ。 ためらわずに中身も見ずに買う。
「還暦からの底力、歴史・人・旅に学ぶ生き方」とか。読んでみると、元気な爺さんが書いた自己啓発本だ。彼は日経新聞の「私の履歴書」でそのフレーズを発見して感動したようである。わたしも気に入った。

ここで、それを整理すると、
「喜 ∔ 怒 ∔ 哀 ∔ 楽 = 総量」
という趣旨の事が主張されている。ふつうは、良い事もあったが、悪い事もあり、俺の人生はプラマイゼロと考えるが、悲観思考であり、「怒 ∔ 哀」も自分の人生の「総量」に入れるべきである。 「怒 ∔ 哀」も加算せよ、との事らしい。そりゃそうだ。 「怒 ∔ 哀」 も自分の発したエネルギー、それをマイナスと捨て去るべきではない。人の人生は会社の貸借対照表ではない。

まあ、この人はプラマイゼロを否定的思考ととらえ、わたしはプラマイゼロを一つの真理としてとらえようとするが。
同じ相手と丁半博打を十年すれば、短期的には勝ち負けはあっても、長期的に大数の法則が働き、かならず五分五分になるはずだ。

わたしの式は、 個人において、
「幸福の総量 = 不幸の総量」 である。しかし、それでは「総量」の個人差が明確ではない。そこに、
「喜 ∔ 怒 ∔ 哀 ∔ 楽 = 総量」
を入れると、それぞれの個々の人生の数値的な評価ができるのか、そんな事を考える。発したエネルギーの総量、生きた総量だな。 沈香も焚かず屁もひらず、という言葉もある。少年の頃に読んで気に入った「平妖伝」の主人公のセリフ、単鎗独騎領三軍、成即為王、敗即為寇。そんな高校生が、今はこんな計算をするかのか。

一人暮らしは時折だが、時折は良い。こんな暇な哲学が出来る。家庭に埋没すれば、それはそれで良い人生だが、こんな屁のような事は考えないだろう。空間がなくなるからなあ。その空間が、ややせつないのだが。

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人生の総量

盆前に長男と飲み、彼に自説、人の一生において幸せの総量と不幸の総量はおなじであると語った。わたしの実感でもある。

「式はイコール」である。「幸せの総量=不幸の総量」。

昔々、ある漁村に浦島太郎という母子家庭の若い漁師がいました。
ある日、海岸を歩いていると、お約束どおり子供たちが子亀をいじめていました。浦島君、かわいそうに思い、ほらおにぎりあげるから、かんべんしたりと、子亀を海にもどしました。
ある晩、海岸を歩いていると、とつぜん巨大な原子力潜水艦がドドーと浮上しました。艦橋にはあの子亀とお母さん亀がいました。「浦島さん、うちの子を助けてくれてありがとう、竜宮城に無料で招待します」とか
浦島君、特等客室に乗り込むと、原子力潜水艦は、深海深くすすみ、三万メートル海底の竜宮城のゲートをくぐります。
待っていたのは、美女軍団と信じられないほど美しい乙姫様。こんな綺麗な女性を見たのは初めての浦島君。
それから三日三晩、接待につぐ接待、酒池肉林。タコのベリーダンスのヨロいことヨロいこと。見るもの食べるもの飲むもの、初めて初めて。もちろん、乙姫様とのベッドでのくんずほぐれず、上になり下になりの大サービスもあったに決まってる。それは、もう! 貧乏漁師の浦島君の人生、大爆発。ビバー、おらの人生! 人生って最高!

でも、母子家庭でマザコンの浦島君。ふと三日もおかんを放置した事を思い出した。
そこで、なあダーリン、おかんが心配やから、ちょっと家に帰りたいけど。すぐ戻るから。
いいわよ、ダーリン。ここで乙姫様、万国共通おとぎ話定番の悪魔のお約束。ダーリン、この玉手箱を持って帰って。でも、それ開けちゃ絶対にだめよ、お約束してね。もちろんだよ、君の言う事はみな聞くよ。

ふたたび原子力潜水艦に乗り込み、故郷の漁村の海岸に着岸、いや着浜か。下船しました。
見慣れた海岸、見慣れた山並み。おかん帰ってきたで、と浦島君。いっさんに家のある場所に走って行くと、あら、ただの草の空き地。家が無い!
えー、なにこれ、どうしたん?
驚く浦島君。
家が無い! おかーん、おかーん。
家のあった場所の松が異様に太い。わけわかめ。これ、どうしたん?
村の家並みは同じだが、なにか違う。見た事のない人ばかり。親戚の家も知り合いの家も、まるで様子が違うし、住んでいる人間は、はじめて見た人ばかり。頭が狂いそうな浦島君。

そこのおっちゃん、この場所に浦島太郎の家があったはずだけど、どうなったん?
浦島太郎、ああ爺ちゃんが言ってたわ、百年前にそこにそんな母子家庭の若いもんが住んでいたが、ある晩に神隠しにあって、二度と戻らなかったとかなんとか。
百年前!
驚く浦島君。
状況のみこめず、ここでおとぎ話の定番、乙姫様との悪魔のお約束を破るわけね。ついに禁断の玉手箱を開くと、白い煙がもーくもく、あら浦島君、白髪よぼよぼの百歳くらいの年寄りになったのです。

医学生の長男に聞いた。
さてこれから得れる教訓はなにや?
うーむ、なにが言いたいの?

つまり、 彼に自説、人の一生において「幸せの総量と不幸の総量は同じ」ではないかと語った。俺の人生の経験則だがと。
「式はイコール」である。「幸せの総量=不幸の総量」。
つまり、浦島君は三日で百年分の「幸せの総量」を使い切ったのだと。イソップのアリさんとキリギリスさんも、 「幸せの総量=不幸の総量」は同量だ。キリギリスさんは、太く短く、夏にすべてを使い切り、アリさんは細く長く使った。その面積つまり「総量」は同じではないかと。

俺について言えば、花の花の花の三十代は、本の執筆で悪戦苦闘し、それ以上に生活資金で苦闘した。自分で言うのはなんだが、男前だった。しかしほとんど活用していない。
君らのママと出会い、本はあきらめて、またおむつしてる二人のチビらを大学に生かさねばと、腹を決めて路線転換、起業した。会社はある程度規模になったが、まあ離婚ね。七転八倒だ。
でもかなりの著書がある、会社はかなりの規模であり、銀行信用は抜群だ。まずは資産家と言える。だが、一人で暮らしている。

それや、これや、あれや、これや。
結論として、顧みて、
「幸せの総量=不幸の総量」 と考えていると。
ならば、何事もそれはそれで受け入れるしかないわなあ、と。

まあ、何が幸せで、何が不幸せかの定義も必要になるが。 会社を創業したころN野町のへんな医者のクリニックに肩こりかなんかで行ったが、心療内科と漢方もしてた。横で見ていると、みるからに憔悴、消沈している中年女性にその医者がおごそかに託宣するのが、 明るい気持ち、前向きな気持ちを持ちなさい、 そうすれば幸せになれます、 だとさ。
横で聞いていてコケそうになった。 バカヤロー、このオバはんを幸せにするには、三億円の宝くじを十週連続であてさせて、シャブを何本かまとめて注射するしかないだろう、 だったな。 今は昔。

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かもめの水兵さん

昨夕はふらふらと大津駅あたりに。何もない街だ。駅前の店でひとり酒をしながら、買ってきた週刊誌をながめる。もとの巨人監督、堀内氏の顔写真がある。堀内さん、あの堀内チョッサーの従兄弟だ。顔がよく似ている。チョッサーもこんな顔だった。チョッサー、チーフオフィサー、一等航海士。松T丸だ。三万年前の話だ。まだ十九歳。SM手帳は勝鬨橋のそばで意外と簡単にとれた。海の外に出れるぞ。お約束のセーラー帽を買った。マドロスさんだ。いけ、どこかは知らんが、いけ。今かんがえれば、立場上、とんでもない危険なことだった。

船は千トン程度だ。初航海だと思う。夜明けに着いたところはなんと北の国のS津だった。驚いた。最下級セーラーとして、船首甲板でボースンに怒鳴られながら接舷ロープを巻き取るドラムウィンチの手元をした。早朝の岸壁ではカラニシコフを抱えた衛兵小隊が整列して勤務交代礼をしている。煉瓦づくりの街並みが並ぶ。はじめての異国である。異国ではないが異国である。
何かを降ろし、何かを積んだのだろう。夕方はバスに乗りシーメンズクラブに行く。バスの窓から、街並みと人通りをあながあくほど見つめる。街を道路を、建物と人のながれを眺める。これがそうか、この土地か。泡のない、だが美味しいビール、海老のボイルが大皿にいっぱい。海鮮が抜群に美味しい。半世紀前だ、記憶も走馬燈のように情景がただようだけだ。 民族服のお姉さんはにこにこしている、背広にネクタイの支配人は、白人船員の態度にきりきり切れている。とにかく海老のボイルが美味しい。少年客気だ。

それから高松港に行ったのか。電撃フリントというジェームスコバーンの映画を観た。また両岸の夜の明かりが宝石のような関門海峡を越えて、黄海に入った。海面が本当に黄色いのだ。帆の破れたジャンクが斜めに傾きながら帆走している。交代したボースンは小さなお爺ちゃんだった。一日中、甲板でカンカンをする。田舎から東京に出て、突然に海原だ。四方につづく水平線の中で、カンカン、カンカン、カンカン。サンダーをかけてレッドレッドジンクロを何度も塗る。ポパイもブルートもこんなことは、しないはずだが。 まるでペンキ屋だった。

何回かの航海、天津の外港だろうか、ひろい鼠色のよどんだ河を遡上する。文化大革命真っ盛りの中国だ。接岸の時、帽子が飛んだので、船から岸壁に飛び降りた。無許可上陸になった。後で船に中国の警官が来た。平謝りしかない。天津のシーメンズクラブは立派な大きい建物であり、天井も高い。ビールが美味しい。中国である、中国だ。思いもよらぬ中国だ。来てしまった。紅衛兵たちが集団で歩いていた。造反有理。街を眺める、燻んだ煉瓦の街並みだ。なんの豊かさも見えなかった。子供があつまる。写真をとろうとしたら、現地おやじに叱責された。

それから船はどこかの黄海ぞいの地方の港に行った。夜にどこかの招待にみなが呼ばれた。エンジンのインテリ共産党系と仲が良かった。貸した金はついに返してもらえなかったが。彼らと一緒に行く。紅衛兵がパーティで勇ましく手をふって東方紅の唄を披露するが、なんと国歌の歌詞を忘れたようだ。照れ笑いしてた。映画会があり、原爆初実験成功のフィルムを見せられた。どこかの砂漠、騎兵が駆けながら馬上から小銃を連射している。中国人たちは大拍手、日本人船員たちは黙りこむ。赤い手帳と毛沢東バッチをたくさん貰った。

何度か航海をした。機関室の気の良いチェンジアン、チーフエンジニア、機関長。目つきの悪いエンジンのセコンド。へんな司厨長。快活なおじさん無線士。上席セーラーの佐々木さんは、新宿のバーのマダムの息子の男前。厨房のゴロなあんちゃん。交代したセコンドオフィサーは、日本語で書いた航海日誌をキャプテンに英語で書き換えられて、ゴネて船を降りた。だがあの人は瀬戸内海の小型鋼船ばかり。英語では書けなかったのではないかと、今も疑っている。

まあ所詮は小船、嵐は大変だ。木っ葉のように天上から海底まで持ち上がり落とされる。便器を塩酸で磨くのは私の仕事。ピカピカにしないと怒鳴られる。操舵室では佐々木さんはステアリングを待つが、私は無理ね。当て舵三度、ノーイーストバイイーストスリークォーターイースト。商船学校を出てない私に羅針儀などわかるはずもない。レーダー画面を見ても、なにもわからない。離岸と着岸のときに船首甲板で、ドラムウィンチに合わせてロープとワイヤーを操作すること、航海中はひたすらカンカンハンマーで古い塗装をたたき落とし、サンダーをかけ新しいペンキを塗ること、荷役のワイヤーをかけること、ひたすら船内と便所を綺麗にすることが仕事だった。おっさんたちは食堂で将棋と花札。

でも、離着岸はセーラーのひと勝負だ。事前に船首倉庫から太いロープとワイヤーを船首にセットする。ブリッジにはキャプテンとパイロット、船首にチョッサー、船尾にはセコンド、そして船首甲板には、ボースンがドラムウィンチの操作レバーを握り、最船首で船外に身を乗り出している堀内チョッサーの指揮の下で、私はボースンの手元として汗だくでドラムにロープを巻き付ける。大きなドラムは回転し、ロープを巻き上げる。手や足をはさんだら、それまでだ。アウト。船はゆっくり岸壁に寄って行く。岸壁では現地の人たちが、ロープを受け取り、固定ブイに巻き付けて待機している。やがて船は接岸する。ロープにストッパーをかけたら、タラップの用意だ。片付けも大仕事だ。整理整頓、備えよ常に。 沖に出たら、カンカン、カンカン、カンカン。カンカン虫。

胸のすこし悪いひるこ君が瀬戸内の島から呼び戻されたので、船を降りることにした。最後の航海は東京港。深夜の竹芝桟橋についたのは、五月十八日、私の二十歳の誕生日だった。私は百万年前、船乗りさんだった。思いもよらず、何度も海を越えた。そして二十歳で船を降りた。

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エミ

  このネットのこの場所に、つれづれに、なにか心寂しいときに、読者は自分だけのメモを日記がわりに書いていたもんだ。

四十歳前後にも、つかれたように日記を書いていた時期もあった。三千メートル地下の糞壺に落ち込んでいた。売れない本を書いていた頃だった。やがて出会いもあり、息子ふたりが生まれた。可愛い。そんな暇は事をする時間はなくなった。それでも著書は時折は出していたが、ふたりのおむつをした息子たち。このままでは大学には行かしてやれない。ある人からの話をすてて起業した。それからずいぶんと忙しい日をおくることになるが、とても充実していた。

家族こそわが祖国と思ったものだ。そこそこの会社にはなった。 だが、この何年さまざまな堪えがたいことが起こり続けた。文章を書くなど、とてもじゃないが気分ではなかった。へろへろ。

この二月、さらに母様もなくなられた。 一日が終わると、深夜、目がさめてトイレに行く。ひとりの夜だ。ベッドに座ると遣る瀬無さだけが襲う。 自分をただ持て余すだけだ。
思いついて暇つぶしに大学院にいき上座部の瞑想をしらべ、彼らの現生での思いの形をしらべている。だが老病死、誰にも避けることはできない。どの宗教も、その葛藤の無理やりの辻褄合わせの哀れな残滓だ。南の島で自殺まえのゴーギャンは、われわれはどこから来て、どこに行くのか、と自問したらしい。

盆前の十二日、天満橋で長男と酒を飲む。医学生だが、小児神経内科医を目指すという。そうか、とうなづく。あの口をとんがらして駆け回っていた幼児が、こんなにおおきくなったのか。 彼に浦島太郎の話をした。 むかしむかし浦島太郎という母子家庭の若い漁師がいました。海岸を歩いていると子供たちが小さな亀さんをいじめている。太郎さんは子供たちにおにぎりをあげて子亀さんを助けて海にかえしました。ある夜、海岸を歩いていると、波がざーっと割れて、おおきなおおきな亀があらわれました。背中にはあの子亀がのっています。わたしの息子を助けてくれてありがとうと、大型潜水艦に変身して、太郎を海底深くの竜宮城にはこんでくれました。そりゃ超美人の乙姫さま、豪華な宮殿の美女軍団、太郎には思いもつかない天下の珍味、酒は旨いしねーちゃんは綺麗だ。もう、天国やん。三日三晩のどんちゃん騒ぎ。すべすべむちむちお肌の乙姫さまとのベッドでの濃厚接触も、あったに決まっている。太郎ちゃん最高-。 だが母子家庭の太郎、ふとお母さんが心配になった。年寄りを三日も放置したのだから。そこで乙姫さまに、ちょっとだけ家に帰してと願うと、あらいいわよ。でもと言って乙姫さま、綺麗な玉手箱を太郎ちゃんに。いい、太郎ちゃん、そのかわりこの玉手箱をもってて、でもどんなことがあっても開けちゃだめよーと可愛い声で悪魔のお約束。 またもとの大型潜水艦にのって、もとの海岸に着岸。おカーン、おカーンと太郎ちゃんは家の方向に一目散に。ところが家の場所つくと、このお伽話の定番どおり、家はないし、松の木などが思い切り太い。間違いなく生まれ育った海辺の村だが、何かまるで違う。村の家々もずいぶんと変わっている。なに、これ、いったいどうしたん? ? ? 太郎ちゃんはパニックになりました。そこで見たこともない村人に、ここには浦島太郎の家があるはずなのに、と質問。村人言うのに、そういえば百年前くらい、そんな名前の若い漁師がここで住んでいたらしいが、ある晩に神隠しにあって二度とこの村には帰ってこなかったとうちの爺様のから聞いたことがある、と。 なにがなにが、太郎君わけ和布。 お伽話の定番どおりに太郎君は、あれほど言われたのに、乙姫様との悪魔のお約束の玉手箱をあけちゃいました。白い煙がドバーン、もくもく、あらま、太郎ちゃんは白髪の太郎ジーちゃんになったのです。

アジアの各地にバリエーションのある古い話だ。 息子に、さてこれから得られる教訓はなにかと問うた。グーグルの入社試験に出そうな問題だぞと。 まあ問題がめちゃめちゃだから、正しい解答など有るはずもないが。以下はわたしの独創と解釈、いさかの人生経験を踏まえの新解釈だと。

つまりやな、すこしの例外はあっても、人の一生において「幸せの総量」と「不幸の総量」は同量、イコールではないのかと俺は思うと、息子に。浦島氏は、三日で百年分の幸福、喜びを使った、一気に激しく消費したんやと。彼の人生の「幸せの総量」を三日で使い切ったのだ。イソップのアリさんとキリギリスさんでは、キリギリスさんは夏にたっぷり楽しみ、アリさんは細く長く冬も生き延びたわけね。そして経験則だが、俺もこの齢までいろいろなケースをみて、これはだいたい当てはまる法則だと思う。幸せと不幸の経済学ね。たとえば同じ相手と丁半ばくちをする。勝ちもあれば負けもあろうさ。だが大数の法則が働く。瞬間、短期的には勝ちと負けがあっても、何十年もつづければ、かならず勝率は半々、五分五分になる。 俺を観ろと、三十代はそれはイケメンだった。自分でいうのはなんだが、キリッとして見栄えのよい男だった。優秀だ。だが生まれついて生きる世の中の状況が状況で、ろくなもんではなく、また道をまちがえて物を書き出していたのが運のつきで、結局は食べるために土方、ダンプや長距離の運転手をしたもんさ。最低だった。糞だった。君のママと出会い、君たちが生まれ、会社を興し、承知のとうりその会社は分割してママと別れる羽目になった。でも安定してン億の利益があり、何百人の社員がいる。超優良企業の社長さんだわ。この何年で何冊かの著書を出したし、楽器演奏にこり海外公演も何回かしている。

さて、どちらがよいか。若い頃に良いほうがよいのか、年齢をへてから良いほうがよいのか。これは一概には言えん。だが、この新浦島太郎ルールは、俺にも確実にあてはまる。この年齢でかえりみて計量すれば、俺の一生においても「幸せの総量」と「不幸の総量」はおおむね同量だと感じる。みなさまは著書のたくさんある会社経営者の私を勝ち組だという。バカな、人生においてもっともよい花の花の花の花の年代を、惨憺たる負け組として頭をかかえていたのだ。健康保険証がないから、ずっと歯痛をがまんしつづけてたのだ。 そんなことを飲みながら息子に語る。

その晩とさらに二日、京都のホテルに泊まる。コロナ騒ぎでインバウンドが消失して、みな格安だ。ホテルで馬頭琴、河原で八卦掌の練習をする。盆の十五日、母の初盆だ。次男のわたしがわけあって墓を新しく修改した。弟は海に散骨するという。でも私はいつかはジー様、バー様、オヤジ様、そして母親のいるここに入らしてもらおうか。来世があるとは思えないが、今世は間違いなく有る。「今」だ。墓は今世のもの、この世のためのものだ。なくなられた人たちのためではなく、生きている者のためにある。

 墓をみながら涙がとまらなかった。「おとたん」もこの中だ。四人にただ詫びた。詫び続けた。あれほど大事にしたもらったのに、その期待をことごとく裏切った。もちろんあの人たちは、わたしを無条件に許してくれるさ。間違いない。俺が何をしてもこの人たちは許してくれる。
墓を観ながら、ふと気づいた。 俺は俺の命を自分のものと思っている。いやそれは違う。俺の命は天から、この人たちから頂いたものだ。俺のものではない。この人たちのものだ。 ふとそう気づいた。 この人たちのものだ、大事にしなければならない。身体髪膚之を父母に受く、傷つけてはならない。 俺は俺じゃない。 俺の命はこの人たちのものだ。 血も肉も。俺は今もこの人たちと、俺に身体をとうして、おれの記憶をとうして深くつながっている。 俺は一人ではない。 つながっている。俺の血と肉は、俺のものではない、あの人たちの血と肉だ。俺がそれを自分勝手にはできない。

家に一度かえる。十六日から三泊、琵琶湖畔のホテルに。ゆったりした喫茶室でパソコンをたたく。わたしに新浦島太郎ルールはあてはまる。それは一生のスパンだけでなく、一日の場合も当てはまるルールと思う。ホテルの広い喫茶室でガラス越しに琵琶湖をながめながら、コーヒーをのみパソコンをたたき、ネットから会社に自分を昇給する指示連絡をし、ひとりで寂しがっている。だが誰にも、今この瞬間に、「幸せの総量」と「不幸の総量」は同量だわ。それに棹差しあがくのは意味が無い。その配分比率はその日ごとに濃淡はあろうが。 息子の成長を観て、祖父母様、父母様のはいられた墓の前で、そう考え、いま琵琶湖を眺めながらそう脳内整理をしている。 ならば、私のものではない私を、丁寧に丁寧にやさしく、大事に大事にしようじゃないか。 寂しさは、無常観は誰にも当たり前だ、それを抱えて生きるしかない。 ふわーっと、受け容れようじゃないか。 あの人たちがおられたら、私にどう生きて欲しいか、そのようにしよう。そうするわ、おとたん。おとたん。

がたがたする年齢は、とっくに過ぎた。あたりまえのことは、あたりまえだ。
すこし脳の整理がついた。めでたい。

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お婆さんギター

独り暮らしにギターはあうらしい。
二胡もやりながら昨年からウクレレとギターをはじめている。 音もだが、楽器の美術的工芸性にも素敵感がある。二胡のしっとり感もよいが、ギターはよく女体に例えられる。ウクレレを膝に抱くと猫を抱いている気分になる。時折、ベッドでひき、となりにおいたまま眠る。これは、もう愛人ではないか。

ファミリーを点呼すると、まず会社にエレガトが一台、自宅に西野春平、ヤマハ、マーチンのドレッドノートとトラベルギター、バンジョーギター、フラットマンドリン、ウクレレ、ギタレレ、二胡がある。
京都にヤマハのギターとカマカのウクレレ、二胡をおいていたが、よくいく京都のワタナベ楽器でつい八弦のウクレレと田中清人の中古品を買う。 八弦ウクレレを買ったのは、マリオ高田氏の影響だろう。真似である。田中清人を買ったのは、おそらく何でもいいから、むしょうに金を使いたかったのだろう。

ワタナベ楽器の案内では、「忠実に19世紀のギターを再現した名品」とある。
モダンなスタイルのギターです。 スプルーストップ、ローズウッドサイド&バック。 スリムなボディシェイプや極細のフレットなど19世紀のモダンな空気を演出します。 かなり丁寧な作りで高級品であることが伺えます。 サウンドホールの中には前オーナーさんが名前を書いています。 ハードケース内部も前オーナーさんの名前が書かれています。 田中清人さんはバロックギターやビウエラ、フィドルなど個性的な作品を世に送り出しています。 前オーナーさんが購入された価格は¥600,000-だそうです。

のりこ婆さん

田中氏のHPでの19世紀のギターの解説は、以下のとおり。
19世紀のギターは、楽器の構造上およそ20年毎に四つの時期に分けられます。 バロック時代からの流れを引いた1800年~1820年(19世紀初頭)、 黄金時代を迎えた1820年~1840年、次第に火が消えていく1840年~1860年、そしてその後のトーレスの時代。 これらそれぞれの時期により、ギターが使われた環境が違います。 言い方を代えれば求められた楽器の反応、つまり音が違っていた。この違いは弦の張力に反映し、そうすると自ずと楽器の構造にも影響しました。このことは、ヴァイオリン族の楽器と同様の道筋を辿ったと云えます。

1800年~1820年はバロック・ギターの雰囲気が残っていて、楽器は軽めで表板と裏板の強度はそれほど違いがありません。弦の張力も弱めでした。 音はリュートやバロック・ギターと同様に打ち上げ花火のように上方に飛んでいく感じです。

1820年~1840年は市民革命の影響で、音楽が王侯貴族のものから一般市民の ものへとなり、広いサロンやコンサート・ホールでギターが演奏されるようになりました。 演奏形態もソロだけではなく他の楽器(ピアノ、弦楽器、ハープ、木管フルート)との合奏も盛んに行われました。そうすると、当然ギターの音に力強さ、音量が求められ、 弦の張力が強くなっていきました。それに伴い、表板が厚めになっていき、それをはね返す裏板はさらに強度を増していきました。 音は平行かやや上方に飛んでいく感じです。

1840年~1860年のギターは、柔らかくふっくらとした音が好まれたようで、そのことを反映してか、表板の強度が弱められたものが多く見られます。 中には1820年~1840年のギターの補強材が1本抜かれたり、表板を薄く削ったりされたものも見られます。弦の張力はそれほど変わらなかったようです。 音はやや下方に広がるように飛んでいきます。

そして1860年代以降のトーレスの時代は、少人数の狭い空間でギターの音の微妙なニュアンスを楽しむことが多かったようです。それに伴いギターの板厚が全体に薄くなり、ボディが大型化されました。そうすると反応がやや鈍くなりますが、深い低音になり、 音の微妙な味わいが出易くなります。音は下方に飛び散るように広がっていきます。

ギターを演奏する空間は100席から500席ほどの演奏ホールが適していますが、 こういった空間では、19世紀ギターの方が楽器の性能は優れています。これらのホールでは、現代のギターは10列目の席くらいまではボリュームのある音が聞えてきますが、それ以上後方になると 19世紀ギターの方が音の遠達性は遥かに優れています。 現在の、いわゆる19世紀ギター(Romantic Guitar)は1800年初頭から1850年代までを範疇に含めています。トーレスは現代スタイルの祖ということで、19世紀ギターの範疇には含めないのが一般的です。
これら19世紀ギターは、タイプにより音がかなり違います。フランスのミルクール地方は楽器作りの長い伝統があり、ギターも作られていました。音は木管楽器のようです。ラコートはミルクール出身で、後にパリで工房を構え、スケールの大きな音作りをしました。そのラコートと一緒の工房でギター作りをしていたらしいラプレヴォットは、 写真をご覧のように数十年後のアールヌーヴォを先取りしていたかのようなフォルムです。 音は19世紀の他のギターにはない独特の反応をし、タイトで音の分離がすばらしく、他に類を見ません。ルイ・パノルモは当時ヨーロッパで流行したスペイン趣味をギターに取り入れました。音は現代のギターに近く、スペインの土の香りがします。トーレスが考案したとされる表面板の扇状の補強材はトーレス以前からスペインには存在し、ルイ・パノルモも1830年前後に採用しています。また、ルイ・パノルモやラコートはトーレスの大型の ボディと同じ大きさのボディのものも製作していました(これは現存しています)。また、イタリアの楽器製作家一族であるガダニーニの工房で作られていたギターは、1830年代から大型のものが作られていました。ですから、一般的に云われているように、ギターを大型化したのはトーレスではないのです。また先に述べたように、ギターという楽器の使われ方も、パノルモが活躍していた1830年代とトーレスの時代(1860年代)は全くと云っていいほど違っていました。

19世紀の標準ピッチについてはこちらを参照していただくとお分りのように、演奏目的、地域、時期により様々でした。18世紀になってオーケストラの大規模な編成が日常化し、また音楽家の活動範囲が広がり、活動の多様性が複雑になっていくに連れ、統一ピッチの必要性が高まっていったようです。そういった背景を受け、1752年にはクヴァンツにより統一ピッチの提案が出されています。推奨されているピッチはA=415~422で、これは1820年頃まで使われたようですが、それが浸透するまでには至らなかったようです。その後、優れたソリストが広く活動するようになり、高めのピッチが好まれ、1820年以降ますます統一ピッチの必要性が求められ、1858年から59年にかけてパリで統一ピッチに関する会議が開かれました。 結果、A=435が採択されました。これは当時の様々なピッチの中間値でありました。A=440は1939年のロンドン会議で決められたということですが、現在ではA=442が標準的に使われることが多いようです。

わたしが昨夕、発作的に買った古い田中清人ギターには、サウンドホールの中とケースに Noirko Nanba のサインがあった。なんばのりこさんか。そのギターを引き継いだ。筐体もすっかり枯れていてやさしい響きを出す。フレットが低いせいか、指もそう痛くない。からだも小ぶりである。女性は若いほうが良いが、ギターはお婆さんが良いのだろう。京都の愛人として聖護院マンションにかこおうじゃないか。のりこと命名しよう。のりこ婆さん。

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溜息がとまらない

こんな思いを聞いた。
彼の長男が何年か浪人はしたが、なかなかむつかしい学部に合格した。よく頑張った、素晴らしい。彼は息子を誇りに思う。尊敬に値する。何年もくじけずに頑張った。そして、次男も同時受験でこちらは一浪のはずだった。ところが浪人したのに、今年は試験すら一校も受けていないと聞く。名門中高に行き、中学で柔道黒帯、自慢の息子だったが、すでにニート化しているらしい。別居して五年の母子家庭である。母親は自分に対する非難には激しく反応する。つまり切れる。

円満とはいいにくいDV家庭環境で、彼の元妻は育った。そのせいか、今までもさまざまな形で人間関係に失敗している。

彼の長男が高二のときに、たまたま別居していたが、その学力進度に驚き、すこし母親から離し、彼のそばにおいてサポートしようとした。あの時も、激しく切れて、ののしり、わめきつづけられた。結局、そのながれで離婚することになった。

こんどは次男だ。もともとマザコンの子だ。ママ、ママで大きくなった。名門中高に行かしたのに、挫折したらしい。柔道部も、担当教師と自分とは考えが合わないから、やめたという。浪人までしたのに、受験も自分の考えとは違うからうけないとか。

典型的な、ニート息子と「共依存」の母親の形だ。あの賢い子が、こんなことに。

何かするほど逆効果になるのは間違いない。言うほど切れるのも間違いない。なんということだ。彼は頭をかかえる。こんなことになるとは思いもしなかった。

どうしたら良いのだろう。深夜、彼はひとり悶々とする。暗闇のなかで、溜息と繰り言ばかりとなる。朝は、まだ遠い。

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南京中央国術館式

中国拳法では詠春拳をし、揚家をし八卦掌をした。この一月より、大阪で南京中央国術館式をはじめた。あたりだった。王樹金の直系の老師である。これは本物だと実感する。

先週の木曜日は湊町で立禅をした。素晴らしかった。
李老師の言葉の誘導により、それを聞きながら内観するのだが、何年か前のバンコクでのタンマーガイもガイデングメディテーションだったが、中身が違う。あれは邪教的な集団催眠だった。この立禅は言葉による内観、自分の身体感覚の内観誘導であった。テープで録音したいと思ったものだ。

以下の内容。

指先がちりちりします。その感覚を感じて、そのまま置いてください。やがて腕にも感じます。それも置いてください。、足も………、……も、…も、そのまま置いてください。
からだのあたこちに起こるその同じ感覚を、ひとつひとつつないでください。つないだら、そのまま置いてください、からだがこわばったら、動かしてください、。力を抜くためです。体のあちこちの官官を感じ、おなじ感覚をあわせてください。、……も、……も、つないだらそのまま置いてください。……、…、…。みんなつかがればそのは一つの統一体になります。体が統一されれば中は「無」になります。感じて、その感じを集めてつないでください。すべて足の裏に落ちます、……………、沈みます。沈んだら、そのまま置いてください。からだは統一体になります。套路は、この統一体をつくるための練習なのです。
力を抜き、その変化を感じそのまま置いてください、からだは一つになり重心は足の裏に落ちます。からだの中は「無」になります。

納得したし、また感じた。はじめて本当の立禅を指導されたと思う。

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2019年元旦鴨川河原から日の出を見る

六時半の河原はまだ暗い。太極拳を打ちながら東山の空を眺める。


地われをうみ、天われをはぐはむ。われ天地の間に在り。善哉、善哉、善哉。

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R先生に届けた大晦日

わたしが小学六年の頃か、夜間学校に通っていた。R先生だった。小柄の気のいい人だった。いつもニコニコ笑っていた。いーよぼよぼとあだ名をつけていた。弟と同年齢の男の子がいた。でも生活は成り立たない。当時の熱気の中であの人も頑張っていたのだろう。我が家は地域ではまだましなほうだった。正月になると男たちがあいさつに、つまり飲みに来ていた。夜はかなりの宴会だったと思う。カナイさんが騒いでいたなあ。
たぶん父だと思う。餅と少しの肉だったか、先生の家に届けろと言われた。暗い夜道を自転車を走らせ、弟と行ったのか、それを先生の家に届けた。もうかなり夜だった。寝て居たのではないか。小さな借家だった。それを見て、先生はにこにこ笑った。男の子も笑った。父親に似て、気の優しい良い子だった。奥さんには、いささか思いのあるような屈折を感じた。つらい生活で正月の餅をほどこされると感じたのだろうか。先生から十円程度のお年玉をもらったと思う。わたしは子供だった。北に帰る先生家族を、深夜の駅で送ったような記憶がある。

大晦日の夜は、朝の法事が楽しみだった。たくさんの御馳走がならぶ。もともと爺様は末っ子だから法事をする必要はないのに、していた。そしてこれは礼であり、神仏などいないようなことをいいながら、あの人の亡き父、つまり見たことのないわたしのひい爺様とひいばあ様しのび、こそっと恥ずかしそうに涙を流していた。それを見て笑うわたしは子供だった。
今は、独りでこんな大晦日をしている。京都の除夜の鐘でも聞こうか。わが家にとって大晦日と元旦はご先祖さまをしのぶ日でもある。法事は長男どのがしてくれる。でも、わたしも爺様のように、こそっとしのぼう。爺様とばあ様とおやじ様をだ。そして、爺様があの人の両親を思い出しただけで泣いたように、わたしも素直に泣こう。涙腺のゆるい家系のようだなあ。明日は母様に会いに行こう。

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歳末三日間の記

2018年12月30日である。今は京都聖護院の夕焼けの時間である。一昨日は朝はやくから春木に行きホームをまわる。90室、これもわたしが創った仕事だ。

難波に戻り地下鉄御堂筋線で長居へ、65室。

地下鉄の向かうままに動物園で下車し、まだ午前なのに1番出口から巡回徘徊し滞留し、阿倍野の新ホームにまわる。最上階のフロアには、何人もの高齢者。その人たちの終の棲家をわたしが用意したわけだ。帰途、路上で携帯にF恵さんよりの電話、あのこの話を聞く。幼児期に心を傷つけられつづけたのか、あのこは、可哀そうなことをした。
帰社し、雑用し、森小路のホームをまわる。清水君二十七歳、四人目の子供が生まれたばかりとか。君は政府から表彰状をもらえという。

昨日は昨日とて、まず午前まっさきにF恵さんに高麗ニンジンを宅急便でおくる。体調不良とか。京阪電車で京都に出て有栖川をまわる。はじめて建てたホームだ。今は昔、わたしの仕事の転機だった。大八木君十倉さんに忘年会をしようと伝える。隣のほし山で蒸し豚ときんちを買い少し安心する。これで鶴橋に行かなくてもよい。西院をまわり、御所南をまわる。西院のホーム長は南君、御所南は北川さん。

夜七時から西院の塚田牧場で総員十人の突発的忘年会。与太を飛ばし機嫌よく騒ぐ。もつ鍋飲み放題に追加追加である。

今日は朝早くに起きた。四階からの窓の下、疎水の用水池水面に映る朝焼けのはじまりをしみじみと観る。夜明け前の遠くの山なみを観る。
駅そばのローソンでアンパンとお握りとコーヒー牛乳を買う。橋をわたり鴨川の河原に出て、二時間太極拳と八卦掌をする。時間をかけてなんども太極拳を繰り返すと、すこし気づきがあった。歩法をなおす。ムルマンスクの小人ではないが、人の意識はどうしても下半身がおろそかになる。暗闇がやがて朝焼けになり、陽が昇る。北の山はうっすら冠雪である。お握りが美味しい、アンパンが美味しい、コーヒー牛乳が美味しい。寄ってくる鳩とゆりかもめにパンくずをやる。河原をジョッギングする人たちが駆け抜ける。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 2018-12-30-06.43.47-e1546176611801.jpg です

八時すぎ、もう陽があがり、部屋に帰り、自転車で岡崎あたりをまわる。京都は良い街だ。河原町のロフトに行き、日常雑品を買う。風呂マットとトイレマットが買えてちょっと幸せ、懸案解決。部屋にもどり、散歩。ちかくに風呂屋「さくら湯」を発見する。ラッキーだ。時折のみぞれの中を、犬のように歩き回る。河原で拳もなんども打つ。あちこちの喫茶店でコーヒーをすすりながら、馬長勲氏の「太極拳を語る」を読み、赤ボールペンで書き込みをする。低姿勢での套路はよくない、双重の意味。納得である。あれは膝を痛める。楽器店で良いウクレレがあった。ずいぶん高級品がならんでいる。今度買おうか。今更金を惜しんでもしかたがない。
喫茶店で時間つぶしをしたが、四時半にやっと風呂屋が開いた。古い小さな銭湯のあつい湯を楽しみ、全身の血を温め、おかみさんと無駄口をたたき、こうして部屋に戻る。冷蔵庫の中には昨日買った蒸し豚ときんちがある。酒も買った。用意万端だ。テレビのYouTubeで「コンバット」を観ながら、独り酒をするか。半世紀ぶりにサンダース軍曹の活躍でも観るか。ジャジャジャジャンジャジャン、すすめコンバアートどこまでも。

おやじ独りの歳の瀬だが、窓の外はすでに陽が落ちた。『ダブリン市民』の短編の中に、平凡な男の平凡な一日と、その男の夕焼けを見ながらのささやかな満足が書かれていた。一日がおわる。一年がおわる。さまざまな事があったが、一年がおわる。わたしなどにかかわりなく、陽はくれ、陽はあける。さあ、酒でもするか。
日々を生きるしかない。この日を生きよ。孤独は苦しむためではない、楽しむためのものと心得ようじゃないか。仕事も気力も体力もまだあり、金は充分すぎるほどある。とすれば、泣き言は無用か。
Be Here Now !!
ということだろう。泣き言、繰り言は生命を損じる。釈迦にも手に負えなかった四苦が八苦が、わたしにどうもできる由は無い。天と地のあいだに、今、この我の存することを感謝するのみだろう。
来年はしっかり遊べ、けんぼ。贅沢しろ。パーッとやれ。打ち上げ花火のようにパーッとやれ、パーッと。金も使え。君は独身貴族だ。超富裕層だ。本も書け。旅もしろ。女を追い回せ、鳩のように胸を精一杯ふくらまし、クッククック追い回せ。拳技も磨け。二胡は名人になれ。君が君の人生を楽しむために、天が独り暮らしの時間を与えたもうたのだ。ご褒美の季節とかんがえようじゃないか。今は素晴らしいと言いつづけようじゃないか。すると、必ずそうなる。
天天悟日日研。趣味随身美難言。其中楽亨不完。舒舒服服度人生。其楽自我自喜歓。人生好人間好。

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道徳感情論とアメリカファースト

トランプ・アメリカは「アメリカ・ファースト」の掛け声で国を閉ざし、保護貿易主義を前面に出し、中国との間では制裁関税の報復合戦になっている。世界は右傾化がすすみ、どの国も自国一国主義にむかう。それはいつかは悲劇となる。行き過ぎたナショナリズムはつねに戦争に向かう。

喫茶店で読んだ雑誌での池上アタリ対談によれば、
【アタリ】は、それはある種の個人主義の行き着いた結果だと述べる。それは正確に理解されていない個人主義だと。アダム・スミスが『国富論』の中で「個人の自由な利益追求は、社会全体の利益となる」と論じたのが個人主義の大本である。しかし彼は経済学者であると同時に倫理学者であり『道徳感情論』の著者である。そこで彼は「客が幸せでなければ、自分も幸せになれない」と論じている。


『道徳感情論』では、パン屋がパン屋ファーストでは商売は、逆に上手くいかない。客ファーストでなければならない。客は満足しなければ買いに来なくなる、するとパン屋はつぶれてしまうと書いている。アメリカが自国の製品を買ってもらうためには、EU圏内の経済や政治が安定する必要があるし、中国や日本その他の国の経済もうまくいっている必要がある。つまり輸入品に高い関税をかけて「自分たちが優先だ」と排除するのは、最終的にはアメリカのマイナスになる。

【池上】は、アダム・スミスの例では、お客に喜んで貰えるパンを作ってこそパン屋は繁盛するが、これが政治となると、国民が喜ぶことをやる、つまりポピュリズムになるのではないでしょうか。

【アタリ】、そうです。これは歴史の中で50回くらい見てきた事実であり、ギリシャでもローマでも、ポピュリズムの政治がはじまると、国民の人気は得られるので最初はいい。しかし結果として、戦争などの破綻をもたらし、悲劇が起こる。いま私たちが見ているのは、その「終わりのはじまり」です。

たしか、アダム・スミスは『国富論』の中でも、資本主義の基礎は信頼である、一過性の取引なら強欲も通じるが、長年続く継続的取引では信頼関係こそ重要なものであると述べていたが、そのとうりであろうと大阪の中小企業者として私も体感する。「信用」という言葉である。近江商人のいう「三方一両得」である。Wi n Win の関係でないと、取引は継続できないし、自らの事業も維持できないのだ。「損して得取れ」は正しい。
また、協調性のあるチンパンジーは長生きするそうだが、自国ファーストは、自国アローンであり、長寿生物の戦略ではない。闘争のエネルギーと、相互のテリトリーの取り合い、排他による地域の閉鎖、移動の停止は、短命生物の戦略である。小型生物の戦略なのだ。いまのアメリカは、古典東洋的に言えば、「大国のふるまい」ではない。「徳」に欠ける。王者にも覇者にもなれない不動産屋さんが、アメリカ大統領閣下さまだが、トランプ氏はじつに不動産業者らしい不動産業者であり、不動産業者的思考の持ち主だ。勝てば官軍、知恵をつくして一発勝負、安く買って高く売り飛ばすのだ。だがこれは、農業者や工業者の発想ではない。もちろん、国家を経営する発想でもない。彼は戦後世界でのアメリカが作り上げようとしたアメリカへの信用、あるいは幻想を棄損した。そして、それは元にもどらない。アメリカ・アローンを公言したからである。あとは誰が「銭」をたくさんとるかの世界になる。

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長寿者はけんかをしない

パテカトルの万脳薬 by 池谷裕二

エディンバラ大学の研究者によれば、協調性の高い雄チンパンジーは長生きするそうである。被験対象のチンパンジーたちは性格検査を受けていたらしいが、ヒトの性格分類として有名なビッグファイブ、つまり外向性(社交的であること)、協調性(攻撃性が低く協力的であること)、開放性(新しいことに挑戦し、積極的であること)、誠実性(忠誠心が強く誠実なこと)、神経症性(不安や恐れが強く精神が安定しないこと)の五つの傾向に加えて、優位性(社会階級で上位にあること)を足した六つのベクトルで評価したとか。その上で、「長生きしたチンパンジーは協調性が高かった」が結論である。ヒトにおいても他人に対して穏やかで協力的であるほど長寿であることは知られている。

まず進化論的には、ヒトは進化する段階で、協調性が生存に有利であった。相互に協力的なら、ライバルとの争うも少なく、けがやストレスは減り、命を余計な危険にさらす機会も減る。しかしライバルと争わねば、遺伝子を子孫に残す交尾の機会も減るから、種の保存から見た場合は、譲り合いの精神は必ずしも最良の戦略にはならない。エサが限られている場合もそうであろう。

一般に生物界では「子の数を増やす」と「個体を長期維持する」はトレードオフの関係にある。早く性成熟し多くの子孫を残し、あっという間に寿命を終えて世代交代する戦略がある。昆虫や魚や小動物がこれを採用している。
逆に、子の数は少ないが、成長や老化も遅いため一つの個体が長生きする、ゆったりした世代サイクルをしてい動物界を支配する戦略もある。大型動物や樹木など、ヒトもこれに含まれる。

前者では、協調性より攻撃性や俊敏さが重視される。けんかが強く、大胆な行動をとる個体は、交尾の機会はおおいが、闘争や産卵に多大なエネルギーを使うので、短命になる。

ヒトはこうした闘争を避け、協調性を高めることでスローライフを選んだ生物でる。他の生物に比べて痛がりで、けんかを回避して協調路線を歩む傾向がある。また人間界でも、栄養や衛生の良くない時代では、多産は短命だそうである。どちらにせよ、ニコニコ笑って、けんかせず、気持ちはまるく、ながく、という世俗の教えはただしいのである。

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座頭市地獄旅をみてた夜

気功の本の表紙の裏に殴り書きがあった。20200830だ。

信じられない敗訴、どうでもよいけど。
別な弁護士が、金をくれと。あほと猿。

人間は死ぬ、そうだ人間を楽しもう。2018 11/9 夜、一人酒。

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Vナボコフ

ナボコフの『記憶よ語れ』をはじめて読んだのは三十台のはじめの頃か。「ユリイカ」でのエミグラント文学でも特集されていた。さまようユダヤ人としての共感ではないが、しみじみとした読後感だった。そして、誰も読まない亡命ロシア人の小説家なのに、その執筆の内的衝動として、失われた故郷、家、亡き父、その他の、喪失されたあの時代の心の慄きを、行く当て、寄る辺のない亡命生活の中で、文章にとどめたい、失わせたくないという強い思いがあったようだ。彼が書くことにより、その「事実」は残る。いや、残すために書くのだとの思いのようだった。故郷喪失者の、切実でやるせない思いのようだった。スピークメモリ、記憶よ語れ、語ることにより、それは失われない。残る。そのような思いのようだった。忘却は、消滅である。存在しないことである。だから彼は懐かしい土地、人々、時代を描き続けた。
私はと言えば、こんな歳になった。生まれ育った土地を離れて、祖父母も父もおられない。私にも、失わせてはいけないものがある。


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さまざまな書評

週刊文春に鹿島茂氏の書評があった。「傑作」と評されている。アマゾンの書評も「驚き」「納得」とされる。あの本の帯には「歴史教科書の書き換え必至」とあった。

邪馬台国研究の秀作、そして傑作

◆邪馬台国研究の秀作、傑作――週刊文春「私の読書日記」より

◇×月×日
邪馬台国といえば九州説と畿内説との論争が有名だが、そのもとになったのは『魏志倭人伝』の旅程の矛盾である。書いてある通りに解釈すれば、邪馬台国は台湾かグアムになってしまうから、その矛盾した表記をどう合理的に読み解くかで九州説と畿内説に分かれるのだ。この論争に大きな一石を投げかけたのが、東洋史家・岡田英弘の『倭国の時代』(一九七六年刊)である。すなわち、岡田は『魏志倭人伝』 の本体の『魏志』は現王朝「晋」を正当化する目的で書かれた前王朝「魏」の正史なのだから、著者・陳寿が晋の開祖・司馬懿と朝鮮半島を征服した上司の司令官・張華の功績を輝かしくするために邪馬台国をライバル国の呉の背後の熱帯に持っていったのであり、不可解な道里記事や倭人の戸数の矛盾に頭を悩ましながら論争するのは無意味だとしたのである。

これに対して「いや、陳寿の矛盾表記には十分意味があり、暗号として書かれているのだから、これを『春秋』の「筆法」、つまり正史執筆に用いられる暗号コードに依って解読すべきだ。暗号の一つに「露布」の仕組み、つまり数字を十倍にする表現があり、これを里数表記に適用すれば、矛盾は解ける」としたのが一九八二年刊のS栄健『邪馬台 国の全解決』である。当時、アカデミズムはそれなりに反応し、賛否両論があったようだが、著者がアカデミズムの人間でないという理由からか、以後、無視されるか密かに無断借用されるかしたらしい。また続編も書かれたが版元の倒産で入手困難になってしまった。それが今回、両著がシャッフルされた上で加筆修正が施され、『決定版 邪馬台国の全解決 中国『正史』がすべてを解いていた』(言視舎 一五〇〇円+税)として上梓されたのだ。

ふーむ。これは思いのほか正鵠を射ているのではないか? ヒントはモリ・カケ騒動である。上司命令で公文書を書き換えなければならない下役人の中にそれでも真実を伝えたいと思う誠意のある役人がいたとしよう。公文書は表面的にはきれいに書き換えられて いる。しかし、よく読むと書き換えが露見するような矛盾が意図的に残されている。さらに精読すると、解読コードを示唆するような箇所があるとしたらどうだろう? 後世の役人で暗号解読に長けた人がいたなら「了解。暗号解読に成功。貴兄の暗号コードで解読成功を公文書に記す」とするかもしれない。

つまり、本書のミソは、第一に恩人である司馬一族の悪業を知っていてもその栄光を称えざるをえない下吏の陳寿が歴史家としての自分の良心に忠実であるために『春秋』の「筆法」に従って『魏志』の「倭人伝」を書いたと見なしたこと。ちなみに「筆法」とは「微言」(規則的矛盾)で「大義」(真実の情報)に気づかせるように工夫した「微言大義」のコードのことである。第二に、その解読を中国 正史の「前史を継ぐ」の原則に忠実で、しかも「筆法」を知悉しているはずの『後漢書』作者と『晋書』作者に託したと解釈したところにある。つまり、暗号発信者と暗号受信者によるコード共有という推理が画期的なのだ。したがって『魏志倭人伝』の意図的矛盾という暗号の解読には『後漢書』の「倭伝」と『晋書』の「倭人伝」が用意した「解答」が最大のヒントになるのである。かくて、邪馬台国九州説が大きく浮上することになる。

たとえ歴史書として疑問を持つ人でも、該博な漢文知識と合理的思考に裏付けられた作者の暗号解読には脱帽せざるを得ないはずだ。歴史推理の傑作である。

『決定版 邪馬台国の全解決』(言視舎) 著者: S栄健

【書き手】鹿島 茂
フランス文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。1949年、横浜市生まれ。1973年東京大学仏文科卒業。1978年同大学大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。現在明治大学国際日本学部教授。『職業別パリ風俗』で読売文学賞評論・伝記賞を受賞するなど数多くの受賞歴がある。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。新刊に『東京時間旅行』(作品社)、『悪の箴言(マクシム) 耳をふさぎたくなる270の言葉』(祥伝社)、『神田神保町書肆街考: 世界遺産的“本の街”の誕生から現在まで』(筑摩書房)などがある。

【初出メディア】週刊文春 2018年10月11日号

●鷲田小弥太氏は、日本の哲学者、札幌大学名誉教授だが、「鷲田小弥太の仕事」というページで、このような書評をおこなっている。 投稿日: 2018/03/23

新しい知に出会う。こんな愉悦はない。「邪馬台国」の「全解決」だ(!?)
 鬼才の書に出会った。S栄健(1946~)『決定版 邪馬台国の全解決』だ。著者はすでに、『邪馬台国の全解決』(六興出版 1982)と『魏志東夷伝の一構想』(大和書房 1986)を書いている。この事実をまったく知らなかった。知的怠慢の誹りを免れえない。歴史小僧の故か?
 そうじゃない。哲学(愛知)の本領は「読解」(法)にある。それ故、構造主義、特にルイ・アルチュセール(『資本論を読む』)、広松渉(マルクス読解)、吉本隆明、丸山圭三郎(ソシュールを読む)等に深く影響を受けてきた。歴史畑では、文献を「読む」(マナー)を重視した内藤湖南、宮崎市定、古田武彦、岡田英弘等を愛読してきた。その中にSの著作が欠落していたからだ。
1 本書を一読してまず、古田『「邪馬台国」はなかった』(1971)以来の衝撃を受けたことを記さなければならない。古田は、魏志(=三国志)倭人伝には「邪馬壱(壹)」、「後漢書」東夷伝ほかには「邪馬台(臺)」と表記あるが、勝手(検証なし)に、「壱」を「台」の誤記とみなし、「邪馬台国」と改訂する通弊(テキスト読解の初歩的誤り)を指摘し、「『邪馬壹国』でなければならないか」の理由を縷々記した。
2 (以下はSの論理=読解だ。)
 1. 王朝史は後漢→魏→晋の順だ。だが史書は①魏志(三国志)→②後漢書→③晋書の順で完成し、しかも①は三国=魏・蜀・呉志を一書に編纂した、同時代史である。
 2. 陳寿(①の編著者)は官史だ。魏朝(帝)から「禅譲」された晋朝の事実上の祖、司馬懿〔い〕を直截に批判できない(「忖度」が必要だ)。つまり「春秋の筆法」で書き記さなけれはならない。では「春秋の筆法」とは何か。
 〔春秋〕とは孔子の書(とされる)『春秋』(魯国の年代記)で用いた歴史記述法(レトリック)で、その原理は、《春秋は文を錯〔たが〕うるを以て義を見〔しめ〕し、一字を以て褒貶を為す。》だ。中国史伝統の書法で、平たくいえば、時に応じて、本音と建て前を使い分ける工夫だ。(例えば、Sが明示するように、「至」と「到」は、ともに「到着」だが、「至る」は途中地に到着、「到る」は最終目的地に到着という使い分ける。したがって魏の使節団は、卑弥呼のいる奴国ではなく、「一大率」が「常治」する伊都国に最終到着したということになる。つまり卑弥呼にあっていない)
 3. 特に東夷伝の韓伝・倭人伝は、魏(第一の実力者)司馬懿の東方攻略の「史実」を反映している。編著者陳寿は、韓・倭二国(の地理・風俗・政治状況)を春秋の筆法で書かざるをえない。(司馬氏の経営に「失策」があった場合はなおさらだ。)
3 ②後漢書と③晋書は、魏志の「史実」を受け継ぐ。同時に、史実を春秋の筆法で改釈・叙述する。この経緯のSの開明・叙述(読解)は読んでいて目が覚める思いだ。新解釈の中心をあげれば、
 1. 行程は、12000余里(1里=魏・晋里=2.3km)+「水行10日陸行1月」ではない。ともに帯方郡からの行程距離であり、行程日数である。全行程は12000里、水行・陸行で40日を要する。
 2. ただし、地理情報は軍事機密で、特に呉がしきりに東方計略を図っている時期に当たり、「露府」(戦時広報〔大本営発表〕)は実数の10倍で、12000余里は、1200余里(520km)だ。
 3. では12000余里に当たる国はどこか。倭人伝の記述が示すところ、奴国、卑弥呼が座すところだ。
4 倭人伝のS読解が指し示すところ、12000余里の出点が帯方郡(ソウル近接)で、最終着点が「奴国」である。これは(わたしには)驚天動地の読みだ。
 1. えっ「邪馬台国」が最終着点ではないのか。後漢書(ハンヨウ編著)は奴国を倭国の「極南」と書く(注釈する)。卑弥呼は奴国王でもある。金印(漢倭奴国王)をもらって当然だというわけだ。
 2. 伊都国に「一大率」(政・外・軍の総理=男弟=王)を置き、彼が30余国を「検察」し、諸国はこれを「畏憚」する、とある。卑弥呼(女帝=シャーマン)に対応する。
 3. 伊都国から、東4km余に不弥国、東南4km余に奴国(邪馬台国の極南)があり、そして卑弥呼の座する所在地(聖域=宮殿)と墓所を、著者Sは明らかにする。ただしこの結論は、考古学上、驚天動地ではない。
5 つまるところ、邪馬台国とは、女王卑弥呼(奴国)を盟主とする30余国が集まる戸数7000の連合体(集落)だ。
 1. Sは断じる。よくいわれるように、魏志は倭国派遣者(がまた聞きした類)のいい加減な報告をもとに、倭人伝を記したのではない。中国は「記録」(文字)の国だ。リアルな実地見聞をもとに記している。ただし、卑弥呼が死んで、争乱が起こり、また女子を立てて平和を回復した、と記すが、どうだろう。
 2. 実際は、実権を握る「一大率」が卑弥呼を(暗)殺(?)したがために、争乱し、ふたたび女王を立てざるをえなくなった。この「一大率」の背後にあって糸を引いたのは司馬氏である。その東方政略が失敗に終わった。これを『魏志』に直叙はできない。春秋の筆法が必要になる。
 3. では権力を簒奪した「一大率」とは誰か。魏に朝貢使となり、245年には魏皇帝から「詔書」等をうけたナズメ(難升米)で、伊都国王=「一大率」=男弟だ、とSは推論する。(最近ミステリにはまっている。納得!)
6 最後に一つだけ注文。魏志倭人伝に「邪馬壹国」とある。Sの言を借りても、誤記・誤植の類ではあり得ない。後漢書以下の史書での「訂正」(邪馬台国)とはいかなる「筆法」か? 教授願いたい。 

●榎戸誠氏が書評を自分のサイト【ほんばこや 2018年4月25日号】情熱の本箱にアップしている。

『魏志』「倭人伝」は、陳寿が時の皇帝の胸底を忖度して記したものだった・・・

驚愕
私は、44年間に亘り、邪馬台国論争に関する主要な著作には必ず目を通すようにしてきた。今回、『決定版 邪馬台国の全解決――中国「正史」がすべてを解いていた』(S栄健著、言視舎)を読んで驚愕した。長らく未決着であった邪馬台国論争に終止符を打つ書が、遂に出現したと確信したからである。
争点
1.邪馬台国はどこにあったか(九州か、大和(近畿)か、その他か)。過去の論争は、「倭人伝」の最も矛盾する部分、すなわち、地理記事の「方位」と「里程」のどちらを信用するかの対決だった。
2.一大率とは何者か。
3.卑弥呼の墓はどこにあるか。
結論
1ー1.邪馬台国は、3世紀の、女王を盟主とする九州北部(福岡県福岡市から春日市の辺りの)三十国の連合体であり、女王の都があった所は奴国だった。「万二千余里」は帯方郡から女王国までの里数で、「水行十日陸行一月」は帯方郡から女王国までの所要日数を表したもので、両者を合計すべきではない。
1ー2.女王の宮殿は、福岡県福岡市と糸島市の境に位置する高祖山(標高416m)の頂にあった。
2.倭王と伊都国王と一大率と卑弥呼の男弟は同一人物だった。「卑弥呼の死の直後に立った『男王』が誰かも、わかりきった話となる。卑弥呼の『男弟』の、『伊都国王』なのだ。『男弟』が『男王』なのだ。それは『一大率』であり、女王を『佐治国』しながら伊都国に『常治』し、諸国を検察し、畏憚させた人物、名は『難升米』なのだ。すこし文章的交通整理をしたが、その視座から『倭人伝』を読み直すと、話はじつにスーッとおさまる」。
3.伊都国の故地――福岡県糸島市の前原町の平原弥生遺跡が、卑弥呼の墓と推定される。「『露布の原理』が、この墓にも当てはまると仮定すれば、『径百余歩(145メートル)』の墓は、実は『径十余歩』となり、直径が、実際は約14.5メートル程度になる。同じ論法で『百余人』の徇葬者も、実数は十数人ではなかったか」。平原遺跡の西のものは、中央の方形部は東西17m、南北12mで、東のものは、東西13m、南北8mあって、周囲の溝からは、寝た状態で16人の殉葬者が推察されるという。「『卑弥呼の墓』の条件の一つは『殉葬者のあること』だが、日本国内の弥生遺跡では、殉葬者のある遺跡は、平原遺跡を除くと一例も発見されていない。●女性であり、●殉葬者がある、となれば、もう答は一つしかないかも知れない。この平原の遺跡は、三種の神器と同じ、鏡、玉、剣を組み合わせた副葬品を持ち、その被葬者は、女性ではなかったかと推測されている」。
解決への糸口
『魏志』「倭人伝」は、3世紀の晋王朝の史官・陳寿が記したものだから、彼が、どういう状況下で、どういう気持ちで書いたのかを知らねばならない。
陳寿も中国史書に共通する独特の「春秋の筆法」という記述原理を適用したという著者の指摘は、画期的で、説得力がある。「『筆法』や『春秋学』といっても、東洋史に詳しくない人には全然ピンとこないだろう。中国史書には『筆法』という独特の文章術(レトリック)がある」。「『春秋の筆法』を簡単に言えば、『文を規則的に矛盾させながら、その奥に真意を語る』ということだ。したがって史書著者の真意は、文の表面の割り切った言葉としては必ずしも現われない。捕捉しにくい、複雑で婉曲な文章術なのだ」。「あえて『誤った用字、表現』を用い、文のルールを破り、それによって、文の裏に真意を秘める。野球でいえば単純な直球ではなく、カーブやシュートのような高等技術だ。ストレートのつもりでバットを振ると、大きく空振りしてしまう」。「こうした、二重人格的な面が、中国の史書には伝統的にあった」。
当時は、「露布」の仕組み、すなわち、「数字を10倍」して表現する記述原理があり、陳寿はこれを女王国への里数記事に適用したというのだ。例えば、末盧国(唐津市の桜馬場遺跡)~伊都国(福岡県糸島郡の平原弥生遺跡)間の距離は「五百里(約218km)」と記されているが、実際は24.5kmしかないので、10倍に近い「誇大」が見られる。これが「誇大里数」(学者によっては「短里」)と呼ばれるものである。「倭国をより遠くの大きな国と印象させればさせるほど、魏の天子の威徳を人民に感じさせる効果があったことは言うまでもない。当時は、魏・呉・蜀の三国の、三つ巴の大乱戦の最中だった。大いに外交成果を誇示する必要もあったろう」。「『誇大』な『万二千余里』の実数はその10分の1、『千二百余里』(約520キロ)なのだ。郡より女王国まで、韓国のソウル附近より福岡県の福岡市、博多平野までは『魏志』は、実は、約520キロだと言っていたのだ」。この「万二千余里」(約520km)に合致するのは、奴国なのである。
中国史書には「前史を継ぐ」という原則があるので、『魏志』が含まれる『三国志』の後史『後漢書』と『晋書』の解読結果との照合が必要だというのである。前史とは、その史書が扱う時代より一つ前の時代を扱う史書のことで、『後漢書』と『晋書』にとっては『三国志』が前史となる。つまり、『魏志』「倭人伝」の表現の矛盾する部分を、『後漢書』「倭伝」と『晋書』「倭人伝」がどのように書いているか、どう解釈しているかを調べることが重要となるのである。「『後漢書』と『晋書』が、『魏志』<倭人伝>を素材として利用しつつ、他面、異質なものを混入させ、表現を何ゆえか書き改め、『魏志』の文との間に異同の生じているのも、また事実だ」。「奴国が『後漢書』では、なぜか『極南』と強調されるような事実だ」。
証明
どう計算すれば、●帯方郡より女王国までが「万二千余里」であり、●三十国の総戸数が「七万」となるのか。
「●『晋書』の『魏時三十国=七万』より『魏志』の『邪馬台国=七万余戸』に注目し、『魏時三十国=七万=邪馬台国』と仮説した。邪馬台国総称論(女王連合)だ。●このことは『魏志』の行程記事において、『里数記事と日数記事が連続しない』ことを示唆する。ということは、共に郡からの距離と所要日数であることを推測させる。そこで『後漢書』との比較。『晋書』流に読んで、『魏志』に書き出される国々のうち一番南になるのはどの国か。まさに、里数記事の終わりの『奴国が極南』となるのだ」。
「奴国が『万二千余里』の数値ときっちり一致する。●『郡より女王国に至る万二千余里』は、里数記事の内に収まり、●里数記事の最南(自女王国以北)にあった奴国と、完全に符合する。『後漢書』の『極南の国』と『女王の都する所』は、ぴたりと一致するのだ」。
「邪馬台国は女王連合三十国の総称であって、実は女王国とは、その中心となる『女王の都する所』の国(三十国のうちの一国)かも知れないことも、とりあえず仮説した。その女王の都の条件は、●里数記事(『晋書』戸数論より)で略載の最南(自女王国以北より)にあり、●帯方郡より『万二千余里』にあたることだった。そして今、これらは正確に一つの国を示している。それは、戸数が『二万余戸』の最大国だ。弥生時代で質・量ともに最大の遺跡群をもつ奴国、現在の福岡市の周辺なのだ。紀元57年にも、漢王朝に入貢し、時の光武帝より『漢倭奴国王』の金印を受けたあの奴国、言い換えれば1世紀の倭国の中心国だったグループが、3世紀の女王の時代も、倭国の中心国だったと結論できる」。
背景
陳寿は、時の皇帝の胸底を忖度せねばならない立場に置かれていた。「(魏の軍司令官として朝鮮半島を平定した)軍事上の成功は、司馬懿(仲達)を政界の中心に押し上げた。239年、魏の皇帝はなくなるが、司馬懿は、8歳の新帝の補佐役として太傅となり、魏王朝の最高位者として、以後の魏の政治と軍事の中心人物となる。やがて249年、この政治的地盤を元手に、政権の奪取を図りクーデターを決行。曹一族を倒して魏の実権を独占した。251年のその没後は、息子の司馬師・司馬昭があいついで政権を執り、265年になると、司馬昭の子の司馬炎が魏に替って晋朝を開いた。この司馬炎に、陳寿は仕えたのだ」。司馬懿は晋王朝の事実上の創始者なのである。
「『三国志』に唯一の地理誌である『魏志』<東夷伝>が立てられたのも、こうした事情による。それは単なる外国の話ではなく、実に、皇帝の祖父の偉大さを立証する、司馬氏の晴れの舞台の物語だった。したがって、この地方について陳寿が書けば書くほど、皇帝の祖父の功績、晋王朝の正当性が顕揚される効果がある」。「景初2(238)年の司馬軍団の極東アジア遠征の結果、倭の女王は司馬軍団の仲介によって魏に使節団を送った」。「邪馬台国との通交は、晋王朝の事実上の創建者である大尉(だいい。軍総司令官)司馬懿の遼東半島攻略と、韓と倭を支配下においた功績の結果だ。『万二千余里』も南へ南への『水行陸行』の地理情報攪乱も、かなりの策謀家である司馬懿あたりからと考えるのが自然だ。そのため、晋王朝の史官である陳寿としては、杜預が『春秋経伝集解』でいう『史の成文』として残したのではないか」。
「『魏志』が倭国を『当に会稽の東治の東に在るべし』と書いて、今の台湾に近い福建省の東方海上にあったように思わせているのも、3世紀中頃の魏と呉の駆け引きを見れば、魏の流した意図的なデマ情報だと推測できる。倭国は『有無する所儋耳・朱崖と同じ』と書かれ、北ベトナムや海南島との法俗の共通性が語られるのも、あたかも倭国を呉の南か東に在るように思わせ、魏と倭国が南北から呉を挟み撃ちにするかのように思わせるためだろう。地理的印象操作だ。すべて、240年前後の、魏と呉の軍事対決の結果に生じた誇大記事と思われる。一種のリーク(意図的機密漏洩)、デマゴギーなのだ」。この鋭い指摘には、目から鱗が落ちた。
「『魏志』<倭人伝>の『詔書』の文章作者は、流れより見て、まず間違いなく、司馬懿だ。陳寿は、仕えている皇帝の祖父の文章を、全文、一字一句、採録したのだ。それを読んだら、皇帝もご機嫌が良いだろう。これが『魏志』<倭人伝>の、真のメインテーマだ。ここにコンパスの中心を当てて、『魏志』<倭人伝>を読まねばならなかったのだ。ここなのだ。これがメインテーマだ。陳寿は、『史記』の司馬遷や『漢書』の班固のような、親の代からの歴史専門家とは、かなりキャラが違う。著作郎(年俸六百石)を史臣とも呼ぶが、学力優秀な、処世にたけた役人なのだ。また、著作郎という地位は、専門家として終生、歴史書を研究し編纂するのではなく、官僚人生の、出世コースの一つのステップだ。これも司馬遷や班固のような、純粋な歴史専門家とは、いささか違う」。
所々に砕けた表現が混じるが、論考過程は極めて精緻である。
今後
本書の主張に納得できない論者といえども、今後は、本書の内容に反論する明確な論拠を示すことなく論争を仕掛けることは許されないだろう。

以上は、鹿島茂氏、鷲田小弥太氏、榎戸誠氏の書評である。なるほど「歴史の教科書を書き換える」本かもしれない。

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岡山の君の老化防止と慢性病改善に!

慢性病にもよく効く運動療法としての太極拳
慢性病の多くは、安静だけでじっとしているのはかえって良くありません。自分の体力に合わせて体を動かす方が治りが早いものです。「太極拳」も含めて気功と医療としての運動は、中国に何千年と伝わってきました。安静休養(心身のリラクゼーション)と呼吸運動を結合した健康体操法として、「気」(呼吸)を訓練する工夫ともいわれ、一般的な慢性病に適しています。
運動療法は「長期系統的」に行うことが重要です。これによって筋肉強化、関節の活動範囲の増大、さらに心臓や肝臓の機能向上が徐々に得られるのです。あせっては鍛錬にはならず、量的な積み重ねによって効果をより上げることができます。また、一昔前、健康な人びとを相手の医療は重要視されていませんでしたが、現在では大病とは縁遠いと考えられる人でも、「予防」に関心を寄せはじめています。これも高齢化の時代であり、避けて通れないテーマです。
1.運動不足の解消
現在多くの人びとが、慢性的な運動不足になっています。「健康で快適な生活を送るには」日常の生活の中にスポーツや運動をする時間を意識的に作っていかなければなりません。しかし、急に激しい運動を始めると、怪我や心臓病などを起こす危険性があります。「大極拳」は、ゆっくりと全身の筋肉や関節を動かすためその「危険性がありません」。
2.老化防止
「足と腰」は人間にとって一番重要な場所といわれています。足腰の強化は単に階段の昇り降りを繰り返すことでも養われます。太極拳はそのような「単純な苦痛」を伴わずに、時には集団で、時には一人でも楽しみながら効果を得ることができます。太極拳は運動生理学から言いますと、中腰姿勢が多いことから「老化防止」には最適であると言われています。
また、1)足を鍛えるのに理想的 2)姿勢が良いので生理機能を高めるばかりでなく、見ていても美しい 3)終始ゆっくりゆっくり繰り返される大きく柔らかい動作と深い呼吸は、激しい運動を行うより優れた「呼吸健康法」で、しかも永続性と安全性を考えると「運動不足解消」の最たるものといえます。
定年退職の人などによくある例ですが、定年により1ヵ月もぼんやりしていると、「足腰が駄目になり次第に頭もボケてくる」といわれています。よくいわれるように「仕事による責任感 から解放されたからボケた」というのは俗説です。
太極拳が「なぜ足腰を鍛えるのに理想か」といいますと、足腰を鍛えることにより、足の筋肉が持っている血液に対するポンプ作用が活性化され、心臓・血管壁さらに筋肉の収縮に対応する静脈弁の働きが活性化するということです。
運動不足ですと老人のポンプ役は心臓だけ、若い人・働き盛りの人は血管だけといわれますが、とくに仕事だけの中高年層の循環機能の衰えを防ぐ方法は、「運動と食事」しかないといっても 過言ではありません。足腰を鍛錬するということは以上のように血液循環機能、とくに中心である「心臓機能を高める」ことに繋がるわけです。
3.慢性病の運動療法
慢性病の中で多くのものは、安静だけを心掛けてじっとしているのは、かえって良くありません。「自分の体力に合わせて体を動かす方が治りが早い」ものです。
太極拳も含めて気功と医療運動は、中国に何千年と伝わってきました。安静休養と呼吸運動を結合した、「健康体操法」として「気」(呼吸)を訓練する工夫ともいわれ、一般的な慢性 病に適しています。
重要なことは、運動療法は「長期系統的」に行われなければなりません。これを心掛けることによって「筋肉強化、関節の活動範囲の増大」、さらに「心臓病や肝臓の機能の向上」が 徐々に得られるのです。決してあせっては鍛錬にはならず、「量的な積み重ね」によって効果をより上げることができるのです。
1)高血圧
一般的に、肉体的な労働に従事する人やスポーツマンの高血圧症の発症率は、他の人の「1/3程度」といわれています。発症時期も年齢にして「10~15年も遅い」といわれています。「なぜ太極拳によって高血圧を治せるか」といいますと、太極拳の動作は柔らかく姿勢はゆったりして、余分に緊張して力を使いませんから筋肉は弛緩します。この「筋肉の弛緩が反射的に血管の弛緩を引き起こし、血圧を下げるからです」。専門的には、筋肉運動を通して大脳皮質を刺激し、血管の収縮や弛緩を調節する神経中枢の活動を正常に近づけ血圧を降下させます。
また血管と筋肉の関係では、運動により血管が弛緩するので降下します。筋肉の収縮からみると、ヒスタミンなど僅かではありますが化学物質が生まれ、これが血管内に流入して血管拡張の作用をして降下します。また、「狭心症や低血圧症などの循環器系の病気」についても、太極拳の動きがゆっくりしていることから、「心臓病や呼吸器管に負担がかからないので、高血圧症と同様に有効」です。
2)糖尿病
「糖尿病は年齢と共に増加する老人病」です。一般的に運動によって血糖値の低下・インシュリン受容体の増加があり、インシュリンの効果増大をもたらします。つまり体の組織の糖分利用を促進させます。
「太極拳を30分する」と血糖値が減少し、糖分・多尿などの症状を軽くさせる効果があります。また、患者の自覚症状も軽くなり、「関節の痛み、皮膚のかゆみ、便秘などの症状」もなくすことができます。太極拳をおこなっても良い糖尿病患者は、軽・中症の人であまり衰弱していない人です。行い方は「体力に応じ毎日続けたほうが効果があります」。以上のことは「膵臓系統の患者」にもいえます。
3)呼吸器系
太極拳を行うことによって、呼吸機能の増進は目をみはるものがあり「肺活量が増え」ます。実際におこなうに当たっては、運動量の多いものが良いのは当然です。しかし「呼吸機能の弱い人にとっては適しません」ので、激しい運動は避けて実際の「体力・状況に応じて」徐々におこなう方が良いと思います。太極拳は比較的簡単にでき、季節や場所の制約を受けずに繰り返し一人でも鍛錬できる手軽さも魅力です。「喘息や気管支炎」などの呼吸器系統の病気には当然有効です。
4)慢性肝炎
太極拳をおこなうことによって、慢性肝炎患者や肝炎後遺症の人がもっている「不眠、緒低下などの神経症の症状を軽くする」のに役立ちます。また腹腔の血液循環を活発にし、肝臓のうっ血を軽くし、「食欲を増進し、消化や吸収機能を改善する上で効果」があります。慢性肝炎などのうち、肝機能が正常な人や自覚症状が明らかでない人は、運動することで「全身の健康状態を改善」し、全快へ向けて日常活動に耐える力を向上することができます。「慢性胆のう炎、胆石の予防治療」にも適し、体力の消耗の少ないゆっくりとした動作で、できるだけ「腹式呼吸」を心掛けると良いでしょう。
5)動脈硬化
動脈硬化に対する太極拳の医療効果は、一つに「動脈硬化を一段とよく予防」できます。二つ目は「血液循環を改善」し、局部の血液欠乏によって現れる症状を、より改善出来るという長所を持っていることです。肉体的な労働をしている人や通常運動をしている人」は、例え動脈硬化になっても「比較的に軽い」ものです。
しかし、運動をしていない人の「動脈硬化の殆ど(約70%)」は、冠状動脈閉塞にまで 進んでいることが多いのです。冠状動脈とは、心臓の周囲にあって心筋の栄養を維持するために重要な動脈ですから大変です。太極拳を行うことにより、精神の緊張を緩和出来ることから、血管のけいれんが軽減できます。また、「動脈硬化の進み方はコレステロールの代謝異常と密接な関係」を持っていますが、「血中のコレステロールの含量を下げる」のに役立ちます。動脈硬化は高血圧症とほぼ似ていますので、「体力に応じて太極拳をおこなえば良い」と思います。
予防医学と太極拳
ガンや動脈硬化などは、すでに10代から始まっているといっても過言ではありません。30~40年かかって病気になる長期戦です。厚生労働省が予防のポイントを栄養・運動・休養(心身のリラクゼーション)としているように、ライフスタイルを変えることが重要とされています。
日本人の多くは慢性的な運動不足を抱えています。人の筋肉はしっかり鍛えていないと30代を境に弱くなり始め、加齢に伴い筋力は著しく低下していきます。これが高齢者の転倒、骨折、寝たきりなどの一番の原因と考えられています。
太極拳は、中腰姿勢が多いことからも老化防止には最適であるといわれています。そして、①足腰を鍛えるのに理想的、②姿勢が良いので生理機能を高めるばかりでなく、見ためも美しくなる、③終始ゆっくり繰り返される大きく柔らかい動作と深い呼吸は、激しい運動を行うよりもすぐれた呼吸運動法であり、しかも永続性と安全性を考えると運動不足解消の最たるものといえます。
日本人のための太極拳入門 / の第2部朝香禎之(医学博士)著部分を参考
とくに高血圧と糖尿病をもつ君の場合は、血管ポンプ運動としての太極拳を強く勧めます。また「気」をイメージすることがポイントで、それにより瞑想効果も得られ、日々の運動が苦痛な作業から身体的精神的な快感にかわるのです。

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やっと太極拳に腑が落ちた

台風24号のくる午前である。香里園のスタバだ。隣家の前に178号が停まっていたのでついバスに乗り坂を下る。
朝、6時か、台風の前に新宅の昨日むしった草を袋詰めに行った。これがまあ終の棲家かとの感慨よりも蚊がうるさい。家前にもどり、すでに毎朝の習慣となった拳を打つ。揚家108式を一度、角のマンホールのまわりを八卦掌、黄龍反身まで、また揚家をいちど、その前後に黄氏松身五法の孫式改良版を逐次入れる。
三年前か、秋の頃に守口の詠春拳に通ったが、現代的意味のない拳法であり、それ以上に道場主M氏の人格に辟易した。一年つづけたが香港の李恒昌老師のセミナー参加でおわりにした。その後、カルチャーセンターで簡化太極拳24式をする。昨年の晩秋か、S崎氏の揚家蛇式に入る。これは機嫌よく、いまもつづいている。また揺禅という氏開発の気功運動も行う。さらにこの4月か、日曜朝の大阪城公園でのS氏の八卦掌も習いはじめる。
それやこれやで、少しは、自分なりの意見もできた。揚家太極拳や八卦掌の武術としての側面ではない。徒手格闘技としては、キックや総合の敵ではあるまい。揚家をやり、揺禅をやり、八卦掌をやり、それ以上に個人的に研究した。大体、今日の朝の要領とか感覚で良いと実感をする。
その今日的意義は、揺らすこと、波を起こすこと、振動させることだ。円を描きながらである。基本はミルキングアクションである。人間は「管」である。パイプだ。血管、リンパ管、気管、大腸、小腸その他、人体は「管」だ。神経系も筋肉繊維もそうだろう。60兆とされる細胞も、膜にかこまれた液体だ。Be Water なのだ。それを揺らす、振動させる。波を起こす。つまったパイプを揺らし、振動させることで「通す」のだ。再生、活性化させるのだ。それを中国人が気功と呼ぶのは、彼らの勝手である。血液が流れようと、リンパ液が流れようと、「気」が流れようと、メカニズムは同じではないのか。
第一が、ミルキングアクションだ。これは血管に作用するふくらはぎの筋肉のポンプ作用の事だ。全身の血液は、心臓から送られて、また心臓に戻るというように循環している。 上半身の血液は比較的容易に心臓へ戻っていくが、下半身の血液は重力の抵抗を受けながら 進まなくてはいけない。 心臓だけで一連の動きを行うと、結構な負担になってしまう。 そのときに心臓の助けとなっているのが、足の筋肉を動かすミルキングアクション(搾乳運動)という機能だ。 足の筋肉が血液の周りで乳搾り(ミルキングアクション)をするように伸び縮みすることで、筋肉の収縮によって上に血液が流れ、血液が心臓に送り返される。
ふくらはぎを動かすとふくらはぎの筋肉は伸びて縮む(収縮と伸展)を繰り返すが、これがふくはらぎ周辺を走っている血管への刺激となり、乳搾り(ミルキング)の要領で血行を盛んにさせる。ふくらはぎを含む下肢は身体の中で最も心臓から遠くに位置し、しかも流れてきた血液を重力に逆らって心臓まで押し戻さなければならないために血行不良をきたしやすい部位となっている。このせいで「冷え」や「むくみ」を生じやすい。しかし、下肢には全体の筋肉の約三分の二が集中している。ふくらはぎを使って歩くだけでも比較的簡単にミルキングアクションの効果が期待でき、それによりふくらはぎの血流量が増加すれば遠隔部の血流にも強く影響し、全身の循環系を活性化させることができるとされる。このように、ふくらはぎの筋肉は心臓のポンプ作用を補助する器官なので、「第二の心臓」とも言われている。
心臓から足に行く時の血液の勢いはすごく強いしかし、静脈には心臓と同じくらいの勢いをつけてくれる「モーター」がない。そして静脈には流そうとする「意志」もない。勢いがないため血流が逆流する可能性もある。そのため静脈には逆流防止弁が付いている。つまり太極拳あるいは揺禅あるいは様々な気功が無意識的に、知らないままに行っているのは、「意思」をもって「モーター」を動かすことなのだ。仏教を含むインド哲学が、思索と瞑想のみで、結果として現代の精神分析、脳科学に近い答えを出しているように、中国の養生術も、経験則的にだろうが、現代医学の説明する効果を出していたのだ。「意思」をもって「モーター」を動かすのだ。「意思」、それが「術」となり「道」となる。
アマゾンで本を注文した。ぷるぷる体操、かかと落とし、ゾンビ体操みな同様の内容である。答えは、すでに私も気づいた。それをすこし専門的に説明する本だ。福岡歯科大学客員教授で、『“骨ホルモン”で健康寿命を延ばす! 1日1分「かかと落とし」健康法』(カンゼン刊)の著者・平田雅人氏が解説する。以下引用。
「かかと落としは、背すじを伸ばしてつま先立ちになり、両脚のかかとを上げ下げする運動法です。かかとを地面につけるときに、自分の体重をかかとに伝え、“骨を刺激する”ことを意識して、1日30回繰り返します。手軽で簡単にできる運動ですが、これによって『糖尿病』の予防・改善、『認知症』や『動脈硬化』の予防効果が期待できるのです」
国内の糖尿病患者は、予備群を含めると約2200万人、認知症は約800万人にのぼるといわれる。動脈硬化が進行すれば、脳卒中や心筋梗塞など命に直結する重大な疾患を引き起こす。
さらに、同様の運動が「高血圧」の対策としても効果が期待できると明らかになってきた。日本高血圧学会によれば、高血圧の潜在患者数は約4300万人。国民の約3人に1人が悩みを抱えている疾病への新たなアプローチとしても注目が集まっている。
これらの疾患について、これまでの予防・改善策は、適度な運動や十分な睡眠時間の確保といった地道な生活習慣の改善が主流になっていた。その症状が悪化すれば、いずれも薬に頼らざるを得なかった疾患でもある。
そうしたなかで「かかと落とし運動」という極めてシンプルな予防・改善法が有効だとすれば、国民病克服に向けた新たな地平が開ける。
◆「ふくらはぎ」のパワー
かかと落とし運動によって、「高血圧」の予防効果が期待できる──そのことが分かってきたのは、高血圧を引き起こす一因となる「ゴースト血管」という概念の存在が、最近の研究で明らかになってきたからだ。
ゴースト血管とは、全身の細胞に酸素や栄養を行き渡らせる毛細血管に、様々な要因で血液が流れなくなった結果、毛細血管が無機能化したり、消失してしまう状態のことを指す。毛細血管が、まるで幽霊のように消えてしまうことから、そう名付けられた。
この概念は、4月1日に放送されたNHKスペシャル『“ゴースト血管”が危ない?美と長寿のカギ 毛細血管?』でも取り上げられ、話題を呼んでいる。番組にも出演した大阪大学微生物病研究所教授の高倉伸幸氏が解説する。
「加齢や糖分・脂肪分の過剰摂取などによって、末梢の毛細血管がゴースト血管になっていきます。ゴースト血管が増えて血液の循環が悪くなると、流れにくくなった血液を押し出すために心臓への負荷が増し、それに伴って血圧が高くなると考えられます。
ゴースト血管と高血圧の関係については、いままさに詳細な研究が進められている段階ですが、私はゴースト血管が高血圧を引き起こす大きな要因の一つになっていると考えています」
高倉氏によれば、“かかとを床から上げ下げする運動”が、毛細血管のゴースト化を防ぐ対策として有効になってくるという。それは即ち、高血圧の予防・改善にもつながるということだ。そのように考えられるカギは、「ふくらはぎ」にあるという。
「ふくらはぎは“第2の心臓”と呼ばれていて、血液の巡りをよくするポンプの役割を果たしています。加えて、体内でも毛細血管が多く張り巡らされている部分にあたります。つまり、ふくらはぎを鍛えないと、多くの毛細血管がゴースト化するし、さらにそれによって全身の血流が悪化して、どんどん毛細血管が消失してしまうリスクがあるのです。
ふくらはぎを鍛える方法としては、“その場でスキップをする”といったやり方もありますが、より簡単なのは“かかとを上げ下げする運動”です。ふくらはぎを伸縮させることで、全身の毛細血管の血流を良くすることが期待できます」(同前)以上転載。
なるほど。これも「孫式メディカルタイチ」に取り込み済みである。
では、血管はそれで良い。でも、リンパはどうすんの、となる。
大腸あたりに「乳び槽」というリンパの集積気管があるらしい。体内だから、ふくらはぎのようにマッサージできない。だが身体を、とくに大腸が動くように捩じることでポンプを利かせられるらしい。これはデンデン太鼓スワイショウで良いか。これも「孫式メディカルタイチ」に取り込み済みである。
それやこれやで、「孫式」はある程度の完成に向かいつつある印象だ。この方向性で、まず間違いないだろう。以下は、「太極拳は世界一の健康法」というある人のブログの文章であり、「太極拳の循環器系統への影響」を書いている。
体の各器官へ体液を運ぶ管系を循環系といい、これに属する器官を循環器といいます。循環系には、血液を運ぶ血管系と、リンパ液を運ぶリンパ系があります。血管系には心臓と血管があり、リンパ系にはリンパ管とリンパ節があります。
心臓の構造は、心筋と呼ばれる筋肉を主体として、心外膜で覆われています。心臓は一回の拍動ごとに、コーヒーカップ一杯分の血液を送り出し、一日10万回も伸縮して、ドラム缶40本に当たる、約17,000㍑もの血液を送り出していますから、心筋の負担は相当なものです。また血液を回流させる血管も、休む暇なく働き続けていますので、強化しておく必要があります。
血液は、体重の1/11~1/14を占めています。血液の成分は、無形成分の血漿と有形成分の赤血球、白血球、血小板です。自律神経がよく働いている時の白血球は、顆粒球が60%リンパ球が40%の状態に保たれています。この比率が、交感神経優位のときには顆粒球が増え、副交感神経優位のときにはリンパ球が増えます。
交感神経優位のときに顆粒球が増えますと、並行的に活性酸素が増えて組織破壊が起き、ガン、糖尿病、脳梗塞、十二指腸潰瘍、リュウマチなどに罹りやすくなります。
太極拳の動作は、血液の流れを促すように考えられています。腰を少し落として、前進したり後退したりする動作のときに、つま先がスネに近づいたり遠のいたりしますが、つま先がスネから離れるときには、血液はつま先の方に流れ、つま先がスネに近づくときには、血液は心臓の方に向かって戻る仕組みになっています。
動物実験で明らかにされていますが、激しい運動をする動物は、おおむね高血圧であるといわれ、病気の発生率も高いといわれています。人間も動物に違いありませんから、この根拠に当てはまります。
やわらかな動きで、適度な運動量の太極拳は、血管の弾性を強化し、冠状動脈はじめ血管を柔らかくしますから、心臓疾患や動脈硬化、細い動脈の収縮による高血圧などに効果を表します。また神経の安定性を高め、外界の適応力を増すことでも知られています。
中国で、動脈硬化の人を対象に、半年ほどかけて太極拳による代謝研究を行ったところ、鍛練した後の血液中のコレステロールの含有量が減少し、動脈硬化の症状が軽くなったことが確認されています。脂肪類、たんぱく質、無機塩中のナトリウム、リンの代謝についても、好結果をもたらしたというデータが残されています。以上、転載。
むかし出雲の家の井戸の手こぎポンプでギッコンギッコンと井戸水をくんだものだ。懐かしい。だがあれこそ、スワイショウだ。ギッコンギッコンと血液とリンパ液を循環させるのだ。雲手、ラオシーアオブその他の太極拳動作。ぷるぷる気功、かかと落としその他。
そして思うのだが、どれもすごく簡単にできる体操だ。そしてどれも全身の健康状態を改善する効果が期待できる。現代人の多くは筋肉の緊張状態が続いているし、また「老化」とはあの柔らかかった赤ん坊から固い石のような身体になることだ。そりゃ、あちこちのパイプも詰まるだろう。血管もゴースト化するだろう。骨も筋も古びたゴムのように硬化するだろう。
健康がよくなる仕組みが、血液の流れだろうが、リンパの流れだろうが、体液の流れだろうが、「気」の流れだろうが、何でもいいはずだ。中国式に「気」を言い出すから、ややこしくなる。わが「孫式」では、それを「なんか良いもの」「なんかええもん」と呼ぼうじゃないか。理屈はどうでもいいと思う。要は気持ちよく納得できる体操を日々行うことが大切なのだ。また全身を揺らして緊張をほぐす体操は精神的にもメリットがあるだろう。
でも、「なんか良いもの」でも十分だが、「気」という概念もそう悪くないとも思う。実際に「気」があるかどうかよりも、「気」をイメージできるかどうかが重要なのだと思う。数学における虚数概念のようなものだ。頭の中で「気」があるとイメージできると、意識がそこに集中する。震える体操による運動の効果(筋肉の緊張をほぐす、血液、リンパ液を循環させる)に加えて、禅や瞑想のようなリラックス効果が加わるということだ。中国気功の「存思法」は、天地の間にある自分をイメージすることは、自律神経療法と重なりそうだ。「存思法」というより孫式「存気法」だ。
「気」があるとイメージすることで、余計な雑念に捕らわれずに揺らす運動が行えるようになる、一種の方法論だ。方便ととらえても良い。だが、「気」を信じたり、イメージすることが出来ると、より養生術の効果が高まるとは思う。
以上が、今日時点における「孫式養生健身タイチ」の一般方向である。おそらく正しい直感する。そして人は「管」であるという我が理論からすると、太極拳が円運動なのは実に正しい。庭の水まきで、ホースがよく折れて水が流れなくなるのだが、ホースを折ってはいけない。空手のようにだ。ホースは緩やかなカーブの状態なら、じつに水がよく通る。ホースは折れた部分から劣化する。太極拳も八卦掌も、実に緩やかな円運動である。直線的な詠春拳はゆえにだめである。太極拳譜などの理論書も、この観点からみるとかなり正しそうだ。立身中正、虚領頂脛、気沈丹田、含胸抜背、沈肩墜肘。いや正しい。彼らは、べつなアプローチから正しい答えに達している。
たとえば、そのひとつが陳式の嫡孫の本にあった下半身と上半身のドームだ。このアーチこそ力ととく。円である。揚守中の動画の蹴りは、ひょいである。表演のY字バランスとは違う。ボイトレのブレスのように、虚だ。ひょいと出しすぐピッと引きたたむのだ。なら、リズムは壊れない。
ゆるやかに、やわらかく、円運動を行い、わが身体内に「意思」をもって「モーター」をまわすことで、「なにか良いもの」を循環させるのである。やわらかい身体と血管と心を得るのだ。「意思」をもってインナーマッスルを使いこなし、養い育てるのだ。「念」で動くまでだ。これは非日常身体操作だ。そのためには、新しいエンジンと伝導系が必要となる。新しいOSの獲得が必要となる。研鑽鍛錬、しかし楽しみながら。喜びを感じながら。ここでことは「道」となる。
秦の始皇帝は、不死をもとめた。『長春真人西遊記』によると、チンギス・ハーンから「遠路はるばる来られたからには、朕に役立つ長生の薬を、何かお持ちになられたのであろうか」と下問された丘長春は、「衛生の道あり、されど長生の薬なし」(原文:「有衛生之道、而無長生之薬」)と喝破した。養生の道こそが大切である、という意味である。]
これは、耶律楚材の話かと思っていたが、違ったな。でも、こんなもんだ。
新しいOSとエンジンをつくるのだ。

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それでも子亀は金利が気になる

ホームの一つを売却する。地震でやられ築三十六年を買って改装、七年目の建物は大雨でさらにダメージをうけた。建て替えも考えたが、問題はわたしの年齢である。やめた。売ろうじゃないか、ついでに会社もだ。二億の利益をだし、さらに三億のオーナー資産蓄積のできる素敵な会社だ。売ろうじゃないか。
でも、まだ金利動向が気になる。低金利で借り入れてホームオーナーになるモデルだからだ。これを確信犯的にしているのは、日本でわたしだけだろう。だが、何年前から直感的に確信していたが、いま日本で行われているアベノミクスなる愚行は必ず破綻する。いま景気はどうにかもっているが、それをアベノミクスのおかげとするのは早計。「デフレ脱却」を掲げたアベノミクスが想定するプロセスは効いていない。それどころか、国債と称する借金をためらいなくつづける姿は、異常だ。個人なら多重債務者として破産する。「円」という「紙」を刷り続けることで、その場しのぎをしている。そこで「東洋経済」誌を読んでいると腑に落ちる記事があった。
2018年6月の消費者物価上昇率は、生鮮食品を除くコア指数で0.8%だが、さらにエネルギーを除くコアコア指数は0.2%にすぎない。「2%物価目標」にはほ ど遠いうえ、消費者物価上昇率を押し上げているのは、トランプ大統領のイラン制裁の伴う石油などエネルギー価格の上昇が原因であり、日銀の金融緩和の効果ではない。たしかに、ジャブジャブの異次元金融緩和で倒産件数は減っている。だが、それによって新しい産業が生まれているわけではない。
有効求人倍率の上昇は生産年齢人口(15~64歳)の減少の影響が大きい。「働き方改革」でも裁量労働制や高度プロフェッショナル制度に関する恣意的データが作られたように、自らに都合良い数字を並べ立てているだけで、実質賃金の低下と労働時間強化は改善される見込みはない。
● アベノミクスによる 「見せかけの好景気」は破綻する
結局のところ、アベノミクスのもとの「好況」は、円安誘導や赤字財政のファイナンス、日銀の株買いに支えられた「見せかけの景気」にすぎないのだ。
そのことは実体経済でも同じだ。製造業では、中国のハイテク化とともに中国への素材部品や半導体製造装置などの輸出が伸びていることで、景気はどうにかもっている。しかし、これは当初のインフレターゲット派の想定するプロセスと違って、従来からの円安誘導による既存産業の輸出にすぎない。しかも、米中貿易戦争の悪影響が懸念され、いずれ中国自身が自前で生産するようになるだろう。
自民党総裁選では、経済や雇用指標の「改善」などを背景に、安倍首相の「3選」が有力視されている。しかしアベノミクスがあと3年続くと、どうなるのか。異次元緩和にとって金利上昇がアキレス腱である。そして、すでに米国が利上げに転じている中で海外から金利上昇圧力がかかってきて、限界が露呈し始めている。2016年10月に公表された財務省の試算によれば、金利が1%上昇すると、国債の価値が67兆円毀損する。日銀も24兆円の損失を被る。日銀も年金基金も金融機関も潜在的に膨大な損失を抱えて動きがとれなくなる。さらに2017年1月の財務省の試算によれば、金利が1%上昇すると、国債利払い費を含む国債費は3.6兆円増え、金利が2%上昇すると7.3兆円増加する。長期的に考えれば、国の借金は1000兆円を超えるので、単純計算で考えても、金利1%の増加でさらに国債費は膨らみ、財政危機をもたらす。
つまり、金利の上昇は財政金融を麻痺させ、ひいては日本経済を著しい混乱に陥れるのである。だからこそ、異常な低金利を維持するために、日銀は永遠に国債を買う量的金融緩和をやめるにやめられず 、出口戦略を放り投げて続けざるを得ないのだ。簡潔に言えば、アベノミクスとは戦時経済と同じ“出口のないネズミ講”なのである。
つまりあと3年は、安倍首相に「政治任用」された黒田日銀総裁が緩和政策を続けるのかもしれないが、それは将来の大きな危機をもたらす「マグマ」をため続けるようなものであり、米FRBが利上げ政策をとっている以上、日銀だけが緩和政策を続けようとしても、金利上昇を抑えられるかはわからない。
こう考えると、アベノミクスとは、成功した途端に破綻する「詐欺」ということになる。
仮に消費者物価が上昇した場合、それは金利の上昇をもたらす。実質金利(利子率―物価上昇率)がマイナスだと、銀行経営は成り立たなくなっていくからだ。つまり、異次元緩和のアベノミクスは永遠にデフレ脱却をせず、不況でないともたない政策であり、現状をただもたせるだけの政策なのである。
● 金利は上昇する 日銀の金利抑制も限界に
実際、政策の限界はすでに表面化し始めている。
銀行は超低金利が長く続くなかで収益が悪化、経営体力を弱めている一方で、海外の金利上昇圧力を受けて、日本国債離れが進んでいる。国債市場は2018年に入って、7回も国債の取引が成立しない事態が生じている。こうした「副作用」を和らげるために、日銀は7月末の政策決定会合で長期金利(10年債の利回り)の上昇(0.1%から0.2%)を容認する金融緩和の一部修正を行った。ところが、さっそく金利上昇を見越して投機筋によって乱高下する事態となった。長期金利が0.11%になった状況で、日銀が0.1%の指し値オペ(指定金利で無制限に国債を買い入れ)を行うやいなや、日銀の国債貸しを利用して、投機筋が「空売り」を仕掛けたのである。
投機筋 は日銀から1兆円の国債を借り、それを空売りして濡れ手で粟の儲けを得たのだ。株式市場でも日銀が株式を買い支える「官製相場」になっており、株価が下がると日銀が買いに入るのを見越して、投機筋が同じように空売りで儲けている。中央銀行が株高・低金利を維持するために、投機筋の空売りの機会を提供するという異常な事態が生じているのである。
以上は「東洋経済」誌よりの抽出である。
「簡潔に言えば、アベノミクスとは戦時経済と同じ“出口のないネズミ講”なのである」とあるが、「長期的に考えれば、国の借金は1000兆円を超えるので、単純計算で考えても、金利1%の増加でさらに国債費は膨らみ、財政危機をもたらす」とあるのは、正論である。わが業界は、親亀の背中の子亀である。ネズミは船の難破するのは事前に知って逃げ出すという。そういうことも、あるか。ネズミの天与の知恵である。

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時間待ちの図書館で

8月24日となった。京都のよく通った図書館で時間待ちをしている。彼が高二の夏に、家をつぶした。愚かなことをした。実に愚かなことをした。
冬に老師を大学にいかそうとして、ミイラ取りの流れだった。でもその春は新鮮だった。それから4年半が過ぎたか。あのようなことが起きて、そのようなことも起きて、またさまざまなことが起こっている。インド人の四住期の教えとは遠く、第一と第二のところでさ迷っている。林棲し遊行するときがきたのか。
過ぎたときはかえらない。起こした愚かさも消すことはできない。故人も、いたるところに青山ありという。旅にでるときだろうか。遊び行くのである。光陰も逆旅なれば、いずこからきたのか知らないが、またいずこに行くさだめであるか。

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自分は百歳を超えたという

エミは今まで、
ぼくを愛し、ささえてくれた。
今度は、ぼくの番だ。

2018/08/08

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数息観の成立

はじめに
ここ数年、上座部の仏教とマインドフルネス瞑想にこっていた。すこしその頭を整理するために、ここはひとつ論文スタイルで交通整理をする。
アメリカの最先端企業であるグーグル社が、ベトナム臨済宗のティク・ナット・ハン師をまねいてマインドフルネス瞑想の講習会を行うように、欧米系の、とくにIT企業などで、瞑想は、精神を安定させ脳を活性化させるというものとして、企業単位で取り入れられたりしている。
仏教瞑想を、その仏教色を抜き、メディティーション技法として再編し、とくにその脳科学的な効用が前面に出されている。その良否、正否はともかく、釈尊のなされた瞑想が、形を変えたとはいえ、21世紀にも連綿と受け継がれるのは、それはそれで結構なことと思う。
本論においては、呼吸を観る仏教古来の瞑想、とくに数息観について、その成立と発展を考えてみたい。数息観を説く経典は『佛説大安般守意経』(以下、『安般守意経』とする)のみであるが、さまざまな論書がその具体的な心得、修行階梯について述べている。初歩的だが、①数息観の誕生の地方と時代はいつか、②各論書を整理しながら、その具体的な手順とノウハウを再確認してみたい。
第一章、序論として入出息瞑想と文献
1-1.釈尊の瞑想をもとめて
還暦を過ぎた頃から、なぜか渡り鳥の帰巣本能のように、仏教に関心を持つようになった。日本においてはスマナサーラ長老の瞑想研修会に行き、自営業者でありタイには仕事によく行ったが、学問寺院であるワットマハタートの外国人向けのメディティーションセンターや、バンコクの寺院での朝や夕べの瞑想修行会に参加した。なかにはタンマーガイのような特殊な、高級ホテルでの、ガイディング・メディティーションというより集団催眠誘導のような金権邪教的印象のケースもあったが、基本的には、ミャンマーのマハーシ式が主流であった。ヴィパッサナー瞑想である。
やがて、釈尊はどのように瞑想されたのか、つい考えるようになった。宮澤大三郎氏が『佛説大安般守意経解読書』という本を出されている。一読して、他の経典とは文章のテイストが違い、なにか瞑想マニュアルのような印象だったが、呼吸を数えるという意味での数息観の初出の経典とされている。果たして釈尊は、このようなスタイルの瞑想をされていたのか、疑問に思うようになった。『佛説大安般守意経解読書』に付された康僧会(~250年)の序文の「佛説大安般守意経序」にも、その最初において「夫安般者、諸佛之大乗。以済衆生之漂流也」と「大乗」と表現されている(注 )のであり、これは釈尊より遥かに後の事と考えるしかない。
では、数息観は、どの時期にどの集団により成立したかが、いささか気になるようになった。以下、
① 『入出息念経』と『雑阿含経』における呼吸瞑想において、呼吸の数を数える数息観があったかどうかを確認、
② 『大安般守意経』における数息観の内容確認、
③ 他の論書における息を数える数息観を整理、
④ 数息観は『安般守意経』を初出とすることを仮定し、その成立時期と場所が、数息観発祥の地であると仮定し、それを述べる論文を探す、
最終的には、この『安般守意経』が数息観を述べる唯一のそして初出の経典であり、その撰述の時期と地域を求めて、「数息観という瞑想方法は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろうと思われる」と仮説し、それを本論の結論とする。
⑤ また同時に、各時代と各論書における数息観の変遷発展を整理し、その具体的に論ずるところを整理して、私の個人的な瞑想修行にも資するものとしたい。目的は、釈尊のなされた瞑想を知り、それを、願わくば私の体内で再現することである。
1-2.仏教瞑想の経典と論書
本論の論考を進めるにあたって、何を主たるテキスト、エビデンスとなる資料、文献とすべきかが問題となるが、まずそれを探し求めた。もとより自分の知識能力の限界は自らが知るところであり、実績ある研究者の整理にしたがうという方法である。
『入出息念経』( マハーチャッターリーサカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第118経であるが、『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社より刊行されている。
洪鴻栄氏「止・観の語源」は、安般念の習修法である六息念を考える場合の諸経論中での出典として以下のものを挙げる(注 )。
それは、A『解脱道論』(大正,32.p.430b-c)・B『修行道地経』(大正,15.p.216a-b)・C『安般守意経』(大正,15.p.116b-167c)・D『座禅三昧経』(大正,15.p.275a-b)・E『清浄道論』(VisuddhimaggaPTS 1905 p. 278)・F『善見律毘婆沙論』(大正,24.p.747b)・G『達摩多羅禅経』(大正,15.p.306a-307c)・H『大毘婆沙論』(大正,27.p.934a-b)・I『成実論』(大正,32.p.934a-b)・J『雑阿毘曇心論』(大正,28.p.934a-b)・K『倶舎論』(大正,29.p.118a-b)である。
和訳された図書として、比較的に楽に入手できるのは、『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社、さらに宮澤大三郎氏『佛説大安般守意経解読書』及び正田大観氏『清浄道論』第二巻である。その他、ネット上では、諸研究者の安般念、数息観等に関する諸論文をpdf版で読むことができる。
もとよりWeb上では、「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」が公開されているが、直接に経典経文への解釈を施すことは、正直、荷の重いことであり、また誤訳、誤解釈は必定である。したがって、以後は、これらの和訳解説、諸論文等より、本論を進める。
第二章、『入出息念経』での安般念と十六事について
2-1.釈尊の瞑想―入出息念経
安般念(アーナーパーナ・サティ)とは、?na[アーナ]とap?na[アパーナ]の複合語であり、サンスクリットならびにパーリ語の?n?p?na[アーナーパーナ]の音写語とされる。念は、サンスクリットsm?ti[スムルティ]あるいはパーリ語のsati[サティ]の漢訳語である。
『入出息念経』( マハーチャッターリーサカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第118経であり、『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社より刊行されている。その「出入息観――治意経」出本充代訳p.161以下によれば、
出入息観を養成して悟りの智慧と解脱を得る方法を説く。雨期のあいだによく修養された比丘たちを見て満足した釈尊は、この会衆は理想的な比丘僧伽であると称賛する。そして僧伽を構成する比丘たちを四種の聖者の階位と各自が取り組んでいる修行法の種類から描写するなかで、出入息観を養成する効果を説き始める。すなわち、出入息観を「四つの 注意力の確立」(四念処)に組み合わせて養成し、「四つの注意力の確立」を「悟りにいたるための七つの支分」(七覚支)に組み合わせて養成し、最後に「悟りにいたるための七つの支分」を遠離・離欲・滅尽・放棄に組み合わせて養成すれば、悟りの智慧と解脱が完成するとして、その修行の過程を詳しく説く。[出入息観の養成法] (漢訳『治意経』、大正蔵一、九一九上―中)。
「比丘たちよ、出入息観を養成し、強化すれば、大きな効果があり、大きな利益がある。比丘たちよ、出入息観を養成し、強化すれば、『四つの注意力の確立』が完成する。『四つの注意力の確立』を養成し、強化すれば、『悟りにいたるための七つの支分』が完成する。『悟りにいたるための七つの支分』を養成し、強化すれば、悟りの智慧と解脱が完成する。では、比丘たちよ、出入息観をどのように養成し、どのように強化すれば、大きな効果があり、大きな利益があるのか。
比丘たちよ、いま比丘が森林に行くか、木の根元に行くか、空き家に行くかして、足を組んで身体をまっすぐに伸ばし、正面に思いを定めて座る。かれは意識しながら息を吸い、意識しながら息を吐く。」
2-2.十六事―十六特勝
そして十六事が説かれる(注 )。
① 長く息を吸いながら、『わたしは長く息を吸っている』と知る。長く息を吐きながら、『わたしは長く息を吐いている」と知る。短く息を吸いながら、『わたしは短く息を吸っている』と知る。
② 短く息を吐きながら、『わたしは短く息を吐いている』と知る。
③ 『全身を感じ取りながら息を吸おう』と練習する。『全身を感じ取りながら息を吐こう』と練習する。
④ 『身体の活動を鎮めながら息を吸おう』と練習する。『身体の活動を鎮めながら息を吐こう』と練習する。
⑤ 『喜びを感じながら息を吸おう』と練習する。『喜びを感じながら息を吐こう』と練習する。
⑦『安楽を感じながら息を吸おう』と練習する。『安楽を感じながら息を吐こう』と練習する。『心の活動を感じながら息を吸おう』と練習する。『心の活動を感じながら息を吐こう』と練習する。
⑧『心の活動を鎮めながら息を吸おう』と練習する。『心の活動を鎮めながら息を吐こう』と練習する。
⑨『心を感じ取りながら息を吸おう』と練習する。『心を感じ取りながら息を吐こう』と練習する。
⑩『心を喜ばせながら息を吸おう』と練習する。『心を喜ばせながら息を吐こう』と練習する。
⑪『心を集中させながら息を吸おう』と練習する。『心を集中させながら息を吐こう』と練習する。
⑫『心を解き放ちながら息を吸おう』と練習する。『心を解き放ちながら息を吐こう』と練習する。
⑬『無常を観察しながら息を吸おう』と練習する。『無常を観察しながら息を吐こう』と練習する。
⑭『離欲を観察しながら息を吸おう』と練習する。『離欲を観察しながら息を吐こう』と練習する。
⑮『滅尽を観察しながら息を吸おう』と練習する。『滅尽を観察しながら息を吐こう』と練習する。
⑯『放棄を観察しながら息を吸おう』と練習する。『放棄を観察しながら息を吐こう』と練習する。
比丘たちよ、出入息観をこのように養成し、このように強化すれば、大きな効果があり、大きな利益がある」 (『原始仏典【第七巻】中部経典4』春秋社 pp.161-168)
この入出息念は、概して初学者向けの初歩的修行法として扱われるが、仏伝では、釈尊自身が成道前の苦行中と、成道後の安居期に行われた禅定と伝えられている。『入出息念経』では、身・受・心・法念処のそれぞれを成就する禅定として、それぞれ四種十六事(十六種の方法)を示して、これを修習して正念正知しつつ七覚支を修習すれば、解脱を獲得すると説かれる。
『安般守意経』では、この『入出息念経』の十六事に、さらに六息念(数息・相随・止・観・還・浄)という観想方法が加えられる。つまり、より発展した形となる。
第三章、『安般守意経』での十六事と六息念の成立について
3-1.数息観での修行階梯
中国仏教史上で、最初期に仏典を将来し翻訳したのは、後漢時代の安世高と支謙である。安世高は『安般守意経』『道地経』『陰持入経』などの小乗系の禅に関する多くの経典を翻訳し、支謙は大乗系の『般若三昧経』『道行般若経』など多数を翻訳した。
安世高の『安般守意経』は、数息観を説く唯一の経典である。論書においては、さまざまな論書が数息観を説くが、経典においては、これが唯一とされる。安般はアーナーパーナ、音写で、アーナは入息、アパーナは出息を意味しており、これは意識を入出する呼吸に集中して心を統一しようというものである。したがって数息観を考える場合には、この安世高の『安般守意経』が出発の基点となるのは当然である。
経の内容は、前半において主に十黠の中の数息・相随・止・観・還・浄の六段階(六事・六息念)を説き、後半においては三十七道品を説くが、重要なのは前半とされる。
① 「数息」は出入の息を数えて、繰り返し一から十に至ること、
② 「相随」は意識を出入の息に随わさせて、息になりきること、
③「止」は数と随によって意識を身体の一処に止め、息そのものを忘れ、妄念が止まり心が安定すること、
④ 「観」は出入の息に即して身体の内外を観察し、それによってあらゆるものが見えてくること、
⑤ 「還」は棄てること損ずることの意味で、精神的内観であらゆるものが落ち去ってしまうこと、
⑥ 「浄」は心が本来の清浄なるところを得て見道に達することを言うとされる。
この経典が数息観の初出であり、唯一のものである。この『安般守意経』では、『入出息念経』の十六事に、さらに六息念(数息・相随・止・観・還・浄)という観想方法が加えられおり、あきらかに発展形である。時代差が認められる。したがって、これは私のもとめる釈尊の瞑想法ではないことにもなる。
3-2.インド西北部の有部偸伽行派
つまり釈尊は、呼吸の数などカウントされなかった事になるが、すると『安般守意経』は、いつの時期に、どの地域で、どのような集団により撰述されたかが問題となる。またそれは本卒論のメインテーマとなるが、幸いにも、それについて説明するデレアヌ・フロリン論文をWeb上において発見することができた(注 )。
以下、デレアヌ・フロリン論文「安世高訳『安般守意経』現行本の成立について」の内容を整理する。
まず安世高ご本人であるが、安世高は安息国(パルティア)出身の僧で、一四八年に後漢時代の中国に来て、二十余年の間に中国最初の仏典漢訳を行った。
デレアヌ・フロリン論文によれば、「パルティア語仏典や仏寺遺跡等は存しないから、安息では仏教は小規模の宗教に止まったようである。安息の僧侶はインド西北或いは西域で修学修行しそれぞれの地の言語の仏典を学んでいたであろう。安息人による漢訳仏典の部数を見ると、小乗仏教は主流であったが、大乗仏教も多少行われたことが窺われる。インドの西北部が説一切有部の拠点であったことを考えると、安息の仏教者の多くは、恐らくは有部系であったと推測される。安世高の場合も、その訳経の内容や中国の史料、当時のパルティアの仏教背景等は、彼が有部、特に有部偸伽行派と密接な関係にあったことを示唆している」とする(注 )。
さらに、「安世高は特に禅経や実践方面の仏典を訳出し、彼自身も恐らく偸伽行者であったと思われる。実は、所謂禅経は、カシミール地方で栄え全インドや西域、中国にその名を馳せた有部偸伽行派によって撰述されたと見られる」として(注 )、カシミール地方の有部偸伽行派の強い影響を論じている。
また、その時期については、「これらの多くの禅経は、二世紀のカニシカ王前後の頃作成されたらしい。『安般守意経』『陰持入経』『大十二門経』『小十二門経』『大道地経』『禅行法想経』等の安世高の禅経も同じ系統の典籍であるが、教義内容や経典体裁からすれば、他の禅経より早い時期(紀元一世紀?二世紀初)に撰せられたであろうと思われる。尚、安世高とインド西北との密接な関係を裏付けるもう一つの証拠は、彼の所謂経典に見える音写が西北プラークリット語(ガンダーラ語)に由来していることである」と論じる。
また、『安般守意経』の前半に説かれる六事について、「六事(数息・相随・止・観・還・浄)、即ち安般念の修行過程を表わし位置づけている概念は有部の毘曇教義である。勿論、この安般念の実践は偸伽行師の修行に基づいているが、有部の毘曇文献でも詳説せられている。然し『安般守意経』に於ける六事は、『大毘婆沙論』巻二十六や『倶舎論』巻二十二に見える六因より早い時期のものと思われる。『大毘婆沙論』の成立がカニシカ王以後、龍樹(三世紀)以前だとすれば、『安般守意経』の六事はそれより一〇〇年前くらいの偸伽行派の禅観を反映しているものと見てよかろう」とする。つまり、『安般守意経』の数息観が最も古いものだとデレアヌ・フロリン論文は論じる。
すると『安般守意経』の原本はインドではサンスクリット語でもパーリ語でも無く、漢訳本だけだが、その成立時期は、紀元一世紀?二世紀初であり、撰述された地域は西北インドあるいはカシミール地方であったということになる。そして、その地域の有部偸伽行派の行者たちが、数息観を開発したと推測できる。
デレアヌ・フロリン論文も、「『安般守意経』は、阿含経や毘曇文献等の素材を集成し、有部偸伽行派の実践的立場から纏められた修行者の書である」と論じる。そして「結語に換えて」として、「『安般守意経』の原本は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって著作されたであろうと思われる」と結論する(注 )のである。
この『安般守意経』が数息観を述べる唯一のそして初出の経典である。すると、「数息観という瞑想方法は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろうと思われる」と仮説しても、そう無理はないはずである。
したがって、この結論が自動的に本論の答えとなる。勿論、それ以前にもそれ以外の地域で数息観が行われていた可能性はあるだろうが、それを知ることは出来ないので、上述の結論が、いつどこで数息観が誕生したかの、とりあえずの解答となる。
第四章、入出息念と数息観の発展と展開
4-1.数息観の方法―入る息からか出る息からか
つまるところ、このような数息観を行うものは釈尊のなされた瞑想方法ではないことになるが、素朴から精緻へ、より高度化した発展形と考えても良いかも知れず、以下、数息観にかかわる瞑想方法の整理を試みたい。
それを考える文献としては、正田大観訳本『清浄道論』、松田慎也「修行道地経の説く安般念について」、阿部貴子「入出息念の大乗的展開」などを参考にし、私個人が初学者としての瞑想修行に参考にし整理する。目的は、仏教僧団が研究しつづけた瞑想法を今日的に、私個人的に再生することである。
まず数息観の実践として、入る息から数えるか、出る息から数えるかという問題がある。
これについては、『安般守意経』などの仏典では、安那般那(?n?p?na)を、安(?na)と般(ap?na)とに分割して理解することが行われているとする。これは、数息観を修めるに際し、初めに息を吸うべきか吐くべきか、という問題にも関するものでである。
そして、諸経典を見てみると、『雑阿含経』では、安般を説く段にて「念於内息。?念善学。念於外息。?念善学」と初めており、まず入息から安般を始めるべきと説くのに対して『増一阿含経』では「出息長知息長。入息長亦知息長」とあって、その逆を説くという。
また、『達磨多羅禅経』は「入息與出息?心隨憶念」といい、同じく『坐禅三昧経』も「念入息出息生滅無常」などと『雑阿含経』と同様に説いている。
また、小乗諸派の論書では、どう説いているか。
説一切有部は、例えば『大毘婆沙論』に「答先數入息。後數出息。以生時息入死時息出故云々」(T27, pp.135a)と、赤子が生まれて初めてするのは入息であり、死にゆく者が最後にするのは出息であるからとの理由を第一に挙げて、入息から始めるべきことを主張している。この主張は有部のその他論書、例えば世親『阿毘達磨倶舎論』(T29, pp.118b)にも引き継がれていることが見られる。
なお、?n?p?naの語義に関しても、『倶舎論』に「論曰。言息念者。即契經中所説阿那阿波那念。言阿那者。謂持息入。是引外風令入身義。阿波那者。謂持息出。是引内風令出身義」(T29, pp.118a)とあるように、安那(?na)を入息、阿波那(ap?na)を出息としている点、『安般守意経』と『解脱道論』と同様の見解を取っている。
しかし、分別説部大寺派のブッダゴーサ(『清浄道論』)は、説一切有部の挙げる理由とは正反対のことを言って、息を吐き出すことから始めるべきであると主張しているらしい。同様に、経量部に属したと臆される訶梨跋摩は、『成実論』にて「問曰。息起時先出耶先入耶。答曰。生時先出死時後入。出入第四禪亦如是」(T32, pp.356b)と述べていることから、おそらく経量部は後者の見解を取っていたのであろうと推測される(注 )。
まあ、どちらであろうと、とくに修道上の問題ではないと考えられるが、今では、数息観は最初に息を吐き出すことから始めるべきと、現在一般に言われているらしい。
4-2.数息観の方法―呼吸の数え方
つぎの数息観の実践として、まず数の数え方が問題となる。つまり吐く息と吸う息を一つと数えるのか二つと数えるのか、また幾つまで数えるのを繰り返すのかを整理したい。これについては松田慎也氏「修行道地経の説く安般念について」の内容を、抽出し以下、要約する(注 )。
『修行道地経』で出入息を数えるのに際して、「長」と「短」との二瑕という間違った方法を示すらしい。本来、出息して「一」と数え、入息して「二」と数え、順次に「十」まで数えるべきところを、「長」とは出息し、入息しおわってはじめて「一」を数えることで、「短」とは逆に、まだ出息しきらなういちに「二」まで数えることを言うらしい。
また有部の諸論書では、①数滅失、②数増失、③雑乱失をあげるらしい。①の数滅失は『修行道地経』の「長」に、②の数増失は「短」に相当するらしい。③の雑乱失とは、入と出を間違えることを言うとする。『大毘婆沙論』では、これは有余師の説として、十まで数えたら再び一に戻って始めるべきところを、十を越えて数えることを乱数の正説とするらしい。また『解脱道論』でも、十を越えてはならないと説くらしい。『偸伽師地論』では、入息と出息のたびごとに一つずつ数える仕方のほかに、入出息を合わせて一とする数え方、さらには百息を一として十まで数えるやり方を勝進算数として修習の発展したものとして説くらしい。また、十から逆に数える仕方も述べているらしい。
私的には、どちらでも良いような気がするが、まことにプロの方々は、細部に拘泥するものであり、これは古今東西、どの職種も同様かも知れない。逆に、あまりにも形に拘泥することは、止観の本義に反するような気が私にはするが。
4-3.数息観の方法―意識をどこに置くか
また、その際に、意識をどこに置くかが問題となる。
しかし、呼吸に意識を向けこれを数えると言っても、意識を向ける場をどこか定位置に置かなければならない。つまり、どこで呼吸を覚知するかの基準点が必要である。そして、全ての仏典がほぼ同じ場所を指定している。それは鼻頭・鼻端である。『無礙解道』、そしてその説を引き継ぐ『解脱道論』ならびに『清浄道論』では、鼻頭もしくは上唇と上唇周辺も可であることを説いている。
この『清浄道論』は、仏音(ブッダゴーサ)が五世紀に書いたもので、それ以降、上座部最大の聖典となっている。この『清浄道論』で語られる「安般念」は「止」の文脈の中で取り上げられている。しかし、基本は『入出息念経』とほぼ同様の16種の観察を行う。その固有の特徴としては、3の観察においては、呼吸の最初、中間、最後という全体を観察するように説く。正田大観訳本『清浄道論』第二巻では、そのように解説されている(注 )。
鼻頭と言っても、文字通りの鼻頭[はながしら]というのではなく、鼻腔の最端部、鼻の穴の鼻先側周辺である。それは入出する呼吸を、それがたとえわずかばかりの弱い感覚(触覚)であっても、これを捕らえる場所、意識を留める場所である。
上唇ともされているのは、鼻の低いものは、むしろ上唇のほうが呼吸を感知しやすいためである(『清浄道論』説)。
『清浄道論』が引く『無礙解道』などに基づき、意識を鼻頭に留めるとき、注意しなければならないのは、息の入出を感知したときに、鼻頭におけるその呼吸の感覚に引きづられて意識の置き場をフラフラと、鼻腔の内外などとあちこちに移動させないことである。
私の冥想体験においても、意識を一点に留めることは極めて困難である。多くの人々が鼻頭に「留める」ことが出来ずに、入出する息に意識が引きずられてしまうようである。
また、『清浄道論』が引く『無礙解道』にては、鋸[のこぎり]を用いた喩えをもって、鼻頭に念を随逐(安置・触)するとはいかなることを言うのかの説明をしている。その要を言えば、鋸によって木(丸太)を切るとき、常に鋸の刃は木との接点を往来して、それによって木を断ち切っていくけれども、鋸で木を切る者は、その往来する刃に意識を従わせるのではなく、刃と木との接点にこそ念を従わせるのである、というものである。『解脱道論』にて優波底沙長老はこの譬喩を用いて安般念の修習法を説明し、ブッダゴーサもこの譬えを『清浄道論』の中に取り入れ、用いている(注 )。
ただ、六息念のように六事ではなく、八種である。
「(1)数、(2)追随、(3)接触、(4)据置、(5)省察、(6)還転、(7)完全なる清浄、(8)さらに、それらを(還転と完全なる清浄)を観察する、という、これが意をなすことの手順となる。そこにおいて、(@)数とは、まさしく、(入息と出息)を数えることである。(2)追随とは、(入息と出息に気づき)が随伴することである。(3)接触とは、(入息と出息が身体と)接触した場である。(4)据置とは、(瞑想の境地)専注して止まる(心の統一)である。(5)省察とは、(あるがままの)観察(毘鉢舎那・観)である。(6)還転とは、(煩悩を還転させる、聖者の)道である。(7)完全なる清浄とは、(聖者)果である。(8)「さらに、それらを観察する」とは、(還転と完全なる清浄の)注視である。」と説かれる。
また、とくに(3)の接触、つまり息が身体のどこに接触するかであるが、足萎えの喩え、門番の喩え、鋸の喩えにより示されているが、「比丘は、あるいは、鼻の先端(鼻孔)において、あるいは口の形相(上唇)において、気づきを現起させて座した者となり」とあり、息の触れるところ、つまり鼻端や上唇を意識する方法が説かれる。したがって、実際には、息の触れる場所、出息、入息の3つの異なる対象を観察することになると思われる。
また、安定した集中が達成される「安止定」の状態にまで至ることを重視し、その中でも四種類のレベル「初禅」~「第四禅」をしっかりと意識せねばならないとされる。
おわりに
私自身は、五停心観(不浄観・慈悲観・因縁観・界分別観・数息観)での死体の腐敗過程を観察する不浄観など(注 )、想像するだけで腰が抜ける。この程度のやわな機根では、見道や無学の域に達するなど有り得ないことである。したがって在家の初学者で十分だが、つまりは数息観程度が私の身の程であろうから、本論において、数息観の発祥と発展を整理できたことは、個人的には有益な作業であったと考える。
スナマサーラ長老の初心者向けの瞑想ガイド本『気づきの瞑想法』を読んでの感想だが、その40頁で、「思考をカットし、感覚を止めると、心は成長する」と述べてある(注 )。そして「感覚を受けたところで心を止める」ことの重要性を語られている。また58頁では、人の心の動き、執着すなわち煩悩の発生の流れを説明されている。
①隣の人の手が、自分の手に触れたとする。
②すると「触れた」という感覚が生まれる。
③ここまでが「事実」である。
④ところが我々は「今触れたのは、隣の人の手だ」といった具合に、ついその先を考える。
⑤それは「判断」である。
⑥そのためには、たくさんの「思考」が必要である。
⑦ しかし、判断自体には実態は無い。我々の頭の中にしか存在しない。
⑧判断から執着が生まれる。余計な探求が生まれてしまう。
そして、ともかく、触れたら「触れた」、聞こえたら「聞こえた」、思いついたら「思いついた」と事実を確認して、それ以上の思考をカットしましょう、と述べている。つまり、①から③までで、④以下はカットせよと。
その解説への私の解釈だが、人間存在は無我であり、「五蘊」の産物と捉える。「色」「受」「想」「行」「識」である。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示すとされる。五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとし、またこれが煩悩と「苦」の発生原理とされる。すると、上記の①は「色」、②が「受」になる。④がいけない、これが「想」の発生である。そして「行」で余計なことをし、⑧で「苦」の原因となる「識」が生じる。つまり煩悩が生じる。
つまり、「想」「行」「識」をカットし、「色」と「受」のみに在れと解釈すれば、仏教瞑想の一側面が理解できるような気がする。「五蘊」の生成を「止滅」させた状態に「在る」ことである。結果として、二千数百年も前に、それを「止滅」させる方法を発見していたとしたら、仏教はじつに偉大である。釈尊はじつに偉大である。
また、「数息観という瞑想方法は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろうと思われる」というのが本論の仮説であるが、二千年も前にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろう瞑想法を、今も伝えられて私も行えるとは、ありがたいことである。
以上。

2018/07/21

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瞑想し扁桃体を止滅せしめよ

三年前の9月13日の夜に、バンコクのサイアム駅そばの、知人ナムワンさんに連れられて、おぼえにくい名前の寺の夜の「行」に参加した。二時間だが、はじめの一時間は僧侶とともに読経する。パーリ語のあとタイ語で全員が読経する。音楽のような流れるようなハーモニーで、サマタ瞑想に近いものがある。後半の一時間は、僧の声にあわせて、結跏趺坐し、息を吸い、息を吐く。ヴィパッサナー瞑想である。夜の僧院で、インサイドメディティーションを行う。翌日14日の昼は、王宮寺の北にある学問寺 Wat Mahadhatu のメディティーション・センターの外国人向けセミナーに行く。ヴィパッサナー瞑想については、大阪においてスリランカ上座部のスマナサーラ長老の指導を受けたことがあるので、一応、初学の声聞である。
以下の文章は、仏教瞑想に関する個人的な感覚に基づく私見であり、個人的感想文である。つまり、今日において仏教瞑想の意味と効用とは何か、である。欧米においても、それがマインドフルネス瞑想として、非仏教徒にも、ずいぶんと受け入れられているらしい。
それについて、私は以下のように考えている。
人間のさまざまな器官の中で、生まれてから死ぬまで働き続けるのは、まず心臓であろう。肺もそうであろう。その他、さまざまな器官が死ぬまで休まず働きつづけるのだろう。だが、脳は眠るときはしっかり休み、そして「充電」をすると思っていた。レム睡眠のときは、脳は起きていて体を休めて、脳は記憶の整理をする。この時に夢を見ていて、ちなみに金縛りもこのときに起こる。逆にノンレム睡眠のときは、脳も寝ている。この、レム睡眠とノンレム睡眠は約90分おきに交代しており、即ち睡眠時間のおよそ半分は脳も寝ていると思っていた。最新の知見では、それは違うらしい。
脳科学者の池谷裕二氏によれば、脳の神経の活動を追っていると、大脳皮質の神経細胞は、寝ているときのほうが活動しているそうである。人間は浅い眠りと深い眠り、つまりレム睡眠とノンレム睡眠を周期的にくり返しているが、驚くことに脳は、深い眠りのときに最も活発に活動するという。例えば、100個のニューロン(神経細胞)があったとする。起きているときには、特定の瞬間だけみるとある瞬間に30%ぐらいだけ、ニューロンは動いている。長い時間で見れば全部のニューロンが動いているといってもよいが、特定の瞬間では、だいたいニューロンは30%ぐらいしか使われていない。逆に言えば、そういった「部分的に必要な分だけピックアップされた活動」が、おそらく私たちが「意識」と呼んでいるものではないかという。浅い眠りのときは、起きているときの状態によく似ていて、ニューロンは30%ぐらいしか活性化していない。ところが、深い眠りのとき、ニューロンは100個、全部が動いているらしい。つまり、寝ているあいだ脳はものすごく活動している。夜はしっかり休んで「充電」しているかと思ったが、逆のようである。池谷氏は、脳の中でも海馬の専門家らしい。なかでもCA3野という場所の専門とか。このCA3は、昼間に情報を集め、大脳皮質に保管する。このCA3で、睡眠中、とくに深い眠りのときに、情報の圧縮をするという。その作業を、夜にするという。深い眠りのときに脳細胞がフルに働くらしい。「脳は眠らない、昼以上に夜に働いている」らしい。
つまり、脳は生まれてから死ぬまで休むことはないらしい。心臓と同じようにだ。それは気の毒なことだった。疲労もするし、不調な時もあるだろう。現代では、脳の働きを「こころ」と称するらしいが、心が疲れるのは、脳が疲れたからなのか。「こころ」を休ませてあげたいものだ。元気にしたい。「わたしのこころを」である。
バンコクで考えたこと
仏教式瞑想は、宗教の枠を超えて、欧米でも流行している。心を活性化し、脳の疲れを癒すものとして捉えられているようだ。メディティーション・センターの生徒も、わたし以外は、みな欧米人であった。では、なぜ瞑想により、心が活性化でき、脳の疲れが癒されるのか。これは、「脳は眠らない、昼以上に夜に働いている」ことを知れば、答えは出たようなものだ。ヨガ行者などの脳波が測定されて、なにがどうしたとという議論があるが、エビデンスや論証などという煩わしいことはおいて、直感で述べれば、昼に30%ぐらいだけニューロンは動いているというが、瞑想は、それを20%ぐらいに下げる仕組みではないか。わたしは、そう直感する。だが、どの瞑想の本も、そうは書かない。悟りとか、精神統一とか。脳機能を全開させるようなことを書く。
また最近のアメリカでの研究では、昼においても、とくに具体的な何も考えないぼんやりした状態は、脳はデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれて、何も考えていない筈なのに、もっとも活動しているらしい。この脳の「基底状態」とも言える活動に費やされているエネルギーは、意識的な反応に使われる脳エネルギーの20倍にも達するという。逆に、何かを考えている場合や、瞑想の際は、脳の活動が、つまり脳のエネルギーの消費が意外にも下がるらしい。
すると、瞑想の効用として、「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」のではないかと直感した。「管理的に」である。
瞑想で五蘊を止滅する―バンコクで思ったこと
王宮寺の北にある学問寺 Wat Mahadhatu僧院横のスターバックスで、チャンプラヤー河の水上バスの船着き場で、スナマサーラ長老の初心者向けの冥想ガイド本『気づきの瞑想法』を読んでいた。
その40頁で、「思考をカットし、感覚を止めると、心は成長する」と述べてある。そして「感覚を受けたところで心を止める」ことの重要性を語られている。また58頁では、人の心の動き、執着すなわち煩悩の発生の流れを説明されている。
①隣の人の手が、自分の手に触れたとする。
②すると「触れた」という感覚が生まれる。
③ここまでが「事実」である。
④ところが我々は「今触れたのは、隣の人の手だ」といった具合に、ついその先を考える。
⑤それは「判断」である。
⑥そのためには、たくさんの「思考」が必要である。
しかし、判断自体には実態は無い。我々の頭の中にしか存在しない。
⑧判断から執着が生まれる。余計な探求が生まれてしまう。
そして、ともかく、触れたら「触れた」、聞こえたら「聞こえた」、思いついたら「思いついた」と事実を確認して、それ以上の思考をカットしましょう、と述べている。つまり、①から③までで、④以下はカットせよと。
その解説への私の解釈、あるいは思い付きだが、仏教は人間存在を「五蘊」として捉える。「色」「受」「想」「行」「識」である。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示すとされる。五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとし、またこれが煩悩と「苦」の発生原理とされる。すると、上記の①は「色」、②が「受」になる。④がいけない、これが「想」の発生である。そして「行」で余計なことをし、⑧で「苦」の原因となる「識」が生じる。つまり煩悩が生じる。Wat Mahadhatu のメディティーション・センターの外国人向けセミナーの午後の部は一時からオープンするので、ちかくのスターバックスで、このような「思いつき」に至った。
つまり仏教では、人間存在は無我であり、「五蘊」の産物と捉えるのだが、スマナサーラ長老は、それの二段階のみ、「色」と「受」のみで止めろと述べるのであろう。つまり、私式の解釈では、「五蘊」の生成を「断て」という意味となる。ヴィパッサナー瞑想は、いわゆる身随観であり、身体感覚にからだの動き感覚にラベリング、スマナサーラ長老の表現では実況中継するのだが、「色」と「受」のみをまわすのである。
そして、私見だが、それはconcentration 精神統一ではなく、逆に起きているときには、特定の瞬間だけみるとある瞬間に30%ぐらいだけ、ニューロンは動いているそうだが、その30%を40%するのではなく、「色」と「受」のみで止めることで、「想」「行」「識」でのニューロン活動を起こさせないことで、脳を活動させない、またデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)状態にもしないこと、30%を20%するのだ、と気づいた。「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」という、脳のアクセルをゆるめる、できればアイドリング状態まで落とすことだと、私なりに、気づいた。おそらく瞑想により「想」「行」「識」という大脳前頭葉の働きと、そして扁桃体の働きを止めるのだ。「止滅」させるのだ。その間は「五蘊」を生起させないのだ。
脳科学の成果によれば、人間の意識の流れは、起きていても寝ていても、その流れは死ぬまで止まらないという事らしい。人間は、つねに考えつづける。ニューロンの動きをオフにはできない。だが、その動きを「色」と「受」だけのシンプルな、シンプルな動きにスリップさせることで、ニューロンの動きを最小限にし、脳のほかの「野」を休ませる事ができる。また、デフォルト・モード・ネットワーク状態にしないことができる。だから、ヴィパッサナー瞑想もその内容は、あきれるほどシンプルなのだと思い至った。煩悩の「止滅」により涅槃に至るのではなく、ニューロンと扁桃体の動きを「止滅」させることで、脳の疲労の回復をはかるのだ、休ませ、養生し、いたわるのだ、そうスターバックスでカフェラテを飲みながら、思い至った。
そこで私見をでっちあげると、瞑想の今日的な意義は、あるいは効用の一つに、脳の活動を30%から20%にダウンさせる「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませ養生するのだ」と私は理解したい。
してみると、解脱まで求める本式の仏教瞑想ではなく、私レベルの煩悩にまみれた酒好き初学者での瞑想の役割りは、脳のニューロンの活動をスローにすること、できればアイドリングまでダウンさせることで、心臓と同じく、生まれてから死ぬまで動き続ける脳を、「ねんころろ、ねんころろ」と休ませることだと理解すれば、私なりに納得できる。また、煩悩まみれの日々の思考の形から、新しい脳の仕組み、新しい脳のOS(オペレーション・システム)に換えることではないかと、そう思い至った。「四苦八苦」から離れる、それを客観視できる脳のOSをつくるのである。
そして、脳の休息(養生)時間だが、スマナサーラ長老は歩く瞑想は一時間はしなさい、と指導されているが、できるだけ長い時間を瞑想に、つまり脳の休息(養生)時間にするのがよろしいことになる。それには瞑想の技量、ニューロンの動きをコントロールする技量、concentration 精神統一というより雑念をカットする技量が必要であり、ある程度の修行がとうぜんに必要になる。Wat Mahadhatuの指導僧も、Monkey Mindをカットし、意識をBody and Mind にのみ注ぐようにと繰り返し述べていた。これも、「想」「行」「識」をカットし、「色」と「受」のみに在れと解釈すれば、私なりに腑に落ちる。
付言すれば、最新の脳科学の成果によれば、瞑想修行を継続することにより、脳の海馬がおおきくなり、扁桃体が小さくなるという。この扁桃体こそ、人間の情動、怒り、愛情、好悪、攻撃、逃走その他の原始感情をつかさどるものであり、じつに「煩悩」の発生源である。我々のネガティブな感情の発生源であり、「四苦八苦」の発生源である。禅定により、偏桃体の働きを鎮める、結果として、二千数百年も前に、それを「止滅」させる方法を発見していたとしたら、仏教はじつに偉大である。

でも、バンコクはすでに遠く

2018/05/18 そして、一人での誕生日。

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ミック・ジャガーに敬礼する

永平寺に参禅しようかと、はじめての福井の街。冬の越前である。とにかく、魚が美味しい。ニュースを観る。

「ローリング・ストーンズ」のミック・ジャガー73歳の恋人でバレエダンサーの29歳が妊娠約3ヶ月だという。欧米紙はレジェンドが増えたとか。「彼はもう一度パパになるのが待ちきれないんだ。2人とも妊娠のニュースを冷静に受け止めているよ」とか。

73歳と29歳であるが、アンソニー・クイーンは81歳だった。ピカソは76歳だったか。インドでは96歳がいるらしい。意外と幾らでも普通にある話であるし、生物的にも十二分にあり得る。旧日興コーディアルグループの元会長72歳が30歳前後の機械メーカーの元社長秘書との間に子供をもうけたことが話題を呼んだこともある。

だが、これはミック・ジャガー73歳の手柄ではない。恋人29歳の手柄である。きわめて健康な29歳なのだろう。

45歳が妊娠の限界とされる女性の卵子に比べて、男性の精子は老化に強い。だから100歳でも元気な精子を作ることができれば、子供は不可能ではない。男性の場合は、細胞から精子になるまで3カ月間かかるが、毎日精巣で精子を作っている。精巣機能を工場にたとえるなら、工場は古くなっても作られる製品は新しい。精子がきちんと作られていれば、高齢でも可能である。

それに対し、卵子は胎児の時に全量が作られ、以降数は減リ続ける。常に生産されつづけ、射精するか、数日で尿に排出される精子は、いわば消耗品であり、殆どが誕生したばかりだが、卵子の年齢は、女性の年齢+1歳である。
卵子の数は実は女性が母親のお腹にいる胎児のときにピークを迎え、生まれた瞬間にすでに胎内に原始卵子をもって生まれており、生まれたときには早くも約200万個に減少。その後、平均50歳前後の閉経年齢まで減り続けていく。さらに加齢により、その卵子は老化をつづける。20代後半から、卵子は急速に衰え始め、20歳前後の女性が避妊しないで排卵日の2日前に性交渉を持った場合の妊娠率は60%だが、30代後半の女性だと30%になるというように、妊娠率が加齢と共に低下する。江戸の子づくりを目的とした大奥の30歳での「おしとね下がり」も、理由のあることだ。そして、卵子の数も矢弾つきて閉経にいたる。その後の美魔女がどうしたは、おばさんの妄想でしかない。

ミック・ジャガー73歳の恋人29歳は、バレエダンサーらしいが、きわめて健康な卵子の所有主なのである。男であるミック・ジャガー73歳は、生殖に関して、なんの問題もない。彼は、濡れ落ち葉にならず、なにごとも継続は力なり、を実践している。亡くなった前妻もスーパー・モデルだったらしいが、彼自身の工場を稼働させつづけている。ここが男の核心。つまり健康な卵子と健康な精子の受胎であり、ポイントはミック・ジャガー73歳の年齢ではなく、恋人の年齢である。男はどうでもよい。男が廃用症候群にならず、工場を稼働させ、生産ラインを維持していれば、どうでもよい。つまりは彼女がまだ若く、受胎可能期間に、ちゃんと受胎する力があり、受胎しただけの話である。なんの障害もない、健康な子供が産まれるだろう。

だが、理屈はそうでも、これは社会的には難しい。受胎適齢期にある若い女性は、ふつう手近な年齢の男を選ぶのであり、なかなか60歳過ぎた男が対象となることはないし、男のほうも、しがらみにまみれている。しかし例外的な男たちがいる。前述の、ミック・ジャガー、アンソニークインー、ピカソ、旧日興コーディアルグループの元会長の「なんちゃら色を好む」型の社会的パワーを持った男たちである。ミック・ジャガー73歳の恋人でバレエダンサーの29歳が、自分の妊娠を大喜びしているようだが。

数年前に『週刊文春』には警世家の中村うさぎ氏の連載があったが、そこで「エロス権力」という分析をおこなっていた。 「女は生まれつき、男に対してエロス権力を行使できる特権的立場にいる。だが、そのエロス権力は十代から二十代がピークであり、その後は年齢とともに力が減衰して、閉経して生殖能力を失う頃には、壊滅的な状況になっている。」と論じる。
「一方、男はエロス権力に対抗して経済力や社会的地位といった権力で女を支配しようとするのだが、これは若い頃よりむしろ年齢を重ねてからのほうが有利になっていくシステムなのだ。こればかりは、もう、如何ともしがたい男女の非対称性である。その代り女は若い頃に絶大な権力を持てるわけだから、これくらいの非対称性はむしろフェアとも言えるかもしれない。」と断じる。

ミック・ジャガー、アンソニー・クイーン、ピカソ、旧日興コーディアルグループの元会長、加山雄三の父の上原謙は71歳で子供をつくったのか、みな「年齢を重ねてからのほうが有利」な状況を保ち続けている男たちであり、また相手の女性は若い「エロス権力」の現役の保持者たちである。そう観れば、これは普通の話だったのだ。二つの強いパワーの結合図とみることが可能だ。勝ち組連合である。

多胡輝だったか、南博だったか、林髞だったか、人生二回結婚説というのがあった。男性が五十、六十になったら今の女房と別れて若い二十、三十の女と結婚する。若い女性は精神的にも経済的にも安定した男性から様々なことを学び、成長していけるし、男性は若い女性からいきいきとした生命力を吸収できる。そして、二十年、三十年後、その女性は老いたる夫を看取り、相続した資産で安定した生活を営み、今度は自分より二十も三十も若い男性と結婚する。男性は年上の女房から様々なことを伝授され一人前の男になる。そして二十年、三十年後、妻を看取り、今度は若い女性と結婚する・・・。これによって、日本の国力は増進するという意見だったらしい。

古女房をかかえたおやじの妄想のような説だが、ミック・ジャガー73歳の恋人でバレエダンサーの29歳は、優秀な遺伝子の子供を得れるし、夫の力で、社会的に一気にステップアップできるし、ずいぶんと良い仕事ができるだろうし、そして十分すぎる遺産が手に入るはずである。彼女のかってのボーイフレンド達が、何人たばになってもかなわないほどのレベルの生活と未来が保証される。若い元ボーイフレンド達は、所詮は海のものとも山のものともわからず、平凡で無能な人生をおくり、ほとんどはしょぼくれた老人になるだろう。しかし、彼女の目の前のオスはすでに社会的に勝ち抜き、成功し、その能力と遺伝子のレベルが保証されている。猿山のボス猿、群れを率いるボス狼である。これも若いメスの選択であり、またボス猿に選ばれた若いメスの立場でもある。賢い。太古のジャングルでの原人の女たちもそうであったように、生きる力が、直感が本能的に強い女性なのであろう。ええなあ、と福井の魚を食べ地酒を飲みながら妄想する。蟹が美味しい。タラの白子が、とても美味しい。地酒も美味しい。今年はじめての、あられも観た。外は寒い。故人は「居を移すは、気を移すなり」と言う。冬の越前は、なかなかに善い。冬の旅は、ぶらぶらと、ひとりに限る。

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出雲駅伝の頃に

一昨年の6月、この出雲平野を見下ろす山に、年少の従兄弟である彼と上った。がんを乗り越えたと思ったが、4か月後、出雲駅伝の頃に西に旅立った。家族にぜひにとこわれ、一周忌に生まれ故郷の出雲にもどる。でも、空もかわりなく、地上では稲穂が波うっていた。一昨年と何も変わらない。

吉永小百合が主演した実話をもとにした映画、骨肉腫で若くして死んだ女性の日記と手紙をもとにした『愛と死を見つめて』という映画があった。名コピーだった。人間には見つめつづけられないものが二つある。それは太陽と、そして死である、だった。私たちは、自分にはそんなことは起こらない、それは存在しないとして、日々を生きるしかない。誰も、それに直面はできない。その意味では、九歳の子も、九十歳の人も、彼の家族も、道を歩く人も、今、この瞬間、みな同い歳である。そして永遠に同い歳である。
2016-10-10-15-57-42
彼の兄に、がんが発見された。かなり重い。生きているうちにと、先週金曜日、ビールをともにする。つまらない与太を言い合うが、誰にも覚悟が必要だが、しかし百年後は誰も、誰一人いない。われわれは、永遠に同い歳である。避けることはできない。受け入れることは、さて、できるだろうか。

Be Here Now          +++++++++++++++++++

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力を抜くことで力を出す、詠春拳

高校は柔道部、それから20代では空手、少林寺拳法、ボクシングをした。ここ4年は京橋駅そばのキックボクシングジムで、仲良くまったりしている。20代の拳法とボクシングの蓄積があるから、この年齢でのキックボクシングも何のストレスも心臓・筋肉の負担もない。じつに快調であり、練習、とくにスパーリング後の爽快感は、とてもじゃないが止められない。そのあげく、この秋から詠春拳をはじめた。したがって、離れてキックボクシング、接近戦で詠春拳、組みついてきたら柔道と、すごい組み合わせとなった。人間凶器と自称しようか。総合の試合にでようか。

だが、今までの格闘技と中国拳法である詠春拳は、まったく思考が違う。キックボクシングでは、普通のスポーツ・バイオメカニクスの思考で良い。欧米式である。ストレッチを行い、ロープスワッピング、筋力トレーニングを徹底し、強靭な筋肉と腱、心肺機能を養成し、スピードとパワーとスタミナの強化を徹底的に行う。ある意味、人間サイボーグを作るのである。「力」「力」「力」である。

だが、中国拳法の思考は眞逆である。「力を抜く」「脱力」「脱力」すなわち「放松」である。空手やボクシングのように筋肉の「溜め」をつくって、体幹の回転力で、そのバネ力を一気に叩き出すという形ではない。腰は回転させず、すべての力を抜いて、体軸の中心線に沿って力をいれず突きを出す。ボクシングの激しいパンチとフットワークを練習しつづけた身としては、まことに頼りない動きである。

だが、これが正解だと最近は思うようになった。身体感覚、力感覚の問題である。とくに詠春拳の練習において我が師父より言い続けられていることだが、松田隆智氏や島田明徳氏の中学武術解説書がとく脱力の重要性、「力を抜くことで力を出す」というパラドクスが納得できるようになった。

以下は、島田氏と松田氏の解説の要約である。なるほど、である。
①たとえば腕には、上腕二頭筋に代表される曲げる筋肉「屈筋」と、上腕三頭筋に代表される伸ばす筋肉「伸筋」の二種類があり、これら拮抗筋の相互の反対方向の働きにより骨をテコとして動作が成り立つ。
②だが、この「屈筋」と「伸筋」は使用感覚が違う。人間が、通常腕を動かす時の感覚は「屈筋」に偏り、だが腕本来の伸ばす機能である「伸筋」は使用感覚がない。そのため、力を入れると頑張ると、たとえばパンチでも、「伸筋」を使うべきなのに、頑張って、筋肉を縮める「屈筋」を使ってしまう。単純化すれば、「伸筋」を100にし、「屈筋」が0でパンチを打てば最大効果100が得られるだろうが、結果として、「伸筋」60「屈筋」40を動かしてしまうと、本人は気合いを入れて思いきり突いたつもりでも20の力にしかならない。「伸筋」を100にし「屈筋」0にする方法論が、「放松」すなわち脱力である。力を入れるという感覚、意識は、じつは「屈筋」には作用しても、「伸筋」は作用しない。「伸筋」には使用感覚、身体感覚がないからである。
③言葉で、「屈筋」縮めと命令できても、「伸筋」よ伸びろとは命令できない。そこで言葉ではなく、イメージの力を使う。たとえば、自分の身体は水か粒子でできているとイメージする。気のエネルギーでも良い。島田氏によれば、突きでは、力を入れずに腕から手先にむけて「水が勢いよく放出されている」とか「気が出ている」などのイメージを用いて腕を前方に伸ばすという。松田氏も、水流をイメージするらしい。あるいは消防のホースに一気に水が入ってポンと出る感じだろうか。ボクシングのように「撃ちぬく」つもりでパンチを叩き込むのとは、ずいぶんと様子が違う。ともかく、日常言語でやろうとしてはいけない。突きのコツも「引くように突け」である。その意識をもてば屈筋の抵抗を消し、伸筋を有効に使えるということである。

ある本の解説によれば、たとえば李小龍のワンインチパンチであるが、発する前に無駄な力がまったく入っておらず、手首をやわらげる、すると手首と肘関節、さらに肩にも十分に余裕が生まれ、これを一瞬で力を集中して発するとある。いわば手首・肘・肩に生じている柔的な屈曲線をそのまま直線的に、瞬時に伸ばすイメージであるとする。緩んだホースに水が走るような、である。太極拳の大切な教えの一つに、「常に肘に余りあり」とあるらしいが、いつも肘を緊張させず、余裕を保つことが大事。突き腕にいつも余裕があるから、瞬時に発することができるらしい。

島田氏は、通常の人間の腕は、屈筋主導で筋肉運動意識がパターン化しているため、「力を入れよう」「腕を伸ばそう」という習慣化された言語的指示を骨格系に与えても、屈筋の「使用感覚」と結びついてしまい、屈筋が緊張し、伸筋の働きを阻害してしまう、そのため「力」を入れて伸ばそうとしているにかかわらず、実際に作用する「力」はわずかになると解説する。そして、身体は、言葉のような観念的にものよりも、イメージのような深層の意識に働きかけるものほど強く作用するとする。(これは脳科学での、リベット実験の動作の発現のあとで意識が生じる理論とつながる予感がする。運動に言語機能を作用させてはいけないのだろう。身体に刷り込むかイメージを使うかであるか)

④また、ボクシングなら後ろ脚の蹴りだしが腰の回転につながり、体幹と肩が回転し、腕が突き出されるのだが、つまり「溜め」から発したエネルギーが時系列で何段にも発射されつづけるのだが、中国拳法では、すべての筋力を抜いた状態から、全筋が一気に動作する形をとる。たとえば、海の小魚の群れが何かあったら集団が一気に方向をかえて動くイメージである。

⑤詠春拳の練習でも、脱力と今までの筋トレをしてきたボクシングなどの思考をすべて捨てろとしつこく言われる。それでできない限り、詠春拳は無理だとなんども叱られる。「力感覚」の習慣性を徹底的に直さないと、中国武術はできないということらしい。脳内と身体のOSの入れ替えが必要なようだ。
⑥島田氏は、なぜ力が入るか、筋肉が緊張するかを、人間の「心」と「身体」との関係で考える。緊張を解くには、まず「心」の決め方だと解説する。

理屈は了解。中国武術の理論も、そして仙道の理論もなかなか面白い。「放松」「放松」「放松」である。体のどこにも無駄な力をいっさい入れず、力を抜くことにより力を出すのである。そして瞬間の全筋肉の力を、中心線に流し込むのである。

太極拳の姿勢上の要訣。
①沈肩墜肘(ちんけんついちゅう)→肩を沈めて肘を落とす。
②含胸抜脊(がんきょうばっぱい)→胸をゆるませ脊を張る
③立身中正(りっしんちゅうせい)→上体をまっすぐ立てる
④虚領頂勁(きょれいちょうけい)→首の緊張を取り頭頂部を伸ばす

修行のはじめの段階では、ゆっくり行う。つまり、動作を深層意識まで刷り込む。

「力」と「動き」は別である。伸筋の運動は、屈筋のような感覚を有しないからである。呼吸に関しては、伸筋は吐く息と連動し、屈筋は吸う息と連動する。呼吸と動作を一致させることで、身体運動、とくに伸筋の運動はより効率よく行える。伸筋は吐く息と連動し、屈筋は吸う息と連動するから、「使用感覚」のない伸筋を十分に機能させるには、「呼吸力」が重要である。

以上、とりあえず詠春拳初心者の練習ノートである。逐次、このノートに書きつづけ、完成させることにより武術修行というより自己の身体感覚を探る旅路のノートにしよう。 今、「小念頭」を習っているが、私の目的は武術修行でも強くなることでもなく、これら「型」を磨いて、動行禅、メデティーションとして使うことである。もともと雑念の塊りである私には、座る瞑想は難しいのだ。それでは詠春拳が太極拳になってしまうが、それも良しである。「小周天」「大周天」もやってみよう。これは完全な動行禅やクンダリーニヨーガの世界だなあ。
でも、精神理論的にはともかく、詠春拳も他の中国拳法も日本の古武術も、肉体的にはキックボクシングの敵ではないな。スポーツの効用として、おおいに汗をかき、精神と脳を活性化するということもあるからなあ。アドレナリンをがんがんあげて、ついでにテストステロンも噴出させるのである。それが無いなあ。キックボクシングジムでの練習後は、男性おやじ会員ばかりなら、開放感全開で、みんなでゲラゲラとエロ話をして大笑いするのだが、それもできないしなあ。

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扁桃体至上主義 番外編

「扁桃体至上主義の番外編」である。
以後、脳科学の本を濫読しながら、二点思いついて、気になることがある。
第一に、リベット実験である。
第二に、「夢分析」ではなく「雑念分析」の可能性である。

第一に、リベット実験。

ベンジャミン・リベットが行った「感覚」「意識」に関する実験研究のうち、最も引用されるものが二つある。ひとつは、光の仮現運動の研究、そしてもうひとつが意識体験がニューロン発火の後に生じる、という研究である。脳内処理にタイムラグがあり、
【結果1】あらゆる行動はそれが起こってから0.5秒後に意識に上る。
【結果2】感情は0.5秒の間に無意識が作り、意識は遅れてそれに気付く。
リベットは、意識が気付くためにはその刺激が最低400ミリ秒の時間の持続がなければならないこと、結果的に人の認識は0.5秒遅れるというセンセーショナルな発見をしたことで有名である。デカルト的に「我思う、ゆえに我あり」ではなく、 主観的な意思体験(我)は実際の知覚より遅れ、何かを行う意思を発動する前から脳の活動は始まっているという概要であるが、よく自由意志(我)はないことの根拠として引用されることのが、この「リベットの実験」である。
リベットによると、私たちは「何かをしよう」と意図するおよそ0.5秒ほど前に、その何かを実際に始動させる脳内活動が始まってるとする。つまり私たちは、直観的には意図(ないし自由意志)が行動の始動因であると考えるが、実際には意図の前に脳は活性化している。「意図→行動」ではなく、「脳活性→意図→行動」というわけであり、すると、自分の意識と思うのは錯覚であり、それは存在せず、「我々には自由意志はないのか?」ということになる。
ただ最新の知見では、この実験で人の自由意志がなくなったわけではないという説もある。脳内は複雑なネットワークが張り巡らされているので、ネットワークを通過するためには時間がかかり、各処理において当然所要時間が異なるという説である。
私なりの素人意見だが、しかしこれらの議論は、少しずれがあるのではと思う。つまり、リベットのいう自由意志は、つまり我々の意識は、「言語化」(前頭前野と言語脳に遷移)されて浮上する。
①「意図→行動」ではないかも知れないが、
②「脳活性A→意図B→行動C」ではなく、
③「脳活性A→行動C」
④「脳活性A→意図B」であり、③と④は並列の同時処理と考えるべきではないのか。
つまり、「脳活性A」と「意図B」は、本来の意識である「脳活性A」が、「言語化」されて浮上する「意図B」つまり我々の自由意識、自我意識になる、つまり前頭前野と言語脳に遷移されのであり、脳内処理にタイムラグが生じたと理解するべきではないのか。
「脳活性A」と「意図B」はフロイト的に深層意識と表層意識、無意識と意識と考えても良いかも知れないが、「意図B」は言語化(前頭前野と言語脳に遷移)されたものであり、所与の言語の、それぞれの母国語の枠組みのうちに縛りこまれ変形させられるので、完全に再現された全く同一の「完全コピー状態」ではないかも知れないが、また深層意識の言語化作業には、ずいぶんと言語の機能の限界により、捨て去れる部分もあるかも知れないが、おおむね「脳活性A」=「意図B」と考えても良いのではないだろうか。
ベンジャミン・リベットは、自由意志の存在を否定する実験研究を行いながら、苦労して自由意志は存在するという形に落とし込もうとするが、リベットのように「脳活性A」VS「意図B」ではなく、「脳活性A」=「意図B」であり、並列処理として、同時に「脳活性A→行動C」が発生していると考えれば、とくに自由意志(意識、我)を否定しなくても、話は成り立つのではないのか。
人間の脳は、約800億個の神経細胞からなる「小脳」と約200億個の神経細胞からなる「視床-皮質系」からなるが、それぞれ独立した多数のルーチン・モジュールからなり、ルーチン動作の「脳活性A・無意識」はルーチン・モジュールによって「行動C」になる。また別ネットワークにより、その「脳活性A・無意識」は、その言語化された意識としての「意図B・意識」に遷移する、つまり「視床-皮質系」の「意図B・意識」として、あたかも自由意志のように感じられるという流れではないだろうか。したがって、リベットの実験のように、感情や行動の発生の後に、「意図B・意識」が発生するという矛盾が、表面的には生じることになるのだろう。素人考えではあるが。つまり、自由意志はある、おおむね「脳活性A」=「意図B」というのが私の結論である。ただ自由意志の主体は、言語化されない「脳活性A」であって、その報告書である「意図B」ではないとなるが。

第二に、「夢分析」ではなく「雑念分析」の可能性。

フロイトの向こうを張る気はないが、「雑念分析」の可能性を考えてみる。以下は、体感による直感である。とくにエビデンス的図書はないが、インドの瞑想者のように内観により、真理にいたろうとするわけだ。

熊野宏昭氏『マイドフルネス最前線』によれば、脳のネットワークには3つあり、注意とか知的活動のセントラル・エグゼクティプ・ネットワーク、何もしていないときのアイドリング状態のデフォルトモード・ネットワーク(DMN)、その二つが切り替わるときに、目立つ刺激に気づくセイリエンス・ネットワークがあるらしい。そして瞑想のときは、デフォルトモード・ネットワークが働きを落とすらしい。同様のことは、アメリカで精神神経科の臨床医をしている久賀谷亮氏『最高の休息法』も述べる。イェール大学での10年以上の瞑想経験のある人を対象にした研究調査で、マインドフルネス・セッションでの脳活動を測定すると、内側前頭前野と後帯状皮質の活動の低下が認められるという。これらの部位は記憶・感情などに加え、デフォルトモード・ネットワーク(DMN)を司る部位でもある。これは、意識的な活動をしていないときに働く、いわば脳のアイドリング状態である。また、デフォルトモード・ネットワーク(DMN)は「心がさまよっているときに働く回路」として知られる。

私は目を閉じての瞑想スタイルだが、なかなかに雑念、妄想ばかりが浮かぶ。その瞑想時の雑念の海の中で、ふと思いついたのは、上記の「心がさまよっているときに働く回路」のデフォルトモード・ネットワークである。これこそ、私の雑念の海であり、発生源である。さらに瞑想中に考えたのだが(これでは瞑想にならないが)、フロイトは夢を分析しようとした。すると、この瞑想中の雑念、つまりデフォルトモード・ネットワークにおいて、何が飛び交っているのか、それを分析する「雑念分析」も可能ではないのか、という予感である。これは有り得る話だと思う。瞑想中の雑念を抽出し整理し分析するのである。

フロイトの「夢分析」は、今日的には海馬が夜にどう働くかの分析となるのだろうか。私が思いついた「雑念分析」は、私の脳内の覚醒時におけるデフォルトモード・ネットワークの特質や傾向である。
瞑想中に、「われながら面白いことを思いついた」と考えたが、濫読しても、そのような見解はまだ無いようだ。すると、わたしが世界最初か? 理系の人間は、頭の回転が遅いし、視野も狭い。だが、いつかは何処かで、誰かが、デフォルトモード・ネットワークでの「雑念分析」の仕事をすると、わたしは確信するね。何年後だろうか?

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女だけが掌握している世界らしい

『マハーバーラタ』は、紀元前400年から紀元後400年頃まで、およそ800年間に渡って改変加筆が成されてきたとされるが、なかなかにただの巨大な叙事詩ではなく、現代の人々にも通じる肉薄の人間ドラマ、深遠な哲学問題に触れている物語とされる。わたしが読んだのは、そのうちの一部である聖歌『バガヴァッド=ギーター』程度だが、これが世界で最も深遠にして美しい哲学的詩歌と言われるのは納得。しかし大筋は「パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子の王位継承争い」だが、まるで千夜一夜物語のようにさまざまな話が山盛りに加えられている。有名な一節、「ここにあるもの総ては何処にもあり、ここに無いものは何処にも無い」である。
千夜一夜物語のように、この本筋の途中で、五王子が出会う仙人たちの昔語りみたいな形式で、山のような民話・神話が挿入されているが、これが面白い。深遠な哲学問題か肉薄の人間ドラマかはともかく、面白い。

むかしインド映画「踊るマハラジャ」を観て大笑いした。スクリーンいっぱいに花が飛びちり、歌あり、ドラマあり、哲学あり、そして集団の熱狂的ダンスありで、あとで『法華経』などの大乗経典を読むと、まるでインド映画そのまま。幾千万の菩薩や如来がドンチャン騒ぎである。他の大乗経典も、ど派手、ど派手で、基本コンセプトは「踊るマハラジャ」そのままやな、と思っていた。大乗経典の制作者たちは、インド映画の制作者たちの直系の先祖なのだろう。

さて、『マハーバーラタ』の脇道のインド的千夜一夜物語の一つに、素敵な話しがあったので、おおいに納得できる話であるし、以下、言葉にして整理しておきたい。これは哲学的問題なのか、遺伝子的問題なのか、ともかく男と女にかかわる人類の大テーマだなあ。

「杜子春」のストーリーも、ある男が仙人との約束で女に変えられ、無言をつらぬこうとするが、自分の子供が殺される寸前に仙人との約束を破り、女として母として叫ぶという話しだが、また、男が女に変身して女の立場でという話は、ほかにはあまり聞かないが、あった。『マハーバーラタ』脇道インド的千夜一夜物語にである。「女の本性」という話である。

女の歓びは、生命の生産に根差していますから、その端緒である性の交合そのものの中にすでに生命の歓びとして在るのです。それは男には感得しない女だけが掌握している世界です。男は、男が女に交合の歓びを与えてやっていると思っているが、本当は逆であり、男は女の歓びの、ほんの端くれを分けてもらっているだけなのです………。(そう女主人公は語る)

ある王がいたが、子供を授かろうと火の神アグニを祭祀したが、これがインドラ神の怒りをかった。そして、王は女に変えられてしまう。
女となった王は、世を捨てて森に行くが、そこで出会ったヨガ行者と結ばれる。そして女となった王は、女の性の底深い喜びを知ることになる。二人は交合の行に没入し、性の合一による神秘の扉を開くことに成功する。タントラの世界である。

以下、見事なポルノ小説以上の交合の場面が表現されるが、チャタレイ夫人など問題外の高みだが、すでに哲学であるし、またタントラ密教にもつながる性の合一による宗教的、シャクティの、性による神人合一の宇宙世界が展開される。

今や一つの器となった二人の体内に封じ込められたプラウマは、次第に膣内の熱に熱せられ、なべの蒸気のように滾る。ヨギニーのシャクティはヨギンの男根の熱によって燃え上がり、無数の精気の微粒子が胎内を猛烈な速さで飛び交い、一つ一つの細胞を蘇らせてゆく………。(おお、こんな宗教的哲学的ポルノがあるか。すごいぞ、昔のインド人)

その時、一瞬時は止まり、ヨギンとヨギニーの肉体は一つに溶解し、死と生、彼岸と此岸の背理と断絶は、時空のひとひねりによってつながり、限りない惨たらしさと限りない優しさの奏でる楽の音に乗って、久遠の宇宙の営みへと向かっていくのである………。(すごい表現だ、交合描写もすごいけど)

インドラ神は、女になった王を、もとの男にもどそうとする。しかし、女になった王は、それを断る。男の人生より、女の人生を選ぶという。インドラ神は驚く。
女になって分かりましたが、子供を育む愛情は、男が子に抱く愛情より、女のほうがずっと強く深いのです。なによりも先ず、性交の歓びは女のほうか遥かに深く、大きいのです。それだけで十分。その歓びをとおして色々なことを知ります。寛大さや包容力の大切さも知ります。子育ての喜びもおおきいのです。インドラさまも、一度女になってみたらいかがですか?………。

若いころ、宇宙飛行士となって月から地球をみるのが良いか、女となって子供を妊娠してみるのが良いか、二択の質問あそびがあった。わたしの応えは、宇宙飛行士より妊娠だった。ヘンリー・ミラーの『南回帰線』にも、自分が行いながら、女性が男の一部を受け容れることへの驚きがのべてあったが、しかし妊娠もだが、自分の体内でそんなことが、男の脳では想像するだけで発狂しそうな体験世界だが、女性たちは、たんたんと受け入れている。すごいなあ。

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自爆する若者たち、ユース・バルジ

今日11月17日、イラク軍がイスラム国(IS)の拠点モスルの奪還作戦をはじめて一か月。軍は徐々に掌握地域を広げているが、ISも激しい抵抗を続いているとか。また、おおくの斬首死体が発見されているとか。アフガニスタンもそうだが、なぜこの地域が、とくに激しく、そして残忍な形の戦場となるのか。

『エコノミスト』誌10月4日号に、社会学者グナル・ハインゾーン氏のインタビュー記事があり、その著『自爆する若者たち』副題「人口学が警告する驚愕の未来」を取り寄せて読む。氏は、戦争やテロの原因は、けっして貧困ではなく、またサミュエル・ハンチントンのいう「文明の衝突」でもなく、突出して数が多い若者層「ユース・バルジ」(Youth Bulge)であることを解き明かす。またアフリカや中東の人口不均衡による移民が、欧州にテロを運ぶと警鐘をならす。じつに納得のいく論旨である。

氏はジェノサイド研究の第一人者であるが、世界各地で頻発するテロや戦争の原因として、人口統計に見える「ユース・バルジ」という現象に注目する。主張は明快だ。暴力を引き起こすのは貧困でもなければ、宗教や民族・種族間の反目ではない。人口爆発によって生じる若者たちの、つまりユース・バルジ世代の「ポスト寄越せ」運動、それに国家が対処しきれくなくなったとき、テロとなり、ジェノサイドとなり内戦となって現れるとする。現在、先進国はどこも少子化で、一人しかいない息子を戦場におくって戦死させるわけにはいかない。例えば、江戸末期3000万人強だった日本の人口は、1930年頃に6500万人と倍増した。1家族に5人の子供がいるのが普通で、ユース・バルジの状態にあった。そのとき、日本は何をしたか。隣国の侵略をはじめたのである。

氏が、ユース・バルジをわかりやすく説明するために考案したのでか「戦争指標」である。男性の年齢層別のうち、55歳から59歳までの間もなく引退を迎えるグループと、15歳から19歳までのこらから社会で競争していくグループの二つを比較し、どれだけ社会に活躍できる場所が生まれるかを測る指標である。1000人が引退して年金受給者になれば、社会の中に1000人分のポジションが空く。二つのグループの人数が一対一であれば、若者は全員みな職を得ることができる。日本の戦争指標は0.82。1000人が引退しても、若者820人は、全員が仕事に就ける。だが最悪のザンビアでは、戦争指標が7.0である。1000人分の仕事に対して7000人の若者が競い合わねばならない。そして、戦争指標が3以上の国では、若者の社会不安が大きく、何らかの形で暴力に訴える危険性が高いとする。このユース・バルジの若者の数は、2050年には20億人になると氏は予測する。副題のとうり「人口学が警告する驚愕の未来」である。

6以上:ザンビア(7.0)、ウガンダ(6.9)、ジンバブエ(6.9)、アフガニスタン(6.4)
5  :エチオピア(5.8)、パレスチナ(5.8)、イラク(5.7)、ソマリア(5.6)
4  :マダガスカル(4.9)、ナミビア(4.9)、リベリア(4.7)、スーダン(4.7)
3  :アラブ首長国連邦(3.9)、シリア(3.7)、パキスタン(3.6)、フィリピン(3.2)
2  :メキシコ(2.7)、エジプト(2.4)、インド(2.3)、トルコ(2.0)
1  :ブラジル(1.9)、イラン(1.87)、イスラエル(1.75)、ベトナム(1.6)、チリ(1.3)、オーストラリア(1.1)、中国(1.1)、フランス(1.04)、タイ(1.0)、アメリカ(1.0)
1未満:イギリス(0.97)、韓国(0.92)、日本(0.82)、カナダ(0.82)、イタリア(0.76)、ロシア(0.73)、ドイツ(0.69)、スロベニア(0.63)

今、激しい戦闘がつづくイラクは5.7であり、アフガニスタンは6.4である。
キリスト教徒の人口は、15世紀末から1916年での400年間に、5000万人から5億人になった。その結果、植民地獲得と侵略戦争に明け暮れた。植民地内での蜂起は、ヨーロッパの三男坊、四男坊で構成される軍隊によって、簡単に鎮圧された。一方、イスラム教徒は1900年から2013年までの100年間で、1億4000万人から15億人になった。これがいかに危険な数字かというと、それは15歳から29歳までの戦闘能力の高い年齢(戦闘年齢・軍備人口)の若者の割合でわかるという。1914年、人口1000人中のこの層の割合は、欧米の350人に対して、イスラム圏は95人だった。それが2005年には、欧米130人に対して、イスラム圏は270人と逆転している。2020年には、欧米120人に対してイスラム圏は290人と予測されている。

またイスラム圏は、その三分の二が長男ではない若者であるのに対して、欧米はほとんどが一人息子である。戦争指標でみるとアフガニスタンの6.4に対して、アメリカは1.0である。アメリカは一人息子を戦争におくろうとしないが、アフガンは社会で活躍する場のない次男、三男がテロや戦争に向かうとする。また、どの社会も一定割合が社会の中で負け犬となる。そのような若者が陥りがちなのは、暴力に訴えることである。過激派組織ISの若者は、けっして飢えているのではない。テロリストは、けっして学歴がないのではない。貧困がテロや戦争の原因であるというのは、グナル・ハインゾーン氏は幻想だという。

この15歳から29歳までの戦闘年齢が100人につき、30人以上になったとき、人口ピラミッド上に、ユース・バルジの存在を示す外側へのふくらみが現れる。今のこの世代は、栄養も教育も十分に与えられている。父親一人につき、三人ないし四人の息子となれば、子供のときから相争う関係となる。大きくなって、三人のうち一人、あるいは四人のうち二人は、どうにか職にありつけるだろう。しかし、あぶれた者に残された道は、6つしかない。
①国外への移住、②犯罪に走る、③クーデターを起こす、④内戦または革命を起こす、⑤集団殺害や追放を加え、少数派のポストを奪おうと試みる、⑥越境戦争にまで及んで、流血の植民を経てポストを手にする。氏の歴史分析によれば、若者が過剰になると、必ずと言っていいほど、流血を伴った領土の膨張や国家の建設と滅亡を見ることになるという。そして、今、若者人口の未曽有の大波が押し寄せつつあるとする。これから加速する地球の人口の爆発は、「人口爆弾」の信管が外れた状態と言えるとする。2050年には20億人のユース・バルジの若者が発生するのである。

昔風のマルサス的人口論も、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』理論も、氏は否定する。そして、過剰な数の若者は、突然変異して、それを正当化する恰好のイデオロギー、ナショナリズム、アナーキズム、ファシズム、コミュニズム、部族意識、イスラム教、福音主義、アンチグローバリズム、環境保護主義、市場信奉、形の変えてのアンチユダヤ主義、その他に流れるとする。怒れる若者たちは、正義を奉じるゲリラとなって、テロの現場へ、戦場へおもむくのである。

氏の人口学の立場から、歴史を見直すと、たしかに符合する。また、今のアフリカやイラク、アフガニスタン情勢の理解についても、そのとおりである。ついキリスト教徒とイスラム圏の戦いのように、つまりサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』的に解釈してしまうが、グナル・ハインゾーン氏『自爆する若者たち』副題「人口学が警告する驚愕の未来」の主張が明快であり、すっきりと当てはまる。そして、未来予測は、これは暗くなる。アフリカとイスラム圏は、さらに拡大し、欧米は縮小する。

とりあえず、イギリス(0.97)、韓国(0.92)、日本(0.82)、カナダ(0.82)、イタリア(0.76)、ロシア(0.73)、ドイツ(0.69)、スロベニア(0.63)のような国が、もう戦争に訴えることはないだろう。ある程度は豊かな国が、一人息子を戦場におくることは、まず起こり得ない。兄弟が五人も六人もいた旧日本軍の兵士の命の値段は、一銭五厘だった。戦争はベネフィットの大きい主要産業だった。今はそんな時代ではない。
とすれば、トランプ新アメリカ大統領は、移民政策に対して否定的だが、どの国も、そのような流れが自然になるだろう。国境線はさらに、どの国も強化するだろう。そして固められた国境線のなかでは、逆に、そもそも人口減少は悲観すべきことではないと思う。むしろ、将来への希望だ。地球は際限のない人口増加には耐えられないのであり、自然な人口減少は、食料や水、エネルギーの不足からとうざけ、その社会のみの存続の可能性をひろげる。だが、それはナショナリズムと国家的排他主義のうえに成り立つ。ガチガチにされた時代が来ると、そう予測できるわけだ。

目から鱗である。

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扁桃体至上主義 その10

小学校や中学校の通信簿には、科目ごとの教師コメント欄があった。算数・数学では「直観力にすぐれている」という評価がよくあった。9月15日、Wat Mahadhatu横のスターバックスで思いいたったのは、最近の脳科学によれば、脳は特定の瞬間だけみるとある瞬間に30%ぐらいだけ、ニューロンは動いているそうだが、瞑想により脳を活動させない、30%を20%するのだ、と気づいた。「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」という、脳のアクセルをゆるめることだと直感した。人間は、つねに考えつづける。ニューロンの動き、脳の働きをオフにはできない。だが、その動きをシンプルな、シンプルな動きにスリップさせることで、ニューロンの動きを最小限にし、脳のほかの「野」を休ませる。脳の動きを「止滅ではなく休止」させることで、脳の疲労の回復をはかる。新しい脳内システムを組成する。そうスターバックスでカフェラテを飲みながら、思いいたったのだった。

以後二か月、漠然とその「直感」を反芻していた。「扁桃体至上主義」と称しているこのノートは、「直感」でだした答えを「式」に整理する作業、お勉強ノートであり、思考の流れを言語化して、答えを洗い出すことだった。そして、濫読の結果、どうやら「解答式」を得たようだ。

熊野宏昭氏『マイドフルネス最前線』によれば、脳のネットワークには3つあり、注意とか知的活動のセントラル・エグゼクティプ・ネットワーク、何もしていないときのアイドリング状態のデフォルトモード・ネットワーク、その二つが切り替わるときに、目立つ刺激に気づくセイリエンス・ネットワークがあるらしい。そして瞑想のときは、デフォルトモード・ネットワークが働きを落とすらしい。

同様のことは、アメリカで精神神経科の臨床医をしている久賀谷亮氏『最高の休息法』も述べる。
イェール大学での10年以上の瞑想経験のある人を対象にした研究調査で、マインドフルネス・セッションでの脳活動を測定すると、内側前頭前野と後帯状皮質の活動の低下が認められるという。これらの部位は記憶・感情などに加え、デフォルトモード・ネットワーク(DMN)を司る部位でもある。これは、意識的な活動をしていないときに働く、いわば脳のアイドリング状態である。また、デフォルトモード・ネットワークは「心がさまよっているときに働く回路」として知られるが、脳というのはやすむことなく、つねに動いていようとする臓器らしい。人間の脳は、なんと一日のおよそ半分以上は、心がさまようことに費やしているらしい。さらに、このデフォルトモード・ネットワークのエネルギー消費量は、脳の全エネルギーの60~80%を占めるとされる。ここに脳の疲れの正体があり、デフォルトモード・ネットワークは大食漢なのである。脳を休めたければ、エネルギーの浪費家であるデフォルトモード・ネットワークを使いすぎないようにせねばならないが、マインドフルネスに習熟すれば、その要である内側前頭前野と後帯状皮質の活動を抑えることができる。つまり雑念が脳のエネルギーを無駄遣いすることをふせぐことができる、と述べる。

9月15日、Wat Mahadhatu横のスターバックスで思いいたったのは、最近の脳科学によれば、脳は特定の瞬間だけみるとある瞬間に30%ぐらいだけ、ニューロンは動いているそうだが、瞑想により脳を活動させない、30%を20%するのだ、と気づいたことである。「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」ということだが、熊野氏と久賀谷氏の本に、その仕組みが書いてあることを発見した。カフェラテを飲みながらひらめいた「直感」は、正しかったようだ。

答えが出て、気持ちがすっきりしたし、副次的に、この二か月は最新の脳科学についてずいぶんと勉強した。そして、自分が何者かも、またこのような切り口で考えることができた。さて、小休止。数ヶ月後か、半年後か、もうすこし知識を深めて、わたしの脳の新しいニューロンの回路が成長してから、この問題を再度考えてみようか。

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扁桃体至上主義 その9

この「扁桃体至上主義 その2」において、仏教はこの動物脳の働き、三毒を克服すべき煩悩の最たるものとしたが、また一面で、これは人類存続の、個人の生命存続の危機管理器官でもあり、愛と憎しみをつかさどる器官でもある。つまり、『ヨーガ・スートラ』でもいうヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハとは「扁桃体」の働きを止めよ、あるいはコントロールせよということか。 それとも、「扁桃体」の出力を、自我意識を発生させるという「帯状回」と「前頭葉」のネットワークにわたすな、ということかと書いた。

また、瞑想と脳科学をかたるどの本も、人間脳により暴走する動物脳をコントロールするのが目的であり、新しい脳の回路をつくることにその効用があるとする。動物脳性悪説である。たしかに、情動を記憶する「扁桃体」は、プラスの感情1対マイナスの感情が5らしいから、10万年前はともかく、すでに都市文明下にあるわれわれの社会での適正な心の比率構成とはマッチしない。この1対5の比率で、不安や疑い、自己保存と逃走が情動のメインストリームなら、つねに相互不信であり、自己否定であり、生きづらくなるのは当然である。ハーバード大学の瞑想と脳科学の研究でも、「海馬」が大きくなり、「扁桃体」が小さなくなったことを、瞑想の効用として特筆している。動物脳性悪説、「扁桃体」性悪説とも思える。『ヨーガ・スートラ』でもいうヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハであり、仏教瞑想でも、この三毒にみちた心の働きを止滅させるように教える。

だが、である。
この喜怒哀楽、「扁桃体」のうみだす情動の心こそ、もっとも人間らしい心ではないのか? 出家し戒律を真に守る僧侶なら、そりゃ不要だろう。邪魔だろう。だが市民社会のなかで日常生活をおくる我々としては、喜怒哀楽の情動の心を止滅させてよいものか、となる。

男として生まれて、あるいは女ととして生まれてもだろうが、恋愛は良いものである。脳科学者茂木健一郎氏の『脳は0.1秒で恋をする』は、以下のように述べる。

実際に人はどのようにして恋に落ちるのでしょう。 脳内で起こる「恋愛のメカニズム」を、一目惚れ例にして見ていきましょう。 脳にはおもに、ふたつの情報処理経路があります。 ひとつは、「扁桃体」を中心とする情動系。もうひとつは理性的な判断を司る「大脳新皮質」です。 「扁桃体」は、おもに瞬間的な反応や感状を司る部位で、ここの働きによって人間の最初の好悪の感情は決定しています。意識に上る前の無意識の段階で、「これは好き」「これは嫌い」と瞬間的に判断している。いわゆる「直感」と呼ばれるものも、この「扁桃体」の働きによるものです。目の前で起こった出来事を、頭の中で言語化して整理し理解する前に、稲妻のような速さで結論を下して行動に移しているのです。 ――中略――、 一目惚れの瞬間、脳の中では、まさにこの「扁桃体」が大きく活動しています。いわゆる「ビビッ」と来るのが、その瞬間です。 そして後から、「大脳新皮質」によって冷静な判断が始まります。「この人の笑顔が感じがいい」「性格も合いそう」「こういうところが好き」というように。最初の「直感」に対して、理由づけをしていくのです。 どうしてわざわざ理由づけをしていくかというと、やはり最初の「直感」だけでは、自分でも心もとないからです。人間は、理由を必要とする生き物です。ただ「好き」というのだけでは不安で、「どうして好きなのか」というところまで理解したい。その分析を、「大脳新皮質」が担当してくれるのです。 ――

直感、つまり一目惚れ「扁桃体」の瞬間の判断は予想以上に正確であり、アメリカのデータでも、5割が離婚するあの国において、一目惚れによる結婚は、離婚率が1割程度らしい。棋士の羽生善治氏の『直感力』によれば、直感による選択は無意識のように感じられても、実際は脳内に蓄積された経験や知識が瞬時に答えを導き出している状態なのだそうだ。ふつう直感の七割は正しいとされる。

とすれば、そのような「扁桃体」の判断と情動の力を、すべて煩悩として否定し、切り捨てる過去の仏教の教義やヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハでは、これも逆に生き辛いことになる。最近、「仏教1.0」「仏教2.0」「仏教3.0」という主張もあるが、わたしは「扁桃体至上主義」を勝手に提唱したいものだ。一般方向は、インド的トリヴァルガ(trivarga)である。「アルタ」と「ダルマ」と、そして大事な「カーマ」である。「アルタ」も「カーマ」も、よき「扁桃体」の作用である。喜怒哀楽そして愛、「扁桃体」のうみだす情動の心こそ、もっとも人間らしい心ではないのか? それを否定するのが「仏教1.0」「仏教2.0」の欠陥であり、まだ「仏教3.0」は無い。

最近の脳科学の進化は、じつに興味ふかいものだ。心は存在しないなど、いささか寂しい方向性だが、とりあえず「わが愛しの扁桃体よ、わが情動の心よ」と呼びかけようか。わたしの中には君がいるのだ。サーンキヤ派が、仏教が、脳科学がどう言おうと、君がわたしだ。

でも、俺って、なんやねん。頑張って生きているのに。瞬間の生成でしかない自我意識(ahamkara我慢)が、自己(self)にはげしく執着して、「これは私のものである」「これは私である」と日々さけんでいるだけなのか。こまったなあ。 なあ、「わが愛しの扁桃体よ、わが情動の心よ」だ、でも、それが人生やな。「アルタ」と「ダルマ」と、そして大事な「カーマ」だからなあ。「沈香も焚かず屁もひらず」では、何回蟻になったりネズミになったりして輪廻したかは知らないが、今、人間として生まれたかいが無い。だが、わたしはわたしだが、わたしはわたしの傍観者なのか。そしてわたしはいないとわ。

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扁桃体至上主義 その8

サーンキヤ派は紀元前からはじまり、カリーカーは四世紀とされるが、fMRIなどあるはずもないが、結果として最近の脳科学と同一の方向性に至っていると思われる。二千年前のインドの瞑想者の、その瞑想空間での体験の知、臨床の哲学であり、修行の中から見出された直観的認識の言語化されたものと、わたしは考える。静かに自らの心と内面を観察する止滅の道において、忘我の神秘体験など、梵我一如の感覚のように、宇宙の絶対的な一なる原理と個人の内在原理が一致するとの直観的発見の体験よりなるのだろう。したがって、サーンキヤ派の宇宙地図は、すなわち彼らの人間内面への地図となる。そう気づいた。仏教およびインド六派哲学のなかでも、だからサーンキヤ派が使いがってがよい。

サーンキヤ派では、物質世界は、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)という三つのグナ(構成要素)から成り立っている。この三つのグナの平衡状態がわたしの自我意識(ahamkara我慢)の状態である。そして、わたしの「心の三原色」の混合比率を知ることが、解脱の前提となる識別知(vijnaan)を得ることにつながる。

まず東大式エゴグラムで自己検査する。結果は以下のとおり。
第Ⅰ群 CP 10点
第Ⅱ群 NP 14点
第Ⅲ群 A  19点
第Ⅳ群 FC 19点
第Ⅴ群 AC  0点
おおむね「逆N型」パターンとなる。しかし第Ⅳ群のFree Child が19点で、第Ⅴ群のAdapted Child が0点とは、すこししたい放題な性格かも知れない。交流分析において、「P」「A」「C」はフロイトのいう「超自我」「自我」「イド(エス)」に相当するとされるが、第Ⅳ群FCは左「扁桃体」、第Ⅴ群ACは右「扁桃体」に相当すると考えることも可能だろう。すると第Ⅲ群Aが「前頭葉前野」であり、第Ⅰ群CPが右「扁桃体」と「前頭葉前野」の、第Ⅱ群NPが左「扁桃体」と「前頭葉前野」がシンクロした働きと考えられないか。

篠浦伸禎氏のweb「脳優位スタイル検査」も試みてみる。結果は以下のとおり。002
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左脳三次元、右脳二次元というパターンらしい。ストレス耐性も良い感じである。

サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)という三つのグナの構成具合を自己診断すれば、エゴグラムの第Ⅴ群のAdapted Child が0点であるように、タマス(暗質)は少ないようだ。これは右「扁桃体」の逃走という作用と対応すると思うが、自分史をふりかえっても、そうかも知れない。強いラジャス(激質)優位の、つまり左「扁桃体」優位の性格(逃走ではなく接近)と自己認識しているが、脳の優位スタイル検査では吉田松陰と同じタイプだとは、どういう判定だろう。Adapted Child が0点なのに。

わずかな費用で、自分の遺伝子検査ができる時代である。最近の脳科学と検査機器の急速な進化により、脳の各部位をスキャンし、そのサイズ等を測定し比較することにより、簡単に個々人の脳構造、つまり心の構造が判別できるようになるだろう。というより、世界のどこかで既にはじまっているだろう。

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扁桃体史上主義 その7

カール・ユングは「私たち一人ひとりのなかに、私たちが知らない別の人がいる」と言った。ピンク・フロイドは「僕の頭のなかに誰かがいるが、それは僕じゃない」と言った。

デイヴッド・イーグルマン『意識は傍観者である』の原著は、Incognito: The Secret Lives of the Brain (Vintage)、〈イタリア語〉匿名者の意味である。私が私だと意識しているものは、脳のほんの一部分の作用に過ぎず、匿名であり、意識がコントロールできない部分を脳の大部分が占めると述べる。私たちの存在は、脳の活動に大きく左右されている。その一方で私たちの意識は、物事を認識するまでに脳内で起こっているプロセスには、全くアクセスすることができない。脳は無数のサブルーチン(サブエージェント)が行動という出力チャンネルを求めて競争し合う議会のようなものであり、また、人の脳内では複数の意思決定系がせめぎ合っており、最終的なアウトプットが選択される仕組みである。また既に良く知られている事だが、自覚的な意思決定の前に既に関連した神経系は活動を始めている。つまり意思をもっているこの私は、じつは真の意志決定者ではない。デカルトは「我おもう、ゆえに我在り」と言ったが、違うようだ。「意識」とは、脳の活動を統括する主体ではなく、単に脳の活動の最終段階を報告されるだけの傍観者であり、それは無意識のプロセスの結果であり、自分の中に正体不明の他人(匿名者)が存在しているようなものだというのである。

サーンキヤ派は、プルシャ(Purusa)がプラクリティ(Prakrti)を観照することで、まず最初に、統覚機能(buddhi覚、mahat大)が生じる。これは確認の作用を本質として、心理・精神・認識活動の根源をなす。この統覚機能が、さらにその中にあるラジャスによって開展を起こすと、自我意識(ahamkara我慢)が生じる。このそれぞれの個我は、三つのグナの配合率により、さまざまな性格を持つことになるのだが、自己への執着を特質として、「これは私のものである」「これは私である」といった自己中心的な観念の拠り所となる。また、この自我意識は、つねに統覚機能(buddhi覚、mahat大)を純粋精神、プルシャ(Purusa)すなわち自我であると誤って考える、とする。これがサーンキヤ派での意識、自我の構造である。自我意識(ahamkara我慢)は、つまり「意識」は、みずからを「これは私のものである」「これは私である」と認識するが、つまり、意識や自我は瞬間の生成であり、思う意識とは、じつは真の意識ではない、となるか。デイヴッド・イーグルマン『意識は傍観者である』が論じるように、純粋精神であるプルシャ(Purusa)も、ただの「傍観者」でしかない。仏教なら「無我」となる。外界は、唯識派のいう「識」の所産であり、シャンカラのいうように幻影であり、脳内現象である。

つまり、意識や自我は瞬間の生成であり、われわれが思う意識とは、じつは真の意識ではない、となるか。すると、二千年以上前のインドの瞑想者・哲学者はすでに現代の脳科学と同じ結論を出していたことになるのか、あるいは、ヨーガ実践の中で、考えたり感じたりしている自分と、見ている自分が分離されて、世界と同一化するという心的体験の所産なのか。

マイケル・ガザニガ『わたしはどこにあるのか』によれば、「脳には私という自我(self)を司るところなんてない。ないけど、脳がはたらいている過程で、世界のセットとして自我(self)というものをつくるんだ。困ったことに、ある時点で現れたと自我(self)いう化け物が、ぜんぶ支配するようになるんだ」とか。つまり、「私」というものを司るモジュールは脳の中のどこにもないらしい。

サーンキヤ派も認識手段としての瞑想を重視しているから、なにも行わない、観るだけの純粋精神としてのプルシャ(Purusa)は、禅定にある自分の投影であり、プラクリティ(Prakrti)は、あるいは禅定における外界の投影かも知れない。『サーンキヤ・カーリカー』によれば、「プルシャは(ブラクリティを)観照するために、またプラクリティは(プルシャの)独存のために、両者は結合する」とある。そしてサーンキヤ派やヨーガ派の立場では、自我意識(ahamkara我慢)は、その実態はなく、止滅されるべき現象だということになる。『意識は傍観者である』がいう自分の中に正体不明の他人(匿名者)が存在していることを、認識手段としての瞑想により、発見したのだろうか。それを頭ではなく、体感で理解できるまで禅定して学ぶのが、彼らのいう識別知(vijnaan)かも知れない。

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偏桃体至上主義 その6

さて、純粋精神プルシャ(Purusa)と根本物質プラクリティ(Prakrti)の二つから世界が開展し、わたし自身もその被開展物(vyakta)であることを知る識別知(vijnaan)を得て、わたしが悟り、解脱する事がこの一連のお勉強の目的である。ここらあたりは仏教のアビダルマ、中観、唯識より六派哲学のサーンキヤ派のようが使い勝手が良い。

脳神経学者の有田秀穂氏は『セロトニン呼吸法』のなかで「心の三原色」という考え方をしめしている。神経伝達物質のなかで「前頭葉前野」の働きに影響するものは主に3つある。ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンである。そして、その神経系としてドーパミン神経、ノルアドレナリン神経、セロトニン神経がある。
ドーパミン神経は報酬系であり、努力して報酬が得られると脳は「快」に興奮する。
ノルアドレナリン神経は、ストレス刺激により分泌されるものであり、脳は「怒り」「危険」に対して興奮する。
セロトニン神経は、「前頭葉前野」の働きを高める役割を持つ。
有田氏は、
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「赤」、
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は冷静な「青」、
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経をおだやかな「緑」
とたとえて「心の三原色」だという。またこれを仏教において克服すべき煩悩の三毒である①が貧(とん)、②が瞋(じん)、③が痴(ち、不痴)と見事に対応しているという。

おもしろく、わかりやすい考え方だが、わたしなりに有田氏の考え方を修正してみた。「色の三原色」は赤、青、緑ではあるが、人の行動のゴー・ストップにかかわるテーマであり、交通信号の青、黄、赤にして考える。
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「青」のゴーサインである。
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は「赤」の停止信号である。
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経は、その中間のバランスである「黄」信号であり、「青」と「赤」の調整である。
これが人間の脳内交通信号のゴー・ストップ・システムだと思う。また、仏教よりサーンキヤ派のほうが、この場合にしっくりはまると思う。

サーンキヤ派は、精神的原理としての純粋精神プルシャ(Purusa)と、根本物質プラクリティ(Prakrti)の二つを想定する二元論である。根本物質は未開展物(avyakta)と呼ばれ、これは宇宙の質料因であり、これから被開展物(vyakta)が生じるが、それはサットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)という三つのグナ(構成要素)から成り立っている。物質世界は、この三つのグナの平衡状態である。だが、この平衡状態は、純粋精神の観照(darsana)を機会因としてラジャスの活動が起こると均衡が破れ、その結果、世界の開展がはじまる。まず最初に、統覚機能(buddhi覚、mahat大)が生じる。これは確認の作用を本質として、心理・精神・認識活動の根源をなす。この統覚機能が、さらにその中にあるラジャスによって開展を起こすと、自我意識(ahamkara我慢)が生じる。このそれぞれの個我は、三つのグナの配合率により、さまざまな性格を持つことになるのだが、自己への執着を特質として、「これは私のものである」「これは私である」といった自己中心的な観念の拠り所となる。また、この自我意は、つねに統覚機能を純粋精神、すなわち自我であると誤って考える、とする。これがサーンキヤ派での意識、自我意識の発生の構造である。

それらも三つのグナよりの開展物であるが、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)は心理的には、それぞれサットヴァ(快)、ラジャス(不快)、タマス(無気力)を、作用としてはサットヴァ(照明)、ラジャス(活動)、タマス(抑制)の働きをし、相互に依存し、支配しあう関係である。そして、プルシャに観照されたとき、プラクリティのうちで真っ先に動き、それを開展させ、心、自我意識(ahamkara我慢)を発生されるのは、ラジャスの作用である。

すると、以下のようになる。
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「青」のゴーサインである。それは、ラジャス(激質)である。
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は「赤」の停止信号である。それは、タマス(暗質)である。
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経は、その中間のバランスである「黄」信号であり、「青」と「赤」の調整である。それは、サットヴァ(純質)である。

「扁桃体」の体積には、左右差が認められ、右「扁桃体」のほうが大きいらしい。この右「扁桃体」は、闘争・逃走本能に関わるとされる。篠浦伸禎氏は、覚醒下脳手術の結果より、「扁桃体」は左右で役割が違うとする。いわゆる左脳と右脳の機能の分離と、左右「扁桃体」の機能は同調しているらしいし、また、左の「扁桃体」は攻撃、右の「扁桃体」は逃避と関係する。また現在の脳科学の成果では、脳は左半球と右半球によって機能が大きく異なるが、左半球は拒絶されることを察知する機能があり、右半球は脅威、危ないということを察知する、とする。左半球は「接近」行動の機能を持っていて、右半球は「回避」行動の機能を持っている。それと同調して左「扁桃体」は「接近」行動の機能を持っているので、できるだけ近付いて足りないものをもらおうする。それに対して、右「扁桃体」は脅威を察知するので「回避」行動を使うことによって生命の危機から自分を守ろうとする、らしい。そして、うつ病やパニック障害の研究にみられるように、この「扁桃体」の興奮を鎮静化させるのが「前頭葉前野」の働きである。
また、最近の脳科学では、脳をスキャンして、左右「扁桃体」の非対称性から、個々の人間の性格の構造を判断しようという試みも、実際あるようである。

したがって、サーンキヤ派を整理すれば、以下のようになる。
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「青」のゴーサインである。それは、ラジャス(激質)である。またそれは、左「扁桃体」である。
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は「赤」の停止信号である。それは、タマス(暗質)である。またそれは、右「扁桃体」である。
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経は、その中間のバランスである「黄」信号であり、「青」と「赤」の調整である。それは、サットヴァ(純質)である。またそれは、「前頭葉前野」である。

つまり、わたしの「心の三原色」は、以下となる。
①ドーパミン神経=「青」=ラジャス(激質)=左「扁桃体」である。
②ノルアドレナリン神経=「赤」=タマス(暗質)=右「扁桃体」である。
③セロトニン神経=「黄」=サットヴァ(純質)=「前頭葉前野」である。

サーンキヤ派哲学によれば、個々の人間の自我意識(ahamkara我慢)も、この三つのグナの配合率により成り立つことになるが、それをドーパミン神経、ノルアドレナリン神経、セロトニン神経、そして左「扁桃体」の働き、右「扁桃体」の働き、「前頭葉前野」の働きとして配当してみると、見事に対応すると、わたしは感じる。それはラジャス(激質)であり、タマス(暗質)であり、サットヴァ(純質)である。

これはプライオリティを主張しておこう。わたしに座布団一枚だ。識別知(vijnaan)まで至れそうである。
三千年も前から、インドの人たちは、ひたすら心と魂、そして宇宙を、執拗に執拗に考え続けていた。アートマンは、ブラウマンはと。心所、心法はと。唯識派もであり、シャンカラの不二一元論も、そうである。今日のようにTMS脳波計やfMRIは使っていないが、アビダルマ仏教も、六派哲学も、すでに二千年前に今日と同じ結論に到達していたと考えるのも、思考実験としては、じゅうぶんに可能である。
とすれば、みずからの「青」「赤」「黄」の脳内の交通信号を、みずからでちゃんと感受し把握できるかがサットヴァ(純質)への道、識別知(vijnaan)のはじまりとなるか。

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偏桃体至上主義 その5

3つのキーワードを抽出した。「左扁桃体」「右偏桃体」「前頭葉前野」である。

うつ病の研究によれば、うつ病者の脳は、比較的本能に近いところをコントロールする脳幹部分にある恐怖や不安を感じる「扁桃体」部分が暴走している状態との事である。そこを、思考を司る「前頭葉」部分が脳幹の本能部分で感じる恐怖や不安を制御すればうつ病は発症しないらしい。つまり「前頭葉」が「扁桃体」の暴走を抑制するのである。

パニック障害においても、そのようだ。以下は、エビデンスとして大分大学医学部精神神経医学講座WEBよりの引用。

パニック障害は、脳内の恐怖の神経伝達系の脳内サーキットに異常があると考えられています。この中でも不安・恐怖で中心的な役割を果たしている扁桃体の異常が指摘されています。扁桃体は、大脳辺縁系といって古い脳に属し、大脳新皮質から間脳および脳幹との間のインターフェイスとして重要な働きをしています。扁桃体は、恐怖の対象に対して攻撃するか逃避するかの二者選択から反応して脳内の主要な領域に緊急信号を送ります。たとえば目の前に蛇がいると目から入った視覚刺激は、視床から大脳新皮質の視覚野(後頭部)を介して扁桃体に入る経路と視床から直接扁桃体に入る経路があります。前者の経路は、大脳新皮質で恐怖な対象か否かを判断します。後者の経路は、判断という認識なく直接反応します。扁桃体は、不安や恐怖そして自律神経反応である過呼吸・動悸・発汗などを症状として示します。恐怖がなくなると、大脳新皮質(前頭葉)は危険が去ったことを脳の各部位に知らせます。パニック障害では、扁桃体の異常と同時に大脳新皮質(前頭葉)の危険解除がうまく働いていないと考えられています。この状態は、車の運転に例えられます。すなわちアクセルを踏みっぱなしの状態が扁桃体の異常な状態で、ブレーキが故障して効かない状態が大脳新皮質(前頭葉)の扁桃体抑制不能状態と考えられます。パニック発作は、恐怖を目前にした時のヒトの反応によく似ています。この時ヒトは、恐怖の対象と戦うか(fight)逃げるか(flight)の二者を選択します。このうち逃避は、パニック発作の様々な症状と類似の症状を示します。上記の扁桃体は、パニック発作を起こす脳の中核でありますが、この症状をいかに押さえ込むかが前頭葉の重要な役割であります。

ようするに、フロイト的に考えなくても、脳の構造を考えるなら、人には二つの心が存在している。一つは「前頭葉」を中心とする意識的な、判断可能な心として存在し、もう一つは「扁桃体」を中心として存在する、意識に上らない、情動の心である。われわれ人類は10万年以上かけてみずからの遺伝子を進化させてきたが、人類にとって、今のような安全な社会はわずか文明発祥の4000年くらい前からである。それまでは、自然に対しても、他の生物に対しても、あるいは人間同士に対しても、逃走するか攻撃するかの二択しかなかったのだ。生命存続のためには、つねに不安であり、つねに疑い深く、つねに恐怖を感じつづける必要があったのだ。他者を疑い、生き残り、食べ、性交する、それが情動の心、「偏桃体の心」である。

また、生後まもない時期の大脳新皮質は発達途上であるのに対して、「扁桃体」は誕生の時点でかなり発達しており、生後まもなく完成する。幼少期には「扁桃体」と「海馬」はそれぞれ独自に記憶するため、「扁桃体」完成前後の3歳くらいの幼児体験が後々の情動反応に強く影響を及ぼすとも考えられている。個々の遺伝子と個々の幼少期体験やその後の辛い情動体験、怖い情動体験などにより、その人なりの「扁桃体の心」がつくられるらしい。わたしが、あなたが、彼女が、彼が、である。

さて、3つのキーワード「左扁桃体」「右偏桃体」「前頭葉前野」を素材として仕入れたから、お料理の時間である。

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扁桃体至上主義 その4

扁桃体の役割は、情動反応の処理と短期的記憶において主要な役割を持ち、情動・感情の処理(好悪、快不快を起こす)、直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応、特に不安や 緊張、恐怖反応において重要な役割も担っている。味覚、嗅覚、内臓感覚、聴覚、視覚、体性感覚など外的な刺激を嗅球や脳幹から直接的に受けとる。また、視床核(視覚、聴覚など)を介して間接的に受け、大脳皮質で処理された情報および海馬からも受け取る。この偏桃体は、側頭連合野(前方部)、眼窩前頭皮質、海馬、帯状回と相互的に結合が密接である。

扁桃体は、海馬からの視覚、味覚などの記憶情報を、それが快か不快か(好き嫌い)を判断する。何かの行動が快不快感情を生んで、その情報を海馬へと送るというように、海馬と扁桃体は常に情報が行き来する。この行き来に関しては海馬傍回がその中間として働いている。
情動(感情)に関連した回路としてヤコブレフ回路が知られている。扁桃体 → 視床背内側核 → 前頭葉眼窩皮質後方 → 側頭葉前方 → 扁桃体という閉鎖回路をYakovlevの回路または基底・外側回路と言う。

扁桃体は、五感を通して脳に入った情報に対しての情動反応を処理しているが、危機等の環境変化に素早く反応するために、味覚、嗅覚、内臓感覚、聴覚、視覚、体性感覚などあらゆる種類の刺激が皮質感覚野を経過せずに、脳幹レベルから直接的に(または、間脳の視床核を介して間接的に)入ってくる。環境からの情報をそのままに受容する生(なま)の感覚である。

その他に、大脳皮質を経由していわば高次元で処理され、知覚され、認知された結果が扁桃体に入ってくるものがある。この入力系はその伝達経路の故に必然的に、時間的に僅かに遅れて伝達されるが、そのことによって、適正かつ精密な情報として入ってくる。
これらの粗と精、原始的と識別的、低次と高次という2種の情報が扁桃核内で遭着する。このことにより、環境に対して瞬間的、反射的に反応した生得的な生体反応は、成体の思慮深い知恵により、快か不快か、有益か有害かの判断に基づいて環境適応的に補正・修正される。

神経結合は、扁桃体から視床下部に対しては交感神経系の重要な活性化信号を、視床網様体核に対しては反射亢進の信号を、三叉神経と顔面神経には恐怖の表情表現の信号を、腹側被蓋野、青斑核と外背側被蓋核にはドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンの放出の信号を出すとされる。

つまり扁桃体は、危険や恐怖を呼び起こす対象(外敵)や(嬉しい)獲物や愛くるしい対象に対して素早く反応する。そして、この反応は「右脳の扁桃体」のみに生じている。このことは、生物の進化の過程で右脳は予想外の環境の変化(危機や仲間の認識)に対して反応する役割を担っていると考えられる。

「一目惚れ」はこの扁桃体の作用であり、対象に対する情報はなくても扁桃体に蓄えられた情動・感覚情報と対象が合致することから、瞬間に情動判断するようである。アメリカでは離婚率が50%に達するらしいが、この「直感」、つまり扁桃体判断による「一目惚れ」では、10%程度だそうである。

逆に、うつ病発症のメカニズムとして、強い不安や恐怖、緊張が長く続くと扁桃体が過剰に働きストレスホルモンが分泌され長く続く事により神経細胞が萎縮して他の脳神経細胞との情報伝達に影響し“うつ病” 症状が発現すると考えられている。痛みやストレス状態になると扁桃体が興奮する。「前頭前野は扁桃体の興奮を鎮める」が、痛みストレスが継続的に起こる場合は、扁桃体が興奮しっぱなしとなると痛みが増幅され血圧上昇、不眠となる。視床下部で合成され下垂体からオキシトシンが分泌されれば扁桃体の興奮を鎮静化できる。 うつ病になると海馬が委縮する。

また、扁桃体は海馬と違い、時間軸での記憶ではなく感情の記憶だけにとどまる。そのため、今起きていることと、過去に起きたこととが扁桃体だけでは分からない。そのため、いきなりトラウマ体験を鮮明に思い出し、あたかも今、当時のトラウマ的できごとが起きているかのような反応を自律神経がしてしまう。これはフラッシュバックといわれる現象で、海馬の萎縮や扁桃体の異常な興奮が原因である。

篠浦伸禎氏は『脳と瞑想』等において自らの覚醒下脳手術、脳の切除手術の結果から、
①自己意識は「帯状回」の作用である。帯状回に腫瘍のある患者が自己意識を喪失した。
②扁桃体には左右で機能が違う。
③左の扁桃体は攻撃、右の扁桃体は逃避と関係する。

脳機能には法則がある!
例:自律神経失調では右前頭葉の血管反応が 異常になる。覚醒下手術では、脳を手術で触り 機能が落ちたとき、右脳では眠くなり(逃避)、 左脳では不機嫌になる(攻撃する=接近)傾向 がある。 ストレスがあると、右脳は逃避、左脳は攻撃 する傾向があるのではないか
例:覚醒下手術で左の扁桃体に近づくにつれ攻撃的な言動をしていたのが 摘出したとたんにおとなしくなった。右の扁桃体に近づくにつれて、眠けが強くなり、症状のチェックができなくなった。
左脳:言語、論理;過去未来を扱い、「質」 「進歩」に関わる。人や物の境界をつくり 物事をはっきりさせる。戦いに強い。
右脳:感性、芸術、空間の認識;現在を扱 い、「量(エネルギー)」「調和」に関わる。 境界をなくし、一体化する。幸福感あり。左脳の障害ー失語症。 右脳の障害ー注意力が落ちる。 人間の性格、才能と関係する。
つまり篠浦伸禎氏は、覚醒下脳手術の結果より、扁桃体は左右で役割が違うとする。いわゆる左脳と右脳の機能の分離と、左右扁桃体の機能は同調しているらしい。すると、ここで性格が生じるのか。
何万年前のジャングルで、われわれの遠い祖先は、見知らぬ生物に対して、攻撃か逃亡かを瞬時に決定せねばならなかった。そこでは、左扁桃体優位の攻撃型と右扁桃体優位の逃亡型があったのかも知れない。

そして最新のうつ病の研究では、偏桃体の異常な興奮などに原因があり、それを抑制し沈静化させのは、「前頭葉前野」の働きだという事らしい。思えば、うつ病の症状は、じつに「右扁桃体」の逃避行動そのものである。

以上の流れにより、わたしは前頭葉(理性判断)・右扁桃体(逃亡)・左扁桃体(攻撃)という思考実験的モジュールを抽出した。自我意識は「帯状回」での働き、「左扁桃体」と「右扁桃体」は、一見、攻撃と逃亡という相反する役割、作用をする。また「扁桃体」の暴走を鎮めるのは「前頭葉前野」となる。さて、これからがわたしの料理の時間、屁理屈の時間である。

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扁桃体至上主義 その3

『意識はいつ生まれるのか』は、意識の謎を解明するトノーニの「統合情報理論」を紹介している。重さ1.5キログラムの物体に過ぎない脳が、見聞きし感情を宿す主体になるのはなぜか。一般に「意識がある」という状態はどのような場合を指すのか。意識があるか否かをどのように見分けるのか。
「統合情報理論(φ理論)」について、トノーニはTMS脳波計という新しい測定装置を使用したが、中心的な結論は「意識は(生体の)情報統合システムに宿る」である。まず意識は豊富で複雑な情報ネットワークの統合から生まれてくると仮説をたてる。その根拠の一つとして、小脳は大脳より多くの神経細胞を持っているのに意識を生み出す能力がなく、小脳を切除しても意識は保たれると。また、スーパーコンピュータや人間の小脳を「ゾンビ」と呼んでいる。ゾンビは非常に多くの情報を処理する能力を持っているが意識は持たない。意識の座である視床-皮質系(通常は意識の座は大脳前頭葉とする)は、ニューロンの数からいえば小脳の1/4しかないのに、一体どこがゾンビと異なるのか? トノーニは、すなわち多くの情報を処理する能力だけでなく、それら全体を一つのまとまったものとして統合するところに意識が生まれるとする。そして、レム睡眠中の人、ノンレム睡眠中の人の脳に、また植物状態の人とロックトイン(金縛り状態)の人の脳とに、強力な磁場を使って直接働きかけ、脳波の変化を見ることでこの理論の正当性を直接検証したらしい。それによれば、体内あるいは体外からの刺激が脳のニューロンを発火させ、情報となる。多数の情報が競い合うが、中枢はないものの、多くの強力な情報が関係付けられ、自ずから統合される。このような統合こそが、意識であり、心となる。

神経科学の研究成果、脳検査IT技術の急速な進化によって、脳と意識、心との関係が解明されつつあるが、これも有力仮説である。従来の脳科学では、この部分はこの機能、この部分はこの機能を持っているという、機能分担について機能地図がつくられてきたが、最近の流れでは、人間の高次の精神機能は、脳のいろいろと違うところが同時に、共鳴的に働く大きなネットワークと、高次の人間の精神機能は対応しているということらしい。

意識はいつ生まれるのか? そもそも意識とは何か?
仏教は、色・受・想・行・識の五蘊として、五つの生成段階あるいは五つのモジュールとして捉えるが、サーンキヤ派の見解がわたし的には気になる。

アビダルマ仏教も、六派哲学も、TMS脳波計やfMRIは使っていないが、その根底にはインド式瞑想があり、その梵我一如的な、内観による小宇宙の一致拡大としての宇宙観を持つようだ。梵と我は同一構造である。そこで思うのだが、その宇宙観とは、じつは内観より得た自己の脳内の心の旅路、瞑想の直感による人間の意識、脳構造への解釈ともいえる。逆算すれば、その宇宙観を見て、それをスリップさせれば、彼らの至った心、脳内の小宇宙世界の構造解釈ともなる、と思うことも可能だ。ウパニシャッドの認識主体は認識対象になり得ないというテーゼは、とりあえず置いて、何百年にわたる瞑想で、自己の心と脳内をひたすら執拗に探り、彼らはどのような答えに至ったのか? わたしはTMS脳波計やfMRIに匹敵、あるい超える答えを、すでに出していたのではないかと期待するのだ。

彼らは、以下のように発見あるいは解答した。
サーンキヤ派は、宇宙の根本原理として、精神的原理としての純粋精神プルシャ(Purusa)と、物質的原理としての根本物質プラクリティ(Prakrti)の二つを想定する二元論である。純粋精神は知りてともアートマンとも呼ばれ、根本物質は未開展物(avyakta)と呼ばれ、これは宇宙の質料因である。これから被開展物(vyakta)が生じる。サーンキヤ派のテーマは、人間存在の「苦」を認識し、その除去手段として、これらの純粋精神・未開展物・被開展物の三者を知る識別知(vijnaan)を悟ることである。
純粋精神は個我であり、原子大で多数存在する。本質は知または思であり、全く活動しない。常住不変の観照者、生も死も輪廻も解脱もない、ただの目撃者である。
だが根本物質は、宇宙の質料因だが、純粋精神と同じく微細であるため知覚できない。また物質的で活動性を有し、独立唯一であって、あらゆるものに偏在する。それはサットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)という三つのグナ(構成要素)から成り立っている。物質世界は、この三つのグナの平衡状態である。だが、この平衡状態は、純粋精神の観照(darsana)を機会因としてラジャスの活動が起こると均衡が破れ、その結果、世界の開展がはじまる。

まず最初に、統覚機能(buddhi覚、mahat大)が生じる。これは確認の作用を本質として、心理・精神・認識活動の根源をなす。この統覚機能が、さらにその中にあるラジャスによって開展を起こすと、自我意識(ahamkara我慢)が生じる。このそれぞれの個我は、三つのグナの配合率により、さまざまな性格を持つことになるのだが、自己への執着を特質として、「これは私のものである」「これは私である」といった自己中心的な観念の拠り所となる。また、この自我意は、つねに統覚機能を純粋精神、すなわち自我であると誤って考える、とする。これがサーンキヤ派での意識、自我意識の発生の構造である。

それらも三つのグナよりの開展物であるが、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)は心理的には、それぞれサットヴァ(快)、ラジャス(不快)、タマス(無気力)を、作用としてはサットヴァ(照明)、ラジャス(活動)、タマス(抑制)の働きをし、相互に依存し、支配しあう関係である。そして、プルシャに観照されたとき、プラクリティのうちで真っ先に動き、それを開展させ、心、自我意識(ahamkara我慢)を発生されるのは、ラジャスの作用である。

ここまでくると、理屈と膏薬はどこにでも着く。このプラクリティの平衡状態を破り、架空の自我意識(ahamkara我慢)を発生させるラジャスこそ「扁桃体」であると宣言したいところだが、もう少し進めよう。宗教的霊感は右側頭葉から発するらしいが、この「扁桃体至上主義」を書く目的は、わたしの左脳によりサーンキヤ派のいう識別知(vijnaan)を得て、わたしの「苦」から脱することにある。屁理屈屋が、屁理屈で自分を納得させようという解脱の道だ。認識主体も認識対象になり得るという、反ウパニシャッド的方法論だ。ヤージャヴァルキアの時代と違い、今日では、アートマンもアートマンを観れるのである。

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扁桃体史上主義 その2

扁桃体至上主義のその2である。つまり、この私がこの年齢にいたるまで、いかに我が意に反したヘタをうちつづけたか、本心とは逆の支離滅裂をなして、いろいろなものをぶち壊しにし、そのくせ後悔をしつづけたのか、その解きほぐし、わが心の旅路である。なんでやのん?

心の、私の心の問題である。
だが昔なら、心の問題は魂、霊魂の問題であるから、いささか救いがあるが、今日では脳科学、唯物論的世界のテーマであり、死すべき、滅すべきものの世界であるから、これはなんとも寂しい限りである。脳細胞の死が、死である。この宇宙観には誰も堪え切れないだろう。だから、不死の思想としてのさまざまな宗教が、自然現象として成り立つのだが、この日本ではむつかしい。とくに左脳人間である私には。不幸なことだ。

ともかく、心とは自我意識とは、脳の働き、脳内ネットワークが統合された現象の一つのようだと脳科学者は言う。脳のこの部位はどうした、この部位はどうしたとか。おまえなど、存在しないと。ほんとうか? まるで2500年前の釈尊の時代の諸行無常、諸法無我のような寂し過ぎる話だ。今ここにいる私は、私が私であるという意識は、私のたまたまの脳内ネットワークが統合された架空の現象であり、私という自我意識は、それこそ唯識派の言うように、ただの瞬間の偶然の「識」の働きに過ぎないということになるのか。いやだなあ、悲しくて、たまらんなあ。このような思考は。私は存在しないのか?
心は、私が私であるという自我意識は、いつかは死滅する私の脳細胞の作用の結果なのか。とすれば、ここはひとつ、脳とその作用の仕組みが知りたいものだ。以下、私の心の旅路のためのお勉強である。私のヘタを打ち続けた人生の解きほぐしでもある。

脳と心と精神の問題は複雑である。まず、ポール・マクリーンの脳の三層構造説を復習しよう。
1.爬虫類脳(reptilian brain):最も古い脳器官、自律神経系の中枢である脳幹と大脳基底核より成り立つ。自己保全の目的の為に機能する。
2.旧哺乳類脳(paleomammalian brain):「海馬」、「帯状回」、「扁桃体」などの大脳辺縁系(limbic system)から成り立ち、快・不快の刺激と結びついた本能的情動や感情をつかさどる。種の保存の目的=生殖活動のための脳である。
3.新哺乳類脳(neomam-malian brain): 大脳新皮質の両半球(右脳・左脳)から成り立つ。言語機能と記憶・学習能力、創造的思考能力など高次脳機能の中枢である。

1.爬虫類脳である脳幹は生命の基本的な機能をつかさどる最も大切な部分で、赤ん坊は生まれたときからトカゲや蛇並みの機能はしっかり備えている。
2.旧哺乳類脳は動物脳とも呼ばれる。「扁桃体」は生まれたときから働いている不安、恐怖、情動をつかさどる器官である。「海馬」は記憶の中心であるが、この機能が成立するのは3歳以降らしい。
3.新哺乳類脳は人間脳とも呼ばれる。とくに大脳前頭葉の働き方であろう。

とくに心の働きで問題となるのは「扁桃体」である。まず外部からの情報は「扁桃体」に伝えられる。「扁桃体」は「海馬」と「側座核」をコントロールするとともに、視床下部、脳幹を通じて身体もコントロールする。恐怖時に身体が硬直し、心臓がはげしく動悸するようにである。

「扁桃体」からの心の情報は、種類により三方向に向かう。
記憶認識系の情報は「海馬」におくられる。「海馬」からは、側頭、頭頂、後頭の各連合野に出力される。
意志行動系の情報は「側座核」におくられ、前頭前野と各運動連合野に出力される。
愛情や憎しみなどの情動身体系は視床下部方向に向かう。「扁桃体」が破壊され、障害の影響が「扁桃体」支配下の視床下部に及ぶと、情動障害、激怒や飢え、性欲の異常、自律神経の失調などの症状が起きる。

目や耳から入ってきた感覚信号は、まず視床に届き、そこらかたった一つのシナプスで「扁桃体」に到達する。次に視床は、同じ信号を大脳新皮質にも送る。しかし、そのため、「扁桃体」は大脳新皮質が何層もの神経回路を通じて情報を吟味、認識して反応をはじめるより前に、すでに反応している。これが情動が理性より先に作動する現象、神経システムである。大脳新皮質が慎重に情報を分析・判断するより一瞬早く、「扁桃体」からの命令で、人は反射的に行動を起こす。これは生物としての瞬間的な危険回避システムでもあり、プラスの作用の場合もあるが、この回路はよく間違い、誤判断を起こす。これを「脳の誤作動」と呼ぶらしい。
だが、この「扁桃体」の言葉にならない情動こそ、心の本質だという意見もある。また「私」という意識、自我意識は「帯状回」のネットワークの瞬間の作用だという説もある。

また、そもそも脳には癖がある、らしい。
ハーバード大学の神経心理学者リック・ハンソン氏『Just One Thing』によれば、脳には悪い方向に考えるバイアスが組み込まれているという。進化の中で人類の祖先は棒(危険)を避け、人参(食糧)を追い求める生活を何百万年も続けてきた。生き延びるためには棒(危険)を避けることが、より差し迫った問題だった。

  • 脳は同じ強さであっても好ましい刺激より好ましくない刺激に強く反応する。
  • 人間を含めて動物は通常楽しみより痛みを早く学ぶ。
  • 痛ましい経験は楽しい経験よりも記憶に残りやすい。
  • ほとんどの人は何かを手に入れようとするよりも、それを失わないようにするために躍起になる。
  • 通常、良い人間関係を長続きさせるためには、好ましいやり方と好ましくないやり方との比率が、少なくとも5:1は必要とされる。(扁桃体はネガティブが5でポジティブが1の比率で作動する)

つまり、脳は嫌な経験に対してはマジックテープのように密着するが、うれしい経験に対してはテフロン加工のように軽く触れるだけだという。そして、このような脳の癖、バイアスが潜在的な記憶や感情、期待、信条、嗜好、気分に影を落として、どんどん悪い方向に向かわせるという。この潜在的な記憶の中に蓄えられた嫌な経験の数々が、不安、いらいら、憂鬱といった感情を強め、他者との健康な関係を難しくするという。人間の脳は遺伝子的に、構造的にそうなっている。

これらは、動物脳つまり大脳辺縁系の働きであり、仏教では三毒、貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)とされるものだろう。だが、ふるくからなぜ人間は蛇を怖がるかという議論があった。猿も蛇を怖がる。それが本能によるのか、学習によるのか。最近では、本能であり、遺伝子に組み込まれた危険な存在への恐怖反応ということらしい。つまり、猿でも人でもそうだが、蛇を怖がる「種」が生き残り、存続できるという自然界の仕組み、動物脳の働きらしい。リック・ハンソン氏ものべるが、神経系はおよそ6億年をかけて進化をとげた。その進化の過程で、虫、蟹、トカゲ、ウサギ、猿、類人猿、人間などの様々な生き物が現れた。頭上から迫る影に気づかない生き物は、あっという間に食べられる。生存競争を勝ち抜いて、遺伝子を後世に伝えたのは怖がりで警戒心の強い生命だった。人類は、そのような生命の子孫であり、生まれつき怖がるようにできている。

では、このような先天的記憶は脳のどの部位がもつのかはともかく、その恐怖心の発動を担うのは情動器官である「扁桃体」であろう。蛇をみて、脳内の記憶から瞬間に恐怖感情を発生させ、アドレナリンをあげ、身体が恐怖に反応し、危険から逃亡するように命令するのである。

仏教はこの動物脳の働き、三毒を克服すべき煩悩の最たるものとしたが、また一面で、これは人類存続の、個人の生命存続の危機管理器官でもあり、愛と憎しみをつかさどる器官でもある。つまり、『ヨーガ・スートラ』でもいうヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハとは「扁桃体」の働きを止めよ、あるいはコントロールせよということか。 それとも、「扁桃体」の出力を、自我意識を発生させるという「帯状回」と「前頭葉」のネットワークにわたすな、ということか?

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扁桃体至上主義 その1

9月15日、Wat Mahadhatu横のスターバックスで思いいたったのは、仏教は人間の意識の発生を「五蘊」として捉える。पञ्च स्कन्ध, pañca-skandha。「色」「受」「想」「行」「識」である。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示すとされる。五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとし、またこれが煩悩と「苦」の発生原理とされる。すると、「色」から「受」になり、そして、「想」が発生する。そして「行」で暴走して「苦」の原因となる「識」が生じる。つまり煩悩が生じる。

つまり仏教では、人間存在は無我であり、「五蘊」の産物と捉えるが、それの二段階のみ、「色」と「受」のみで止めるのがヴッパーサナ瞑想であると理解した。「想」にわたさず、私式の解釈では、「五蘊」の生成を「断つ」のである。

最近の脳科学によれば、脳は特定の瞬間だけみるとある瞬間に30%ぐらいだけ、ニューロンは動いているそうだが、「色」と「受」のみで止めることで、「想」「行」「識」での脳を活動させない、30%を20%するのだ、と気づいた。「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」という、脳のアクセルをゆるめる、できればアイドリング状態まで落とすことだと気づいた。人間は、つねに考えつづける。ニューロンの動き、脳の働きをオフにはできない。だが、その動きを「色」と「受」だけのシンプルな、シンプルな動きにスリップさせることで、ニューロンの動きを最小限にし、脳のほかの「野」を休ませる。だから、ヴィパッサナー瞑想もその内容は、あきれるほどシンプルだ。サマタ瞑想もだ。煩悩の「止滅」により涅槃に至るのではなく、ニューロンの動き、脳の動きを「止滅ではなく休止」させることで、脳の疲労の回復をはかる。新しい脳内システムを組成する。そうスターバックスでカフェラテを飲みながら、思いいたった。

この私の思いついた理屈によれば、五蘊の「色」「受」「想」「行」「識」という人間の思考の流れと発生での、「色」と「受」の段階で止めて、「想」以下をカットするのが瞑想の本質ということになる。つまり、「色」「受」という、この脳の働きのすくない段階でカットし、「色」「受」のみの単調な繰り返しを行い、つぎの「想」「行」「識」という脳エネルギーを大量に消費する、ニューロンと脳を酷使する段階にいたらせないのが瞑想の核心なのだ。「想」で「我」が発生する。おそらく脳の別の「野」に飛ぶ。サーンキヤ派でいえば、無数のプルシャがあるが、それぞれのラジャスつまり「我」が発生する。自我意識は「帯状回」のネットワークの現象だという説があるが、そして今日、意識は視床-大脳皮質系の働きであると統合理論的に説明する説もあるが、以後は「我」が中心となる。私の考え、私の思い、私の怒り、私の嫌悪などである。瞬間に出る。この「想」「行」「識」は、まず「扁桃体」「海馬」「帯状回」の接続、「前頭葉前野」などの作用であろうが、「扁桃体」の不安感情や情動記憶などから発する強い妄見をともないながら、一気に脳皮質に「識」としてラジャスが展開する。「我」の条件反射である。だが瞑想は、おそらく「扁桃体」か「海馬」段階でカットし、「我」を発生させる「帯状回」の作動を起こさせず、その働きをになう脳内の「野」を休ませるのだ。ここで変性意識が生じるのであろう。これが瞑想の本質だと直感する。

ハーバード大学の実験研究によれば、瞑想のエクササイズを8週間つづけた被験者の、脳のMRI検査結果として、学習や記憶にとって重要な領域である「海馬」と、自意識や同情心にかかわる構造部分で、灰白質密度増加が認められたらしい。また、不安に重要な働きをする情動器官である「扁桃体」での灰白質密度低下が認められたらしい。ここから逆算すれば、瞑想の本質はおのずと明らかだ。私は、サーンキヤ派のいうラジャスとは、この「扁桃体」のことだと直感するが、また、これが「想」の核心に当たると直感する。つまり「色」「受」は「扁桃体」「海馬」の接続の働き、「想」以下は「扁桃体」からの出力を「帯状回」と「前頭葉」が引き受けた働きと直感する。
そして瞑想とは、『ヨーガ・スートラ』のいうヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハ、ヨーガは心(チッタ)の働きの止滅である、ヨーガは個人意識おける動き(チッタ・ヴリッティ)の停止(ニローダハ)である、のチッタ(cit)である。つまり瞑想(ヨーガ)とは、今の脳科学的な表現では、ハーバード大学の瞑想エクササイズ実験により灰白質密度低下が認められた「偏桃体」の働き(チッタ・ヴリッティ)の停止(ニローダハ)だと私は解する。

また、濫読派の私としては、「五蘊」の働きを止めるのが瞑想であるという解釈は、どの本にも明示的には無かったので、私のプライオリティかなと思っていたが、そうはいかない。雑誌『サンガ・ジャパン』別冊「仏教瞑想ガイドブック」と『仏教瞑想論』で蓑輪顕量氏が、すでに述べていた。五蘊の「色」「受」「想」「行」「識」という人間の思考の流れと発生での、「色」と「受」の段階で止めて、「想」以下をカットするのが瞑想の本質だという理解である。蓑輪顕量氏は述べる。

「現在の心理学で確かめられたことが、仏教では、その初期から、色・受・想・行・識という五つの範疇に分けられる心の働きとして、心の観察法、観の中で気づかれていました。私たちが認識するというのは、その描かれた像に対して、何々だという判断が働いていることを意味するのですが、その判断が生じる前で、すなわち認識の対象になる像が形成されたところで、心の働きを止めようということが目指されているのです。」(『サンガ・ジャパン』別冊「仏教瞑想ガイドブック」)

「それは、色・受・想・行・識の五つのカテゴリーに分類される心の働きを、早めの段階で捉まえることによって、最後の識まで、あるいはさまざまな感情が生じるまで、心が走ることを止めようとしています。」(『仏教瞑想論』)

9月15日、Wat Mahadhatu僧院横のスターバックスで私が思いいたったのも、このことである。そして、さらに言えば、それは「扁桃体」の過剰反応を抑制することであり、またサーンキヤ派の三つのグナのうちのラジャスに対応するものだと私は直感している。また、人間理解への核心は、この「扁桃体」の働きに対する理解と同義だとも直感している。

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上座部の瞑想をまなぶ

鉄は熱いうちにうたねばならないが、フィーリングやパッションなどの感覚も、言葉で教えられた指導も、忘れないうちに文章化し、整理保存するのが私の流儀である。撮影フィルムを現像液であらわにしたあとは、ベストの瞬間で定着液にただちにつけないと、映像は消滅し、失われてゆくのだ。つまり経験は存在しなくなる。ワット・マハータートでの繊細な体験の記憶も文章化し残して、定着させておこう。

まず、お勉強の成果の概要から。 これは、プラユキ・ナラテボー氏の整理であるが、

まず、仏教系の瞑想法には、
「サマタ」 (Samatha = 止)と称する「集中系」と、「ヴィパッサナー」(Vipassana = 観)と称する「気づき・洞察系」の2種類がある。

「サマタ」はマントラやイメージなどの対象に意識を繰り返し向けていくことで、安定した集中力を培うことを目指す。

一方、「ヴィパッサナー」は、対象をあらかじめひとつに限定することなく、その瞬間瞬間に生じてくるものごとをありのままに自覚化することを繰り返しながら、洞察を育んでいく方法だ。

この2つの瞑想法を合わせて、「サマタ・ヴィパッサナー」(Samatha-Vipassana = 止観)と称し、そのバランスが大切とされる。

仏伝によれば、ブッダは出家後、2人の師につきサマタ系瞑想を最高度に極めたが、なおも究極的な安らぎは得られず、その後みずからが試みたヴィパッサナー系瞑想によって、解脱・涅槃に至ったとされている。

ヴィパッサナー系の瞑想については、現存する仏典では、「マハーサティパッターナ・スッタ」(Maha-Satipattana-Sutta = 大念処経)と、「アーナーパーナサティ・スッタ」(Anapanasati-Sutta = 出入息念経)のなかで、その詳しい紹介がある。
そして、タイの代表的な4つの瞑想として、タイでは、この2つの瞑想法のうちどちらを強調するか、どの対象に主に意識を向けていくか、内言(ラベリング)を用いていくかいかないかなど、あるいは同系統の瞑想法であっても、指導者によるテクニックが若干加えられるなどして、さまざまな瞑想法が実践されているが、代表的な瞑想法は以下の4つである。

1 「アーナーパーナサティ(出入息念)」瞑想法
2 「プットー(ブッダ)」瞑想法
3 「ユップノー・ボーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法
4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法

1 「アーナーバナサティ(出入息念)」瞑想法
ブッダ伝来の伝統的な瞑想法で、前述の『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息念経)』に沿い、呼吸への気づきを手がかりにして、

身体(Kaya)
感受(Vedana)
心(Cita)
法(Dhamma)

という順序で徐々に精妙化する4つの対象領域を、それぞれ4つの視点で洞察していく形式で、全部で16段階の瞑想プロセスを経ていくやり方である。

具体的には、まず姿勢を正して座る。そして呼吸をいちばん感じ取ることができる鼻の入り口あたりに意識を集中させ、ひと息ひと息ごと丁寧に「気をつけて息を吸い、気をつけて息を吐く」
Sato va assasati, sato va passasati
ここを始点としてさらに、呼吸をコントロールすることなく、ありのままの呼吸に油断なく細心の注意をむけつづける。そうしているうちに、だんだんと精妙化していく呼吸の細かな様相を見つめ、実感しつづけていく。
やがて呼吸と連動する身体感覚のありようについても感じられてくるようになったら、そのまま今度は身体感覚に生ずる諸相をもありのままに見つめ、体感していく。それから身体感覚に付随して生じてくる心の動きについても明晰に観察をすすめていく。

最終的には、

無常(Anicca)
苦(Dukkha)
無我(Anattan)

といった真理の法則性の認識にいたるまで洞察を深めていくものである。

2 「プットー(ブッダ)」瞑想法

「プットー」は、タイ語で「ブッダ」の意味である。これはタイのサマタ系瞑想の代表的なものとして知られている。方法としては、姿勢を正して座ったあと、
息を吸うときに「プッ」
吐くときに「トー」
と心のなかで唱えながら呼吸していくものである。この瞑想法でも呼吸のコントロールはおこなわないが、しかしアーナーパーナサティとは異なって、呼吸の観察からはじまって身体の感覚、心の動きまで洞察していくといったこともしない。ただひたすら「プットー」という言葉に意識を集中させ、くりかえし唱え、心を静め三昧にはいっていくことが目的である。いくつかの寺では、ただじっと座って唱えるだけでなく、数珠を瞑想の小道具として併用し、呼吸に合わせて、吸うときに「プッ」、吐くときに「トー」と唱えつづける方法もとられてもいる。また、呼吸は関係なしに、ただ「プットー」と言葉を唱えるごとに、ひとつずつ数珠をはじいていくところもある。

9月12日の夜以来、なんどか通ったが、サイアム駅ちかくの僧院で体験したのが、これであろう。夜の僧院の広間で、多数の信者が一時間、無言で結跏趺坐していた。だが、僧が壇上から低い声で瞑想中の信者に語り続けていたのは、意味がわからない。知人に聞くとパーリ語とタイ語で交互に話しているようだが、誘導瞑想なのだろうか。

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3 「ユップノー・ポーンノー(縮み・膨らみ)」瞑想法

ミャンマーのマハーシ長老由来の瞑想法であり、タイにおいても広く知られ、多くの寺院で実践されている。とくにマハーニカイ派の代表寺院で、マハーチュラロンコン仏教大学が併設されているワット・マハータートでは、この「ユップノー・ポーンノー」瞑想法が取り入れられている。
この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸に連動して縮み・膨らみを繰り返す腹部に意識をむけていく。そして

お腹が縮んでいくときには
「ユップノー(縮む)」
お腹が膨らんでゆくときには
「ポーンノー(膨らむ)」

と、ひとつひとつ言葉を貼りつけて(ラベリング)認知していく。

私が通ったワット・マハータートの外国人向けのセミナーでは、指導僧は達者な英語をもちいていたが、 ふつうは、この瞑想法のリトリートでは、最初、参加者全員で一斉に声を出しながら行い、その後、ひとりひとりに分かれてからは心の中でラベリングしたりする。
また歩行禅もあり、その際には、一歩一歩を非常にゆっくりとしたスローモーションともいえる速度でおこない、その足の上げ下ろしのプロセスを

「ヨックノー(上げる)」
「ヤーンノー(はこぶ)」
「ジアップノー(下ろす)」
とラベリングしながら歩く。

それからさらに日常動作においても、
「立っている」
「座っている」
「触れている」

食事の際には、
「口を開ける」
「入れる」
「味わう」
「噛む」
「飲み込む」

などとラベリングしていく。また、身体感覚や心の状態についても、それを感じた時点で、

「暑い」
「寒い」
「眠い」
「怒り」
「うんざりしている」
「わずらわしさ」

などなど、たえずラベリングしながら確認していく。

上述の『マハーサティパッターナ・スッタ(大念処経)』と『アーナーパーナサティ・スッタ(出入息経)』においては、「ラベリングするように」とは記されていないが、今のあるがままの状態を仔細に観察、自覚するという意味で、これもヴィパッサナー系の瞑想のひとつと言っていいだろう、とプラユキ・ナラテボー氏は解説する。

4 「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」瞑想法

ワット・パクナムの故プラ・モンコン・テープムニー師によって編み出された瞑想法である。伝統寺院のパクナム寺および、パクナム寺から分院したあと、現代テクノロジーなどもふんだんに取り入れ、近代的な装いでタイの都市新中間層の人気をあつめるバンコク郊外のタンマカーイ寺。そして、その末寺でこの瞑想法がおこなわれている。

この瞑想法では、姿勢を正して座ったあと、呼吸を整え、「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」と唱えていく。
そして「水晶玉」や「光の玉」をまず鼻孔のあたりにイメージし、そこから目頭の中心、のど、へその上へと「球」が安定するように繰りかえし「サンマー・アラハン(正・阿羅漢)」と唱える。

この球への精神集中が強まるにつれ、心はととのい、情緒の安定がはかられる。さらに、球から光が発するのが見えたり、さまざまな仏像の姿が見えてくるにつれ、心の境地が次第にすすんでいくとされる。
この瞑想法は、イメージトレーニングによって高度の集中力をはかっていくサマタ系の瞑想といえよう。

この瞑想法は、今回の旅でも体験した。ワット・マハータートは学問寺の僧院の教室であり、建物は立派だが中身は質素なものだ。だが、この9月17日のタンマカーイ寺系列と思われる瞑想会では、アソーク駅そばの豪華なホテルを利用し、コーヒーも、上等な皿にもられたケーキもフルーツも食べ放題である。スクリーンにプロジェクターで映しながら法話し、そして後半の瞑想がはじまると、室内の照明がすべておとされた。闇の中で、静かな僧の言葉の誘導のもとに、全員がサマタに入るのである。頭頂から、額から、眉間から、順次に力を抜かせていく。そして体内の中心に意識を誘導する。だが、その闇の中の低い誘導の声を聴きながら、「これは集団催眠じゃないか」と私は非常に驚いた。一時間が過ぎ、瞑想の終わるときも、催眠誘導法の手順にしたがい戻しの誘導が行われていた。すこし催眠誘導法を学んだことがある。そのままである。これは危険だ。
あとでネットで調べて、そうかあの事件になったタンマカーイ寺系列と納得したが、しかし、瞑想法自体は、なかなかよいものだと私は感じた。タンマカーイ寺系列が多数の信者を獲得したのは、他の僧院のように、個人と個人のレベルで、修行と厳しい内観をしいるのではなく、このような集団での誘導をするからであろうか、とも感じた。アメリカの新興キリスト教団をまねたのだろうか。正当な上座部のやり方ではない。
タイのどの寺院でも、外国人でも遠慮なく勝手にはいって、勝手に瞑想する。始める時間も、終わる時間も勝手だ。布施は出してもよく、出さなくても良いが、私も誰も見ていなくてもドネーションボックスに100バーツ程度入れる。だが、ここではテーブルの向こうに僧が座り、その僧の前の金刺繍のされた綺麗な織物の上に、綺麗なタンブン用封筒に入れて、たがいに礼をしあいながら、うやうやしく置くという「様式」だった。僧への直接手渡しではないが、でも破戒になるよ。新しいビジネスモデルということか。世界に教祖の説教をネット配信しているらしい。
まあ、教団はともかく、瞑想法自体は悪くないと思う。方法論としては、ある意味、現代的、いそがしい資本主義社会向けかもしれない。どの内観法も「自律」が原則だが、時間と意志のかかる「自律」はむつかしい。少数派のものだ。大多数者は常に「他律」であり、催眠誘導法でも、自己催眠より他者催眠のほうが深い地点に達する。だから教団発展の商業的方法論としては、有り得る。ただ、大衆誘導であり、誰が主催するかで、きわめて大きなリスクがある。人は、みなエルンスト・カッシーラー、エーリッヒ・フロムのいうとおりだからである。また催眠誘導でも、被験者は施術者に強い依存心を持つようになる。それがカリスマ誕生の原理であり、きわめて危険である。どの宗教も、この原理を知らずに活用しているが。このやり方は、かならず危険な方向にながれる。もらった日本語経本では、サンガに帰敬する経文を、「サンガ」に対して礼拝しますを、「僧」に対して礼拝いたします、とこっそり書き換えている。

さて、正統派であるワット・マハータートでの Insight Meditation 修行の記憶の整理である。
2016-09-19-12-28-14
① Standing Meditation
② Walking Meditation
③ Sitting Meditation

大阪で、スマナサーラ長老から学んだヴッパーサナ瞑想と内容はまったく同じである。ミャンマーのマハーシ長老が開発して在家むけの平易なメソッドである。問題は、英語でのラベリングの言葉である。あとはタイの指導僧のからだと足の動き、声のリズムや調子や「間」の取り方などだが、これは言語化できない。こまかい心の持ち方、はこびかたは教えられた。とくに Body and Mind である。おそらく、複雑な言葉を使ってはいけないのだろう。たぶん、赤ちゃん語がよいのかもしれないと思った。このラベリングを使うやり方が正しいかどうかは分からないが、すでにメジャーであり入門編としてここから入ろうか。その後に他のメソッドも試してみよう。

① Standing Meditation
「 Standing 」「 Standing 」 「Standing 」
Be mindful of the standing position. Try to be aware of “body” standing not “I” am standing.

② Walking Meditation
これは六段階があるが、自分にあったものでよいのだろう。

1. Right goes thus, left goes thus
2. Lifting, treading  …右、左
3. Lifting, moving , treading
4. Hell up, lifting, moving, treading
5. Hell up, lifting, moving, lowering, touching
6. Hell up, lifting, moving, lowering, touching, pressing

壁まで来たら、「 Standing 」「 Standing 」 「Standing 」Meditation
45度づつ、3回にわけて、「 Turnig 」「 Turnig 」「 Turnig 」Meditation を行い、「 Standing 」「 Standing 」 「Standing 」を行い、また逆方向に Walking Meditation を行う。

③ Sitting Meditation
「 rising, falling 」「 rising, falling 」「 rising, falling 」
日本語では、「ふくらみ」「縮み」が使われるが、この言葉は、自分にあったものであればよく、何国語でもよく、自分のサティにマッチするものであれば、なんてもよいのだろう。催眠誘導法でもそうだが、複雑な言葉より、シンプルで短い言葉がよいのだろう。

問題は、かならず生じる雑念をどう払うかである。つまり、常に活発な脳の働きを、どう止めるかである。瞑想を体験するとは、自分がいかに雑念のかたまりであるかを体験することだ。そして、そのカットするやり方が重要となる。私の思いついた理屈によれば、瞑想の本質は、五蘊の「色」「受」「想」「行」「識」という人間の思考の流れと発生での、「色」と「受」の段階で止めて、「想」以下をカットするのが瞑想の本質ということになる。つまり、「色」「受」という、この脳の働きのすくない段階でカットし、「色」「受」のみの単調な繰り返しを行い、つぎの「想」「行」「識」という脳エネルギーを大量に消費する、ニューロンを酷使する段階にいたらせないのが瞑想の核心であると思いついた。「想」で「我」が発生する。おそらく脳の別の「野」に飛ぶ。サーンキヤ派でいえば、無数のプルシャがあるが、それぞれのラジャスつまり「我」が発生する。以後は「我」が中心となる。私の考え、私の思い、私の怒り、私の嫌悪などである。瞬間に出る。この「想」「行」「識」は、まず海馬、偏桃体、前頭葉前野などの作用であろうが、偏桃体の情動記憶などから発する強い妄見をともないながら、一気に脳皮質にラジャスが展開する。「我」の条件反射である。だが瞑想は、おそらく海馬段階でカットし、「我」を発生させる、その働きをになう脳内の「野」を休ませるのだ。そして今日、意識は視床-大脳皮質系の働きであると統合理論的に説明されている。ここで変性意識が生じるのであろう。変な脳波も、そりゃ出るさ。これが瞑想の本質だと直感する。

この発見が今回の旅の成果だ。ここから逆算すれば、人は、積極的に継続的に瞑想するしかない。ヨーガ・スートラの冒頭の目的宣言は、ヨーガの目的は「心のはたらき止滅」であるとする。ジュリオ・トノーニ、 マルチェッロ・マッスィミーニの『意識はいつ生まれるか』を読んだが、その統合理論的説明は確定定説ではないようだが、意識が発生する脳ニューロンのネットワークを「統合させない」のが「心の止滅」であると、とりあえず考えておこう。というより、海馬段階でカットすることか。外部情報「色」を、海馬で「受」し、偏桃体や前頭葉に引き渡さないことである。そんな気がする。情動記憶をになう偏桃体が「想」の動力因であろう。すると前頭葉が「識」か。無理やり五蘊にこじつけているが、あたっているかも知れない。ハーバード大学の研究では、瞑想により海馬が大きくなり、逆に偏桃体が小さくなるという。

ワット・マハータートの指導僧は、Monky mind 雑念の対処法として、逆らわずに「 thinking, thinking, thinking 」「 feeling, feeling, feeling 」「 hearing, hearing, hearing  」「 pain, pain, pain 」と三度ラベリングして、それで捨てるように教える。スリランカもミャンマーもタイも、上座部では同じ教えを指導する。すこし前途は遠いが、進めてみよう。理屈を思いついた以上は、自分の脳とからだで実験しょうじゃないか。

そして思うのだが、五蘊の「色」「受」「想」「行」「識」という人間の思考の流れを、「色」「受」のみで止めることは、日常生活の態度においても、おらそく正しい。われわれの思考習慣は、目の前の真実より、すでにできあがった羞恥、嫉妬、怒り、偏見の「想」「行」「識」が、物事に伴う自動作用として瞬間的に、条件反射的に展開するからである。個々の煩悩にともなう、過去の体験やトラウマにともなう妄見と偏見が瞬間にあふれ出る。自分に対しても、人に対しても、眼前の「色」「受」に対して、正しく見れない、脳が見たいように世界を見る。これが人間の仕組みであろう。ロシアフォリマリスト達の言っていた言語の牢獄、あるいは精神の自動作用である。
さらに考えてみると、内観の段階を超えて、ここまでかかわるか、どうかが、欧米の精神の健康法としての瞑想と、仏教系瞑想の大きな差となると思う。私は仏教徒ではないが、地域と立場とものの考え方だが、背景となる文化の内容もかかわるが、アジアでは仏教式で正しいと認める。小乗瞑想と大乗瞑想という言葉をでっち上げたいくらいだ。あっ、それいい。小乗瞑想と大乗瞑想である。

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プールサイドで輪廻、輪廻する

私は子供の頃から空想壁の強い、超読書家であった。本の虫なのである。前世は紙魚だったのだろう。濫読である。とくに実利的目的もない読書なので、流れるままのフライング・ダッチマンである。最近、ダルシャナ、インド六派哲学にはまっている。哲学といっても、それはインド人たちの輪廻からの解脱が目的の思想であるから、輪廻思想というインド的前提自体をもたない私としては、知的興味の対象としてである。が、これがなかなかのバァーミューダトライアングルである。

そして和訳本、日本の研究者の本を読み飛ばしながら確信しているのだが、「インドの方々って、まあ、口先を器用に使って、よう言うわ」である。輪廻思想のことである。ダルシャナも仏教のような非ダルシャナも、この世を「苦」とみて、輪廻による死と再生を恐れ、それからの解脱をもとめる、そうなっている。どの本もそう書く。でも嘘だよね、インドの方々。間違ってるよ、日本の研究者さん。私は、そんな建前は信用しないよ。濫読のあげく、私はね、あれはインドの方々の嘘、じつは輪廻は「不死の思想」だと確信しているよ。アートマンがブラフマンがとか言ってなさるが、ようするに今ここで生きている自分の魂が、死後にどうなるか、その説明が欲しいだけだね。ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、人間が魂をもつことを認め、また神の存在と天国と地獄の存在を認めた。つまり「死んでも死なない」理論を構築した。日本において浄土宗など日本仏教は、すべて、その方向に変質したね。これが素直の形の普通の宗教の形だよね。神、天国、地獄、そして私の魂の四点セットだ。それが死後世界での「生」を保証することで、宗教は成立する。もしそうなら、どんなに素敵だろうとは、私も思うが。

紀元前1500年頃にインダス河方面に進出したアーリア人のヴェーダの宗教には、個人の魂への考察も輪廻の思想もなかったはずである。死ねば、酒は旨いし、姉ちゃんは綺麗な天国に行くだけである。ちゃんとした神はいないし、地獄すら満足に用意されていない。神、天国、地獄、そして私の魂の四点セットは、その文脈には無い。とすれば、魂と死後世界への恐怖が生じ、何らかの救済論的説明が渇望されるのは人間心理の自然だろう。

旅先のプールサイドで、湯田豊氏の『インド哲学のプロムナード』も再読しながら、脳内の知識を反芻しているのだが、湯田氏は初期ウパニシャッド期には梵我一如の思想はない、初期ウパニシャッドの重要テーマはアートマンであるとする。つまり、人間の魂の発見である。わたし流にいえば、アートマン=不死の存在の発見である。それが輪廻する。湯田氏は、輪廻思想が確立されるのはブラーフマナ期ではなく、初期のウパニシャッド期であるとして、西暦前六世紀ころには、輪廻転生はほとんど広く受け入れられたとする。

整理すると、インド哲学の二大哲人は、前八世紀のウッダーラカ・アルーニとヤージャニャヴルクヤだが、ウッダーラカ・アルーニの示した五火二道説が、つまり「再生思想」が、インド全体の瞬く間に(私の想像だが)広まったのは、そのような不死の存在が輪廻するという思想に対する根源的需要、人々の死への恐怖があったからと考えられる。ウッダーラカ・アルーニも息子に、「お前がそれである…。お前は死ぬことのない生命力である」と『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』でいう。生命力は、一切の生きものに広がっている。水中においても、溶けた塩は至るところに広がっている。溶けた塩と同じように生命力は目に見えない。しかし生命は証明され得る、我が愛児よ、それが自己である、それがお前である。つまり、お前は「不死」だと父は息子にいう。死ぬことのない生命力、それは知覚されないほど微細である、しかし、その存在は確実である。この生命としてのアートマンが一切の生きものの本来的な核心である。それは愛児よ、お前である、と。タット・トヴァム・アシ! 『バガヴァッド・ギーター』も、肉体は滅しても魂は不死であることを保証する。

需要と供給の原理は、ここでも必ず働く。その弟子のヤージャニャヴルクヤは、屁理屈屋としての世俗的成功にもかかわらず、すべてを捨て、私流の表現ですれば「永遠の生命を求めて」出家第一号者となる。さらに、ブッダの時代には、出家と輪廻の思想は、すでにインド全体のものとなっていたようだ。遊牧民の宗教であったアーリア人のヴェーダの宗教は、インダス河からガンジス河に進んで農耕文明化するとともに、バラモンによる単純祭儀の宗教から、精神的宗教に変質をはじめたという流れだ。そして表面的には、輪廻からの解脱というややこしいスタイルをとりながら、ようするに「死んでも死なない」理論の構築に邁進したと、私は確信する。非難はできない。人間心理の自然であるで。ヤージャニャヴルクヤの出家は、その輪廻の動力としてのカルマンの法則、人間とは彼の行為である、一切のカルマンはその果実を有するという論理の流れだが、これも「不死の思想」をもとめた帰結であろう。

宮元啓一氏『インド哲学の教室』も旅先での再読のために持ち込んでいるが、死んだら空無に帰すという考えは恐ろしいことであり、日本人の多くが輪廻思想に好意的なのは、生まれかわる、再生できるという点にすごく救いを感じるからだという。だが、宮元氏はインド人は死を繰り返すことに着目し「輪廻転生は苦しみだと、インド人は見るわけです」と解説する。だが宮元さん、それは違うよ。わきゃないよ。口先の建前だよ。あんな自分勝手で現世享楽的で死を恐れるインド人が、そんなことを考えるわきゃないじゃないか。『マヌ法典』『実利論』『カーマスートラ』を読みなさいよ。トリヴァルガ(trivarga)だよ。人生の目的はアルタでありカーマ、ついでにダルマだよ。モークシャは口先のお飾りだ。人生は「苦」であり、止滅こそのぞましいなんぞ、いつの時代であろうと、何国人であろうと、そんなDNAに反することは考えるはずはない。また、そんな不健康な考えがそれだけ広まり、何千年もつづくはずがない。インド的輪廻思想は、「不死の思想のウラトラC的裏返し」であり、インド的レトリックなのである。神、天国、地獄、そして私の魂の四点セットの様式ではなく、つまり天啓を受けた預言者がはじめた宗教ではなく、ウパニシャッドの暑苦しい屁理屈屋のバラモンさんたちが、たがいの足を引っ張り合いながらはじめたから、こんな屈折した形になったのだよ、と私は思う。なんでも徹底的に言語表現にして大衆に主張しないと、気の済まない人たちのようだからなあ。

空無に帰する恐ろしさから、逆説的に、インド人は輪廻思想から離れられないのだ。輪廻=不死なのだ。これがインド的理由であり、「苦」はバラモン的こじつけである。中国人は不老不死の仙薬を、欧米人は神の保証による天国での復活再生をもとめたが、インド人は倒錯した屁理屈で、輪廻思想にしがみついていたのだ。つまり永遠の生命という思想に、である。ウパニシャッドの時代は、生と死を説明する神のない時代である。そのパラダイムの中での新思想の構築だった。やがて、それでは教義としてもたなくなり、具体的な人格神としてのヴィシュヌ、シヴァ神という絶対神の出現、すなわちヒンドゥー教に遷移したのは、これも自然である。神に帰依、パクティすれば、輪廻思想は御用済みとなる。仏教の四苦八苦も、ようするに死ぬのが怖いだけである。仏教も、それではもたないから、絶対的人格神が、阿弥陀仏ふくめて無数の仏として、やがて出現して人々を救済してくれる教義の流れに変容したのも、これも人間心理、マーケットの論理からすれば自然である。死すべき生を歩む人間の渇望でもある。コンシューマーの求めのあるところ、新教義がわさわさと創出開発されるのは、今も昔も、どのマーケットも同じである。

ホテルのプールサイドで、このような実もふたもないことを考える。さらにノートパソコンにパチパチまでしている。プールサイド向きの本ではないが、読んで、思いついたら、忘れないうちに文章化し、頭の中の整理をしたがるのは、癖であるからしょうがない。今日は、J・コンダを読むつもりだったが。

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休んでくれ、わが脳よ、俺よ

人間のさまざまな器官の中で、生まれてから死ぬまで働き続けるのは、まず心臓であろう。肺もそうであろう。その他、さまざまな器官が死ぬまで休まず働きつづけるのだろう。だが、脳は眠るときはしっかり休み、そして「充電」をすると思っていた。レム睡眠のときは、脳は起きていて体を休めて、脳は記憶の整理をする。この時に夢を見ていて、ちなみに金縛りもこのときに起こる。逆にノンレム睡眠のときは、脳も寝ている。この、レム睡眠とノンレム睡眠は約90分おきに交代しており、即ち睡眠時間のおよそ半分は脳も寝ていると思っていた。最新の知見では、それは違うらしい。

脳科学者の池谷裕二氏によれば、脳の神経の活動を追っていると、大脳皮質の神経細胞は、寝ているときのほうが活動しているそうである。人間は浅い眠りと深い眠り、つまりレム睡眠とノンレム睡眠を周期的にくり返しているが、驚くことに脳は、深い眠りのときに最も活発に活動するという。この「深い」「浅い」という言い方は、活動する神経細胞の数ではなくて、意識レベルの話だとか。例えば、100個のニューロン(神経細胞)があったとする。起きているときには、特定の瞬間だけみるとある瞬間に30%ぐらいだけ、ニューロンは動いている。長い時間で見れば全部のニューロンが動いているといってもよいが、特定の瞬間では、だいたいニューロンは30%ぐらいしか使われていない。逆に言えば、そういった「部分的に必要な分だけピックアップされた活動」が、おそらく私たちが「意識」と呼んでいるものないかという。浅い眠りのときは、起きているときの状態によく似ていて、ニューロンは30%ぐらいしか活性化していない。だから、こういう実験をすると、「夢の中にいるときには、ちゃんと意識があって、それを“体験”しているんだなぁ」としみじみ感じたりするとか。ところが、深い眠りのとき、ニューロンは100個、全部が動いているらしい。つまり、寝ているあいだ脳はものすごく活動している。夜はしっかり休んで「充電」しているかと思ったが、逆のようである。池谷氏は、脳の中でも海馬の専門家らしい。なかでもCA3野という場所の専門とか。このCA3は、昼間に情報を集め、大脳皮質に保管する。このCA3で、睡眠中、とくに深い眠りのときに、情報の圧縮をするという。その作業を、夜にするという。深い眠りのときに脳細胞がフルに働くらしい。「脳は眠らない、昼以上に夜に働いている」らしい。

つまり、脳は生まれてから死ぬまで休むことはないらしい。心臓と同じようにだ。それは気の毒なことだった。疲労もするし、不調な時もあろうさ。
現代では、脳の働きを「こころ」と称するらしいが、心が疲れるのは、脳が疲れたからなのか。「こころ」を休ませてあげたいものだ。元気にしたい。「わたしのこころを」だ。事情があって、昨年以来、ほとほと疲れ切っている。思いもよらぬことばかりで、人間関係に疲れ切った。頭は重いし、気はしずみつづけている。そして、気散じにこんな雑文を書いている。

ここで、ひと理屈であるが、一昨日の9月13日の夜に、知人に連れられて、サイアム駅そばの、おぼえにくい名前の寺の夜の「行」に参加した。二時間だが、はじめの一時間は僧侶とともに読経する。パーリ語のあとタイ語で全員が読経する。音楽のような流れるようなハーモニーだ。声と夜の時間が流れていく。後半の一時間は、僧の声にあわせて、結跏趺坐し、息を吸い、息を吐く。ヴィパッサナー瞑想である。夜の僧院で、インサイトメディティーションを行う。翌日14日の昼は、王宮寺の北にある学問寺 Wat Mahadhatu のメデテーション・センターの外国人向けセミナーに行く。ヴィパッサナー瞑想については、大阪においてスリランカ上座部のスマナサーラ長老の指導を受けたことがあるので、一応、声聞である。このメデケーション・センターのメソッドも、スマナサーラ長老の指導と同じ仕組みであった。

仏教式瞑想は、宗教の枠を超えて、欧米でも流行している。心を活性化し、脳の疲れを癒すものとして捉えられているようだ。メデケーション・センターの生徒も、わたし以外は、みな欧米人である。では、なぜ瞑想により、心が活性化でき、脳の疲れが癒されるのか。これは、「脳は眠らない、昼以上に夜に働いている」ことを知れば、答えは出たようなもの、ジグソーパズルのピースがかちっとはまる。ヨガ行者などの脳波が測定されて、なにがどうしたとという議論があるが、エビデンスや論証などという煩わしいことはおいて、直感で述べれば、昼に30%ぐらいだけニューロンは動いているというが、瞑想は、それを20%ぐらいに下げる仕組みではないか。わたしは、瞑想経験者として、そう直感的に確信する。この直感は、まず正しい。やった人間なら、わかる。だが、どの瞑想の本も、そうは書かない。さとりとか、精神統一とか。脳機能を活発化させるようなことを書く。脳波がどうしたとか。効用とか眠たいことをいう。

逆だね。違うね。河畔のスターバックスで思い至ったが、「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」のだ。「管理的に」だ。「自律」という言葉でもよい。思いに至った以上は、となれば、理屈と膏薬はどこにでも付くらしいから、ひと理屈こじつけようじゃないか。アルキメデスなら、エレウカというところか。30%を40%するのではなく、30%を20%にするのだ。これが瞑想の本質だったのだ。わたしに間違いなく座布団一枚だ。
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拝啓 スマナサーラ長老様

尊師におかれては、書店の棚を見るかぎり、ご繁盛、ご繁盛、まことにご健勝のことと拝察申し上げます。
ぼくは、あきまへん。ボロボロですわ。とくに一昨年以来、脳みそをグチャグチャにされるような連発がありまして、人間やめようかな、とも何度も思いました。 それまでは、だらだらと暮らしておりましたが、脳みそグチャグチャに何度も追い込まれて、ふと、尊師のご指導の行を、やってみようかと、そんな気になったのでございます。これも尊師のご高徳のしからしむところです。

ここ数日、他郷の街のホテルの部屋で、僧院横のスターバックスで、チャンプラヤー河の水上バスの船着き場で、尊師の『気づきの瞑想法』を繰り返し拝読しました。そして、わたし個人の体験と重ね合わせて、すこし独り腑に落ちることがありましたので、それを文章化することで、自分の考えを整理したいと思います。以下は、個人的な思考整理のためのメモでございます。

その40頁で、尊師は「思考をカットし、感覚を止めると、心は成長する」とお教えなされています。そして「感覚を受けたところで心を止める」ことの重要性を語られております。また58頁では、人の心の動き、執着すなわち煩悩の発生の流れを説明なされています。
①隣の人の手が、自分の手に触れたとする。
②すると「触れた」という感覚が生まれる。
③ここまでが「事実」である。
④ところが我々は、「今触れたのは、隣の人の手だ」といった具合に、ついその先を考える。
⑤それは「判断」である。
⑥そのためには、たくさんの「思考」が必要である。
⑦しかし、判断自体には実態は無い。我々の頭の中にしか存在しない。
⑧判断から執着が生まれる。余計な探求が生まれてしまう。

そして尊師は、ともかく、触れたら「触れた」、聞こえたら「聞こえた」、思いついたら「思いついた」と事実を確認して、それ以上の思考をカットしましょう、と語られております。つまり、①から③までで、④以下はカットせよと。

それこそ釈迦に説法でございますが、仏教は人間存在を「五蘊」として捉えます。पञ्च स्कन्ध, pañca-skandhaです。「色」「受」「想」「行」「識」です。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示すとされます。五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとし、またこれが煩悩と「苦」の発生原理とされます。すると、上記の①は「色」、②が「受」になります。④がいけない、これが「想」の発生ですね。そして「行」で余計なことをし、⑧で「苦」の原因となる「識」が生じる。つまり煩悩が生じる。Wat Mahadhatu のメデケーション・センターの外国人向けセミナーの午後の部は一時からオープンしますので、ちかくのスターバックスで、このような「気づき」に至りました。

つまり仏教では、人間存在は無我であり、「五蘊」の産物と捉えるのですが、尊師は、それの二段階のみ、「色」と「受」のみで止めろとお教えになる。つまり、私式の解釈では、「五蘊」の生成を「断て」とお教えになっている、と勝手解釈いたしました。と、読み換えました。ヴィパッサナー瞑想は、いわゆる身随観であり、身体感覚にからだの動き感覚にラベリング、尊師のご表現では実況中継するのですが、「色」と「受」のみをまわすのですね。
そして、私見ですが、それは瞑想系の方々、仏教系の方々がいわれるような、たとえば Wat Mahadhatuの英語の達者な指導僧も繰り返し述べていたconcentration 精神統一ではなく、逆に起きているときには、特定の瞬間だけみるとある瞬間に30%ぐらいだけ、ニューロンは動いているそうですが、その30%を40%するのではなく、「色」と「受」のみで止めることで、「想」「行」「識」でのニューロン活動を起こさせないことで、脳を活動させない、30%を20%するのだ、と気づきました。「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」という、脳のアクセルをゆるめるものだ、できればアイドリング状態まで落とすことだと、気づきました。
ジェームス・ジョイスの意識の流れではありませんが、その流れは死ぬまで止まりません。人間は、つねに考えつづけます。ニューロンの動きをオフにはできないのです。不可能です。だが、その動きを「色」と「受」だけのシンプルな、シンプルな動きにスリップさせることで、ニューロンの動きを最小限にし、脳のほかの「野」を休ませるのです。だから、ヴィパッサナー瞑想もその内容は、あきれるほどシンプルなのです。サマタ瞑想もです。煩悩の「止滅」により涅槃に至るのではなく、ニューロンの動きを「止滅」させることで、脳の疲労の回復をはかるのです。休ませるのです。そうスターバックスでカフェラテを飲みながら、思い至ったのです。

よく禅などで、無念無想で悟りにいたるなどと、子供じみた寝言をいっておりますが、そんなカバな。何も考えない状態で「智慧」が得れるわけがないじゃないですか。それこそ禅僧の煩悩です。禅も深めると、コリン・ウィルソンのいう至高体験、最近の言葉の「ゾーンに入る」ということもありましょうよ。そのハイになった脳の特別な状態を神秘的なものと考えて、悟りなどと称しているだけだと、わたしはは思いますよ。尊師のご著書、ご法話でも、つねに瞑想により、日常生活とは違う真実の人間の形があらわれるとお説きですが、失礼ですが、不遜な口上でございますが、何も考えずに座り続けて悟りなど得れるはずもないように、スタンディングメディケーションにせよ、ウォーキングメディケーションにせよ、立つだけで、歩くだけで、インサイト insight meditation 実況中継するだけで、真理にいたるとは、とても思えません。

不遜な妄見でございますが、瞑想の本義は、あまり宗教とは関係はなく、脳の活動を30%から20%にダウンさせる「脳を働かせないことで、疲れた脳を、管理的に休ませるのだ」とわたしは理解するのであります。座る瞑想は、身随観と腹式呼吸の組み合わせと理解しております。したがって、尊師のいわれる「思考をカットし、感覚を止めると、心は成長する」とのお言葉を、「思考をカットし、感覚を止めると、疲れ切った脳は休息を与えられ、元気さをとりもどす」と書き換えさせて頂きたいのであります。違うでしょうか?

尊師は、つねに仏教は「心の科学である」と説かれていますが、それについてはご高説のとおりと拝しております。してみると、瞑想の本義は、脳のニューロンの活動をスローにすること、できればアイドリングまでダウンさせることで、心臓と同じく、生まれてから死ぬまで動き続ける脳を、「ねんころろ、ねんころろ」と休ませることだと理解すれば、わたしなりに納得できるのであります。してみると、脳の休息時間ですが、尊師は歩く瞑想は一時間はしなさい、とご指導なされていますが、できるだけ長い時間を瞑想に、つまり脳の休息時間にするのがよろしいことになりますね。それには瞑想の技量、ニューロンの動きをコントロールする技量、concentration 精神統一というより雑念をカットする技量が必要であり、ある程度の修行がとうぜんに必要になりますね。Wat Mahadhatuの指導僧も、意識をbody and mind にのみ注ぐようにと繰り返し述べていました。

だが、瞑想の本義は、あまり宗教とは関係はなくと申し上げましたが、この瞑想を開発したことは、仏教をふくむインド諸宗教の、じつに偉大な成果と感謝いたしております。また、もとより仏教の瞑想は、欧米人の開発した自律訓練療法、自己催眠法のように、たんに脳のリラックスを目的とするだけではなく、人の心の仕組みを見つめることにより、「想」「行」「識」でのニューロン活動による煩悩と「苦」の生成を止滅させ、諸行無常、諸法無我の哲学に導いて、煩悩の沼であがく我々、欲と煩悩の乱れ狂う娑婆世界から離れて、人のあるべき本来の姿、あるべき人間社会を提示し、それによる救済も指向するもの(ではないか)とは、わたしなりに理解あるいは解釈はいたしているつもりでございます。ならば、いいな、ですが。

よし、しっかり瞑想をきわめるか、今そういう決意しております。わたしのグチャグチャな哀れな脳を、前頭葉前野を、側頭葉を、海馬を、わたしの疲れた哀れな心を「ねんころろ、ねんころろ」させたいのであります。すまんがった、こき使い過ぎた、ちょっと休んでくれ、と。昨日のチャンプラヤー河の河畔のスターバックスでの思い付きを、こうして文章化することで、整理がつき、なんとなく独りで納得できましたので、これから外のソイ11に出て、60バーツくらいの路上屋台の朝飯をたべにまいります。

敬具。

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ウッダーラカ・アルーニとヤージニャヴルクヤのアートマン説

1.アートマンについて

世界の成立について、古代インド人は、一般には、世界は最高神、あるいは一なる絶対者によって創造されたと考えたようである。この創造説は発展し、さらに真実なる唯一神を求めた。そしてそれをブラフマンという呼び名でよんだ。ブラフマンは、世界や個々の生き物に遍在しているが、われわれの感覚には識別されず、理性によってのみ識知される。これは実在の中の実在であり、不滅で永遠で遍在で、いつも眼の前にあり、あらゆる存在するものの根源である、という。このブラフマンを認識するには、自分内にブラフマンの分身として内在する我(アートマン)を自覚したときにブラフマンを知ることができるという。いわゆる梵我一如の思想である。

前田専學は『インド思想史』16頁以下で、「人間の肉体は、死とともに滅びるが、その霊魂は不滅であると信じられていた。このような霊魂は【リグ・ヴェーダ】ではアス(生気)あるいはマナス(意、思考)と言われる。後世、プラーナ(気息)、アートマン(自我)などの言葉で表され、ことにアートマンはウパニシャッド哲学思想の中心的概念となる」と解説する。

アートマンのサンスクリット語atmanの動詞はanで、「呼吸する」の意味をもつとか。これの名詞形がアートマンで、生命の根源と考えられる霊魂の意味をもつようになる。パーリ語ではアッタンとなる。この語は身体、さらに自己という意味に変化するが、バラモン教の教義では、ブラフマンが流出転変して、われわれの生命、あるいは霊魂として内在しているのがアートマンと考えられるようになったとされる。

これについて、金倉圓照『インド哲学史』27頁以下は、「ウパニシャドに於いてブラフマンの観念が大切なのは、それが最高原理としての位置を確定したというだけに終わるのではない。むしろ他の原理アートマン(我)と同一視せられ、梵我同一の自覚の下に、繰り返し宇宙の本体としての思弁の対象にのぼらせられた所に、歴史上の重要性がある」と解説する。金倉前掲書28頁以下は、「われわれはブラフマンとアートマンの2個の原理の発見をみたわけであるが両者は共に宇宙創造の根本原理とせられ、また万有する力と考えられてきた。また一方では、大宇宙の現象と小宇宙としての人間の機構機能は、相即するとの考えも行われていた」と解説する。

すなわち、梵我一如の思想の成立である。前田専學も『インド思想史』22頁以下で、「ウパニシャッドの哲人たちは両原理の発見に終わったわけではない。かれらはさらに進んで、個人の本体であるアートマンは最高実在ブラフマンと同一である(梵我一如)と説くに至った。多くの学者はこの同一説がウパニシャッドの中心思想であると解している」と述べる。また、「今日に至るまで至るまでインド思想の主流を形成している」とする。

2.ウッダーラカ・アルーニのアートマン説

インド哲学に現れる因果論は、大きく分けて二つあり、自我も世界も唯一なるブラフマン(梵)から流出転変したと見る正統バラモンの転変説(パリナーマ・ヴァーダ)と、唯一なる絶対者を認めず個々の要素が常住であるとして、それらが集まって人間や世界が成立していると見る積集説(アーランバ・ヴァーダ)に分かれる。こういう二つの考え方の基礎は、ウパニシャッドの時代に形成されたものである。

インドにおける最初の哲学者は、ウッダーラカ・アールニであるが、これについて宮元啓一『インド哲学七つの難問』185頁以下は、「流出論は、すべて世界の始まりについて語る。ウッダーラカ・アールニの有名な有の哲学は[太初、世界は有のみであった]という一元論的主張から始まる。そして、その有が、おのずから増殖しようと考えた。そこからいくばくかの過程を経て、世界の森羅万象が流出したという」と述べて、ここで流出論的(転変説的)一元論がインド哲学史において完全な形で出現したと解説する。

金倉圓照『インド哲学史』29頁以下は、ウパニシャッド哲学の本領は梵我一如の思弁であるが、ウッダーラカ・アールニは、これを「有」satと規定して、その有からの万物発生を説明する。すべては有から始まり有に帰るのであるが、「この微細なものこそ、一切万有が本性として有するものである。それは真実なるもの、即ちアートマンである。それは即ち汝である、と彼は説いている」と解説する。古代インドにおける梵我一如思想の成立であり、この立場からすれば、ブラフマンは即ちアートマンであり、アートマンは即ちブラフマンである、大宇宙たるブラフマンと小宇宙であるアートマンは、一如であるとなる。

3.ヤージニャヴルクヤのアートマン説

古代インドの二大哲人は、ウッダーラカ・アルーニと、その弟子であるヤージニャヴルクヤとされるが、金倉前掲書31頁以下では、ヤージのニャヴルクヤの思想について、「ウッダーラカの説は、客観的な有の原理から出発し、実在論的な見方で梵我一如を説明している。万有の根源としての元素の観念も、彼に至って始めてはっきりした。しかし、ウパニシャッドには、かような実在論的傾向の外に主観的なアートマンを基礎として、唯心論的に全有の統一をみる思想もある」としてヤージニャヴルクヤの思想を解説する。結論として、金倉は前掲書32頁以下で、「この一切の根源としてのアートマンに関する真理を自覚するのが、哲学の目的であり、人生最高の帰趨であるというにある」と要約する。

これについて、宮元啓一は『インド哲学の教室』60頁以下でヤージニャヴルクヤの思想を説明して、自己は何によっても媒介することなしに、自律的に、自己回帰的にその存在が確立されている。世界は、その自己に認識されることにより初めてその存在が確立される。したがって、このヤージニャヴルクヤが発見した考えは、しばしば「自己一元論」と呼ばれる。「まず最初に自己があり、世界はその後に存在が確立されますから、これを、自己による世界の生成と捉えることが可能になります」と解説する。これは自己から世界が流出するという意味ではなく、自己は世界と関わりなく存立できるけれども、世界は自己に依拠しなければ存立できない、ということらしい。

そして宮元は前掲書60頁以下で、ウッダーラカ・アルーニは「独立自存の唯一の根本的な有から世界が流出するという、流出論的一元論を樹立した」とするが、その弟子であるヤージニャヴルクヤの思想は、「自己一元論であり、自己から世界が流出するという説」と解説する。そして、この有=自己の流出論的一元論は、その後、西暦紀元前後にヴェーダーンタ学派が継承し、ヒンドゥー教に合わせて、有=自己=最高神一元論に仕立て上げたと解説する。

ただ、どのインド哲学の著書も、ウパニシャッド期は、無条件に梵我一如であったとするるが、湯田豊『インド哲学のプロムナード』52頁以下では、初期のウパニシャッド期では、すなわちウッダーラカ・アルーニと、その弟子であるヤージニャヴルクヤの時期には、まだその思想はなかった、存在しないとする。ブラフマン=アートマン説は、すでにインド哲学での公式扱いだが、これはシャンカラの一元論説に基づくと述べる。
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以上のように整理してみると、インド哲学の歴史においての自己認識としてのアートマンから、世界認識、現象認識である梵我一如思想と、自我論が変遷・発展していくフレームと流れが理解できるような気がする。金倉圓照説と湯田豊説の「幻想としてのアートマン=ブラフマン説」は、コンフリクトを起こすのだが、ともあれ、物質主義唯物論の中で、心や魂も脳科学的、あるいはニューロンの組成と脳内ホルモンによる現象と考えさせられてる我々としては、霊魂の実在を確信し、それを思索できわめ、瞑想で直感しようとする知的・精神的努力は、なにやら羨ましいものである。

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サーンキヤ哲学における輪廻主体について

今は昔、東京での交流分析の研修会に参加したことがある。最近、サーンキヤ派の本を読むと、ともに人間心理を三つの構成要素の配分比率として捉えるのが、なかなかに興味深いものだ。交流分析とサーンキヤの人間分析の比較をしようと思ったこともあった。

が、インド哲学のなかで、流出論的一元論、梵我一如をとかないサーンキヤ派は、やはり異質である。ブラフマンとアートマンを出さない。でも異質であるが、それでも輪廻とそれからの解脱を目的とするのは、ダルシャナである。では、なにが輪廻するのか。輪廻主体は、何か。これが、やはり避けて通れない体系の核心となる。無我あるいは非我説、とく仏教では、その教学上の課題で、無我なのに何が輪廻するのかというアポリアに苦しみ、さまざまな理屈あるいは屁理屈を構築したが、経量部、説一切有部、唯識派と、ずいぶんと苦労している。仏教もヒンズー教の一つであり、と私は思うが、仏教も最後は有我論、アートマンとしての輪廻主体の存在をみとめるという汎インド的に方向に流れたが、サーンキヤ派も、その理論構築では、ずいぶんと苦労していると印象する。宮元啓一氏『インドの二元論哲学を読む』でも、このあたりははっきりしない。

まず、古典サーンキヤ体系では精神的存在プルシャ(purusa)が本来いかなる束縛をも離れているとされる以上、輪廻主体としてリンガ (1inga)や微細身( sUksmaSarTra )の存在が想定された。このリンガや微細身については その構成などが必ずしも明らかにされているわけではなく、その点は同体系の大綱を示すイーシュヴァラクリシュナ著 Sjpakhyaharihaにおいても同様である。

近藤隼人氏論文『生死に流転する身体』によれば、SKに対する注釈書 Yuktidipika(YD)をもとに、Mahahhrata(MBh )モークシャダルマ(Moksadharma)部の検討を通じ、イーシュヴァラクリシュナの真意の在処に対して肉薄できるとする。まず、SKにおける輪廻主体議論の端緒としてSKの記述を検討することで、YDを解読の礎石とするとか。最初にリンガの様相を示すSK40−41を掲げる。

リンガは太初に生じ、妨げられることなく、[プルシャごとに]定められ、大(統覚)にはじまり(mahadadi )、微細なるものに尽き(sakSmaparyanta)、享受なくして輪廻し、[統覚]の諸状態によって色づ けられる。( SK 40)例えば[ 画布や壁などの ]拠り所なくしては絵画もないように、[また ]例えば杭などなくしては[その]影もないように。リンガが特殊態という拠り所を離れて( vina viliesaih )存立することはない ( SK 41)。

近藤氏いわく、ここからはリンガ に少なくとも統覚 (buddhi)が含まれることが理解され、”adi”と“ paryanta ”とに対し構成内容の最初最後という意味で対比を見出せ ば「微細なるもの」もリンガを成 すことになるが、その指示内容は判然としない 。そこでSKにおけるリンガの他の用例に目を転ずると、 着目すべきは SK 20 と近藤氏は論じる。 SK 20 ではプルシャとリンガとが結びつくことで、非精神的なるリンガが精神的であるかのようになるという。精神性を帯びるというこの点からすれば、リンガに統覚 ・自我意識 (ahamkara )・マナス(manas )が含まれることは予想されるが、しかし、タンマート(tanmatra)や元素 (bhUta)に精神性が付与されるとは想定しがたい。

そして、SK41の“vinaviaih ”に関しては“ vina avigeSaih ”と読 む注釈書も多く、リンガの拠り所たる“vinaviaih / vina avigeSaih ”が何を指すかという問題は解釈上の難題となっているが、その 解明のカギは SK38−39 にあると、近藤氏は考える 。SK38 では、タンマートラに“ aviSea”、元素に“ vigesa ” という別称が示され、SK 39 では「微細なるもの 」(sakSma )、「 父母から生じるもの 」「 発生したもの 」(prabhUta)として身体と思しき三段階の”vigesa ” に言及されるが、文脈上は一連の”viSesa/avigesa ”が一貫した意味で用いられていると考えるのが普通の発想であろう、とする。

また、SK 39 の”saksma ”は死後消滅する「父母から生じるもの 」との対比から生死を超えて恒常的に存続することが予想されるが、それはいうなれば輪廻主体リンガと同じ位置づけを担うものといえよう。ただし、その場合、“ vina visesih ” の“ viliesa” が三種の“ vi esa ”を指すとすれば、“ suksma ”たるリンガが その”visesa ”を拠り所とするとは考えがたく、しかも誕生後の個々の肉体 を指すと目される「 父母から生じるもの 」を含む “ visesa ” がリンガの拠り所となると考えるのも困難であろう、近藤氏はいう。

リンガが“ visesa ”( 微細身)を拠り所とする以上、少なくとも両者は異なるタットヴァから構成されることになる、輪廻主体として動きを伴う以上、遍在するプルシャとプラクリティがその構成要素となるとは考えがたい、と近藤氏が述べるのは、理屈としてはそのとおりであるが、現代の理屈である。なにせ、あの土地には世俗諦の上に勝義諦があるから。

YD はリンガを形容する「大にはじまるもの 」を八プラーナ(prapastaka )と理解しているが、それは“ pur”、” vac ”、“ manas ”、五風 (prarpa ,apana ,samana ,udatia ,vydna)を指すという。こ の前三者について“ pur ”は統覚にある〈自我意識の状態に対する意識 〉(aharnlcaravasthasamvid ) を指し、“ vac ”は行為器官、” manas ”は知覚器官を指すとみなしている。この“pur ”の解釈は要を得ないが、SK 40 の「大(統覚)にはじまるもの 」からリンガに統覚が含まれることに異論の余地はなかろう、とか。

一方、自我意識やマナスといった他の内官がリンガに含まれるのか否かは判然としないが、YDでは内官と知覚器官が微細であると明言されているため、それらは上でみた「微細」というリンガの構成要件を満た していることになる。加えて胎児の誕生過程において最初に“ asmi ”という意識が入り込むという点は、リンガに自我意識が含まれることを推知させる。また、マナスに関しては明言されないものの、マナス を欠いては対象認識も達成されえず、しかもそれが死後や受胎後にもたらされるとは考えがたいため、マナスをリンガから排除すべき特段の根拠は見出せない。以上より、三内官がリンガの一要素を成すと考え ても大過はなかろう、と近藤氏は整理する。

また、この「 微細」というリンガの条件に照らして、行為器官も微細と考えられていたのであろうか。内官と知覚器官を微細とする根拠として YD は、それらが微細であるが故にその説示は作用の説示をもっ て代えるとする。その 前提からすれば、行為器官も内官や知覚器官 ( sk・28ab)と同様に SK28cd においてその作用が述べられる以上、同じく微細であると考えられる。そして五風も微細と考えられるため 、五風および十三器官 が八プラーナとしてリンガを成すことになろう。無論ヨーガ行者等にのみ認識されるタンマートラのような例外も生じるため、微細であればすべてリンガに含まれるというわ けではな く、” sakSmaparyanta ” はあくまでリンガの必要条件にすぎないと解されうる。そしてこの八プラーナは微細身に分立するとされ、微細身は八プラーナの担持者とみとめ、それは十三器官以外のタットヴァでプルシャとプラクリティを除いたもの、すなわちタンマートラないし元素から構成されることが理解される、と近藤氏は理解する。

器官が微細身に含まれないという点は、微細身に関する諸学匠の見解の中で、微細身が器官を特定の場へと至らしめる旨の記述がみられることからも確証される。さらにまた。大元素から成る粗大なる身体は六 鞘  (毛 ・ 血 ・肉 ・骨 ・腱 ・精液)から成る( sfitkauSika )とされているが、そ もそ も六鞘が 「鞘」( kasa )と称されるのは、それが「八プラーナを伴う微細身」(sUksmdSartrarpsap am )を包み込む(aestana)からであるという。したがって、微細身の構成要素に元素が含まれるとは考えがたいため、微細身はタンマートラによって構成されるものと推知される。近藤氏は、以上のYDを検討する限りでは、SK 41 の“ visesa ” はタンマートラないしタンマートラから成る身体を指していたと結論づけられる、近藤氏は結論する。

それでも、”visesa”と輪廻との関連は判然としないが、輪廻主体に関して一例を挙げれば、個我( saririn )は死後五元素に入ると、聴覚器官などが五種の元素の特性に依拠するという。五風の位置づけこそ不明確ではあるが、この記述からは器官がタンマートラを拠り所として輪廻するという上の見解との類似性も看取される、とか。

結語として近藤氏は、YD を読み解く限りでは、五風および十三器官がリンガとして “ visesa ”すなわちタンマートラ(微細身)を拠り所として輪廻するという構図が想定される。この“visesa ” 解釈は SKの用語法に反する可能性こそあれ、輪廻に“visesa” が伴うのか否かという古来の論題およびモークシャダルマにおける“visesa ” の用法からも確証され、“visesa”は音声などを指す伝統的術語であったことが窺い知れる、とする。
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輪廻は、ややこしい。サーンキヤ派の輪廻主体の議論も、なかなかに要領を得ない。微細身も、もともと問題に無理があるから、誰がしても正しい答えは出ない。またアーヤラ識ほどの完成度はない。宮元啓一氏は、さまざまなインド哲学の解説書を書きながら、これらのダルシャナ人種を「思考の遊び人たち」と表現するのだが、アビダルマや仏教唯識派の仏教側論師たちが、「無我なのに輪廻する」という輪廻思想に対する輪廻主体の説明に大汗をかいたように、ダルシャナ側も大変である。「思考の遊び」というより「辻褄」をいかに合わせるか、理屈と屁理屈をどうつけるか、なかなか困難な話だ。タンマートラ(微細身)を数学における虚数概念のように持ち出したが、なかなか落とし込むのは大変である。プルシャとプラクリティの二元論の中に、輪廻主体である微細身を紛れ込ますのは、二元論の破綻である。世界において論理学を成立させたのは、ギリシャとインドのみだが、そのインド人の実力をもってしても、輪廻の完全な説明は、瞑想と直感的知覚による勝義諦であるとするしかないか。

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バガヴァッド・ギーター

『バガヴァッド・ギーター』श्रीमद्भगवद्गीता、 Śrīmadbhagavadgītā、は叙事詩『マハーバーラタ』の第6巻。ヒンドゥー教最高の聖典とされる。「バガヴァッド」=聖者=クリシュナ、「ギーター」=「歌」である。馬車で戦場に赴くアルジュナ王子に、御者に扮したクリシュナが、 貴族(クシャトリヤ)としての生き方、世界の真理を説く。

物語では、クル国の王が早死にする。王母は王家断絶を避けるため、聖仙ヴィサーヤを招き、亡き息子の王妃2人に子を産ませる。王妃の一人は聖仙の姿を恐れて目を閉じたため、盲目の王子ドリターシュトラを産む。王妃のもう一人は聖仙の姿を恐れて青ざめたため、蒼白の王子パーンドゥを産む。盲目の兄ドリターシュトラに代わって弟パーンドゥが王位を継承、5人の王子に恵まれる。パーンドゥ王は鹿に化身した隠者を射殺したため、呪いを受けて死ぬ。パーンドゥ王の5王子が成長するまで、盲目の兄ドリターシュトラが王位を継ぐ。盲目王ドリターシュトラの王妃は、鉄のように硬い肉塊を産む。聖仙ヴィサーヤがこれを 100 個に分け、乳脂の壺で培養し、100 王子が生まれる。だが、老境の盲目王は弟の息子である5王子に王位を譲ろうとすると、100王子は5王子の殺害を試みる。王位をめぐって、骨肉の争う内戦が勃発する。アルジュナなど5王子はクリシュナに加勢を求め、軍を率いてクルクシェートラの戦場へ向かう。

• 「両軍の間に私の戦車を止めてくれ。不滅の人よ」
• アルジュナはそこに、父親、祖父、師、叔父、兄弟、息子、孫、友人たちが立ってい るのを見た。…
• 「クリシュナよ、戦おうとして立ち並ぶこれらの人々を見て、私の四肢は沈み込み、口は干涸び、体は震え、総毛立つ」
• クリシュナよ。戦いにおいて親族を殺せば、良い結果にはなるまい。
• 私は勝利を望まない。王国や幸福をも望まない。…王国が何になる。享楽や生命が何になる。
• (敵が)武器を持たず無抵抗の私を殺すのなら、それはより幸せなことなのだ。
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別臭く語る。
• この全世界を遍く満たすものを、不滅であると知れ。この不滅のものを滅ぼすことは、誰にもできない」
• 「人が古い衣服を捨てて、新しい衣服を着るように、主体は古い肉体を捨て、他の新 しい身体に行く。
• 生まれた者に死は必定であり、死んだ者に生は必定である。それゆえ、不可避のことがらについて、あなたは嘆くべきではない」
• 「あなたは自分のダルマ(義務)を考慮しても、慄くべきではない。
• クシャトリヤ(貴族)にとって、義務に基づく戦いに勝るものはないから。
• あなたは殺されれば天界を得るし、勝利すれば地上を享受するであろう」
• 「それゆえ、アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意をして。
• 苦楽、得失、勝敗を同一のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない」
• 「以上、サーンキヤ(理論)におけるブッディ(知性)が説かれた。
• 次にヨーガ(実践)におけるブッディ(知性)を聞け。
• あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない」
• 「海に水が流れ込む時、海は満たされつつも不動の状態を保つ。同様に、あらゆる欲望が彼の中に入るが、彼は静寂に達する。
• アルジュナよ、これがブラフマンの境地である。…臨終の時においても、この境地にあれば、ブラフマンにおける涅槃に達する」
• 「彼にとって、この世における成功と不成功は何の関係もない。また万物に対し、彼が何らかの期待を抱くこともない。
• それゆえ、執着することなく、常になすべき行動を遂行せよ。実に、執着なしに行為すれば、人は最高の存在に達する」
• 「こころが平等の境地に止まった人々は、まさにこの世で生存(輪廻)を征服している。知性が確立し、迷妄なくブラフマンを知り、ブラフマンに止まる人は、好ましいものを得ても喜ばず、好ましくないものを得ても嫌悪しない」
• アルジュナはたずねた。
• 「それでは、クリシュナ。人間は何に命じられて悪を行うのか?望みもしないのに」
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「それは欲望である。それは怒りである。…この世で、それが敵であると知れ」
• 意(こころ)が平等の境地に止まった人は、まさにこの世で生存(輪廻)を征服している。
• まさにこの世で、身体から解放される前に、欲望と怒りから生ずる激情に耐えうる者は、専心した幸福な人である。
• 私は全世界の本源であり、終末である。私よりも高いものは他にない。アルジュナよ。この全世界は私につながれている。
• 私は過去、現在、未来の万物を知っている。アルジュナよ、しかし何者も私を知らない。
• この全世界は、非顕現な形の私によってあまねく満たされている。万物は私のうちにあるが、私はそれらのうちには存在しない。
• 私はこの世界の父であり、母である。…主である。目撃者である。住処である。寄る辺である。友人である。本源であり、維持である。
• アルジュナはたずねた。
• 「あなたは最高の秘密を説かれた。それにより私の迷妄は去った。
• 主よ。もし私が見ることができるのなら、ヨーガの主よ。私に不滅なる御自身を見せてください」
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「アルジュナよ。見よ。幾百、幾千と、神聖にして多様なる私の姿を。
• しかしあなたはその肉眼によっては私を見ることはできない。あなたに天眼を授けよう。私の神的なヨーガを見よ。
• もし、天空に千の太陽の輝きが同時に発生したら、それはこの偉大なお方の輝きに等しいかもしれない。
• その時、アルジュナは、神の中の神の身体において、全世界が一同に会し、また多様 に分かれているのを見た。
• アルジュナは言った。
• 「天空に接し、燃え上がり、多くの色をして、口を開き、燃え上がる大きな目を持つあなたを見て、私は心から慄き、冷静さと平和を見出せない。
• ヴィシュヌよ。…どうかご慈悲を。神々の主よ。世界の住処よ」
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「私は、世界を滅亡させる強大なカーラ(時間)である。諸世界を帰滅させるために、ここに活動を開始した。たとえあなたがいなくても、敵軍のすべての戦士たちは生存しないだろう」
• 「それゆえ、立ち上がれ。敵を征服して、繁栄なる王国を享受せよ。彼らはまさに私によって、前もって殺されているのだ。
• あなたは単なる道具となれ。アルジュナ。慄いてはいけない。戦え。あなたは戦いに勝利するであろう」
• アルジュナは言った。
• 「迷いはなくなった。不滅の方よ。あなたの恩寵により、私は自分を取り戻した。疑惑は去り、私は立ち上がった。あなたの言う通りにしよう」

『バガヴァッド・ギーター』は、インド古代文学、哲学の圧巻である。わたしはインド六派哲学でも、サーンキヤ派を「楽しもう」としているが、『バガヴァッド・ギーター』にみられる情念が、精神世界が、『サーンキヤ・カーリカー』の深層を流れるのだろう。バラモン教の基本概念であるダルマと、有神論的な帰依(バクティ)、ヨーガの極致であるギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガの実践による解脱(モクシャ)、そしてサーンキヤ哲学、これらの集大成をなしている。スートラやカーリカより、ギーターのほうが、つまり文学のほうがより強く人の心に影響を与えることを実感する。

『バガヴァッド・ギーター』のとなえる結果を顧みない無私の行為はバール・ガンガーダル・ティラクや、マハトマ・ガンディーを含む多くのインド独立運動の指導者に影響をあたえた。ガンディーは『バガヴァッド・ギーター』を「スピリチュアル・ディクショナリー」と喩え、心の支えとした。

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森山先生の大乗仏教講読セミナーに参加して

Ⅰ.戯論・分別・自性・煩悩・解脱・空を関連付けて述べる
竜樹「中論」をもとに今回講読は行われたが、それは冒頭の八不偈のように日常社会における言語作用の否定からはじまる。つまり既存言語習慣により我々の脳内に構築された思考の形、それが戯論、プラパンチャである。したがって、我々の神羅万象に対する認識は、その思考の形、つまり戯論の枠組みから出ることはできない。なぜなら、人間は言語によって思考する生き物であり、その思考の道具である言語の枠組み、ヴィヤハーラから出るのは、本質的に困難だからである。
その既存言語の言語慣習により、世間を判断し、その枠組みでの判断基準が分別となる。これは、日常世間における概念構造であり、ある意味では言葉そのものである。これを竜樹は世俗諦として定義するが、我々の煩悩も、その分別から発した煩悩を原因とする。
たとえば、バラモン教ではアートマンの存在を絶対の前提とする。いわば人間の魂の実存である。すなわち自性の存在を前提とする。その自性である魂のさまざまな欲望により、その最大は自己の魂の永遠性についてであろうが、煩悩が発生する。
仏教もバラモン教や他のインド哲学と同様に、輪廻転生を前提とするが、自性つまり魂、いわばアートマンが輪廻されると考えるのが、バラモン教や他のインド哲学の立場のようだ。
それに対して、仏教は縁起説や五蘊説の立場から無自性説を唱える。しかし、この立場は、既存の言語習慣の枠組み内では、理解し認識することはできない。
それを認識するには、世俗諦を超えた勝義諦の世界に入る必要がある。これは既存の言語習慣では理解しえない超越的言語の世界である。しかし、竜樹は、その勝義諦の世界に至らねば、解脱し涅槃に至ることはできないと説くのである。
すなわち、縁起により成り立つ「空」の世界である。無自性と空性は、ここにおいて重なる。
因果論においては、戯論が分別をとくり、その分別が煩悩をつくることになるが、諸仏の教えは二諦説により示されており、煩悩を滅尽し解脱するには、まず戯論と分別は世俗諦であることついて知ることが必要となる。解脱や涅槃や空は、世俗諦では理解しえず、勝義諦の立場でのみ、知る事が出来るからである。
我々の意識や分別は、既存言語により、つまり世俗諦の枠の中で作られているが、その既存言語習慣を超越したところでの認識を、仮設としての言語表現として「空」と表現するのであるから、初学者が「空」を理解しえないのは、当然だと考える。
勝義諦の内容を、世俗諦の言語表現で説明するのであるから、これは本質的に不可能ではないかと考える。
Ⅱ.本講読において勉強になった事について
竜樹「中論」をサンスクリット語で読む機会は、あり得ない機会であり、新鮮だった。本題である大乗仏教より、サンスクリット語の性質・構造などに興味が湧いた。
仕事により英語を使う必要がある。またタイに提携先があり、タイ語・中国語も学んでいる。これらは、主語+動詞+目的語の形の文法構造である。これは語順が非常に重要だ。それに対して、日本語・韓国語・モンゴル語、インド諸語等は、主語+目的語+動詞の形をとる。つまり「てにをは」のような助詞を語末に付けることで、個々の語が機能して、とくに語順は問題にならない。
サンスクリット語についても、助詞という形ではないが、格の変化を語尾に付けることにより、語順は問題にならないことが、今回講読で確認できて、新鮮だった。また、タイ語にはサンスクリット語が少し入っているが、男のプルシャがプーシャイ、車のラトナがロットヨイであることに気づき、意味もなく嬉しく感じた。今回講読の副次的な効用である。
2016年8月6日 京都において夏のセミナー

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垢の効用について

会社の女性たちに、タモリ式入浴法 をおしえて、シャンプーはするな、石鹸は使うな。ただ10分以上の風呂につかれと宣布しつづけているが、だれもしない。
歯磨きを使うな、歯ブラシだけでよい、塩で磨くのはよいとも宣布したが、だれもしない。

老人ホーム業者であるから、それなりのアンチエイジングのノウハウはある。長い間、歯みがき粉、練歯みがきを使うと、年取ってから味覚がダメになってしまう。老後に大事な食欲が失われ、確実に寿命も短くなるのだが。また、寝起きの口内は細菌の巣である。朝すぐに水を飲むのはいけない。うがいで吐き捨てるか、歯ブラシを使うのが正しい。食後にすぐ歯をみがくのもよろしくない。唾液の活動を阻止してしまう。食後に三度は大嘘である。うがい程度でよい。

垢(あか)も汚いものとされるが、団塊世代の子供のころは、風呂に入るのは月一、二回くらいの家がおおく、垢だらけであったが、それは汚い。皮膚病もおおかった。しかし、今は毎日、風呂に入るかシャワーを浴びる時代である。
老人ホームでは、家庭でもだが、冬になって、あれだけ一生懸命お風呂で垢を落としたのに背中が痒いくなる人が多い。垢を落としたりないのだと思って更に洗うと、益々痒くなる人が多い。

頭髪もそうだが、頭の地肌(頭皮=スカルプ)をきちんと洗って清潔にしておかないと毛が抜けると、養毛剤、育毛剤の宣伝でばんばん言っている。そこで、はげのお父さんたちが恐れおののいて、あわてて薬用シャンプーを使いつづけるが、どうやら逆に毛が抜けることになるらしい。ところが、ハリウッドでは、逆に、シャンプーを使わないノンプーが流行しているらしい。

小説家の五木寛之氏は80歳近くになって、じつにお元気だが、その五木寛之氏の頭髪を見れば、ふさふさとし黒々としていて、私は見るだけで腹が立つのだが、その秘訣は、「頭を洗わないこと」だそうだから、驚きである。
「そんなに長い間、頭を洗わないでいると臭くなったり、痒くなったりしないですか?」の質問に、五木寛之氏はこう答えている。「一週間だけ我慢すれば乗り越えられる!頭髪のためにも頭皮のためにも、頭は絶対に洗ってはいけない!」
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安保徹ドクターは、免疫力を重要視する著作をいつくも出しているが、その『体温免疫力』では、「お風呂はガン予防・治療の一つの方法」と論じて、「身体のバリアー=脂を守ろう」の見出しで、石鹸・シャンプーは使うべきではない事を主張している。

① 皮脂は、皮脂線から分泌される脂分で、皮膚全体を膜のようにうすくおおうことで、皮膚組織の水分が蒸発しないよう守ってい。いわば皮脂は、体を守るバリアーの役割をもっている。

② むき出しになっている顔には皮脂は多く、服等で覆われている体躯部分は皮脂は少ないので、その皮脂の少ない部分を石鹸で落としてしまうと「皮膚組織から水分が蒸発しやすく」なって肌が乾燥してしまう。

③ 皮膚が乾燥していると、カサカサした表面に「菌やホコリ等の異物がついて刺激し、さまざまな皮膚のトラブルが起きやすくなる。

そして、安保氏は説く。
「お年寄りは、乾燥しやすい冬になると、湿疹が出来やすくなったり、やたらにかゆくなるのは、そのためです。身体を石鹸で洗うのは、お年寄りなら、一カ月に一回程度でもいいでしょう」
なるほど、これはまた聞きだが、ある特養で風呂の嫌いな八十代女性がおり、風呂は月に一度程度だったが、入居者中で、もっとも綺麗な肌をしていたとか。熱心に洗いたがる人ほど、カサカサだったとか。
そして安保氏は「垢」について、さらに語る。「皮膚組織の残骸である垢は、もともと自然にはがれ落ちるものです。<中略>ましてやお湯で身体を流したり、湯船につかっていれば、垢は綺麗にとれます。汚れた皮脂も、お湯なら溶けて流れます。」
「シャンプーも同様の理由で、あまり使用しないことをい勧めします。 ちなみに私は、お湯だけを使って髪を洗っています。そのせいか、かつて白髪ばかりだった頭髪が、黒々としてきました。」

wikipediaは、以下のように解説する。

ヒトの表皮細胞は基底部で幹細胞の細胞分裂によって次々に新生し、これが表層に押し出されるにつれて細胞骨格の一要素である中間径フィラメントの上皮型であるケラチン繊維が細胞内に充填していき、最終的にほとんどケラチン繊維からなる死細胞となる。これが角質であり、陸上脊椎動物の体表はこの角質で保護され、内部の細胞を乾燥などから防御している。角質は死細胞で構成されるため、生きた細胞の代謝は行われない。その代わり次々に下層で新生される角質に置き換わって一定の状態を維持している。このとき、古い角質は垢となって剥がれ落ちる。

ヒトの表皮細胞は人種や個人差によって密度が異なるが、メラニン色素を蓄積して紫外線の防御を行っている。垢として剥がれ落ちた角質は表皮の一部として機能している角質よりも厚く堆積すると、角質本来の淡い色調や、メラニン色素の色が強調され、より濃色の褐色を呈するようになる。また、垢を構成する角質や皮膚分泌物は本来は無臭であるが、皮膚表面の常在細菌によって分泌物が分解されることによって、臭いを発するようになる。垢はこうした代謝産物を保持する機能があるため、入浴などによる皮膚の洗浄を長期間行わないと、その個人特有の体臭は次第に強くなる傾向にある。

垢は皮膚表面に蓄積し、室外に出て活動している場合などには、埃や泥が混じるので黒っぽくなり、入院で入浴できないなど、清潔な条件下では白っぽい。湿ったものは皮膚をこすると粘土の塊のようにこねられた粕になって出、乾燥した状態では粉の塊のようになって皮膚から剥がれる。

人間は長い時間、体を洗わないと皮膚表面の垢の体積は次第に厚くなり、そうした状態が説話の『垢太郎』(後述)の物語の現実感のある要素となっている。ただし厚くなれば体を動かした際にひび割れて剥がれる。あまり垢が堆積すると皮膚呼吸に影響をきたし、体内の水分調節が難しくなる側面があるため、垢が堆積するまで放置するのは健康上あまり好ましくないと言う話もあるが、ヒトの皮膚呼吸の比重はさほど大きくはなく医学上正確な話とは言い難い。

垢は汚いという社会通念がある。しかし垢の落としすぎも、また、まだ機能的な皮膚の角質をも侵食して破壊してしまう恐れがあること、また垢に保持された皮脂腺分泌物などが常在細菌によって代謝された産物は皮膚を弱酸性に保ち、常在細菌叢そのものと複合的に外部からの病原体を排除していることを考慮すると、皮膚の健康上はあまり望ましいものではない。

wikipediaも、「垢の落としすぎは、皮膚の健康上あまり望ましくない」と解説するのだ。

適度の垢は、私たちの皮膚を守るバリアーであり、必要なものなのだ。だが、子供の頃から、石鹸シャンプー、歯みがき、化粧品のコマーシャルの渦で育った私たちは、その商業社会的先入観から逃れられない。垢とりの爽快感、メントールの入った練歯みがきの清涼感から逃れられない。子供のころ、親からさんざん石鹸で綺麗にしないさと怒られたはずだし。でも、安保氏の言うように、自然治癒力、人間本来の免疫力を活用するのが最も正しいのだが。
タレントの福山雅治も、この皮脂のバリアーで自分の肌を守っているのだ。
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というわけで、わが社の女性社員のみなさん。わたしが普段言っていることの理屈が、わかっていただけましたか。あなたが、月に一度しか風呂に入らないのなら、それは石鹸を使いましょうよ、いくらなんでも。ちゃんと垢を落としましょうよ。でも、毎日入るなら、石鹸はご法度なのですよ。適度の垢、つまり皮膚の皮脂バリアーを守りましょうよ。それが正しい自然の養生法なのです。何年後、カサカサお肌と、つるつるお肌のどちらが良いですか。自分の持つ本来の力を信じるのです。

私やタモリの言うことは信じられなくても、福山雅治なら、信じられないかね。だろう? 化粧水、クリームその他の化粧品も、以下同文。コマーシャルにのせられず、研究して、自分の皮膚の輝きを最も活かす方法を探してください。自分に内在する自然の力を信じることです。 Yes, You can !!!!

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日本浄土教の成り立ち

法然上人の浄土教開創とその意義について
1. はじめに
前において中国における浄土教の成立、曇鸞・道綽・善導の教理発展を概観したが、日本浄土教の開祖である法然『選択本願念仏集』は浄土宗の基礎として「ひとえに善導による」宣言するように、それは善導の教えを引き継ぐものではある。しかし阿満利麿が『法然を読む「選択本願念仏集」講義』(阿満2011,:61)で「法然が傾倒した善導は、7世紀を生きた中国人である。法然はひたすら中国の浄土教家たちの書物を読みぬき、ついに阿弥陀の本願に遭遇する。そして、阿弥陀仏の十八願を中心にすべての仏教を再編成してみせたのである。それは善導といえどもなしえなかった作業であり、仏教史全体のなかでも傑出した、まさしく偉業にほかならない」と解説する。
この中国浄土教が、どう日本浄土教として受容され変容発展するかが本設題のテーマと理解して、2においてその教理の発展の概略を述べ、3において、その教理の構造、すなわち阿満利麿のいう「阿弥陀の十八願を中心にすべての仏教」を、どう「再編成」されたかについて述べる。
2.観想の念仏から称名の念仏に
峰島旭雄『浄土教の事典』(峰島2011,:31)によれば、奈良、平安時代の浄土信仰者としては、法相宗の智光、中国に留学して五台山の不断念仏を伝えた天台宗の円仁、三論宗の永観、阿弥陀聖とよばれた空也、密教と新義真言宗の覚?などが知られ、またとくに天台宗の源信(942~1017)の『往生要集』は、それ以降の日本人の死生観に決定的な影響を与えたと解説する。その『往生要集』で実践の中心とされたのは、阿弥陀仏と極楽浄土をありありと思い描く瞑想法、すなわち観想の念仏であった。「南無阿弥陀仏」という仏のみ名を称える称名念仏は、空也のようにそれを民衆に広めた者もいるが、あくまで観想をよくなしえない者のための実践法とみなされていたと峰島は解説する。そして「それを逆転させて、称名念仏こそが極楽往生のための正行であると説いて衝撃を与えたのが法然(1133~1212)である」と述べる。
末木文美士は『思想としての仏教入門』(末木2006,:154)で、源信の『往生要集』の第八観の「是心作仏、是心是仏」とあるように、阿弥陀仏といっても心の外にあるのではなく、三昧状態で達せられる心の在り方が、仏の状態である、すなわち己心の弥陀(浄土)、あるいは唯心の弥陀(浄土)のような傾向をもっていたとする。
また「中国・日本における浄土教の展開をみてみると、中国では天台や禅における唯心の弥陀的な方向が主流であったが、他方では善導にみられるような民衆的な浄土教が発展した。日本においては、平安期には源信に代表されるような観想念仏が展開し、また唯心の弥陀的な方向もみられたが、法然以後、称名念仏的な方向が主流となった」と述べる。また法然は、「偏えに善導に依る」といって、全面的に善導の説に拠り所を求め、称名念仏を主張するとともに、「指方立相」といって、西方に具体的な姿をもった極楽浄土の実在を認めたと述べる。末木は、「したがって、唯心の浄土的な方向とは正反対になる」と解説するのである。
3.選択された教理と浄土宗開創について
阿満利麿は『法然を読む「選択本願念仏集」講義』(阿満2011,:51)で「なぜ法然は従来の仏教では満足できず、新たに【本願念仏】を必要としたのか。そのことを正確に理解するキーワードの一つは【凡夫】という人間観であろう」と断じる。また54頁以下では、「問題は【煩悩】を除去することではなく、【煩悩】の存在を認めた上でいかにすれば【成仏】が可能なのかに答えることなのだ。法然の求道はこの一点からはじまったのである」と述べる。
その教理として、法然は善導の五種の「正行」のうち、第四番目の称名だけを「正定の業」としてとり、あとは捨てるのである。称名念仏だけが阿弥陀の本願にもとづく行であると、『選択本願念仏集』で説くのである。また「十念」という言葉を、念仏を十回唱えるという意味に再解釈するのである。
これが、阿満利麿が前掲書61頁以下で述べる「法然はひたすら中国の浄土教家たちの書物を読みぬき、ついに阿弥陀の本願に遭遇する。そして、阿弥陀仏の十八願を中心にすべての仏教を再編成してみせたのである」と解説する道筋であろうと思われる。
阿満利麿前掲書151頁以下は、客観的に見れば浄土三部経等の経典類では称名一行だけが説かれているのではなく、戒律を守ること、瞑想、道徳的善行の実践、その他浄土に生まれるための重要なさまざまな行為が説かれている。だが法然は、これらの行為を「諸行」と一括してそれらを放棄することを求めた。それは「三部経を称名念仏中心に読み替えてゆく作業だといってよい」と解説する。それが『選択本願念仏集』第六章の「末法万年の後に、余行ことごとく滅し、独り念仏を留むるの文」による宣言である。
こうして専修念仏という、ただ念仏を唱えるだけで阿弥陀仏の救済が約束されるという日本浄土教の教義が確立された。
善導も彼の時代において凡夫は、阿弥陀仏という他力に頼み、救済を願うしかないのだという末世と凡夫思想を説き、中国浄土教を確立したが、法然は、さらに第十八願の「十念すれば」を再解釈して、この第十八願の一フレーズを中心に据え直して教理を取捨選択、再編成し、念仏さえ唱えれば、誰でも阿弥陀仏の救済が約束されるという、ひろく民衆(凡夫)のために新教理を組成した。
4.おわりに
もともと仏教は、修行により自らの煩悩を滅尽し、解脱し、仏になる宗教であるが、善導や法然の浄土教は、文字通り「凡夫」のままで救われる道を説く。人々が煩悩まみれの生活(凡夫)を否定する必要はなく、逆に煩悩を持ったままで(凡夫のままで)救われてゆく仏教なのである。どのような修行をしようと、煩悩を滅するのは、あるいは不可能である。従って、このような人の本性としての「煩悩を認める仏教思想」は画期的であり、どれほど多くの苦しむ人々に救いを与えたかは、想像に難くない。たとえ、仏教本来の哲学、根本教理に反してでもある。
明治期になり、外国人宣教師たちが、キリスト教と浄土教の共通性に驚いたというが、凡夫=原罪の自覚と、人間存在は小さな愚かなものであるとして、祈りを唱える、神仏の救済(絶対他力)にひたすらすがるという共通項があったからと、ふつう解説されている。

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中国浄土教の教義の特色について

道綽・善導の浄土教の教義の特色について
1. はじめに
鎌田茂雄『中国仏教史』(鎌田2004,:192)によれば、中国浄土教は三つの流れに分類出来るとされる。第一は廬山流であり、白蓮社の「観相の念仏」の伝統である。第二は、唐の善導流で、曇鸞、道綽、善導の流れで他力の「称名の念仏」であり、第三は善導の弟子慈愍流の念仏禅である。本設題は、第二の善導流をテーマとする理解し、2においてその教理の発展の概略を述べ、3において、その教理の構造を述べる。
2.報身報土への称名念仏
第一の慧遠の念仏は、初期大乗仏典といわれる『般舟三昧経』に基づいて、瞑想により阿弥陀仏を禅観するという観相念仏であるが、長い修行と実践を必要とする。
第二の善導流は、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三経と、『往生論』の三経一論によっている。
時代的には、曇鸞、道綽、善導と系譜されるのだが、曇鸞(476-542)の著には『往生論註』がある。これは世親の『往生論』の註解であるが、阿弥陀の本願を重んじ、難易二行のうち易行道により阿弥陀の浄土に往生することを説いている。また曇鸞は『無量寿経』を中心に浄土信仰を鼓舞しており、阿弥陀信仰を民衆の中に浸透させている。
すなわち、曇鸞によれば、その時代を正法、像法、末法の時代ととらえるが、像法や末法の時代は、自力で悟りを開くことも、修行をやり遂げることもできない。従って、阿弥陀仏の力で阿弥陀浄土に往生してから、そこで菩薩となって修行し悟りに達するという方法しかない。そのため、この世に生きている間は、ひたすら阿弥陀浄土に往生させてもらえるように阿弥陀仏に願い、救ってもらうのが一番だということになる。
この曇鸞の碑文を読んで、道綽(562-645)も浄土教に転身する。その著述『安楽集』では、時代はすでに末法の時代であり、聖道(自力修行での悟りの道)はこの時代ではかなわず、「末法相応の法」しかなく、それは阿弥陀の本願にすがって、阿弥陀浄土に往生することだけが、唯一救われる道だとするものである。その方法が称名念仏であり、念仏を数多くとなえる功徳によって浄土往生を願うものである。
そして、この道綽の弟子である善導(613-681)は、極楽浄土は実在することを主張した。そして「南無阿弥陀仏」ととなえる称名念仏だけによって、機根の劣った凡夫も悪人も極楽浄土へ往生できると提唱した。
だが、このような曇鸞?道綽?善導の立場は、それまでの隋および唐初期の他の論師とは異なる見解であった。西本照真は『仏と浄土・大乗仏典Ⅱ』(西本2013,:285)で、東アジアにおける浄土教の多様性を解説し、中国仏教における、浄影寺慧遠(523~592)の『観無量寿経義疏』・天台智顗(538~59)の『観無量寿経疏』・嘉祥寺吉蔵(549~623)の『観無量寿経義疏』などによる浄土教解釈と道綽・善導などの浄土教解釈は、「応身応土」と「報身報土」の解釈によって明確に相違すると述べる。
大乗仏教の三身仏の考えで、 法身仏とその浄土・領域である法身土=法身法土は、時空間の制約も主体・客体の関係もない一如・真如の境地となる。応身応土は、煩悩を持った凡夫や未だ修業途中の仏=応身と、その限定された凡聖同居の浄土・領域=応土の事である。浄影寺慧遠や天台智顗は、『無量寿経』や『観無量寿経』の阿弥陀仏とその浄土を、こうした応身応土と考えていた。そして、悟りを開いた菩薩と発願を成就した浄土・領域=報身報土については、そうした諸師たちは、それぞれの菩薩の悟りの程度により報土に違いがあるとしていた。
西本は、『観経』に説く阿弥陀仏の仏身仏土を、浄影寺慧遠は真応二身説では応身として、吉蔵は西方の阿弥陀仏の浄土は三界の所摂である凡聖同居士とみなしていたと解説する。「往生人の素質と往生すべき浄土との対応関係で見れば、劣った凡夫は劣った浄土に往生するというのが当時の仏教界の常識であった」と解説する。
それに対して道綽・善導は阿弥陀仏身土を報身報土と捉えている。西本は同書286頁以下で、これに対して善導は阿弥陀仏の仏身仏土に報身報土という高い位置づけを与えたうえで、「凡夫も仏願の強力な縁によって西方の阿弥陀の浄土に往生できるとしている」と述べ、阿弥陀仏の本願力により、劣機の凡夫も往生できるという「常識的な対応関係を逆転させた大胆な発想が見受けられる」と述べる。そして善導は、凡夫の往生のための方法論として、往生の行業として五つの正行とそれ以外の雑行の二行に分け、さらに五つの正行の中で称名正行を正定の業として浄土往生の中心的実践として、その他の四つの正行を助業とした。これを西本は「浄土に往生するための行の中で称名念仏の行に選択的一元化がなされた」と論じる。
『浄土教史概観』(佛教大学,:125)によれば、「かれは道綽によって開示された末法相応の法の浄土教をさらに発展させて、本願念仏による凡夫往生の教えとして、浄土教の綱格を組織し、長安を中心にひろく通俗を教化した」と解説する。
3.凡夫往生の教理について
大乗仏教の発展とともに仏国土すなわち浄土という思想がすすんだ。小乗仏教においては、さとりへの道としてすぐれた修行者はまず阿羅漢となり仏陀となるが、大乗では菩薩となり如来となる。その時に菩薩ごとに、つまり如来ごとに一つの仏国土を持つことになる。
まず菩薩たらんとする者は、総願(度・断・知・証、四弘誓願)と別願を立てる。そして浄土宗で最も希求されたのが阿弥陀仏である。すなわち、法蔵菩薩が四十八の別願を立てておこした浄土、西方浄土である。その教理は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経に示されている。
その『無量寿経』にある法蔵菩薩(阿弥陀仏)の第十八願「念仏往生の願」に辿り着く。念仏を唱え者には阿弥陀仏が来迎して、極楽浄土に導いてくれるという功徳であるとする教義である。つまり、極楽浄土は死後世界として存在しているとみなされており、そして道綽は道の廃れた末法の時代は、自力往生は不可能であるとし、また善導は、浄土教独自の立場として、すべての者、凡夫である普通の人間でも、心に三心を具足して称名念仏だけをすれば、仏の本願によりたやすく西方極楽浄土に他力により往生することができると主張した。佛教大学前掲テキスト126頁以下は、善導は「十方諸仏のうち西方阿弥陀仏の独尊性を主張するばかりでなく、インドの龍樹以来あい伝えられて来た称名念仏の教えに新しい意味を見出し、本願の念仏なりとうして、たとえ凡夫であっても阿弥陀仏の浄土に生まれることができると説いて、ひろく民衆救済の浄土教を組成した」と解説する。
すなわち、道綽は「末法」という自覚をバネにして浄土門に入ろうとしたが、また善導もこの時代において凡夫は、阿弥陀仏という他力に頼み、救済を願うしかないのだという末世と凡夫思想を説き、中国浄土教を確立したのである。
すなわち無数の仏典の中から、阿弥陀仏の第十八願を宝石として抽出し、さらにこの第十八願を中心に据え直して教理を選択的に編成し、出家者、特権的な一部人士のためではなく、ひろく民衆(凡夫)のために新教理を組成し、新宗教、民衆宗教を打ち立てたのである。それは、信仰対象を阿弥陀仏に一元化し、阿弥陀仏の仏身仏土を報身報土とし、時代とそこに生きる人々の資質に適合した易行(称名念仏)により、凡夫が、無学でも貧困でも、悪人でも救われる、阿弥陀仏の本願力により人間はみな救われるという宗教、浄土教である。

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大乗思想史 中観

インド中観派の歴史と諸論師の著作、その思想について
1.はじめに
この中観派の「空の思想」は、初学者には、きわめて難問・難解である。学習とは、知識を自己の脳内において、言語的に習得・整理することであるが、真義諦と世俗諦という立場で、日常言語と言説を否定することにより成立しているのが「空の思想」である。また型式論理学とも、おおきく違う発想ともされる。それを瞑想や覚体験の無い初学者が言語的に、つまり世俗言語で、世俗言語による理解を否定する思想を理解するのは、本質的に無理があると愚考する。
以下、2.において中観思想の概略を整理し、3.において、その歴史を整理する。
2.中観派とその思想について
中観派は、ナーガルジュナ(竜樹、二-三世紀頃)に始まる。ナーガルジュナの主著の『中論』を論拠として、一切の「空性」を中心教説とする。従来のアビダルマ哲学、説一切有部などでは、五位七十五法など「法」の実体性(実有論)が主張されていた。これは一種の原子論であり、原始仏教の諸法無我の教理から大きく逸脱する。だが『中論』では、すべての現象は、存在現象も含めて、原因(因)と条件(縁)によって生起(縁起)しており、それ独自の固有な本性はなく「無自性」である。存在現象自体が「空」であり、存在現象は「空性」を持っている。「縁起」、「無自性」、「空」を同じ意味で、また「仮」、「非有非無」、「中道」もほぼ同じ意味使い、すべての存在は固有の実体を持たない「無自性」であり、「縁起」すなわち相互依存性により存在すると断じる。
ナーガルジュナの主張は、『中論』の、第24章18詩である、「衆因縁生(因縁所生)の法、我即ち是れ無(空)なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦是れ中道の義なり」にまとめられる。因縁(縁起)=空=仮名=中道である。「相依性」に則った「無自称」「法空」、すなわち「法(ダルマ)すらも仮のもの」という考えが主張された。さらに二諦説として、言語表現の限界性を説いて、世俗諦と勝義諦を提唱した。
末木文美士『思想としての仏教入門』72頁以下は、これを、無我=縁起=無自性=仮に設定されたもの(仮)=中道 と説明する。
3.中観派の教義と教義変遷の歴史について
この中観派の歴史は、三期に分けられるようである。以下、それぞれの論師とその著述を整理するが、原著を読んで理解しているわけではないので、概観的整理である。
初期中観思想
二世紀頃から三世紀頃、後世、中観派の祖のナーガルジュナ(龍樹)によって般若経典群において称えられていた空、無自性などの思想に哲学的基礎が与えられた。ナーガルジュナの著書とされる文献が数多く残っているが、真作として確実に認められるのは、『中論』である。これは、その後、中観派の根本テクストとして研究され続けた。『中論』にはサンスクリット本、チベット訳本、漢訳本が残っているが、漢訳本の場合、青目(ピンガラ)という人の註釈が附されている。また、ナーガルジュナの著書とされる『十二門論』、『大智度論』がある。
このナーガルジュナにはアーリヤデーヴァという弟子がいたと言われる。その著書に『百論』、『四百論』などが残っているが、『百論』の方は漢訳本のみ現存し、『四百論』についてはチベット訳の完本の他に部分漢訳、サンスクリット本の断片が残っている。
さらに、アーリヤデーヴァには弟子としてラーフラバドラがいたとされる。著書としては『讃般若波羅蜜多偈』、『法華讃』のサンスクリット断片が残っている。四世紀頃になると、後に中観派と並んでインド大乗仏教を二分する唯識派が登場するが、先述のピンガラ(青目)が活躍したのもこの頃だと見られる。
中期中観思想
中期中観派においてはその論証方法をめぐって帰謬論証派と自立論証派に分裂した。帰謬論証派は、「空」でないと前提すると矛盾することを示すことで、帰納法的に「空」を論証する。自立論証派は、唯識派のディグナーガ(陳那)が作った論理学を使って、「空」を直接的に論証しようとした。
五世紀頃になると、ブッダパーリタが登場し、『中論』の註釈(『ブッダパーリタ註』)を行ったが、彼は帰謬論証によって『中論』の思想を基礎づけようした。六世紀になると、ディクナーガらによって仏教論理学や認識論が確立された。この成果を受け入れてバーヴィヴェーカが定言的推論によって中観派の思想を論証しようとした。また、ブッダパーリタによる帰謬論証による中観思想を批判した。この立場が自立論証派である。バーヴィヴェーカの著書には、『中論』の註釈である『般若灯論』、『中観心論』、『大乗掌珍論』、『異部分派解説』などがある。
七世紀になると、チャンドラキールティが登場し、バーヴィヴェーカらによる定言的推論による中観思想の論証を批判し、中観思想を論証し得るのは帰謬論証のみであると主張した。彼には『明句』、『入中論』などの著書がある。
同時代にアヴァロータヴラタがいるが、彼は自立論証派の立場から、バーヴィヴェーカの『般若灯論』の優れた註釈を書いている。
後期中観思想
また、八世紀以降の後期中観派では、中期までは唯識派に対抗意識を有していたが、中観派は唯識派に接近し、かつ中観派に統合しようする動きが見られる様になった。そのため、この時期の中観派は瑜伽行中観派とも呼ばれる。
八世紀に活躍したシャーンタラクシタは三蔵玄奘も留学したナーランダー寺院の学僧であるが、チベット布教にも貢献する。その著書の『真実綱要』の中で仏教以外のインドの諸思想、アビダルマなどを批判するとともに、唯識派の外界実在論批判に同調、『中観荘厳論』でも仏教内外の諸思想を批判したが、唯識派を称揚しつつ、だが中観派の教法を最高として位置づけた。彼は中観派の中でも自立論証派の立場に立っていたので、チベット仏教はその影響下にある。
シャーンタラクシタの高弟のカマラシーラは師の『真実綱要』や『中観荘厳論』などを註釈するとともに、チベットに赴いた際に仏教入門書である『修習次第』を著した。その中でその当時のチベットで流行していた中国禅宗の頓悟説を批判して修行と教学の階梯の重視を主張した。
同時代のヴィムクティセーナも自立論証派の人で、唯識派の伝説的始祖であるマイトレーヤ(弥勒)の著とされる『現観荘厳論』の註釈を著している。九世紀のハリバドラはヴィムクティセーナの弟子と言われ、彼も『現観荘厳論』の註釈を行っているが、その中で説一切有部、経量部、唯識派を批判して無自性を論証し、中観派を最高の教法としている。
十世紀頃になると、ヴィクラマシーラ寺院の学僧にジターリが登場し、彼はその著『善逝宗義分別』の中で説一切有部、経量部、唯識派、中観派といったインド仏教の四大学派を紹介解説し、その中で中観派を最高と位置づけているまた十世紀から十一世紀にかけてラトナーカラシャーンティが『般若波羅蜜多論』を著して形象虚偽論系唯識論を完成させるとともに、唯識派と中観派の一致を称えた。
さらに、チベットにも中観派の教えが伝えられツォンカパ(1357-1419年)などに継承されている。現在のダライ・ラマ十四世も中観帰謬論証派の系譜に属している。
4.おわりに
だが、無我と輪廻説は初期・中期仏教の大きな教義基礎でもあるが、矛盾し、両立を説明するのが困難とされる。輪廻説は、死にも滅することがない永遠不変の実体を認めずして成立し得るか。アートマン(我)を否定して輪廻説、つまり仏教の基本教義は成り立つのか。中観派は輪廻する実体を否定し、唯識派は、アーラヤ識のなかの種子という実体的観念(刹那滅であり実体でないと論じるが)の採用により、これを解決しようとしたが、仏教思想史は、結局、この問題の完全解決を得ることはなかったようである。
つまり、中観派の無自性、無我の立場からは、この輪廻の矛盾を説明するのは困難ではないのか。つまり存在論、あえて言えば宗教の最大テーマである魂の存在である。最近では、宮元啓一の無我ではなく「非我説」もあるが、これは以後の学習課題である。

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英語を習う

夏もさかりだというのに、京都市で英訳された源氏物語、枕草子、平家物語について教えられ、さらに英語で俳句をつくらされたのだが、せっかくだから、すこし感想をまとめようじゃないか。

まず、日本文学の英訳の可能性、あるいは不可能性について論じる

ペンは剣よりも強しの英語「The pen is mightier than the sword.」をフランス語に翻訳し、さらにロシア語に翻訳して、元の英語に再翻訳すると「ワインはパンより美味しい」となるという記述を、かって読んだことがある。今回授業において、『源氏物語』「桐壷」等の一部を行ったが、翻訳の困難さ、異文化理解の根本的な不可能性について納得した。

たとえば『源氏物語』「桐壷」原文は、「いよいよあかず あはれ なるものに思ほして」であるが、この「あはれ」は学校での古文解読のキーワード的表現である。

W 訳は、far from wearying of her
S 訳は、pity
M 訳は、pitied
T 訳は、less and less do without her
である。

現代語では「哀れ」と言えばかわいそうの意味である。が、古文の「あはれ」も、かわいそうの意味もあるが、しみじみとした趣、感動という意味がほとんどである。「をかし」も趣があるという訳なので似ているが、「あはれ」の「しみじみとした趣」というのは、心が強く揺さぶられたとき、心が激しく動くさまを言う。
何か予期せぬものを見たり聞いたり、あるいは経験した時、あまりの思いがけなさに心が激しく動いた時、この「あはれ」という言葉を使う。満開の桜の花が咲きの見つけた時、また、美しい女性を見かけて、ひとめぼれしてしまったときも「あはれ」と言う。誰かの不幸な身の上話を聞いて、かわいそうになってもらい泣きをした時も、「あはれ」と言う。日本の古語は、きわめて語彙数が少ないのである。現代語なら、さまざまな表現があるが、古語では、感情、感興は、「あはれ」と「をかし」程度しかない。それほどの語彙が必要のない時代であり、古文の感情・感嘆表現は、たいがい「あはれ」と「をかし」程度なのである。

たとえば『枕草子』「九月ばかり、夜一夜」でも、「蜘蛛(くも)の巣のこぼれ残りたるに、雨のかかりたるが、白き玉を貫きたるやうなるこそ、いみじう あはれ に をかしけれ」とあるように、どちらかと言えばポジティブな感情を表現する。つまり「pity」とは、ずいぶんと意味が違う。
ちなみに、教材の現代語訳でも、その部分は「これまで以上にかわゆくてかわゆくてたまらなくお思いで」としている。このように「あはれ」は心が強く動けば自由に使ってよい言葉なので意味はいろいろとある。「あはれ」は、文脈に合わせて自由に訳して良い単語なのである。となると、4訳者の理解内容と程度が問題となる。

コミュニケーション理論において、聞き手は発話の意味を、自分にとって関連性を持つものと仮定し、コンテクスト(文脈や状況)に応じた推論によって解釈するとされる。さらに「ロー・コンテクスト(Low context)、ハイ・コンテクスト(High context)」という概念は多文化間でのやりとりをしていく上で非常に重視される概念である。コンテクストは、「文脈・背景」などと訳されており、ロー・コンテクストとは文脈や背景や共通の価値観に頼る傾向が低く(ロー)明確な言葉によるコミュニケーションにより信頼を置くもの。ハイ・コンテクストは言葉だけでなくその他すべての要素をコミュニケーションの手がかりにし、文脈や共通の知識に頼る割合が高く(ハイ)なるとされる。たとえば、余計な説明のいらない「あうんの呼吸」は、ハイ・コンテクストの典型例である。だが逆に、異言語、異文化の交流は、このロー・コンテクストの典型例であり、その歴史的・文化的背景は何なのかを双方が理解せねば、多様な文化間で交渉したりコミュニケーションしていく上で非常な困難をもたらすことをロラン・バルトが指摘している。

異質言語構造間での異文化伝達と翻訳であるから、その困難さと、ロラン・バルト的解釈、意図的誤読、あるいは無意識的誤読は避けられないことであろう。これは、やむを得ないことであろう。
これを避ける方法は、おそらくあるまい。あるとすれば、ウラジミール・ナボコフのように、著者本人が複数言語に熟達し、ロシア語、フランス語、英語で、自分の作品を数か国語で発表できる例外者のみであろう。

それほど英訳もされておらず、それほどの海外読者がいない川端康成がノーベル文学賞をとれたのは、あれはまわりもちであり、英語圏だけではなく、ほどよくアジアにも配分される。各国のペンクラブの会長になればとれるとされるが、川端康成は、とれた。そこで井上靖もなんとか日本ペンクラブ会長になり、秋のノーベル賞シーズンは、いつもそわそわしていたらしいが、はずれた。彼の作品は、ほとんど英訳されておらず、海外ではつまり「存在しない」からである。その意味では、村上春樹はラッキーであろう。
ただ、英訳された日本文学は、あくまでもフェイクに過ぎないのではないかとも印象するが、いかがだろうか。「あはれ」と「pity」では落差があまりにも大きい。

まあ、無理やろうなあ。以上は、内藤先生への解答。

以下は、はじめての俳句の英訳作業。

秋深き 隣は なにをする人ぞ

Deep autumn’s here,
Day by day,
What does neighbor thinking about?

雀の子 そこのけ そこのけ お馬が通る

You little little sparrow,
Get out, get out there,
The big horse coming, coming soon.

以上かなあ。まあ、ええか。

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中観思想と唯識思想の相違点を整理する

1.はじめに
チベット仏教界においては、仏教哲学を説一切有部、経量部、唯識派、中観派の四つにわけるらしい。その中観派と唯識派の相違について、鎌田茂雄は『華厳の思想』152頁以下で、「法蔵は大乗始教を二つに分けて考えていく。一つは空始教、一つは相始教である。空始教は、諸法がすべて皆空であるという、大乗仏教の出発点になる教えという意味であり、相始教は、諸法の性相をあきらかにした大乗仏教の出発点の教えという意味である。相始教はイコール唯識になる。空始教はイコール中観になり、経典としては空を説いた般若経が入り、論では中論、十二門論がふくまれる」と概括する。
また、仏教の基本教義に無我論があるが、部派仏教においては説一切有部の五位七十五法のように物事の実体を認める所説も出た。中論は、それに対して「空」を説き、物事は縁起により成り立つのであり、実体は無いことを論証するのだが、副島正光『大乗仏教の思想』157頁以下は、大乗仏教史は「基本的な思想史の観点からすると、無我・無常の思想と、それと相反することになる人我・法我の思想との交代、もしくは交錯史として捉えることができる。もともと仏教は無我・無常の原始仏教から始まるので、実質的には人我・法我を説く場合でも、形の上では無我・無常と矛盾しないと説明する場合が多い。しかしそこにはどうしても無理が見られる」と論じる。さらに「仏教はゴータマの原始仏教より始まった。やがて部派仏教の時代になると、人我・法我を実質的に説く学派が出てきた。初期の般若経典に代表される初期の大乗仏教は、もう一度無我・無常に帰る運動であった。しかしやがて、大乗仏教の中にも実質的に人我・法我を説くものが出てきた」と概括する。
以下、上記の鎌田・副島の枠組みより、2において中観派の立場、3において唯識派の立場を整理し、4において仏教の実在論と中観派、唯識派の差異を整理する。
2.説一切有部への中観派の批判と空の思想
部派仏教での有力教団である説一切有部では、原始仏教の諸法無我の立場から離れ、五位七十五法の説を立てて、原子的な要素や原理が、不変のものとして存在すると考えた。三世実有、法体恒有、法は常住という立場だが、これは仏教古来の無常説と矛盾をきたすことになる。
初期大乗仏教においては、とくに「空」の思想を唱えるいくつもの般若経典が出現する。副島前掲書102頁以下は、「仏教思想史的に見るとき、結局般若経典の空は、正しい縁起の考え方を再説していると見られる。つまり正しい縁起の考え方は、いかなる実体も立てない見方であったからである。般若経典はそれに先行する部派仏教において、法を実体視する部派があったことを念頭において、否定的にひびく【空】の語を殊更用いたと見られている」と述べて、縁起を説いたゴータマの原始仏教を復活したと解説する。
その説は三世紀の龍樹により理論的に組み直されるのだが、ここでは説一切有部の実体説に反対する。正木晃『あなたの知らない仏教入門』197頁以下は、それを要約して、「龍樹にいわせれば、この世の森羅万象は互いにかかわり合うことによってのみ成立している。だから有でもなければ、無でもない。永遠不変の実体をもたず、つねに変転して止まない。つまり、無常なのだ。ところが人間はそれに執着してしまう。そこに、迷いの根本原因がある。したがって、悟りを得たいのであれば、なにをおいても、まず最初にこの世の森羅万象が【空】になることを認識すべきだ」と説明する。
その主張は、『中論』の、第24章18詩である、「衆因縁生(因縁所生)の法、我即ち是れ無(空)なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦是れ中道の義なり」にまとめられる。因縁(縁起)=空=仮名=中道である。「相依性」に則った「無自性」「法空」、すなわち「法(ダルマ)すらも仮のもの」という考えが主張された。さらに二諦説として、言語表現の限界性を説いて、世俗諦と勝義諦を提唱した。
小乗仏教の「空」は「人空」とよび、直線的に縁起する個人の因果関係とされるが、龍樹の立場は、相依性であり、外界すべてを説明する「法空」と呼ばれる。
3.ヨーガ修行者の唯心論
大乗の学派としては、中観派と唯識派があるが、唯識派はヨーガの行と相まって、識への考究を深めた。四世紀に、マイトレーヤが学派として成立させ、その後アサンガ(無著)、弟のヴァスパンドゥ(世親)に至って完成した。
ある意味、徹底した唯心論であり、外界は存在せず、それはただ識の作用の結果でしかないとすら考える。これは「空」の思想と一致する。だが、さらに識を八つに分ける八識の説を立てる。原始仏教の六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)に七識目としてマナ識を、八識目としてアーラヤ識を立てる。マナ識は、われわれの我執であり、日常意識であるが、アーラヤ(蔵)識は、いわば深層意識であり、カルマは種子としてアーラヤ識に蔵されており、それが認識活動(現行)を行わせるとする。さらに、認識と存在の形態としての三性説を説く。
4.輪廻の主体と中観派と唯識派の立場
仏教思想史の難問に、無我説と輪廻説の矛盾問題がある。はたして仏教の前提とされる輪廻説は、死によっても滅することがない永遠不変の実体を認めずして成立し得るのかどうか。アートマン(我)を否定して輪廻説は成り立つのか。無我説を主張する以上、輪廻説は否定されなければならない。逆に言えば、輪廻を説く学派は、それをどのようなロジックで説明しようと、アートマン(我)を肯定したことになるのではないのか。
副島前掲書181頁以下では、この輪廻する主体に関する唯識派の立場について、種子識であるアーラヤ識は刹那滅であるとされるが、「一種の不変的な個我のように思われがちである」として、唯識派は、「つまり一瞬一瞬滅しながら、しかも継続していると説くのである。このように説くことによって、原始仏教以来の無常・無我と調和を図ろうとしている」と解説する。「摂大乗論でも、種子(アーラヤ識)は刹那滅であるという。それでいながら連続性もいう。この辺にやや無我・無常に反する要素が、盛り込まれている」と、唯識派の理論の苦しさを解説する。
これは中観派から、実体視されやすいものとして、きびしく批判されたようである。また、唯識派の提唱者の一人であるヴァスパンドゥは、原子の存在を説く説一切有部の理論をまとめた『アビダルマ・コーシャ』の著者でもあり、この著は、刹那滅による心の相続を解説するものでもある。
また宮元啓一は『インド哲学七つの難問』105頁以下で、唯識説は、公式には自己の存在認めない無我説前提としているが、古代インド哲学であるヤージュニャヴァルキヤの概念を忠実に継承したものであり、「ゴータマ・ブッダを飛び越えて、はるか昔へと先祖返りしてしまっている」と論じて、無我ではなく有我の立場だと解釈する。
前述のように副島正光『大乗仏教の思想』157頁以下は、大乗仏教史は「基本的な思想史の観点からすると、無我・無常の思想と、それと相反することになる人我・法我の思想との交代、もしくは交錯史として捉えることができる」とするが、中観派は無我・無常の思想に立ち、唯識派は人我・法我の思想に立つようである。
無我と輪廻説は初期・中期仏教の一つの基礎でもあるが、矛盾し、両立を説明するのが困難である。輪廻説は、死にも滅することがない永遠不変の実体を認めずして成立し得るか。アートマン(我)を否定して輪廻説は成り立つのか。中観派は輪廻する実体を否定し、唯識派は、アーラヤ識のなかの種子という実体的観念(刹那滅であり実体でないと論じるが)の採用により、これを解決しようとしたが、仏教思想史は、結局、この問題の完全解決を得ることはなかったようである。やがて如来蔵思想のように、とうぜんにアートマン(我)は存在するものとして全面的に肯定されるようになる。さらには、密教のように、いわゆるバラモン教の梵我一如と同様の宇宙観を展開するようになる。

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インド哲学を整理する

二大哲人
ウッダーラカ・アルーニ(前八世紀)
打ったか、アルマーニで。有で流出やん。
無から有が生じることはなく、有は有からのみ生じるが基本テーゼ。
②独立自存の唯一の根本的な有から世界は流出するという、流出論的一元論を樹立した。
③有は、世界の森羅万象の中に自己として入り込む。
④したがって、有一元論であると同時に自己一元論でもある。
⑤自己から世界が流出するとの説でもある。
⑥有=自己流出的一元論は、西暦前後にヴェーダーンタ派が継承し、ヒンドゥー教にあわせて、有=自己=最高神一元論に仕立てた。
⑦因中有果論であるが、しかし、後に、世界は多様性を特徴とするが、その多様性がなぜあり得るのか、結果である世界に多様性があるのだから、原因である根本的な一元論にも多様性がなければならない。一元から多様性が生まれるでは矛盾である。
⑧サーンキャ派は、この流出論的一元論の難点を克服するために二元論をたてた。
→自己と根本原質の二元がある。自己が根本原質に関心を持つことにより、根本原質から世界が流出する。根本原質は、特性のことなる三つの従属要素の均衡状態であり、このときに均衡が破れる。
→流出した世界の一々のものは、三つの従属要素の含有比率によってその特性が異なることになる。
⑨八世紀にシャンカラが不二一元論で、自己以外の幻影であると論じて、難問の解決をはかる。
→サーンキャ派の二元論の構図をそっくり借用し、しかもそのうえで、流出する世界は、無明が映じた幻影にすぎず、実在するのは、ただ自己のみとした。
→すなわち、シャンカラは、ヴェーターンダ哲学の伝統の中で、一元論を守るために流出論を幻影として捨てた。
→唯識思想とも共通性があり、かれは仮面の仏教徒とよばれる。

※ウッダーラカ・アルーニのアートマン説
インド哲学に現れる因果論は、大きく分けて二つあり、自我も世界も唯一なるブラフマン(梵)から流出転変したと見る正統バラモンの転変説(パリナーマ・ヴァーダ)と、唯一なる絶対者を認めず個々の要素が常住であるとして、それらが集まって人間や世界が成立していると見る積集説(アーランバ・ヴァーダ)に分かれる。こういう二つの考え方の基礎は、ウパニシャッドの時代に形成されたものである。
インドにおける最初の哲学者は、ウッダーラカ・アールニであるが、これについて宮元啓一『インド哲学七つの難問』185頁以下は、「流出論は、すべて世界の始まりについて語る。ウッダーラカ・アールニの有名な有の哲学は[太初、世界は有のみであった]という一元論的主張から始まる。そして、その有が、おのずから増殖しようと考えた。そこからいくばくかの過程を経て、世界の森羅万象が流出したという」と述べて、ここで流出論的(転変説的)一元論がインド哲学史において完全な形で出現したと解説する。これは梵我一如論でもある。
金倉圓照『インド哲学史』29頁以下は、ウパニシャッド哲学の本領は梵我一如の思弁であるが、ウッダーラカ・アールニは、これを「有」satと規定して、その有からの万物発生を説明する。すべては有から始まり有に帰るのであるが、「この微細なものこそ、一切万有が本性として有するものである。それは真実なるもの、即ちアートマンである。それは即ち汝である、と彼は説いている」と解説する。古代インドにおける梵我一如思想の成立であり、この立場からすれば、ブラフマンは即ちアートマンであり、アートマンは即ちブラフマンである、大宇宙たるブラフマンと小宇宙であるアートマンは、一如であるとなる。

ヤージュニャヴァルキヤ(前七世紀)
猫が、やーじゃニャー、バキャは、と。見る者は、見れないのに。

①世界は自己に認識されることで、初めてその存在が確立される。
②認識されなければ、いかなるものもその存在は確立されない。
③しばしば、自己一元論とよばれる。
④最初に自己があり、世界はその後にその存在が確立されるから、これは自己による世界の生成と捉えることもできる。
⑤だが、自己は認識主体であるがゆえに認識対象となりえない。
⑥すなわち、自己は世界外存在である。

※ヤージニャヴルクヤのアートマン説
古代インドの二大哲人は、ウッダーラカ・アルーニと、その弟子であるヤージニャヴルクヤとされるが、金倉前掲書31頁以下では、ヤージのニャヴルクヤの思想について、「ウッダーラカの説は、客観的な有の原理から出発し、実在論的な見方で梵我一如を説明している。万有の根源としての元素の観念も、彼に至って始めてはっきりした。しかし、ウパニシャッドには、かような実在論的傾向の外に主観的なアートマンを基礎として、唯心論的に全有の統一をみる思想もある」としてヤージニャヴルクヤの思想を解説する。結論として、金倉は前掲書32頁以下で、「この一切の根源としてのアートマンに関する真理を自覚するのが、哲学の目的であり、人生最高の帰趨であるというにある」と要約する。
これについて、宮元啓一は『インド哲学の教室』60頁以下でヤージニャヴルクヤの思想を説明して、自己は何によっても媒介することなしに、自律的に、自己回帰的にその存在が確立されている。世界は、その自己に認識されることにより初めてその存在が確立される。したがって、このヤージニャヴルクヤが発見した考えは、しばしば「自己一元論」と呼ばれる。「まず最初に自己があり、世界はその後に存在が確立されますから、これを、自己による世界の生成と捉えることが可能になります」と解説する。これは自己から世界が流出するという意味ではなく、自己は世界と関わりなく存立できるけれども、世界は自己に依拠しなければ存立できない、ということらしい。
そして宮元は前掲書60頁以下で、ウッダーラカ・アルーニは「独立自存の唯一の根本的な有から世界が流出するという、流出論的一元論を樹立した」とするが、その弟子であるヤージニャヴルクヤの思想は、「自己一元論であり、自己から世界が流出するという説」と解説する。そして、この有=自己の流出論的一元論は、その後、西暦紀元前後にヴェーダーンタ学派が継承し、ヒンドゥー教に合わせて、有=自己=最高神一元論に仕立て上げたと解説する。

六派哲学
なかなかにインド的思考の面白さと、インド人の論争好きが面白い。
六派哲学(?ad dar?ana)はダルシャナ(dar?ana、日本ではインド哲学と訳す)のうち、ヴェーダの権威を認める6つの有力な正統学派の総称。インドでは最も正統的な古典的ダルシャナとされてきた。
ヴェーダーンタ学派 ? 宇宙原理との一体化を説く神秘主義・流出一元論
ミーマーンサー学派 ? 祭祀の解釈
ヨーガ学派 ? 身心の訓練で解脱を目指す。有神のサーンキャ派
サーンキヤ学派 ? 精神原理・非精神原理の二元論 数論派
ニヤーヤ学派 ? 論理学 正理派
ヴァイシェーシカ学派 ? 自然哲学  勝論派

印度六派哲学  木村泰賢著作集2-1 より整理。
ウパニシャッド(BC8~BC6ぐらい?)で哲学的考察の時代に入ったインド。
その後、200~300年のあいだ、諸派の哲学的潮流が興る(学派時代)。前二世紀から後四世紀まで
必ずしも自然発生的でなく、組織者がいる。
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1 (前)ミーマンサー派           組織者ジェイミニ    紀元前後 聖典祭事部
2  後ミーマンサー派(またはヴェーダンタ派)組織者バーダラーヤナ  紀元前後 聖典知識部
3  サーンクヤ派(または数論=すろん=派) 開祖 カピラ      紀元三~四世紀
4  ヨーガ派 サーンキャ派=その実践法   開祖パタンジャリ    四世紀か
5  ヴェイシェーシカ派(または勝論=かつろん=派) 開祖カナーダ  前二世紀半ば 原子論
6  ニヤーヤ派(または正理=しょうり=派) 開祖ゴータマ      紀元前後
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BC4,5CからAC4,5Cまでかかって体系化されたものもある。
その理論系統をざっくり言うと3つに分かれる

1 (前)ミーマンサー派 =梵書にもとづいて祭式を神学的に研究(哲学ではない)
2  後ミーマンサー派(ヴェーダンタ派)=奥義書に基づいて梵教を組織立てようとする
ウッダーラカ・アルーニの「有」の哲学を継承し、「有=宇宙の根本原理ブラフマン=最高神=最高の自己」、八世紀のシャンカラは、流出論を捨てて、不二一元論へ
3  サーンクヤ派(数論派)=形而上的原理の理論  流出論的二元論
単純に流出一元論では、清浄な最高神から不浄のものが沢山混ざったこの世界が説明できない。
精神原理である自己と、非精神原理である根本原質、さらに三要素の根本原質が世界をつくる因中有(う)果論
4  ヨーガ派       =その実践法
5  ヴェイシェーシカ派(勝論派)=自然に関する理論的研究
六派哲学の最古のもので、前二世紀半ば。すでの言語表現されるものは実在であり、すべての実在は知られものであり、言語表現されるという、徹底的な実在論を展開する。
→世界を認識することと世界を語ることは等値であり、その分析は必然に言語を分析することと等値となる。言語の構造を把握すれば、それは世界の構造を把握することに直結する。
6  ニヤーヤ派(正理派)=論理的方法論
有情観・・・有情(人間などの生命)の本性は常住不変の霊体だが、迷によって変化流転の分裂体となった、この分裂の当体を脱して、自主独立の霊的境地を開拓しよう、という根底は6派とも同じ。
いずれも厭世的、肉体を精神の牢獄と見る傾向。本体観、宇宙観など、各派に共通や相違がある。
ヴェーダーンタとミーマーンサー、ヨーガとサーンキヤ、ニヤーヤとヴァイシェーシカはそれぞれ対として補完しあう関係になっている。なお、ヒンドゥー教においては、これらヴェーダの権威を認める学派をアースティカ(?stika ??????`, 正統派, 有神論者)と呼び、ヴェーダから離れていった仏教、ジャイナ教、順世派などの先行する思想派閥をナースティカ(n?stika ???????, 非正統派、無神論者)として区別する。

ヴェーダーンタ学派
ベーと棚田で、一元流出汚れた★★に突っ込んで
ヴェーダーンタ学派(デーヴァナーガリー:???????, Ved?nta、英:Vedanta、前二世紀半ば)
ヴェーダとウパニシャッドの研究を行う。古代よりインド哲学の主流であった。「ヴェーダンタ」の語源は veda と anta (終わり)を掛け合わせたもので、ヴェーダの最終的な教説を意味し、ウパニシャッドの別名でもある。
ウッダーラカ・アルーニとユージュニャヴァルキヤの哲学を継承し、唯名論的な流出論的な一元論の立場。根本有であるブラフマン(宇宙の根本原理)は最高神にほかならず、それは世界の質料因であると同時に動力因である。
難解であり、八世紀のシャンカラが、プラウマンのみ実在で、世界は幻影だとする不二一元論(別名は幻影論)を唱えて、旧来の流出論を排斥した。
開祖はヴァーダラーヤナで、彼の著作『ブラフマ・スートラ』(別名・『ヴェーダーンタ・スートラ』)のほか、『ウパニシャッド』と『バガヴァッド・ギーター』を三大経典(プラスターナ・トラヤ)としている。
ヴェーダーンタ学派における最も著名な学者は、8世紀インドで活躍したシャンカラであり、彼の説くアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(不二一元論)は最も影響力のある学説となっている。ほかに、ラーマーヌジャらが提唱するヴィシシュタ・アドヴァイタ{制限(非限定的)・不二一元論}や、マドヴァの説くドヴァイタ(二元論)などがある。

ミーマーンサー学派
Me マン 祭 エマニエルよBKKの
ヴェーダの中で祭式に関わる部分を研究する学派である。紀元前200-100年頃生きたジャイミニが書いたとされる『ミーマーンサー・スートラ』を根本経典とする。別名ジャイミニ・スートラ、カルマ・ミーマーンサ(カルマ:行為、ミーマーンサ:分析の意)。
祭式を重視し、祭式を行うことで現世や来世の幸福を得ることができるとする。神は祭式の1要素に過ぎず、同じくヴェーダを研究するヴェーダーンタ学派と比べて神が占める地位は低い。またインド哲学の多くが重視する解脱にも関心が低い。 言語不滅論。
膨大かつ多様なヴェーダ祭式を統一的に解釈するための複雑な言語論や認識論の体系を持っている。
形式主義・儀礼先行のため、最も正統の学派でありながらも、早い段階で権威は失堕している。

サーンキヤ学派
サンキュ プルシャと プラクリティ
サーンキヤ学派(数論派、すろんは、S??khya)、世界の根源として、精神原理プルシャ(神我、自己)と物質原理プラクリティ(自性、原質)という、2つの究極的実体原理を想定する。厳密な二元論であり、世界はプルシャの観照を契機に、プラクリティから展開して生じると考えた。
また?????? サーンキヤは「数え上げる」「考え合わせる」という意味で、数論派、数論学派とも。

ヨーガ学派
ヨーガで よがれ
ヨーガ学派(ヨーガ)はダルシャナ(インド哲学)の学派で、ヨーガの実践により心身を統一し、解脱を目指す学派である。シャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに数えられる。『ヨーガ・スートラ』を根本経典としている。
ニヤーヤ学派
ニヤニヤ 屁理屈の数々
ニヤーヤ学派(または正理=しょうり=派)は、インド論理学として代表的なものであり、論理の追求による解脱を目指す。ガウタマ(アクシャバーダ)が著したとされる『ニヤーヤ・スートラ』を根本テキストとする。
『ニヤーヤ・スートラ』によれば、以下の16の項目を正しく知ることにより、解脱がなされるとする。
1.認識手段(知覚・推論・類比・信頼すべき言葉)
2.認識対象(アートマン・身体・感覚器官・感覚器官の対象・認識・思考器官・活動[カルマ]・過失[煩悩]・輪廻・果報・苦・解脱)
3.疑惑
4.動機
5.実例
6.定説
7.論証式を校正する5肢(主張提示・理由・根拠事例・当該問題への適用・結論)
8.吟味
9.確定
10.論議(通常の討論)
11.論諍(勝つために手段を選ばない討論)
12.論結(相手の論難に終始する)
13.議事理由
14.詭弁
15.誤った論難
16.敗北の立場
ニヤーヤ派の推論は、まず知覚を基礎におくのが絶対条件である。
認識根拠の第一として、まず「知覚」が説かれる。
つぎに「推論」がくる。
推論は形式がきまっている。現代論理学の「前件肯定式」というかたちである。
A、Bを文として、∴を「ゆえに」とすると、
AならばB   …①
A       …②
B       …③ という形式をもつ。
あの山は火を有する(まず知覚が認識する)  ……主張
煙を有するがゆえに            ……理由
煙を有するものは火を有する (火を有しないものは煙を有しない、かまどのように) …喩例
かまどのように、あの山もそうである    ……適合
あの山は火を有する            ……結論
ニヤーヤ学派ではこのようないわば五段論法(五分作法・五支作法)を用いるが、当然、次の三段にまとめることができる(実際三段にまとめる仏教論理学派の挙げている例は,下のものに等しい)
煙を有するものは火を有する
あの山は煙を有する
あの山は火を有する
上の③と下の①は、「喩例、ゆれい」と呼ばれ、論証を裏付ける具体的な喩え(法則的関係)が述べられる。
前提の二つの「真」なることが確認されれば、前件肯定式の結論は「真」とならざるを得ない。
「煙を有するものは火を有する」は経験主義的であり、帰びゅう的だが、反証の可能性がないのであり、これを法則的関係として、演繹的に結論を提示する。
ヴァイシェーシカ学派
倍 シェー 鹿 は 白い牛
ヴァイシェーシカ学派(勝論派、かつろんは)、カナーダが書いたとされる『ヴァイシェーシカ・スートラ』を根本経典とする。一種の自然哲学と見なされることもある。
『ヴァイシェーシカ・スートラ』では、全存在を6種のカテゴリーから説明する。言葉は実在に対応しており、カテゴリーは思惟の形式ではなく客観的なものであるとする。 カテゴリーは実体・属性・運動・特殊・普遍・内属の6種である。
これはサンスクリット語の文法とも対応関係がある。
実体  名詞のカテゴリー
実体(dravya)は以下のように分けられる。
地 (p?thiv?)
水 (?pas)
火 (tejas)
風 (v?yu)
虚空 (?k??a)
時間 (k?la)
方向 (dik)
アートマン (?tman)
意(マナス) (manas)
属性  形容詞のカテゴリー
属性(gu?a)は以下のように分けられる。
色 (r?pa)
味 (rasa) 甘




香 (gandha) 芳香
悪臭
触 (spar?a) 冷

非冷非熱
数 (sa?khy?)
量 (parim??a)
別異性 (p?thaktva)
結合 (sa?yoga)
分離 (vibh?ga)
彼方性 (paratva)
此方性 (aparatva)
知識作用 (buddhi)
楽 (sukha)
苦 (du?kha)
欲求 (icch?)
嫌悪 (dve?a)
意志的努力 (prayatna)
運動  動詞のカテゴリー
運動(karma)は以下のように分けられる。
上昇 (utk?epa?a)
下降 (avak?epa?a)
収縮 (?kuncana)
伸張 (pras?ra?a)
進行 (gamana)
普遍・特殊・内属
普遍 (s?m?nya)同類の観念を生む原因である。黒い牛も白い牛も同じ牛であると分かるのは普遍としての「牛性」を牛が持っているからである。特殊 (vi?e?a)あるものを別のものから区別する観念の原因である。牛が牛であって馬でないと分かるのは特殊としての「牛性」を牛が持っているからである。内属 (samav?ya)不可分でありながら別個の実在となっているもの同士の関係である。糸と布は内属の関係にある。
白い牛が歩く とは何やねん
白い牛 白い=属性・性質 実在する白い色 牛=実体 実在する牛という実体
歩く= 実在する歩くという運動
白い牛から、白い色だけ剥がせない
歩いている牛から、歩行だけを剥がせない
→性質と実体・運動と実体は不可分の関係にある。
→この関係は、性質・実体・運動のどのカテゴリーにも入らない。
→そこで、独立のカテゴリーとして、内属(内属関係)と命名される。
→内属関係では、どちらかが基体となり、どちらかが属性となる
→牛は白くなくても牛であるから、牛が基体で白さが属性である。
普遍というカテゴリー
→鳥や馬とは違い、牛には牛だけの共通する属性つまり「牛性」がある。これが普遍である。
特殊というカテゴリー
→また、牛性は、牛ではない鳥や馬からすべての牛を排除する属性、つまり排除の原理、特殊としても機能する。
そういえば、哲学と論理学を発生させたのは、インドとギリシャだけだ。説明せねば気が済まないのだろう。以上はソイ11での整理。

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朝鮮仏教史、高句麗・百済・新羅の仏教伝来

1. 朝鮮三国の仏教初伝について
末木文美士は『日本仏教入門』77頁以下で、「六世紀に仏教は朝鮮半島を経由して日本に伝来したが、七世紀半ば頃までは朝鮮の影響が強く、中国から入る情報は少なかった。中国の仏教が直接伝わるにようになったのは八世紀半ば以後で、遣唐使とともに仏教の典籍も多く伝えられるようになった」と解説する。したがって、日本における初期仏教を理解するには、その「経路」である朝鮮三国の仏教およびその形態への理解が欠かせないことになる。
日本の仏教初伝は、倭国と親交のあった百済の聖明王が欽明天皇に、釈迦仏金銅像などを贈り、公式に仏教を受容することを進めたのが、日本における仏教公伝とされる。『日本書紀』では552年、『上宮聖徳法王帝説』では538年である。また、高松塚古墳の天井の四神図、婦人衣装様式は高句麗式だと判断されているが、聖徳太子の仏教の師も、高句麗僧の慧慈や慧聡である。朝鮮三国の仏教の初伝は、したがって日本仏教の初伝にもかかわるテーマである。
目的は、歴史の概略を整理するものであり、私見の入る余地はない。以下2において高句麗、3において百済、4において新羅を整理して、5においてその全体傾向をまとめる。
2. 高句麗の仏教初伝について
朝鮮の仏教は、4世紀の高句麗・百済・新羅の三国時代に中国から伝来している。当時の中国は、北朝が五代十国の時代、南朝が東晋の時代であった。公式の仏教初伝は、372年とされるが、本講義テキスト『新アジア仏教史10』「朝鮮半島・ベトナム」22頁以下によれば、「東晋の支遁(314-66)が高句麗道人」に送った書簡があり、この支遁没年までに「高句麗に仏教の知識を有するものが存在した」と述べる。また、永和十三(357)の紀年をもつ装飾古墳である安岳三号墳簿その他に、仏教図象である蓮華が描かれており、「前燕仏教と、戦乱が続く北方中国からの高句麗への亡命漢人がもたらした仏教信仰が、すでに高句麗に入っていたと考えることが出来よう」と解説する。
『新アジア仏教史10』および洪南基『朝鮮の仏教と名僧』によれば、高句麗の仏教公伝は、朝鮮史書『三国史記』『三国遺事』によれば372年、前秦の符堅王が高句麗小獣林王に使者として僧順道をおくり、あわせて仏像と経典を贈ったことに始まるとされる。また374年、僧阿道が東晋から来た。高句麗王は375年、肖門寺を建てて順道を厚くもてなし、そして伊弗蘭寺を建てて阿道を住まわしたと朝鮮史書は伝える。当時の仏教は中国でも国家の庇護の下にあり、こうして高句麗において王朝の庇護の下に仏教が行われることになった。392年には、故国壌王が「仏法を崇信して福を求めよ」との教令を下し、翌年には、広開土王が平壌に九寺を創建したと伝える。
その仏教の特色は、6世紀には、僧朗という人物が現れ、中国に渡り三論学の方面で活躍し、その思想は後に中国で三論学を大成した吉蔵に受け継がれたように、三論宗つまり龍樹の『中論』の学派であったと推測される。この高句麗仏教の特徴は、前燕・前秦の華北仏教と東晋・江南の貴族仏教が混在しているところである。6世紀には経典研究の段階から『十地経論』、『大智度論』、『金剛般若波羅密経論』などの論書研究の段階に入っていたとされる。
3.百済における仏教初伝
日本の仏教初伝は552年、百済の聖明王が欽明天皇に、釈迦仏金銅像などを贈り、公式に仏教を受容することを進めたのが仏教公伝とされる。 この百済の仏教初伝は、372年に順道が高句麗に来てから12年過ぎた384年とされる。また、百済では高句麗が中国北方王朝と接触したのとは違い、中国江南王朝と外交する。
本講義テキスト及び洪南基『朝鮮の仏教と名僧』18頁以下によれば、インド僧の摩羅難陀が東晋より来たことを仏教初伝とする。384年、枕流王は宮中で摩羅難陀を礼敬し、仏寺を創建し、僧十人を出家させている。
百済では、戒律が重視され526年、謙益が王の命を受けてインドに渡り律に関する書物を持ち帰える。また、法華信仰や弥勒信仰も根強かったようである。百済は滅亡したために、多くの優秀な僧侶が日本に逃れてきて、飛鳥時代の仏教に大きな影響を与えたとされる。
4.新羅の仏教初伝について
『新アジア仏教史10』「朝鮮半島・ベトナム」38頁以下によれば、公伝にはいくつかの異説があるとするが、テキストは公伝を一応520年頃とするが、また早くから民間レベルの仏教の受容はあったとも述べる。これも当時の法興王が退位後に出家したように、国家仏教として行われたようである。
また、三国が統一をめぐって戦乱を繰り返していた時代を背景として、新羅では仏教は護国思想と結びついて信仰され、僧侶もまた政治と戦乱に関与した。そのうちの一人に、円光という僧侶は、武士が守るべき「世俗の五戒」を定めて、若い仏教信徒武士階級の規範としたように、護国仏教としての側面ももった。仏教の五戒というと、殺さない・盗まない・邪淫を行わない・嘘をつかない・酒を飲まないの五つだが、円光の五戒は、それらと違って戦争を前提とした護国思想をはっきりとあらわしている点で特徴的である。
5.まとめとして
この朝鮮三国の仏教初伝は、北の高句麗が中国華北王朝からを主な仏教伝来の毛経路にしたのに対して、南の百済、新羅は中国江南王朝を伝来の経路としてこと、また国情の違いから、すこし仏教の内容に差異は生じているようである。
ただ、1世紀と推定される中国への仏教公伝とは違い、ある程度完成された中国仏教が招来されており、当初から漢字文明圏のなかの朝鮮三国として、その受容は容易であったようである。
以下、初学者の私見ではあるが、日本仏教が中国仏教を日本的に発達変容させたのとは違い、朝鮮仏教は、あるいは原理原則主義的かも知れない。民族性の差かも知れない。教義と戒律の厳守がなされており、純粋ともいえるかも知れないし、硬直的かも知れないとも印象する。
だが、『新アジア仏教史10』「朝鮮半島・ベトナム」まえがきでは、「朝鮮の場合も、中国仏教を学ぶばかりではなかった。高句麗・百済・新羅の僧侶は盛んに中国に渡って活躍しており、特に新羅の僧は中国仏教に大きな影響を与えた」と述べる。そして「実際の仏教史は、多様な特色を持った諸国・諸地域間の複雑な相互交流と相互影響の歴史であったと言ってよい」と結論する。

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さまざまな My way

英語の発音のレッスンとしてシナトラを歌ってみようとする。でも、これは原曲はフレンチ・ポップスだとか。

My way

And now, the end is near;
And so I face the final curtain.
My friend, I’ll say it clear,
I’ll state my case, of which I’m certain.

I’ve lived a life that’s full.
I’ve traveled each and ev’ry highway;
And more, much more than this,
I did it my way.

Regrets, I’ve had a few;
But then again, too few to mention.
I did what I had to do
And saw it through without exemption.

I planned each charted course;
Each careful step along the byway,
And more, much more than this,
I did it my way.

Yes, there were times, I’m sure you knew
When I bit off more than I could chew.
But through it all, when there was doubt,
I ate it up and spit it out.
I faced it all and I stood tall;
And did it my way.

I’ve loved, I’ve laughed and cried.
I’ve had my fill; my share of losing.
And now, as tears subside,
I find it all so amusing.

To think I did all that;
And may I say – not in a shy way,
“Oh no, oh no not me,
I did it my way”.

For what is a man, what has he got?
If not himself, then he has naught.
To say the things he truly feels;
And not the words of one who kneels.
The record shows I took the blows –
And did it my way!

Yes, it was my way.

大スター、フランク・シナトラが歌うと、♪I did it My Way~♪は、「私の人生」は文句なしに最高だぜと、みんな俺の人生を知っているだろうとなる。シナトラの歌う英語の歌詞では、死期の近づいた男が自分の人生について、悔いはなく自信を持って語っているが、実はこの曲は、フランスのポップ・シンガー、クロード・フランソワが創唱したれっきとしたフレンチ・ポップスである。フランク・シナトラのために書かれた曲と思っている人も多いが、本当は違う。ポール・アンカが書いた詞の内容は原曲の内容とは無関係なのだ。ポール・アンカによる英語詞は、死期が近づいた男が誇りを持って自分の歩んできた人生を友人に語っているという内容だが、しかし、原曲の歌詞のもつ雰囲気とはずいぶんと違っている。1800%違う。

そして、フランス語(原曲)の歌詞・訳

Comme d’habitude  いつものように

僕は起きて君を揺するけれど
いつものように君は目を覚まさない
風邪を引かないように
いつものように君の体にシーツを引き上げ
いつものように僕の手は君の髪を撫で
本当のところ面倒くさいのだが
だけど君は僕に背を向ける
いつものように

そこで僕はすばやく着替える
いつものように寝室を出て
一人でコーヒーを飲み
いつものように遅刻し
音も立てずに家を出る
いつものように空はどんよりと曇って
寒さを覚え、襟を立てる
いつものように

いつものように、一日中
僕は同じようなことを繰り返し
いつものように微笑むだろうし
いつものように笑いさえするだろう
結局のところいつものように生きようとするんだ
いつものように

そうして一日が過ぎていく
僕はいつものように帰って来るけれど
君は、出かけているだろう
いつものようにまだ帰っていない
たった一人で僕は寝るだろう
この冷たいでかいベッドでいつものように
僕の涙、それは隠そう
いつものように

いつものように、夜も
それらしく振舞おう
いつものように君は帰ってくるだろう
いつものように君を待っているだろう
いつものように君は僕に微笑みかけるだろう
いつものように

いつものように君は服を脱ぎ
いつものように君はベッドに入って来るだろう
いつものようにキスをするだろう
いつものように

いつものようにそれらしく振舞い
いつものようにセックスをし
いつものようにそれらしく振舞う

な、な、何じゃ、こりゃ?
シナトラの英語詞で大声で歌った後に、これを見比べるとちょっと、これは。オリジナルの歌詞はなんともサエない感じのフランス中年男の物語なのである。倦怠期の夫婦といった感じで、おそらく女房は不倫中だな。つまり原曲は寂しい夫の歌なのである。このオリジナルの歌詞は、とてもステージで熱唱できる歌ではない。ある夫婦の日常の倦怠を描いたものでさほどヒットはしなかったとか。

ところが、フランク・シナトラの歌った英語版のMy Wayは、人生の終わりに自信たっぷりに自分の人生を振り返る男の歌に大変身。俺はすごいだろうに大変身。ほうれん草を食べる前のポパイと、食べたあとのポパイである。だが、しかし、こんないじけてアンニュイな歌をつくるなんて、じつにフランス人らしいなあ、そして、こんな景気のいい自己チューな大ぼら歌につくりかえるなんて、アメリカ人らしいなあ。笑けるなあ。フランス人に座布団一枚。

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幸せホルモンか

旅先で読んだ新聞に「幸せホルモンの効用」という記事があった。欧米の調査によると犬や猫を飼う人が病院に通う回数は、飼って無い人に比べて約二割少ないという。ペットと触れ合うと、脳から「オキシトシン」の分泌が増えて心を落ち着かせるそうだ。俗にいう「幸せホルモン」である。この幸せホルモンの分泌は、親子や恋人が手をつないでも増えるという。

有田秀穂氏(東邦大学医学部教授)《PHP文庫『「脳の疲れ」がとれる生活術』は、「脳の疲れ」がスーッととれる!“癒しホルモン”オキシトシンの増やし方を述べる。(以下、コピペ、自分の整理のため)

●心と体の疲れがスーッと消える10の習慣
現代人は疲れやすくなっているのかもしれません。周囲には、さまざまな便利なものがあふれ、生活はどんどん暮らしやすくなっているはずなのに、何かイライラしたり、欲求不満が多く、いつもストレスを抱え、疲れがとれない状態なのではないでしょうか。それは肉体的に疲れているというよりも、むしろ心の疲れ、すなわち「脳の疲れ」といえるものをつねに抱えているからなのです。

日本人の幸福度は、いろいろな調査(ちなみに、イギリスのレスター大学、178カ国の調査[世界幸福地図 国別幸福度ランキング2006]では90位〈第1位はデンマーク〉、ミシガン大学社会調査研究所による2008年発表の世界97カ国の調査では43位〈第1位はデンマーク〉、2009年度「地球幸福度指数ランキング」では143カ国中75位〈第1位はコスタリカ〉)でかなり低いようです。
いま、経済的な問題や政治的な問題など、いろいろな問題を抱えているとはいえ、日本はまだまだ豊かな社会でしょう。そうであっても、日本人自身があまり幸福だとは思っていないようです。しかし、昨年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災とそれに続く福島原発事故以来、少し変わってきたのではないかと思っています。不幸な出来事でしたが、それをきっかけにして、日本中からボランティアなど支援の輪が広がり、また家族の絆、人と人の絆の大切さが見直されてきたからです。
危機の中で、家族を含めた人間関係こそが、私たちの心を癒してくれることに、多くの人が気づきはじめたのではないでしょうか。実は、人と人の結びつき、信頼こそが、脳の疲れを癒してくれるということが、脳科学の立場からも検証されはじめたのです。

私は以前から脳のセロトニン神経の活性化によって、ストレスを受け流すことができるようになり、安定した心になるということを書いてきました。さらに最近注目されているのは、オキシトシンというホルモンです。オキシトシンが十分に分泌されていると、脳の疲れを癒し、気分を安定させ、人に対する信頼感が増し、心地よい幸福感をもたらしてくれるのです。

オキシトシンとセロトニンは関係していて、オキシトシンが分泌されるとセロトニン神経に影響を与え、セロトニン神経も活性化されます。オキシトシンとセロトニンが十分に分泌される生活は、心の疲れを癒し、心に充足を与えてくれるのです。なぜそれがよいのかということについては、拙著『「脳の疲れ」がとれる生活術』の中で、詳しく説明していますが、ここでは脳内にセロトニンとオキシトシンを十分に分泌する、誰でも簡単にできる方法をあげておきましょう。
1、夜は12時までに眠る。
2、夕食後はパソコンを操作しない。
3、夜は携帯電話で長話をしない。ベッドの近くに携帯電話を置かない。

1~3については、睡眠ホルモンであるメラトニンの分泌をよくして、よい睡眠をとる条件です。

4、朝日を浴びる(朝型生活に)。
5、朝と夕方に30分程度歩く(あるいはジョギング、サイクリング、スイミングなどのリズム運動を30分程度)。
6、呼吸法をする(これもリズム運動の一種です)。
一日の中で何回か5分程度、腹式呼吸をする(ヨガ、気功、坐禅などは呼吸法になります)。

4~6はセロトニン神経を活性化します。

7、家族団らん。
8、夫婦、恋人とのふれあい。
9、感情を素直にあらわす。
10、親切を心がける。

7~10はオキシトシン分泌を促し、セロトニン神経も活性化させます。

この7~10の行動から人間関係がうまくいき、気分よく生活することでオキシトシンが分泌されることがわかると思います。オキシトシンが十分に分泌されると、脳の疲れがとれるだけでなく、体をも健康にするのです。

●「幸福ホルモン」として注目されはじめたオキシトシン
では、近年「幸福ホルモン」として注目されている「オキシトシン」について、少しお話ししていきましょう。オキシトシンは哺乳類だけが持っているホルモンで、心が癒される、幸せな気分になるという効果があります。

オキシトシンは40年以上前から、女性が分泌するホルモンで、2つの役割があるということは、わかっていました。
第一は出産するときに子宮を収縮させて、出産を促すことです。よく陣痛を促進させるために点滴に使われているのがオキシトシンです。もう1つは、出産したあとに、母乳を分泌させます。つまり、母乳を出すように促すのです。赤ちゃんがお母さんの乳首を吸うと、それが誘因になり、母親の脳からオキシトシンが分泌され、母乳の合成と分泌を促進させるのです。母親が出産し、赤ん坊を育てることに直結したホルモンとして、オキシトシンは昔からよく知られていました。
しかし、このオキシトシンの研究がこの10年くらいで進んで、オキシトシンは母親だけが出すものではなく、母親になっていない女性も、また男性も、年齢も関係なく、分泌されることがわかってきました。とくに最近になってオキシトシンが母乳を出すように促すだけでなく、母性愛と関係することがわかってきました。さらに信頼や男女の愛情と関係して分泌されるということもわかってきたのです。母性愛という心の状態だけでなく、信頼という心の状態、男女の愛情という心の状態をつくり出すということで、急激にこのオキシトシンというホルモンの役割が注目されはじめたのです。

近年注目されている、オキシトシンの効果をまとめると、次のようなものです。

1、人への親近感、信頼感が増す。
2、ストレスが消えて幸福感を得られる。
3、血圧の上昇を抑える。
4、心臓の機能をよくする。
5、長寿になる。

オキシトシンが分泌されると、脳内では「脳内物質」として働いて心を変え、さらに血液中のホルモンとなって体にも効くのです。

●オキシトシンとセロトニンの深いかかわり
オキシトシン受容体は、前頭前野と扁桃体にありますが、まさにそれは心に関係した脳の場所にあるわけです。ですから、心の状態に影響を及ぼす脳内物質ともいえます。セロトニン神経の神経細胞にオキシトシンの受容体があります。ですから、オキシトシンがたくさん分泌されてオキシトシン受容体に届くと、同時にセロトニン神経が活性化されることになるのです。よって、オキシトシン分泌を盛んにするような行動を行なうと、セロトニン神経の活性も起こるわけです。つまり、オキシトシンの分泌 → セロトニン神経の活性化 → セロトニンの分泌というような流れになります。

セロトニン神経が活性化されると、脳の状態を安定させ、心の平安、平常心をつくりだします。また、自律神経に働きかけて、痛みをやわらげる効果もあります。そのように、脳全体の状態を変えてくれます。

何度もお話ししているように、セロトニン神経を活性化するには、リズム運動と太陽の光、そしてグルーミングの3つが大切です。この第三の方法であるグルーミングは、セロトニン神経を活性化するとともに、オキシトシン分泌にかかわっています。グルーミングによって、セロトニン神経が活性化するのは、まずオキシトシンが分泌されることによると考えられます。

●オキシトシンを分泌させるつき合いとは?
母子の愛情や男女間の愛情の交流だけでなく、仲間と飲んだり食べたりしながら話すこともグルーミングになります。とくに、高級レストランなどよりも、狭くてカウンターで肩を寄せ合うように飲み食いするような赤提灯や居酒屋のほうが、グルーミング効果があるのです。こうしたグルーミング行為で、最初にオキシトシンが分泌されますが、それによって信頼感や幸福感が高まるのです。そしてセロトニン神経も活性化されるので、気分が安定することにもなるわけです。

●オキシトシンが分泌されない社会環境
ところが、現代生活では、オキシトシンの分泌が少なくなる環境になっています。それはパソコンが普及して、ネット社会が進展してきたことと軌を一にしています。パソコン社会になる前は、仕事を進めていく上でも、人と直接会ってコミュニケーションをとらなければならないことが多かったものです。よかれ悪しかれ、人間関係が伴っていました。

ところが、いまでは直接会話するよりも、パソコンや携帯を通してということが多くなっています。メールだけでやりとりして、一度も相手と会わずに仕事ができるようになっています。あなたの職場を振り返っていただいても、ほとんど一日中パソコン相手に仕事をしていて、隣の同僚とも直接話すよりも、パソコンのメールでやりとりをしたりすることが多くなっているのではないでしょうか。そんな状況が日常化しています。仕事だけでなく、恋愛もお互い会わずにネットでできるわけです。つまり、フェース・トゥ・フェースのコミュニケーションが失われつつあるのです。ことにメールだけを介してのコミュニケーションでは、言葉だけ、論理だけのコミュニケーションになりがちで、そこに感情のニュアンスが入りにくいのです。それではオキシトシンはほとんど分泌されず、癒しは得られません。人を愛する、人を信頼する、人のために何かしてあげるなどという気持ちが起こらないのです。残念ですが、そういう社会が実際に進行しているのです。

オキシトシンが関与しない人間関係が多くなり、会社も同様の環境です。家でも家族がいても孤立していたり、あるいは一人暮らしが多くなってもいます。いま、いろいろな問題が起こっているのは、オキシトシンが分泌されないような社会環境になっているからといえるのではないでしょうか。

以上は、有田秀穂氏の『「脳の疲れ」がとれる生活術』での解説。以下は、ある人のHPでの解説で、『幸せホルモン』を出すカンタンな方法!パートナーと●●するだけで・・・である。

みなさんは、彼や旦那さんと、一緒のベッドや布団で眠っていますか?
相手の寝相が悪かったり、いびきや歯軋りがうるさかったりすると、ぐっすり眠れないから一人で寝たい!なんて思ってしまいますし、もしかしたら我慢の限界を迎えて、既に1人寝実行済みという方もいるかもしれません。でもちょっと待って!!ある研究によると、「パートナーと一緒のベッドや布団で眠ることが、健康に良い影響を及ぼす」という結果が出ているのです。

●『幸せホルモン』って?
とてもショックなことや傷つくようなことが起こった時に、誰かに優しく抱きしめられたり背中をさすってもらったりすると、少しだけ安心できたりしますよね。このとき、脳内では「オキシトシン」というホルモンが分泌されています。

オキシトシンは、 癒しホルモン・幸せホルモンとも呼ばれ、リラックス効果や脳の疲れを癒す効果、人への信頼感や絆を高める効果があるとされ、幸せで安定した気分へと導いてくれるホルモンなのです。このオキシトシンは、出産時や授乳時に大量に分泌されるのですが、セックスでも分泌されることが分かっています。 特に、オーガズムを迎えるときに一番濃度が濃くなるといわれているのです。継続的にセックスをしているカップルや夫婦の仲が安定したり、満たされた関係性を続けられるのは、オキシトシンによるものといえるのかもしれません。

●一緒に寝るだけでも、オキシトシンが分泌される
家はセックスレスなんです・・・。とか、毎日疲れてセックスする気分にはなれません・・・。という方でもご安心を。 最初にご紹介した研究の結果、「パートナーと一緒に眠るだけでも、オキシトシンが分泌されていること」が明らかになったのです。もちろん、そこにスキンシップが加わればオキシトシンの分泌はさらに盛んになりますし、ベッドで会話を交わすだけでもオキシトシンの分泌に効果があるそう。

最近セックスから遠ざかっていたり、そういう気分になかなかなれない場合であっても、まずはパートナーと隣で眠ることを大切にしてみてはいかがでしょうか。ハッピーオーラに包まれるには、気の持ちようだけでなく、“幸せホルモン”を分泌させることが大切。今回は“幸せホルモン”の重要性と、分泌量を増やすための食べ物をご紹介したいと思います。

■幸せホルモンが不足すると
幸せホルモンとは、セロトニンという神経伝達物質のこと。 セロトニンが不足してしまうと、落ち込みやすくなったり、怒りっぽくなったり、不眠、冷え性にもつながります。また、セロトニンの分泌は女性ホルモンとも連動しています。女性ホルモンのバランスを整えるためにも、セロトニン不足を防ぐ必要があるのです。

■セロトニンを分泌させる食べ物3つ
セロトニンの素となるのは、トリプトファンというアミノ酸です。トリプトファンは、必須アミノ酸といって体内では作られないアミノ酸。つまり、食べ物で補う必要があります。また、セロトニン生成にはビタミンB6も必要。セロトニンは腸内で作られるので、腸内環境をよくすることも大切です。では、これらの条件に合った手軽に食べられる食材をご紹介しましょう。
(1)バナナ
バナナはトリプトファン、ビタミンB6を含みます。また、食物繊維が豊富なので、便秘解消をサポートし腸内環境を整えてくれます。手軽に食べやすく値段 も手ごろなので、毎朝食べるとよいでしょう。
(2)納豆
トリプトファンの含有量が100gあたり240mgと豊富で、ビタミンB6も含んでいます。発酵食品なので、腸内環境を整えるのにもぴったり。
(3)ヨーグルト
ヨーグルトはトリプトファンを含み、腸内環境を整えます。ヨーグルトに含まれる菌は、自分に合うものと合わないものがあります。何種類か食べ比べて、お 通じがよくなったヨーグルトを選んでみてくださいね。バナナを混ぜて食べるのもおすすめです。(以上、コピペ)

今日11月19日のニュースに、京都府で結婚したての67歳の妻が、75歳の夫を青酸で毒殺した記事があった。このよう高齢者同士による殺人事件は結構おおい。だいたい、高齢の男が結婚したての妻に殺されるのであるが。殺されたのは、67歳、75歳、71歳、75歳、75歳である。気の毒なひとり暮らしの男たちである。寂しかったのであろう。いわゆる茶飲みともだちを求めたのであろう。人はひとりで暮らせるようにはできてはいないからなあ。そして簡単に殺される。

「老人と性」の問題は、わが業界ではタブーである。大岡越前の母親が、火箸で灰をかきまわしたなどの理解はない。北欧、欧米のホームでは月に何回かダンスパーティーを開催するそうだが、日本の老人施設のアクティビティは、幼稚園児と同じことを高齢者にさせる。つまり、高齢者は廃物になる前の欠陥機能者として扱われる。でも、団塊の世代が要介護老人になると、そんな素直な受け入れは、新しい高齢者はしなくなるだろう。

イギリス、エジンバラ病院の神経心理学者デイビット・ウイーク氏による10年の研究結果によると、定期的なセックスをしている男女は、していない人よりも5~7歳若く見えるということがわかったそうだ。セックスが血流の流れをよくし、若返りホルモンといわれる「DHEA」が放出されることで弾力のあるお肌になるのだとか。これは、老化防止になるとか。

またセックスには、リラックス効果も。セックスが緊張を解きほぐし、気持ちを落ち着かせてくれます。それはどんな薬もなすことはできないエクスタシー。オーガニズムに達すると、幸せホルモンと呼ばれる「オキシトシン」が脳内に分泌されます。セックスのあとに、気持ちがリラックスし穏やかな気持ちになれるのはそのためとか。これまでにアカデミー賞候補に7回ノミネートされたことがある大女優、ジェーン・フォンダ。72歳とは思えない美貌を保つ彼女だが、「アンチエイジングの秘訣はセックスにあり」と発言し話題となった。

では、果たしてセックスは本当に「美の万能薬」なのか?
セックスと心臓病の関係について。ベルファストのクイーンズ大学が行った調査によると、週に3回セックスをしている人は、頻度の少ない人に比べ、心臓発作や脳卒中のリスクが半分以下であることが判明している。また、週に1、2回セックスすることで、ウィルスやバクテリアの感染から身を守る「免疫グロブリン」と呼ばれる免疫体のレベルが高まるという。週に1回以上セックスをする人は、全くしない人に比べ、免疫グロブリンが30パーセント高かったという研究報告もあるさらに、セックスの最中には、DHEA(デヒドロエピアンドロステロン)と呼ばれる天然のステロイドが分泌される。「アンチエイジング・ホルモン」としても知られるDHEAだが、この数値が高いと病気にかかりにくくなるそうだ。オーガズムの後には、血中のDHEA数値が通常の5倍にも達するという。

「セックスで綺麗になる」説

30分間のセックスで消費するカロリーは、最大150キロカロリー。なんと、ジョギングを30分間行うのと同じぐらいの消費量に当たるのだ。さらに、体を動かすことで大量の酸素が体を廻るため、新しい肌細胞の成長が促されるという。また、性生活が充実していると大量のフェロモンが分泌されるため、さらに異性を惹きつけることに。 気になる美肌効果は、セックスの最中に分泌されるホルモン「エストロゲン」が重要。数ある女性ホルモンの中でも、美肌に最も強力な作用があるのがこのエストロゲンだ。セックスすることにより肌に艶やハリが出るのは、このホルモンのおかげだという。

「セックスで幸せになる」説

セックスをして心拍数が上がると、脳から「セロトニン」と呼ばれる化学物質が放出される。別名「幸福ホルモン」と呼ばれるこの物質は、軽い鬱状態が治るほど、落ち込んでいた気分を高めてくれる効果がある。また、同じく幸福ホルモンであるオキシトシンやエンドルフィンなどが分泌されるため、セックスすることにより頭痛や関節痛が軽減したという報告もある。オキシトシンには睡眠を促すというメリットもあり、質の良い睡眠をとることで、幸福感の増加や、高血圧や体重の増加を防ぐことに繋がるという。さらに、「サイコロジー・ジャーナル」誌では、24時間以内にセックスをした人としない人では、した人の方がストレスの多い状況にうまく対応したと発表している。

ここで気付いたが、むかし漢籍をよく読んでいたころに、『黄帝内経』や『医心法』を読んだことがある。べつに房中術への興味ではないが、いわゆる「性養生(ようせい)の法」である。「性養生の法」というのはセックス、つまり性生活に関した養生法のことである。セックスを医学の一分野としてとらえているところは東洋医学の独特なところで、西洋医学にはまったく存在しないところの発想である。東洋医学は、自然と人間の調和を基本として、我々の日常生活の中から生まれてきたものですから、食べたり、眠ったり、動いたり、考えたりすることと並んで、セックスすることも、当然、養生思想に含まれ、りっぱに医学の対象となる。東洋医学ではセックスすることは、生命の誕生を意味し、生命の根元である「先天の気」と結びつけられて重要視されてきた。

「気」の概念は「陰陽五行理論」と併せて、東洋医学の基本である。「気」なくして東洋医学を語ることはできない。『黄帝内経』には「病は気から生じる」という言葉がある。この気に、陰の気と陽の気があって、陰陽の気の不調和が病気である。また、気が体中に過不足なく円滑に循環している場合を健康、過不足があったり流れに停滞のみられる場合を病気と説明する。気には「先天の気」と「後天の気」とがあり、先天の元気は、親から受けるものであり、後天の元気は、生まれてから呼吸や飲食によって得るものとされてる。

従って、先天の元気を産み出すセックスは養生医学の中で非常に重要な位置をしめる。養生医学では、両親から受ける先天の元気は、「精(男は精、女は血)」と呼ばれ、この精こそ、その人の一生を左右する大切なものである。したがって、この精を次代に受け渡していくセックスは十分に心をこめて行わなければならないし、みだりに用いれば精を浪費することになって、自分の生命を縮めることになるとしている。
養生医学の性養生の法の古典には、『素女経』『素女方』『玉房秘訣』『玉房指要』などがある。いずれも房事疲労を重要視していて、過度のセックスは、さまざまな病気を引き起こすことになり健康を害するとの立場もとる。

具体的には、セックスには「8つの益と7つの損」があるとする。セックスする時は、男女の気の調和とそれに合った体位をとることが重要であるとして、それぞれの状況下での養生の方法がまとめられている。また、過度のセックス、セックス疲労をしてしまった時の養生の方法に関しても、食物、鍼灸・指圧、漢方薬をもって回復する方法が記載される。ここらは、最近の欧米の研究とは、すこし違う。

また、東洋医学の古典の中に登場する歴代の名医はみな長寿で、房中術(性養生の法)にたけていたという記録がある。その中で、歴代最高の長寿は、有名な殷の時代の名医で仙人とも呼ばれた「彭祖」で、なんと800歳まで生きたことになっている。彭祖は、自分自身の医学の中で、養生医学を一番重んじ、中でも「房中術」の天才であったとのこと。

この「房中術」の奥義を彭祖のように極めれは、仙人になれるに違いない!?
「医心方」巻第Ⅱ八房内の教えにしたがい、若死にしたくなかったら「多接」「少泄」「易女」「御少女」の4か条を守れ、ということなるか?

「御少女」に関しては、一休さんだなあ!

テレビの一休さんと違い、実物はなかなかの曲者。また若いころから堂々と遊女買いを趣味としていた僧である。
歳とって、若いころの愛人の尼から、またラブしようとの手紙をもらう。その返事が素敵で、もう30年も前の読書だが、当時大笑いしたものだ。
それにいわく、「我がものはゆるく、君がものはひろし」である。なんという素晴らしい漢文の返信。でも、おばさんの元愛人はことわりながら、本人は盲目の美少女をかこい、朝な夕なであったから、まあ、さすがである。つまり、これは一休さんの 「御少女」だな。老いた男は陰である。美少女の陽の気を得るのは、理屈としてまったく正しい。さすがです。

以上は、老人ホーム業者とてしの「老人と性」についての研究。問題は、理屈ではなく、実践なのであるが。これは、これで、なんとも、はや。このように最新の医学と伝統の思考が合致していくのをみるのは愉快だが、今日のニュースの67歳の新婚の妻に毒殺された75歳の気の毒な男も、ここらあたりをしっかり学んでおくべきだったのか。一休さんや、松浦静山をである。この江戸時代後期の大名さんは、少女と「お女郎さま」のマニアである。ともに、かなりの長寿だなあ。「幸せホルモン」をしっかりと分泌させつづけたのであろう。

そういえば、2500年前。釈迦も孔子も、80歳という当時としては驚くべき長寿を達成している。彼らは、なにが「幸せ」だったのだろう、ノーセックスだが。まあ、社会的には人からたいへんに尊敬されて時代的に成功し、つねに多くの人に囲まれ、弟子たちに教え諭しつづけているから、そりゃ生き甲斐があり、幸せホルモンもたくさん出たのかも知れない。ひとり暮らしの男やもめが、早死にするわけだ。そんな理屈か。これが課題だなあ、ともかく。理屈だけではねえ。「愛」は生きる力か。誰もが、愛したいし、愛されたいのか。たとえペットの犬でも。世話はたいへんだが、それが幸せホルモンの理由か。人の中で生き、利他行をなすべし、か。

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あちらこちらに秋の風、いづこも同じか

この日乗を読み返してみると、一年前はずいぶんと経済問題に気を取られていたようである。アベノミクスという経済実験がどうなるかが興味の中心だったが、いろいろな経済学者がその効用を論じていた。しかし「経済学とは、よく言って見事なまでの役立たずで、悪くすればはなはだしく有害なもの」ともいわれる。その通りだった。
海外旅行好きとしては、「円」の値打ちが露骨になくなるのが痛いなあ。その都度、今、替えておこうか、つぎまで待とうか考えるが、行くたびに安くなっている。だが、「円」は日本の顔であるが、その値打ちを下げるのに汲々とする政府とは、さてなんだろう。円安などという発想は、後進国や中進国のレベルのことであり、まずは経済失政やなあ。

大阪の事業者としても電気料金が問答無用で一割アップされたり、諸式物価が上がる。国内業者にはつくづく迷惑な話であるが、では、マクロではどうなったのか?

先週の雑誌の藻谷氏記事によれば、今年上半期の数字から試算すると、今年の貿易赤字は十数兆円に膨らむ。鳩山政権の2010年には10兆円の黒字、野田政権の2012年が4兆円の赤字であるから、日本はすごい勢いで貿易黒字国に転落している。日本は対中貿易で、鳩山政権当時は4兆円近い黒字を稼いできたが、それが安倍政権の昨年は1兆円の赤字に転落した。アベノミクス以降、日経平均は9割上昇したが、国民や中小零細企業の大多数は円安で経費がかさむだけで、なんの恩恵も受けていない、その他。原発を止めたから、火力発電所の石油輸入が増えて貿易赤字国になったという「新原発神話」についても、原発事故以前も以後も、石油や天然ガスの輸入量は2億5000klと横ばいで増えておらず、自分て円安にして日本を大赤字国にしたあげく、原発を再稼働せよというのは、相手を転ばせて怪我をさせておいて、さえクスリを買え、というようなものだと氏は説く。

1年前に、この経済実験のはじまりの時期に、さてどのうよな国家的人体実験の結果が出るか、その経済論争に興味津々であったが、予想通りのつまらない結果になり、いささか熱が冷めた。三本の矢の話も、もう聞かなくなったなあ。われわれ事業者は親亀の背中の子亀であり、とくに介護事業者は社会保障制度という親亀の背に乗っかっている。1年前は安倍政権の失敗を予測していたが、できれば成功してほしかったものであるが。
こんど海外旅行をするときは、現地通貨を多めに買っておく程度の打つ手しか無いか。

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「空」ですよ、「空」

仏教を学ぼうとするとき、だれもが躓くのが「空」という言葉である。とうぜんに、私も躓き、なんとか噛みついてはなれないようにした。

マルクス・エンゲルスは『共産党宣言』の冒頭で「妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が」と述べている。これをもじれば「妖怪が仏教史を徘徊している。[空]という妖怪が」となるのだろうか。
仏教の初学者だけでなく、ほとんどの人が答えに困るのが、この「空の思想」なるもののようである。これに関する図書はじつに多いが、しかし、あえて言えば各人各様。じつにこまった言葉である。徳利があって、でも中に酒がないとか、なんとか。葦をむすんだら庵になるが、解けばもとの野原だとか。

テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老は、『般若心経は間違い?』において、五蘊が空であるとして、それは組み立てられたものであり、芯になるものはなく、ゆえに空だと解説する。また「空」は特別視するほどのものではなく、初期仏教においては、ただ現象の姿を説明するのにいろいろな単語を使うが、そのいろいろな類義語の一つの単語にすぎないとする。特別にハイライトして扱うほどの単語ではないと断じる。これは小乗の理解での「空」である。それは縁起のシステムを意味し、「此れあるとき彼あり、此れ生ずるより彼生じ、此れなきとき彼なく、此れ生じるとき彼生じ、此れ滅するより彼滅す」という因縁のシステムの表現の、ただの一つであり、格別に重要な概念ではないとする。

だが、中村元『龍樹』247頁によれば、「空」については、小乗は個人存在の空(人空)を説くが、大乗では法空(ほっくう)が説かれるとする。つまり小乗と大乗の空観はすこし違い、小乗の空と大乗の空は、かなり異種な概念・思想・感覚のようである。基本的に『中論』では、縁起=空=仮=中道 の図式がなりたつ。因縁所生の法、我すなわちこれを空と説く、亦これを仮名と為すが、亦これ中道の義なり。

小室直樹『宗教原論』によれば、小乗の縁起は 原因A→結果B という原因から結果への一方的な因果関係である。例えば十二因縁は、無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死、つまり単純因果関係、線型因果関係である。これを順観あるいは逆観する。
ところが『中論』では、つまり大乗の中観派の縁起解釈、つまり「空」解釈はまるで違う。単純因果関係ではなく、それを相互依存関係として捉える。←→A←→B←→C←→A であり、互いに因となり果となり、それぞれの相互依存関係(相依性)を通じて、同時に意味が決まる。これが龍樹の因縁であり、「空」の構造である。
つまり小乗の人空が、個人を対象にするのに対して、大乗の法空は、世界の諸現象も対象にする。世の中、諸現象すべて「空」である。縁起の意味変換、意味拡大が行われたのだ。一大飛躍である。では、なぜ意味を変換する必要があったのか?

佐々木閑『般若心経』の解釈が、じつに腑に落ちる。
般若心経は、初期仏教の基本テーゼである五蘊説、十二因縁説を公然と否定する。つまりゴータマ・ブッダの原点を否定するのである。佐々木氏の説くに、釈迦の時代の「空」と大乗仏教の「空」は同じではない。釈迦仏教も大乗仏教も、たとえば「石」や「私」など、私たちが「ある」と思いこんでいるだけのまぼろしだと考えるのは同じである。しかし、五蘊や十二処、十八界のような釈迦仏教が認めた基本要素まで「存在しない」と言ったのだ。すると、釈迦が説いたこの世の法則性も、すべて架空のものとなる。要するには、釈迦が構築した世界観を「空」という概念を使うことによって「無化」し、それを超えるかたちで、新しい世界観を提示したと佐々木氏は説く。神秘主義的世界観である。
これは合理主義的な釈迦の教えの全否定であり、霞か雲かのような「空」の概念を案出して、神秘主義を導入し、小乗のように出家して修行に身をささげなくても、業の因果則から解放されるアイデアを大乗、在家の側が考案したと佐々木氏は解説する。

般若心経の底を流れるのは、合理的で端正な釈迦仏教ではなく、マントラ、呪文であり、神秘主義が充溢している。おそらく、この時期にバラモン教がヒンドゥー教に発展しインドの主流となるが、仏教側ともコンフリクトを起こしており、そのあたりも研究課題であろう。

してみると、「空」という言葉も、ある意味呪文となる。スマナサーラ長老と佐々木氏の解説で、私なりにだいたい「空」の理解ができた。スマナサーラ長老は「空」とはとくにハイライトさせるほどの概念ではないと説くし、佐々木氏は、それがハイライトされた理由を解説する。
納得である。私も少し賢くなった。「空」については、それを重要な宗教的、哲学的概念とまで扱わずに、仏教史的にみて意味が変容し、用いられ方も変質した程度の理解で足りるようである。バートランド・ラッセルは『宗教から科学へ』をのべた。龍樹は「科学から宗教へ」をのべたのか。星の数ほどの仏たちの世界である。

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四苦にため息するより、ユダヤ移民のように

ウルマンの詩はポピュラーである。若いころにこのように詩を読むとは、甘いことをなどと考えるが、この年齢になり、さまざまな想いなども積み重なると、そうだねえと共感するだけだ。老人による老人への応援歌か。これは同じ立場でないとわからない感情だろうな。若い息子に言っても、それはだめだ。なかなかに言葉は通じない。すっかり他人様か。でも、秋だなあ。でも、がんばろう。でも、勉強しよう。でも、たくさん旅しよう。おおくの人と逢おう。左フックも、左ミドルももっと上手になろう。でも、居合抜きのような鮮やかさをもとめて、右ミドルを磨きぬこう。でも、だれかれと、ともに飲み、与太を飛ばそう。

青  春
サミエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

YOUTH

Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being’s heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

Samuel Ullmann of Birmingham, Ala.

「別訳」
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。

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隣席の元総領事

9月20日の昼である。スワンナプーム空港から大阪行きタイ航空機に、あわててのる。席に着こうとすると、すで窓際にすわっているフランス系と思われる白人が笑いかけてくる。笑い返す。しかし、人なつこい人である。しかし、ある程度の日本語が使える。さまざまなことを語り掛けてくるのである。CAさんが飲み物を聞くので、彼は白、わたしは赤にする。ガラスのコップよりプラスチックにしてと言っている。わたしもまねる。こちらのほうが沢山はいるから、と笑っている。とりとめのない話を、英語と日本語のチャンポンでしているうちに、自己紹介された。Daniel Aviolat氏。在大阪スイス総領事館元総領事で、スイス外務省入省後、大阪、ジェッダ、ベイルート、シンガポール、モンロヴィア、パリ、ベルン、アテネなどの国々で外交官として駐在し、大阪ではスイス総領事をしていたとか。在大阪スイス総領事館の総領事を最後に退官後も、神戸に在住、 現在、立命館大の客員教授らしい。

じつ面白い人である。大阪まで5時間、本でも読もうと思っていたが、氏との話で、ずいぶんと時間がはやかった。無宗教同士ということからはじまり、いわく、芭蕉より蕪村が好きだと。また能や文楽は好きだが、歌舞伎は好きになれないと。逸翁美術館の話し。こんど丹波に焼き物に行くとか。陶器の話し。タイの政情談義。通貨と為替の話をし、スイスはユーロではないのかと聞くと、嫌な顔をされたが、記念に1スイスフラン硬貨をもらう。スイス・ワインの自慢をされ、でも、夏でも酒の熱燗で刺身が大好きだという。高野山によくいくというので、弘法大師論になる。あれは仏教ではなく、ヒンズー教だ、呪術の世界であり、仏教の最も堕落した形態だというと、しかし、あの異質な空間が好きだという。どうやら、眼に見える感覚世界から入る人のようだ。それを自分的に解釈して、選択している。ともにノーレジオンということで、すこし宗教談義。出雲大社に15回行ったとのことで、その清浄な感じが好きなようだ。能が好きで歌舞伎が嫌いなのは、そのシンプルさが気に入っているらしい。
わたしも出雲出身だというと、竹野屋を知っているかと聞く。竹内まりあの実家だという。知っている、出雲大社の真ん前の旅館だとこたえると、のぶおさんを知っているかと聞く。さすがに知らない。高円宮家との交流、お茶の千宗家による茶会での話し、震災で行きつけのガード下の居酒屋がつぶれて音信普通になったので、任地のアテネでどのくらい心配したかの話し、そして、機内食のごはんの米を美味しがり、これは何かと聞くので、ジャスミンライスだと答えると、神戸のメイドさんはミャンマー人でどんな料理でもできる。神戸でこの米が手に入るかと聞いてくる。after life の話しをえんえんとする。さすが外交官あがりであり、話しの内容が、おどろくほど幅広いし、友愛の感情に満ちている。
それやこれや話し合いながら、ふたりとも昼寝にはいったが、自分のインチキ英語がちゃんと通じているのに、自分でおどろく。観光客として簡単な英会話はしているが、ちゃんとした知識人と、英語でちゃんとした会話をする機会はすくない。しかし、話す気があれば、言葉は通じるもんだ。
スイスと神戸に住居をもち、その中間点がタイで、5時間でバンコクに行き、数日滞在し、また5時間で大阪空港というスタイルらしい。2つの世界で自分の人生を組み立てている。それは、じつに結構ですなあ。別れ際に拳骨で肩を叩かれた。機内の免税品販売で、メイドさんのためにずいぶんと良い香水セットを買っていたが、でも、それはどういうことだろう? しっかりした金の指輪を左小指にしているのは、どんな意味があるのだろう? 聞きたかったけど、聞けなかったなあ。

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タイだなあ

朝の日経新聞を読む。タイ情勢について「軍主導の暫定政権始動」とある。プラユット暫定首相兼陸軍司令官は、「政治家で構成する政権ではないから票目当てで有権者におもねる人気取り政策は不要だ」と、あえて非民主的な政権の利点をあげている。チャーチルの「民主主義は最悪の政治形態であると 言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば。」 という言葉が があるが、ポークンの政治、タイ式民主主義の再発動である。
ただ、数日前の新聞に、固定資産税と相続税を10%にするとの報道があった。これは感心ものである。東南アジアのどの国でも、固定資産税、相続税、贈与税がない。したがって、金持ち家族は雪だるまのように富を蓄積できるが、99%は貧困の現状のままで、それを変えることができない。9月に旅行したが、おおむねバンコク人は軍事政権を好感しているようである。逆に、下手に議会制民主主義を標榜している国は、じゅうぶんに政治が機能しているとは言い難い。なんだろうね、これは。たしかに、発展途上時代のアジアで成功した政治リーダーは、ほとんどが開発独裁型だった。
議会制民主主義の制度的、装置的欠陥もあるからなあ。得票率と議席率との乖離があるし、プラユット暫定首相兼陸軍司令官の言う通り「有権者におもねる政策」をとるしかないのが、今の議会制民主主義なるものだからなあ。だが、赤にせよ、黄色にせよ、タイ政党の腐敗ぶりも結構なものだが、軍・警察幹部も同様な拝金的特権階級なのは、だれでも知っている話しだが。

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中国の浄土教

日本の浄土教は中国浄土教の生徒である。日本の浄土教を知るには、まず中国の浄土教について概略を知る必要があろう。

唐代における中国浄土教の展開について

1. 中国のおける浄土教のはじまり
仏教史家は初期の中国仏教界の偉人として仏図澄、道安および慧遠の3人をあげる。もっとも功績のあったのは道安であろうが、その弟子である慧遠(334-416)は、中国浄土教の開祖ともされる。この慧遠の教義はすでに神不滅論とされ、霊魂=神は肉体の死とともに滅びず、新たな肉体に宿って不滅であると主張する。とするならば、死後の世界がどこにあるかが教義の課題となるのは自然である。慧遠は、廬山において白蓮社を結成し、中国浄土教の開拓者としての役割を果たしたが、中国浄土教は三つの流れに分類出来るとされる。第一は廬山流であり、白蓮社の「観相の念仏」の伝統である。第二は、唐の善導流で、曇鸞、道綽、善導の流れで他力の「称名の念仏」であり、第三は善導の弟子慈愍(680-786)流の念仏禅である。これは隠元が江戸初期に日本に伝えた黄檗宗である。
本設題は、唐代の浄土教であるから第二の善導流をテーマとする理解し、2において概略を述べ、3において、その教理の構造を述べる。

2.称名念仏の誕生
第一の慧遠の念仏は、初期大乗仏典といわれる『般舟三昧経』に基づいて、瞑想により阿弥陀仏を禅観するという観相念仏であるが、長い修行と実践を必要とする。第二の善導流は、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三経と、『往生論』の三経一論によっている。
曇鸞(476-542)は不老不死の教えとして『観無量寿経』をとらえるが、さまざまな注釈書を著わす。当時は戦乱がつづき廃仏令もだされ、曇鸞はその時代を正法、像法、末法の末法の時代ととらえる。当時の末法史観の代表的なものとして『大集月経』があるとされるが、像法や末法の時代は、自力で悟りを開くことも、修行をやり遂げることもできないとされるらしい。従って、阿弥陀仏の力で阿弥陀浄土に往生してから、そこで菩薩となって修行し悟りに達するという方法しかないことになるとされる。そのため、この世に生きている間は、ひたすら阿弥陀浄土に往生させてもらえるように阿弥陀仏に願い、救ってもらうのが一番だということになる。
この曇鸞の碑文を読んで、道綽(562-645)も浄土教に転身する。『安楽集』では、時代はすでに末法の時代であり、聖道(自力修行での悟りの道)はこの時代ではかなわず、「末法相応の法」しかなく、それは阿弥陀の本願にすがって、阿弥陀浄土に往生することだけが、唯一救われる道だとするものである。
そして、この道綽の弟子である善導(613-681)は、極楽浄土は実在することを主張した。そして「南無阿弥陀仏」ととなえる称名念仏によって、極楽浄土へ往生できると提唱した。それまでの難解な教義とくらべて、この善導流はわかりやすく、実践しやすいので、一時期、中国の浄土教を風靡した。長安の街は念仏の声が絶えず、善導に感化された信徒からは、極楽往生をもとめて投身自殺するものが絶えなかったとされる。しかし、善導流の隆盛は一時的であり、善導の没後まもなくして廃れたようである。
その後、中国浄土教は、瞑想を重んじる禅と融合し、禅の修行を実践しながら、同時に念仏をとなえ、死後には極楽往生を願う「禅浄一致」が主流となる。

3.称名念仏の教理について
大乗仏教の定義について正木晃『あなたの知らない「仏教」入門』27頁以下は、「もっとも重要な要素は、《人格をもつ神に対する信仰》が生まれたことです」と述べる。その特徴について、正木前掲書181頁以下は、「大乗仏教の特徴の一つは、歴史上のブッダをモデルとする釈迦如来のほかに、複数の如来が出現したことにあります。そのなかでも阿弥陀如来や薬師如来など、初期大乗の如来たちには特別な性格があります。それは過去世においてまだ菩薩だったころ、自分の師である如来の前で、これこれのことが実現しないかぎり、わたしは悟りを開いて如来にはなりません、といって誓願とよばれる約束をし、その後のながきにわたる修行の結果、如来になったというものです。また、如来となったのちには、いまわたしたちが生きている世界とは別のところに、仏国土とよばれる独自の世界を主宰し、そこで教えを説いて生きとし生けるものすべてを救うという点も、注目すべき点です」と述べる。

この大乗仏教の発展とともに仏国土すなわち浄土という思想がすすんだ。小乗仏教においては、さとりへの道としてすぐれた修行者はまず阿羅漢となり仏陀となるが、大乗では菩薩となり如来となる。その時に菩薩ごとに、つまり如来ごとに一つの仏国土を持つことになる。
まず菩薩たらんとする者は、総願(度・断・知・証、四弘誓願)と別願を立てる。そして浄土宗で最ももとめられたのが阿弥陀仏である。法蔵菩薩が四十八の別願を立てておこした浄土が西方浄土である。そこへの往生を願うのが浄土教であるが、その教理は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経に示されているとする。
その『無量寿経』にある法蔵菩薩(阿弥陀仏)の第十八願「念仏往生の願」が教義の核心となる。それは、念仏を唱え者に阿弥陀仏が来迎して、極楽浄土に導いてくれるという功徳であるとする教義、別願である。また善導流では、魂は存在し、極楽浄土は死後世界として存在しているとみなしている。正木前掲書182頁は、「極楽浄土は死後に生まれ変わるべき理想の場として設定されている」と述べる。
これは庶民にも分かりやすい教義であり、実践も簡単である。善導が教えた長安の街は、称名念仏であふれたというのは、前述のとおりである。

4.おわりに
だが意外にも、中国浄土教はインド浄土教を受容したものではないようである。正木晃前掲書は、179頁以下で、阿弥陀仏にたいする信仰は、インドでは盛んでなかったというより、弱かった。確実に阿弥陀如来像である仏像の作例もたった一つしか見つかっていない。また、紀元前後に、仏教のみならず、バラモン教・ヒンドゥー教にも、超越的な存在に対するひたすらな信仰による救済という発想が突如として出現した。こういう発想は、それまでのインドの宗教界にはまったくなかった。それらを考えると、この時期に、西アジアから新たな動きが導入されたとみなすほうが自然だ、と述べる。神なき宗教だったはずの仏教が、天国と「人格をもつ神」の宗教に変容したのには、インド仏教内部の自律的な運動の結果とは別に、なんらかの影響を受けた可能性があるとして、正木晃前掲書は、22頁以下で、「はっきりいえば、従来のインド仏教とは別の要素が、どこかの時点で、外部から加わったのではないか」と結論する。『観無量経』は漢訳しかなく、代表的な初期大乗仏典の原型は、そみそろって北インドから中央アジアで成立している。「たとえば、古代イランの支配宗教であったゾロアスター教とか、さらにはもっと西のほうで盛んに信仰されていたミトラ教の影響を考慮せざるを得ない」と正木は述べる。美術史もそれを裏付けるとする。
これらはキリスト教と同様に、全能の人格神と天国と地獄、最後の審判をもつ救済の宗教である。すると、これは浄土教と同じ風景となるのか?

ひとくちに仏教といっても、内実は複雑のようである。その意味でも、中国の天台宗や浄土宗が消えたのに、逆に、日本において発展し、今にのこるのも、また仏教史の不思議の一つであると思う。

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中国への仏教初伝をコンテクスト論でながめる

サンスクリット語と中国語は、その言語構造がおおいに違い、また異質な文化・文明である。そのような異質な両者において宗教のような「世界」の移植が可能かは、さて、どうだろう。

中国における仏教伝来当初の受容形態について

1.異文化・異言語において完全なる概念受容は可能か?

ペンは剣よりも強しの英語「The pen is mightier than the sword.」をフランス語に翻訳し、さらにロシア語に翻訳して、元の英語に再翻訳すると「ワインはパンより美味しい」となると言う。
コミュニケーション理論において、聞き手は発話の意味を、自分にとって関連性を持つものと仮定し、コンテクスト(文脈や状況)に応じた推論によって解釈するとされる。さらに「ロー・コンテクスト(Low context)、ハイ・コンテクスト(High context)」という概念は多文化間でのやりとりをしていく上で非常に重視される概念である。コンテクストは、「文脈・背景」などと訳されており、ロー・コンテクストとは文脈や背景や共通の価値観に頼る傾向が低く(ロー)明確な言葉によるコミュニケーションにより信頼を置くもの。ハイ・コンテクストは言葉だけでなくその他すべての要素をコミュニケーションの手がかりにし、文脈や共通の知識に頼る割合が高く(ハイ)なるとされる。たとえば、余計な説明のいらない「あうんの呼吸」は、ハイ・コンテクストの典型例である。だが逆に、異言語、異文化の交流は、このロー・コンテクストの典型例であり、その歴史的・文化的背景は何なのかを双方が理解せねば、多様な文化間で交渉したりコミュニケーションしていく上で非常な困難をもたらすことが指摘されている。
仏教はインドから発して北伝して、中国に伝わったが、ともに固有の文明を誕生させた異質な地域である。その精神文化と言語構造には隔絶したものがある。経典の翻訳は、たんなる用語を置換する機械的作業ではなく、つまりテキスト部分の翻訳ではなく、基層文化と異種概念である言語認識、世界観と宇宙観の発信と受容過程の衝突と調整の過程とも言える。「文明の衝突」とも言える。だが、もともと、土着のコンテキストに無い概念の受容は、これは本質的に困難だとされる。テキストを受ける側は、自らの土着の言語構造と文化のコンテキストにそって、その範囲内で、それを理解しようとするからである。
以下、2においてインド仏教思想の中国での初期伝播の状況を述べ、3において、その受容における形態の変遷を述べて、4においてその中国化、5において、異文明異言語構造における変容的理解、ロラン・バルトのいう「誤読」を述べる。

2.ブッダは老子である

『中国仏教史・上』9頁以下は、仏教初伝について裴松之『三国志』注引用『魏略』「西戎伝」記述により、それは前漢末期、紀元前1世紀の末とする。また、それは経典ではなく「口授」によるものであり、さらに「浮屠の所載と、中国の老子経とは相出入りする」として「老子は西のかた関を出て、西域の天竺に過り、胡を教えた」と記述する。いわゆる老子化胡説である。すなわち漢代の中国では新しく伝来した仏教を中国神仙思想の一つとして受容したと推定されるが、確実に仏教信仰の記録が残るのは後漢の明帝の異母弟である楚王英(~71)である。正史『後漢書』楚王英伝には「楚王は黄老の微言を誦し、浮屠の仁祠を尚び、潔斎すること三月、神と誓いをなす」と記録される。楚王英は、黄帝や老子の神仙思想、道教的思想と仏教を合わせて尚び、特別な儀式を営んでいた。すなわち、楚王英の時代は、仏教は中国古来の神仙思想として理解され、その一種として現生利益を求める宗教として信奉されていたとされる。老子化胡説は中国の老子が西に行きブッダとなったとするものだが、仏教は中国初伝において、そのような受容のされ方をしていたと推測されている。

3.経典の漢訳と中国化

鎌田茂雄『新中国仏教史』16頁以下によれば、黄老信仰や不老長生術の一つとして入った仏教は、やがて後漢の恒帝代になると勢力の拡大をはじまったが、また経典の漢訳も進められた。最初の漢訳仏典を提供したのは安息の安世高と月氏の支婁迦讖であった。鎌田前掲書は「中国人が自国の国語に移された外来経典を見たのは、安世高・支婁迦讖の時点からである」と述べる。やがて、このような西域からの渡来僧により、さまざまな経典が漢訳されることになる。
中国仏教史においては、この漢訳を①古訳時代=漢~三国、②旧約時代前期=南北朝(仏図澄・道安)、③旧約時代=鳩摩羅什、④新訳時代=三蔵玄奘の4期に分けて考えればよいようだが、①から②の時代は、とくに「格義仏教」とも称される。前述のごとく、土着のコンテキストに無い概念の受容では、テキストを受ける側は、自らの土着の言語構造と文化のコンテキストにそって、その範囲内で、それを理解しようとするが、仏教伝来の初期では、神仙思想や老荘思想の用語で仏教の経典を漢訳していたところがあるとされる。
鎌田前掲書49頁以下では、「異質の外来文化や思想を受容するためには、受け入れる側にその外来思想と類似したものが存在していなければならない。中略、中国において仏教の受容を可能ならしたのは、中国の固有思想としての老荘思想が存在していたからである。仏教思想を老荘思想によって理解した仏教を格義仏教というが、この格義の意味を初めて鮮明にしたのは竺法雅である」と述べる。
古訳時代の訳経家としての第一人者であった月氏の竺法雅は3世紀末の40年間ひたすら訳経に従事したが、竺法雅の教えを聞く門人たちは教養のある中国の士大夫であったが、彼らには中国古典の素養はあっても仏教の用語・教理はほとんどわからなかった。そこで竺法雅は、仏教の経典で説かれたことを中国の古典に書かれたことがらなぞらえて理解できるようにしたとされる。たとえば、仏教の「空」の思想は、老荘思想の「無」の思想と相通じるものだとされる。

4.道安の訳経での方法論あるいはテクスト論

西域からの渡来僧の中には、訳経を行わないで法力を示して信徒を集める僧侶もいた。かれらは神異僧とよばれたが、亀茲から渡来した仏図澄(~384)は、当時は五胡十六国の戦乱の時代であったが、胡族の王たちの信頼を受けて、仏寺を893も建立し、門徒は一万人を数えたという。彼が養成した僧たちが中国仏教界を背負うようになる。その最も重要な弟子が道安(312-385)である。『中国仏教史・上』66頁は「道安は乱世にありながら数千の門弟を導き、仏典を注釈し、経典の目録をつくり、また戒律を整備して、仏教の興隆と解釈の上に、新しい局面を開拓した。中国の仏教は道安によって、その基礎が固められたのである」と述べる。

鎌田前掲書45頁以下において、道安は経典の漢訳はしていないが、仏教の教義は仏教経典によってのみ理解すべきと主張し、儒教や老荘思想の言葉で仏典を解釈しようとする格義仏教を批判した。そして訳経僧を組織して訳業を行わせる際に、次の「五失本、三不易」の原則を示したと述べる。
「五失本」を整理すると、
①原典を漢語に翻訳すると語順が逆になること。
②原典ではその内容をこそ重視した文体であるが、漢文に翻訳するには、(漢文の性質上)修辞する必要があること。
③原典ではまったく同じ内容を何度も何度も繰り返すが、漢訳時には繰り返さないこと。
④原典に冗長な語句があった場合、その要とする点を把握して翻訳するのであれは、冗長な語句は削除してよいこと。
⑤原典では、ある主題から他の主題に移るとき、先の主題について再度繰り返し説いてから移る形式をとっているが、繰り返さなくて良いこと。
「三不易」を整理すると、
①凡夫が原典にある伝統的な表現を現代風に勝手に改変しないこと。
②仏陀とは凡夫とでは全く異なるのであるから、仏陀の微妙深遠なる教説を、自分たちの都合や程度の低い理解に合わせないこと。
③仏陀がなくなってすぐに500人の阿羅漢によって仏典編纂の大会議「第一結集」をして検討したのであり、現在の者が勝手に仏説を取捨選択しないこと。
この道安の方法論は、異文化理解や翻訳にあたって、おおいに参考になると思われる。このような経典の真意を解釈しようという動きは、義解仏教とよばれ、道安は「格義は迂にして本乗に乖く」「先旧の格義は理に違うこと多し」と主張した。

5.異質な言語構造という難問

古代文明において、論理学はインドとギリシャにしか生まれなかったが、正木晃『あなたの知らない仏教入門』203頁以下では、日本語とサンスクリット語の言語構造は違い、このような違いはものの考え方に大きく影響するものであり、インド人の発想が日本人の発想よりもずっと構造的な傾向にあるのは、これに由来すると述べる。積木タイプのサンスクリット語は論理を展開するのに便利にできているが、数珠つなぎタイプの日本語はそうはいかないとも述べる。さらに長尾雅人『世界の名著・大乗仏典』を引用して、サンスクリット原典を数多く日本語に翻訳した長尾氏の言葉「インドから中国に行く過程において、いわゆる認識の問題とか、存在の問題とか、そういう精密な論理がほとんど落ちてしまうのではないかと思います。それは一つには、漢文という言語の構造が精密な論理をうまく表現できるかどうか、名詞か動詞か、さっぱりわからないというようなところがありますから」を引用して、異文化、異言語構造での翻訳の困難さを語っている。
そして正木前掲書は「中国や日本で『般若心経』がさまざまな解釈を生んできた原因も、ひとつはこういう中国語や日本語の言語構造にありました。まさに言語構造こそ、超えがたい関門だったのです」と、経典翻訳の本質的困難性と「誤読」について述べる。
ペンは剣よりも強しの英語「The pen is mightier than the sword.」をフランス語に翻訳し、さらにロシア語に翻訳して、元の英語に再翻訳すると「ワインはパンより美味しい」となるというのは、まだキリスト教文化圏内での同系言語での翻訳の場合である。異質文明圏において、異質言語構造間での異文化伝達と翻訳であるから、中国の仏教初伝における困難さと、ロラン・バルト的解釈、意図的誤読、あるいは無意識的誤読は避けられないことであり、インド仏教が、やがて変容してかなり異質な中国仏教にかわるのは、これは必然であったのだろう。これは日本仏教も同様であろう。
鳩摩羅什も、サンスクリット語原典を漢語に翻訳するのは、美味しいご飯を口で噛んでから与えるようなものだと比喩している。それでは、味も香りもなくなり、ただ汚らしいだけだそうである。

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学習ノート2 何度も「誤読」するインドの方々

 学習ノートその2である。もともと年齢相応に、すこし心の安定をもとめてこんなことをはじめたのだが、玉ねぎの皮むきになっている。こんなはずではないと、ちょっと涙が。最後まで玉ねぎを剥いたら、「空」をタタターとして発見しました、とはならないなあ。ばかやろう、寂しいじゃないか。さて、学習ノート1で、原始仏教からアビダルマに行ったから、つぎは学習ノート2で大乗だな。これはまたずいぶんと派手な世界となる。ロラン・バルトも真っ青である。

1.無数のブッダと無数の極楽の世界

 小乗と大乗では、おおきな断絶がある。とりあえず従来説によると、部派発展説あるいは各地のストゥーパ(舎利塔)に集まった在家集団説とか諸説はあるが、定説は無いようである。だが、仏教の中身が一変する。
 どの宗教でもそうだが、たとえ多神教でも唯一神のようなものがある。無数のブッダが生まれ、無数の極楽(仏国土)があるとされ、さらには普通の人間でも、修行をすすめることにより菩薩(ボーディサットヴァ)となる。これは悟り(ボーディ)を求める衆生(サットヴァ)を意味する修行者の意味であり、神でも仏でもなく、ただの向こう三軒両隣にすむ、ふつうの人間である。それが衆生の救済を発願して解脱すると、次の世においてブッダとなり、それぞれ一つの極楽(仏国土)の主人になるとか。
 これは小乗の大衆部の十方世界一仏多仏論よりはじまるとされるが、一人のブッダの支配する三千大千世界がいくつもあり、それぞれにブッダがいるというのである。それを受けて、東方妙喜国には阿閦仏が、西方の極楽浄土には阿弥陀仏が住するというような無数の信仰を生み出した。それぞれのブッダの仏像や仏塔も造られる。

 「どこでもドア」ではないが、「だれでもブッダ」の世界になったのである。まあ、わたしなりに考えてみれば、ゴータマ・ブッダ後、何百年もすると、すでにゴータマ・ブッダはゴッドとして神格化されていたようである。すなわち、ゴータマ・ブッダは、もともとシャカ族の一人の人間である。生きて、死んだ。だが、今はストゥーパ(舎利塔)に祭られ、ゴッドとなっている。つまり、もともと人間だった(過去)のに、今はゴッド(現在)になっている。ということは、人間はゴッドになれる。では、その仕組みはと考えるのも、一つの成り行きかも知れない。過去の人間が今のゴッドになっているビジネスモデルである。フランチャイズ化できるかも知れない。
 そこで、過去仏、過去七仏、現在他方仏というように解釈が生まれた。ゴータマ・ブッダのモデルが無数に成り立つと理解されたようである。

 もともと無我、魂などの実体がないことを教理としていた仏教だが、この大乗において、人間はだれでもブッダになれることになる。それは、人間は本来、その内部に「仏性」を持っているからだと説明される。これが大乗の特徴である「如来蔵」の思考である。原語はタターガタ・ガルバであり、タターガタは如来、ガルバは母胎の意味で、どの衆生も将来はブッダとなる可能性をもっているとする。これは日本では、本覚思想という形で発展し、だれでも「成仏」できると理解された。「だれでもブッダ」の世界である。そのうちこれは「もともとブッダ」になる。こうして神のいない宗教であった原始仏教が、その数百年後に、仏様つくり放題の多神教に変質したのである。果ては、密教となり、呪いとたたりとセックスの世界に入る。もう、これが仏教でしょうか、と言いたくなる。
 仏教はキリスト教のようなドグマ宗教ではないから、ローマ法王もおらず、統一的な教義も、教義の統一をはかる公会議もない。お経の偽造もむつかしくないし、聖書は神の言葉だが、仏教の経典は、ほんらい人間ゴータマの言葉の記録である。むかしのサイババのような人間が、自説をなにかに仮託して主張するのも簡単である。すると、変化する時代の集団心性と集団幻想、インド的混沌のままに、いくらでも変わりつづけることになる。

2.なにがジェーンに起こったか

 おおきなパラダイムの断絶あるいは変質については、トマス・クーンの科学革命理論、パラダイムシフトの理論が、だいたいに有効だろう。だが、大乗仏教の成立について、仏教学者は、部派発展説にせよストゥーパ(舎利塔)に集まった在家集団説せよ、それを仏教集団の内部の出来事として見ようとしている。そうだろうか。わたしは違うと思う。仏教の歴史の直線上に、このような突然の変質はないと考えるのが自然だ。

 まず、パラダイム論的に考えれば、ゴータマ・ブッダは、ガンジス川中流域での都市国家成立初期の人である。そのすぐ後に、アレキサンダー大王がインド侵攻戦争を行い、地元軍を撃破。西北インドにギリシャ系王国が誕生したことを知らない。やがて、さらにインドが発展し、世界との交易も活発となり、考古学的にも、南インドで大量のローマ帝国の金貨が発見されているが、そのような文明の移動や経済の世界的交流を知らない。つまり、王族あがりのゴータマ・ブッダが古き良きインドで「道を説いた」時代ではすでになく、国家権力も経済力も巨大化し、またさまざまな民族と文化、異民族や異教徒がインド大陸を移動していた、この時代の混沌としたインドを知らないのである。これも諸行無常。

 私は、以下のように結論あるいは仮説している。

第一、 普通仏教史を「発展」するものの一つとして捉える。まあ言葉あそびだが、これは「発展史観」である。
第二、 ここでわたしは、言葉あそびだが「埋没・消滅史観」を唱えたいところだ。
第三、 何に埋没したか、インドにである。

 この運動として見れば、仏教史の筋が通る。逆算すれば、最終的に仏教はヒンズー教に取り込まれ消滅しているから、上記の仮説は、単純に正しいのである。

3.インドによるインドのためのインド世界

 もともと仏教もその時代のインド世界のものであり、たまたま各国に伝播したが、それは結果としてである。インドの正統宗教はバラモンから、その発展形であるヒンズー教のながれとなるが、ここで肝心なのは、ヒンズー教の成立時期と大乗仏教の成立時期が、ほぼ同じとされることであろう。古代のバラモン教やウパニシャッドは、ある意味小乗バラモン教ともいえるかも知れない。だが、成立したヒンズー教は、はるかに民衆的であり、民衆の救済を積極的に図っている。おなじインド世界で、同時期に成立した二つの宗教の方向は、「軌を一」にしているのである。

 これは、ある意味では当然であろう。現在のインドのヒンズー教徒とイスラム教徒の抗争のように分離居住の形ではなく、ともに混在して住み、また龍樹などがバラモン教から仏教に転向したように、生活圏も同一であり、また文化的にもまったく同じなのである。お隣さんは浄土宗だが、うちは曹洞宗だ、程度の差しかなかったと思われる。事実、ゴータマ・フッダはヒンズー教においては、ヴィシュヌ神の九番目の化身として扱われる。つまり敵対どころか、「親戚以上」の関係なのである。
とうぜんながら、置かれている政治状況、経済状況その他、まったく両宗教は同じである。人的な緊密な交流もあり、その教義がにかよってくる、つまり「収斂理論」的に統合、融合されてくるのも自然のながれである。よく大乗仏教におけるヒンズー教の影響ばかり説かれるが、逆の現象も起こっている。ヒンズー教も仏教の影響をうけて、変わり続けていたのである。

 ヒンズー教は、哲学的には六派の正統哲学があったとされる。なかでも最も正統派とされるヴェーダーンタ派の中心的論者であるシャンカラの不二一元論が興味ぶかい。それによれば、ブラフマン=アートマンこそ、世界で唯一の実在であり、現象世界は「無明」によってブラフマンがあたかも幻のように展開するのであって、実在はしない。それゆえ、非現実の現象世界から、ブラフマン=アートマンの一致、根源にかえることによって解脱するとされる。
 シャンカラは、仮面の仏教徒と呼ばれるらしいが、これは、アートマンの非存在をのぞけば、仏教の教理構造と同じであり、また、この時期の仏教とは、浄土思想や如来蔵思想のように、すでに魂の実存を前提としていたのであるから、当時的には、両宗教とも、同一教義だったともいえる。そして、すでに当時は両宗教もともに多神教なのである。

 例外的に仏教に浄土教があるが、これはゾロアスター教の影響下に、ペルシャあたりで誕生したものとされる。絶対神が一人おり、天国と地獄のある救済の宗教である。『旧約聖書』では、バビロン捕囚の解放者であるこの頃のペルシャ王を「メシア」と書くらしいが、ユダヤ教もこのゾロアスター教の影響下に成立したとの説もある。キリスト教と浄土教の共通点を述べる論者も多いが、これはインドとは異質の世界からの訪問者であろう。となると、浄土教とキリスト教は、これば親戚筋か。脱線。

 まあ、後期の大乗仏教、すなわち密教となると、もうヒンズー教と見分けがつかなくなっている。密教の原理は、われわれの心身は、そのままで小宇宙であり、大宇宙と相似形と見做すものだが、ゆえに、小宇宙であるわれわれの心身を操作することにより、大宇宙と一致させれば、すなわち成仏、「即身成仏」に至るとするものである。これは、アートマンとブラフマンの一致を説く、バラモン教以来の「梵我一如」以外のなにものでもない。「収斂」したのである。さらに、両宗教ともに、タントラ、曼荼羅の世界にはいり、さらにはセックスの恍惚は悟りと同様であるとの飛躍にまで、同時に至る(客の取り合いで、ふたつの商店は、似たように商品を連発しあったのだろうか、それとも相手の有力商品をパクリあったのか)のである。つまり、仏教は、もとのバラモン的世界に帰り着いたのである。週滅したわけだ。
 仏教消滅の理由として、イスラム教徒の迫害があげられるが、宗教は迫害では消滅しない。逆に、さらに燃え盛るケースが多い。仏教は、変わりゆくインド世界にあわせて、インド教、すなわちヒンズー教の中に、ガンジスのながれのように、ながれこみ、みずから消えたのである。この場合は、いや、「収斂理論」は当てはまらないであろう。アウフヘーベンではなく、埋没・消滅したのである。7世紀に三蔵玄奘がインドをおとずれた時期、彼はヒンズーばかりであまり仏寺がないことを記録していのである。

4.学習ノート1と2で

 以上は、とりあえずのお勉強であった。「仏教の歴史は、仏教が仏教でなくなる歴史だ」という言葉があるが、玉ねぎの皮むきも、だからと言って、無意味だとも言えまい。だが、末木美文士氏は『思想としての仏教入門』で、「原始仏教は、仏教全体の基礎となるものであるし、現代の我々にももっとも納得のしやすいものである」と述べるが、付け加えれば、「原始仏教以外は、現代の我々には、いささか納得のしにくいものである」となるのだろう。だが、わたし的に思うのだが、キリスト教などには、人間自身が生命や宇宙を自ら考えるという思考がない。いわば、精神の自由がない。極論すれば、個人の存在は認められない。ダーウィンは間違っている。これが神を立てる宗教と、神を立てない宗教の大きな違いだろう。自分の内部を見つめ、自分と世界との関係を、ひとりひとりが考え、組み立て直す「何か」として、そこにあるいは21世紀の宗教としての、仏教の再生と意義があるのかも知れない。

 これはまた、ずいぶんと大袈裟な結論にしてしまったが、まるで良い子の答えだ。まあ、筆の成り行き、はずみである。でも、あんがい、そうかも知れない。そんな宗教があっても、いいじゃないか。コップの裏に顔があるより、ずっとましだ。いや、コップの裏にもあっていいけど。寂しいなあ。まあ、もとキリスト教徒の白人の若者が、自分の心を見つめる宗教をもとめて、チベットや東南アジアに行くが、現地の坊主は、あほだから、深遠な教理をたれながして、つまりあほなことを言うだけで、彼らの真のもとめには、応じられていない印象。むつかしいなあ。こういうものを伝える言語は、最終的には人格だからなあ。その人の存在だからなあ。

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学習ノート1 「誤読」するインドの方々と「空」について

 これは学習ノートである。仏教勉強での自分むけのテキストである。まあ学習、理解・認識とは、とりあえず脳内において言語的に整理あるいは再構築することであろう。受験生ではないからメモライズは学習ではない。学習は言語活動であり、自分の言語として自分の脳内にアウトプットすることである。インプットではない。
 このブログも会社のHPの誰も読まない片隅においているが、独り言であって、読者は一切想定していない。というより、無用である。読者はあくまで私一人である。徒然おもうことの言語化の粘土版がわりとして使っているだけである。
 さて、今日のお勉強は、「空の思想」である。

1.ゴータマ・ブッダの無記

 初期の最古層とされる仏典におけるゴータマ・ブッダをながめると、この人は宗教者というより教育者として捉え直した方か良いのでは、よく印象する。形而上的ないわば神学的な話は一切せず、また人とあらそわず、カーストにもこだわらず、人にじつ思いやりがある。そして臨終における最後の言葉は、生徒に対して、ちゃんと勉強しなさいよ、というのである。まるで校長先生であり、それがあるいはゴータマ・ブッダの実際なのかも知れないと印象する。

「アーナンダよ、あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない。『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしが制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。 」
そこで尊師は修行僧たちに告げた。
「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」 (中村元訳『ブッダ最後の旅』)

 わたしは死ぬけど、悲しんじゃいけないよ、みんなは、先生がいなくなっても、ちゃんと勉強をつづけなきゃいけないよ、と校長先生は生徒たちにいう。君たち、がんばれ、と。これは、他の宗教の開祖とはまったく、まったく違うあり方である。おそらくゴータマ・ブッダは、自分の死後、自分の存在が神話化されて、自分が仏教という世界宗教をつくりあげたことになり、2500年後も教祖・超人・超能力者・ゴッドとして人に伝えられ祭られていると聞けば、それは、さぞやさぞや驚くことだろう。
 もし、「Do you believe in any religion?」とか「What’s your religion?」とか聞かれたら、ゴータマ・ブッダは「I’m agnostic.」とか「I’m an atheist.」と答えたのではないだろうか。

 では、なぜ実践する校長先生が、神話的世界での釈尊になったか? ヘーゲルは「哲学を学びたければ哲学史を学べ」という。だが「仏教の歴史、仏教が仏教でなくなる歴史だ」という言葉もある。ゴータマ・ブッダから発して、その流れをたどり、話を21世紀の今に引きずり込んでみようというのが、わたしの趣旨だが、さてさて、さてさて。

 仏教史をみるかぎり、ゴータマ・ブッダが、同時代において圧倒的な評判、影響力をもったことは間違いない。サンガ、彼の学校は組織化され、教員団も編成され、ある程度の組織原理、戒律なども整備されたようである。だが私見だが、いつの人間社会でも、人が組織されるということは、どのような集団でも「世俗化」されたということであろう。世俗化されれば、あとは世俗の運動法則により、自動運転されることになる。これはわたしの経験則的確信である。また、宗教団体は、世俗的集団の最たるものである。外部より経済的支援をうける職業的専門集団、徒食集団となるからである。

 ゴータマ・ブッダの入寂後、校長先生がいなくなった組織は、その組織、資の道をまもるためにも、教理を明示・確立し、権威を校長先生個人の人格から、集団(サンガ)に移し替える作業が必要となる。王や富裕層の寄進をうけるためにも、それは必要なことである。その教理の基礎は、すべてゴータマ・ブッダが説いた真理という形をとらざるを得ないが、如是我聞なのであるが、ここで問題は、ゴータマ・ブッダが、そのような原理主義的教理を何も説かなかったことである。
 知られているように、ゴータマ・ブッダの原始仏教の頃は、その教義はかなり曖昧なところの多い素朴なものであった。いかに苦を脱し、悟りに至るかの実践的なものであり、純粋に理論的な体系性や整合性は重視されていなかった。毒矢のたとえのように、矢を分析するより、まず治療という立場である。形而上的問題にうつつを抜かすより、多少理論的には不十分でも、実践において目的が達せられればよいという立場である。さらに「無記」との立場をとり、形而上的、哲学的議論はいっさい避けた。
 これはこれで、ゴータマ・ブッダの生存時は、その人格で人に語ることができるから、それはそれでよかったのだろう。すこし曖昧でも、あの人がいうのだから、それでよい、ということだろう。

 だが、その教団の継承者たちは、そうはいかない。教理を明示確立し、組織を維持発展させねばならないという心理が働くのは当然であろう。そして、時代がさがると、さまざまな部派に分裂し、教義の研究と宣明に努力を向けるようになる。アビダルマ仏教という理論仏教のながれである。

2.無我の実体はあるのか

 わたしのような仏教の初学者でも、さまざまな本を読みながら、あれっとすぐに感じるのは、①諸法無我であり、仏教はバラモン教のアートマンの否定からはいっている。無我、アンアートマンである。つまり心は現象学的なものであり、魂のような実体はない。エクゾシストのように、エストプラズムなどは吐かないのである。②しかし、インド全般の思考だが、仏教も輪廻(サンサーラ)は認めているらしい。③すると、①アートマンつまり魂の実体は否定するのに、では②なにが輪廻すのか、輪廻する実体とは何か、という矛盾に突き当たる。なんなの、これ。これでは、話が通じないでしょうよ。

 原始仏教から部派仏教、大乗仏教の成立と、その初期、中期、後期のながれを、まあぼんやり適当にながめていると、アートマンとアンアートマンの問題に帰着すると、じつは確信している。間違いない。ゴータマ・ブッダの出発点もここだが、ゆれうごく仏教史の理由は、ここにある。間違いない。ここを基準的として仏教史をながめれば、おそらく見える。これがわたしの最近の確信である。絶対に、そうだ。
 結論から先にいえば、ゴータマ・ブッダの思想は、神と魂の存在を認めないものではないのか。諸行無常、諸法無我である。だが神と魂の存在を認めないだと、天国も地獄もわしゃ知らん、だと。こらっ、そんな宗教は、あり得ないぞ。誰もそんな寂しい話など聞きたくない。ゴータマ・ブッダの思想を宗教化にするには、原始仏教の、ゴータマ・ブッダの悟りの原点を否定、あるいは誤読する必要がある。でないと、教団は宗教団体として成立しなくなる。
 さて、与太をすすめよう。

 ロラン・バルトのテクスト論では、「作者の死」と呼んで、文章を作者の意図に支配されたものと見るのではなく、あくまでも文章それ自体として読むべきだとする。文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)となり、多様な読まれ方を許すようになる。これは悪いことではなく積極的な意味をもつのであり、文章を読む際に、常にそれを支配しているであろう「作者の意図」を想定し、それを言い当てようとするほうが不自然であるとする。ポストモダンの哲学者デリダもほぼ同時期に、自分自身のなかに立ち現れる純粋な「いいたいこと」がまずあって、それが文章として表現される、という考え方を否定している。「いいたいこと」は純粋にそれだけとしてあるのではなく、言葉と不可分に結びついて成り立つと考えるからである。まあ、世の中には、こんなテクスト論もあるのである。これはわたしの個人的学習ノートであるから、論証など必要ないが、結果として、これがアビダルマ仏教の実際だったと強く感じる。アビダルマの意味は、法を研究するではなく、ゴータマ・ブッダの言葉を再解釈、つまり意図的に、あるいは無意識的に「誤読」することだったと、わたしは確信する。間違いない。金を賭けてもいい。つまり、それが原始仏教から部派仏教への移り変わり、「仏教が仏教でなくなる歴史」のはじめの一歩である。

 いい調子だ。だいぶ整理できた。この調子でがんばろう。

 さて、無我は縁起とともに、仏教の根本思想である。だが、無我の立場に立ち、霊魂の実在を認めない仏教の場合、輪廻の主体が何かを説明するのは、これはやっかいである。原始仏教では、無我を説明するのに、現象を五蘊・十二処・十八界などの要素にわけて、アートマンの実体を想定する必要がないことを根拠としたが、アビダルマもこれを更に徹して、現象世界の存在そのものを、その構成要素に解体して、そこに実体は何も残らないことを証明しようとした。ところが、有力部派である説一切有部では、そこで五種に分類される七十五種のダルマ(五位七十五法)の説を立てる。そして、この七十五種のダルマはもはや分解できず、それ自体が実在するものと考えるに至る。説一切有部では、さらに実在論をすすめて、無常の極限まで推し進めると、あらゆる事物は一瞬存在するが、次の瞬間には別の存在が生起するというように、まるで映画の一コマが連続するような発想だが、「刹那滅」という考えに至る。これは三世実有説となり、過去・現在・未来の三世で、一切のダルマは消滅することなく、常に実在しているという形になる。行為は、感覚的に把握できない無表業として残り、そのが肉体の死後、微細な五蘊からなる主体を通して、来世の生存に引き継がれるとされる。
 その仕組みは、まあ二千何百年前に、インドのかたがた、よく考えたものだが、でもこれでは雰囲気は違うが、ゴータマ・ブッダの原点である無我、アンアートマンの否定、つまりそのような輪廻する実体のないことへの否定の、否定になる。アートマンは存在するかも、という「読み方」になる。でないと、人生は寂しいからね。
 これは諸行無常、諸法無我の否定となるが、それでいいのか、となるが、それで良いのだとバカボンパパのながれとなり、大乗仏教では、自性、仏性、如来蔵、一切成仏と、さらには高野山ではないが、即身成仏てなことになる。これは進化論の逆である。これじゃあ、バラモン教帰りじゃないか。

 まだましなずっと後世の阿頼耶識の理論においても、やはり、その認識論において、日常的な六識のほかに、マナ識とアーラヤ識を想定するのだが、識の顕在的な働きを現行と呼び、その現行の識は、アーヤラ識が潜在的に保持し、この保持された状態を種子(しゅうじ)と呼ぶが、その現行が種子にその影響をのこすことを熏習(くんじゅう)とよぶが、アーラヤ識はこのような種子を蔵す働きをするので、蔵識と呼ばれるとか。これが八識説だが、これは霊魂の存在、アートマンが存在する世界になる。インドはゼロを発見した国であり、理屈好きで知られるが、理屈が大好きなのだなあ。
 だが、これをゴータマ・ブッダが聞いたら、さぞ驚くだろうことは、間違いない。

3.「空」の構造

 色即是空、空即是色であり、ともかく「空」である。原始仏教の原点がアンアートマン、無我であるが、時代とともに魂の実体論が主流となる。その部派仏教の理論を、もういちど根本仏教の原点に引き戻そうとしたのが、二世紀のナーガルジュナ(龍樹)とされる。『中論』である。
 龍樹の立場は、説一切有部のような実在論に対して、反論する。現象の世界において、その根底に何らかの実在、すなわち「自性」を想定すると、生成や運動が成り立たなくとする。つまり「無自性」の立場である。無自性であってはじめてものは相互に関連しあい、縁起ということも成り立つ。この無自性が「空」である。つまり、無我=縁起=無自性=空=仮=中道、となる。そして、言語で説明できるものと、できないものを分けて二諦説をとる。だが、第一義諦などの言語をこえたものを説くと、龍樹自身はなにもこれに関して語っていないが、人情として、言語表現をこえる悟りの体験があるはずだと考えたくなる。「空」にしても、上記の図式では「縁起」だが、実際には「空」というものが体験されるようにも誤読され、積極的に実相、真如などの言葉で表現さることも起こったようだ。このような言語をこえるものが体得されると思考されると、一種の神秘主義となる。密教は真言、つまり呪文だが、その方向にすすむ。

 早朝の小便で思いつき、朝ごはんのテーブルで書き始めて、もう昼ごはんの時間がとっくに過ぎた。まあ、われながら良くまとめた。部派仏教、大乗仏教の教理の変化を、ロラン・バルトと重ねたところは、われながれ、ご苦労さまでした。腹へった。飯くお。昨日の朝は、あのおやじの露店のカオ・マン・ガイ、今日はよそのホテルのアメリカン・ブレックファーストだから、昼は何にしようか。ホーリーカフェでも行くか。夜は、トンヤン・クーンか。

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つぎは大乗仏教を

 つぎは大乗仏教を考える。これは原始仏教・根本仏教とはずいぶんと違う風景となる。

大乗仏教の特色について

1. 大乗仏教の誕生について

 三枝充よし『インド仏教思想史』第三章第一節「大乗仏教の興起」は、「部派仏教が難解な教理の樹立と実践に専念しているあいだに、一般民衆ならびにその指導者(その実体はよく判らない)によって、一種の新しい仏教革命運動がおこりつつあった。それがいわゆる大乗仏教である」と解説する。伝統的な部派仏教は、壮大な僧院の内部に居住し、瞑想な煩雑な教理研究に従事していた。その態度は自利であり、独善的・高踏的なものであった。
 だが、一般民衆の求めるものは、そのようなむずかしい教理でも厳しすぎる実践でもない。それでは民衆の日常生活が成立しない。三枝は「こうして大乗仏教の運動は次第次第に高まりを見せ、自利すなわち利己的・独善的な仏教を、ひろく民衆に開放し、より自由で闊達な思想に伸展させ、とくに一般民衆の救済、すなわち利他行を強調するようになった」と解説する。

2. 菩薩と利他の精神

 末木文美士『思想としての仏教入門』は108頁以下で、その特徴を解説するのだが、「大乗仏教のブッダ観のもう一つの重要な特徴は、ブッダが第三者的な特別な存在ではなく、我々自身がブッダになることができるということを認めた点にある。それと関連して菩薩の思想が大きく発展する。菩薩(ボーディサットヴァ)は、もっとも一般的な解釈によると、悟り(ボーディ)を求める衆生(サットヴァ)を意味するという。すなわち、究極のブッダの悟りを求めて歩み続けるという修行者の理想像である」と述べる。
 たとえば、日本の浄土教での例を見れば、小乗仏教においては、さとりへの道としてすぐれた修行者はまず阿羅漢となり仏陀となるが、大乗では菩薩となり如来となる。その時に菩薩ごとに、つまり如来ごとに一つの仏国土を持つことになる。浄土、つまり極楽である。
 まず菩薩たらんとする者は、総願(度・断・知・証、四弘誓願)と別願を立てる。そして浄土宗で最ももとめられたのが阿弥陀仏である。法蔵菩薩が四十八の別願を立てておこした浄土、西方浄土である。その教理は『無量寿経』『観量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経に示されている。
 その『無量寿経』にある法蔵菩薩(阿弥陀仏)の第十八願「念仏往生の願」では、念仏を唱え者に阿弥陀仏が来迎して、極楽浄土に導いてくれるという功徳が示されている。日本における浄土信仰は円仁にはじまる天台浄土とされるが、鎌倉時代には、その天台浄土の源信(恵心)の『往生要集』がよく普及し、やがて法然により、阿弥陀仏への念仏を唱えるすべての人は、「諸行」を行わなくても往生できるという思想(専修念仏)に達することになる。これが初期・中期大乗仏教の空間のもつ構造である。

 これは魂の実体を想定するものであり、我(アートマン)を否定し、死後世界は「無記」とする原始仏教からの大きな飛躍、甚だしい乖離と感じざるを得ないが、末木前掲書109頁以下では、「大乗では誰もがブッダを目標として進むことができるのであるから、菩薩もまた特別な存在ではなく、我々自身がブッダという目標に向かって進んでいくとき、みな菩薩だと解されるようになった」と解説する。
 その菩薩の具体的な修行が「六波羅蜜」と呼ばれる。波羅蜜(パラミター)は、最高、完成などを意味するという。①布施、②持戒、③忍辱、④精進、⑤禅定、⑥智慧の六つである。
 この⑥布施に見られるように、菩薩においては、自分の利益をもとめる自利のほかに、他者の利益をも図ろうとする利他の精神、利他行が重視される。
 末木前掲書では、「このような利他の強調から、利他の精神を体現する模範的な菩薩像が、崇拝対象として人気を集めるようになった。その代表的なものが、観音菩薩であり、さまざまな化身を示しながら、衆生救済のために活躍する神話的な物語を生むことになった」と、当時の思想あるいは集団心性の変化を解説する。つまり、仏教思想の大きな変遷を、である。あるいは、仏教の大きな変質を、である。
 2014年6月29日の愛知大学における「基礎ゼミナール」で並川教授は、宗教としての仏教の特色として、キリスト教やイスラム教と違い仏教は「神をもたない宗教」であり、そもそも仏教には信仰対象はないと講義されたが、ここで「神(仏)をもつ宗教」になったと言えるのであろうか。無数の仏と、無数の浄土・極楽が誕生じたようである。

3.「空」の思想について

 ただ、大乗仏教を特徴づける哲学的概念として阿頼耶識という観点と「空」の思想が興味深い。大乗仏教運動はまず『般若経』にはじまるとされるが、その中心思想は「空」であるとされる。ただ「空の論理」の説明は、2世紀頃の龍樹(ナーガールジュナ)で完成されたとされる。
 アビダルマ仏教においては、もともとは無我を説明するのに、五蘊・十二処・十八界のように、あらゆる現象世界の存在をその構成要素に解体して、アートマンのような実体を想定する必要がないこと理論づけようとしたようだが、やがて説一切有部では刹那滅、あるいは三世実有説のように、過去・現在・未来の三世の一切のダルマは消滅することなく、つねに実在しているという思考に変容する。
これに対する反論が龍樹の『中論』とされる。末木前掲書71頁以下では、「ナーガールジュナの立場は、実在論に対して、もう一度原始部教の現象論の立場を取り返そうというものである。現象の世界においてはじめてものの生成や運動を認めることができるのであり、その根底に何らかの実在を想定すると、生成や運動が成り立たなくなるというのである。このような実在のことを自性(じしょう)と呼ぶ。自性というのは、それ自体で存在し、他に依存しないような実体、あるいは物の本質のことで、ナーガールジュナの立場は、そのような自性を否定する無自性の立場と呼ばれる。無自性であって、はじめてものは相互に関連しあい、縁起ということも成り立つ。それゆえ、無自性の立場は原始仏教の無我・縁起の思想を新たに哲学的に捉え直したものといえる。この無自性のことを空(くう)という」と解説する。図式にすると、以下になるという。

 無我=縁起=無自性=空=かりに設定されたもの(仮)=中道

 しかし仏教は、如来蔵・仏性思想のように、アートマンの実体を想定する方向に向かい、さらにはヒンズー教とまじりあい密教へと進んだようである。

4.おわりに

 大乗仏教の特色を説明するのが、本設題であるが、初期・中期・後期の三期の大乗仏教の特色を一つのものに収斂して捉えることには、困難を感じる。ただ現在に生きるわたしたちにも、ゴータマ・ブッダの出家の理由である「四門出遊」の「苦」は、やはり時代を超えて感じざるを得ない。「苦」を出発点とする仏教の世界・人生観は、すこし悲観的にも見えるが、どの宗教の出発点も、ここにあるのだろう。人生の苦悩を見つめて、それに対処できるのでなければ、どの宗教も、思想として意味のあるものに成り得ないのであろう。
 タイによく行く。知人も多い。彼らが僧侶や仏像に素直に手を合わせ、信仰心をもっていることを真実、羨ましく感じる。そこには、信仰による心の安らぎの世界がある。また、仏教国日本で生まれ育ちながら、僧侶や寺院に敬意をはらえない自分を残念に思う。

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2500年前のインド世界にて

朝、バンコクのホテルのトイレでふと思いついて、ソイ11の小さなホテル一階のレストランで、昼飯までテーブルで書き続けた。テーマは、 古代インドでの思想・宗教革命についてである。

1. 大きくかわるインド世界の精神
インド思想史を概観するかぎり、ゴータマ・ブッダ以前と以後では大きな変化がある。バラモン的世界観から一変して、アショーカ王の時代には仏教が国教となるような、大きな宗教的・思想的な断絶と変化が生じている。それもインド内部の変化によってである。
科学史家のクーン(Thomas S. Kuhn)は『科学革命の構造』でいわゆるパラダイム論を述べるのだが、これは科学史にかぎらず、科学・思想・産業・経済など、さまざまな分野で用いられる思考方法である。パラダイム(paradigm)とは、ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことである。天動説や地動説に見られるような「ある時代を牽引するような、規範的考え方」をさす。このような規範的考え方は、時代の変遷につれて革命的・非連続的な変化を起こす事があり(=天動説から地動説への変化など)、この変化をパラダイムシフトと呼ぶ。
まず第 1 に旧パラダイムは、ある時代や分野において「多くの人に共有されて、支配的な規範として機能」する。また第 2 に、それでは説明のつかない変則事例や時代の変化が生じる。そこで第 3 に科学革命が起こり、新しい事態を説明し得る新パラダイムが生まれるが、それをパラダイムシフトと呼ぶ。これは時に「革命的で非連続的な交代」を遂げることがある。以上のような特徴を持つ。
まず第 1に、農業が中心であったバラモン的世界観(パラダイム)の古代インド世界において、また第 2に、商業などの発展とともに社会の変質がおこり、意識や権力構造の変化も生じ、もはや旧パラダイムでは包摂できない時代変化(危機・変則事例)が生じ、そこで第 3 に、新しい時代の変化に対応しうる世界観(パラダイム)として原始仏教が成立した、と当てはめて考えることは、充分に許されるだろう。
以下、トマス・クーンの革命理論、パラダイムシフト論に即して、バラモン教から仏教へのパラダイムシフトを整理する。
2.古代インドの正統思想と宗教
第 1の旧パラダイムは何かについてみれば、バラモン教であろうが、パラダイム論からすれば、まずバラモン教の成立した土壌を見る必要があるだろう。
そして、インドは昔も今もカーストの世界である。これをサンスクリット語ではヴァルナ(色)と呼ぶが、アリーリア人がインドを征服した際に、肌の色の違う先住のインド人を奴隷化したのが起源とされる。色差別である。この後、このアーリア人を頂点として、バラモン(祭祀者)・クシャトリア(王族)・ヴァイシャ(商工業者)・シュードラ(隷属民)の四階級、四姓制度が確立し、その後のインド社会の基礎をつくる。これは生まれつき決定づけられたものであり、現世では絶対に変更できないものである。この社会の構造に上に、征服民の子孫であるバラモン階級により、バラモン教が唱えられる。いわば、バラモンによるバラモンのための宗教であり、他の階級にも、その階級支配の正統性を強制するものであった。
末木文美士『思想としての仏教入門』54頁以下によれば、原始仏教の思想を考えるには、当時のインドの思想状況を考えねばならないとして、「インドの古代の宗教思想は、雄大な宗教詩であるヴェーダ文献、とくにリグ・ヴェーダに始まるが、その後、哲学的にはウパニシャッドにおいて深められる。ブッダの出現する頃までに成立した古ウパニシャッドのもっとも重要な思想としては、業と輪廻の思想、およびアートマン(我)とブラフマン(梵)の一致の思想があげられる。業(カルマ)は我々の善悪のことで、それによって来世の境遇が決まる、という具合に無限に生死が続いていくのが輪廻(サンサーラ)である」と解説する。
バラモン教の教理では、輪廻とは車輪の回転のように、無限に生死をくり返すことであり、この世に生きるすべてのものは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるのであり、つまり霊魂は不滅で死後また生まれ変わるという考え方である。そこでは現世で善い業(カルマ)を積めば、次はシュードラでもバラモンに生まれ変わる可能性も示されるし、あいは教えに反して悪い業(カルマ)を積めば、畜生、地獄の世界に生まれ変わることになる。
そして、さらには、この無限に生死を繰り返す輪廻の苦しみから離脱するには、アートマンとブラフマンの一致、梵我一如を体得することが必要だと説くのである。
このような征服者であるアリーリア人すなわちバラモン階級の組み立てた階級支配正当化の宗教を、古代インドのまだ農業が中心であった世界は、その支配的宗教思想としていたのだが、それがゴータマ・ブッダ以前の世界・宇宙観、旧パラダイムである。
3.時代のプロテスト者たち
つぎにパラダイム理論の第2の段階であるが、やがて農業中心の社会から商工業が発展する社会へとインドは変わる。交易が活発化し、都市国家が発展し、時代や経済の仕組みが変われば、古い体制や思想は否定される、あるいは変革を迫られることになる。末木前掲書172頁は「仏教が形成された紀元前五~四世紀の都市国家時代から、その後のマウリア朝時代は、比較的カーストの制約が緩んだ時代」だと述べる。バラモン階級支配の時代から、クシャトリア(王族)やヴァイシャ(商工業者)に経済的実権、社会の支配力が移行した時代であり、ゴータマ・ブッダも同時期のジャイナ教の教祖も、クシャトリアの出身である。また商工業の発達は、新しい知識階層を生み出すことにもなる。
となると、農業時代の、バラモン階級のための階級支配正当化の宗教でもあるバラモン教、すなわち旧パラダイムを否定する新思潮が生まれるのは必然である。末木前掲書55頁以下は、「ブッダ出現当時には、都市国家の出現とともにさまざまな自由思想が出現し、異端的な思想家たちが活躍していた。仏教側の資料によると、その中の主要な思想家が六人いたといい、六師外道と呼ぶ。彼らはヴェーダの権威を否定し、業と輪廻の説やアートマンとブラフマンの説に疑問を呈し、あたかもギリシャのソフィストたちのようにさまざまな説を唱えた。ブッダも大きな視点からみれば、このような異端的な自由思想家の最大の一人である」と述べる。彼らは沙門、シャモンと総称される。
水野弘元『仏教の基礎知識』22頁以下によれば、正統なバラモンではない非正統シャモンの学説は、「いずれかといえば物質や肉体に中心をおき、精神もこれを物質的に考える場合が多い。この点から六師などの非正統説は唯物論的なものと見ることができる」と解説する。たとえば、宇宙・人生の究極の存在は物質としての地・水・火・風の四元素だけであり心とか霊魂とかは、この肉体の現れる仮の存在に過ぎないという断滅論とかである。正統派のバラモンは、精神的生命実体としてのブラフマン(梵)がすべての現象の生滅変化の原因(転変説)とするが、非正統派のシャモンの思考には、諸要素の離合集散により現象の生滅変化が起こるとする積集説(しゃくじゅうせつ)が見られる。水野前掲書26頁では、このシャモンたちの思考を概説して「仏教以外のインドの宗教や哲学では、すべて不生不滅の本体を問題として、種々な学説を立てていた」とする。転変説もそうであり、積集説もそうである。つまり、ゴータマ・ブッダの思考は、バラモン教を否定するだけでなく、当時の自由思想家つまりシャモンとも異なり、不生不滅の本体(バラモン教ならアートマンなど)が存在するか、しないかについて一線を画していたのである。
4.心の科学としての根本仏教
パラダイム論からみれば、この第2の、旧パラダイム崩壊後のさまざまな危機・変則事例の次に、科学革命、第3段階の新パラダイムへのシフトが起こることになるが、
前述の水野の「仏教以外のインドの宗教や哲学では、すべて不生不滅の本体を問題として、種々な学説を立てていた」のように、つまるところどのシャモンも、物質にせよ精神にせよ、バラモン教のアートマン(我)のように、それが実体的に存在することを前提としていた。しかし、ゴータマ・ブッダは、それをも否定する。それが縁起と無我(アンアートマン)の思想である。これが後に発展して大乗仏教では「空」の思想となるが、ゴータマ・ブッダの教理は他のシャモンたちとは全く異なり、直感的な言説や証明されない思いつきではなく、合理的で緻密な論理構造を持つ。宗教者のインスピレーションによる教説ではなく、哲学的な論理体系を持つことになる。これはインド思想史上ではじめて提示された宗教的・哲学的な論理構造であろう。説得力のある画期的なものであり、それゆえに同時代において圧倒的に受け入れられ、後に一つの世界宗教へと展開することになった。
まず、原始仏教においては、三法印の原理を提示する。これは他のシャモンたちのように地とか水のような実体のある元素概念ではなく、思考方法、世界観、ダルマ(法)であり、哲学的概念である。ゴータマ・ブッダの教理は、すべてそのような哲学概念あるいは認識の方法論で組み立てられている。神秘主義や絶対神や宇宙神は措定しない。合理と論理に徹されている。
そして「無記」の立場と伝えられるように、そのテーマはあくまで「人の心はどう動くのか、人はどう生きるべきか、どう世の中を見るべきなのか」に限定されており、死後世界や魂の実存などの形而上的問題に対しては、論ずることすら禁止されている。テーマは、今を生きる人間の「心」であり、ある意味ゴータマ・ブッタの行ったことは「心の科学」を極めることだとも印象する。
そしてそれは、初期仏教経典『ダンマパダ』の、
277 一切のつくられたものは無常である。
278 一切のつくられたものは苦である。
279 一切のものは無我である。
すなわち、諸行無常、一切皆苦、諸法無我の原始仏教での三法印の教えに行く着くことになる。これらの初期仏典の教える範囲内が、ゴータマ・ブッダの、すなわち原始仏教の思想であったと思われる。
三枝充よし『インド仏教思想史』によれば、初期仏教の法の大部分は「苦」からはじまっているとして、そして同書51頁以下では、「この立場に即して眺めるならば、まず苦の問題が生じる。それはふり返って、自己(我)の問題に発展する。自己を見つめていくと、心の問題が生じる。また自己のあり方の問題も生ずる。同時に、自己と他人との問題が生じる。このあとの二つの問題から、因果関係(縁起)の問題が生ずる。さらに最高の真理(諦)となるべきは何かの問題が生じる。自己やもののありかた(法)の問題も生ずる。実践の指針(中道・八正道)の問題も生じてくる」と説明する。
また、水野弘元は前掲書第八章「十二縁起」において、「四法印を基礎として構成された学説が縁起説である。縁起説は原始仏教以来、部派仏教(小乗仏教)、大乗仏教のすべてを通じて、その根本教理をなすものということができる」と断じている。縁起説は仏教の中心思想であり、「縁起とは現象の動きのあり方を正しく見るものである」と述べる。後に部派仏教において、それをさらに体系化したのが十二縁起である。末木前掲書60頁以下では、「現象世界の問題を、超越的な原理を持ち出さず、現象世界の枠の中で説明する理論が縁起説で、これもまた仏教の特徴的な説である」と述べる。原始仏教は、ある意味ではフロイトに通じる科学なのである。
その縁起の探求から、では最高の真理(諦)は何かという発問が生じる。それが四諦説として教えられる。四諦説は、苦・集・滅・道の四つ諦である。最初の二つは煩悩の生じる原因をしめす流転縁起であり、後の二つは煩悩からの解放の道をしめす還滅縁起である。三法印を出発点として、この十二縁起と四諦説の実践が「悟りへの道」となる。そこには一切の神秘主義は無い。天国も地獄も神の罰も無い。ただ人間の心の働きへの観察と論理があるだけである。バートランド・ラッセル的にいえば、「宗教から科学へ」である。
5.おわりに
トマス・クーンの科学革命の理論を援用すれば、これは宗教革命と呼ばれるべきものだろう。したがってゴータマ・ブッダは思想における革命家ということになる。旧パラダイムへの反逆者である。末木前掲書55頁は「仏教は後世のインドの哲学者たちからは、強力な異端的宗教思想としてみられ続けた」と述べるが、そのとおりであろう。
また社会学のコンフリクト理論やマルクスの階級闘争理論を援用すれば、これはバラモン階級支配によるカースト体制へのプロテストである。末木前掲書172頁以下では、都市国家が興隆した当時は比較的カースト制が緩んだ時期であるが、「そうした時代に形成された思想の中でも、特に仏教は、階級に対してラディカルな態度をとった」と解説する。『スッタ・ニパータ』に中には「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンになるのではない。行為によって、賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」と、明確に、生まれによる身分の差別を批判し、その人が何をするかという行為こそが重要であるとの視点を提示している。またゴータマ・ブッダの教団の中では、カーストによる差別は一切なかったとされる。
やがて後世になり、仏教はインドにおいて消滅するが、ゴータマ・ブッダは、なんとヒンズー教においてシヴァ神の第九の化身として、ヒンズーの神として取り込まれることになる。だが、悪い教えを世にまきちらしたあまり良ろしくない神としてである。また逆に、現代のインドにおいて、カーストによる差別に苦しむ不可触民のアンベードカル(1891~1956)は、カーストを否定し、平等な立場から自由な信仰が許される宗教として、長い間断絶していた仏教を復活させる運動をはじめた。トマス・クーンの科学革命の立場からは、ゴータマ・ブッダは宗教・思想における革命家となるが、この階級闘争の立場からは、異端の社会革命家ということになる、と言えるのだろうか。
さて、昼飯を食べよう。まあ、これがインド仏教史のながれであろう。
8月 23, 2014. Edit

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2500年前のインド世界にて

 朝、ホテルのトイレでふと思いついて、ソイ11のレストランで、昼飯までテーブルで書き続けた。テーマは、 古代インドでの思想・宗教革命についてである。

1. 大きくかわるインド世界の精神

 インド思想史を概観するかぎり、ゴータマ・ブッダ以前と以後では大きな変化がある。バラモン的世界観から一変して、アショーカ王の時代には仏教が国教となるような、大きな宗教的・思想的な断絶と変化が生じている。それもインド内部の変化によってである。
 科学史家のクーン(Thomas S. Kuhn)は『科学革命の構造』でいわゆるパラダイム論を述べるのだが、これは科学史にかぎらず、科学・思想・産業・経済など、さまざまな分野で用いられる思考方法である。パラダイム(paradigm)とは、ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことである。天動説や地動説に見られるような「ある時代を牽引するような、規範的考え方」をさす。このような規範的考え方は、時代の変遷につれて革命的・非連続的な変化を起こす事があり(=天動説から地動説への変化など)、この変化をパラダイムシフトと呼ぶ。
 まず第 1 に旧パラダイムは、ある時代や分野において「多くの人に共有されて、支配的な規範として機能」する。また第 2 に、それでは説明のつかない変則事例や時代の変化が生じる。そこで第 3 に科学革命が起こり、新しい事態を説明し得る新パラダイムが生まれるが、それをパラダイムシフトと呼ぶ。これは時に「革命的で非連続的な交代」を遂げることがある。以上のような特徴を持つ。
 まず第 1に、農業が中心であったバラモン的世界観(パラダイム)の古代インド世界において、また第 2に、商業などの発展とともに社会の変質がおこり、意識や権力構造の変化も生じ、もはや旧パラダイムでは包摂できない時代変化(危機・変則事例)が生じ、そこで第 3 に、新しい時代の変化に対応しうる世界観(パラダイム)として原始仏教が成立した、と当てはめて考えることは、充分に許されるだろう。
 以下、トマス・クーンの革命理論、パラダイムシフト論に即して、バラモン教から仏教へのパラダイムシフトを整理する。

2.古代インドの正統思想と宗教

 第 1の旧パラダイムは何かについてみれば、バラモン教であろうが、パラダイム論からすれば、まずバラモン教の成立した土壌を見る必要があるだろう。
 そして、インドは昔も今もカーストの世界である。これをサンスクリット語ではヴァルナ(色)と呼ぶが、アリーリア人がインドを征服した際に、肌の色の違う先住のインド人を奴隷化したのが起源とされる。色差別である。この後、このアーリア人を頂点として、バラモン(祭祀者)・クシャトリア(王族)・ヴァイシャ(商工業者)・シュードラ(隷属民)の四階級、四姓制度が確立し、その後のインド社会の基礎をつくる。これは生まれつき決定づけられたものであり、現世では絶対に変更できないものである。この社会の構造に上に、征服民の子孫であるバラモン階級により、バラモン教が唱えられる。いわば、バラモンによるバラモンのための宗教であり、他の階級にも、その階級支配の正統性を強制するものであった。

 末木文美士『思想としての仏教入門』54頁以下によれば、原始仏教の思想を考えるには、当時のインドの思想状況を考えねばならないとして、「インドの古代の宗教思想は、雄大な宗教詩であるヴェーダ文献、とくにリグ・ヴェーダに始まるが、その後、哲学的にはウパニシャッドにおいて深められる。ブッダの出現する頃までに成立した古ウパニシャッドのもっとも重要な思想としては、業と輪廻の思想、およびアートマン(我)とブラフマン(梵)の一致の思想があげられる。業(カルマ)は我々の善悪のことで、それによって来世の境遇が決まる、という具合に無限に生死が続いていくのが輪廻(サンサーラ)である」と解説する。

 バラモン教の教理では、輪廻とは車輪の回転のように、無限に生死をくり返すことであり、この世に生きるすべてのものは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるのであり、つまり霊魂は不滅で死後また生まれ変わるという考え方である。そこでは現世で善い業(カルマ)を積めば、次はシュードラでもバラモンに生まれ変わる可能性も示されるし、あいは教えに反して悪い業(カルマ)を積めば、畜生、地獄の世界に生まれ変わることになる。
そして、さらには、この無限に生死を繰り返す輪廻の苦しみから離脱するには、アートマンとブラフマンの一致、梵我一如を体得することが必要だと説くのである。
 このような征服者であるアリーリア人すなわちバラモン階級の組み立てた階級支配正当化の宗教を、古代インドのまだ農業が中心であった世界は、その支配的宗教思想としていたのだが、それがゴータマ・ブッダ以前の世界・宇宙観、旧パラダイムである。

3.時代のプロテスト者たち

 つぎにパラダイム理論の第2の段階であるが、やがて農業中心の社会から商工業が発展する社会へとインドは変わる。交易が活発化し、都市国家が発展し、時代や経済の仕組みが変われば、古い体制や思想は否定される、あるいは変革を迫られることになる。末木前掲書172頁は「仏教が形成された紀元前五~四世紀の都市国家時代から、その後のマウリア朝時代は、比較的カーストの制約が緩んだ時代」だと述べる。バラモン階級支配の時代から、クシャトリア(王族)やヴァイシャ(商工業者)に経済的実権、社会の支配力が移行した時代であり、ゴータマ・ブッダも同時期のジャイナ教の教祖も、クシャトリアの出身である。また商工業の発達は、新しい知識階層を生み出すことにもなる。
 となると、農業時代の、バラモン階級のための階級支配正当化の宗教でもあるバラモン教、すなわち旧パラダイムを否定する新思潮が生まれるのは必然である。末木前掲書55頁以下は、「ブッダ出現当時には、都市国家の出現とともにさまざまな自由思想が出現し、異端的な思想家たちが活躍していた。仏教側の資料によると、その中の主要な思想家が六人いたといい、六師外道と呼ぶ。彼らはヴェーダの権威を否定し、業と輪廻の説やアートマンとブラフマンの説に疑問を呈し、あたかもギリシャのソフィストたちのようにさまざまな説を唱えた。ブッダも大きな視点からみれば、このような異端的な自由思想家の最大の一人である」と述べる。彼らは沙門、シャモンと総称される。

 水野弘元『仏教の基礎知識』22頁以下によれば、正統なバラモンではない非正統シャモンの学説は、「いずれかといえば物質や肉体に中心をおき、精神もこれを物質的に考える場合が多い。この点から六師などの非正統説は唯物論的なものと見ることができる」と解説する。たとえば、宇宙・人生の究極の存在は物質としての地・水・火・風の四元素だけであり心とか霊魂とかは、この肉体の現れる仮の存在に過ぎないという断滅論とかである。正統派のバラモンは、精神的生命実体としてのブラフマン(梵)がすべての現象の生滅変化の原因(転変説)とするが、非正統派のシャモンの思考には、諸要素の離合集散により現象の生滅変化が起こるとする積集説(しゃくじゅうせつ)が見られる。水野前掲書26頁では、このシャモンたちの思考を概説して「仏教以外のインドの宗教や哲学では、すべて不生不滅の本体を問題として、種々な学説を立てていた」とする。転変説もそうであり、積集説もそうである。つまり、ゴータマ・ブッダの思考は、バラモン教を否定するだけでなく、当時の自由思想家つまりシャモンとも異なり、不生不滅の本体(バラモン教ならアートマンなど)が存在するか、しないかについて一線を画していたのである。

4.心の科学としての根本仏教

 パラダイム論からみれば、この第2の、旧パラダイム崩壊後のさまざまな危機・変則事例の次に、科学革命、第3段階の新パラダイムへのシフトが起こることになるが、
 前述の水野の「仏教以外のインドの宗教や哲学では、すべて不生不滅の本体を問題として、種々な学説を立てていた」のように、つまるところどのシャモンも、物質にせよ精神にせよ、バラモン教のアートマン(我)のように、それが実体的に存在することを前提としていた。しかし、ゴータマ・ブッダは、それをも否定する。それが縁起と無我(アンアートマン)の思想である。これが後に発展して大乗仏教では「空」の思想となるが、ゴータマ・ブッダの教理は他のシャモンたちとは全く異なり、直感的な言説や証明されない思いつきではなく、合理的で緻密な論理構造を持つ。宗教者のインスピレーションによる教説ではなく、哲学的な論理体系を持つことになる。これはインド思想史上ではじめて提示された宗教的・哲学的な論理構造であろう。説得力のある画期的なものであり、それゆえに同時代において圧倒的に受け入れられ、後に一つの世界宗教へと展開することになった。

 まず、原始仏教においては、三法印の原理を提示する。これは他のシャモンたちのように地とか水のような実体のある元素概念ではなく、思考方法、世界観、ダルマ(法)であり、哲学的概念である。ゴータマ・ブッダの教理は、すべてそのような哲学概念あるいは認識の方法論で組み立てられている。神秘主義や絶対神や宇宙神は措定しない。合理と論理に徹されている。

 そして「無記」の立場と伝えられるように、そのテーマはあくまで「人の心はどう動くのか、人はどう生きるべきか、どう世の中を見るべきなのか」に限定されており、死後世界や魂の実存などの形而上的問題に対しては、論ずることすら禁止されている。テーマは、今を生きる人間の「心」であり、ある意味ゴータマ・ブッタの行ったことは「心の科学」を極めることだとも印象する。

 そしてそれは、初期仏教経典『ダンマパダ』の、
 277 一切のつくられたものは無常である。
 278 一切のつくられたものは苦である。
 279 一切のものは無我である。
 すなわち、諸行無常、一切皆苦、諸法無我の原始仏教での三法印の教えに行く着くことになる。これらの初期仏典の教える範囲内が、ゴータマ・ブッダの、すなわち原始仏教の思想であったと思われる。

 三枝充よし『インド仏教思想史』によれば、初期仏教の法の大部分は「苦」からはじまっているとして、そして同書51頁以下では、「この立場に即して眺めるならば、まず苦の問題が生じる。それはふり返って、自己(我)の問題に発展する。自己を見つめていくと、心の問題が生じる。また自己のあり方の問題も生ずる。同時に、自己と他人との問題が生じる。このあとの二つの問題から、因果関係(縁起)の問題が生ずる。さらに最高の真理(諦)となるべきは何かの問題が生じる。自己やもののありかた(法)の問題も生ずる。実践の指針(中道・八正道)の問題も生じてくる」と説明する。

 また、水野弘元は前掲書第八章「十二縁起」において、「四法印を基礎として構成された学説が縁起説である。縁起説は原始仏教以来、部派仏教(小乗仏教)、大乗仏教のすべてを通じて、その根本教理をなすものということができる」と断じている。縁起説は仏教の中心思想であり、「縁起とは現象の動きのあり方を正しく見るものである」と述べる。後に部派仏教において、それをさらに体系化したのが十二縁起である。末木前掲書60頁以下では、「現象世界の問題を、超越的な原理を持ち出さず、現象世界の枠の中で説明する理論が縁起説で、これもまた仏教の特徴的な説である」と述べる。原始仏教は、ある意味ではフロイトに通じる科学なのである。

 その縁起の探求から、では最高の真理(諦)は何かという発問が生じる。それが四諦説として教えられる。四諦説は、苦・集・滅・道の四つ諦である。最初の二つは煩悩の生じる原因をしめす流転縁起であり、後の二つは煩悩からの解放の道をしめす還滅縁起である。三法印を出発点として、この十二縁起と四諦説の実践が「悟りへの道」となる。そこには一切の神秘主義は無い。天国も地獄も神の罰も無い。ただ人間の心の働きへの観察と論理があるだけである。バートランド・ラッセル的にいえば、「宗教から科学へ」である。

5.おわりに

 トマス・クーンの科学革命の理論を援用すれば、これは宗教革命と呼ばれるべきものだろう。したがってゴータマ・ブッダは思想における革命家ということになる。旧パラダイムへの反逆者である。末木前掲書55頁は「仏教は後世のインドの哲学者たちからは、強力な異端的宗教思想としてみられ続けた」と述べるが、そのとおりであろう。
 また社会学のコンフリクト理論やマルクスの階級闘争理論を援用すれば、これはバラモン階級支配によるカースト体制へのプロテストである。末木前掲書172頁以下では、都市国家が興隆した当時は比較的カースト制が緩んだ時期であるが、「そうした時代に形成された思想の中でも、特に仏教は、階級に対してラディカルな態度をとった」と解説する。『スッタ・ニパータ』に中には「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンになるのではない。行為によって、賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」と、明確に、生まれによる身分の差別を批判し、その人が何をするかという行為こそが重要であるとの視点を提示している。またゴータマ・ブッダの教団の中では、カーストによる差別は一切なかったとされる。

 やがて後世になり、仏教はインドにおいて消滅するが、ゴータマ・ブッダは、なんとヒンズー教においてシヴァ神の第九の化身として、ヒンズーの神として取り込まれることになる。だが、悪い教えを世にまきちらしたあまり良ろしくない神としてである。また逆に、現代のインドにおいて、カーストによる差別に苦しむ不可触民のアンベードカル(1891~1956)は、カーストを否定し、平等な立場から自由な信仰が許される宗教として、長い間断絶していた仏教を復活させる運動をはじめた。トマス・クーンの科学革命の立場からは、ゴータマ・ブッダは宗教・思想における革命家となるが、この階級闘争の立場からは、異端の社会革命家ということになる、と言えるのだろうか。

 さて、昼飯を食べよう。まあ、これがインド仏教史のながれであろう。

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原始仏教の特色について

 すこし仏教の勉強をしている。名古屋で仏教セミナーに参加し、以後は本で。すこし文章としてまとめる必要があり、以下、それをまとめてみた。まず、基礎仏教とインド仏教史からやっていこう。

原始仏教の特色について述べる

1.原始仏教の根本命題について

 釈迦の死から約100年後のアショーカ王のころ、仏教教団は上座部と大衆部とに分裂した。それ以前を原始(原点・始点)仏教または根本仏教、以後を部派仏教と呼びならわす。つまり、釈迦が生きていた時代を含む初期のおよそ150年から200年の間の仏教である。そのため、原始経典の中でも成立が古いと考えられている『スッタ・ニパータ』などを分析し、その古層の中から釈迦の思想を解明しようとする研究も進められている。
 そして末木文美士『思想としての仏教入門』第五章「苦悩としての存在」は、「仏教においてはこれこそ仏教の中核だという思想はなかなか指摘しにくいが、基本的に仏教はゴータマ・ブッダと結びついていなければならない、という暗黙の了解は、ある程度認めることはできる。それゆえ、原始仏教の思想は仏教全体の存在理解、人間理解の根底をなしているところがある」とする。
 また2014年6月29日、愛知大学において行われた佛教大学「基礎ゼミナール」において、並川教授は、仏教の根本命題として「苦悩からの脱却がある」と講義された。そして、その「苦」からの脱却の仏教的プロセスとして、5つの流れを述べられた。それは以下である。
①「苦」とは何ぞや。→心の病としての「四諦説」
②「苦」は煩悩により起こる。 →自らに蔵される原因
③ 執着(煩悩)を乗り越える。
④ 方法=修業
⑤ 結果→苦しみが消滅=悟り そして悟った結果として、今まで見えなかった世界の実相、「縁起」「無常」「無我」が見えると講義された。
 以下、上記二論の立場より発して、原始仏教の根本思想についての整理を試みる。

2.三法印の成り立ちについて

 三枝充よし『インド仏教思想史』63頁以下によれば、初期仏教の法の大部分は「苦」からはじまっているとして、ブッダの成道の根源はなにかとすすめて、それを仏伝の「四門出遊」にみる。「どんなに恵まれた肉体を持ち、どんなに楽な生活を送り、どんなにはれやかな環境にあっても、老・病・死に象徴される《苦》を人間は避けることができない」として、それがブッダのさとりの、さらにさかのぼって出家の根源にあったと述べる。
 そして三枝前掲書51頁以下では、「この立場に即して眺めるならば、まず苦の問題が生じる。それはふり返って、自己(我)の問題に発展する。自己を見つめていくと、心の問題が生じる。また自己のあり方の問題も生ずる。同時に、自己と他人との問題が生じる。このあとの二つの問題から、因果関係(縁起)の問題が生ずる。さらに最高の真理(諦)となるべきは何かの問題が生じる。自己やもののありかた(法)の問題も生ずる。実践の指針(中道・八正道)の問題も生じてくる」と説明する。
 そしてそれは、初期仏教経典『ダンマパダ』の、
 277 一切のつくられたものは無常である。
 278 一切のつくられたものは苦である。
 279 一切のものは無我である。
 すなわち、諸行無常、一切皆苦、諸法無我の原始仏教での三法印の教えに行く着くことになる。これらの初期仏典の教える範囲内が、ゴータマ・ブッダの、すなわち原始仏教の思想であったと思われる。

3.縁起と四諦説について

 水野弘元は『仏教の基礎知識』第八章「十二縁起」において、「四法印を基礎として構成された学説が縁起説である。縁起説は原始仏教以来、部派仏教(小乗仏教)、大乗仏教のすべてを通じて、その根本教理をなすものということができる」と断じている。縁起説は仏教の中心思想であり、「縁起とは現象の動きのあり方を正しく見るものである」と述べる。
 また末木前掲書60頁以下でも、「現象世界の問題を、超越的な原理を持ち出さず、現象世界の枠の中で説明する理論が縁起説で、これもまた仏教の特色である。縁起説とは、要するにこの世界の現象はすべて原因があって成立するのであって、原因なくして何物も存在しない、ということを主張するものである」と解説する。そして、「縁起は、後には広く一般的に事物の相互依存関係を意味するようになるが、もともとはどうして人生の苦が生じてくるのか、その原因を解明しようというものである」と説明する。部派仏教において、それをさらに体系化したのが十二縁起である。

 その縁起の探求から、では最高の真理(諦)は何かという発問が生じる。それが四諦説として教えられる。四諦説は、苦・集・滅・道の四つである。
①苦諦:一切の生あるものは苦である、という真理である。
②集諦:苦がどのようにして生じるかを明らかにする真理である。多くの経典は、それは「渇愛」にもとづくとする。
③滅諦:①②により苦の原因を知り、それを滅し去りニルヴァーナを実現するという真理である。
④道諦:「苦の滅にいたる道諦」であって、現実での実践だが、それは「八正道」「中道」として説かれる。

4.煩悩を滅して悟りの道へ

 末木前掲書72頁以下では、「我々がものに執着するのは、それが言葉に対応して設定された現象であることを忘れ、その対象があたかも永続の実在性を持つかのように考え、それを他のものとの関係から切り離して、他のものは変わっても、それだけは変わらずに所有していたいと考えるからである。これが原始仏教でいわれた渇愛である。死すべき無常の存在で、永続的な自性を持たない自分自身を、あたかも永続的なもののように考えるところから、自己に対する執着が生じ、苦しみが生じる」と述べる。
 2014年6月29日、愛知大学での「基礎ゼミナール」において、並川教授は、「執着=煩悩」と講義されたが、ゴータマ・ブッダの「四門出遊」のように人間の最大の煩悩は、老・病・死であろう。また、これはどの宗教においても最大のテーマであろう。だが、人として生まれた以上は、避けることのできないものである。

 では、せめて現世において、どうすればその「苦」すなわち「煩悩」から逃れることができるのか、すなわち「悟りへの道」は何かが発問されることになる。
 部派仏教、大乗仏教ではまた別な答えが用意されているようだが、原始仏教の段階においては、四諦説により、滅諦、道諦として、苦を滅する道、すなわち悟りへの道が説かれていると考えて良いのだろう。末木前掲書72頁以下では、「原始仏教の実践主義の立場」と表現して、後世のように理論・分析ではなく、原始仏教は実践であったと解説する。 2014年6月29日、愛知大学での「基礎ゼミナール」において、並川教授は、方法=修行であり、「苦しみが消滅=悟り」と講義されたが、それは「中道」をまもった修行、実践により得られるものであろう。それが原始仏教と大乗仏教の大きく違うところであろう。

5.おわりに輪廻と「無記の思想」という個人的意見について

 バラモン教、ジャイナ教、原始仏教の背景には古代インドよりの「苦の思想」と「輪廻」という宇宙観があるとされる。しかし、われわれ東アジア人は、カーストもなく、この輪廻の感覚を持たない。人生が一切皆苦だとも思わない。したがって、「輪廻からの解脱」という必要も発想も持ちえない。しかし、この輪廻の思想、宇宙観こそ仏教成立の母胎、根本前提であるともされる。

 だが、原始仏教=根本仏教は輪廻を前提にしないと解釈が成り立たないのではないか。しかし、無我、アンアートマンとは輪廻する実体がないことを意味する。「空」である。ここにわたしは根本矛盾を感じるのだが、ゴータマ・ブッダは形而上的命題には「無記」と、あえて答えを述べないようである。「師に握拳なし」とはされるが、ゴータマ・ブッダの本心はどう解釈すべきであろうか、そのような疑問をわたしは持っていた。論理的に、矛盾あるいは破綻していると、かねてからつよく感じていたからである。

 これについて並川教授『ゴータマ・ブッダ考』を拝読したが、そこにおいて並川教授は、初期仏典の韻文経典を最古層と古層とに分類し、最古層から古層への記述の変化の流れを考証する。そして、輪廻思想に関して、最古層と古層に現れる用語や主張の変化を調べる。では、ゴータマ・ブッダは輪廻をどう捉えていたか。古層の経典では、確かに輪廻は業報と結びつけられ、積極的に説かれる。しかし、最古層の経典には輪廻(サムサーラ)という語は見出せず、「来世」や「再生」などの表現はみえるものの、いずれも否定的な文脈に限られているとする。つまり、ブッダは輪廻を否定していたと考えることができる。「無我なのにどうして輪廻という生死を超えた我の存続を認めるのか」との疑問が氷解するとともに、当時から流布していた輪廻という観念の因襲を、無我の思想を立てて解体しようとしたと本書は結論する。章末で、「最古層の資料に見られるような輪廻観、もしくは(輪廻思想に対して)さらに消極的なものであったればこそ、ゴータマ・ブッダが自ら主張した無我という考えと矛盾なく整合性をもって教えを人々に説き示すことができたのではないかと思われる」と総括されている。

 ここにおいて、わたし的にはゴータマ・ブッダの「無記」の意味が、わたしなりに氷解したと感じる。当時の自由思想家にも断滅論・断見説のように、心とか霊魂は仮の存在にすぎず永遠不滅の実体は存在しないという見解があったとされる。アートマンが存在するかしないかは、当時の思想界の重大テーマのようであるが、だがアートマンと輪廻を否定すると、プーラナ・カッサパのように、悪業というものもなければ、悪業の果報もない。善業というものもなければ、善業の果報もないという道徳否定論にまで至る危険性がある。
 そこにおいて、ゴータマ・ブッダは他の思想家の意見は批判するが、批判する以上は自分の見解があるはずだが、それは「無記」とする。つまり語ることを、あえて避けている。おそらく無我を説き、つよく輪廻を否定することを前面に出すと、当時の社会の反発も予想されるし、またあまりにもデガダンスとなり、教団の維持、ニルヴァーナをもとめる修行の理由を喪失させることになる。それを避けた積極的な沈黙が「無記」と解釈することも、可能ではないだろうか。これも「中道の心」とも解釈できないだろうか。とすれば、ゴータマ・ブッダがカースト制度をまったく無視したのは、自然である。輪廻=カーストが当時のインドの世界観だったからである。

 この地点から逆算すると、龍樹『中論』における「空の思想」も、わたし的には理解できるような印象を受ける。また、後世の諸種の仏教諸派の、ゴータマ・ブッダの原点からの逸脱も、である。

 ただ、魂の実体と来世の存在を否定する思考は、世界認識あるいは哲学としては成り立っても、宗教としては成り立ちにくいと、わたしは印象する。それは、おそらく一般大衆、凡夫の求めるものではない。この中心の耐え難い不在ゆえに、後世の仏教諸派、すなわち凡夫の布施により生き食べる職業的仏教集団が、その凡夫の求めるものにこたえて、星の数ほどの仏と仏国土という壮大な自爆をとげたのも、あるいは必然であったのだろうと推測する。その意味では、インドにおける仏教の終焉は、その誕生時に約束されていたのかも知れない。

 セミナーでは、仏教はキリスト・イスラムとは違い、神を立てない宗教だと講師は語る。しかし、宗教の最大の目的は魂の救済であろう。なにかに帰依することにより、自分の魂、苦悩を他にゆだねることにより救済・解放されるのが、その仕組みではないのか? とすれば、その救済者を設定しない宗教となると、さて。コップの裏に顔があっても構わないが、なくても構わないけど、ないと寂しいじゃないか。よく東南アジアに行くが、ふつうに、自然に、その土地の人は仏と僧侶に手を合わせる。街角のピーの祠にも、たちどまって手を合わせる。宗教が生きている。わたしはあいにく拝金主義のこの土地に生まれそだった。ノーレジオンである。でも、自然な信心をもっているこの土地の人が、心からうらやましい。

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日本の浄土教

 やはり、年齢だろうなあ。数年来、なにやら佛教を調べている。日本の仏教は本来の根本佛教からみれば、きわめて特殊なものとされるが、浄土宗も日蓮宗も禅宗も、唱えるだけ、座るだけで成仏できるというワン・イシュー宗教である。阿弥陀仏を、法華経を唱えるだけで、あるいは座るだけで成仏するとする。なぜ、北伝佛教が日本でこのような形になったか、調べてみた。かねてからの疑問であったが、佛教大学で浄土教の歴史の講座を受ける機会があり、整理をしてみた。

凡夫思想と専修念仏による浄土開宗について

 中国浄土宗の開祖の慧遠と鳩摩羅什の『大乗大義章』において、煩悩には菩薩の煩悩と「凡夫の煩悩」の二つがあることを述べている。また唐時代の道綽禅師は、仏教には聖道門(さとりの宗教=自力)と浄土門(救いの宗教=他力)あることを述べる。その弟子が善導大師であるが、法然の理論は、この善導の説につよく影響を受けていることを法然も明言している。

 大乗仏教の発展とともに仏国土すなわち浄土という思想がすすんだ。小乗仏教においては、さとりへの道としてすぐれた修行者はまず阿羅漢となり仏陀となるが、大乗では菩薩となり如来となる。その時に菩薩ごとに、つまり如来ごとに一つの仏国土を持つことになる。
 まず菩薩たらんとする者は、総願(度・断・知・証、四弘誓願)と別願を立てる。そして浄土宗で最ももとめられたのが阿弥陀仏である。
 法蔵菩薩が四十八の別願を立てておこした浄土、西方浄土である。その教理は『無量寿経』『観量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経に示されている。

 その『無量寿経』にある法蔵菩薩(阿弥陀仏)の第十八願「念仏往生の願」に辿り着く。念仏を唱え者に阿弥陀仏が来迎して、極楽浄土に導いてくれるという功徳である。日本における浄土信仰は円仁にはじまる天台浄土とされるが、鎌倉時代には、その天台浄土の源信(恵心)の『往生要集』がよく普及していた。
 法然は若年から求道にまよい、みずからを三学非器、すなわち『大乗大義章』での「凡夫」ととらえていた。その過程のなかで源信の『往生要集』に着目する。そこには観念の念仏と称名の念仏が説かれていた。
 その解釈において法然は「恵心を用いんともがらは、かならず善導に帰すべし」として、唐の時代の中国の浄土教の僧である善導『往生礼賛』にふかく依拠することになる。
 だが、善導は、三心(至誠心・深心・回向発願心)のうち一つでも欠けたら往生できないとする。また、身・口・意の三業も重視する。

 だが、阿弥陀仏は念仏を唱える(十念する)すべての人を(一部の例外をのぞき)救うはずである。もとより、この中には凡夫も含まれるはずである。『大乗大義章』は菩薩の煩悩と「凡夫の煩悩」の二つがあるとするのであり、菩薩以外のすべての人々は凡夫となる。では凡夫とは何か、どのような人々なのかが教理解釈(選択思想)の課題となる。阿弥陀仏が念仏を唱えるすべての人を救うのならば、三学に達していないものでも十念により来迎が得れるはずである。
 その方法として法然は、とくに三心・四修を修めなくても念仏を唱えるだけで往生できることを説いた。それは『一枚起請文』において、「三心・四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり」と宣明されている。
 ここに、三心・四修を修める宗教者のための宗教ではなく、市井に暮らす大衆の救済のための浄土教、「専修念仏(それ以外の諸行は必要としない)」による日本浄土教が誕生した。凡夫が凡夫であることを認め、阿弥陀仏の第十八願を信じ、そして特定の人間たちだけではなく、誰でもが往生できる(凡夫思想)新しい浄土教である。それは易行と他力本願の浄土教であり、平等往生、男女身分にかかわらず往生できることを説いている。こうして日本浄土教が誕生した。

 おそらくそれは、ロラン・バルト的「誤読」である。テクストを「読み直した」のである。それが良いのか悪いのか、それは言えない。つまり宗教である。

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新自由主義の破綻

新自由主義、新保守主義の思想と政策およびそれが齎した事態について

Ⅰ.福祉国家から市場原理主義への転換
第二次大戦後の西側諸国は「黄金の三十年」と呼ばれる繁栄の時期があった。ケインズ経済学的な、国家が市場と社会に深く介入する、たとえばイギリスなどは「揺り籠から墓場まで」と高い福祉国家をつくるのが主流となった。これは「大きな政府」と十分な財政を前提とする。また所得再分配制度により、貧富の格差もある程度解消しようとした。組合活動も、その枠組みの中で強い影響力をもった。
だが1970年代に入ると、石油ショックその他、それまでの重化学工業などの産業構造が立ちいかなる事態が生じた。イギリスなどは競争力を失い「英国病」と呼ばれるようなった。市場原理を無視する強い労働組合があり、不効率で肥大し沈滞し機能不全に陥ったのである。
Ⅱ.サッチャー政権の誕生
1979年に登場したイギリスの女性首相は、大学においてハイエクを学んだとされ、その政策にハイエクの理論を適用したとされるが、それは実施においてはフリードマンの理論と重なるものであり、いわゆる新自由主義である。アダム・スミスの市場での「見えざる手」に任すという発想をさらに強化した市場原理主義である。
すなわち、個々の自由な経済活動及び市場メカニズムによる調整が最も望ましい経済運営であり、政府介入はできるだけ少ない方がよいとする市場原理主義的または市場万能主義的な考え方が広く流行し、かつ多くの国の政策担当者にも大きな影響を及ぼすことになった。
これらは「小さな政府」か「大きな政府」かの対立であり、これは経済学史的にはハイエクおよびフードマンかケインズかの対立とも言えるだろう。これは1980年代においてレーガン大統領の下でのアメリカや日本においても中曽根内閣の下で行われた。このように世界の多くの国においてネオリベラリズム(新自由主義)的な経済思想の下で経済の自由化・国際化が推し進められてきた。国営企業を民営化し、福祉を切り捨てるものである。国民経済よりも、市場における資本家・投資家の利益を優先するものであった。
Ⅲ.新自由主義と新保守主義
レーガン・サッチャー・中曽根の三人ともいわゆる好戦的な「タカ派」であり、保守主義者である。また当時は米ソ冷戦の末期であり、経済的には新自由主義であり、外交・政治的には新保守主義の立場をとることになる。ここで新自由主義者は新保守主義者と重なることになる。だが、その政策は「租税負担を富裕層から貧困階層に大きくシフトさせる」ものであり、これは貧富の二極化という社会格差を生むものであり、社会統合に亀裂が生じる。
だが、2008年のリーマンショックからギリシャの財政危機、ユーロ危機を契機に、それまで中心であった新自由主義思想が否定されるようになった。2011年には、多くのアメリカの若者が金融界や富裕層を優遇する政策、失業問題と経済格差に抗議し「ウォール街を占拠」しようとした。過去数十年の間にトップ1%の富裕層ますます豊かになるのに対して、人口の多くを占める中間層の所得が下落し、アメリカ社会の格差を拡大してきたのである。これが新自由主義、すなわち勝ち組と負け組に分かれる市場原理主義が世界に齎した帰結である。かって「一億総中流」とされた日本においてもその兆候がみられるが、中産階級の衰退は、民主主義の基礎をゆるがすものである。

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学校英語を再学習する

 今、バンコクにいる。せっせと英字新聞を読むが、電子辞書を引き引きである。Skypeでフィリピンの講師から英語レッスンを受けているが、会話の練習にはなっても英字新聞が読めるような真の英語力がつくわけではない。これはやはり、ちゃんとした文章を訳して、その時間を蓄積していくしかない。

 3月19日の Nation紙の見出し。
Putin takes first steps for Russia to absorb Crimea
クリミア半島情勢も佳境である。ロイター、ブルームバーグなどの配信を参考に記事を構成しているのであろうが、小見出しは以下のとおり。
PRESIDENT IGNORES CONDEMNATIONERSIAL MOVE
モスクワの記者からの配信だが、タイの英字新聞は、この出来事をどう扱っているのか?

President Vladimir Putin yesterday took the first steps to absorb the Ukrainian region of Crimea into Russia, in what would mark the most significant redrawing of Europe’s borders since World War 2.

 そうか、と思う。クリミア半島の帰属については、ロシア批難一色だが、あれはロシアでしょう。紀元前のスキタイ人やギリシャ人の時代から、ビザンチン領、18世紀までモンゴル系の汗の支配する時代がある。これはオスマントルコの属領にもなった。タタール、つまりモンゴル系の国である。1783年にエカチェリーナ2世は旧クリミア・ハン国を併合。1783年には黒海艦隊が設立。だが、このクリミア併合をきっかけに露土戦争 (1787年-1791年)が勃発。さらにナポレオン3世が1851年にフランスの実権を掌握すると、エルサレムをめぐる聖地管理問題でロシアと衝突し、 クリミア戦争(1853年から1856年)の舞台となる。ロシア革命後はソ連に帰属するが、1955年、大祖国防衛戦争勝利の10周年を機に、ニキータ・フルシチョフソ連共産党第一書記によってウクライナ融和策の一環として、あの陽気なフルシチョフおじさんの、ついのはずみでクリミア州がウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管された。
 昨日の報道では、プーチン大統領は、クリミアはフルシチョフの誤りにより、まるでジャガイモが入った袋のようにウクライナに与えられたというのは、これ指す。つまり本来、クリミア半島とウクライナは何の関係もないというのである。たしかに歴史的にみれば、キエフの政府がクリミア半島を支配したことも領有した歴史的事実もない。ソ連時代のたんなる行政区画の変更が、そのまま、思いもしないソ連崩壊後に国境線化されただけであり、クリミアがロシア領かウクライナ領かといえば、それは歴史的にロシアであろう。
 そのようなことは、クリミア戦争に参戦したフランス・イギリスは百も承知であろうし、また第二次大戦ではドイツ軍はソ連軍とこの地において激戦を展開している。クリミアの歴史は、ドイツ人も百も承知であろう。ウクライナとは何の関係もない。それどころか、多数のウクライナ人が反ソ連の軍を編成してドイツ軍の指揮下でパルチザン、ユダヤ人などの虐殺を行っている。キエフを中心とする勢力である。この問題でロシア人が引くはずはない。
 しかし、百も承知のヨーロッパ諸国がアメリカに追随して制裁発動とは、やむを得ずにとはいえ、またなぜとは思っていた。歴史的には、欧米の主張は無理がある。だが、Nationtn 紙を読むと、そういうと考え方かと、すこし納得。第二次大戦後におけるはじめての国境線の変更、つまり戦後秩序への挑戦と解釈されているのだ。第二次大戦後の国境線については、たとえばドイツが東プロイセンなとの本来のドイツ領の回復について一言もしないように、動かしてはいけないという原則があるのだろう。その原則がEUなどを生み出したのだろう。それへの帝国主義的挑戦と理解されているのか。このような視点は、日本の新聞には見られない。単純にロシアが悪いの一色である。

 ここだな。これが英語を学ぶ効用であり、最大の目的であるべきだなあ。1月の中旬にバンコクにいたが、反政府デモ騒ぎの真っ最中だった。日本の報道では危険きわまる大争乱のような書きぶりだったが、現地にいた私には平和なカーニバルにしか見えなかった。デモ行進に野次馬参加したが、じつに楽しいタウンウォッチングだった。サルトルが自分は毎朝おきるたびに脳みその骨を折るという趣旨をいっていたが、外国に行くことと、外国の新聞を読むことは、つまり自分の脳みその骨を折っていただく、という効用になる。これが英語を学ぶ効用の最大のものだ。1つの言語しか知らない人間の知性は、これは限界がある。ロシアフォルマリズムのいう言語の牢獄という思考は正しい。マザーランゲージだけで一生を終わるのは、知的存在としての人間の放棄だとも言えるかもしれない。ドメスティックなナショナリスト脳をつくるだけである。物事の一面しか理解・認識できない脳である。志賀直哉が戦争直後に日本語放棄論、日本語のもつ本質的性格がこの戦争を招来したと論じていたが、そういうことだろう。
 そこで、冷や水だが、電子辞書を引き引き、他国の英字新聞を読む。テープレコーダーもCDもウォークマンもなかった団塊世代の英語力であるから、一ページ読むのも大変である。
経済欄の大見出しは以下のごとし。
End of emergency brings hope
Emergency というのは、高層ホテルの階段のドアなどに Emergency only と書かれているあれだな。電子辞書で引くと名詞であり、緊急事態とされている。この場合は、タイの首都圏に発令されている非常事態宣言と訳すべきだろう。それが今日、解除された。ツーリズムビジネスはタイの主要産業の一つであり、希望が運ばれてきた、か。それはご同慶のいたり。

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微笑みの国の騒乱

 2年前、2011年の夏にタイにいた。丁度選挙の時期であり、現職のアピシット首相とタクシン元首相の妹であるインラック女史の看板がバンコクの街中に立っていた。ともに美男美女である。それにまじって、独特の顔をした、つまりギャングのボスのような顔をした中年男の写真看板がバンコクのいたるところにあった。タイ文字は読めないので意味は解からないが、いかにも精力的な容貌の男が、犬を連れたり、赤ん坊を抱いたりしている看板だった。あとで知ったが、これはソープランドチェーンのオーナーのチューウィット氏である。その選挙の立候補の口上が面白い。タイの政治は汚職と腐敗にまみれている。わたしは、政治家にも役人にも警察にも、さんざん賄賂を渡した。汚職と腐敗の当事者で賄賂を渡すプロである。汚職と腐敗にもっとも経験のある自分こそが、この国の汚職と腐敗退治にもっとも適している、というとんでも論理である。まあ、理屈と膏薬はどこにでも付くものである。写真看板で一緒に写っている犬は、犬は嘘をつかない、犬は賄賂をとらない、ということらしい。赤ちゃんも、赤ちゃんは汚職をしない、人をだまさない、ということらしい。どう見てもテレビの悪役俳優にしか見えないこの候補者が、堂々と、そのとんでも論理で選挙活動をし、そして当選したらしい。まあ、すこしでもタイの役所と関係した人ならみな言うのだが、役人、警察の汚職と賄賂、権力乱用は公然の秘密ですらなく、とうぜんの日常である。また政治家と軍幹部の不正と蓄財も、タイ国民周知のものである。だから、このようなとんでも論理の元裏町の顔役が、それにうんざりした選挙民の意を逆にくんで、国会議員に当選したりする。

 タイ在住の長い日本人からの話だが、ある日系の会社社長が、タイに帰化申請をしたらしい。おそらく外国人事業法から逃れるためだろう。その申請を受けた部局の長から連絡があり、受理するから、ある程度の金額の要求を仲介してくれという要請があったらしい。その人はそれを申請した日本人に伝えると、信用しなかったらしい。一円も渡さないと、逆に疑いの眼で見る。それをタイの役人に伝えると、ああそうかと、そのタイの役人は、申請書をまるめて、その場でゴミ箱にほうり込んだらしい。まあ、ある話である。
 よくバンコクの路上の椅子とテーブルを置いただけの路上レストランで夜のビールを飲むのだが、うちの店は本来は一万五千バーツを月に警察に払わねばならないが、八千バーツで話をつけていると言っていた。空港に行くタクシーでは、自分のような貧乏な運転手なのに、よく警察が車をとめて、百バーツ二百バーツをとると嘆いていた。タイ警察に賄賂がきくのは周知であり、それどころか、それを目的に摘発もするらしい。

 この時、2011年の下院選挙では、タクシン元首相の実妹であるインラック・シナワトラが率いるタイ貢献党が過半数の議席を獲得。これにより、インラックが首相となった。タイ初めての女性首相の誕生である。その兄のタクシンは、タイ愛国党を創設し、2001年政権に就いた。それまでの民主党政権がバンコクや南部の富裕層を支持基盤としていたのに対して、北部のチェンマイ出身であるタクシン首相の支持基盤は北部から東北部の貧しい農民層である。タクシン首相時代は、北部の貧困層にばらまき政治を行い支持を固めるとともに、バンコクや南部既得権益層の権益を奪う政策をおこなっていたため、既得権益層の、つまりそれまでの民主党支持層の激しい反発を受け、後のクーデターにつながることになる。
 そのため2006年タクシン元首相は軍事クーデターで失脚するが、それ以来、タクシン派、反タクシン派が政権交代を繰り返してきた。タクシン派は大票田の北部を中心とする農村地帯や 都市部の貧困層を支持基盤にし、農民などへの手厚い政策もあり、選挙には圧倒的に強い。現在の与党タイ貢献党に圧倒的な影響力を持つのはタクシン元首相だ。最大野党の民主党は、都市部の中産階級以上の層が中心といわれ、従来の保守層の権益を尊重する。タクシン元首相の影響力の打破を目指すが選挙ではタクシン派に圧倒される可能性が高い。図式化すれば、貧困層と富裕層の対立ということになるが、とうぜんながら富裕層より貧困層が圧倒的に多いのであり、選挙になれば、貧困層の勝ちである。

 そしてこの12月、2013年12月9日は、たまたまバンコクに居た。反政権は、つまり民主党系の大規模デモの日であり、バンコクポスト紙などもさかんに煽っており、またwebでも、まるで暴動が始まるかのような扱いである。じっさい日本に帰ったら大変な目にあったね、心配していたなどと言われた。だが、その日にわたしは、これは願っても無い良いチャンスだと、バンコクの街を騒乱と暴動をもとめてさまよっていたのである。でも、まったく発見できなかった。普通の、普通の日々の普通の風景である。コンビニがビールの販売禁止になっていた程度だ。4時くらいにBTSに乗ると、鉢巻や旗をもった女性を何人か発見した程度である。でも、幼稚園の運動会が終わったら、これからお家でご飯を作らなきゃ、という感じである。

 翌日10日、たまたまカオサンに行くつもりで民主の塔の近くに行くと、あれまあ、ここが反政府派の本拠地、泊り込みの場所になっていた。ラッキーと思ったものだ。だが、長閑なものである。みなシーツを引いて横になり、配給の食糧や水をもらってだべっている。たくさんの露店が出て、食べ物やデモグッズを売っている。わたしも露店をまわり、タイボクシングのコピーソフトを買った。反政府指導者の顔がプリントとされたシャッツも買おうと思ったが、あほらしいからやめた。まるで和やかな大運動会である。警察の姿は一人も見ない。政府が警察をいっせいに引かせたらしい。警察庁に入り込んだデモ隊には、警察側が炊き出しの食料を配ったらしいが。日本に帰ると新聞などでは「微笑みの国がなぜ」という論調だが、現場でみると「微笑みの国」だなあ、ということである。

 前日8日の夜に、バンコクの知人と飲んでいたのだが、その人の会社の半分は明日9日のデモに参加すると言っていた。その人も、タクシン派の赤シャッツではなく、民主党系の黄色シャッツ派のようである。バンコクの教育を受けた中間層だから、まあ、こちらの階層だということだろう。
 ただ外国でご当地の政治談議などしてはならないから、言わなかったけど、現インラック政権は、ちゃんとした選挙で選ばれた合法的に政権である。だが反政府派は選挙によらない人民会議で政治を決定しようとなどと言っている。民主主義の基本は選挙制度であり、選挙により選ばれた政権を倒す唯一の方法は、選挙しかない。その選挙を否定して正しい民主主義を打ちたてようという反政府派の論旨は、こりゃなりたたんだろ、ということである。国際論調も、この流れを自然として、反政府派の論旨を無理筋とみている。当然である。

 何年か前に、チェンマイに行くと、反タクシン政権が誕生してチェンマイは非常事態宣言が出ていたが、たくさんの赤シャッツが集まって気勢をあげていた。チェンマイ在住の知人に聞くと、タイはタクシンはも反タクシン派も、所詮は権力と金をもったボスたちが中心で、あれは金をもらって動員されているだけだ、と言っていた。選挙になるとヒットマンが出るらしい。選挙の時期は、流血がよくおこるので酒類が販売禁止される。票も金で売買だと彼は言っていた。おそらく、その通り、今の政治対立もボス達の利権争い、旧来の既得権益層とタクシンに代表される新興利権層の争いの一面も大いにあろう。役所の許認可権限の強いタイでは、政治を握ったほうが、金をつくれるからである。

 でも、あのインテリであるタイ人の知人は、なのに、なぜ、それでも反政府がよしと考えるのか? またタイの富裕層や中間層は、そんな無理筋な選挙制度、つまり民主主義を否定する話しに同調して、なぜあのようなオバチャン達まで参加させての大量動員が成り立つのかという疑問が生じるわけである。この人たちは「あほちゃうか」では済まない、そのタイ政治のメンタリティーのようなものは、なにか、という疑問である。これについて、すこし引っかかるものがあったので、大阪に帰ってから調べ直した。じつはかって読んだタイ関係本のなかで「タイ式民主主義」という言葉があったのを思い出したからである。本棚から発見した。1993年刊岩波新書「タイ 開発と民主主義」末廣昭氏著である。

 以下、整理する。

 かってタイでは軍事クーデターは珍しいものではなかった。三年に一回おこる年中行事のようなものであった。政治家と軍幹部の汚職と蓄財は周知のことだが、しかし軍がクーデターに当たってその正当化のための理由としていたことの一つに「国会の独裁」がある。「国会の独裁」に対してクーデターを行うというのは、じつに奇異に写る。軍のクーデターによる独裁に対して、それを議会政治が是正するならわかるが、国会が独裁体制だからクーデターが正当化されるという論理は、これはほかの国では難しい。しかし、その軍のクーデターに対して、大多数のタイ国民は「無言の支持」をするという。1991年のクーデターでも、クーデター直後の新聞の世論調査でも、回答者の七割が軍の実力行使を肯定したという。では、民主主義の否定を意味するクーデターを、なぜタイ国民は容認するのか? そして数年後にまた民主主義を守る運動を軍に対してするのか?

 これについて著者は、「この問いに答えるためには、タイでそもそも民主主義(プラチャーティパタイ)がどのように展開し、また、いかなる意味を与えられてきたのか、その点を歴史的に再検討することが不可欠」だと述べる。タイで民主主義制度が採用されたのは、1932年の立憲革命からとなる。この時にフランス帰りの少壮官僚と軍人達が王政を倒して議会制度を導入した。ただし、タイの民主主義が欧米諸国でいうデモクラシー、つまり議会制民主主義や政治的多元主義を意味したかといえば、そうではない。たとえば1960年代に用いられた「タイ式民主主義」という概念である。
「タイの政党は国民階層の利害を真に代表する組織ではなく、私利私欲に走る利益集団でしかない。政党政治は社会に腐敗と混乱を招き、それどころか共産主義の拡大すら招く。タイにとって望ましい民主主義とは、国王を元首とし、政治指導者(つまり軍-著者引用)が国民の主権と利益を代表して国を統治する体制でなければならない」

 このタイ式民主主義の考え方では、「国会の独裁」という表現も、じつは国会を私物化する政党政治を批判することが最大の目的であり、これを駆逐するクーデターは「民主主義」の破壊を意味しないし、むしろ政治安定を実現するための手段である、これが軍の主張である。二二六事件の将校達と似たような論理展開である。当時の日本においても、現在の日本においてすら、二二六事件の将校の論理は共感されている。

 そしてタイのケースでは、クーデター・暫定政権・暫定憲法・新憲法・総選挙・議会の復活・しかし議会政治が足かせとなると軍は「政党政治の腐敗」を理由にまたクーデターを起こす。この「タイ政治の悪循環」がまわりつづけるようである。ただ、タイの政治変動が軍の権力を維持するための自己正当化のプロセスだけかと言えば、そうでもなく、タイ式民主主義を特徴付ける二点も重要な役割を果たしたとか。

①クーデターであれ新憲法制定であれ、国王の承認が不可欠の要件をなすこと
②政治指導者は国民の利益の実現、つまり社会的公正=「タム」の実現を要請されていること

 タイ語でクワーム・チョーク・タムつまり「タムにかなう」という言葉が、そのまま権力の正当性を指すらしい。このタイ語のタム(仏教用語ではタンマ)はサンスクリット語からの転用で、本来は「法」「仏法」を指す。日本ではインド、中国を経由してダーマ、ダルマ「達磨」の言葉に転化している。したがって、タムを実現しない政治指導者は、クーデターや国王の指示によって追放されても仕方が無い。腐敗した当時の政権を倒した1991年のクーデターが、大多数の国民から受け入れられたのは、そのためであった。逆に、極端に世俗権力を集中し、社会的公正の実現に努力しない政治(軍)指導者を、国民自身が非難し追放することもある。1973年、1992年の政変もそれである。

 この考え方をまとめたのが、1957年のサリット政権だとされる。サリット軍司令官は、1956年の総選挙は、過去の中でも最も汚い選挙であり、こうした病気を治すためには、もはや投薬ではなく抜本的な治療、つまり手術が必要であると主張した。つまり軍の決起である。二二六事件と同じ論理である。その軍事革命を支える柱としてサリットが持ち込んだ三理念がある。
第一は、「民族・宗教・国王」の国是を基盤とする国民統合、
第二は、「開発体制」によるタイ民族と国家の発展、
第三だが、これが「ポー・クンの政治」あるいは革命団の言葉でいうなら「タイ式民主主義」の実施である。

 どうやら、このタイ式民主主義あるいは「ポー・クンの政治」という概念が、今回2013年12月の騒動を読み解く鍵かも知れない。その流れが、今のタイ社会にも連綿するから、正しい民主主義実現のために、選挙で選ばれた政権を、選挙を経ずに倒そうという思考、今の黄色シャッツの行動の深層である。そう考えれば、彼らの行動が、タイ人の知人が黄色シャッツにシンパシーを持つのが、理解できるような気がする、ような気がする。

 タイ語で母はメー、父はポーである。クンは国王を意味する。タイ王朝の建設者として有名な13世紀のラムカーヘン大王が、統治者としての国王の姿をポー・クン、つまり「慈父としての国王」に求めたことに端を発するらしい。サリットは、その数多い演説の中で、しばしば国家を「大きな家」と呼び、国民を「子ども」そして国家の指導者を「家族の父」にたとえたらしい。サリットは、首相としての自分を国政の運営者ではなく、国民の庇護者として位置づけようとした。タイ国民が国王に対して抱いてきた二つのイメージ、すなわち「神としての国王」と「慈父としての国王」のうち、後者に政治指導者、もしくは首相のあるべき姿を重ねあわそうとしたのである。したがって、指導者と国民の関係も「支配するもの、される者」ではなく、親子のように「庇護する者、される者」の関係でとらえた。サリット首相は、アジアに一時いた開発独裁型の政権であり、あらゆる地位と権力を自分のもとに集中し、独裁政治を実施する。しかし彼の考え方では、指導者が慈父=庇護者として国民に君臨する限り、それはタイ固有の統治原理にかなっていた。「ポー・クンの政治」とはまさにその意味であり、また「徳」をもって上から指導する「タイ式民主主義」の大きな特徴もそこにあったと、岩波新書「タイ 開発と民主主義」において著者末廣氏は述べる。

 この「民族・国家・宗教」の三原則と「ポー・クンの政治」が、今もタイ社会の底流にあるのならば、つまり必ずしも、選挙により選ばれた政権が、タムとして語られるような正統性をもたない、あるいは喪失したと見なされるならば、「国会の独裁」ならば、かって軍がそれを理由としてたびたびのクーデターを起こして、それを国民が無言の支持をしたように、この2013年12月現在の、反政権派黄色シャッツ組のデモも、説明が、わたしなりには説明がつく。だが、いまさら21世紀のタイで、それだけでは成功するとは思えないが。マイペンライの成り行きで、あげた拳の下ろしどころが無い印象だが。だが、役人・政治家・軍幹部の汚職はあの国の宿あであり、ゆえに「国会の独裁」に対して、このような反民主主義的手法で、民主主義を守るというロジックも成り立つわけであろうか。

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運の研究

 空気が研究できるものであれば、「運」も研究できるはずである。「運の研究」である。

その一

 6月中ごろの日経新聞に、面白い記事があった。京大の板倉教授の研究成果だが、生後10カ月の乳児の心理実験を行ったという。まだ言葉を話す前の初期の発達段階での感情の動きである。その研究結果からは、支えあう心は生まれつきとも考えられるといい、人の発達過程のほか社会や文化の成り立ちを理解する手がかりになるという。

 実験では、2つの図形が現れて一方が他方に体当たりするアニメーションを繰り返し見せて、その後で図形の模型を机にならべて、乳児がどちらを選ぶか調べたという。
その結果、75%以上の割合で、攻撃を受けた側の模型を選んだとか。研究チームは、弱い立場に同情する気持ちが現れた結果だと推測している。
 これに対して、同じ実験をした大人の場合、攻撃側の模型を選ぶ確率が高かった。ただ、大人の場合は個人によって傾向が異なるらしい

その二

 京都大学大学院の藤井聡教授らが「認知的焦点化理論」というものを唱えているとか。人が心の奥底で何に焦点を当てているか。そこに着目した心理学上の研究らしい。たとえば人には、幸運、福運、強運の人と、不運、悲運、悪運の人がなぜか生まれるようだが、両者はなぜそうなり、どこが違うのだろうか。この研究は、ひとことで言えば、ある人が物事に向き合うときに、どのぐらい他人のことを配慮できるかという観点から、人を分類しようとする試みらしい。周囲を見回してみると、仕事もプライベートもトントン拍子に進む幸せな人と、何をしてもトラブルに見舞われる不運続きの人がいるのはなぜだろうか、知りたいところである。

 「認知的焦点化理論」とは、人が心の奥底で何に焦点を当てているか、そこに着目した心理学上の研究らしい。ひとことで言えば、ある人が物事に向き合うときに、どのぐらい他人のことを配慮できるかという観点から、人を分類しようとする試みである。

 その概念図の横軸は社会的・心理的距離軸を示し、自分を原点として、家族・恋人→友人→知人→他人……と、右に進むほど関係は遠くなる。他方、縦軸は時間軸である。物事の対処に当たり、思いを及ぼす時間の幅を示すもの。「現在のことだけ」か「2、3日先」か「自分の将来まで」か「社会全体の将来まで」か……と徐々に幅が広がっていく。横軸と縦軸を結ぶ曲線で囲まれた面積は、配慮範囲の大きさを表している。

 たとえば、極端に利己的で目の前の自分の損得のみに心の焦点を合わせている人は、横軸、縦軸とも目盛りゼロの原点付近に位置する。後先を考えずに怒りに任せて人に暴力をふるう犯罪者などがこれである。逆に、自分から遠い存在である他人のことまで思いやる人ほど、あるいは遠い将来のことまで配慮する人ほど、曲線で囲まれた面積は大きくなる。人望あるリーダーがこちらに当てはまる。
 そして、この配慮範囲の面積が広い利他的な人ほど得をし、面積が狭い利己的な人ほど損をするというのが、藤井聡教授らの研究から導き出される結論だそうである。世の中には、利己的な人ほど運をつかむチャンスを失い、ますます損をする法則があると藤井聡教授は論じる。

 他者からの評価の上がらない人は、自分の心の幅、つまり潜在的な配慮範囲が少し狭く、利他性が低いことに原因が潜んでいるのかもしれない。自分の損得ばかりを考えて行動する利己主義者は、正直者を出し抜いて一時的には得をするが、長い目で見れば必ず損をする運命にあるらしい。

 それは、人間の社会には次の3つの原理が存在しているからだという。

(1)互恵不能原理
(2)暴露原理
(3)集団淘汰原理

 まず、(1)の互恵不能原理から。自分の損得ばかりに焦点が合っている利己主義者は、「お互いさま」で成り立っている人間社会で、最終的には「嫌なヤツ」として人々から村八分にされる。そのため、よいパートナーに恵まれて力が倍加したり、窮地を支援者の助けで脱したりという幸運にも恵まれづらく、「互恵」が「不能」になるので、結局は正直者より損をするす。これは構造がわかりやすいため、あからさまにわがままな行動をとる人は、実際のところ少数派であろう。

 心理学的に、より注目すべきは(2)の暴露原理である。暴露原理とは、人間には利己主義者を見分ける能力がきわめて強力に備わっているということらしい。

 利己主義者は((1)の互恵不能原理によって)周囲から排除されるのを防ぐため、表面を取り繕う行動に出る。「この人の力を利用できれば得だ」と計算した相手の前では、愛想よく振る舞い、自分はいい人だとアピールする。逆に自分にとって利益がないと判断した相手には冷たい態度をとる。損得計算に基づく姑息な「態度」の使い分け。見せかけの利他性である。

 ところが、いくら表面をごまかしても、利己主義者であることはすぐバレてしまう。進化心理学の考え方によると、イヌは嗅覚を高度に発達させることで生き残ってきた。コウモリは超音波を聴き分ける能力を身につけたものが淘汰を免れた。同様に、社会的な存在である人間の場合は「悪者を見破る能力」を、進化の過程で異常に発達させてきたのである。

 さまざまな人間が蠢く社会のなかで、「見破り能力」を発達させられなかった人は誰かに騙され、生きのびることができなかった。今日生きている私たちはみな、騙されない能力を発達させることに成功した人々の子孫であり、「悪者」を瞬時に検知する遺伝子を強力に受け継いでいる。このことは以下の実験からも証明できるとか。

 藤井聡教授らは、まず「ウェイソンの実験」と「コスミデスの実験」で説明する。そして、その結果は、人は純粋に論理学的な問題より、社会ルールの違反者を発見するという人間関係にまつわる問題に対してのほうが、アンテナがより高感度に働くということを表しているらしい。心理学者コスミデスは、このような心理的メカニズムを「裏切り者検知モジュール(装置)」と呼び、人間は悪者をすばやく発見する装置を備えた生き物だと指摘している。

 したがって、利己主義者が本性を隠して表面を取り繕っていることを、私たちはほんのささいな言動からでも敏感に察知する。たとえば、いい人だと思っていた人物が店員にとった横柄な態度を垣間見たり、目が笑っていないことを発見した瞬間に感じる違和感などがそれである。

 (1)や(2)の原理の結果、利己主義者には真の友人やビジネスパートナーができない。一方、配慮範囲が広く利他性の高い「いい人」には、いい人も悪い人も寄ってくる。相手の利益を考え、裏切ることもない人と一緒にいると得なので、誰もがその人と一緒にいたくなるからである。この場合、人は、必然的にいい人のほうをパートナーとして選ぶ。はじかれた悪い人は、結果的に、残った悪い人同士でタッグを組むしかない。1人よりはマシだという心理が働くためである。無作為抽出400人を対象とした調査でも、「利己的な傾向を持つ人々のほうが、そうでない人々よりも、主観的な幸福感が低い」というデータが得られている。

 利己主義者が必ず損をする第3の原理は、(3)の集団淘汰原理である。これは、利己主義者が支配する社会は社会ごと自滅し淘汰されてしまうという話である。利己主義者がせっかく天下を取っても、その社会自体が破滅してしまうので、結局は利益を失い、損をする。企業も同じであり、成果主義が効果を上げても、全社的に利己的体質が過剰になれば、やがては会社自体が崩壊に向かうであろうと藤井聡教授らはいう。
 利己主義者が効率を追求してビジネスライクに当面の利益をあげる一方、利他性の高い人は商売抜きで幅広い会合に付き合ったり、得にならない役割を自発的に引き受けたりで、日頃は何かとても非効率な存在に見えるもの。ところが、状況がひとたび「平時」から今回の大震災のような「危機」に変われば事態は一変する。利他主義者ほど変化に強い。平時の“無駄”が培った人脈や関係が対応策の選択肢を広げてくれるからである。日頃の無駄がノリシロとなり、環境の変化に対するしなやかさに繋がるの。言わば、心理学的に証明された「損して得取れ」の科学である。

 他方、損得勘定1本で来た利己主義者のほうは、変化に対して脆弱である。短期的には効率よく成果をあげるが、短期局所的な最適解ばかりを求めて無駄をカットしすぎた人間関係や会社は、条件がちょっと変わっただけで暗転する。金融工学の前提条件が崩れたバブル崩壊やリーマンショックでは、多くのガツガツした企業がピンチに立たされたのは記憶に新しいところである。
少し長い目で見れば、世の中に安定など存在していない。変化は必ず訪れる。だから、他者との関係が乏しいゆえに利己主義者は変化にも弱く、この意味でも長期的には必ず損をするのだと藤井聡教授らはとく。

その三

『知の逆説』という本に、DNAの二重らせん構造を解明しノーベル賞をとったジェームズ・ワトソン博士のインタビューが載っていた。この研究は20世紀の特筆すべき画期的なものである。15歳でシカゴ大学にはいり、さらに分子生物学や遺伝学にすすむ。1953年にフランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスとともにDNAの二重らせん構造を解明。弱冠25歳だった。だがケンブリッジ大学のキャベンディッシッュ研究所で、このDNAの二重らせんの取っ掛かりをつくったのは、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックではなく、当時ロンドンのキングス・カレッジにいたX線結晶学の研究者ロザリンド・フランクリンであり、彼女が撮影したDNA構造のX線結晶構造解析写真(有名な51号写真)を、彼女の上司であったモーリス・ウィルキンスが彼らに見せ、それがヒントとなってDNA構造解明につながった。しかし、この歴史的解明をジェームズ・ワトソンは著書『二重らせん』で述べているが、そのなかで彼女の貢献に対する十分なクレジットが配慮されていないという批判がある。

「質問者」フランクリンは、いったい何をしていれば、彼女自身DNA構造を解明できる可能性が高くなったでしょうか?

「ワトソン」残念ながら違うDNAを持って生まれてくる必要があったでしょう。彼女には社交性というものがなく、どうやって他人と付き合っていいか分からなかった。おまけに明らかに被害妄想の気もあって、他の人が彼女から盗もうとするねのではないかと恐れていた。だから、誰も信用しなかった。彼女の態度のせいで、他の人は彼女を助けたいと思わなくなった。もしいい性格だったら、それだけで既に助けになる。ブスッとした不機嫌な人だったら、誰も助けたいと思わないでしょう。

「質問者」しかし、非常に微妙な線ですよね。競争には勝ちたい。だからフランクリンの競争心をあらわにした態度や自己防衛的な態度というものも、ある程度わかる気もするのですが。

「ワトソン」彼女は自分が最も他人の助けを必要としていたときに、他人を寄せ付けなかった。彼女は他人の助けなしには絶対にDNA構造解明に成功しない。だから、実際成功しなかった。それだけのことです。
成功とはある意味、「情熱」にかかっている。何をその人を突き動かす動機となっているのか。ロザリンドの場合、「成功すること」そのものが目的だった。われわれは「答えを知ること」が目的だった。われわれは答えを知りたい一心で仕事をしていた。彼女は生物学のトレーニングを受けていなかったので、その知識が全く欠けていたから、もうほとんど諦めかけていたんです。

「質問者」ロザリンド・フランクリンはX線結晶構造解析写真を八ヶ月間あまり自分で所有したが、その意味を理解することができなかったのに対し、あなたとクリックは、写真を見るなりその意味を解釈することができた。彼女はDNAモデルを作ることに興味がなかったのでしょうか?

「ワトソン」全くない。ハッキリ言って、彼女はノーベル賞に値しない。ノーベル賞は敗者には与えられない。誰も彼女から賞など奪ってなどいない。彼女には何ヶ月も自分で問題を解く時間があったのに、どうやって解釈していいかわからなかった。どうやって勝つか、つまりどうやって目的を達するかということを知らなかった。

 その二の、京大藤井教授の利己性、利他性論議があてはまるケースである。ロザリンド・フランクリンは1958年、37歳でガンで亡くなっている。二重らせん構造の発見のノーベル賞は、1962年にワトソンとクリックとウィルキンスに与えられた。(しかし最近の説では、この男たち三人がロザリンドの研究を盗んだとするのが有力だが)

 司馬遷も「天道、是か非か」問うているのである。

その四

 だが、藤井教授論の運のもつ一面は、これは一面であろう。それは必要条件ではあっても十分条件ではないはずである。身近でも人のためにとカモになる人を散々見ているし、宗教団体は財務をとなえ、ある団体は家財産まで教団に寄付させる。この「良い人たち」がとても「運」が良いとは思われない。逆に、その連続する不運に同情するくらいである。「運」の解釈あるいは定義だが、それは社会的に数量化するものか、個人的なものか、どっちだろう。脳のMRI技術等がさらに発展すれば、それを、つまりその瞬間の幸福・快楽を測定できる時代もくるかも知れないが、さて、どう数値化するのか。

 ともかく、いわゆる「運」は非日常である。この前提は、これで良いだろう。したがって、ある意味、特殊な状況の特殊な出来事である。空からふってくるような。藤井教授のように考えても、それで運が振ってくるわけではない。良い人も、たくさん淀の競馬場でさんざんに負けているわけである。日常的に、である。「運」とは、つまるところ、他者との比較である。相対的なものである。つまり、実もふたもないが「勝つ」ことかも知れない。日本語における使用としては、そうなるはずである。「運よく」貧乏で苦労し、さんざん病気をし、でも、とても良い人でした、というのはNHKの日本御伽噺でも放映されなかった。良い人は、最後は金銀財宝をゲットする結末になるのがお約束。その非日常である「運」を日常個々の特質で分類するのは、すこし無理があろう。

 だが藤井氏の言うところは、体感的に正しいと考える。ただ、それでは不足でしょ、という次第。であれば、あとは付け加えるだけである。利他性が、「運」の基本的な要素であることは賛成する。経験的に、それは賛成。しかし、それだけでは駄目。

 たまたま『知の逆転』を読んでいる。著者は女性である。このような怖い相手によくもインビューしているね、と感心する。よほど頭が良いのだろう。相手も、ちゃんと対応してくれているのである。

 そのなかで、文章を拾う。
「ワトソン」
 おお、感情は常に理性より重要です。

 われわれの世界では、15歳ではまだ才能が見出せないが、おそらく19歳くらいまでには、誰が世界を変えようという気概を持っているか、誰は全く変えなくてもハッピーなのかが大体わかるりようになると思います。シカゴ大学の教育は、学生からリーダーになる可能性というものを引き出した。つまり事実から意味を汲み取る人間にしたということです。成功したのは、よく考え、よく読み、よく知っていたからだと思います。

 勝てば官軍であり、時の運という言葉もあるが、そして運のほとんどは、あるいはそうかも知れないが、陳腐だが「正道」ということかも知れない。結論として、こうすれば、「運はこない」ということはあっても、こうすれば「運がくる」というセオリーは、それはないだろうね。第一、運を期待する人間のところに、運は来ないと思うしね。藤井教授の説は、社会のなかでどう効率よく生きるかという処方箋だが、一般論である。つまり日常である。運は、非日常である。でも、マージャンでも手を広げないとロンは出来ない。

「質問者」なぜ人間は見かけに左右されるのでしょう。
「ノーム・チェムスキー」これについては、進化論上の説明も、推測の域を出ません。人間の幼児は、チンパンジーなどの他の種と比べて幼少の頃特殊な成長の仕方をします。ほとんどの種では、幼児は早くから独り立ちするのに対し、人間の幼児は非常に長い期間、親に頼っています。その理由として挙げられているのは、人間の脳が急速に大きくなる一方、女性が無事にお産をするためには、赤ちゃんの脳の大きさには限界がある。したがって、子供が生まれてからの生長期間が長くなって、子供は自立するのに時間がかかる。そうなると、大人が世話したくなるような何かを子供が持っている必要がある。当然の、進化は、思わず抱き上げたくなるような、世話をしたくなるような姿をした子供に有利になり、彼らが選択されて残っていく。もしそういう気持ちが大人に起こらなければ、子供や幼児は死んでしますますから。「かわいい子」という表現があるように、大人をして世話をしたくなるようにさせる何かを、幼児は持っているんですね。

 笑う門には福きたる、ということか。ただし、特権的な笑いの必要があるだろうが。というより、特権的な貢物を、理由もなく受けるように生まれる必要があるのかも知れないし。ここらは理論化は不可能だが。払いもせず、飲み、食べれるのが運であるから、経済学的には非合理に過ぎる話である。フリーライダーである。

 まあ、理屈と膏薬はどこにで付くのであり、幾らでも付け加えられるが。利他だけでは、運はこない。そして、そもそも、団塊世代として言うが、運を期待するような奴のところに、来るわきゃないでしょ。誰に来ても、犬も歩けばの、天からのボーナスでしょ。ただ、それじゃ、あんた損するよ、歩く悪運なの、というタイプの人は多い。ほとんど、そうだが。

 以下、蛇足。

 ただ、ここに書いてよいか分からないが、播州に八家さんという旧家がある。氏によると、知能指数の異常に高い天才系らしい。むかしの郷士階級だろうか、八家四訓というものを教わった。伝授書面に伝八家四訓とあるから、伝えられた以上は、しゃべってよいのであるが、それには江戸後期の日本の立身の知恵が凝縮されている。
 一、引き、二、弁(べら)、三、才、四、学 である。その社会において認められる優先順位の率直な理解が、テクニカルで素適である。また、日本文化においての社会的な運動法則に対処する方法をしっかりと踏まえている。これは藤井教授の説とは一致しないが、そう現実的には矛盾しない。お元気ですか。

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田中真紀子研究

 今となれば過去の人間だが、小泉政権のころの角栄の娘、真紀子は、いつかは総理大臣になるのではないかという勢いがあった。小泉劇場型政治の重要な役者であった。今は、すっかり実態が曝されて、ただの中身の無い我儘おばはんと見られているし、まあ、その通りであろう。
 たまたま行きつけの喫茶店に立花隆の「田中真紀子研究」が置いてあった。刊行は2002年、本の趣旨は当時の真紀子ブームの中で、田中真紀子を通してみた現代日本政治における「角栄の遺伝子」問題を研究するということらしい。立花隆の真紀子観は、ワイドショーにでてきて威勢よくしゃべりまくる元気がよいオバサン・タレントの部類であり、野村沙知代程度の人間くらいのようである。そして立花隆は「真紀子の異常な言動に唖然とした」とする。
 それを立花隆は、政治のワイドシー化の流れの一つと観て、ある意味、時代の必然とするのだが、わたし的には「真紀子の異常な言動に唖然とした」に、思い当たることがある。そこでアマゾンで松田史郎「田中真紀子研究」も取り寄せる。こちらは週刊誌の取材グループのものであり、立花隆本の解釈的論説と比べて、具体的なエピソードが多い。読んで呆れる。唖然とするわけである。

 彼女が未婚の頃から家庭においても暴力的であり、たとえば娘に怒鳴られて便所に逃げ込んだ父角栄を、便所のドアを蹴りまくりながら、出てこいと大騒ぎしたエピソードもどこかで読んだことがある。父は娘をジャジャ馬と呼び、娘を妊娠させた婿を、こんな女を孕ませて、お前はすごいと褒めたとか。もっともこの婿殿も義父から拳骨くらっていたというから、まあ米糠三合が無かったのねと同情ものだが。それが、おばはんになったのである。

 二冊の本を読み比べて、よくわかった。彼女は重度のADHDなのだ。そしてADHDの3割はアスペルガも持つとされるが、ADHD/ASなのである。尼崎ドラム缶殺人事件の角谷美代子と間違いなく同じである。勝手にアニマルキングダムをつくり、そこの唯一的支配者として君臨しようとするタイプである。なんでも、彼女によれば「人間には、敵か、家族か、使用人の三種類しかいない」そうである。立花隆は、真紀子には「人間の情において根本的に欠けているところがある」とする。脳梗塞で倒れ、病状が悪化した父角栄を、地元の支持者の前で、フライパンで頭を叩いたとか、はじめての当選での地元との公約に、父を地元に連れて帰るがあり、実際連れて帰るのだが、古い父の支持者の前で、口のきけない父角栄を横に、その第一声が、「皆さーん、目白の骨董品がきましたー、これが私の公約第一号でーす」とやったらしい。亡くなった小渕前首相を「小渕さんはお陀仏さん」もひどいが、あれほどのオヤジを人前で「骨董品」呼ばわりするのも輪をかけてひどい立花隆は呆れる。
 外務大臣時代も、傍若無人かつ支離滅裂な話ばかりであり、外務大臣の公的行事のドタキャンは常であり、指輪をなくしたら、秘書官が盗んだと騒ぎ立て、全員のポケットまで調べる有様。角谷美代子である。そして本人には何の反省もなく、みな相手が悪いのである。

 外務省の官僚は、彼女の日々の状態を「お姫様モード」「女王様モード」「もののけモード」にわけて対応していたようである。また外務省官僚が田中大臣に重要事項の説明をするのだが、集中がつづかず3分くらいで足をブラブラしだし、スリッパを壁まで飛ばしては、自分で拾いにいったりするようである。その癖、なにか失敗すると「わたしは聞いていない」と逆ギレするのが日常。さすがに資質がないということで罷免される前は、自分を罷免すれば、外務省機密費が内閣機密費に上納されていることをバラすと小泉政権を脅迫する有様。

 自身もADHDである医師司馬えり子氏は「ジャイアンとのび太」と分かりやすくADHDを二つに分類するのだが、田中真紀子は極端なジャイアン型となる。立花隆は、真紀子の性格に呆れ、不思議がりながら、彼女を「ガキ大将」とする。彼女は、この人が許せないとなったら、とことん許さず、人前で平気で侮辱罵倒するし、首を切ってもその再就職を徹底して妨害するとか。外務大臣時代も、真紀子の嫌がらせを徹底的に受けた秘書官が「生涯にこれほどひどい侮辱を受けたことはない」といって職を辞し、上司が言葉をつくして慰留しても断固として戻らなかったとか。私邸の秘書や使用人となると、さらにひどく、フライパンで頭を叩かれたり、雨の中砂利の上で土下座させられたり、数カ月しかつとまらない人が大部分とか。この異常な行動を立花隆は彼女は「ガキ大将」タイプの人間であり、「腕力だけはあるので、利害関係の一方の当事者として自分を置き、権力によって相手を泣かせ、自分が一方的に利益を得て喜ぶというガキ大将タイプ」だとする。つまり、ジャイアンである。しかし、あくまで自分が正しい。

 自身もADHDである精神科医師、ドクターやんばる氏の臨床現場からの発言であるブログ、ホームページはよく読む。そこで氏は「自己正当化型ADHD」という表現を使う。以下、引用。
このタイプのADHDは自分では「自分が当たり前」「自分のほうが正しい」と思っていることが多く、「少数派」という認識自体が困難で、また自分に不利なことは認めない。
「人に執着しない」ことなど他の特徴はADHDそのものなのだが、小さいときから自分が中心で人より優位に立つことを求め、逆に自分が不利なことを認めることが難しいADHDの一群があり、自己評価が下がらない特徴のみアスペルガー症候群に似ている。表面的な学歴や極端なブルーカラーへの偏見などを相手が従うまで延々と言い続けたりする。
人のことでは合理的な考え方が出来るが、自分のことは客観的に考えることが難しく、自分を正当化しようと無理やりの言い訳ばかりするのが特徴だ。
 ドラえもんの「ジャイアン」や「モラハラ」の加害者としてよく現れるのがこのタイプだ。
 依存的で被害的、人から痛めつけられているからと人を悪く言って自分に注目してもらおうとする特徴がある。思い込みが激しく、人の誠意を試そうとしたりするが、基本的には自分を評価するかどうかだけに関心があり、相手は誰でも良い。
【基本特徴】として、
1. 異常に表面的な考え方。例えば極端な学歴至上主義や、ブルーカラーへの強引な差別など。周囲の人を馬鹿にすることが多く他者を決して褒めない。
2. 自分の価値観が全てで、周囲の全員にしつこく繰り返して主張し続ける。自分の価値観以外の考え方が存在すること自体が理解できない。
3. 自分の行動が、状況により相手から見ると全く違う意味を持ちうることを全く想像できない。周囲の他者の気持ち、意志などを認識できない。
4. 自分の評価にはこだわり、無理のある言い訳を繰り返して自分が悪いことは一切認めようとしない。合理的でなく非常に情緒的。
5. 「人には執着しない」「極端に割り切ることが出来る」といったADHDの基本特徴は同じで、人に愛着が無い点でアスペルガーとは全く違う。
6. 「ADHDのAC」になることはあるが、自己評価は下がらず、自己正当化を続けるため周囲に攻撃的となり、周囲から見ると非常に困った人になる。

【様々な経過】として
 自己正当化型ADHDも、例えば小さい頃から「あなたの考えは?」と本人の考えを聞き、いちいち根拠を示して合理的に説得する試みを続ける等、「合理的な環境」では、他のADHDと同じように合理的なADHDになることは可能だ。
しかし他のADHDがはじめから「無私」「無差別」の合理的な志向を持つのに対し、教育と本人の努力無しには合理的な考え方や「相手から見たら異なって見える」ことの理解は困難である。
 したがって、自己正当化型ADHDが甘やかされると、何でもゴリ押しする「ジャイアン」となり、強引に言い張って主張を通すパターンを続け、大人になってもモラルハラスメント、パワーハラスメントなどの加害者となる。
 逆に親から強引に押さえつけられると、「自己正当化型ADHDのAC」となるが、基本的に自己評価は下がらず、「自分が被害者であることをアピールする」ことをしつこく続けることが多い。

【ケア】としては
 成人の自己正当化型ADHDはそれ自体のコーチングやケアに乗ることは少なく、子供のACや様々なハラスメントの加害者として問題になることが多い。ADHDの診断も否認することが多く、根拠も無く「診断した医師が間違っている」と主張することも多い。
 子供も成人も、ケアとしては、「他者から見るとどの行動も本人の意志とは別の意味を持ちうる」「自分の価値観は絶対ではない」ということを丹念に合理的に説明していく他は無い。特に子供のときに合理的な接し方(本人の意見を聞き、根拠を述べさせ、その根拠で正否を判断する。逆に本人にはきちんと根拠を示して反論することを続ける)をすることは大事である。
成人のケースでは、意味のあるケアは、「被害者を逃がすこと」しか出来ないことも多い。

 このドクターやんばる氏の言葉、「成人のケースでは、意味のあるケアは、「被害者を逃がすこと」しか出来ないことも多い」とは、まあ、田中真紀子においても同様だろう。ドクターやんばる氏によれば、ADHD者に欠けているものとして「感謝」「謝罪」「共感・同情」をあげる。つまり発達障害であり、そして発達していない精神の領域あるいは脳の部分である。またADHD者の最大の課題は「コミニュケーション障害」だとする。他者が理解できない、他者の存在が理解できない、他者の感情が理解できない、その結果、他者を怒らせ、他者を傷つけるのである。
 太宰治の小説は、自己愛に満ちたくだらない中年男の戯言、ドストエフスキーの「地下室の手記」のパクリ程度と思っていたが、最近「太宰治とADHD」という本を読んだ。精神科医師の間では、太宰治は文学者というより境界性人格障害の一事例とされるらしいが、その目で見れば、太宰治の小説は、すべてADHD者の自身と外界とのかい離、他者と世間を理解できない、普通の人間感情を理解できない男の独白ばかりである。それが普通の人には特殊なので、まるで文学かのように見えたのだろう。太宰治を読み直して、それが確認できた。ジグソーパズルのピースがカチッとはまった感じである。

 太宰治のような意識的、内省的な高い知性があれば、その原因を自己の内部に求めるのだろうが、普通はジャイアン、立花隆的表現ではガキ大将にとどまることになる。そして延々と他者を批難しつづけ、激昂し、罵倒し続けるのである。人には、それぞれさまざまな考え、感情があろうことが、おそらく生まれつき理解できないのである。自分しかない。ドクターやんばる氏の「自己正当化型ADHD」となり、「成人のケースでは、意味のあるケアは、「被害者を逃がすこと」しか出来ないことも多い」となるか。立花隆的表現では「人間の持つ情がわからない」からである。

 ドクターやんばる氏によれば、ADHD者に欠けているものとして「感謝」「謝罪」「共感・同情」をあげるが、日々の生活においても「ありがとう」という言葉、「ごめななさい」という言葉、そしてたとえば身近の誰かが病気等で苦しんでいたら「大丈夫か」の言葉の一つも無いのだろう。逆に煩わしがって罵倒する。立花隆的表現では「人間の持つ情がわからない」だが、「他者の痛みがわからなあい」のである。だから、他者を罵倒できるし、加害者としての自覚もないまま、いくらでも人を傷つけることができる。それどころか、本人は自分を常に被害者と位置付けるのである。「恋愛できない脳」という本があったが、そういうことであろう。男女の情が深く交流してつくりあげる恋愛は、たとえば太宰治には無理である。女を取り替え、取り替えて道具して利用し、果ては心中の道連れにまでしようとする。コミュニケーション障害の人間は、セックスはできても恋愛はできない。だから、それに執着する。

 ドクターやんばる氏は12歳をすぎると有効な治療はむつかしいとするが、すると、それまでにいかに「ありがとう」「ごめんなさい」「大丈夫?」の言葉を、血になり肉になるほど習慣づけるかが、津島家と田中家の課題だったのであろう。ドクターやんばる氏は、教育と本人の努力無しには合理的な考え方や「相手から見たら異なって見える」ことの理解は困難であると述べる。
 人間社会は「人間の情」で成り立っているのであり、「人間の持つ情のわからない」人間が生きれる世界ではない。人の痛みがわからない人間が住める場所ではない。太宰治しかり、田中真紀子しかり、角谷美代子しかりである。「太宰治とADHD」という本では、太宰治の「操人癖」を述べ、人を操り、支配したがるのはある種のADHDの特性の一つとするが、太宰治のような洒落た口たらしで人を操ろうとするのではなく、田中真紀子、角谷美代子は、ぶち切れ、侮辱、執拗な長時間の罵倒、肉体的あるいは精神的な暴力により他者を支配しようとする。これはでは、狭いところで秘密のアニマルキングダムはつくれても、広い世間では、とても通用しない。いつかは排除されるしかない。「人間失格」である。

 田中真紀子をよんで、太宰治を読み直し、腑に落ちることが多い。太宰治の小説を文学として読むより、心療内科の症例として読んだほうが、実態に即していると思うが、田中真紀子についても、立花隆的に政治研究事例としてより、同様に症例として読み直したほうがよいと確信する。もっとも、なのにあれほどの政治的影響力を一時は持ったということは、その上での政治研究として意味がないこともないのだろうが。ADHD者の比率は6%であるとか。兵庫県警も、そのような視点を取り入れるべきかも知れないし、である。

 ただ、ダビンチ、リンカーン、アンシュタイン、エジソン、歴史上の天才や偉人にADHD者は多い。日本史なら織田信長、坂本竜馬など。スティーブ・ジョブスもビルゲイツも紛れもないADHD者である。ADHD世界からは、人類史の花形的人物を多数輩出している。まあ、ジョブスを主人公として最新の映画のテーマは「最低の男が最高の会社をつくった」らしいが。それはそれとして。

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性の外部経済

朝、いつもの京橋駅のそばの喫茶店に行き、なじみの女の子に注文を聞かれ、モーニングをたのみ、店の新聞を読み、週刊誌を読む。週刊文春には警世家の中村うさぎ氏の連載がある。先々週のテーマは、「性的価値のパワー」である。氏の説によれば、通説は知性や才能や精神的な豊かさが大切な人間的価値であり、美醜や性的価値とくらべると、そちらのほうが格段に高次元の価値と考えられている。しかし、本当にそうかと。氏はそう設問する。美醜や性的価値が低次元の価値基準だとみなされているなら、なぜ女達はあれほどまで美醜にこだわり、性的価値を高めようとするのか、と氏は問う。そして「違うね」と氏は断言する。
人間のあらゆる価値の中で、美醜や性的価値は群を抜いて理屈抜きに強い。それは一つの絶大な権力である。「人間本来の価値」と呼ばれるものを一瞬で吹き飛ばす有無をいわせぬパワーがある。エロスは権力であると氏は述べる。そして、さまざま市場のなかで性産業は「買い手より売り手が一方的に強い稀有な市場である」と結論する。

ここで命題が誕生する。「買い手より売り手が一方的に強い稀有な市場である」のメカニズムはどうなっているのか、である。

設問は経済学的命題であるが、性と結婚の経済学に関しては、1992年のノーベル経済学賞を受賞したゲーリー・ベッカーが「家族論集」において、経済学の「効用」の概念を適用して分析している。秀逸である。
「男と女が結婚をしたり、子供をもったり、離婚をするさい、彼らは利益とコストを比較し、彼らの効用を最大にしようと試みる」と述べる。男女はそれぞれ自己の所得を最大化するという仮定が成り立つのであり、それ以外のどんな縁組みも、この仮定より優れた結果を約束しないと考えるのである。これが合理的選択アプローチであり、個々人はその基本的な嗜好にもとづいて自己の効用を最大化し、また異なる個々人の行動は、外在的かつ内在的市場によって調整されると仮定している。つまりベッカーによれば「ごく普通の人」の心の中にも内在的に「市場」があり、それが効用の最大化の調整を続けているらしい。それは外在的市場においても、内在的市場においても貨幣価値で評価できるということである。

ベッカーは、判事であり法学者であるリチャード・ポズナーと共同でブログを立ち上げ、経済学と法学の二つの立場から、政治や社会について論じ合っている。ポズナーは「法の経済分析」「正義の経済学」の著者であり「正義はお金で測った富の最大化」という素敵なアメリカ的法学思想をもつ。
ポズナーは、そのブログでの議論(「ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学」)において、カトリック教徒と米国カトリック教徒、聖職者もかかわった最近の性スキャンダルについて、性道徳がこの半世紀でおおきく変化したとして、それを経済学的アプローチで考えようとする。そして「性がもたらす喜びや緊張からの解放という意味での性のベネフィットは、生物学的根源に深く根ざすものであるので、むしろ、求めるべき回答は性のコスト側にあるだろう」とする。
そして、性行動のコストを考えると、それは過去半世紀の間に劇的に低下したとする。①ペニシリンの発見およびコンドームの普及により、性病が安全、確実かつ安価に治療できるようになった。②避妊手術が合法化され、また技術が向上し、望まない出生を大幅に減らせようになったとする。
さらに根本的に重要な点は、③社会における女性の役割が変化した。サービス経済の拡大、家電などの出現による家事時間の大幅削減などにより、女性の就業機会は拡がった。それは女性の金銭的独立性高め、彼女らにとって結婚による利益を縮小させた。また子供をもつために一時的であれ、恒久的であれ、労働市場を離れることによる遺失利益は、女性の賃金が高いほど大きくなるという意味で、出産にともなう機会費用は増大した。これは、女性にとって結婚のコストを高める要因となっている。
これらが重なり合った結果、婚姻率が下がり、平均結婚年齢が上がり、また離婚のコストも低下しているとする。また同様に、男性にとっても結婚による利益は減っており、離婚することへのコストは低下している。これにともなって、結婚している状態で性行動を行う期間は短くなる半面、婚外の性(これも避妊手術の向上や妊娠中絶によりリスクは減少している)への需要は高まっている、とする。
さらにポズナーは論じる。「経済的および技術的な変化の結果として、性が危険であるとも重要であるとも考えられなくなったことで、性は倫理的にも善くも悪くもない行動と見做されることになるであろう。それは食事をとることが、ほぼそうなっているのと同じである。」つまりポズナーは、家庭のものであった食事が、お金を払ってレストランで外食するように、性も貨幣で交換できるものとする。これは、売春が倫理的に問題のない行為であるとの意味になる。アメリカの高名な判事さん、法学者がそう言う。性が、道徳その他の面で、食事をとる行為と同様の、単なる消費活動の一つになるとの斬新な見解である。このポズナーの理論は、もともとはベッカーの家族論やコスト論にもとづくものであるが、ベッカーはブログであわてて否定して、性行為は家族単位の中での二人の親密な関係であり、消失することのない感情上の愛着や心の襞がたくさん含まれていると、打ち消そうとする。

だが、ベッカーとポズナー両人とも、人間はあらゆる領域において、自己の利益をはかり、合理的に効用を最大化しようとする存在であるとの前提は一致する。

たしかに昔の日本の見合い結婚であれば、第三者である大人が調整するのであり、両者にふさわしいレベルでの効用の最大化が達成されるであろう。また衝動的に同棲をしたり、できちゃった婚をする男女については、ベッカーは、「若者は性を欲して結婚する。だが、そうした動機にもとづく結婚は離婚を招きやすく、非婚者の増加と婚外の性に対する需要の増加をもたらす」と経済学的分析を行う。つまり貨幣評価による効用の最大化とコストの夫婦相互の調整の行われていない婚姻は、経済学的にも成り立たないのであり、破綻する可能性が高いということである。なんでもお金で評価しようというところが、じつにアメリカ的で素敵である。また男女間の「勘定」の存在は、洋の東西を問わず、経験則として誰でも知っている。金の切れ目が縁の切れ目という金言も、その経験則より来ている。お宮寛一である。医は算術という言葉があるが、医にかぎらず、すべからく算術ということである。

先週、ニック・ポータヴィーの「幸福の計算式」という本を買ったが、それによるとイギリスの場合だが、他者の死の値段として、円建てで換算すると、配偶者の死は3800万円、子供の死は1500万円、母は270万円、父は250万円、友人は100万円、兄弟姉妹の死はなんと、たった12万円だそうである。また結婚の値段だが、結婚の初年度の値段は、2500万円だそうである。
これは、結婚初年度の場合の試算であって、2500万円の値段がいつまでも続くわけでもない。「独身から既婚者への1回限りの変化によってもたらされた幸福の価値」であり、持続的な定価ではない。現実問題として、ここにも限界効用逓減の法則が働くはずである。たとえばグラフをつくって横軸に時間、縦軸に値段をおけば、時間と値段は反比例関係にあると思われる。線は右肩下がりになるのであり、時間とともに値段は下がり続ける場合が多いと、普通考えられる。わしゃ、知らんけど。つまり男女ともに、相互的に効用が低減していくのであり、両者とも自己利益の最大化は達成されない。維持コストが引き合わなくなるのであろう。離婚の価格は98万円、兄弟姉妹8人分の死程度の安さである。

さて、もとの命題にもどる。中村うさぎ氏は、今週発売の週刊文春の連載において、「エロス権力」という分析をおこなっている。
「女は生まれつき、男に対してエロス権力を行使できる特権的立場にいる。だが、そのエロス権力は十代から二十代がピークであり、その後は年齢とともに力が減衰して、閉経して生殖能力を失う頃には、壊滅的な状況になっている。」
「一方、男はエロス権力に対抗して経済力や社会的地位といった権力で女を支配しようとするのだが、これは若い頃よりむしろ年齢を重ねてからのほうが有利になっていくシステムなのだ。こればかりは、もう、如何ともしがたい男女の非対称性である。その代り女は若い頃に絶大な権力を持てるわけだから、これくらいの非対称性はむしろフェアとも言えるかもしれない。」
中高年女性が、美魔女という言葉をつくりだし、躍起になって若さや美貌や現役感に固執するのも、そのエロス権力という既得権を手放したくないからに他ならない、そうである。

さて本来の命題であるが、もとより性産業市場は、不透明市場であり、長期市場ではなく、超短期市場、瞬間的な取引きである。このような市場では、冷静かつ公平な財貨の交換は成り立たない。売り手が優位であることは、中村うさぎ氏の権力理論でも説明できるし、ゲームの理論でも説明できるし、またCoolidge effectでも説明できる。またバブルを説明する根拠なき熱狂理論の援用も可能である。さらに、閉鎖された特殊市場であり、特殊商品である。比較優位ではなく中村氏の説くごとく絶対優位であり、複数財ではなく単一財であり、また相対取引であるから、市場機能の調整による一般均衡は成り立たない。取引機会と取引費用を問題としているのだが、とくに取引費用について考えれば、相手を探す費用、交渉過程の費用、合意を監視する費用、ハンドバックなどの維持費用、レストランやラブホなどの場の費用も加算されるのであって、それは買い手側が負担せねばならない。まったく本来的に公平な取引ではない。原価計算は成り立たない。また今日の市場は、過去のように奴隷的労働者の市場ではなく、大阪の飛田新地がそうであるように、自由意思労働者の市場であり、いや個人事業主であり、価格決定権自体が売り手側にある。つまり一般の商品市場においては、需要曲線と供給曲線の交差する均衡点で価格形成されるのだが、この市場においては、このミクロ経済学の基本原理が、まったく成り立たないのである。

だいたい、こんなところが、この産業・市場のメカニズムというところか。中村うさぎ氏の意見、性産業特殊論は実に正しいのである。ノーベル経済学賞の受賞者であるベッカーのアプローチに従えば、社会構造が変化した過程で、男女間の取引コスト、自己の利益の最大化、効用の最大化については、当初はともかく、私見では、しかし時間軸とともに限界効用の逓減の法則が働き、受ける利益と遺失する利益がある時点で反転することになる。2500万円が、どの時点で両者の正負の均衡点、忍耐可能点、ガマンの限界、損益分岐点となるか、それとも新しい付加価値を急遽形成することができるのか、ということになる訳である。効用と価格の逓減について、マクロに見れば、統計的に大数の法則が働くはずである。

さらにであるが、コストが引き合わない場合は、ポズナーの説く「食事をとることがほぼそういうふうになっているように」外在的市場の利用という社会現象の変化を認めるという展開となる。「性が婚外で行われるにつれて、つまり、ひとたび結婚と性のつながりが弱まり、性が子供を産むためのたんなる手段より、その行為自体に価値があるものと考えられるようになる」と、経済学の手法により性革命が進行する基底を理解することが可能になる、そうである。
ベッカーによれば、経済成長や技術的進歩などの出来事が新しい誘因をつくりだし、それに反応して人々の行動が変化することはよく起きる。当初は社会一般の基準がその変化を妨害するとしても、それでも行動は変化する。そして新しい行動が社会に広まり、また習慣的になるにつれ、社会基準のほうが行動に適応すべく進化する、そうである。

まあ、人間社会の本音が、エゴと打算と算術の集合であることは、とくに秘密ではないが、ノーベル経済学賞の受賞者がいうと、なにやら恐れ多く、ありがたい。してみると、橋下大阪市長の在沖縄アメリカ兵は「風俗を活用せよ」との爽やかな合理的解決、古典的かつ新時代的解決、素敵な提案を、在沖縄アメリカ軍司令官が不快に感じたと報道されるのは、ノーベル経済学賞受賞者とアメリカの権威ある法学者の説く現在進行中の性革命にてらしても、現代的消費活動の一つとしての外在的市場利用のすすめにてらしても、アメリカ軍人の外在的市場における消費行動の現実にてらしても、そりゃ変やんか、となる。まあ、どうでもいいことだが。
ブログにおいてポズナーは、「古代ギリシャを一例とする多くの文明は、われわれ自身の社会に比べると、性についてもっと無頓着だった」と述べる。何年前に、熊本を団体旅行したが、バスガイドさんが、おてもやんの可愛い恋愛について話していた。嘘でしょ。ずっと昔に読んだ本の記憶では、当時の熊本では、娘は結婚前に女郎になり、そこで金を稼ぎ、タンスの一竿も買う。その稼ぎのよい娘ほど貰い手が多かったという内容であった記憶がある。それが、おてもやん。元歌も遊郭の騒ぎ歌のはずである。ともかく、おてもやんとしては、取引優位、売り手優位にあり、相手の男を選べるのである。とうぜんに自己利益と効用の最大化をはかるのであり、嫌な盃はしないのである。西鶴も近松も、そんな話ばかり。性と算用である。
何年か前の日曜日の午後に、道を歩いていると、友人の結婚式帰りらしい着飾った二人の若い女性が通りすぎる。その一人が、連れにキッと言う。「あんたも安売りしたらあかんで」と。相手は、唇をかみしめて兵士のように「うん」と答えていた。ああ、戦場の同志たちなんやと感動したものだ。まあ、これも、どうでもいいことだが。が、就活も大変やけど、婚活マーケットはもっと大変やろなあ。売りと買いの市場のなかで、利益の最大化と言っても、周辺相場もあれば、相手もあることやから。一発勝負だし、自分を値付けし、相手の商品価値を値踏みせねばならないし、しかも、情報はつねに非対称である。どの市場も、つねに不確実性に満ちている。ウォール街の金融工学にブラック=ショールズ式があるように、誰かが婚姻工学を開発して、彼女らのために、計算式をつくってやれないものか。ああ、面白そうだが考えんとこ。以上、週末の暇つぶしの思考実験である、と言うより、まあ、ひとり寝の与太やなあ。だが、性産業と婚姻市場を同一に論じて宜しいかという問題に関しては、ベッカー教授もポズナー判事も、経済学的アプローチとしては、それで宜しいと答えるはずである。

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ジャック・ドーシー

 アメリカの経済誌で「第二のジョブスは誰か?」の筆頭候補はツイッター創業者でスクエアCEOであるジャック・ドーシーだそうである。1976年セントルイスで生まれ、14歳でタクシー会社用ソフトを製作。2006年にツイッター社を創業。2009年には、スマホ決済会社のスクエアを創業。スマホやタブレット端末の決済システムとして決済額は100億ドルを突破。アメリカ中に決済革命をまきおこしているという。
 東洋経済誌に、そのインタビュー記事があったが、ヨゼフ・シュンペンターのいう企業家、アントレプレイヤー、新結合とイノベーションの定義にみごとに当て嵌まっている。シュンペンター先生から100点満点がもらえる。おもしろいから、彼の発言をうちこんでみる。

 スクエアを立ち上げるうえで苦労はものすごくたくさんあったよ。
 僕らはみんな金融業界については素人で、業界の構造や仕組みを学ぶところから始まった。ハードを作るのも初めてのことで、投資家たちになぜカード決済事業をするのにハードが必要なのか説明する必要もあった。なぜソフトで完結できないのか、と彼らは考えていたんだ。

 多くを学ばねばならず、サービスを開始するのに9ヶ月もかかった。ハイテクのスタートアップの場合、大抵サービスはすぐに始められるものだが、僕らは金融機関の規則をクリアして、金融機関と交渉する必要もあった。技術自体を開発するのは簡単だったが、業界の人たちとのネゴーションは大変だった。
 それから、業界の力学を変え、自分たちの存在価値を証明するには、決済のボリュームを増やすことがとても重要だった。今や年間決済額は100億ドルを超えるようになったが、これは非常に重要なことだ。

 今も昔も起業の基本はまったく変わっていないと思う。父は僕が19歳のときにピザレストランを始めたが、僕は今、それとまったく同じことをスクエアでやっている。そのスピードが若干速まっただけだ。
起業に関しては、これをすれば成功する、という絶対的な要素はない。ただ、起業家には強い目的意識や、自分がこの世界で何をしているのかを把握することが必要となる。
 加えて、何があっても事業を作り上げるために牛のように闘うという強い野望も必要だ。会社を成功させるにはものすごく働かないといけないし、そのハードワークが終わることはない。いったん止まってしまったらビジネスはなくなってしまう。大事なのは、自分がこの世界で何をできるか、そしてそれを可能とする労働倫理と欲望だ。

 何かを作るってことはそれだけで難しい。毎日がチャレンジだ。ビジネスを起こすのは、ローラーコースターのようなもの。すべてがものすごくうまくいっているハイポイントもあれば、急に成長が止まってどうしたものかと考えたり………すばらしい気持ちだよ。

 36歳である。若いなあ。うらやましいなあ。もう一度、この年齢にもどれないものかなああああああああああああ。ツィターの創業者が、こんどはスマホとITハードを「新結合」させて、あたらしいマーケット、IT決済システムを創出したわけである。
シュンペンターによれば、新結合を遂行するものが企業家、アントレプレイヤーであり、経済の発展のためには、彼らによるイノベーションが必要であるとの説である。つまり、経済における革新は、新しい欲望がまず消費者の間に自発的に現れ、その圧力によって生産機構の方向が変えられるのではなく、むしろ新しい欲望が生産の側から消費者に教え込まれ、したがってイニシャティヴは生産の側にあるというふうに行われるのが常である、となる。
 スティーブ・ジョブスの常日頃いう「消費者はなにもわからない、消費者になにも聴く必要はない、彼らは自分がなにが欲しいかわからない、見せてやったら気づく」という論旨も、このシュンペンター理論にあてはまる。わたしもiPadを2台もっている。9インチとミニである。9インチは人にかなり遅れて買った。ミニは発売されたらすぐに買った。もう手離せない。いつも一緒である。それは、この36歳の男、ジャック・ドーシーにもあてはまるに違いない。

 シュンペンターは、そのような種類の企業家の動機として、つぎの3つを特筆する。

① 私的帝国を建設しようとする夢想と意思(支配者となる喜び)
② 成功を獲得しようとする闘争意欲(勝利の喜び)
③ 新しい創造そのものに対する喜び(創造の喜び)

 支配者となる喜び、勝利の喜び、創造の喜びは、企業家は金銭を目的とする、金儲けのためであるとの一般的理解とは異次元である。これは宗教者的でもあり、それ以上に芸術家の精神世界である。スティーブ・ジョブスもジャック・ドーシーも、この世界の住人なのである。ジョブスが何度失敗してもあきらめなかったように、ジャック・ドーシーも、将来おこるであろう波乱のなかで、外部からは不屈の男として見られることも生じるかもしれないが、最終勝利が得られるはずの男であろう。目的には世俗的成功もあろうが、最終目的は創造の喜びなのである、と感じる。

 日本でも、成功した伝説の経営者は、たいがい人生論、精神論、自己の経験、経営哲学をかたりたがるものであり、あまり金銭や地位には興味をしめさない傾向がある。

 入力しながら気づいたが、日本ではドラッガーが経営の神様あつかいである。ドラッガーの父親はシュンペ ターと親友だったそうである。すると、ドラッガーのイノベーション理論は、とうぜんにシュンペンターの流れであろう。
 これは、まずいなあ。いま気づいたが、イノベーション教の開祖であるシュンペンターは、スティーブ・ジョブスやジャック・ドーシーのような人物が経済を革新させ発展させると考える。特異な企業家による絶えざる革新によって需要が沸き起こって市場が創造される、と考える。私的帝国への夢想のためのあくなき欲望と闘争本能をもち、それへの創造の喜びに身を浸している人物が、革新を引き起こすのである。
だがドラッガーは、というより日本でのドラッガー理解は、誰でもイノベーションができるというような解釈をされている。「もしドラ」である。一般人にも、ふつうの企業家にも、AKBのお姉さんでもできるかの如きである。だがシュンペーターのように特権的・ディオニソス的企業家がイノベーションの担い手であるとの理論の原点にかえれば、ドラッガーの諸論議は成り立たなくなるなあ。これは、ちょっとまずいじゃないか。
 イノベーション理論は、スティーブ・ジョブスや、このジャック・ドーシーのような人物にフォーカスして組み立てられた理論である。「もしドラ」などあり得ない。そのシュンペンターのイノベーション理論を、友人の息子のドラッガーがマネージメントの世界で組みなおして、誰にもできますよとアメリカや日本で売り歩いて、意図せざる結果として経営の神様になったことになるのか。だが、誰でもスティーブ・ジョブスやジャック・ドーシーになれるわきゃない。種というより、脳の向きが違うにきまっとる。強烈なアニマルスピリッツと宇宙を読む力が必要となる。これはビジョネール、見えないものを見る力であり、天与のものであろう。むり、むり。

 入力しながら、わが意識のながれというものが脳内で少し脱線したが、ジャック・ドーシーの記事を読んで、そう思い至った。目つきも顔つきもいい。いま流行の細マッチョである。彼は、第一義的に芸術家なのであろう。「何かを作るってことはそれだけで難しい。毎日がチャレンジだ」でも「すばらしい気持ちだよ」と言うのである。100点満点である。

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農業だよ、農業

 朝、車で高校二年の息子を学校までおくる。一時間かかる。雑談をする。将来どうするか、という話で、農業を選べとつよく薦める。農業から工業へと20世紀は流れたが、21世紀後半の花形の職業は間違いなく農業になると力説した。大学も農学を専攻したらどうかと。地球の人口は爆発的に膨張する。しかし地球資源は有限である。先進国が後進国から収奪的取引して資源と食料を得た時代は終わる。100億の人類が、みな食べだす。資源・食糧問題が、これからの大事なテーマになるぞ。そして食料を確保している人間が一番強い時代が来るぞ、農業が一番重要な仕事、ビジネスになる時代が来るぞ、と彼にいう。しかし、かるく流されてしまった。ラオスの話もする。知人がラオスで学校をつくりたいと言う。

 ジム・ロジャースの『ストリート・スマート』を読む。エール大学を出て、オークスフォードに留学している。2010年にその母校で講義をしたらしい。有名な投資家を前にして、学生たちは、どうすれはシティやウォール街で成功できるか聞きたかったらしい。

「あなたのやってきたようなことをやりたいんです、そのためには何を勉強すべきでしょうか、と彼らは言った。哲学だ。それから歴史も。私がそう答えると、むこうは即座にこう返してきた。いえ違います。違うんです。ぼくらはシティで働きたい。僕らはリッチになりたいんです。もしそうなら、と私は答える。君らはシティなんかいちゃいけない。また落ちぶれる日も近いからね。金融の時代は終わったんだよ。これからは農業を勉強しなくちゃ。リッチになりたいなら、みんな農業をやりなさい…私はそうアドバイスした。……MBAを取るなど時間と金の無駄だ。金融業界は今、巨額の負債にあえいである。これまでの数十年とは違うのだ。……農学や鉱山学の学位を取ればよかったのだ。……しかし、金融より農業の方がはるかに働き甲斐のあるセクターになる日がいずれ訪れる。株式ブローカーがタクシーの運転手に転職する日が近い。いや、頭の切れる者なら農家でトラクターを運転するだろう。そして農家の人間はランボルギーニを運転するのだ。」

 ジム・ロジャースは、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスとともに世界の三大投資家と称される。彼が未来の最も有望な職種として、若者に農業をすすめているのが実に興味深い。と言っても、彼の講演を聞いて、シティの金融マン志望から農業に変更したオックスフォード大生は、おそらく一人もいないと思うが。

 人口の増加や資源の活用という点から見て、今「成長の限界」にあると思われる。中国経済がさらに膨大な石油、鉄鋼、食料資源を必要としているように、後進国、中進国の経済と生活レベルの向上は、必然的にさらに多量の資源を必要とする。限りある地球資源の争奪がすでに始まっているのである。世界の漁場は開発され尽くされ、世界の森林も伐採の限界に達している。水資源という面だけ見ても、もう中国は国内で必要な水が確保できない寸前まで来ているのではないか。世界の現状を支える資源がもう十分にはないのである。
 現在70億人。あと20~30年すれば、さらに30億人もの人間が大量消費するようになる。資源の枯渇に拍車がかかるのは明らかである。これが国家間、集団間の暴力的な戦いにつながっていくのか。これは不安定要素である。直近においても、中国、インド、ブラジルその他の開発途上国が、先進国と同じレベルで機能しようとすると、資源の面から見ても世界はそれを支えきれないのは自明である。このような時代が確実に到来するのであるから、若者に農業を勧めるのは、大人の知恵である。今からやれば、将来に大きな金銭的収穫と家庭の安定と、人生の意味を得れるのは間違いない。終戦後の日本においても、高価な着物を米すこしと物々交換した。あれほど極端でなくても、あの時代が、また必ず来ると私も予測する。これはばずれないだろう。
 すると、どのような農業の形、魅力的な形が組み立てられるか、若者でも興味をもつ形が組み立てられるかである。わたしのような山陰の農家の子で、苗代作り、田植え、草取り、消毒、稲刈りその他、子供のころに体験したものと、街で育った彼らとは、ずいぶんと感覚が違うのは当然であり、ビジネスとしての素晴らしさという形でしか説明できない。

 数年前にラオスに行った。首都のビエンチャンは小さな小さな街だった。街を歩くと、日本式のラーメン屋、すし屋があった。韓国式の料理店も数軒あった。意外と美味しい。マッサージ店で横になっていると、ガヤガヤと男たちが入ってくる。韓国の会社員たちだった。ずいぶんと進出しているらしい。道路工事は中国資本であり、中国の重機が工事現場にならび、中国人がラオスの幹線道路の建設工事をしている。
 タクシーをチャーターし、周辺をまわったのだが、農地のあちこちに大きな建物があり、そこに韓国文字がある。運転手さんに、あれは何かと質問する。すると、韓国企業が農業会社をつくり、ラオスで米や農作物をつくっていると言う。驚いた。アメリカなどとの通商交渉で、各国は農業においてかなり譲歩している。韓国の小規模労働集約型農業が、アメリカの大農法に勝てるわけがない。だが、そのかわり、このようにラオスなどで農地を確保し、農業会社をつくっているのである。先日のニュースにも、現代グループがシベリアで農業会社をつくり、シベリア開発を行っているというのがあった。ここなのである。日本も、これをしなければならない。半世紀以上前の山陰の田舎での農業ではない。このような企業としての農業が時代の要請だと確信する。資本と近代技術を投入し、十分に採算の合うビジネスモデルを構築することにより、それは成り立つのである。そして21世紀後半の花形ビジネスとなるのである。
 日本ではだめだろう。もともと東南アジアと比較して、水も太陽も薄い。土地も高いし、人件費も高く、すでに労働を美徳とする文化も薄くなっている。アフリカは遠い。アラブやインドでは無理であろう。やはり東南アジアということになる。タイは外国人の土地所有をみとめない。ラオスは社会主義国であり、土地は国有だが、使用権が売買される。研究の余地はある。タイ語はすこし話せるが、ラオスはもともとはタイ王国領であり、タイ語が通じる。タイの東北弁くらいの感じである。日本の本州のひろさに600万人程度の人口だったか。山岳地帯がおおく、メコンデルタのような広い平野はなく、酸性土壌である。メコン河の反対側のタイのイサーン地方は、米栽培だが、土地の保水性がわるく農業困難地帯らしいが、ラオスはどうだろう?まだ焼畑農業が残っているらしいが。
 考え出すと、深入りしそうである。しかし、骨を埋める気でないと、これはできる話ではない。いや、人間いたるところ青山あり。国境線など意味はない。それでもかまわないが、状況が許すだろうか。この土地で生まれたのは、何かの結果であって、私の選択ではない。しかし、次の場所は、自分で選べる。ただ農業は百年継続する必要があり、ここで自分の年齢を考える。はじめてもいないのに後継者問題であるから、世の中はむつかしい。そのため「法人」があるのだが。

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それがいつ来るのか

 経済のお勉強のつづきである。アベノミクスという、リフレ派と反リフレ派との経済学の宗教戦争への知的興味はあるが、それ以上に、自分が、わが社が2013年の今の時点で、どこに立っているかを確認したい衝動もある。銀行借り入れ者として短プラ連動の変動金利であり、金利動向も気になるが、それ以上に、日本の財政はどうなり、社会保障費はどうなるかが、最重要のテーマである。マクロ経済学のどの教科書においても、財政再建のひとつとして必ず社会保障費の削減を上げる。日本でも、生活保護費を削減し、医療費の抑制、さらに介護保険費の削減は、どのエコノミストもとうぜんのように語るテーマである。
 このような状況で、上場している老人ホーム大手業者や地場業者が、高齢化社会の到来だと、フルアクセルで年間千室とか、開発スピードをあげているのは、お元気ですね、というしかない。書店でもサ高住がどうしたかの本が、どんどん出ているようである。

 じゅうぶんに調べて考える時間はないので、例によって、さまざまな論者の意見を読み、そのなかから自分の意見を探す。コラージュ・シンキングと称せるか。競馬場で、予想屋の予想を買って馬券を買うようなものであるが、方法論としては間違っていない。

 雑誌での元財務省OBであり、財務省時代に黒田日銀総裁と同僚であった小幡氏と志賀氏の対談が納得でき、また簡潔だったので、すこしまとめる。

 安部首相やブレーンの浜田幸一氏らの主張は「円安になれば為替が弱くなって輸出産業がもうかる」というものだが、4月に発表された12年度の貿易統計によれば、貿易収支は8兆1700億という過去最大の赤字である。赤字はすでに構造的に定着しており、輸出より輸入がおおいのであるから、円安で日本は損をすることになる。輸入原材料や食品も値上がりし、化石燃料費も増大している。円安でも輸出は伸びず、円換算の企業の利益が増えるだけである。生産も雇用も増えることはない。

 金融緩和しても実体経済がついてこないのは、「凧紐理論」といって昔からの常識である。風が吹いているときは、凧紐で凧が高く飛んでいくのを抑えてコントロールすることはできるが、風のないときは、いくら凧紐をひっぱっても、凧を飛ばすこと(アメリカで綱理論という、綱で人は引っ張れるが、綱で人を押すことはできないという喩え)はできない。つまり、金融政策はインフレをおさめるのには役立つが、デフレには効かないという経験則である。

 アベノミクスより危険なのが、「クロダノミクス」である。財務省では基本的には、みなリフレ反対で、黒田総裁の意見は異端とみられている。
 今後2年間で日銀が約100兆円の長期国債を買い上げるとし、今後新発国債の7割を買い占めるという。
 だが、金融緩和が必要なことと、国内金融機関を国際市場から締め出すのは、意味が違う。国債の長期金利を下げて、金融機関のお金が民間にながれる目的であろうが、国際市場が混乱し、逆に価格が乱高下している。
 クロダノミクスで、長期金利は逆に上がると思われる。円安が進むなら、保有している日本国債を売って、ドル建てで米国債を買うほうが得だからである。日本の生保が国債を売って、外債を買っているという報道もある。国債が売られて価格が下落すれば、金利は上がる。この金利上昇がつづくと、国債暴落のリスクが生じる。
 国債が暴落すれば、金融機関は時価会計で損失計上する必要があり、融資を絞りしかなく、貸しはがしも起こる。これは、欧州の国債危機で起きたのとまったく同じパターンである。スペイン国債やイタリア国債をもっていた金融機関は、時価会計で損失がふくらんだ。日本でも、国際が暴落すれば、中小の金融機関は融資を引き上げるだろう。
 財政の面でも、いま国債の利払い費11兆円に達しているが、そのなかで金利が2%上がれば、もう予算は組めなくなる。

 志賀氏→わたしは、何度か財務省で黒田総裁と一緒に仕事をしているが、彼には悪い癖がある。頭のよい少人数が政策を決めるのが一番いいとする「ハーベイロード(ロンドンのケンブリッジ側のハーベイ通り、イギリス式超エリート主義、黒田総裁はケンブリッジ留学者)の前提」にたつ。人の意見や多数決を重視しない傾向がある。
 黒田氏は財務省でも傍流であり、意見は異端である。国債買い上げのクロダミクスは、明らかにやりすぎである。財務省も心配しはじめている。金利が上がったら、日本は終わりである。これは消費税を上げるとかいう次元を超えている。富裕層や大企業は資産を海外に脱出させて、大多数の国民だけがインフレに苦しむ、そんな時代がやってくるかもしれない。

 以上、要約である。

 よくタイのバンコクに行く。いい国だ。だが、街中に巨大な錆びた鉄骨のかたまりをみる。高層ビルの建築途中で工事中止した鉄の恐竜の残骸である。バーツ危機の残骸なのである。当時、タイのバーツはアメリカドルとペグしていた。高度成長するタイに外国の資金がどんどん流入していた。だがアメリカはドル安政策に転換する。タイの金利は高い。するとレートはドルと固定されているが、金利の高いタイにさらにどんどん金が流れ込む。中心はジャパンマネーである。短期の投機マネーだった。実力以上のバブルである。投機マネーは国外に一気に逃げ出す。またドルとペグしているから、為替の調整は効かない。そこに目をつけたのが、アメリカなどのはげ鷹ファンドである。ソロスのファンドだけではない。バーツの空売りを仕掛ける。タイ政府は応戦するが、すぐに外貨準備が枯渇し、敗北し、変動相場制に移行する。タイの経済は大打撃をうけ、タイのめぼしい資産は、外資に買いあらされる。バンコクの街にいまも残る、あの巨大な鉄骨の残骸が気になるが、このような大規模な金融政策と円安誘導策に、国内の機関投資家、海外のファンドがおとなしくしているはずもないだろう。いまの株高は外国投資家家が演出しているとか。
 あのジョージ・ソロス氏は、4月5日CNBCのインタビューで「日本はこれまで25年間に蓄積した巨額な財政赤字を抱えたままで、その経済は回復軌道にも乗っていない。こうした状況で今回の日銀の決定はきわめて危険な行為だ」と述べたらしい。「日本がこうした大胆なデフレ脱却政策をいったん始めれば、円安に歯止めがかからなくなり、日本の投資家は自分のお金を海外に移すようになる。その次に起こるのは、円安が雪崩のように進むことだ」というのである。英ファイナンシャルタイムズ紙4月8日も、日本国債の利回り低下を嫌ったジャパンマネーが、ハイリターンを求めてユーロ圏の債券市場に流れ込んでいる、ユーロ圏の国債が買われて、利回りが急低下していると述べる。そういえば、バーツ危機の真の犯人はアメリカのヘッジファンドではなく、じつはジャパンマネーであるとは、浜矩子氏の説である。タイになだれ込み、一気に逃げ出したとする。巨大なジャパンマネーも国内的にははげ鷹ではないが、国際的には立派なはげ鷹なのである。政府の暴走とは心中はしないはずである。

 また、いまでは外国人が日本国債の10%近くを保有しているらしい。いったん国債価格が下がり始めたら、その瞬間に、さまざまな投機筋が日本国債の売り浴びせをはじめるといわれている。日本とタイでは国家規模も保有資産も違うので、バーツ危機のようなことはないだろうが、国民経済がおおきく毀損するのは避けられないだろう。なんどか外資のファンドが日本売りを仕掛けたが、みな失敗したとされる。だが、今度はどうだろう。

 またクロダノミクスは、毎月国債を7兆円、新発の7割を買い上げるという。日本国債は、20年続いたゼロ金利でもわずかでも利ざやのとれる商品であり、銀行などの国内機関投資家がノーリスク収益源として購入を続けていた。だが、この措置は債券市場からの国内機関投資家の実質的な締め出しである。日本の国債市場はアメリカとならび、世界の国債市場の3割のシュアをもつ世界最大級の市場である。その金が、外国人や個人がリードしてきた株式・為替市場に流れ込む影響はおおきいだろう。また海外に向かえば、世界の資本市場にあたえる影響は巨大(アメリカが今回の禁じ手の円安政策を容認するのも、ジャパンマネーが米国債に向かうからであるとする説もある、日本の預金者のお金でアメリカを支えるのである)であろう。

 ともかく、反リフレ派の一部がいうハイパーインフレまでは、日本では起こらないと思う。外資系証券会社であるシティグループ証券の副会長である藤田勉氏は、この3月の著書では、バーゼルⅢにより、金融機関は国債保有をせざるを得ないので、ハイパーインフレや急速な国債暴落はないと論じている。だが、藤田氏も金融緩和でデフレ脱却はできないとする。金融、為替の現場では、リフレ派を信じるプロはすくないようである。

 ともかく、貸出金利の上昇と、社会保障費の削減という流れは、おそらく避けられないか。老人ホーム会社も、あごにノックアウトパンチは食らわないが、ボデーに何発か叩き込まれるわけであるか。腹筋がよわければ、それもKOパンチとなる。
 だが、エコノミストがどう言おうとも、社会保障費の削減は、選挙民の怒りをかう施策であり、これはどの政党もやりにくい。どの政党もある程度の大衆迎合は必要であり、そもそも政党は自分たちのために「利益を分配」するためのもので、「負担を配分」するものではない。それは独裁強権政治体制でないと、すこし困難だろう。これは選挙民のつよい抵抗をうける。
 すると、税収が減少していく以上、国債を発行し続けるしかないのか。しかし、それは国債暴落への道につながる。国家破綻となる。これの「解」は、むつかしいというより、存在するのか、となる。

 問題は、そのボデーパンチの時期である。いつ来るのか。何にフォーカスしていればよいのか。

 5月のダイヤモンド誌で、BNPパリバの河野氏は、長期金利4%で金融危機が発生するとする。公的債務がGDP比で200%に達する日本では、長期金利が高騰すると、利払い費急増で公的債務は雪だるま式に膨張する。そのとき問題となるのは、国債を大量保有する金融機関である。その自己資本の劣化で、金融システムは危機を迎えることになる。
 リスクプレミアムを計算しない場合、長期金利が3%程度(4月8日のウォールストリートジャーナル紙は、安部政権が設定したインフレ2%の目標に達すると、10年物国債の利回りは現在の0.5%から2.5%に上昇すると予測する)にとどまれば、金融機関に必要な自己資本率は維持される。ただ、仮にリスクプレミアムが1%発生すると、大手金融機関は問題ないが、地域金融機関が自己資本比率が底割れするようになる。金融システムが動揺する。
 リスクプレミアムが2%発生し長期金利が5%まで上昇すると、大手行でも達成できないところが現れ、金融システムは危機的様相を強める。国際価格下落が原因であるため、危機収束のために公的資金を投入しようにも、日本政府単独では困難となる。規制をつよめて金融抑圧策をとるかIMF支援しかなくなる。
 長期金利が3%を超えると、中小金融機関などの経営が困難になる。これらの金融機関を延命させる猶予策をとると、公的資金投入が際限なく膨らむ。国債価格が一段と下落し、金融システム危機につながるリスクがあるとの、河野氏の意見である。国債価格と長期金利の動向が、フォーカスすべき指標のようである。
また、こんど取引金融機関に聞いてみようと思うが、長期金利が3%を超えると、地域の金融機関の中小企業に対する変動金利は、短プラ連動で5%以上になるのではないか。全産業で3%程度の平均利益率なのに、この金利上昇は中小企業にかなりのダメージをあたえるだろう。とりあえず、黒田総裁が2年後と明言してしまっているので、2年後になにか市場と国民生活の大きな動きが、どちらにせよあるのだろう。

 連休に読んだ経済関係図書の中で、いちばん腑に落ちたのは、元日銀総裁の白川氏の発言である。氏は、12年11月の講演で次のように述べたらしい。
「マネーを増やせば物価が上がるという貨幣数量説は一見わかりやすいですが、近年の日本や米国のようにゼロ金利が続く経済では、現実を説明できません。」
「マネーの総量は重要であり、日本銀行による今の資産買い入れを前提とすると今後もマネタリーベースは大幅に増加していきますが、現在、それ以上に重要なことは、成長力の強化を通じて、マネーの回転速度を引き上げることです。」
 ここである。通貨の供給量を意味なく増やすより、その「回転速度」をあげることなのである。相対性理論ではないが、速度がもっとも重要なのである。動きもしないお金を大量供給して意味もなく余らせるより、お金を動かす、回転させることが大事なのである。お札をじゃんじゃん刷っても、そのお金が動かねば意味はない。円の値打ちが落ちるだけであり、国民の資産が毀損し、高齢者の老後のための預金が実質目減りするだけである。お金も商品であるから、需要と供給のなかで流動性が重要なのだ。だが、それは中央銀行の仕事ではない、となるか。

 見込みとしては、予感とイメージの世界だが、アベノミクス、クロダノミクスの異次元の金融緩和にかかわらず、金利は必ず上がる、と考えよう。だが、社会保障費の削減は、負担の押し付けであり、選挙民の支持は得にくい。ギリシャもイタリアも日本も、これは同じである。同じ騒ぎとなり、強行すれば政権が打撃をうける。財政的にすべきであっても(わが社は困るが)、小選挙区制での風次第の政治である。大幅なことは難しい。高齢選挙民がますます増えるのである。社会保障費の増加分は、国債で将来への付回ししかないか。だが、その調整の時期はいつか来るのであり、それまでに繰り上げて返済をおわらせれば良い、あるいは水準が削減されても運営できるモデルを構築する、リスクから逃げ切れば良いということになるのか。その形がつくれれば、安心してホームが運営できることになる。われながら心配性なことだが、融資は20年、ホームは50年続かねばならない。危機管理とは、想定される最大の危機に備えながら、日々を陽気に暮らすことだそうである。そうしようか、5月はよい季節だし。

 と思ったら、今日の日経新聞はメガバンの住宅ローンの固定金利が引き上げられたことを報じている。ふつうなら、なんということはない記事だが、クロダミクス発動のあとの利上げであり、ああああああああ、これはトラヒゲ危機一髪の120分まえなのか、90分前なのか。国債の金利も下がるはずなのが、上がっているの。クロダミクスの国債の異次元的な大量購入で、長期金利は徹底的にゼロちかくに抑えこまれるはずなのだが。それに反する住宅ローン金利の引き上げは、メガバンのメッセージとも見れば見れるが、ランダム・ウォーークしている。

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言葉をつくって頭を整理する

 今日2013/06/15の日経新聞に「長期マネーの不在のもろさ」とする記事があった。今、日本の株式市場は波乱を繰り返している。相場の乱高下は投機マネーによるものであり、それに市場が振り回されている。浮き彫りにされるのは、長期の視点で株式を売買する投資家が、投機筋に比べて圧倒的に少ない日本市場の構造的もろさである。昨年来の上昇相場で外国人は日本株を10兆円買い越した。だがそれは短期売買で利ざやを狙うヘッジファンドでありり、5~10年の時間軸で考える投資信託や個人投資家を開拓しない限り、安定した株価上昇は見込めない、という趣旨であった。

 そのとおりであろう。カジノ資本主義の時代であり、市場は賭場である。デイトレーダーもミセス・ワタナベも、利ざや狙いのギャンブラー達である。おいちょかぶ、チンチロリンを株や通貨でしているわけである。ネットとパソコンを使ってである。

 わたしが「あっ」と思ったのは、そこではない。使われている言葉である。「長期マネー」「投機マネー」この2つの言葉である。そしてああこれだと気づいた。

 NHKスペシャルで放映され、そして図書にもなった「マネー資本主義」「マネー革命」はよい企画であり、素晴らしい内容だった。ウォール街と金融工学にフォーカスしながら、世界と時代の変貌を描いていた。そして今、日本のアベノミクスではマネタリズム政策、貨幣数量説にもとづく金融緩和政策がとられ、そして既にその失敗が予見されている。

「マネー」「貨幣」は同じと考えてよいだろう。翻訳であり同義語である。しかし、たとえばNHKの「マネー資本主義」における「マネー」は、前述と同じ「マネー」ではない。もととも資本主義の神の座には「マネー」が座るのであり、「マネー資本主義」は同語反復であり、形容矛盾である。最近の経済論でも、ここらの良い表現で書かれたものがない、まあ遺憾であった。今日の日経新聞の記事の表現で気づいた。ここを「投機マネー資本主義」と書き換えれば良いのである。そう気づいた。あるいは「国際投機マネー資本主義」でもよい。「newマネー資本主義」でもよい。

 つまり言葉として「貨幣」があり、その同義語の「マネー」があるが、それら古典経済学的用語とは別に、この21世紀には、「投機マネー・newマネー・電子空間マネー・ゴーストマネー・バーチャルマネー・新信用創造マネー・レバレッジマネー」という新らしい概念、言葉が必要だと気づいた。

 2010年末で、世界の金融資産総額は200兆ドルだとか。それに対して世界の名目GDPは2011年で70兆ドルだとか。つまり金融資産は実体経済の3倍だということである。この実体経済の言葉が「貨幣」であり「マネー」である。しかしカジノ資本主義においてネット通して瞬時に世界を飛び交うのは「貨幣・マネー」の3倍のボリュームをもつ「投機マネー」であるということだ。これが銀行や証券会社やファンドのデーリングルームや世界中のミセス・ワタナベの居間のパソコンから、飛び散り、駆け回り、地上の実体経済のはるか上空で溢れかえっているのである。そして地上の実体経済をも支配する。

 世界中カネあまりである。しかし実体経済は飽和しているし、利益率も極めて低い。それへの投資も経営も金銭第一主義の立場からは、時間もかかり、非効率である。実体経済の3倍の世界の金融資産額は、カジノにしか行き場がないのが現実であろう。

 アベノミクスが失敗するのは、これは必然である。貨幣数量説の「貨幣」は、ニクソン・ショック以前の、つまりドルと金が連動していた為替の固定相場時代の遺物としか考えられないのである。ミルトン・フリードマンがその理論的背景とされているが、その反ケインズ的言動も、当時の、1970年代のドル=金時代のものであり、彼が主導したといわれるドル=金制度の廃止と変動相場制への移行後には、逆に適用できないものだったわけだ。その説には、為替の変動相場と1990年代からの世界の金融自由化による変化は、織り込まれていないのである。

 物価や貨幣、取引量については、アメリカの経済学者アーヴィング・フィッシャーによって、

 MV=PT Mは貨幣量、Vは貨幣の流通速度、Pは物価水準、Tは財貨の取引量

 という式で考えられた。これがフィッシャーの交換方程式である。これは恒等式であり、これが常に成立するという前提である。

 フリードマンは、フィッシャーの恒等式を、貨幣量と物価のあいだの因果関係を表す式と解釈して、Tを一般化してGDPとしてYと記号化し、

 MV=PY

 とした。この1960/1970年代の「貨幣数量説」を、2013年の日本がとるわけである。しかし、である。70年代に入り、ケインズ経済学を批判したフリードマンの経済学=マネタリズムが、アメリカの金融政策に実際に取り入れられたが、また79年にはFRBが金融政策の基準に貨幣供給量を採用したが、それは失敗したはずである。その失敗を確認されたマネタリズムを、今、30年後に日本が行おうとしている。金融ビッグバン、グローバル化など、時代環境がまったく変わっているのにもかかわらずである。

 これは、水野和夫氏の意見が、どう考えても正しい。

 水野氏は『資本主義の謎』において、貨幣数量説は国際資本の完全移動性が起きていない世界でしか成立しない。国際資本が完全移動し、「電子・金融空間」が「地理的・物的空間(実物投資空間)」を圧倒する規模になると、いくらMを増やしても、物価上昇(GDPデフレーター)につながらない。MV=PYを想定することに大きな誤りがある。
 株式市場や債権市場の規模がそれほど大きくない時代は、T(取引量)=Yに近い形となる。ところが、金融がグローバル化し資本市場が大きくなると、増加したMは、海外に資本流出するか、国内の株式市場や土地市場に向かう。その場合は、式を、

 MV=P1Y+P2A

 と貨幣数量説を書き換えねばならない。P1はGDPデフレーター、P2は資産価格、Aは資産市場の取引数量である。また、グローバル化したのは、「実物投資空間」では儲からなくなったからである。だとすれば、経営者や投資家は投機家となって、Yを増やすような工場投資をするよりも、株式市場や土地市場で今日買って、明日売ったほうが、手っ取り早くしかも巨額に利益を手にすることが可能になる。

 そういうことであろう。水野氏の式が、オリジナルなものなのか、検証に耐ええるものなのかは分からないが、これで最近の日本の株式・債券・金利市場の混乱、政策とメディアの混乱の背景が理解できる。20世紀的な市場や政策プレイヤーの旧態的意識と、21世紀「投機マネー資本主義」の実態、電子・金融空間の実態とその運動則が、すでに時間的に乖離しているのである。

 今日の結論は、貨幣とマネーとnewマネーの3つの言葉が成り立つという私的結論である。債権の証券化も、デリバティブもオプションも、M&Aにおける株式の交換も、新しい形のさまざまな信用創造も、ある意味newマネーである。そのようなマネーの総量は、誰にも、どの機関にも分からないらしい。カオスである。つまり誰にもコントロールできない、ということになる。

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コンスピラシーとメスアップ

もう何十年か前に、頭髪がふさふさの頃だったが、新聞だったか雑誌だったかで、コンスピラシー(Conspiracy、陰謀)とメスアップ(mess up、散らかし・行き当たりばったり)の比較について読んだことがある。たとえば、アメリカがかかわった何か国際的な事件があるとする。その場合に、第一は、コンスピラシーつまり陰謀史観である。あれはアメリカ帝国主義勢力が裏で画策したCIAの陰謀であると見る。第二は、またアメリカ人が馬鹿をやっているとみるメスアップの思考である。
そして、われわれアジア人、黄色人種はアメリカの行動をコンスピラシー(陰謀史観)的に見るが、イギリス人は、また元植民地の連中が馬鹿(mess up、散らかし・行き当たりばったり)をしていると見る。第一は、弱者の立場でアメリカを見る立場であり、第二は、より優越的な立場から見る、白人の発想である。
当時の日本は、今でもだが、右も左も、強者アメリカの影におびえる、アメリカより下位の立場として自己を位置づけており、おおむね第一となる。真珠湾はアメリカの陰謀である、なになにはCIAの陰謀である。第一の立場からは、ベトナム戦争は、対ソ、対中戦略から発したアメリカ帝国主義の世界覇権奪取の緻密な計画にもとづく大陰謀から発している、となるが、第二のイギリス人などの立場からは、フランスの馬鹿達の後始末に引きづりこまれて、またアメリカの馬鹿達がつまらん戦争に巻き込まれて大恥をかいている、となる。
コンスピラシーとメスアップか、なるほど納得と、とうじ附に落ちた感じがしたことがある。一つの出来事でも弱者、下位者として強者の陰謀を診るか、逆に優越的立場で、アホどもめと見るかだが、当時の日本は、政治的意見は、右も左もコンスピラシー一色のようなものであったから、この説明は新鮮であり、すこし頭がクリアになったような気がしたものである。以後、なにか政治的意見を読むとき、ついつい、コンスピラシーとメスアップどちらで喋っているのかいな、と分類しているようである。

『独立の思考』を飛ばし読みした。共著者は、元外務省国際情報局長の孫崎享氏と、元ジャーナリストで日本外国特派員協会会長をつとめオランダ・ロッテルダム出身のジャーナリスト、政治学者。現在はアムステルダム大学名誉教授で『日本/権力構造の謎』『人間を幸福にしない日本というシステム』の著者のカレル・ウォルフレン氏である。初対面の二人の緊急の共著のようである。

カレル・ウォルフレン氏は『日本/権力構造の謎』で、日本には権力の中心が誰もおらず空白であり、中枢が不在であり、ただアメリカの意思を追随するだけであり、政治的意思も哲学もないと論じて有名になったが、孫崎享氏も、日本の政治の本質は、権力中心の空白であり、盲目的なアメリカ追随であるという点で一致している。

初対面であるが、両氏の論は、日米同盟はフィクションであり、日中の対立をよろこぶのはアメリカであり、日本の政治家が反米的立場をとるとアメリカに潰されるのであり、官僚とメディアの支配するこの国では、政治的指導者は存在しないのであり、日本のナショナリストはうわべだけだ何の中身もなく、ヨーロッパはアメリカを警戒しいるが、日本だけはあえて自己属国化をしようとしている、など、ほとんどの論点は一致する。

そして論は一致するのだが、つまり両者のコンスピラシーとメスアップである。それが楽しいほど対比的である。

(孫崎)このような無礼な振る舞いは、アメリカが日本を軽視している象徴なのか。
(ウォルフレン)日本人が思っているほどアメリカは日本のことなど考えていないのです。日本にすれば「日米関係」は最も重要な外交課題でしょうが、アメリカにすれば小さなテーマに過ぎません。オバマ自身も、日本に関心など持っているとは思えない。

(孫崎)「ネオコン」と呼ばれる人たちも変わってくれるでしょうか。
(ウォルフレン)その点は期待できないでしょう。彼等は空想の世界で生きてきる、全く無責任な人たちです。

(孫崎)小泉氏は私がイラン大使を終え、日本に帰ったときの首相でした。当時は確かに驚くほどの「小泉ブーム」が吹き荒れていました。
(ウォルフレン)新聞やテレビなどのメディアが挙って持ち上げた結果です。私でも見抜けたくらいだから、近くで取材している新聞記者は皆、小泉氏の実像は十分にわかっていたでしょう。「小泉ブーム」は世界的にも奇異な現象だったと思います。

(孫崎)サルコジはハンガリー移民二世ですが、母親はユダヤ系です。ユダヤ系として初のフランス大統領ということも、彼のアメリカ追従路線の背景にあったのではない、と私は考えています。
(ウォルフレン)それはあまり関係ないと思いますよ。サルコジは単なる「セレブ政治家」です。ひとことで言えば、フランス版の「小泉純一郎」です。大衆に受けることだけが目的で、政策には中身がない。

(孫崎)民主党が中国との関係を打ち出した際にも、アメリカは恐れることはなかったのです。むしろサポートするべきだったと思います。
(ウォルフレン)アメリカという国は、世界中で様々な陰謀を張り巡らし、周到に練られた計画を実施しているように思われがちです。しかし、全く反対のように私の目には映ります。実は、戦略など持っておらず、自分たちの行動について深く考えることもなく行動しているように思えてならないのです。戦略はおろか戦術すらもない。ネオコンたちが気まぐれにつくった政策に対し、オバマが従っているだけのことです。

(孫崎)「日米同盟」によって、日本がどんどんアメリカに引きづられ、世界各地に自衛隊を派遣することになりかねない。
(ウォルフレン)私には、アメリカという国が深い考えに基づいて行動しているようには思えません。単なる思い付き程度で、戦争まで始めてしまっているように映ります。

(孫崎)そんなアメリカの意図を察するかのように、ちょうど同じ時期、外務省の高官から「棚上げはなかった」という発言が飛び出し始めるのです。
(ウォルフレン)アメリカにとっては、日本と中国の「緊張」は好ましいでしょう。しかし、両国の「紛争」まで望んではいない。また、いくら民主党政権を嫌っても、ネオコンたちは前原氏を「トロイの木馬」に使うような戦略はありません。「戦略」のなさこそ、彼等の特徴なわけです。

(孫崎)尖閣問題で日中関係が悪化したことで、日本の安保政策は間違いなくアメリカの望む方向へと走り出していますね。
(ウォルフレン)アメリカのネオコン一派は、自らの利益を追求するために国際情勢を弄んでいる無責任なグループです。問題の深刻さも理解せず、深い考えや戦略も持っていない。もはやアメリカは、コントロール不可能な国になっている。

オランダ人のウォルフレン氏は、「馬鹿で間抜けなアメリカ白人」を軽蔑しまくりなのである。『独立の思考』を読み飛ばして、この孫崎氏のコンスピラシーとウォルフレン氏のメスアップ論調がじつに対比的で、愉快でしたね。アメリカ白人に対する黄色人種の眼と白人種の眼の差ですか。日本の対米追随、自己属国化の心性も、ここの差にあるのだろうね。ツー・サイド・オブ・ザ・コインという次第である。アメリカに徹底的に阿る、しかしアメリカの陰謀を恐れる。自分は空白であり、思考停止である。結果として、その世界観の中心における空白部分が、権力中枢の不在というウォルフレン氏の疑問となる。
でも、オランダ人のウォルフレン氏には、この黄色人種の心の片思いの機微はわからんでしょうね。カマをほってほしいのです。片思いですから、でもほってほしいのですよ。

ウォルフレン氏は、『日本/権力構造の謎』で「指導者のいない国には、それなりの扱い方をしなければならない」と述べていた。つまり対日交渉にあたって、日本人は強者に対してはきわめて卑屈・迎合的であり、保護主義の一斉射撃をあびせ、れそから交渉すればよろしいと、他国は日本に対して厳しく対処しないと「権力中枢が空白」である日本という特殊国家では、物事は動かないというのである。ビル・エモット氏は『日はまた沈む』において「日本の政治家が政治問題についてはっきりした意見を持つことは異例である。いわんやそれを周知させることなどめったにない。首相は派閥力学のなかから生まれるのであって、国民投票や国民の委託を受けて誕生するのではない。政治家が閣僚になりたがるのは、人に恩恵をほどこせる地位と権威が欲しいからであって、政治目標を追求するためではない」と断じる。
このような意思決定システムの空白である日本に対して、孫崎氏のいうジャパン・ハンドラーであるアミテージ、ナイのような人物が影響力をふるい、その身振りをみて、日本政府、外務省官僚が、「それに取り入るように」「事前に彼らの意思を先取りして」対米追随に走るというのが、孫崎氏の持論である。

もとの「コンスピラシーとメスアップ」という二つの考え方でのウォルフレン氏の判断を忖度すれば、アメリカが馬鹿のあつまりのように『日本/権力構造の謎』に描かれた日本も、孫崎氏とのこの対談式の共著『独立の思考』でも、日本に対してもメスアップ視点全開である。メスアップ(mess up、散らかし・行き当たりばったり)である。
前述のごとく、陰謀史観は弱者の立場よりの思考様式だが、メスアップ思考の方々は、じつに傲慢であるともいえるが、コンスピラシー系の方々が細部を、それがすべての如く脳内で拡大するのに比較して、鳥瞰図的に全体を眺められるのであり、わたしは気に入っている。この歳になると、それほど利口な奴などいないことは、経験的にわかる。あまりいない。たまたま成功した人間は、すこし運がよかっただけだと、何度も実感しているからである。陰謀団とでも呼ぶべき卓抜したエリートの集団など、見たことも聞いたこともない。人間の能力など微差でしかない。吉本のサカタ先生がおっしゃっていたが「あんたかてアホや、わてかてアホや」が真実である。メスアップ思考で、ほとんど宜しいと考えられる。団塊世代の身体的実感である。

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利子率革命

 わたしの読書ビヘイビアの経路は、興味あるテーマの図書を徹底的に自分で探す、お気に入りの著者をつくる、それらの図書で評価・引用されている図書をもとめるの三つである。芋づる式とでもいうか。ミスター円と称される榊原英資氏は、ベンチマークしている一人であり、その著書『安部政権でこうなる日本経済』で水野和夫氏の『金融大崩壊』『世界経済の大潮流』での見解を高く評価している。「水野氏のビジョンは数百年の世界の歴史を踏まえた壮大なものですが、筆者もこの見方を強く支持しています。近代資本主義が終局に入り、経済は無極化、あるいは不安定化していくのです」と述べる。では、読まねばなるまい。

 松尾芭蕉に「街道の一筋も知らずに歌をよむな」という趣旨の言葉を昔、どこかで読んだ記憶があるが、水野氏は、UFJモルガン・スタンレー証券のチーフエコノミストから埼玉大学の大学院教授という経歴である。この経歴は、わたしにとっては評点が高い。ずっと教師だけをしていた大学経済学教授の意見や受け外国の研究者の売りは、もうさすがにアホらしくて読めないからである。たとえば、今の日銀の岩田副総裁のようなレッスンプロ達である。わたしの音楽家の知人の娘さんが、桐朋大学だったかのピアノ科を出て、ドイツ留学。二十年前くらいにスイスの国際コンクールだ一位なしの二位になった。以後、ドイツ政府の芸術家支援金をもらいながら、世界でピアノリサイタルを開いている。日本では音大の教授が上位の先生として扱われるが、欧米ではそうではないそうである。演奏家でないとピアニストとして評価されないらしい。ゴルフの世界でも、プロとしての勝負をするツアープロとゴルフ練習場のレッスンプロは、ゴルフのプロでもまったく別種なのである。

 ATプラスという雑誌をよく買うが、水野氏はそこの常連筆者である。その説に納得することが多かったが、そうか、ミスター円もそう感じていたのかと、ひとりで納得する。今の、とくに日本の経済学者の弱点は、学校で経済を学び、というより経済しか学んでおらず、それ以外の知識に欠けており、さらに松尾芭蕉的に言えば「街道の一筋も知らない」ところであろう。

 経済を語る図書で、歴史や人類・文明まで語れる著者はすくない。ほとんどが「何々屋さん」であり、生涯一捕手のような人間ばかりである。だかケインズも哲学や歴史学を相当に深くおさめている。マックス・ウェーバーもそうであり、専門への考察の裏には、そのような史学の深い素養と他分野への教養がある。水野和夫は、ウォーラースティンなどの理論を援用し、「歴史における危機」こそ、時代の転換期に他ならないとし、資本主義の限界を、現在進行している「利子率革命」「貨幣革命」「価格革命」「賃金革命」の中に読み取っていこうとする。また、どの著書においても、実体経済の数倍になるマネー経済、マネー資本主義の暴走を注目している。そして「二十一世紀の利子率革命」をとこうとする。

「利子率革命」とは、2%以下の超低金利が長期間続く状況をいうが、金利は資本利潤率を反映する。つまり「利子率」とは、いわゆる実物投資のリターンを表している。利子率が2%以下になるということは、資本家が資本投資して工場やオフィスビルをつくっても、得られる利益が年率換算で2%以下になるということである。このような利潤率が著しく低い状態が長期化することは、企業が経済活動をしていくうえで必要最低限の蓄積が出来ないということであり、言葉をかえれば、このような超低金利のもとでは、投資機会がもう無いということである。資本を投資し、収益を得るという資本主義の骨組みが成り立たないということになる。そして日本では、10年国債の利回りが1997年9月に2%を切って以降、2012年で16年目に突入した。これは、古代ローマ帝国と16世紀初頭のイタリア・ジェノバを上回る人類史上最高の記録となるそうである。

「利子率革命」の背後には、投資が行き渡った結果、実物投資で利潤が上がらなくなり、これを打開するために金融化が推し測られ、レバレッジという錬金術で巨額の金融資産が生み出された。日本は戦後60年間で実物経済のレベルで1500兆円の金融資産をつくったが、レバレッジ空間では、金融帝国化した米国を中心として、1995年から2008年までのたった13年間で、100兆ドル(1京円)の資産が生み出された。株式交換で企業買収ができるようになったため、株式は貨幣となっていたと水野氏は見る。この「疑似貨幣」の登場が「貨幣革命」とされるものだ。これがリーマンショックやサブプライム問題に原因であり、マネー資本主義の暴走となる。

 また「価格革命」とは、従来には見られない基礎的な資源の非連続な高騰のことをいう。原油価格は、第1次石油危機から2002年末までの約30年間、第2次石油危機やイラン・イラク戦争などによる供給ショックで一時的に高騰したものの、下限13・6ドルから上限29・3ドルのレンジで推移していた。しかし、2003年に入ると、供給ショックが起きていないにもかかわらず、従来の上限を超えて上昇していき、2008年7月には一時、1バレル=147ドルをつけた。その後、100ドル以下に下がったものの、20ドル代に戻る気配はない。これは、原油需要が先進国の10億人から新興国も含めた60億人へと拡大したことが要因とされ、今後、食糧などでも「価格革命」が起こる可能性がある。

 この「価格革命」で資源価格が上がって交易条件が悪化すると、企業はその利潤の減少分を、労働分配率を減らすことで補おうとする。つまり賃下げである。交易条件とは、どれだけ効率よく貿易ができているのかをあらわす指標をいう。例えば、資源を安く手に入れて効率的に生産した製品を高い値段で輸出すれば儲かるが、逆に、高い値段で資源を手に入れた場合は、製品に価格転嫁できなければ儲けは薄くなる。つまり、「価格革命」に伴う資源価格の高騰で企業の利潤が減った結果、労働者の所得が下がり続ける状況が生じるようになった。これが「賃金革命」と呼ばれるものだ。日本では、1960年代に匹敵するような世界同時好況が実現した2002年以降、「いざなぎ景気」を超える長期景気拡大下でも、中小企業・非製造業はマイナス成長から脱却できず、労働者の所得は増えなかった。

 欧州債務危機も、元はギリシャ一国の財政問題だったものがいつしか欧州全体の問題として扱われるようになり、果ては世界経済の行方さえ左右しかねない状況に追い込まれている。2008年の金融危機に続く事態に、世界の不確実性は高まっていく一方であり、この危機の連鎖と不可逆的な趨勢の原因を、水野氏は「歴史における危機」と「資本主義の大転換」にみる。ヤーコブ・ブルクハルトが19世紀半ばに指摘した「歴史における危機」が、1世紀を経て、この40年間で進行していると見るのである。1970年代に起きたニクソン・ショックと2度の石油危機、1980年代のプラザ合意とブラックマンデー、次いで1990年に日本で土地・株式バブルが弾け、94年のメキシコ危機、97年のアジア危機、98年のロシア危機と続き、同じ頃に日本では銀行・証券会社の経営破綻が相次いだ。その後、2000年に米国でインターネットバブルの崩壊を迎え、07年のパリバ・ショックを契機として08年に金融危機が起き、ギリシャの財政問題に端を発して10年に欧州債務危機が生じた。
 影響は経済に止まらず、世界構造の変化にも及んだ。1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソビエト連邦解体、95年のオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして、2001年に米ニューヨーク同時多発テロが発生した。1979年のチェルノブイリ原発事故で科学技術文明にも危機が訪れ、2011年の福島第一原発事故をもって「安全神話」は崩壊している。

 水野氏の論の背景にはカール・シュミットやホイジンガをふまえて文明論的なところがある。水野氏のように、歴史哲学や社会理論などを援用して経済の長期停滞論を唱えてるというような立ち位置は、日本文化における専門家とは「何々屋さん」であり、生涯一捕手のような人間ばかりであり、そんなもんだとされることから、リフレ派の経済学者やエコノミストに「あいつは経済学を知らない」などと揶揄されているという。しかし、「グローバル化は政治・経済・社会のすべてを根本的に変える総合的なプロセスであり、その分析には経済学だけでなく政治学、社会学、文学など学際的なアプローチが不可欠である」と水野氏は述べる。じつにその通りである。今のリフレ派の経済学者やエコノミストの書くものを読むと「物価は貨幣量の逆数だ」とか、プロイセンのメッケル参謀少佐に教わった日露戦争の戦術論をいっさい変更せずに第二次大戦をたたかった日本陸軍のようなものである。それだけでもアベノミクスの先ゆきは恐ろしい。「『近代』自身が『反近代』をつくりだす」(テオドール・アドルノ)―近代とは、技術進歩によって経済成長をするということを皆が信じて疑うことがなかった時代を指すが、無限のエネルギーを創出せんとしてつくられた原発で事故が起きたことこそ、近代の終焉に他ならないとする。400年かけて近代化を図った欧州に対し、100年という短期間で近代化を達成した日本で起きたことが何より象徴的である。17世紀にデカルトやベーコンらが成し遂げた科学革命により「自然の征服」を可能としたかに見えたが、それは人類の奢りに過ぎなかったと考えるのだ。

 社会学者である大澤真幸氏との対談集「資本主義の謎」で、水野氏は持論の「利子率革命」を以下のように語る。

「資本主義の成立を、何をもって規定するかという点で、私も利子率が最も重要な指標だと思います。利子は資本の提供者から見れば、利潤蓄積そのものです」

「利子率革命というのは、その国が資本を過剰なまでに蓄積したから起きるという点が重要なのです」

「近代社会において覇権国=超低利国となります・・資本を過剰に蒐集する国がまさに覇権国に他なりません。・・蒐集は必ず『過剰・飽満・過多』に行き着くということを経済学的事象で表せば『利子率革命』ということになります。過剰な資本は必ず、利子率の低下につながっていくのです」

「現在の『利子率革命』は・・蒐集の限界を示唆しているということです。9.15(リーマンショック)は、『電子・金融空間』における蒐集の限界を、ユーロ・ソブリン問題は、『領土空間』における蒐集の限界を、3.11による東電福島第一原発事故は、エネルギーコストについての限界費用一定の法則という先進国の特権を崩壊させたのです」と。

「なぜ、バブルが頻繁に起きるかといえば、新しい『実物投資空間』がなくなったからです。『実物投資空間』の膨張がインフレで、『電子・金融空間』の膨張がバブルです。つまり、インフレが生じなくなったから、バブルが繰り返し起き、バブル崩壊が同じだけ生じるのです。バブル崩壊でデフレが生じるのですから、そのデフレをインフレを起こして解消するというのは倒錯した議論です」

「利子率革命すなわち資本の低利潤化か長期化すると、過去の過剰資本に耐えられなくなって、具体的には働く人を貧しくすることでしか、資本を維持できなくなったのです。・・・米議会が非難したように、サブプライムローンは『略奪的貸付』だったのです」と。つまり、資本主義は投機的な方法や二極化=99%の貧困化をもってしか利潤を得られなくなっていると語る。

 アベノミクスに対しては、「蒐集の時代は終わりつつあるのに、近代価値観に拘泥した『成長戦略』という竹槍で、ポスト蒐集の時代に立ち向かおうとしているのが今の日本です。近代的価値観を三つ集めて『三本の矢』と言っているようでは、先が知れています」と言う。「陳腐化しているとしか思えない『成長戦略』や規制緩和を未だに言い出す。あげくの果てに規制緩和の不徹底さゆえに、今の日本の低迷があると主張する」アベノミクスには、つよく批判的である。

 つまり「二十一世紀の利子率革命」とは、「実物投資空間」では、すでに投資先がなく、為替・株等の国際市場であるバーチャルな「電子・金融空間」でマネー資本主義が暴走し、実体経済を破綻に追い込む「異次元」の世界ということである。ATプラス誌第16号で、水野氏は「実物投資空間」の膨張がインフレであり、「電子・金融空間」の膨張がバブルであると論じる。なるほど証券会社のチーフエコノミストの発想である。アベノミクスは、つまりインフレが生じなくなったから、バブルが繰り返し起き、バブル崩壊が同じだけ起きる。バブル崩壊でデフレが生じているのであり、そのデフレをインフレを起こして解消するとするのは「倒錯した議論」であると断じる。貨幣数量説は、国際資本の完全移動性が起きていない世界でしか成立しない。世界の金融資産は、実体経済の3倍にのぼる。そして実物経済は儲からない。現在のように国際資本が、1秒間に1000回もの取引がグローバルにできるような完全移動性をもってしまい、かつ世界の金融資産総額は200兆ドル、世界の名目GDPの合計が70兆ドルである。金融資産は実体の3倍になる。増加した金融資産は海外に資本流出するか株式市場、土地市場に流れる。実体経済はもうからないからである。昨年12月の日銀短観では、日本の全産業の平均的利益率は3%だった。これは多額の借金と労力を負担し、リスクを負いながら投資できる利益率ではない。メディチ家が、イタリアでの金利商売から、オランダの株式会社への投資に切り替えたように、これも「利子率革命」の結果ということになる。結論的には、もう成熟した日本では成長は有り得ない。成長とは後進国から中進国へ、中進国から先進国にタッチアップするときだけに生じる経済現象であり、すでに豊かであり、成熟した日本社会では、もう与件が存在しない。それより、成長しない幸福の道を探すべきだとする、のである。そいうことだろうな。十代の少年は毎年、背が伸びるが、六十代は背が縮むのである。それでよいのである。

 そのとおりであろう。わたしは団塊の世代、日本の高度成長期に青年だった。あの頃の日本は、平均寿命が60歳を超えたばかりであり、平均年齢が28歳くらい。農村の子供たちが、都市の労働者として「蒐集」されていた時代であった。下宿は三畳であり、トイレと流しは共同である。欧米とくらべて、あらゆる意味で日本は後進国だった。いくらでも成長できたのである。小学校の給食費のかわりに、畑の野菜、米をもちこむ同級生もいた。学校も受け取っていた。つまり物々交換の時代から、貨幣経済にはいり、いまはバーチャルな擬似貨幣、電子経済の時代に入ったわけであるか。

 ATプラス誌第16号で、水野氏はなぜ黒田新総裁を含めたリフレ派が馬鹿げた政策をするのかについて、貨幣数量説を誤解していると論じる。貨幣数量説は「流通貨幣量×流通速度=物価水準×取引量(実質GDP)」であるが、リフレ派の主張は、流通速度が一定だと仮定して、流通量を増やせば、二年をめどに右辺の物価水準か取引量のどちらか、もしくは両方上がるというものである。だが1990年以降、国際金融市場が整備されて、1000分の1秒で取引が可能になった。マネー空間での投資家は、供給力が二年後に限界になってインフレになることなど考えない。短期で売り買いして利益を確定しようとする。マネタリーベースを増やしても実体経済に投資先はないのであり、金融市場に、それも高速取引のできる電子・金融空間に流れるしかない。つまり流通速度が一定ではない。貨幣数量説の公式の右辺は、「物価水準×取引量(実質GDP)」ではなくて、「株価水準×株式の取引数量」が加わっており、しかも後者の規模が前者を圧倒していると述べる。NHKの「マネー革命」で世界の証券会社やファンドでは、ディーリングルールにたくさんのコンピューターが並び、秒単位ではげしく変化し、世界の取引所、銀行、ロイターなどの金融情報会社とつながり、それをホストコンピューターが売り買いを自動的に引き合わせ、そのネットの上で驚くべき金が動いていることを書いていたが、水野氏も元証券会社のエコノミストである。そのような現場で仕事をしていれば、巨大な金融資産の動く「電子・金融空間」について、世界のマネーの動きについて、身体感覚としてわかる部分もあるのだろう。
 なにかの本で、冷戦までは核技術が世界を理解する中心だったが、冷戦後は、マネーが世界を理解する中心となった、との論があった。なるほど、わたしも水野氏のように、時代や歴史をマネーの動き、マネーの歴史としてみようとしているのかも知れない。たしかに、いま目の前で起きているのは「革命の時代」かも知れない。人の気づかないところで、革命がおこっているのである。

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経済のお勉強 その3

「金融緩和の罠」第三章である。論者である小野善康氏は、不況研究の阪大教授である。日本経済の変質が90年代に起こり、それ以前と以後では次元が違うとの論理は、第一章の藻谷氏、第二章の河野氏と同じである。両氏はその変化の量にフォーカスしている印象だが、第三章では、小野氏はそれによる社会の質の変化にフォーカスしている。つまり、日本が高度成長期の途上国から、成熟した先進国になったのが、いわゆるデフレの原因であるとする。つまり、モノが買いたくてしょうがない時代から、もう買うモノはない時代への成熟である。お金がなくて消費を抑制せざるを得ないのでなく、お金はあるが、とくに買いたいモノもない時代への変化である。結果として、困窮層も富裕層も、消費は行わない。企業は投資できない、デフレが起こる、このメカニズムは、第一章、第二章と同じとなる。お金があれば、最終的にそれはすべて消費に向かうというマクロ経済学の前提が間違っていることになり、それを前提とする金融政策は間違っていることになる。

 以下、要約する。

 民主党時代、管首相のブレーンであった。管氏が総理になる前に「金融緩和は効果のあるものなのか」と質問されたことがある。「いえ、いまの日本では効きませんよ」と即答した。「過去の実例を見てください。効果はなかったでしょう」と説明した。
 2001年から2006年の金融緩和以前でも、日銀はずっと金融緩和しつづけてきた。増加率でいえば、2001年以降の5年間の39%に対して、それ以前の5年間では45%で、2001年以前のほうが、むしろ増えていた。日銀が量的緩和をおこなうと言い出すずっと前から、小泉政権にかぎらず、バブル崩壊以降、日銀は貨幣の供給量をどんどん増やしつづけていたのである。
 では、貨幣の供給量を増やせば物価は上昇するのか、つまりデフレ克服につながるのか。これは、貨幣の供給量と消費者物価指数を並べてみれば、一目瞭然である。この10年、貨幣の供給量を増やしても物価はあがってはいない。一発でわかる。金融緩和をしても物価の上昇をもたらすことはできない、これが事実にもとづく結論です。

 ただ、注目すべきは、1980年代後半までは、貨幣の供給量に比例して物価もGDPも素直に上昇していた。しかし、バブルが崩壊し本格的に景気が悪化していった90年代からは、その相関関係が消えてしまった。貨幣供給量をどんどん増やしているにもかかわらず、物価は上昇せず、GDPも増えない。なぜその相関関係が消えてしまったのか。

 これは「お金」の持つ深い特性を考えないと、この経済構造の変化は説明しきれない。90年代半ばに日本経済の構造に大きな変化があったというのは、おおくの論者が指摘しているとおりである。藻谷氏、河野氏の話に共通するのも、この時期に生じた人口動態の変化が引き金となって需要が縮小したという点である。

 わたしの理論でも、この90年代半ばの転換は重要である。ただわたしは人口動態とは違う要因を考えている。それは、まさにその時期に、日本が「発展途上社会」から「成熟社会」に突入したからであると考える。モノに対する飢餓感のある社会から、そうでない成熟社会、つまり生産力が不足している社会から、生産力が飽和している社会へ、日本は転換してしまったのである。

 「所得が増えれば消費が増える」という経済学の昔流のモデルではなく、もっと動学的なモデルで景気の変動を説明できないか、と思ったのである。プリンストン大学にいたとき、そのひらめきを得たが、帰国後も考え続けていた。あるとき突然に「人はお金そのものが欲しい」ということに気づいた。つまり金銭にかかわる欲望は、お金でモノを買った後に得られる喜びではなく、純粋にお金がいま有るから、あれもこれも出来ると実感できて嬉しい、ということ(つまり氏の言うのは、お金自体が究極の最終商品、最終消費であるということか)である。

 その角度で考えたら、経済学が扱えなかった長くつづくデフレ不況の原因について、説明がついた。だが出てきた結論は、それまでの経済学の常識とはかけ離れたものだった。一生懸命働くほど不況はひどくなるとか、賃金を下げてモノを安く作ろうとするほど不況が悪化するとか、日銀が貨幣供給量を増やしても効果はまったくない、とかである。

 新古典派経済学の常識では、不況というものは存在しないと考えられている。現実に照らせば、そのはずはないが。また、ケインズの流れをくむニュー・ケインジアンたちは、景気刺激を重視する彼らでさえ、不況はごく短期の一時的な調整過程であるとしか考えていない。一時的な不景気で失業者がでても、需要と供給の調整がなされれば、そのうち完全雇用が達成されると考える。

 しかし、それがいまの日本に当てはまるだろうか。バブル崩壊から20年以上たつのに景気回復の兆しはなく、失業が恒常化し、不完全雇用からの脱出ができない長期不況にはまり込んでいる。失業率も一定はの水準に張り付いて、不況が「定常化」している。従来の経済学では、この「不況定常化状態」はないことになっている。

 つまり、この定常的な不況が起こるのが「成熟社会」である。この社会のポイントは、「お金が究極の欲望の対象になる」ということである。お金への欲望は、お金という便利なものを生み出した人間の宿命である。これは発展途上社会でも成熟社会でも同じである。
 だが、人間誰でも、モノが満ち足りてしまうと、それ以上ほしいのはお金だけになる。発展途上社会では、生産力が低く、モノへの欲望が大きいから、お金への欲望が表面に出なかった。だが生産力が拡大し、モノが大量生産されると、いま持っている以上のモノへの欲望が減って、お金への欲望が表に現れてくる。これが成熟社会である。
 そうした成熟社会と発展途上社会とでは、経済政策の効き方も、ほぼ正反対といっていいくらい異なる。90年代以前の日本と、90年代以後の日本は、まったく異なる(藻谷氏、河野氏の90年代後半の人口動態変化の量的視点から、小野氏は、質的転換をとくようである)のである。

 古い経済学では、人々が稼いだお金の量は、人々が働いてつくったモノやサービスの量に等しいと考える。つくったモノの価値だけモノが売れるという前提であり、生産過剰もなく、失業もおきない。つまり不況はおきない、存在しない。これが新古典派の基本的な発想である。そのため、いままでのほとんどの経済学者が、供給を改善すれば経済はうまく回ると考えた。その前提でいけば、不況はつねに一時的な調整過程に過ぎないことになる。

 だが、「お金が究極の欲望の対象になる」という前提をもたないと、不況が定常化している現代の状況を説明できない。
 成熟社会とは、モノへの飢餓感がなくなった社会のことである。日本に、そういう時代が高度成長期を経てやってきたのである。たとえば冷蔵庫や洗濯機の登場である。これが出たことで、人々の生活は劇的に変わった。なけなしのお金を手放してでも、そうしたモノを手に入れれば、劇的に生活が向上する。それは今のパソコンやスマホの比ではない。ライフスタイルが画期的に変化し、家事の質が変わり、女性の社会的役割りもおおきく変化した。借金してでも、そのモノが欲しかった。嫁入り道具の花形である。90年代以前、昔の発展途上社会では、モノへの欲求水準が高くて、お金への欲求水準より上にあったのである。モノが絶対的に足りない時代は、お金への欲求があっても、お金を手放してモノを手に入れるほうが優先したのである。消費(そういえば、むかし消費は美徳であるとかの言葉があったなあ)が続けられる。

 逆に、モノがあふれた成熟社会では、暮らしに必要なモノは、あらかたそろっている。モノを買っても生活の質は、たいして向上しない。モノへの欲求の水準が下がり、お金への欲求の水準と逆転した。人々の生活向上のために必要な需要は、社会の生産力によってすでに満たされたのである。モノやサービスは飽和し、もうとくに需要もおきないわけである。需要が少なければ、企業は設備投資もしないし、雇用も生まれない。とうぜん、失業率は高いままになる。その結果、成熟社会では雇用不安が蔓延し、人はますますモノを買わなくなる。お金への執着を深めるだけである。

 貧しい国のデフレと違い、日本のデフレは、モノはもういらない、このお金の魅力に人々がとりつかれて、モノに比べてお金の価値がどんどん上がる。これがデフレである。デフレで物価が下がれば、一定額で買えるモノの量が増える。つまりデフレとは、逆に見れば、お金の価値が上がり続ける新型のバブルなのである。
 貨幣への保有欲がモノの消費欲を凌駕した結果、モノの消費が減り、慢性的な失業と不況を引き起こす。それがさらに貨幣の保有欲を強化するというスパイラルとなり、不況の「定常化」にはまりこんだわけである。

 人々がお金を貯蓄して保有するのは、将来の不安もあろうし、好きなとき、どんなモノやサービスに対しても購買力を行使できる自由、経済学で言う流動性の自由を確保したいからである。したがって、貯蓄が将来消費にまわるという前提は間違い(これで日本の特殊な不況の一部が説明できるな。アメリカ人は個人資産を株式でもち運用しようとする。また自分が稼いだ金は、自分が生きているうちに使いきろうとする。経済学は彼らが開発した。しかし、日本人はとにかく貯金する。死ぬまで貯金し、それ以上は使わない。金持ちでも贅沢はせず、質素である。子供に半分、相続税に半分である。経済誌ですら、ひんぱんに相続対策特集をする。それが日本型不況の原因であるか。お金を稼いでも「個人的乗数効果」がまるでナッシングなのだ。ケインズもフリードマンも、これを聞いたら驚くであろう。高橋是清は芸者の帯にも意味があるといったが、パンツの紐も買い換えないわけだな。カネがまわらないのではない。文化が、カネをまわさないのである。日本経済は、基本的に内需型である。もうモノが足りて、買うモノもなく、そして将来不安から国民の財布の紐がこれほど固ければ、巨大化した日本の生産力は空転するしかないな。シャープやパナソニックのような巨大な設備投資は地獄への一本道である。とすると、日本特殊論ではないが、欧米製のマクロ経済学は、日本では当てはまらないことになるか)である。

 また、これは個人だけではなく、企業側の心理も同じである。つくったモノが売れる見込みがなく生産設備もあまっているのに、ゼロ金利といわれても、借金してまで設備投資しようとは思わない。それよりリスクにそなえて、内部留保にまわすだろう。人々が、将来不安からリスクにそなえて貯蓄を増やすのと同じである。そんな状態で、日銀がいくら貨幣発行量を増やしても、そのまま企業や金融機関に貨幣が保有されるだけで、企業の生産設備の稼働率もあがらず、投資需要も生まれず、消費需要も増えず、つまり物価も上がりようがない。日銀がいくら貨幣発行量を増やしても、効果はないということである。

 発展途上社会では、一時的な不況ならば、貨幣の量を増やせば需要は刺激される。だが日本のようにモノにあふれた成熟社会では、そうはいかない。物価の絶対水準がひくく、お金の実質量が大きくても、モノのあまった成熟社会では、お金がモノやサービスの需要にまわることはない。総需要も雇用も大きくならない。さらに需要が不足しているからデフレがつづき、デフレがもたらす需要抑制効果だけが働く。したがって、物価が下がろうが貨幣供給量を増やそうが、需要は低いままである。

 まあ、小野氏の論旨は以上のようなものか。経済学では貨幣はモノの交換手段であるとするが、小野氏は、お金そのものが究極の目的であるとする。この理論が、すべての国に当てはまるとは思えないが、すくなくとも日本の不況とデフレを説明するには、クリアであり、かなり有効であろうとは思う。欧米人が、みずからの身体に合わせて仕立てた服は、日本人のサイズには合わないのであるか。それとも小野氏説は普遍性をもつのか。インフレターゲット政策は無効であり、「乗数効果」は存在しないとする。これは賛成だが。また「成長戦略」は発展途上国のものであり、すでに日本ではむつかしい。それより成熟社会では「成熟戦略」が必要であるという主旨も同感する。日本のデフレは、ある意味、構造的な自然現象であり、定常的なものである。したがって、デフレ対策、デフレ脱却という発想、そして政策自体が出発点から間違っていることになる、か。無効である。とすると、アベノミクスは河野氏の危惧するように「取り返しのつかない失敗」となるか。

 ふつうのマクロ経済学者は、溜め込まれて使われないお金という発想は苦手だろう。だが、もともと貨幣(通貨)には、①交換の手段、②価値尺度、③価値の貯蔵という役割がある。この③の価値の貯蔵機能こそが、日本のデフレの原因ではないだろうか。小野氏によると、そうなる。マクロ経済学の手法は、たとえば通貨量なら、その総額をMと置いてなどと変数化し、その中身モデルは均質なものと捉えて、変数の増減とGDPや物価との関係をさぐろうとする。まあ、机上の統計学から法則を編み出す努力をするわけだが。この小野氏の理論も、たとえばスティグリッツの経済学が、世界各地の特性、ポジションの特性などから情報の非対称性を変数として入れたように、小野氏も、「地域による通貨貯蔵の非対称性」ではないが、それを数値化する努力をしたら面白いのではないか。日本は、通貨の貯蔵指数がこうであるから、流動性はどうなるとか、物価と貨幣供給量の関係は、こうなるとか。フィッシャーの交換の方程式では、MV=PTだが、この恒等式では現実が説明できない。これをフリードマン式にMV=PYにしても同じである。そこに貨幣の本質的特性と文化という変数を入れて、組みれ直せないか。これでノーベル賞はとれないだろうか。これは、まあ雑念だが。いや、とれるかも知れない。また、MVでもMを増やすのではなく、Vの回転速度をあげるのが、可能ならば最善のはずである。

 経済を活性化するとは、グルグルお金をまわすことである。しかし、そうだな、お金を使うことは悪いことだからなあ。がんばってカネを稼いでも、もしベンツでも乗った日には、村八分になるしなあ。成金と呼ばれて軽蔑されるし、だいたいカネを稼いだ奴は、何か悪いことをしたに決まっている、ことに決まっているしなあ。アメリカのように努力の結果であると見られることは少ない。ブランド品をたくさん持っている女性は、じつはまわりから軽蔑されているかも知れない。
まして、山陰の農家の息子でカネに縁のない育ちをした団塊世代には、カネを使う根性はないなあ。シャッツが1000円。チノパンが2000円、ベルトは1050円、靴は5000円くらいか。そこそこの納税額はあるが、上から下までで1万円しないのである。発展途上国以前の「もったいない」精神であり、あまりのヤボさに、数年前に家人からアルマーニのスーツをプレゼントされたが、もったいないから一度も袖をとおさないまま、今はどこに入っているか、所在不明である。小野氏のいう「お金が究極の目的」とは少し違うと思うが、消費行動の結果は同じである。反経済学的な存在であるか。所得=消費とはならない。

 以上、読書の要約であり、お勉強。3氏の意見は、どれも興味深いものだった。おそらく正鵠をついていると思われる。4月、タイのソンクランに行こうと知人に招待された。建設設計会社の代表である。行きも帰りもビジネスクラスであり、ホテルは四つ星。一人25万円くらいか。お礼に、服を仕立てることを薦めた。バンコクは腕のいい仕立て屋がおおく、外国人旅行者向けに三日でつくる。イタリヤ製、イギリス製の布地で2万円くらいである。5着つくれば10万円。もし日本でなら100万円かかるだろう。これで75万円儲うかる。さらにパンティッププラザという世界的に有名なタイの秋葉原のソフト販売店につれていった。さまざまなCADソフト・設計ソフトを売っている。本来なら50万、60万のソフトが100バーツ、350円程度である。ここで彼に200万円くらい儲けさせた。ビジネスクラスと四つ星はういたはずである。二人で大笑いしながら、ソンクランの水掛祭りに行った。こんな消費行動である。サプライサイドともいえるが、供給=需要ではなく、供給=遊びである。あっても無くても良い。必需品の需要ではないから、マーシャル均衡点なぞは、はじめから無いのである。インフレターゲットといわれても、こんな関西男たちに合理的期待形成を「期待」するのは無理筋である。クールグマンが何を言おうとも、偽薬にカネは払わない。プラセボ効果など、期待しないでほしいものである。
 ベンチマークしている野口氏、河野氏の判断は、アベノミクスはアベノ「リスク」であるとなる。とすれば次の課題は、どうヘッジするかである。お勉強をつづけよう。ついでに、通貨貯蔵変数による通貨供給量と物価の非対称性で、ノーベル経済学賞でもとろうか。経済学賞は乱発しすぎでは。閉鎖系の思考実験、同人誌の小説に似ているが。

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経済のお勉強 その2

 さて「金融緩和」のお勉強の読書日記第二弾である。論者は、BNPパリバ証券チーフエコノミストの河野龍太郎氏。証券会社のエコノミストとして機関投資家にアドバイスするのが仕事である。株は上がろうが、下がろうが、動くことで儲かるのであり、証券会社の立場からすれば動きを促進してくれる金融緩和を、なぜか氏はつよく否定する。

 その要旨は、4月のエコノミスト誌での氏の発言をすこし整理していたので、以下、その論理をならべてみる。

 量的緩和論は、マネーと物価が比例関係(逆数)にあるという貨幣数量説が前提である。
 だが、ゼロ金利の下では前提そのものが成立していない。マネーを増やしても物価がどう変化するのは、何も説明されていない。昨夏以降、アメリカの中央銀行関係者の間でも量的緩和は理論的にも実証的にも効果は乏しいという意見が増えた。オールドタイプのマネタリスト的政策が日本で発動されたのは、本当に驚きだ。

 黒田日銀総裁は、国債購入量や資金供給量であるマネタリーベースを2倍に拡大することを決定したが、2倍の理論的根拠は存在しない。単に、大胆な金融緩和をやるぞと、政治家や国民にわかりやすく伝えることを狙っただけであろう。
 「期待」に働きかけるというマクロ経済学の発想は、検証はされていない。株が上がるとみんなが思っているうちは株が上がるという程度の発想である。政策レベルとすべきではない。

 日銀は10月に2015年度の経済・物価見通しを出す予定だが、ここで2%インフレが見通せないということになれば、さらに強力な金融緩和を打ち出さざるを得なくなる。資産価格の一段の上昇を招くだろうが、実態が伴わないため、いずれ大きな調整局面を迎える。日本経済を著しく不安定にし、本末転倒である。また、大胆な緩和がコントロールできない円安加速をもたらさないか心配である。
 さらなる金融緩和は封印し、政府が潜在的成長率(中長期的に持続可能な経済成長)を高めるべく成長戦略を推進することが必要だ。潜在成長率が上昇すれば、資本収益率(利益率)が高まり、伝統的な金融緩和の効果も復活する。それが本筋。

 大量の国際を保有することになった日銀は、必然的に国債管理政策が組み込まれる。将来、インフレ率が上がり、物価安定の視点から見れば、利上げが必要になっても、財政への配慮から、利上げや国債売却は困難だろう。
 長期金利が上がれば、利払い費が雪だるま式に増え、国の借金が発散をはじめるからだ。
 また国債を大量購入する金融機関は、国際価格が下落すると資本が棄損し、金融システムが動揺する。金融システム危機を避けるために、日銀は結局、物価安定を犠牲にせざるを得なくなる。この時、インフレターゲットは機能しないだろう。

 黒田総裁は、財政規律は政府、国会の責任という。確かにそうだが、日銀の積極緩和で金利を低く抑えつけていることが、財政規律との弛緩につながっていないか、心配だ。安部政権は、信頼に足る財政健全化策を早期に打ち出すべきだ。
 日銀の大量購入で、国債市場の流動性が著しく枯渇した。一国の金融システムの根幹である国債金利の体系に大きな歪みが発生したことが認識されていない。株高で喜ぶ人が多いが、取り返しのつかない失敗を犯した可能性がある。

 つまり氏によれば、今回の安部政権の金融緩和政策は、「取り返しのつかいない失敗の可能性がある」とのこととなる。実は、わたしもそう思う。直感的に、日本は黒田リスク、岩田リスクを背負ったと感じているが、それは安部リスクなのである。本来経済にまるでうとく、大先輩である小沢一郎氏が彼は頭が悪いと評する安部氏であるが、最近の株高、円安で、自分でも信じられないのだろう、テレビで見ても高揚状態が顔にあらわれている。

 しかし、私見だが、この3月の日銀短観では、大企業・全産業の設備投資計画はマイナス2%だった。株などの資産市場で利食いしている投資家たちとは違い、モノ市場での企業経営者の景況感は、そう楽観的ではない。すぐに出るであろう企業決算においても、保守的な見通しを堅持する企業が多かろうと予測されている。ミニバブルに浮かれる投資家も「期待と現実の乖離」に直面させられる。今の株高は、実体経済とは乖離しているから当然である。わたしは、やはり「野口説」をとる。株を買っているのは外資であると言われており、売り逃げして設けるのも外資であろう。外国人による短期の利食いなのであり、それを実体経済の成長による株高のように語り、成果を誇るのは、これは乗数効果という言葉をしらなかった民主党の管首相と同列である。

 さて、新刊「金融緩和の罠」の第二章である。論者は証券会社のエコノミスト、つまり資産市場の現場を知っているはずの河野龍太郎氏である。題して「積極緩和の長期化がもたらす副作用」とされている。以下、個人的お勉強のために、要約ノートをつくる。

 どんな時でも金融緩和をしてはならないとは考えていない。金融危機が起こった直後などは、大胆な金融緩和が必要になる。いまの日本の状況は、リーマン・ショックのような大きな危機に直面しているわけではない。ダラダラと低成長がつづき、デフレが長引いているのは事実だが、金融危機のときのように急激におきるショックへの対症療法が必要かといえば、そうではない。日本経済の問題は、もっと構造的なものである。金融緩和を進めても、これ以上、日本経済が抱える病理は解決しない。むしろ悪化させるリスクもある。
 日本経済の病理は、端的に言えば、低成長の原因は、人口動態である。それを認識した上での構造改革や社会制度の構築が行われていないことが問題なのである。
いま日本では少子高齢化が進み、生産年齢人口が減っている。すなわち消費意欲の高い人口が減少するのであるから、それは個人消費の落ち込みにつながる。そこから内需の不振がはじまり、それで、経済全体が縮小するという展開となる。所得をかせぐ労働力人口が減ることにより、需要の縮小があっただけでなく、「日本経済の実力そのものが落ちた」時に、貨幣供給量を増やすことで何が改善できるのか、むしろ逆効果ではないかとの疑問がある。(ここまでは、第一章の藻谷氏と同じようである。人口ボーナス期から人口オーナス期に移遷した日本で、旧態の発想、意識のパラダイムで、たえず変化する現実をとらえられるかという思考であろう。両氏とも、その時期を90年代前半とする)

 その切り口として、企業の設備投資を考えてみる。生産年齢人口にしても、労働力の規模と見れば供給側(サプライサイド)の要素だが、個人消費の主体の規模とみれば需要側(デマンドサイド)になる。世の中には、「需要に関係なく、供給力を強化すれば経済成長が達成できる」と主張するサプライサイド経済学というものがあるが、ここで考えたいのは「需要としての設備投資」である。出発点は、あくまで需要である。供給構造に問題があるときも、現象としては需要に問題が出てくるのである。

 グラフにして、生産年齢人口と設備投資の関係を見てみると、二本の折れ線は、低下傾向がつづき、1990年代後半には、ゼロを切ってマイナスに転じている。同様に、企業の設備投資のグラフも同じパターンを描き、生産年齢人口と軌を一にして鈍化している。企業が向上の建設や生産設備の導入を抑制している。この二つの折れ線がほぼ並行して推移している。
 生産年齢人口の減少が個人消費の現象につながり、それを見越した企業が設備投資をしなくなるというメカニズムだけでなく、やはり人口動態が問題となる。それは個人の需要(個人消費)にも影響するが、企業の支出(設備投資)にも、直接的な影響を与える。過去の論では、設備投資は労働力人口に関係なく、ある程度キープされると考えられていた。生産性の向上とイノベーションが経済を牽引すると考えられていた。だが、そうではなかった。
1990年代、2000年代と、労働力人口の増加がとまった後は、設備投資もどんどん下がっている。つまり、労働力人口の減少は、必然的に成長率の低下をもたらす。少子高齢化が進んだ結果として、日本の潜在成長力は低下し、低成長時代に突入したのである。その潜在成長力が、「日本経済の実力」なのである。

①生産年齢人口が減少→個人消費が減少→企業が設備投資を控える
②生産年齢人口の減少→労働力人口の減少→企業の持つ工場やオフィスのような資本に余剰→企業の設備投資需要が減少

 企業の資本収益性が低下するから、企業の需要である設備投資が減り、経済全体の需要が落ち込んで、供給過剰からデフレとなる。それが今日本でダラダラつづいているデフレの原因である。生産年齢人口の減少による需要の現象こそが問題である。それを金融緩和論者の思考のように、それを救急側の減少と読み違えて、緩和すればインフレが起こるはずだとか、設備投資が増加するはずだというのは、間違った見込みである。

 不動産バブルは、人口ボーナス期の最後に起こる現象である。日本の青年年齢人口の割合が、増加から減少に転じたのは、1990年代初期であった。この時、不動産バブルが起こった。アメリカやアイルランド、スペインの生産年齢人口のピークは2005年前後に来ている。なにが起こったか?アメリカでは2007年にサブプライムローン問題が表面化し、2008年にリーマン・ショックへと発展した。アイルランドもスペインも、2007年までに不動産バブルがおきており、その後のバブル崩壊がソブリン問題という国債の信用不安へと尾を引いた。
各国で起きた不動産バブルもの時期も、人口動態の変化と関連していると見るべきである。人口ボーナス期には、企業経営者は資本ストックを増やそうと設備投資を行う。企業は借り入れをしてでも設備投資をするが、それでもこの時期は、投資をすればそれだけ利益がでる、というムードが支配的となる。大投資ブームが起こる。
ところが、人口ボーナス期が終わりに近づくと、投資といっても、本当に収益性の高い投資プロジェクトは、ほとんどやり尽くされている。だがブームは続いており、目の前で不動産価格がどんどん上昇している。いわゆる「期待」である。いつの間にか、不動産価格が上昇を続け、採算のとれない投資プロジェクトばかりが行われるようになる。それが人口オーナス期に入った瞬間、設備投資の抑制がはじまり、価格を吊り上げていた投資ブームが一気に冷める。バブルの崩壊である。そうやってバブルが崩壊し、企業は大量の過剰債務や過剰ストックを抱え、銀行の不良債権は膨張した。

 この段階になって初めて、人口動態が真の原因だと気づく人たちが現れたという流れとなる。だが、まだ日本という国が、人口動態によって構造的な低成長時代に入ったことを認識できない人がたくさんいる。
 それゆえに、今の金融緩和政策には反対である。たしかに金融危機の時に大胆な金融緩和を行うことには、一定の効果がある。ゼロ金利政策や量的緩和といった極端な金融政策は、危機時の緊急対策としては有効である。金融システムに対する不安感が高まると、金融機関の行動が極端に萎縮し、信用収縮がおこり、実体経済に影響を及ぼす。これは防ぐためには、中央銀行が大量の流動性を供給し、金融システムの動揺を抑えることは重要である。
 だが、構造的な低成長(第三章で小野氏は、これを不況の定常化という)になった今では、問題の本質と状況が違う。現在の日本の低成長は、金融危機が原因ではない。病気が違うから、処方箋も違うのである。だが日本は一本やりで、金融危機等の非常時につかう極端な金融政策を長期化・固定化させてしまった。それによって中央銀行は、実体経済に影響を与える力を失った(氏の言うこれは、日銀のゼロ金利政策で、日銀は金利操作による影響力を自ら捨てたとの意味であろう。ゼロであるから、もう金利は下げられないし、無制限に国債を買い込むのが日銀の方針であり、金利を上げれば、その時は国債の利払い費の額により死活的というより殺人的ダメージ、日銀と政府の一蓮托生的な破産というダメージを与えるという趣旨であろう。その場合は、その負担を国民に押し付けることにより、日銀と政府は生き残り、負債を消しこむしかないが、大火事になる。つまり日銀は、もう手段的に手詰まりであると氏は言うのであろう)うえ、さまざまな弊害、副作用がすでに起きている。これ以上の金融緩和は必要ない。必要ないどころか、やっても悪影響ばかりであろう。

 いま日銀は、ゼロ金利政策を行うと同時には、国債を大量購入している。だが、ゼロ金利政策とは、金利ゼロで金融市場から資金調達ができるということである。普通に考えれば、資本コストが安のであるから、リスクを取ってこの資金を成長分野に貸し出していこう、となるはずである。ところが、日銀が国債の金利を低く抑えようとしている。国債の価格は金利が下がると上昇するから、金利が上がれば利払いにくるしむことになり、日銀は国債を買い入れて、値段を高い水準に、つまり国債の金利を低い水準に維持していこうとする。すると金融機関とすれば、成長企業を掘り起こすようにリスクをとるより、日銀が価格を維持してくれる国債を買ったほうが有利だ、となる。結果として、民間の企業には融資が行われないことになる。金融機関の本来の役割は、成長分野を発掘し、リスクをとって貸し出しをすること、それにより産業を活性化し日本経済を維持することである。この機能が、ゼロ金利政策や国債購入政策で長期化・固定化されて損なわれてしまっている。
(河原氏のこの分析は、この図書「金融危機の罠」の執筆が、昨年の12月であり、以後のアベノミクス、日銀総裁の路線変更および新金融政策以前の知見であり、その意味で先進的であり、要点をついていると思われる。ただ、今年の4月に、黒田新総裁は、日銀による国債の大量購入の方針を打ち出しており、国債市場から銀行を追い出す施策をとっている。新規発行額の7割を日銀が買い取る。金融機関は民間への貸し出しより、国債を買うという楽な運用をつづけており、産業金融の役割を放棄していた側面もある。畑を焼き払って、虫を追い出すようにものであるが、これに関しては、黒田総裁のグッジョブである。しかし長期的には、こうして購入した膨大な国債の利子をどうするか、出口をどうするかは、これは難しすぎるだろう。国債はある意味、将来の国民所得の先取りである。昔の会社は給料の前借りをさせてくれたが、前借りはよくない。つぎの月が、思い切りつらいと経験者は思う。まして机上の経済理論がどうであろうと、できれば国が前借りしてはいけない。長期的には、甚大な悪影響が予測されるが、さてどうなるか。また日銀が無条件に発行国債の7割を買うような事態は、これは中央銀行による財政ファイナンス、政府の赤字補填であり、政府の財政規律をみだし、後先のない放漫財政、政府運営になる。つまり「つけを孫に押し付ける」政策が延々とつづけられることになる。ゼロ金利政策がつづく限りは、政府は財政赤字の危機感をもたずに国債を発行できるが、金利上昇局面ではどうするのか。とうぜんにいつか破断界がくるはずであると、老人ホーム業者でも考える)

 現在のデフレと低成長は、人口動態という基底的な現象によって発生していることにあり、その状況を認識しないで極端な金融政策をつづけていることには百害あって一利がない。だが、政治の世界では、人口動態に応じた本質的な構造改革は議論されず、「もっと財政政策を、もっと金融緩和を」といっている。これは民主主義の宿命的な問題ではないかと思う。
 そもそも代議制民主主義は、産業革命がおこって、どんどん社会が豊かになっていくとき発達した利益分配のためのシステムである。政治の役割は、成長の果実である税収をどう分けるか、どのように「利益を配分」するかを議論することにあった。だから議会には、自分たちのところに利益をよこせといった代表が送り込まれてきた。
 ところが、生産年齢人口の減少が始まって、税収が伸び悩むようになると、こんどは給付の削減や負担の分担をせねばならなくなった。これは選挙による代議制民主主義のもっとも苦手とする部分である。いまの日本の財政制度や社会保障制度、たとえば年金制度も、これは人口増加を前提として成り立つように作られている。これらが作られたのは、経済が10%近くもあった高度成長期の終わりの頃、1972年、1973年あたり、田中角栄に代表される時代である。その頃は、高度成長で膨張したパイをどう分配するかが財政政策の主要な関心事だった。
 だが、いつまでも10%の成長率を前提としたシステムのままで、うまくいくはずがない。生産年齢人口の減少と低成長時代(第一章・第三章論者も同見解)に対応した制度をつくれ、という当たり前のことがなされなかった。

 生産年齢人口が減り、高齢者が増えれば、働いて税を支払う人の割合が減る。国民全体の担税能力はす必然的に低下する。この現実を前にすると、増税を求めるなり、社会保障給付の削減を選挙民に求めるしかない。だが給付削減はおもに高齢者が対象となる。彼らは選挙の票田である。立候補者は、決してそんなことは言えない。どうしても人口オーナスによるパイ縮小の時代に入ったこと自体を認めない姿勢になる。「日本経済の実力は低下していない。景気が回復しないのは財政・金融政策が足りないからだ、日銀のせいだ」となる。まさに、「負担の分配」が苦手な民主主義の宿命である。

 そもそも政府には恒常的・継続的に成長率を高める能力はない。日本政府にかぎらず、多くの政府にない。政府が経済政策として行う財政・金融政策は、いまの日本ではなにか本質的には経済を動かしていけるものであるかのように扱われている。だが、そうした財政・金融政策は、それ自体で新しい付加価値を生み出すものではない。財政・金融政策の本質とは「財政政策は所得の前借りであり、金融政策は需要の前倒しである」ということである。
 つまり、国が財政政策をおこなうときは、国債という国民からの借金を元手(国民が直接買うか銀行預金する→銀行が国債を買う→それを国が使う)に、公共投資を行ったり、減税や補助金を通じて間接的に消費や設備投資を増やそうとするが、この借金は将来国民が得た所得(将来の税収)から返済しなければならない。返せば、プラス・マイナス・ゼロである。天からお金が降ってくるわけではないのである。だから、財政出動して一時的に景気が上向いたように見えても、それは本質的には何の価値も生み出しておらず、ただ「将来の国民の所得を前借り」しているだけである。

 金融緩和政策も前借り的な側面がある。たとえば「来年、車を買おう」という人たちがいたとする。金融政策により金利が下がると、借金がしやすくなるので「それなら今年、買おう」とする人もいる。ただ、この人は一年早めて買っただけであるから、来年になると、もう車を買ったりはしない。本来は来年にあるはずの需要を前倒ししただけである。需要は増えてはいない。金融緩和では、デフレは脱却できないのである。
 もちろん政府にも関与できる部分がある。それは民間部門の自由な経済活動を可能にし、現場での創意工夫を発揮させ、生産性を上げさせていくことに尽きる。政府にできるのは、みずからの活動領域を縮小すること。つまり規制緩和で民間にまかせることである。
 人口動態によって決定的に政治の役割が変わったにもかかわらず、政治家には負担の分配ができない。民主主義の弱点である。その弱点が、少子高齢化によって潜在的成長率や担税力が低下しいている現実から目を背けさせ、一時しのぎの策でしかない極端な財政・金融政策を続けさせている。また個人も企業も「将来不安」から消費を抑制している。現役世代は、年金などの社会保障制度の持続可能性を疑っている。若者は、どうせ自分は年金をもらえないだろう、日本は借金まみれで、いくら働いても将来はどうせ大幅増税されるだろう、と思っている。その結果、消費を抑制する。企業はそれを見て、投資を抑制する。家計と企業が、お金を使うのをやめるのである。
 現在、株高が続いている。すでにバブルのプロセスがはじまっているかも知れない。いずれ長期金利が上昇する。長期金利が大きく上昇することになれば、公的債務残高がいまやGDPの二倍までに膨れ上がっているため、利払い費が急激に膨らむ。財政が危機的状況に陥るのを防ぐため、日銀によるファイナンスが進むことになるだろう。財政の赤字を補填するため、日銀が国債の購入をさらに増やしていくことになる。これは事実上のマネタリゼーションである。
 株高などのバブルが崩壊すれば、人々は日本の潜在成長率がマイナスの領域に入っていることを認識し、将来の税収で公的債務が返済されないと考え、財政破綻懸念から長期金利の上昇がはじまる可能性がある。あるいは、政府は円安誘導を続けているが、円安が進むことで、輸入インフレが上昇し、金融市場のインフレ予想を高め、長期金利が上昇することも考えられる。
 そのとき日銀は、①物価安定の視点に立てば、2%を超えるインフレの加速を回避するため、継続的に利上げする必要がある。物価上昇の熱を冷ますためには、つまり日銀は政策金利を引き上げなくてはならない。
しかし、②そのことは、長期金利の急激な上昇、つまり、国債価格の急落をもたらす恐れがある。大量に国債を購入している銀行とすれば、国債価格の下落は、損失の発生であり、自己資本が目減りする。金融機関の経営を揺るがすことになり、日本の金融システムを動揺させる。その場合に、日銀はさらに国債を購入し、国債の価格を高く買い支えせざるを得ない。
 日銀が、①物価を安定させながら、②他方で、国債を買い支えることは、両立し得ないのである。国債管理制度に強く組み込まれた日銀は、①物価を安定させることと、②金融システムを安定させることの、両方を目指すことは難しいのである。①②は、トレードオフである。
このジレンマに陥ったとき、日銀は①物価の安定より、②金融システムの安定化を選ばざるを得ないだろう。金利が上がりはじめれば、物価の安定か、金融システムの安定化の、いずれかを犠牲にせざるを得ない、地獄の道を進むことになる。これが中央銀行ファイナンスによる追加財政政策、マネタリゼーションのいくつく道である。
長期金利上昇と円安進展の負のスパイラルが生じ、最悪の場合は、財政危機、金融システムの動揺、資本逃避が同時に訪れる可能性がある。ひとたびそのような危機に襲われたら、一般市民の生活もただではすまない。再び立ち上がることが非常に困難なような、何年にもわたって市民生活に影響を与えつづける深刻な危機になるだろう。

 いくらマクロ経済学が発達し、マクロ経済政策の技術が進歩したからといっても、マクロ経済に対する私たちの理解や知識は、依然として限定的(つまり、あれはいい加減なものであるとの趣旨か)である。政策効果が大きいとすれば、それは劇薬なのであり、大きな副作用があるはずである。さらに難しいことに、どのような副作用がどの段階で現れるか、極めて不確実である。不確実性(誰にも分からない)に対抗するには、安定性を主眼においた政策をとるしかないのだが、その逆の道を進んでいこうとするのがアベノミクスである。

 政策を決定する際には、少なくとも社会やマクロ経済に取り返しのつかない悪影響を与えない、という慎重な姿勢が必要である。裁量的なマクロ経済政策が万能と考えることの危険性、進歩主義的な介入主義への過度の信頼に対する反省(この部分は、アメリカ・ヨーロッパの金融危機に際して、マクロ経済学者への信頼は著しく低下したとされることを指しているのか)が、わずか数年前に起こった世界的金融危機から得られた教訓だったはずである。
 日本は、同じ過ちをまた繰り返すのだろうか。本当に心配である。

 以上、河野氏の要旨である。論旨にもデータにも矛盾はなく、十分に納得できる。アベノミクスは、それを主導する経済学者が「やってみなければわからない」と標榜する、つまり、ある意味では丁半博打である。だが、本書で藻谷氏、河野氏、そして第三章の小野氏も指摘するように、日本のマクロ経済学(日系シカゴ派か)の現状は人口動態の変化など考慮せずに、パイの縮小、低成長は理由のあることであるとの認識なしに、たんなる「貨幣現象」であるとして、いまだ高度成長が可能だとの前提にたっている。その日本経済認識の前提がすでに間違っている。したがって、間違った前提から導きだされる「解」は、とうぜんに間違いである。とすれば、それは河野氏も、さぞや心配なことだろう。それが、4月のエコノミスト誌での「取り返しのつかいない失敗の可能性がある」という言葉として表出されたわけであるか。

 コーラン「食卓編」に曰く。「知持てる者、幸いなるかな、汝、指導者なり」真理である。

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経済のお勉強 その1

 今回の金融緩和政策の実施は、わが社においても無縁ではなく大な影響をうける可能性が高いと思われ、その流れを見続けている。と同時に、目の前でリフレ派と反リフレ派が、まったく逆の理論と予想から論争をしている。金融緩和を経済政策に関する論争とだけ見ずに、眼前で大きな知的実験が行われているというように見れば、巨人阪神戦より、はるかに刺激的であり、ずっと面白い。わたしも勝手参戦して、自社の防衛だけでなく、「お勉強」をしているわけである。
 記事、論文、雑誌、図書を読み漁っている。完全に公平な立場からの読書は不可能である。つまり自分の無意識の立場から、おそらく自分のまだ言葉になっていない思考を裏付けるような本を、無意識のうちにあつめているだろう。その結果、著者に対する好悪という感情まで出だしている。そうして買い、読んだ文章の中に、膝をうつような部分があると、「そこだよ、俺が言いたかったのは!」という流れとなる。本の中に、自分のなんとなく考えている表現、説明を探しているのである。それを自分の意見として言語化するわけだ。? しっかり実証データをあつめて分析しているわけではないし、そのような能力も時間もない。しっかりした第一線の専門家がどう考えているかから入る。その彼ら専門家の思考の流れの中で、「そこだよ」がある時もある。その瞬間、それはわたしの、わたしオリジナルの意見である。そのような形で、自分の意見を組み立てている。答えははじめから、直感でわかる。年の劫である。はずれない自信がある。だいいち、景気をあげれば物価があがるなら納得するが、物価をあげれば景気がよくなるなど、馬鹿をいうにもほどがある。だが、占い師ではないから、その理由、合理的説明を、なぜわたしがそう直感したかの理由を、専門家の文章の中に探し続けているわけである。

 と考えても、金融緩和などはマクロ経済学の縄張りだが、マクロ経済学は、それぞれの仮定にもとづく思考実験であり、論者により、派閥により、おなじことでも正反対の意見が百出する。今月22日のワシントン・ポスト紙のコラムニストは、リーマン危機以来、マクロ経済学は信頼をなくしたと論じている。欧州とアメリカで3800万人以上の失業者をかかえながら、経済学者達の意見が対立したままで、人々を戸惑わせているそうである。これは、金融緩和をめぐる日本の経済学者達も同様であり、そもそも経済学は科学足りえないのではないか、これは宗門のあらそいではないか、との感すら起こる。

 「金融緩和の罠」という本は、この四月に第一刷が発行されている。藻谷浩介、河野龍太郎、小野義康の三氏。これは野口悠紀夫氏とともに、わたしがベンチマークしている論者である。基本的にマクロ経済学者の意見は、そう信用していない。あまりにも思考が荒いからである。固執もつよい。反対者へのこき下ろしもきつい。第一章の藻谷氏の話「ミクロの現場を無視したリフレ政策」により、なぜ信用できないか納得できた。また、氏の切り口は、そりゃそうだね、と納得できる。? 以下、生徒のつもりで、その内容を要約してみる。目的は、このような書くこと、ノートをとることにより、その過程で自分の頭を整理するためである。藻谷氏は、その著書「デフレの正体」のなかで、旧来型のマクロ経済政策だけでは日本の経済成長は不可能であり、それを理解するには、もっとミクロな現場で何が起こっているかを注視すべきだとの立場である。

 以下、藻谷氏意見の要約。
 経済は、ミクロな経済事象が複雑にからみあい、積みあがっている生態系である。マクロ経済学の本に書かれたセオリーばかり論じても、その実態には迫れない。現場の無数の現実に触れて、そこから線リーを組み立て直さねば、本当のことはわからないと実感している。セオリーベースではなく、現場に即したファクトベースが重要である。
 マクロ経済学は、現実にある無数の変数を思い切り絞り込み、「この変数を動かせば、ほかのこの変数がこう動く蓋然性が高い」というセオリーを構築する。これは一種の思考実験である。? だが、現実の経済社会では、セオリーを構築する際に便宜上無視したほかの変数も動いていて、結果に影響を与える。マクロ経済学のセオリーベースの理論は、「摩擦がないと仮定すると……」ではじまる物理の公式が、摩擦のある現実の世界では通用しないのと似ている。? また、蓋然性が高いとは、100%そうなるということとは、まったく違う話である。マクロ経済学は欧米で発達したが、ものごとには常に例外があり、しかも日本というのは、なににおいても世界の中では例外のほうに属しがちな面白い島国である。だから現実には、世界に稀な長期の金融緩和をつづけてきたのに、一向に効果が出なかったりする。? 1995年から政策金利は一貫してゼロであるし、量的緩和も2001年から5年も続けたにもかかわらず、デフレから脱却できなかった。 「貨幣供給量を増やせば経済が活性化する」というリフレ論は、そういうセオリーを主張するアメリカのノーベル賞受賞経済学者が組み立てた理論であり、セオリーベース、マクロ経済学的な思考実験の産物である。理論構築の都合上、途中でいろいろな変数を切り落とした結果、貨幣供給量の調整だけで複雑な経済をコントロールできるという美しい理論ができあがった。  先ごろの日本で起きた日銀総裁人事は、戯画化して言うならば、「殿、ご乱心!」と必死にとめようとした前日銀総裁の白川氏を張り倒して、「俺にこの万能の貨幣供給量ツマミをまわさせろ」と学者や政治家が殺到した感じである。そのような単純化された理論どおり金融政策をとりつづけるというのは、まさに日本経済を実験台にした巨大な社会実験である。日本経済への、巨大なリスクがある。

 リフレ派は金融緩和で経済が浮揚する。あるいはデフレから脱却できる、と主張するが、リフレ派が間違っているなら、どこが間違っているのか?
 リフレ派は、貨幣の量が少ないから、みんなお金にしがみつき、お金をモノに換えない、つまり消費しないという。? だが、リフレ派はそもそも「供給されたお金はかならず消費にまわる」という前提に立って構築された理論である。「人はお金さえあれば、無限に何かを買い続ける」というのは、実地に証明された話ではない。商品を並べて置けば売れたモノ不足の時代が、浮世離れした一部の経済学者の頭の中で今も続いている。この理屈からいえば、「消費が活性化しないのは、十分なお金が世の中に出回っていないからだ」となる。? ところが、現実の日本では、企業も家計も金融機関も資本収支は黒字で、政府だけが赤字である。つまり企業も家計も金融機関も、投資しても消費しても使いきれないお金を余らせているから、国債を買っているのである。カネ不足という、リフレ論者が検証もせずに当然とみなしている前提が、事実としては崩れている。  生産年齢人口が減少し、就業者数も減っている。人口の多い世代がどんどん退職し、高齢化している。退職した彼らは以前のように消費しなくなる。年金生活に突入すれば、先行き不安でお金にしがみつく。1995年が日本の就業者数のピークだった。それから2010年までの15年で、就業者数は7%減った。? セオリーベースで考えると、就業者数の増減は景気次第とされているが、ファクトベースで見ると、日本の雇用の増減は、景気ではなく、生産年齢人口の増減で決まる。さらに、足元の2010年~2015年には、団塊世代の退職があり、日本史上最高の400万人の生産年齢人口減少が新たに見込まれている。? 就労者数が減ることは、勤労所得者が減ることであり、当然に消費に影響する。小売販売額のピークは96年の148兆円。それが10年後には13兆円のマイナスである。旺盛に消費する現役世代の減少とともに、消費が減った、日本国内の需要が消えていったのである。さらに恐ろしいことに、劇的な生産年齢減少が始まるのは、むしろこれからである。この先は1年に1%ずつ生産年齢人口が減少していくペースとなる。? この現役世代の頭数の減少を、毎年1%ずつの給与の上昇で迎え撃たない限り、日本ではとてつもない需要減少が発生することになる。それだけでなく、現役世代が減ると同時に高齢者が急激に増えることになる。それへの今後必要となる社会保障費は、日本経済への大きな負荷となる。それが潜在的な社会不安となって、さらに消費を抑えこむと思われる。

 人口構造の変化が経済にもたらす影響を、過少評価すべきではない。現役世代が増加することを「人口ボーナス」と呼ぶ。逆に現役世代が減少し高齢者が増加することを「人口オーナス」と呼ぶ。この人口オーナスこそ小売販売額減少の引き金だったのである。? 現役世代が減少すれば、それにあわせて車、家電製品、住宅など主として現役世代が消費する商品の需要減少はまぬがれない。企業も、本来はそれに合わせて供給数量を減らしていけば、すくなくとも大きな値崩れは生じなかった。だが「つくれば売れる」時代が終わったことに気づかない多くの企業は、大量生産がやめられず、過剰に生産した在庫を叩き売ることで価格の低下を招いてしまった。? そういう実態を水に、リフレ論者は金融緩和ばかり言い立て、構造改革派は生産性の向上を叫び続ける。現役世代の人口が減れば、それまでの供給力は過剰となり、値崩れが起こる。需給ギャップである。
 要するに、需要が縮小するのは、現役人口減・高齢者増加という人口構造の変化によって生じた減少であり、貨幣減少ではない。この日本の経済状況を「デフレ」と呼んでしまうこと自体が間違いなのである。貨幣減少であるデフレではなく、日本で「デフレ」と呼ばれるのは、主として現役世代を市場ととする商品の供給過剰による値崩れという、ミクロ経済学上の現象なのである。そのため、値崩れを起こしているのは現役世代を主な相手とする特定の分野、土地や住宅、家電や家具や自動車という商品である。住宅価格は下がり、家電メーカーは不振にあえいでいるのは、そういうことである。  デフレというマクロな言葉で、値崩れというミクロな事実をおおってしまうと、企業は経営戦略を間違え、政策決定者は、金融緩和といった単純すぎる処方箋を出してしまう。団塊世代が世帯主となる時期に、日本は諸外国にないすさまじい人口増加を経験した。高度成長期の理由はここにある。家電メーカーは、この時期に大変に強くなった。? ところが、1990年代後半から、現役世代の減少局面、人口オーナス期に突入した。景気に関係のない需要数量減少が起き始めたことに、自動車メーカーは気づき、高価格帯へのシフトをはじめたり、女性市場の開拓に注力をはじめた。ところが、家電メーカーは新たな市場を獲得せねばならないことに気づかず、若者でなければ使いこなせない機能を盛り込んだ商品の大量生産を続けては、売れ残ったぶんを家電量販店で捌くという悪循環におちいり、採算が悪化していった。そうした企業が、人件費をとことん削ってまでシュア争いをし、さらに過剰生産をつづけてしまった。? 給与が減ったり、職を失った人が増えれば、消費マインドは冷込むにきまっている。1995年以降、先進国のなかでは日本だけが、名目賃金が低下した。国内の個人消費が伸びないので、企業は国内に設備投資をしない。さらに需要は減っていく。

 また日本では、IT化、メカトロニスク化、自動化が進んでおり、メーカーの生産性はとんでもなく上がっている。労働力が減っても、生産力は向上するのである。企業が重視するのは、人件費を削り、納入企業を買い叩き、コストカットに邁進することばかりである。値下げ、値下げに終始するのが日本の企業体質である。経営者たちは、四半期ごとの利益をなんとかキープすることに必死になる。長期計画はなおざりである。コストカットもやむなし、人件費は圧縮せよの、となる。マネーゲームを加速させる金融緩和より、この株主資本主義のあり方を考え直すほうが、本質的な解決に近づくと思う。  証券会社が日参する個人投資家の多くは、高齢富裕層である。彼らには、現役世代のようにモノを消費する理由も動機もない。退職して給与所得がなくなった人は、なお消費せずに「老後の不安」にそなえて、貯蓄を増やすのである。? リフレ論者は、日本人、とくに資産をもっている高齢者の貯蓄志向の強さを計算に入れていない。企業が人件費を削ってだした利益を配当するたびに、現役世代から富裕高齢者に所得が移転する。年間55兆円におよぶ年金も、現役世代から高齢者への資金還流である。? だが、そうした高齢者の収入の多くは、銀行の口座にたまるか、国債の購入に当てられる。モノの購入には向かわない。? アメリカ人であれば、死ぬまでに貯金をつかい切ろうとし、使い切れなければ、どんどんと寄付をする。それが経済活動にまわる。? ところが、日本の高齢者は、使うことより貯めるばかりである。日本人はなくなるときに平均3500万円を残すという説があるが、仮にそうだとすると年間30兆円の個人財産が、死ぬまで使われずに残っている。? リフレ論者のいう「貯蓄は消費する前のリザーブ、予備であって、いずれ必ず消費される」という前提は、ファクトベースで否定されている。まして国債購入であれば、国の「公共投資」は税収すら拡大させるのに成功していない、「投資」の名に値しないものばかりであり、経済効果はしれている。
 国の借金が1000兆円というが、国債を買っているおもな層は、1400兆円の金融資産をもつ個人投資家、つまり高年齢の富裕層である。この層は、もうモノは買わない。この層がマったくお金を使わないから、内需は縮小するばかりである。? 年金制度も、制度自体の維持が危ぶまれている。こうした不安を抱えた現役世代は、いま稼いだお金に頼るしかないとのことで、インフレになろうが溜め込むばかりであろう。高齢者は、少々インフレになったくらいではお金を使わない。彼らは何歳まで生きるかわからないという生存リスクを抱えて、死ぬ前に資産が目減りすればアウトと考える。所得のない高齢者にとって、デフレのほうが有利である。そうした高齢者たちがいま爆発的に増えてる事実自体が、デフレ圧力となっている。

 これからアベノミクスで起こる最悪のシナリオは、円安がこのまま進み、仮に輸入燃料や原材料の価格上昇で、平均値である物価だけ見ればインフレになったとしても、内需が復活しないという展開である。物価は上がるが賃金水準は上がらず、むしろ物価が上がった分、実質賃金が下がって、さらに内需が縮小するというシナリオである。
 人口オーナスが日本経済に与える影響はすさまじいものがある。貨幣供給量を増やし、モノの値段をつり上げれば、内需も拡大するという単純な話は、おこりそうにない。日本のように機械化・自動化が進んで生産力が高くなった国は、ただでさえモノは供給過剰になりやすい傾向がある。そのうえ生産年齢人口減少があり、企業も需要不足を織り込んで人件費をカットしまくる。また資産を株式でもつアメリカ人とは違い、貯金をしたがる人ばかりのこの国での高齢者は消費をしないのであり、金融緩和でお金を流したくらいでは、とても需要は回復しない。? またマクロ経済学者は、日本企業が値下げ競争を辞さず、人件費を削りながら不採算商品の大量生産をなかなかやめないという不合理に行動をとる国であることを忘れている。  また円安のために輸出が減っているのではない。プラザ合意で円高がはじまって以来30年近く、輸出は減るどころか1.5倍に増えている。一貫して黒字だった。ところが2012年末以来、化石燃料輸入価格は上昇をし始めている。このまま円安を放置すれば、2013年、今年の日本は、貿易収支のみならず金利収入を入れた経常収支でも、高度成長期以降はじめての赤字におちいる。アベノミクスによる円安を喜んだすべての人々は、年末に懺悔してもらわねばならない。
 円安にして輸出を回復しろといわれても、もともと、落ちてもいないものをどう回復させるのかいう話になる。
 さらに致命的なのは、円安により化石燃料等のコストが機会的にはねあがる。その分、日本のGDPのほとんどを占める内需対応型企業の収益が低下することである。コスト増を商品価格に転嫁できればよいが、そうではなく、人件費や下請けへの発注をさらに削るという旧態依然の対応が横行すれば、果実に経済は縮小する。
 国がどんどん国債を発行しつづければ、いずれ国債の信用が棄損され、金利が上がる すると発行国債の流通価値が下がるから、結局、富裕層の資産内容も悪化していく。そして国債の信用棄損というリスクまで引き起こす。?高齢富裕層は、輸出増があろうが金融緩和をしようが、彼らは消費を増やさない。だから設備投資も人件費増加もおこらず、雇用者報酬も増えなかった。そのためモノもまったく売れなかった。お金をばらまいても、生産年齢人口が減少する日本では、お金は株式や国債を買える高齢富裕層のところでとまってしまい、消費意欲の強い現役世代にはいきわたらない。したがって需要は回復しない。これは金融緩和の罠と称すべきものである。それどころか、国債の信用棄損というリスクまで引き起こしてしまっている。 金融緩和は、貨幣流通量を増やすという点のみについては、実際に機能する。やればやるほど実物経済の価値に対して通貨量が多くなるから、潜在的なインフレの種がまかれることになる。ゆるやかなインフレになるのか、急激なインフレをもたらすのか。リフレ論者は前者であるとするが、それを保障するデータはない。後者の立場はち、日本円自体の価値が下がり、国債の流通価格が暴落し、円安で輸入品だけは価格が高騰する危険性を述べる。 しかし、これまで論じたごとく(藻谷氏説によれば)、日本のいわゆる「デフレ」は、貨幣供給が少ないことによって全般的におきているものではなく、主として現役世代を市場とする商品の供給過剰による値崩れであるから、ほんらい日銀は無関係である。だが、リフレ論の信者には、ある共通の属性があり、「市場経済は政府当局が自在にコントロールできる」という確信をもっていることである。だから日銀がデフレもインフレも防げると信じ込んでいる。 リフレ論者の楽観とちがって、いずれ急激なインフレが起こる可能性もある。正確には、スタグフレーションである。仮にそうなっても、過剰生産は消えない。買い手が減っているのであるから、突然に車や家電製品が売れ始めることはない。その結果、企業収益は上がらないので、雇用者報酬も増えない。つまり、円安で輸入材料価格ばかり上がり、国民の生活は苦しくなるという、いわゆるスタグフレーションが生じる懸念が大きくなる。?さらに怖いのは、前回インフレが生じた石油ショックの頃と比べて、はるかに多くの高齢者を抱え込んでいる日本では、インフレへの耐性が非常に弱くなっている。当時300万人弱だった75歳以上の後期高齢者は、現時点では1400万人近くいる。インフレによる貯金の目減り彼らが陥るパニック心理、彼らの面倒をみるために新たに負う若者の負担はすざましいものになるだろう。ますます消費が冷え込むであろう。?いかに、いまの日本にとって、過度の金融緩和はリスクの大きい政策であるか、ということである。かってのように、生産年齢人口が増加傾向にあり、納税者や消費者が増えていた戦後半世紀の経済拡大期と同じやり方では、もう日本の経済は回復しないのである。
 今世紀に入って、すでにこれだけ金融緩和し、技術開発をつづけているのに、日本の経済は成長していない。それは現役世代の減少と高齢者の激増という、日本の特殊な現実から目をそむけているからである。企業も国も、右肩上がりだった人口増加時代のやり方はもう通じないのに、戦略の刷新を先送りしている。今後、人口オーナスが進む中で金融緩和の効果はない。人口要因を無視したリフレ論者の空理空論の影響を、政策から排除せねばならない。

 以上が藻谷氏の論旨要約である。 マクロ経済学の「一般論」や「平均値」の発想は、一つの変数を仮定して、その仮定を思考遊戯として楽しむのは結構だが、現実の政府の根本政策にするとなると、一か八かの特攻作戦となる。旧ソ連の計画経済の背景は、マルクス経済学である。少数の変数で複雑な現実を説明でき、経済をコントロールできるという思考回路である。藻谷氏は、いまのリフレ論者を、その同類と認識しているようである。確かに、そうである。何十億の人間の欲望がからみあい、もつれあい、うばいあう資本主義市場を、コントロールなどできるはずがない。神でもない限り、そりゃ無理だよ。いや、神でも無理か。スティグリッツの最新の和書の題名は、「見えざる手」など存在しない、である。

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拝啓 会長殿

 会長は、いまは42歳。わたしのほうが20歳も年長になりますが、ジムも道場であり、会長は道場主。師礼をもって対させて頂きます。

 本年の年初に、会社そば、京橋駅そばに会長のジムができたのは、わたしにとってもラッキーでした。元柔道部員であり、少林寺拳法とボクシングを、はるかジュラ紀にしておりました。以後も、ゴルフをすすめる人もいましたが、あのような眠たいことはできませんでした。コナミにも通ったのですが、大胸筋の運動やら、背筋の強化やら、あのような間抜けた単調運動もつづけられませんでした。あまりにも退屈すぎました。かっての柔道の乱捕りやボクシングのスパーリングのような、アドレナリン全開、全身から汗が噴水のように飛び散るカタルシスは得られるべくもありませんでした。
 3月、近くの会社の前を通りかかったとき、そのガラスに近くにキックボクシングのジムがオープンするとのポスターが貼ってある。それを読んだとき、脳内で、ノートルダム寺院の鐘がカラーンカラーンと鳴り響いたのです。これやんか、これやんか、と。これや、これや、これや。
 すぐに入門。じつは年齢はすこし誤魔かしてあります。低めです。それでもジム最高齢者なのは、これはしかたがありません。
久しぶりにサンドバックに、全力で回し蹴りをする爽快感。足の甲にバンバンとくるバッグの反発。自分の足が風を切り空を舞っているのを見る愉快さ。最高です。これです。これです。何年もの間、これを求めていたのです。これは汗への魂の解放であり、風となる「癒し」です。
 また練習生もまだ少ないせいもありますが、リングでつねにミットを持っていただき、フォームの矯正をいただきながら、打つべし、打つべし、ジョー、明日のために打つのだ、ジョー、えぐるように打つのだ、打て、打つのだジョーの世界。心臓がドクドクと破裂寸前、肺臓は膨満し、全身から汗が吹き出し、頭頂からからも汗がしたたり落ち、目に入る。酸欠で世界がドクドク揺れ動いているのです。でも、最高っすよ。自分でも、日ごとにパンチのフォーム、キックのホームが美しくなるのが分かるっすよ。最高っすよ。
 会長は、昔はガルーダ・テツのリングネームで、キックボクシング界の戦士であり王者であらせられた。いま実に優しいコーチとして皆に接しておられる。柔道連盟の糞どもとは大違いの人格者であられる。入門した子供も女性も、会長のご人格をしたっている。もともと岡山のお人で、ほかにも6つのジムを持たれているのですね。テツ・ジムの日本制覇の一歩として大阪進出。まず関西制覇を目ざれているのですね。おおいに結構っすよ。国盗物語っすよ。まず、この京橋の新ジムの会員数100名達成からはじめてください。また、お聞きするところによと、3時からの練習ですので、それまでの時間をどう使うか、ジムの有効活用ができないか、お悩みですね。

 それについて、少し考えましたので愚見を述べさせていただきます。

 ①今の会長のビジネスモデルは、たとえば対象とする顧客層は、第一にプロ養成であり、第二にアマの練習生、メン、ボーイ、キッズですね。第三にキックボクシングでエクササイズをし、美容効果を期待するレディですね。
②それを会費制で行うことにより、ジムの経営を行う。それを原資にしてアマやプロの試合を主催する。

 すると、①のストックとフロー、集客数がすべてになりますが、どの程度期待できるのでしょうか。いまは三階ワンフロアですが、将来はこの四階建てのビル自体を買い取りたいとのご野心。それが達成できるでしょうか。他のジムは、どのような形でしょうか。そのモデルで経済的に成功した事例はあるのでしょうか。
ともかく、3時以降は、そのモデルで良いとして、ロスとなっている3時以前をどう活用するかが、会長のお悩みでしたね。おまかせください。老馬の知恵、老人ホーム業者の立場から、申しのべさせていただきます。つまり、キックボクシング・ジムの経営について、イノベーションの切り口があると考えているのです。
 じつは、ずっと考えておりましたが、新しい顧客層、キックボクシングの新しい社会的価値・効果に気づいたのです。それは精神運動療法施設として、心療内科のドクターと連携しがら、うつ病などの、体は健康であるが、心を病んでいる人の復活、再生施設としてジムの機能を社会に提供することです。

 うつ病に対する運動療法の治療および予防効果は、1980年代から数多くの研究報告があります。運動療法は、うつ病に対して、薬や認知療法、カウンセリング、作業療法などに勝るとも劣らない治療法なのです。また、運動に認知症の予防効果があることも近年多数報告されております。それどころか、薬が効かない人が、運動療法で改善したという報告もあります。
 米国などでは、うつ病患者に対して運動処方をするなどの運動療法を行っている病院もありますが、日本における精神科領域では、これまでは、本格的な運動療法を運動生理学にもとづいた科学的レベルで行うことは、なかなか行われずにきました。
これだけの効果が報告されている運動療法に、医学、科学に基づいて取り組む精神科・心療内科医療機関がなかったのは、なぜだったのでしょう? 年間自殺者数や長期休職者の増加など、「心の病」が大きな社会問題になっている現代なのにです。

 一つには、運動、スポーツをきちんと理解し、情熱をもって取り組む精神科医が少なかったこと。もう一つは、実際に運動をさせる方法論と施設がなかったことが、これまでの日本に本格的なレベルで運動療法を行う医療機関がなかった理由であると思われます。

 先週のジム練習後に、会長にWEBをお見せしましたが、東京に「広瀬クリニック新宿オーピー」という精神科クリニックがあります。なんと、このクリニックはキックボクシングの運動精神療法としての効果の大きさを認め、クリニック内に専門のジムをもっているのです。
このクリニックでは、キックボクシングを通して、一人一人に合わせた運動処方、運動療法を本格的なレベルで行っております。その詳細は、ホームページのYou Tube動画で、広瀬ドクターの講演「キックボクシングの効用について」で説明されています。薬物療法でどうにもならない患者が、運動療法で劇的に改善されることについて、広瀬ドクターも驚いています。だからこそ、クリニック内にキックボクシングのジムを多大な費用をかけてつくったのでしょう。その投資は報われそうな印象です。じつに素晴らしい取り組みです。

 さて、会長。あとは逆算です。広瀬ドクターは、精神医療に新しいイノベーションを創り上げようとしていますが、もう、ひらめきましたね。逆に、キックボクシング側としては、どうでしょうか。どう考えます?ドラッガーも「企業の本質は、マーケティングとイノベーションの二つに尽きる」といっておりますが。

 大阪にも精神科のある病院、心療内科クリニックは非常に多いのですが、院内にジムを持っている病院、クリニックなど有るはずもありません。そこで、会長とわがテツ・ジムの出番です。つまりですな、心療内科のドクターと連携し、新結合して、大阪においてキックボクシングを活用した精神運動療法システムを構築するのです。
 マーケットは、そうとうに広いと推測されます。心療内科とパイプを作るのです。産業医との連携も面白い。そして3時までの時間を、この新モデルでジム活用すれば、ずいぶんと経営、集客システムは安定しませんか。経営がカウンタブルになりますよ。二階建ての収益モデルが組み立てられますよ。この仕組みが、もし十分な需要を創造できるものなら、二階も四階も借りましょうよ。そして、ビルを買い取るのです。また、この仕組みを全国に展開して、テツビルとテツジムを全国につくるのです。会長は、キックボクシング界の平成の織田信長になるのです。あ、田岡会長でもかまいませんけど。全国を制覇するのです。

 いや面白いなあ。ひとりで面白がっていますが、そんなもんです。会長、この線でご健闘を。たぶん、うまくいきまっせ。もう少し考えを煮詰めておきます。テツジム全国制覇作戦。男の口から、全国制覇、日本制覇という言葉を聞くのは何十年ぶりです。ジムTシャツの神州男子のプリントは嘘ではないですね。それ、いい、面白い。面白いのが一番です。

 以上、僭越ながら、謹んで献策申し上げます。

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借金も美徳となる

 企業を運営する場合、金融機関とどのように付き合うか、距離感をもつかは、なかなか重要である。借金は悪であり、自己資金・留保だけで経営するのが理想だと考えている人も多いようである。個人においても可処分所得の範囲で何事も算段すべきであり、それを逸脱すれば、破産がまっていることになる。無借金経営こそ、理想の経営という次第である。

 これは哲学あるいは気質の問題である。

 国家規模でみるならが、国際収支における経常収支が赤字か、黒字かは、黒字がよく、赤字が悪いとは一概に言えない。お金が、国外にむかっているか、国内にむかっているかと捉えるのがマクロ経済学であり、国債の発行も、その効用を否定できない。

 お金を借りるときの核心は、「その借金により、将来的に返済が可能なリターンが得れるか」という一点である。
 現在のアメリカもそうだが、19世紀でも、アメリカでは毎年のように国際収支の経常赤字がつづいていた。鉄道や工場の建設が急速にすすんでいた時期であり、国外からの金融資本の流入が、爆発的に膨張するアメリカ経済の発展をうながしていたのである。1960年から70年代にかけての韓国も、大きな経常赤字をかかえていた。国外からの投資が、急速に経済成長に拍車をかけていたのである。つまり経済が十分なペースで成長しており、将来的にお金を返せる見込みがあるのなら、外国からお金を借りるのは合理的な選択である。

 逆に、経済成長が追いつかない場合は、これは悪い借金となる。1990年代から2000年代のアルゼンチンやロシアなどの国は、国際収支の経常赤字に経済成長がついていかず、借りたお金を返せなくなってしまった。

 これは国、企業、個人をとわず、あらゆる借金の原則である。

 企業が融資を受けて設備投資をするのは、その投資により生産性、生産規模があがり、返済に十分な収益が得られるということが前提となる。おちこんでいる工場を維持するための融資であれば、返せる見込みは低くなる。

 これは経営者の哲学というより、気質、性向の問題であろうが、わたしは以下のように考える。

 個人においても企業においても、可処分所得範囲内の借金が原則である。
 また、単なる消費、生産性・収益向上につながらない借金をしてはならない。

 だが、この可処分所得を考える時間軸・空間が、未来まで拡大できるなら、自社の収益の時間軸による調整が可能となる。今の収益を未来のために留保するのが「貯蓄」である。逆に、未来に見込まれる収益を、いま活用するのが「借金」なのである。自分のお金の「方向」がどちらか、である。

 伸び盛りの男の子たちは、ドンブリでご飯をかかわりする。オヒツは空になる。それが成長期の何年間であり、結構なことである。それは一時のものであり、ご飯を減らすより、親としては、質屋にいくか実家でお金を借りるしかない。というより、その時は借りるべしである。
 さらに、もし将来の収益を、いまの成長期に活用できる仕組み、社会的システムがあれば、つまりオヒツはいま空でも、伸び盛りの子供にドンブリ飯を食べさせられるシステムがあれば、どらえもんのどこでもドアではないが、未来のオヒツからもってこれれば、それをフルに活用するのは、これも合理的な選択である。それが、個人にも企業にも、銀行・金融機関という形で、システムが社会的に提供されている。おかげで、個人は、将来的な可処分所得を前提に、自分の所得を前借りして、住宅ローンという形で家が買える。企業は設備投資ができるのである。

 ここは物の考え方だが、したがって、一見、他者である銀行から借りているようだが、そうではない。借金、融資は、未来の自分から借りているのである。未来に見込まれる収益を、すぐに必要としている今に、計画的に移転させているだけなのである。未来の自分から今の自分に融資ではなく、融通・移転しているのである。自分のお金の動く「方向」である。
 銀行という金融システムは、ある意味、魔法の杖ともいえる。未来の自分のお金を、今の自分に融通させることのできるシステムなのである。もちろん、その手数料は必要であろう。それが利子であり、これはとうぜんのことである。
 そう考えれば、借金イズ・ビューティフルとまでは言わないが、これは正面から向かい合い、活用すべき社会の仕組み、金融のシステムである。家庭の成長と企業の発展を支えているからである。

 したがって、経済危機においてどの国も銀行を守ろうとして国民の怒りをかうが、それは意味のないことではない。資本主義社会において、お金という血液の大動脈は守られねばならない。国民生活を犠牲にしても守られるのがそのシステムである。

 個人にも企業にも、春夏秋冬、いろいろな季節がある。耕す季節もあれば、夏の草取りもあり、穫り入れる季節もある。その見込み、見通しがたつのなら、天気もよく、作柄もよいのなら、将来の自分のお金を、今の自分に融通・移転することは、これは合理的な判断なのである。まして、この低金利時代であり、数%のコストで、農地を増やし、未来収益の現在への移転が可能になるのであるから、なおさらにである。

 この考え方もあるのですよ。経理担当のみなさん。哲学的にも問題はない。単期の決算は、もとより重要です。でも長期の事業計画も重要なのですよ。タネもシカケも、あるのです。一年で考えれば、いろいろあるし、とくに成長期は腹が減るものですよ。ドンブリご飯の時代なのです。とくに重税国家における納税の時期は、頭の痛いこともおおいでしょう。ご安心を。だいたい満腹していますので、もうドンブリご飯は卒業の年齢です。
 銀行融資の元金を利益として計上せねばならない税制の仕組みで、あちこちで黒字のお父さんがおおいらしいからね。でも、伸び盛りの子供には食べさせるしかないのです。いまは、そんな季節です。行く雲、流れる水、すぐに季節は移りかわります。

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仕事の哲学を読む

 ドラッガーは、あまりに漠然とした部分が多いが、でも、なるほどと感心させられる言葉が多い。学校の教科書が正しいという意味で、正しい。書名は「仕事の哲学」である。ドラッガーがこの本で説くのは、知的活動の主役である人間を十分に活性化させることの重要性である。組織全体が活性化するためにも、トップは最高の成果をあげられるような仕組みを確立すべきであると述べる。彼のさまざまな本の言葉があつめられている。

以下は、Webで見た書評からの整理引用である。わたしの理解と記憶のためである。

★成果をあげるための五つの能力
成果をあげるための実践的な能力は五つある。
第一に、何に自分の時間がとられているかを知り、残されたわずかな時間を体系的に管理する。
第二に、外部の世界に対する貢献に焦点を合わせる。
第三に、強みを中心に据える。
第四に、優先順位を決定し、優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中する。
第五に、成果をあげるよう意思決定を行なう。
・・・・・・・・『経営者の条件』

★自らの強みに集中せよ
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである。 無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。
・・・・・・・・『明日を支配するもの』

★価値観に反する組織にいるべきではない
得るべきところはどこかを考えた結果が、いま働いているところでないということならば、次に問うべきは、それはなぜかである。組織が堕落しているからか、組織の価値観になじめないか らか。いずれかであるならば、人は確実に駄目になる。自らの価値観に反するところに身を置くならば、人は自らを疑い、自らを軽く見るようになる。
・・・・・・・・『非営利組織の経営』

★心地よくなったら変化を求めよ
日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行なうよう自らを駆り立てる必要がある。
・・・・・・・・『非営利組織の経営』

★上司をマネジメントする方法
上司をいかにマネジメントするか。実のところ、答えはかなり簡単である。
上司の強みを生かすことである。 ・・・・・・・・『経営者の条件』

★エネルギーとビジョンを創造する
真のリーダーは、人間のエネルギーとビジョンを創造することが自らの役割であることを知っている。
・・・・・・・・『未来企業』

★優先順位決定のための四つの原則
優先順位の決定には、いくつかの重要な原則がある。すべて分析ではなく勇気にかかわるものである。
第一に、過去ではなく未来を選ぶ。
第二に、問題ではなく機会に焦点を合わせる。
第三に、横並びではなく独自性をもつ。
第四に、無難で容易なものではなく、変革をもたらすものを選ぶ。
・・・・・・・・『経営者の条件』

★廃棄が新しい仕事を進める
古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを協力に進める唯一の方法である。アイデアが不足している組織はない。創造力が問題なのではない。せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題なのである。みなが昨日の仕事に忙しい。
・・・・・・・・『経営者の条件』

★時間からスタートせよ
成果をあげる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間をとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく、時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして最後に、得られた自由な時間を大きくまとめる。
・・・・・・・・『経営者の条件』

ドラッガーはこの知識社会において、人が考えること、知的創造作業に時間を割き、集中することを説いている。以上、整理と要約。

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ダイソーの矢野氏

 わが社は1999年の創業である。その頃に、新聞のインタビューでダイソーの矢野社長の記事を読んで笑ったことがある。矢野氏は、いつ会社がつぶれるかと常に不安で、夜うなされて、突然に飛び起きたことが何度もあるとか。寝るときも、朝になったらつぶれていないか不安でしょうがないとか。まったく同感したものだ。その頃のダイソーは面白い会社と思ったが、今は巨大企業である。

 雑誌を整理していたら、2011年1月の経済誌に矢野氏のインタビュー記事があった。その広島弁がおかしいのだが、読んでいて、その現場で叩き上げた感覚と、時代を感じる意見にはげしく同感した。以下、口調をまねて、その内容を整理してみる。

 ワシは経営計画などつくったことがない。足元を固めるので必死だったけえ、先を考える余裕などありゃせん。行き当たりばったりで、気がついたら大きくなっていた。ワシは、むしろ会社を大きくすることには消極的じゃ。それだけ固定費や在庫が膨らむけえ、経営が傾くリスクも大きゅうなる。手放しで喜ぶようなことじゃない。
そもそもワシは、会社というものは、いつかはダメになると考えとるんよ。だから、その日を少しでも先に延ばしとうて、何とか頑張って、そんな思いでやってきた。その根本的な考え方は、今も変わっとらん。

 会社が永遠に成長し続けるなんてありゃせん。それは二十世紀だけに許された価値観で、いまはもう通用せんと考えたほうがええ。二十世紀の後半は、いいことだけが起こり続けた特異な時代だったんよ。土地を買うにも、モノをつくるにも、とにかく強気で攻め続けた人が儲けよったし、五百坪の店を出すより、千坪の店を出した人が儲けよったし、千坪の店を一つ出すより、二つ三つと出したほうが儲かった。

 ところが二十一世紀は、まったく違うんよ。時代が変わったんよ。人口が減り始め、市場も縮小していっとる。いまの不景気も一時的なものじゃのうて、飛行機がダッチロールしながら墜落するように、経済が縮んどるんよ。いままでと同じ感覚で商売しても、うまくいくわけがない。

 二十世紀が「攻め続ける時代」なら、二十一世紀は「守り続ける時代」になるじゃろうね。

 野球でもなんでも、攻めとるときのほうが楽しいけど、いくら攻めても、それ以上に失敗するのが、いまの時代なんよ。こういうときは、いくら単調でつまらんと思っても、徹底的に守備の練習をしたほうがええんよ。経営でいうなら、会社を大きゅうして成長を目指すのではのうて、とにかく足元を固めて倒産しないことに全力を注ぐ。そうでないと、これからは生き残れないと思うんや。

 こりゃ、働く人にとっても同じじゃろう。人よりたくさん稼ごうとか、あいつより出世したろうとかいうのは二十世紀の価値観じゃ。いまは「勝つこと」じゃのうて「生き延びること」を考えることが必要なんよ。周りがバタバタ倒れるなかで、生き残っていれば、それだけで儲けものじゃ。勝ち負けはどうでもええ。生きるか死ぬかの時代になったことを、ワシらは自覚するべきじゃ。

 ワシは、世の中が好景気で浮かれているときも、株や不動産には手を出さず、ひたすら本業に集中して、今日明日を生き延びることだけを考えとった。「いつか潰れる」とおびえながら経営しとった。「いいことは長く続かない」「そもそも悪い状態があたり前」ということを経験から知っとったからじゃ。いろいろあったんじゃ。

 いま振り返ると、ワシの仕事人としての人生は、苦い思い出ばかりじゃ。その繰り返しで「自分は運がない」「能力がない」ということをつくづく思いしらされたんじゃ。でも、結果的にそれが良かったと思うとるんよ。何をやってもうまくいかんけえ、将来にたいして不安だらけじゃ。運が上向くと思うたら、不安を抑えられるんじゃろうが。じゃが、自分は運が悪いと思うとったから、その不安を跳ね返すためには、とにかく日々の努力を重ねるしかなかったんよ。じゃから、今のダイソーがあるんよ。途中で気ぬいたら、バブル崩壊やいまの円高のような危機に耐えられんで、消し飛んだと思うんよ。じゃから、会社が成長した理由を聞かれても、ワシはわからん。じゃが、毎日、不安におびえながらよ必死に頑張っただけじゃ。そうやって、成り行きで成長しとったというのが実感じゃね。

 人間の健康でもそう。もともとからだが弱い人は、食事や運動に気をつかい、健康診断も頻繁に受けるわな。じゃが、自信のある人は、そこにあぐらをかいて不摂生して、いざ体調が悪くなってら、もう手遅れなんよ。そう考えると、恵まれてるいることは、けっして幸せではない。健康に恵まれず、つねに不安がある人のほうが長生きすると思うんよ。
 ワシは、無理して明るい展望を描くより、心のなかから湧き上がる不安を大事にしたほうが、努力につながると思うんよ。将来に不安を感じるのは、人間だけじゃ。ライオンやトラは、いま腹が減るから狩りをするだけじゃ。人間は、明日のことを考えて食料を保存する方法を考えたり、来年も食うに困らんよう作物を植えたりする。こうした知恵を働かせるのは、人間が将来を怖がる生き物だからじゃ。せっかくそうした感性があるんじゃから、格好つけずに、将来を思う存分怖がればええと思うんよ。不安が強いほど、努力ができるはずじゃからね。

 矢野さん、いいこと言うなあ。その通りじゃけえ。
あんたと居酒屋でおでんつついて、その愚痴を一晩ききたいもんじゃ。
あんたは、活眼の持ち主じゃ。
 どこに行っても、成功を教えるところは多いが、失敗を教えるとこはないなあ。ここが大事なのになあ。
上り坂の上り方を教えるところは多いが、下り坂を、どう転ばないように下るか教えるところはないなあ。ここが大事なのに。
 孫子の兵法も、ある意味そうだ。あれは「必勝」の教えではなく、「不敗」の教えなのだ。勝つことではなく、負けないことがテーマだ。機動戦をおこなって敵を徹底殲滅するクラウゼビッツではなく、陣地戦のなかで前線を均衡に持つ込むリデル・ハートなのだ。

 矢野氏は、二十一世紀は、縮みつづけて、おおくの商売人が倒れていく時代と認識しているようだが、まったく正しいのだろう。同感。日本は、二十世紀後半の上り坂、司馬遼太郎の「坂の上の雲」がヒットしたような時代から、つまり後進国・中進国から先進国への時代から、二十一世紀は、先進国としての適正な「身の丈」に調整される、つまり二十一世紀前半は、坂を下りつづける時代になるのだろう。祇園精舎に鐘はなり、生者必滅、世は吉凶あざなえる縄。ピークアウトするのだから、一度は英国病を経るしかないのだ。そのなかで、どう再生させ組み立てなおすかが課題のはずだが。
アベノミクスなどという造語で、ありもしない坂を上りつづけようというのは、自滅の道だろうなあ。物価を上げれば景気がよくなるだと。矢野さんも、そう思うだろ。アホな。坂道をどう下るかを、矢野氏的にしっかり見つめて、倒れない努力をつづけるのが筋なのに、成長幻想で市場は盲動しているのだろうなあ。まずいなあ。

 矢野氏のいう「二十一世紀は、まったく違うんよ。時代が変わったんよ。人口が減り始め、市場も縮小していっとる。いまの不景気も一時的なものじゃのうて、飛行機がダッチロールしながら墜落するように、経済が縮んどるんよ。いままでと同じ感覚で商売しても、うまくいくわけがない。二十世紀が『攻め続ける時代』なら、二十一世紀は『守り続ける時代』になるじゃろうね」との言は、まったく正しい。はげしく同感。その流れに棹ささず、流れにどう従うかが、まずは囲碁で言えば、死活となる筋目だろうなあ。
二十世紀後半のヒット小説が「坂の上の雲」なら、二十一世紀後半にヒットすべき小説の名は、「坂の下の湖」だろうか「坂の下の砂漠」だろうか。まあ、そんなもんだろうなあ。大学院に矢野氏を招聘して、不安学、失敗学の講座をもうけるべきである。もっとも重要な人間の叡智であるから、これは必須講座である。まあ、若者の発想ではなく、いわば老人、老馬の知恵あつかいされるだろうが。

 しかし、ケインズやウォール街でいうアニマル・スピリットは、あれはライオンやトラをイメージしているのだろう。強者だな。そうではなくて弱者、ウサギやシマウマのような弱い動物の生存のためのアニマル・スピリットもあってよいのではないか。ウサギは、遠くの音をいちはやく感知するために長い耳をしている、シマウマは体に群れの迷彩をほどこし、逃げるために発達した脚をもつ。ライオンやトラにはない、鋭く発達した危機感覚をもつ。群れをつくる力ももつ。餌を貯める小動物もいる。防御に適した巣もつくる。ライオンやトラにはないアニマル・スピリッツである。強者のスピリッツもあれば、弱者のスピリッツもあり、それはけっして強者のそれに劣らない。ともに戦う知恵があるのだ。そういうことだ。攻撃しか知らないライオンの強さが、捕食に依存する刹那的なライオンの弱さであり、襲われるウサギの弱さが、自然から採食し、持続し固く守りつづけるウサギの強さとなる、ということだ。

 ここで、ひと理屈組み立てられそうだ。本でも書くか、題名は「弱さこそ勝利への道」だな。それから、社長業のかたわら某国立大学のMBAに行っているまるまるさま、ビジネススクールで絵空事を学ぶより、矢野氏のカバンもちをしたほうが、その感覚・感性・皮膚感を盗んだほうがええんやけどねえ。

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インパールなのだろうか

 いざインパールへか。昨年末に成立した安部政権は、現在、高い支持率をほこる。世襲三世議員である安部氏は、それまで、とくに経済問題に対する意見、見識は無かった筈であるが、昨年末から、おおいに経済通として自己演出し、マスコミも彼の卓抜した経済運営能力を讃えだした。株価が上がった、円が安くなったと。 アベノミクスである。

 日本の社会保障制度の維持可能性について、老人ホーム事業者として、長期銀行融資借入契約者として、すこし心配している。安定した形で、これからの高齢化社会を支えて欲しいものと願っている。言葉を換えれば、日本の国家財政が安泰である事を強く願っている。我が社は、業界は、制度内で生きる事業者、業界であり、行政リスク、制度破綻リスクに敏感にならざるを得ない。財政と金利の動向は、老人ホーム事業者にも、大問題である。

 すこし整理しよう。以下、個人的「お勉強」のメモである。文章にすることで、自分の脳内を整理するためであり、社会的意見ではない。自分が何を漠然と考えているかの見える化である。誰のためでもない。ご意見は無用である。

 そのアベノミクスの政治任命として、今までの日銀路線を否定する形で黒田総裁、岩田副総裁が選ばれた。それまでの、部外者としての反日銀的言動が好感された訳だ。アベノミクスの家庭教師も、脱藩官僚と在米のリフレ派研究者だそうである。
 まあ、私の直感からすれば、日本はその重要な政治の柱の一つである金融部門において、黒田リスク、岩田リスクを負うことになった、と思う。リフレ政策は、有効性を確認されたものでは無い。反リフレ派の研究者は、有効性はなく、逆に経済と財政に害を及ぼすとする。しかし、検証されなくてもかまわないサラリーマン研究者間の論争、机上の二択ごっこならともかく、政策は、日本の将来を決定する現実的な、血が出る丁半博打である。
 そして、日銀総裁が、日本の金融、「円」の番人であるならば、変化する世界情勢、国内の変動に対して、機敏に自らが変身し、最適解を出し続けねばならない筈である。その変身のスピードが、事の成否を分けるだろう。金融市場も株式市場も、ランダム・ウォークするのであり、「円」も国際商品の一つであるからである。株が誰にもコントロールできないように、通貨・為替も誰にもコントロールできない筈である。だから、機敏に変身しつづけるしかないのは当然であると思う。
 リフレ政策が有効かどうか、まだ決着はついていないのに、だが、黒田・岩田組は一つだけの立場、解、リフレ政策に「固着」せざるを得ない。つまり一つ覚えをつづけるしかない。途中で仮に内心では破綻に気づいても、自分が言い出したことである。間違ってましたとは、これは言えない。転進、撤退、和平、降伏は出来ない。それは、自らの職業的人生、自らの全存在の破綻となる。変身は、とても出来ないのである。その彼等が、「円」の担当者になったのである。

 作戦起案者は、戦況がどのように悪化しようとも、前線に突撃は命じつづけるものだ。拳銃自殺の覚悟でもないかぎり、自らの作戦の変更、否定はしない、出来ないのである。歴史にも、そのような例は、ほとんど無い。
 これが、私が思至った黒田・岩田リスクである。本能的に確信しているが、何年後ではない。すぐに来る。彼らは博打打ちでもないのに、おそらく博打の経験もなく、賭博の勘と勝負根性をみがいてもいないのに、鉄火場の仕切り人になって「しまった」のである。

 直感的にだが、そう答えは出た。次は、なぜ脳内が動いたかを、すこし考えよう。

 岩田副総裁は、就任会見でミルトン・フリードマンの「デフレは貨幣的現象だ」との言葉をを引用して、リフレ政策の有効性を強調した。古典的な「貨幣数量説」の立場である。大胆な金融緩和で貨幣の量を増やせば、貨幣の価値はさがるが、物価は上昇しデフレからは脱却できるという主張である。
 これは18世紀に登場した単純な理論で、世の中のモノの量は変わらず、お金の量だけ二倍になれば、モノに対してお金の価値は下がり半分になる。つまり物価は二倍になる。
 話しは分かるが、もし理屈遊びではなく実際の政策とした場合は、社会・国家・市民生活の基礎であるお金の値打ちを潰すことにより物価が上がるという、飛んでも政策である。
 お金の値打ちが下がって喜ぶのは、今の額面で金を返せばいい多重債務者だけである。彼らは、デフレは苦痛であり、インフレ万歳、あるいはインフレ熱烈歓迎である。私でも、借入金利が固定されており、借入金の額面がそのままで実質目減りなら、でもインフレにより返済が楽で収益が数字的に増えるのであり、そりゃ楽でしょうよ。インフレで苦しむ殆ど大多数の皆さん、御免なさい、だが。

 この古い考え方を、フリードマンが再評価し、1970年代から先進国の金融政策に取り入れられるようになった。ただそれは、今の日本とは真逆で、デフレ対策ではなく、過剰なインフレを抑制するためだった筈だが。
 リフレ政策は、昨年末の安倍氏の選挙公約で知られるようになったが、リフレーションというのは要するにインフレのことで、「インフレ派」というのは格好が悪いので、こういう名前にしたそうである。こんな奇妙な「派閥」が存在するのも日本だけだそうである。
 彼らの主張は「日銀がお札を刷ってインフレにすれば、日本はデフレから脱却できる」というものだ。これは日本のオリジナルではなく、先生がいる。1998年のクルーグマン論文である。
「It’s Baaack! Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap」復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲という元気のいい題名である。

 目次は、
1 はじめに2
2 流動性トラップの理論再訪
2.1 一般的な配慮事項
2.2 マネー、金利、価格:最小限のモデル
2.3 価格が柔軟な経済での流動性トラップ
2.4 ヒックス式の流動性トラップ
2.5 投資、生産資本
2.6 財や資本の国際移動
2.7 金融仲介業とMonetary Aggregates
2.8 財政政策
2.9 信用性と金融政策
2.10 まとめ
3 日本のはまった罠
3.1 日本の停滞
3.2 貯蓄と投資
3.3 銀行の問題
3.4 政策的な手だてとそれぞれの帰結
4 むすび
 となっている。彼の論理は単純で 池田信夫氏の整理を流用すると、
1. 日本の不況の原因は「貸し渋り」ではなく、投資需要が低くて自然利子率がマイナスになっていることだ。
2. 名目金利をマイナスにすることはできないが、インフレを起こせば実質金利(名目金利-物価上昇率)はマイナスになる。
3. しかしゼロ金利では国債と貨幣は同じになるので、いくら貨幣を供給してもインフレにはならない。
4. 中央銀行がインフレ目標を設定して「4%のインフレを15年間続ける」と宣言すればインフレは起こる。
というものである。この3までは正しいが、問題は4である。日銀がインフレを起こす手段をもっていないことはクルーグマンも認めているのに、クルーグマンはなぜか「日銀が約束すればインフレ期待が起こる」という。では日銀が期待を変えるメカニズムがはっきりしていなければならないが、クルーグマンのモデルでは期待は外生的に所与なので、中央銀行が変えることはできない。モデルとして破綻しているのである。

 これは日銀の白川元総裁も指摘し、「クルーグマンの理論には論理的な『穴』があるので、日銀としてはとりえない」というのが当時の総裁ふくめて日銀担当者の結論であった。

 ふつうに考えて破綻した論理であり、クルーグマンとそれを日本で受け売りした経済学者らの主張は日銀に無視され、学界でも忘れられた。だが、最近の金融危機でまた注目を浴びる。10年前の日本と同じ「デフレ・ゼロ金利」という状況がアメリカに出現したからである。しかし、かつて日銀に「インフレ目標を設定しろ」と迫ったバーナンキは、まったく人為的インフレ政策に言及しないし、日本のリフレ派の学説的な根拠であるクルーグマン自身は”There’s no realistic prospect that the Fed can pull the economy out of its nose dive”と金融政策の無効を宣言してしまう有様。その後、彼は1998年の論文の話をしない。かつてインフレ目標を推奨したスティグリッツも、「インフレ目標なんかやめろ」と言い出す始末。

 すっかりハシゴをはずされた日本のリフレ派は四分五裂状態となり、教祖の岩田規久男氏もリフレをまったくいわなくなったそうである。彼らの学問的な信用は失われたのだが、ここで拾う神あり。つまり、総選挙を前に、なにか目玉的な派手な政策を求めていた安部氏である。彼は、誰か家庭教師の知恵で、これに飛びついた。

 こうして安部氏が政権奪取後、成り行きであり、反日銀の黒田・岩田氏が正副の総裁となる。そして、岩田氏は副総裁就任の会見で、この政策は、フリードマンの理論を根拠にしているとの趣旨の発言をする。自分の研究成果ではなく、「アメリカの学界の権威」がそう言っているというのである。自前の理論も実証データもなしに、である。

 最近、経済学のお勉強をしている。わたしも、中小零細事業者として「最適化された個人」になりマクロの「金利」変動と、親亀の背中の小亀として「財政」を考え、「負の外部性」から逃れる用意をせねばならないから、なにがなにやら、あれやこれやで、ともかく大変である。

 マクロ経済理論は、一国の経済の状態の分析、政府や中央銀行の財政・金融政策はどうあるべきかを研究する分野である。
 大きく分けると、一つはアダム・スミス以来の伝統的な市場経済を信奉する新古典派経済学の考え方がある。市場経済が効率的な資源配分を実現し、競争市場においてすべての個人がよくなるとする。そして経済自由化と競争を推進しようと考える。また、世の中への貨幣供給量が物価変動に影響を与えるという「マネタリズム」という考え方を持ち、「インフレとはいついかなるときでも貨幣現象だ」と述べる米経済学者のフリードマンが主唱した。

 もう一つは、市場メカニズムの有効性を疑問視する見方である。ケインズ経済学である。ケインズは自由放任の市場では経済が行き詰るとし、政府による経済政策の有効性を説いた。有効需要(貨幣的裏づけを持つ需要)の不足を刺激するための財政政策の理論的基礎となっている。

 つまり、マネタリズムとケインズ経済学は「水と油」である。そのため、あらゆる経済問題において賛否両論があり、経済学者の提言も、十人十色であり、まったく異なる主張がなされる。
 40年前のマクロ経済学はケインズ経済学であった。資本主義経済は自由放任では時には機能不全を起こすため、財政・金融政策で補完することを考える経済学である。当時、それに反対する米経済学者がフリードマンであり、自由放任で市場はうまくいくとし、裁量的経済政策を批判した。この考え方は、米経済学者のルーカスらによる「合理的期待」理論などを通して、現在では各国のマクロ経済学の主流になっている。
 合理的期待理論の世界では、家計や企業など人々の将来に対する「期待」に働きかけることを、政策効果を波及させる重要な経路としている。人々が将来、インフレを期待するとなれば、インフレが実現する、とする。日本の「リフレ派」はこの影響下にある。デフレからの脱却のために「大胆な金融緩和」によって人々にインフレ期待を生じさせようと考える。これがアベノミクスの金融政策である。

 もちろん、二つのマクロ経済学は、どちらも理論であり、仮説である。アベノミクスのリフレ政策を疑問視する経済学者は、合理的期待の概念は、株式や為替、穀物などの一次産品の市場では有効で、金融政策はこうした資産市場には影響を与えられるが、モノ(実体)市場では、金融が緩和されてもモノやサービスの価格がすぐに変わるのではないとする。デフレの鍵は、ながくつづいた賃金の下落にあるのであり、また、技術の革新とグローバル化による供給自体の過剰にあるのだと見る。企業間の競争も激しく、世界的に物価は上がりにくい状況であると。また日本はもともと他国と比べて物価が高すぎるのであり、企業も競争力を挙げて価格を引き下げようと努力してきたのである、と。ゆえに、金融政策でデフレ克服はできないと論じる。だが、リフレ派は、インフレ目標をたて、インフレ期待を喚起し、量的緩和と国債の日銀買取りでデフレが克服できる、これは、やってみなければ分からないとする。

 経済誌等は、これを「偽薬」効果と表現することもある。偽薬でも、効くと「期待」し、そう信じれば効くプラセボ効果があるからである。しかし、正薬と思い込んで偽薬を飲んだ場合に効くのであって、偽薬とはじめから知っていれば、これは効くわけもないのであるが。
インフレ論争は、「効果が出る仕組みが解明されていない薬」を投与するかの議論と似ているとされる。「一度は試してみて副作用がでれば対応すればよい」と考えるか、「仕組みが解明できていないのに投与するのは無責任であるし、仮に副作用が出たら重大な危険をともなう」と見るかで、これはもう思想・哲学の問題というより、丁か半かの世界である。
 もちろん、アベノミクスはインフレを起こすことのできない偽薬であっても、偽薬にも場合によっては効果があるので、副作用がなければいくら出してもかまわないが、日銀による国債の大量購入は、将来の日本の財政に甚大な被害をもらたすとの予測も多いのである。それに2%のインフレ目標を設定しているが、各国でのインフレ目標はインフレを抑制する目標であり、安定している物価を引き上げる目標を設定した国はない。日本のインフレ目標は、インフレを抑制する政策ではなく、無理にでもインフレを起こすという真逆の発想である。
また、どうやって物価を引き上げるのかという手段が不明だ。これまで日銀が10年以上やってきた量的緩和でインフレは起こらなかった。普通、量的緩和はすべて無効だというのが学界の結論のようであるように見える。また元財務官の榊原氏のように、日本はデフレではないという論者もいる。このミスター円は、今の円の水準は適正であると言う。

 新しい日銀の正副総裁は、今までの日銀を執拗に批判することで今の地位を獲得したが、そのリフレ派発言、つまりインフレ化発言の主張にそって過激な「異次元」の量的緩和が行なわれると、通貨の信認が失われて国債や円が暴落する(金利が上昇する)リスクがある。暴落を防ぐために日銀が通貨を供給すると高率のインフレになり、それを引き金に銀行が国債を売り逃げると財政が破綻し、金融システムが崩壊するとの意見も多いようである。
経済誌は黒田路線を「壮大な実験」と表現する。実験か。その理論の実証データがじつはなく、とりあえずGOであるから、実験である。つまりギャンブルであり投機である。典型的な投機的政策であると考えても、おかしくは無い。

 安心感のない、ややこしい話である。

 わたしの立場は単純である。銀行の長期融資を受けている老人ホーム業者として、日本の財政つまり社会保障制度の維持可能性と、融資返済における「金利」が将来どうなるか、場合によっては社会保障制度が維持できなくなり、金利が激しく暴騰しているのではないか、それを怖がっているだけである。トリッキーな意見が、日本の財政や銀行を痛めつけること、そしてわが社を痛めつけることを勘弁してほしいだけである。
経済学の再勉強をしている理由も、そこにある。薀蓄のためではない。リスクがあるならば、事前にそれをヘッジできる体制を組まねばならないからである。

 と言っても、それを十分判断できる力も情報も無い。また生兵法をふりまわすのは、危機対策としては宜しくない。
 ずっと日経新聞と経済3誌を購読し、継続的に読み続けてる。日経新聞を信用している、経済誌を信用しているというわけではない。バブル期の日経新聞や経済誌を今とりだして読み直せば、バブルを煽るとんでもない記事や間違い分析だらけで、バブルの戦犯的な内容にあきれる。
 でも、日経新聞と経済3誌を長年読み続けていると、だいたいこの人の言うことなら信じて良かろうと言う論者がいる。その逆に、この人物あるいはこのような立場の論者の場合は逆バリだなという論者もいる。まあ、経済学者も経済評論家も論者となっている投資会社、証券会社のメンバーも、もとはバブルを煽った人物ばかりであろうが、それでもあれから20年。何人かは信用できそうである。

 その一人として、東洋経済誌での野口悠紀雄氏の意見を常にベンチマークしている。つまり、その言説を素直に信用している。そして、そのフレームで見ようとしている。
 氏は、明確にアベノミクスを否定する。たしかに株はあがっている。破綻寸前のシャープの株が、4割あがったそうである。パナソニックの株も上がったそうである。異常であると。実体経済とはなんの関係もなく株が上がっていると指摘する。つまり株式市場と実体経済は、連動しない、別であると説明する。日本の代表産業である鉄鋼産業をみても、高炉4社すべて収益が激減しているのに、株価は大幅上昇している。氏は、まるで不思議の国のアリスになった気分だという。赤字企業でも「株価が上昇すると期待されるから」株価は上がる。これはバブルのメカニズムだと氏は言う。また円安でも、現在の実データでは輸出高は、逆に減少していると氏は説明する。すでに日本は貿易収支が赤字化しており、円安は輸入価格を高騰させ、日本経済の打撃となるとする。この野口悠紀雄説に一票を入れる。
 なるほど、そもそも、日本は貿易収支で入りと出が均衡している為替中立国であり、円高でも円安でも、メリットを受ける業種とデメリットを受ける業種の双方があり、どちらでも良いといえば、良いのである。トヨタは円安がよいであろうが、電力会社は円安は困るわけである。まあトレードオフだ。為替中立なら、円安も円高も、まあプラス・マイナス・ゼロである。円安でもよいわけである。円高でもよいわけである。しかし、恒常的に赤字状態になると、円安は不利になる。インフレ誘導、円安政策は、これは落第となる。
 新日銀の正副総裁は、特定の、つまりフリードマンやクールグマンの仮説で金融政策をいじり、その結果、実体経済にダメージを与えるのではないかという印象を感じる。安部政権により株式・為替、つまり株が上がり、円が安くなったとマスコミは讃えている。しかし資産市場は、欲の皮である。利食いの「期待」で動くが、実体経済は、それとは切り離されている。株式市場のランダム・ウォークは、マネーゲームの常態であり、それは政策の結果ではない。破産寸前のシャープの株が高騰しているなど、まともではない。なにか、よくないような気がする。

 世界の戦史上最も愚劣と言われるインパール作戦だが、だれの目にも敗北が明らかでも、だれも「中止」という言葉を出せなかったそうである。ビルマ方面軍の河辺司令官と、作成の主導者である牟田口軍司令官の惨敗の認識があった後での会談でも、牟田口軍司令官は、自分の口から言えずに、わかってくれて「誰かが言って欲しかった」そうである。「抗命」し、牟田口軍司令官を斬り殺すつもりでおいまわした佐藤中将は、精神病として隔離された。
 そのまま、作戦は延長されて、さらに甚大な被害をだし、10万の出動兵力のうち生きて帰ったのは3万。退却路には死体がかさなり白骨街道と呼ばれた有様である。

 周囲の反対を押し切り、やってみねば分からないではじめた作戦で、しかし作戦を主張した当事者として、止めろと「誰かが自分の心を察して言って欲しい」が「自分の口」からは言えないのである。戦後になっても牟田口氏は、失敗を部下の責任にし、自己正当化に熱心だったそうである。

 そして岩田副総裁は、就任の会見において、もし2年後に失敗していたら、その時は辞任するそうである。なぜなら、辞任が最大の責任の取り方だそうである。最大の責任の取り方は「割腹」でしょう。中小零細のオッチャンでも首をつる覚悟はある。その時は、日本は惨憺たることになっているはずだから、それをほっとらかして「転職」はないだろう、と思う。奇怪な就任発言であり、サラリーマン学者の性格がよく分かるエピソードである。

 これは、丁半博打の世界以外の何者でもない。これから「壮大な実験」つまりギャンブルが、日本経済と社会を賭け銭として始まる。わたしは「野口悠紀雄説」をとる。「半」にはり、それを前提に未来予測するが、この黒田・岩田リスクを、つまり自分達の言い出した硬直した政策、変更できない政策を抱え込んでインパールに出撃するリスクに対して、それをヘッジできる用意が、政府内にも準備されていない印象である。
「リフレ一本槍」で、ランダム・ウォークするグローバルな株式、変動をつづける為替市場、国際情勢に対応できるはずはなく、「変化のスピード」こそ最重要なのに、特定の仮説をもとに「決して変化しない」ことを宣言して、そのとおりにするしかないのであるから、「半」の予想勝率は、高そうである。

 「壮大な実験」だそうだが、でも目の前で、このような経済理論が試される実験場ができて、ひさしぶりに勉強できた。他国の経済学者も、日本のひとり人体実験を、興味津々で凝視していることだろうなあ。どちらにせよ、結果は出る。どちらに転んでも、とりあえず経済学理論の発達には、研究材料、実証データとして貢献できるだろう。
 さて、老人ホーム事業者としては、具体的にどうしたら良いのだろう? 私的予測では、まあスタグフレーションかなあ。ではどうするか、これが次の課題か。脳が「流動性の罠」にはまり込み、なかなか整理がつかない状態ではあるが。もちろん負の外部性とやらの問題もあるが、団塊世代としては、超ミクロ的に自分自身の耐用年数も重大テーマである。大丈夫かいな。

 とりあえずは低金利に押さえ込まれそうである。これは結構。しかし、この政策が明確に失敗したとされた時期から、一気に高金利が予測されるなあ。そういうことか。もちろん日本中が打撃をうけるだろうが。その時に、日本の社会保障制度の給付水準は、どう見直されるのだろうか。でも、どう対策しておけばよいのだろうか。あまり手は無い気がするが、まあ、ゆっくり考えよう。

 昨年12月の日銀短観では、全産業の利益率はせいぜい3%のようである。これは金利を払い、デフレ・インフレを気にしながら、コツコツと物づくりしてもしかたがない利益率である。3%では、首皮一枚。借金してまで事業・生産を拡大しようとする中小企業者はいないだろう。
 融資にあたっては、常に個人連帯保証をとられる。つまり最悪自己破産を想定せねばならない。3%は、そのリスクをテイクできる利益率ではない。この数字を前提に、事業計画など立てられない。3%のために、家族を路頭にまよわせ、自分は松ノ木にぶらさがる覚悟を決める経営者は、どこにもいない。アベノミクスが本気ならば、本丸はここなのだが。六重苦を解消し、産業を活発化させることこそ、最優先のはずである。規制緩和は時間がかかる。「三本目の矢」はここのはずなのだが、あまり期待できないのはなぜだろう。いくら政府部内で会議をしようと、画期的な新産業など、急にはできない。絵に描いたもちである。とつぜんにアップルもサムソンも生まれてこない。既存の産業の活力を高めるのが優先なのである。労働法と法人税の桎梏から、産業人を解放させることが、日本産業全体を一気に底上げすることになるはずだが。韓国はIMF危機に際して、建築の容積率をおおきく緩和した。その結果、建設・不動産業界が一気に活性化したそうである。この呼吸なのだが。まあ、だめだろう。しないだろうな。でも、してほしいなあ。

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アベノミクスだとか

 よく中小企業経営者とお茶をする。政権交代した。その新政策への反応は、たとえば不動産業者と製造業者では違う。不動産業者は、じつは眉に唾をつけながらも、たとえ短期でも上昇が見込めるとの期待感を持っている。この20年、日本経済は低迷をつづけた。何かが起こってほしいのだろう。製造業は、このアベノミクスなる、レーガノミクスをまねたであろう造語に、かなり不安を感じているようである。事業主でなく、ふつうの人と話すと、株を今のうちに買えば儲かりますね、などと言っている。

 株価があがっているって! ケインズが「一般理論」でいっているが、株価は美人投票のようなものだと。自分が美人だと思う相手に投票するのではない、チャンピオンになれる女性に投票するというゲームである。したがって、みんながどうするか? みんなが投票する相手をあてて、彼女に投票するのである。所詮、株式市場は賭場なのだ。短期的には実体経済とはかかわりなく、株価はジグザク運動をする。「結局のところ、株価なんて酔っ払いの千鳥足みたいなもの」と、株取引のバイブルといわれる「ウォール街のランダム・ウォーカー」で言ったのは、経済学者のバートン・マルキールである。

 財政政策と金融緩和と成長戦略が三本の矢だそうだが、そうはいくだろうか? とりあえず「円安」誘導政策だが、すでにアメリカ等より近隣窮乏策であるとして批判が出ている。国内しか見ない文化習性だが、他国も対抗する為替政策をとり、為替戦争になるのか。

 だが、株価上昇も円安も、それ自体は景気拡大を意味しないはずである。この月末にバンコクに行く予定だが、輸出業は円安で一息するかもしれない。だが、円をバーツに変えねばならないわたしはこまる。原材料を輸入する産業は、みな困るだろう。石油、穀物もあがる。市民生活は、これは窮乏化するしかないはずである。円安がよいグループと、円高がよいグループがあるのに、新聞等の論調は、円安歓迎だけである。つまり、失われた20年と同じ論調で事を論じている。

 日本は、輸出と輸入が均衡している為替中立である。したがって、円安になっても、円高になっても、プラスマイナス・ゼロのはずである。それでころか、貿易赤字が定着するようになると、つまり円安により、さらに輸入額が増えることになり、国内経済と国家財政におおきな負担となるはずである。

 金融政策や財政政策で景気回復などできないのは、それは世界で実験済みだ。実体経済をどう復活させるしかないはずだ。だが、成長戦略は、このアベノミクスではないようである。国土強靭化計画は、要するに保守工事であり、道路や交通網の新設ではない。乗数効果、経済効果は見込めないはずである。ふるい自民党的土建屋政治の復活としか思えない。

 規制を撤廃し、高額所得者に対する増税ではなく、逆に法人税の大幅現在、産業支援政策をとり、日本経済自体を抜本的に改革するしかないのに、所得税の増額、相続税の増額、まるで反対のことをしている。かって、税率の安い発泡酒が人気だっだ、税収の為か、発泡酒の税率をあげたら誰も飲まなくなり、発泡酒の税収が落ちたという落語話しがあるが、またまた繰り返されるわけだ。

 わが社はサービス業に分類されるであろうから、内需産業である。これは円安で打撃をこうむる。金融を緩和しても、すでにどの銀行も貸出先にこまっているようだ。日銀に国債を買わせるだけのことになるのか。円安により利益を得る企業群は、大手である。国内の一般の中小企業は、材料費の高騰などで打撃を受けるだろう。市民生活も、給料は上がらないのに、物価があがることになる。そんな政策、誰が嬉しいのだろう。

 まずは、日本経済の構造改革が必要なのに。人口動態、企業の国際競争力の低下、巨額の財政赤字などの抜本的に改革が必要なのに、お札をじゃんじゃんすれば問題解決とは、いくらなんでも。お札をじゃんじゃんするとは、われわれの預金の価値が減損し、ある意味、それは隠れた増税になるのに。つまり国により国民の富の簒奪になるのに。

 わたし的関心としては、社会保障制度の維持可能性、そして融資を受けているので、変動金利の動向がとくに気になるが、しかし、わたしは元々「逆バリ」志向が強い。
それに「景気が良くなって物価が上がる」という話しなら、ああそうかと思う。だが、「物価が上がると景気が良くなる」などという話しは、それは有り得ないだろうと普通に思う。阿部首相のブレーンといわれるエール大学浜田教授の本を読んだ。これはひどい、というのが読後感である。あほな。

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シニア市場の拡大と経済の衰退

 これからの経済は、少子高齢化をぬきにしては語れないとされている。そして日本をトップランナーとする少子高齢化の波には、世界にひろがり、世界経済の行方もこのインパクトを抜きにしては語れないとか。
 一人の高齢者や子供を、何人の勤労世代で支えるかを示すのが「生産人口比率」である。勤労世代が増えると上昇し、少子高齢化にともなって低下するこの指標と、不動産価格の趨勢が一致するという。日本は1991~93年に、アメリカは2005~08年に生産人口比率のピークを迎えた。いずれも、不動産バブルの頂点にほぼ重なる。
 勤労世代が多い国、地域、時代は、住宅需要も強く、地価などに上昇圧力がかかる。それが過大な投資を誘発し、バブルの一因となったとか。自動車や家電の需要も、勤労世代が多いほど増えやすいのは当然である。これが「スペンディング・ウェーブ(支出の波)」と呼ばれる現象である。

 逆に、少子高齢化は、その反対。地価の下落圧力となる。また、モノの消費を抑える。働き手の減少も深刻となる。人口要因がボーナスからオーナス(重荷)に転じるわけだ。これは、医療や介護といったサービスの消費を促す方向に働くが、製造業からサービス業へのシフトが生産性の低下をもらたす「ポーモル効果」が生じやすくなるとされる。

 今、世界の成長センターとされるアジアも、この少子高齢化の影響から逃れられない。中国の生産人口比率は14年、韓国やタイなどは15年ごろにピークに達するとされるが、あとはピークアウトするだけだ。ハーバード大学のブルーム教授によると、「東アジアの奇跡と呼ばれた経済発展の多くは、人口要因で説明できる」とか。

 世界経済の一方の雄となった中国であるが、問題はおおいとか。いわゆる「中所得国のワナ」論である。途上国から中所得国(一人当たりGDPが4-5000ドル)への離陸は、とても大変だが、そこから高所得国(10000-15000ドル)になるのは、もっと難しいとされる。
1960年時点で中所得国は101カ国あったとされるが、2008年時点までに高所得国になったのは、13カ国に過ぎない。日本・韓国・台湾・香港・アイルランド・イスラエル・シンガポール、その他などの国だけなのである。アルゼンチン・イラン・ヨルダン・マレーシア・ブラジル・ペルー・タイなどは、高所得国になりそこなたわけである。
 中国が安い労働力をつかって経済発展した時代はおわり、高所得国に飛躍するには、経済効率を更に高めねばならない。だがもう目前の14年から15年には、生産年齢人口(15~64歳)が天井を打つ。おそらく中国は「中所得国のワナ」から抜け出せないとみなされている。

 だが、先進国の恐怖は「日本化」であるとされる。日本においては経済は成長することを止めた。借金の山をつくったまま、国は老いる一方である。この傾向は、じわじわと主要先進国を侵食しつつあるとか。つまり「高所得国のワナ」もあるわけだ。

 そのような、これからの時代に、わが社は介護事業者として、老人ホーム事業者として生きてゆくわけである。少子高齢化のボーモル効果により、製造業からサービス業にシフトされ、とくにシニア市場が拡大されるわけだが、介護事業者も老人ホーム事業者も、どのサービス業も、活発な製造業などの産業なくして、これは成り立ちにくい。シニア市場は、あくまでサービス業であり、生産業ではない。「富」を創出しない。経済の柱には成り得ないのである。
 それどころから、最近のサンフランシスコ連邦銀行のレポートは「46~64年に生まれたベビーブーマーの引退が、株式市場の逆風になる」と論じる。地価や株価の下落圧力、そして成長鈍化の圧力にさらに晒されるとか。
 これらは、一ホーム事業者が考えてもどうになることではないが、わが社は、今ホームをさらに数棟、開発しようとしいる。業界の大手他社は、フルアクセルを踏み続けている。だが、他社は他社、わが社は、ホームの「最適」数と開発の「見切り」を考えねばならない時期である。

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おカアさんもつらいよ

秋だなあ。わたしも秋だ。春夏秋冬、一回きりだ。

おおくの社員がおり、息子が二人いる。どちらでもオヤジの立場である。育てるとは何か、学ぶとは何か、考えざるを得ない。かって息子たちの行っていたカリトック系幼稚園に、やはりカトリック系小学校の校長が父兄会の講演に来た。いわく、わたしたちの時代は学ばなくても「親」になれました。若い親には父母があり、祖父母があり、親戚の年長者があり、地域の人たちがいました。若い親でも自然に親になれました。でも、いまの時代は違います。わたしたちは孤立して生きています。学ばねばなりせん。ひとつ、ひとつ学ばねば「親」になれません、という内容だった。納得するものがあり、息子たちは、その小学校に通わせた。
経済誌の記事で、アメリカの研究者が「アメリカとオーストラリアの小学生の何%くらいが、現在、存在しない職業に従事することになるだろうか?」という予測調査を行ったとか。答えは、小学生のうち65%が、これから生まれる職業に就くという結果。つまり今ある職業は三分の一しか残らないと、そうアメリカとオーストラリアの子供は考えているようなのだ。おそらく、この彼らの直感は正しい。わたしも、そう感じる。

日本では、どこの国でもかも知れないが、子供の将来の進路をはやく決めさせて、キャリア教育をしようとする。「おおきくなったら、何になりたいですか」だな。子供にそんなこと聞くな。大人になっても答えようが無いのに。とかで、スペシャリストとしての道を、できるだけ早くはじめさせようとする。たしかに、囲碁・音楽・数学などのように、幼児天才教育が必要な才能の世界は、それも必要であろう。しかし、一般職、一般専門職において、それほどはやく進路を決めさせることが必要だろうか。まして、予測調査のように、将来三分の二の職業が入れ替わるのなら、子供のうちから職業や進路を決めさせることに、どのような意味があるのか、ということになる。職業別電話帳も、その内容が時代ごとに変わるわけだ。

長男の高一は、英語で授業をするという一貫校に行っているが、とつぜんにある仕事につきたいと受験勉強をはじめた。そうか、まあ健闘をいのるということだ。次男の中一は、大阪のトップ校に入ったのに、柔道部にはいり、すっかり格闘オタクになった。放課後は柔道部の練習、日曜はシュートボクシングのジムに通っている。将来は、格闘家になるとか。まあ、かってにしてくれの世界。
でも格闘家か。そうか。あまり早く職業など決めずに、もっと気楽に大きく学ぶことも必要だろう。そんな遊び学ぶ時期も必要だろう。青少年時代を、おおいに逸脱したわたしが言えることではないが、その逸脱のおかげで、わたしは、わたしほどの読書家をほかに知らない。

会社では、どう考えるべきだろう。ここでもオヤジなのだ。職業教育が重要なのは、学校においても企業においても間違いないが、人材の育成ということに関しては、これは学校では無理だろう。知人の国立大のMBAがおり、そのまた知人の話、教育内容を聞くが、読んでいたら御免なさい、まずそれではリーダーの育成は無理であろう。定型のカリキュラムのもとでは、過去において通用した知識やスキルは習得できても、全体を動かせる経営者や、現場で日々の業務を推進していくリーダーは育てられない。その教育方法は、ある意味では単純頭脳労働者用である。人は、現実の仕事の中で、その全体文脈、微妙な個別文脈の中で、現実の仕事のなかで経験を積みながら育つ。そして、その中で「人間力」と「直感力」が絶対的に重要である。これは現場の汗の中がでしか、得られない。ケインズのいうアニマル・スピリッツもである。

すると、オヤジの立場としては、とりあえず一般的な知識とスキルの育成はとうぜんであるが、現実の仕事の文脈の中で、その経験の中で育つ「場」をつくり出せるかどうか、がカギとなるのだろう。プロは、教科書や教室の教育では育てられない。実社会での試行錯誤の繰り返しの中で、経験を積むことにより、勘と人間的体力をつくりあげるしかない。これからのビジネス・経済社会は、かってのピラミッド型の少品種大量生産の時代の、会社あっての社員、社員はコマの世界から、定型的・組織的プロセスから、個々の能力の並立的集合体すなわち全員経営の形に移行するのではないだろう。それが、おそらく適者生存の原理に沿うものと予感される。

とすれば、会社を発展あるいは、どのような経済情勢下でも維持存続させるためには、そうしたプロ人材が育つための「場」を創ることがオヤジの仕事となるのか。つまり、そうだな、これも暴論だが、芸者の「置き屋」のイメージである。
吉原のような売春宿のオヤジは、幼い娘を買ってきて、お化粧、身づくろいと言葉づかいだけを教えて、すぐ店に出した。置き屋の女将は、徹底的に芸をしこむ。鍛え上げ、独立して生きていけるまで育てこむ。暴論は承知だが、前者はいままでの日本の企業である。名刺がなくなったら、娑婆に出て、何一つできないサラリーマンを大量育成した。「甘えの構造」の中で、学びも自己改革もしない。後者は、今、アメリカの企業で、ウォール街やシリコンバレーで見られつつあるような形であろうか。いや、あれは違うか。やつらはギャングだから、やはり違うだろう。

では、わたしはどうすれば良いか。つまり浪速千栄子だな。勝新太郎の一番良い映画は最初の「悪名」だと思う。あれにつきる。中村雁次郎が廓のオヤジで、チンピラやくざの新太郎が、使い走りとして廓の女郎の管理、逃亡女郎の追跡などをする。雁次郎の、したたかで悪知恵達者、駆け引き達者ぶりが、いかにも廓のオヤジの味を出していた。
一方は「祇園囃子」だな。浪速千栄子がおカアさん、木暮実千代が姉さん、そして若い若い若尾綾子が半玉ちゃんなのである。女将や姉さんは若尾綾子を厳しく徹底的に仕込みつづける。一人前にして祇園に出すためである。木暮実千代は、すでに自分の家を構えて一本で仕事をしている独立営業主。妹分の半玉を守るためにおカアさんに反抗することもある。がおカアさんは怒る。庭でひとり、般若顔で目をつりあげて「なめくさって」と歯軋りする。いいなあ、あのシーン。好きだ。

なにが言いたかったのか。そうだ、つまり廓のオヤジは「色」を売り物にして、女郎を折檻する。置き屋のおカアさんは、芸子を育て、「芸」をうる。小暮実千代は、おカアさんが妹分の「色」を売らせようとしたので、祇園で禁断のおカアさんへの反抗を行った。最後のシーンで、妹分に、あんたの袖おろしはわたしがしてあげる、と言う。つまり、旦那をとっての芸子、色も売る芸子ではなく、芸だけの芸子にしてあげると妹分に約束をする。

亡羊多岐。映画にそれて、道にまよった。もとにもどれば、つまり置き屋のおカアさんとして、良い芸者衆を育てて、それぞれの個性と能力を発揮できる「場」をつくるのが、これが方向性ということかと直感している。
プロ人材、すなわち芸者である。芸者という言葉は、今は色街の女性の職業名とされるが、かっての本来は、おとこの抜群才能者に対する敬称だった。たとえば、江戸初期の高名な芸者である宮本武蔵は、その芸をもって細川藩に三千石で抱えられている。
そのような置き屋のおカアさんになることだが、それには「芸」を教えるという難問がある。古い武道の格言に弟子は師の半芸という言葉がある。「芸」は、教えられるものではなく、わたし内部にもそのようなリソースは無い。みずからが学べる「場」を創り上げられるか、提供できるか、ということだろう。山よりも大きい猪はいない、という言葉が不安なところだ。一升の枡には、一升の水しか入らない。また現実に、みんなが「芸」の世界に生きることを求めているのか、という問題もあるしなあ。個々のもつ意識と人生観の世界だからなあ。笛を吹いたくらいではだめだし。ミッションとビジョンとバリューの共有ということになるが。

支離滅裂で、結論が出ない。後日の宿題にしよう。でも、自分が変わらねばならないのか間違いない。平凡な真理だが。交流分析の箴言、過去と他者は変えられぬ。つまったから、後日、考えよう。

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熟睡できないなあ

 眠れない夜に、ビル・エモット氏の「日はまた沈む」を読みながら、あるページに目が留まり付いた。1983年に当時の中曽根首相がワシントンを訪れたときに、「日本の役割を西側諸国にとっての太平洋の不沈空母になることだ」と述べた記述だ。日本列島はソ連沿岸と向かい合っており、アメリカに対するキューバと同じ位置にある。アメリカ第五空軍の基地でもあり、日本の航空自衛隊もその指揮下にある。日本に帰って非難されても、中曽根首相は「不沈空母」発言を取り消さなかった。中曽根首相は、旧海軍の主計将校あがりである。敗戦の濃いころ、日本は南の島々に航空基地を設け、これを「不沈空母」と呼んだ。島を守るのではない。そこを捨石として、日本本土を守るのである。その島など、どうでもよいのだ。その海軍時代の延長で、素直にこの言葉が出たのだろう。

 そういうことだ。これが安保条約の本質なのだ。要するに盾なのだ。どこかの。しかし、旧ソ連は崩壊し、今のアメリカの仮想敵国は中国である。オバマ大統領のアジアに回帰するという声明の実際は、経済面だけではなく、中国を仮想敵国とすると同義であると軍事評論家たちは言う。今は中国なのだ。その新しい役目の不沈空母が、それだ。日本列島の役割である。中国はアメリカの軍事管制下におかれるのを避けるために、目下、軍備の大規模増強を行っている。これは自国をアジアの超大国たらしめる布石でもある。その軍備増強の柱のひとつに、核戦力の増強がある。アメリカとは量も質も比較にならないかも知れないが、宇宙に人を送れるロケット技術があり、アメリカ本土を射程に入れる核ミサイル群を持つ。

 それに対してアメリカは、中国の核戦力を封じ込めるために、TMD(本土戦域ミサイル防衛構想)を用意する。TMDは、湾岸戦争におけるイラクのミサイル、北朝鮮の長距離ミサイルによる攻撃に対するものと言われつづけた。だが、それは表面上のことで、北朝鮮程度に対する規模ではない。あれは、世間向けのアナウンスに過ぎない。アメリカは、中国の周辺諸国にTMDを配置して、中国の核ミサイルがアメリカ周辺に飛来する前に、撃ち落す構想を持つのである。TMDは、まず監視衛星を配備する。衛星が発射を確認し、追尾する。その情報にもとづき、陸上あるいは海上に配備された各種迎撃ミサイルから適切なものを選び、相手ミサイルを迎撃させるのである。
 TMD開発においては、日本にも多額の開発負担金を出させ、完成したミサイルは日本も購入する。地球儀を見ればわかるように、中国から発射された核ミサイルは、日本列島を通過してアメリカ本土に飛行する。日本に配備してある、あるいは近海のアメリカ艦船から、迎撃ミサイルを発射する。ともかく、日本列島は、中国からの核攻撃からアメリカを防衛する第一線、すなわち不沈空母なのである。これは、日本列島のしめる地勢の宿命である。

 TMDはNMD構想に発展したが、さかんに実験が行われた。そしてイージス艦船を含むミサイル群の日本配備が、日本の自主防衛努力の一環という形で進められる。なぜ、アメリカはTMDやNMDの舞台として日本を選ぶのか?
 第一に、弾道学である。核ミサイルの速度はマッハ10くらいになる。この高速で飛来するミサイルの撃破は困難である。だがICBMは、ふつう三段ロケットである。発射後の初速は遅い。発射後まもなく通過する日本列島の上空か周辺で、速度がそれほど大きくないうちに迎撃するほうが、命中精度がはるかに良いとされる。そこで捕捉できなかったミサイルをアメリカ本土付近で迎撃すれば、より堅固な二段階のミサイル防衛網が可能になるわけだ。
 第二は、死の灰である。核ミサイルの迎撃に成功しても、もし核弾頭部に迎撃ミサイルが命中すれば、場合によっては核の空中爆発が生じる。その場合に、地表との距離が十分であれば、ある程度は爆発時の放射熱核エネルギーによる破壊は免れるとしても、爆発による「死の灰」が落下するのは避けられない。この被害をアメリカ本土で受けるのを極力減らすには、日本列島で迎撃するのが一番良いのである。
日米同盟の強化とか、集団自衛権の拡大などと、日米共同パートナーなどと浮かれていてると、アメリカの「核の盾」として利用し尽くされることになる。不沈空母としてである。

 以上は、格別の情報をもっていない市井の一人の想像である。しかし、書いて整理しながら、ううむと、うなりだしたい気分になる。かっての地政学的発想からすれば、大陸勢力と海洋勢力の角遂の歴史のなかで、その衝突点は半島とされていた。朝鮮半島が米ソの、つまりソ連・中国という大陸勢力と、アメリカという海洋勢力との衝突点として、代理戦争の戦場となったようにである。クリミア半島も、バルカン半島も、しかりである。しかし、核ミサイルの時代では、列島も、その衝突点になるということか。
 米中が、21世紀のただ二つのスーパーパワーになるとすれば、日本は大陸勢力にはなりえない。海洋勢力たるアメリカに従属するしかない。とすれば、米中の、新海洋・大陸両勢力角遂の緩衝地帯として、不沈空母になるしかない地政学的宿命ということか。日本上空の航空管制も、自衛隊の指揮権も事実上アメリカが持つのであるから。また、カレル・ウォルフレンが論じたように、おそらく日本の権力の中心は、空白である。政見をもつ政治家はいないし、マスコミについては、その耐えられない無存在について、エコノミスト誌も驚いている記事が何度もあった。ともあれ、このフレームから現在と近い将来が見てとれるのだろうか。このフレームから見ると、アメリカの尖閣列島における立場とあの手馴れた演技が、明瞭に理解できるような気がする。シナリオが明確なら役者も手際よく芝居ができるように、戦略が明確なら、上手な碁打ちのような手が迷わず打てる。戦略のない集団は、状況に右往左往するしかない。「想定外」という言葉を連発しながら、である。日本上空を米中の核ミサイルが飛び交う風景を、とうぜんのように死の灰が降ってくる光景を、誰か想像しているのだろうか。

 最近、孫崎亨氏の本をよく読む。読み続けて、その内容を信じるようになっている。領土問題に関しても、日米関係の本質についても、そして人物評についてもである。近著「アメリカに潰された政治家」では、氏は安保条約は占領軍が押し付けた不平等条約であるとして、アメリカは日本の利益など何も考えておらず、尖閣列島の日中紛争で最大の利益を得るのはアメリカだとする。かっての米ソ冷戦時代に、ソ連に対する不沈空母だった日本は、こんどは、みずから懇請して、中国の核戦力に対するアメリカ本土防衛の不沈空母になろうとしているわけだ。さらには、集団自衛権を主張する論議が活発になった。孫崎氏の別の本には、「ジャパン・ハンドラー」という表現がでるが、これは、どう翻訳すべきなのだろうか。

 アラビアンナイトのシェラザードの言葉ではないが、夜の沈潜した思考は、結論を暗澹たる方向に持ち込もうとするきらいがある。王様、朝は夜より知恵がでます、と考えて、さてお勉強もすんだし、寝るか。一人で納得した気になったから、一人で寝よう。

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アルカイダを読む

たまたま旅先の古書店で「オサマ・ビン・ラディン発言」という2006年の本を買った。彼のさまざまな発言をイギリスの研究者がまとめて、その英文を日本語に翻訳したらしい。原著者のイギリス人は「本書に収録した声明に述べられてる意見は、訳者の個人的見解とはまったく関係ない」とことわって、ビン・ラディン発言を整理し、その思想をどう解釈するかは、読者に委ねようとしている。

アメリカのマスコミ、その流れで意見をつくる日本のマスコミでも、狂信的なイスラムの信徒、国際秩序の破壊者としてのビン・ラディンというイメージである。極悪なテロリスト集団アルカイダの元凶である。

だが、彼の写真を見るたびに、なぜかカフカ、あるいはガンジーの写真と似ていると感じたことがある。やせて、内向的で、恥ずかしそうな顔である。これが凶悪きわまるアルカイダの首謀者の顔かと。

本を読み出してすぐ感じたのは、じつは意外にも、彼の「真摯さ」「やさしさ」である。そして流れるような言葉である。この小柄で病弱な、この内向的な外観の人が、イスラムの同胞にむけて、真面目に真面目に話しかけている。詩的なレトリックを駆使しながらである。虐げられてる弱者の立場から、それを弾圧する特権階級と外国勢力に対して糾弾している。それも、ながれるようなイスラムのレトリックを用いながら、詩的に語り続けている。ああ、そうか、と思う。日々に苦しむイスラムの青年にとって、この言葉は「賢者の言」として心に響くのであろう。

アメリカのように無人偵察機とロケット弾による「テロ」ではなく、追われ続ける荒野の洞窟の中で、詩的な言葉をつむぎつづけ、虐げられてる同胞に、その言葉をおくりつづけているのである。わたし自身にイスラム教徒とアラブ文化に対する知的理解はないが、言語の力である。行間に、なにか、なにかを感じる。彼は、アラブの支配階級と外国人勢力に対して、真摯に真摯に怒り続け、同胞の救済を心より希求しているようである。アメリカ軍のように作戦命令ではなく、イスラムの言葉を武器として、イスラムの青年に語りかけているのである。

異教徒としては、ここにも一つの世界と宇宙があると認めるしかない。ビン・ラディン声明は、テロのつど、マスコミで凶悪発言のように報道されるだけだが、こうして時系列でまとめたものを読むと、ここに一つの思想があり、真摯な精神があり、求道者としてのいき方があると認めるしかない。そしてアラブの王族・支配者の目的は権力の座にとどまることだけであり、アメリカの目的は経済だけだと断定し、若者に向けて「十字軍は全世界を包囲している、敬虔、高潔かつ豪胆な男たちはどこにいるのか」と問いかける。もし、わたしがイスラムの教育を受けたアラブの貧しい青年なら、この言葉を聴いて、さて、どうしたのだろうか、ふと、そんなことも考える。

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2050年の世界

本を読みながら独酌し一人寝する。窓からの夜風が涼しくなった。虫も鳴いている。秋だなあ。あわれ秋風よ、心あらば、だなあ。夜明け前には目が醒める。陶淵明ではないが、夜中い寝るあたわずである。スタンドをつけ、枕元の読みさしを再びひろげる。八月の文芸春秋社の新刊英エコノミスト誌による「2050の世界」である。エコノミスト誌は、おそらく世界でもっとも影響力のある政治経済誌であろう。
60年代初頭、今から50年前、同誌は「驚くべき日本(Consider Japan)」という特集で、まだ中進国の下程度の日本が、いずれ経済大国になると予測した。そして20数年後の80年代後半、日本はジャパン・アズ・ナンバーワンと自称できるまで経済発展をした。エコノミスト誌の予測どおりだった。そのあと、急速に、バブル崩壊で失われた20年を迎えるのだが。

だが、それから50年後に書かれた本書には、日本に対する記述はあまり無い。わずかに書かれた部分でも、2050年における日本の将来像は、明るいものではない。2010年に世界経済の5.8%を占めていたGDPは、1.9%と三分の一に。一人あたりGDPは、アメリカや韓国の半分になるとか。そのころ、もっとも悲惨な社会は超高齢化に苦しむ日本であるとか。第十章「高齢化社会による国家財政の赤字をどうするか」では、2050年には、日本は少子高齢化により人口は1億人をきるのに、後期高齢者は1.7倍になる計算となる。年金・医療にかかる費用が増大し、現役世代の負担も耐えがたくなるし、企業は熾烈な国際価格競争を戦うために賃下げを繰り返す。GDPは今の世界第三位から、5~6位に落ち込みブラジルと肩を並べるとか。人口動態が経済成長を決定するというのは、最近のトレンドだが、その立場をとっている。

本書を読みながら、エコノミスト誌の東京支局長、本社編集長をつとめたビル・エモット氏の「日はまた沈む」を取り出して読み比べる。草思社1990年3月刊。バブル真っ盛り、東京山手線内の土地を合わせれば、アメリカ全部が買えると本気で思われていた時期である。バブルは80年代末の四年程度だったが、確かにとんでもない錯覚が日常だった時代だった。岡目八目であり、日本の結果は、この本のとおりに、恥ずかしいほど、そのとおりになったのだが。今は、2012年、バブル真っ盛りの時代の1990年の東京支局長の「予測」もしっかり当たっていた訳だ。

当時、東京の時価は三年のあいだ年率50%の割合で上昇し、一億総不動産屋。尼崎の知人の不動産業者の盛大なパーティーにも誘われたものだ。あれも買った、あれはこれほど上がったとの愉快話を聞かされ、なんども料亭に誘われた。文筆乞食をしていた私には、バブルはまったく無縁だったが、彼は太陽神戸銀行の幹部とゴルフをしていたら、とにかく200億貸すから何かに、何でもいいから使ってくれと頼まれたとか。世の中の半分は自分のものだという顔をして、大笑いしていた。大阪城の横に本社ビル建築用の土地を買ったとか。上場の用意をしているとか。愉快だったろうな。人間、人生は転瞬のこと、胡蝶の夢のごときもの、一時の大愉快があれば、それも良かろう。長生きして、しっかりエロ老人をしたろうゲーテですら、人生で一番楽しい日は数日しかなかったと言っているのだから。彼は三年楽しい思いをした。そして破産同然となったが、おかげで素敵な私設図書館が残った。今もあるのだろうか。あの男、この男、彼らのあの頃の傲慢な顔と、のちのしょぼんだ顔を思い比べてみる。消えて出てこない男も多い。不良債権野郎たちめ。人の不幸は蜜の味というわけではないが、諸行無常の鐘は、いつの時代もなるのだ。同情はしないよ。

「2050年の世界」ではなく、ビル・エモット氏の「日はまた沈む」である。6章で、マッケイの「人びとの異常な妄想と群集の狂気」という近代ヨーロッパの投機フィバーの本と比較しながら、計画についてろくに知らないまま投資熱に浮かれている人々の例をあげる。そういえば、友人の大学教師が、株仲間を組み、株で儲けたと飲み歩いていたなあ。マンションを買ったと大喜びしていた。2DK程度のマンションで3000万くらいしたとか。4000万以上で売れると。もちろんバブル崩壊後は、半値以下となり、売るとローン残りが多く、つまり1500万で売ると、ローン残金2500万が清算できないので、売るに売れないという当時のワンパターンにはまり込んだのだが。彼は、数年のうちに、日が昇り、日が沈む体験を身にしみるほどしたわけだ。杜子春のような奴だ。不良債権野郎め。
尼崎の不動産業者も、この教師も、もともとは悪い奴ではなかった。だが当時はじつに嫌な奴らだった。その物言い、態度。無礼さ。そんな奴が多く居た。数年後は、まあ、そんなものだというしょげぶりだったが。東京の土地の値段でアメリカが三個買える? 理性は働かないのかと、当時ほんとうに思っていた。バブルの最中に、ビル・エモット氏は、東京の金融市場は群集の狂気の新たな見本だと表現する本を書く。6章のはじめに、正岡子規の句を引用しているのが秀逸だ。「死にかけて猶やかましき秋の蝉」。さすが、エコノミスト誌の東京支局長。素晴らしい。

そして、前年の1989年に出版されたカレル・ウォルフレンの「日本権力の謎」を引用する。日本の首相は、先進国の中でもっとも存在感がなく、影響力が小さい。また、政治家、官僚、財界、警察その他、どこにも権力の中心がない、日本のどこを探してもリーダーがいない「中心のない日本」という説である。だから、誰に言っても無駄だと。ビル・エモット氏の本は、日本では政治家より官僚が重要である理由としてGHQをあげる。アメリカの占領時代、占領軍司令部は日本の官僚機構を利用して日本統治を行った。選挙があろうと、議会があろうと、政治の中心には政治家の立ち入る場はなかった。そのようなものが無くても、戦中の統制時代と、占領軍時代を通して、システムとして日本の官僚統治制度が確立したということだろう。
そして、「日本の政治家が政治問題についてはっきりした意見を持つことは異例であり、いわんやそれを周知させることなどめったにない」と断言する。そして「西側民主主義国では、政治家は政見を明らかにし、選挙民や政治的同盟者のあいだの感情をすくいあげなければ首相になれない。だが、日本ではそうではない。自民党は永久的に与党の座にありそうな気配で、首相は派閥力学のなかから生まれるであって、国民投票や国民の委託を受けて誕生するのではない。政治家が閣僚になりたがるのは、人に恩恵をほどこせる地位と権威が欲しいからであって、政治目標を追求するためではない」とも断言する。このあたりはカレル・ウォルフレン説に激しく同意しているようである。20年後の今読んでも、まあ、そんなもんでしょうな。アメリカ全面依存体制のなかでは、アメリカの意思から逸脱を許されない状況の中では、そもそも政治家など不要ということであり、逆に意見をもつ者は、現体制に害をなすと見なされるのだろう。そういえば、孫崎亨氏も最近そんな内容の本を出していたが。そして、当時のアメリカは経済的苦境にあったが、ビル・エモット氏は最終章の章名を、アメリカ・アズ・ナンバーワンとするが、そのとおりになった。というより、東京の土地でアメリカが三個買えるという東京における群衆の狂気をバイ・スタンダーとしてあきれて眺めていたということだろう。予測のとおり、以後、日本経済は下り坂となり、復活の道筋も発見できないまま、失われた20年をつづけ、新興国にも敗北するようになり、アメリカはトップ最強の座に返り咲いた。

2050年、わたしは生きてはいまい。無理だね。この本は、かなりの確率であたるのかも知れない。でも息子は何歳だろう。男盛りではあろうな。息子の息子も、おおきくなっているだろう。ビル・エモット氏の「日はまた沈む」では、ケインズの言葉が引用されている。「長い目で見れば、われわれはすべて死者である」と。実もふたもない正論であるなあ。エコノミスト誌の50年前の記述を確認し、20年前の図書を再読し、2012年の今、38年後を予測する図書を、深夜早朝に読みつづける。おかげで、昼はぼんやりと過ごした次第。しかし新聞や週刊誌は読むに足りない。村上春樹がノーベル賞の候補だって。なんだろうね、世の中は。もっとも楽しい読書は、意見のある知性人の、しっかりした研究者の論文を読むことに尽きるだろう。読書は格闘技なのだ。一方通行ではない。殴られたら、蹴り返すものなのだ。よし、一人脳内勝利した。いい夜だった。

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仕事の哲学を読む

ドラッガーは、あまりに漠然とした部分が多いが、でも、なるほどと感心させられる言葉が多い。学校の教科書が正しいという意味で、正しい。書名は「仕事の哲学」である。ドラッガーがこの本で説くのは、知的活動の主役である人間を十分に活性化させることの重要性である。組織全体が活性化するためにも、トップは最高の成果をあげられるような仕組みを確立すべきであると述べる。彼のさまざまな本の言葉があつめられている。

以下は、Webで見た書評からの整理引用である。わたしの理解と記憶のためである。

★成果をあげるための五つの能力
成果をあげるための実践的な能力は五つある。
第一に、何に自分の時間がとられているかを知り、残されたわずかな時間を体系的に管理する。
第二に、外部の世界に対する貢献に焦点を合わせる。
第三に、強みを中心に据える。
第四に、優先順位を決定し、優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中する。
第五に、成果をあげるよう意思決定を行なう。
・・・・・・・・『経営者の条件』

★自らの強みに集中せよ
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである。 無能を並みの水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。
・・・・・・・・『明日を支配するもの』

★価値観に反する組織にいるべきではない
得るべきところはどこかを考えた結果が、いま働いているところでないということならば、次に問うべきは、それはなぜかである。組織が堕落しているからか、組織の価値観になじめないか らか。いずれかであるならば、人は確実に駄目になる。自らの価値観に反するところに身を置くならば、人は自らを疑い、自らを軽く見るようになる。
・・・・・・・・『非営利組織の経営』

★心地よくなったら変化を求めよ
日常化した毎日が心地よくなったときこそ、違ったことを行なうよう自らを駆り立てる必要がある。
・・・・・・・・『非営利組織の経営』

★上司をマネジメントする方法
上司をいかにマネジメントするか。実のところ、答えはかなり簡単である。
上司の強みを生かすことである。 ・・・・・・・・『経営者の条件』

★エネルギーとビジョンを創造する
真のリーダーは、人間のエネルギーとビジョンを創造することが自らの役割であることを知っている。
・・・・・・・・『未来企業』

★優先順位決定のための四つの原則
優先順位の決定には、いくつかの重要な原則がある。すべて分析ではなく勇気にかかわるものである。
第一に、過去ではなく未来を選ぶ。
第二に、問題ではなく機会に焦点を合わせる。
第三に、横並びではなく独自性をもつ。
第四に、無難で容易なものではなく、変革をもたらすものを選ぶ。
・・・・・・・・『経営者の条件』

★廃棄が新しい仕事を進める
古いものの計画的な廃棄こそ、新しいものを協力に進める唯一の方法である。アイデアが不足している組織はない。創造力が問題なのではない。せっかくのよいアイデアを実現すべく仕事をしている組織が少ないことが問題なのである。みなが昨日の仕事に忙しい。
・・・・・・・・『経営者の条件』

★時間からスタートせよ
成果をあげる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間をとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく、時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして最後に、得られた自由な時間を大きくまとめる。
・・・・・・・・『経営者の条件』

ドラッガーはこの知識社会において、人が考えること、知的創造作業に時間を割き、集中することを説いている。以上、整理と要約。

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オリンピック観戦を整理する

もう半世紀も前。わたしは田舎の県立高校の柔道部員だった。パンパンで痛いキャンバス畳の道場で、汗臭すぎる胴長短足のみなさん、股間を一日中かきつづけるみなさんと、何ヶ月も洗わない柔道着からの悪臭を撒き散らしながら、それでも熱心に稽古をしていた。締め落とされる前の苦しさと、締め落とされた後の天国のような脳内風景は、今でも身体に覚えている。なにか、立ち技より寝技が盛んだったような気がする。すぐに寝技にもちこみ、首を絞めるのである。投げは、寝技に持ち込むアプローチの一つ、その前段階扱いだったような気がする。

わたしは、屁理屈家だった。また読書好きの研究好き。とうぜんに、柔道の図書をあつめ、部内随一というより唯一の柔道史の保持者だった。今考えると、わが教師は、講道館系ではなく、高専系だったのだろうか。つまり柔術系である。汗臭い彼らの何人かは県警にはいった。

半世紀前の柔道部員のわたしには、まだ中学一年の次男がいる。入学すると柔道部に入った。グレーシー柔術の本を買い、コマンドサンボの本を買い、総合格闘技その他、買い集めている。実際の練習よりも、本での技の研究、脳内無敵の世界に熱心である。どこかであった風景だと苦笑するしかない。
一応、先輩として「投げ技三年、寝技三ヶ月」だ、寝技を徹底的にやれ、などとアドバイスする。だが、彼の中学・高校は、おそらく講道館スタイルではないだろうか。それでは強くなれないのだが。講道館柔道は、あれは芸者の手踊りのようなものだ。武術ではないのである。
もともと柔術には、投げ一本も、押さえ込みも存在しない。関節技と絞め技を使い、相手を戦闘不能に追い込むことで勝負を決するのだ。

ロンドン・オリンピックである。柔道だけは、寝ずに、かかさず観た。女子の積極果敢なプレーと比較して、男子の惨状は、どうしようもない。ポイント稼ぎの、相手の減点待ちの逃げの柔道をしている。新聞で、東京都知事が、相手が卑怯だから、綺麗な日本の柔道が勝てないなどと言っている。何事につけ、つくづく物を知らない人だ。華麗な一本でメダルをねらうはずの穴井は、じつに簡単に負けた。

柔道の起源は、武者の組討から発生したと今は言われるが、それは違うだろう。それは相撲になった。織田信長も相撲大会を催し、参加者を雇用している、というより兵員の雇用のために、相撲大会を催している。柔道というより柔術の起源は、江戸時代の認識では、それは「明」からの亡命者、陳元贇から発したと認識されていた筈だ。家光の時代に、満州勢の「清」により漢族の「明」は滅亡し、おおくの国外亡命者を出す。高校の頃に読んだ本でも、一般には日本の柔術は江戸時代初期、明から陳元贇なる人物が渡来し、三人の浪人に教えたのが始まりとされていたと思う。陳元贇が江戸麻布国正寺に仮遇していたおり、磯貝次郎左衛門、福野七郎右衛門、三浦与次右衛門の三名の浪人に人を捕うる術を教え、これに三浪人たちが工夫を加えて作りだしたのが柔術であるとされた。福野の良移心当流、三浦の揚心流などである。その流れで起倒流が生まれ、この起倒流を学んだ嘉納治五郎が講道館を創設するという流れだ。毛沢東の「体育の研究」という書名だったかにも、陳元贇が我が中国の雑技をあつめて、日本で柔術を創設したとかの記述があった。空手と中国拳法を比較して、空手は我が中国拳法の円熟には及ばないが、その剛強さは見るべきものがあると書いていたような記憶があるが。ともかく、それまでの陳元贇説に対して、最初に反論を試みたのは、嘉納治五郎である。嘉納はT.リンゼイと共著で英文で「柔術・伝統あるサムライの武器なき格闘術」という論文を著し、明治二十一年に発表。陳元贇が柔術を日本にもたらしたことを否定し、柔術の起源を中国にもとめるのは「わが国の恥辱である」と言っている。こうして陳元贇説はタブーになり、以後の柔術起源論は、この方向のエビデンスを集めることが中心となる。なにやら、尖閣列島問題のようだ。

たとえば、この陳元贇の時代より古くに、竹内流という柔術が既にあったと言う。ゆえに柔術は日本古来であると。うむむと、思う。二十歳の頃に、東京田町に空手の神道自然流小西道場があり、すこしだけ通った。小西老先生は竹内流から空手に入ったが、それを竹内流小具足捕りまわりの術と呼んでいたと記憶する。鎧を着装し短刀をもっての組打ちの技の筈である。平家物語や源平盛衰記に見られるように、鎧組打ちの技は、戦場で必須であり、竹内流は、それであると思う。それは、いわゆる柔術ではないと思う。まあ、どうでもいいことだが。
そういえば、小西老先生は、ふつう空手用語では、左前足で左拳で突くのを順突きと言い、右拳で突くのを逆突きと言う。それは違うと。人間は歩くときに、左前足なら、出る腕は右腕だ。ゆえに、左前足で左拳で突くのを逆突きと言い、右拳で突くのを順突きと言うべきだと、無知蒙昧な空手界を悲憤しておられたが、一体、何が言いたかったのだろう。アメリカのブラックベルト誌の記者に対しても、「カラテ・イズ・ゼン」と言い切って、困らせたのか、感動させたのか、よくわからないが。そういえば、当時の知人に柳生心眼流を学んだといういかれ奴が居たなあ。あれも鎧組打ちの術だ。組み伏せて、鎧通しを刺し込むのである。愛国党員系で、パックス・エイシアが言えずに、パン・アメリカン、パン・アメリカンと言っていたが。国粋主義者がパックス・アメリカーナじゃ、あかんだろうが。これも、どうでもいいことだが。

ともかく、最古の流派とされる竹内流では、小具足を着装し脇差を使うのである。柔術の起源はともかく、江戸中期になると柔術という呼び名が一般化し、数百の流派ができる。明治になると、武士階級が消滅し、教育産業として成り立たなくなる。彼らは失業する。ところが学習院教授である嘉納治五郎が、あらわれる。嘉納は、やがて一高校長となり、文部省参事官になり、教育界の大ボスに出世しはじめる。起倒流を学んで「講道館柔道」を創り出しただ嘉納にとって、良家の子弟のための体育である「柔道」では、首を絞めたり、関節を折ったりする寝技は、教育的とは言えない。イギリスのパブリックスクールがボクシングとフェンシングを教えるように、エリート教育の一環である。教育ビジネス上のリスクは排除せねばならない。足技、立ち技を中心とすることで、見た目も美しく、勝敗もわかり安くした。柔術を学校体育に作り変えたのである。押さえつけて絞め殺す殺人術を、マットの上のフェンシングに変えたのである。

日清戦争以後、武術に対する社会的要請が高まり、高校・大学で柔剣道の対抗戦がさかんに行われるようになる。教育界のボスである嘉納は、弟子たちを学校体育教師として各学校に送り込む。古流を学んでも町道場主か接骨業。なかなか食べれない。講道館に属せば、学校柔道教師として食べていける。柔術家は柔術を捨てて、安定した収入と社会的地位の得られる大企業、講道館に属そうとする。長いものには、巻かれなくてはならない。

だが、古流柔術家の流れ込んだ柔道は、三つの系統に分かれる。東の講道館に対して、西の武徳会、高専柔道である。同じ柔道と称しても、西は柔術色が濃く、ずいぶんと違う。明治の当時の最強は、岡山出身の警視庁教師、不遷流の田辺又衛門だとされる。講道館は一勝もできず、田辺との試合を逃げ回る。明治の皇太子の前での試合で、田辺は講道館の選手を瞬間に足がらみで決める。講道館選手は、悲鳴をあげて降参し、立つこともできない。つぎの武術家の会合で、嘉納は足がらみは危険な技であるとして、以後禁止にする。柔術家たちは嘉納に逆らえない。関節技は、腕に対してだけとなる。
だが、高校・大学の対抗戦でも、西の柔術系柔道が、東の講道館柔道を圧倒する。岡山の六高柔道部は、三角絞めを開発する。下から両足をつかい、相手の片腕と首を同時に締める。六高柔道部は快進撃する。嘉納は、これを惧れ、審判規定を改定し、寝技への引き込みを禁止する。これに対して京大柔道部は反発し、拒否する。しかし、嘉納は審判規定を三度改定し、三角絞めを禁止する。これにより、講道館の寝技軽視はさらにひどくなるが、武徳会や高専柔道での寝技の研究は、さらに深まる。
力道山とガチンコを行った木村政彦は、この高専柔道の流れだ。ブラジルにわたりグレイシーの父親と戦ったときは、寝技に引き込み、その腕をへし折っている。

しかし、戦後になるとGHQにより武徳会は廃止。関係者は公職追放される。学制改革により、高等学校、専門学校が中心となっていた高専柔道は、解体される。残ったのは、講道館だけだった。武徳会、高専柔道がなくなり、講道館は棚ぼた式に柔道界を独占することになる。そして段位認定と昇段料を独占するビジネスモデルを確立する。これで、日本には、寝技の王国でもあった高専柔道も、立ち技と寝技の高度な両立をめざした武徳会の柔道も存在しなくなった。残るのは、立ち技に特化した講道館柔道だけになった。

しかし東京オリンピック以後、外国人選手が、講道館が独占していた世界に参入する。ただちに立ち技対策が研究される。旧ソ連の柔道家は、レスリングやサンボの技術を導入。欧米選手も、レスリングフリースタイルの片足、両足タックル、グレコローマンの胴タックルを導入。ブラジルは、柔術スタイルの寝技で日本の講道館柔道に対抗した。ブラジリアン柔術は、あれは戦前の高専柔道そのものと言われる。

高校の時に買った柔道の本では、立ち技が三分の一、寝技が三分の一、当身技が三分の一だった。当身は、ただ二つの技が中心。眼突きと金的蹴りである。目玉と金的を潰すのである。まあ、これが基本中の基本だ。実際的にも、その二つで十分。あとは覚える必要はない。そして短刀への対処法も記載されていたと思う。つまり、著者は講道館ではなく、戦前からの柔術系の人だったのだろう。

戦争を行う前には、「戦史」を学ばなくてはならない。あたり前である。戦前、講道館柔道は、武徳会柔道、高専柔道に、まったく歯が立たななかった。そして今、日本の柔道は講道館柔道のままである。だが諸外国の柔道は、じつは講道館柔道がまったく歯が立たなかった高専柔道、武徳会柔道をしている。とすれば、負けて当然である。そう「戦史」は教えている。すると、日本柔道は、どの道を進むべきか。答えは、おのずから明らかである。まず、高専柔道か、武徳会柔道にもどる。それから新しいナレッジを開発するのである。

ロンドン・オリンピックにもどれば、なによりも指導陣がよくない。監督の篠原はひどすぎる。身体は大きいが、脳内容量はかなり少ないと思う。あの井上がコーチになっていたのか。高校生の井上の試合をテレビでみて、この子は絶対のびると思っていたが、メダリストになって、コーチになったのか。大学教師か。しかし、彼もコーチにはむかない。みな頭突き合戦では強そうだ。まるで相撲界と同じだ。関取が親方になるのだ。篠原は、この結果を選手の不甲斐無さのせいにして人格攻撃をしていたが、じつに人の師たりえない男である。このメンバーで敗戦処理し、反省会もなく、同じメンバーで次のオリンピックであるから、4年後の予想は、もう必要はないだろう。

かっての柔道メダリストの女性が週刊誌で言っていたが、いっそ、コーチ全員を外国人にしたらどうかと。ロシアはイタリア人コーチにまかせて、その指導を受けたことで強豪として復活し、今回オリンピックで素晴らしい成績をあげた。日本も、そうすべきだと。正論であるが、国内的には大胆な発言であろう。でも、正論であり、そのとおりである。また、今の指導陣の脳内、つまり立ち技・一本主義は、もう通用しない。戦後の講道館柔道、学校柔道、芸者の手踊りから、戦前の格闘柔道に、頭をギアチェンジすべきなのだ。柔術にである。

第一に、既存の立ち技一本至上の柔道イメージは、本来、風変わりなものであったことを確認すべきだ。それは講道館の営業、対象とする顧客第一主義から発した奇形なルール改定からものであることを理解し、格闘柔道、つまり戦前の武徳会、高専柔道を復活させること。
第二に、コーチはお雇い外国人にすること。組織と風土と頭の切り替え刷新には、人事が一番。人を変えるのが一番なのである。つまりパラダイム・チェンジというほどのことはないが、第一と第二により、講道館柔道の頭から、マットでの格闘技の本来の形、より柔術に近い形にもどすこと。こんな感じであろう。レスリングと違い、柔道には、グレコローマンとフリーの二つの切り分けはない。立ち技と寝技の総合なのだ。これが次のオリンピックでの日本柔道復活の道であろう。日本柔道のイノベーションだな。まあ、こんなものだろう。誰でも、中学一年生でもできる柔道から、プロしかできない柔術への転換である。じつにオリンピック選手は実質プロなのであるから。中学一年生と同じ技を、技数を、大人のプロの選手が使い、それで善しとは、甘すぎる了見である。
もちろん、今の監督、コーチ陣がそのまま次のオリンピックを担うのであり、ある話ではないことは承知しているが。今回以上の大敗であろう。

だが整理してすっとした。司馬遷の発奮著書の説ではないが、どんな文章でも、書くことの効用がここに在る。自分一人が読者で良い。ロンドン・オリンピック観戦の積み残し感から解放された気分だ。

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人生の四つの時期

 五木寛之氏の『林住期』(幻冬舎)に、人生を四つの時期に分ける思想がある。「古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。
「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆぎょうき)」。

 50歳をはっきりひとつの区切りとして受けとめる必要がある、と私は思う。
そして、そこから始まる25年、すなわち「林住期」をこそ、真の人生のクライマックスと考えたいのだ。」

 50歳から75歳を、もっとも稔りおおき人生のクライマックスと考えるのか。

日本では初老とか老年と呼び、なんとなく暗い。
近づいてくる死を待てというのだろうか。
社会的生産力としても終わっており、世の重荷となる年齢とさえみなされる。
わたしも団塊世代、その年齢である。

 古代インドでは人生を4つの時期に区切るという。
「学生期」(がくしょうき)
「家住期」(かじゅうき)
「林住期」(りんじゅうき)
「遊行期」(ゆぎょうき)

 古代インドでは、「学生期」で学び、
「家住期」働き、家庭をつくり、子供を育てたあとに、

人生のクライマックス「林住期」を迎える。

 人はみな生きるために働く。今風の言葉ですれば、それが生産人口である。だが本来、生きることが目的で、働くことは手段である。だが現実は、働くことが目的となって、よりよく生きていない。退職すれば、非生産人口にくくられて、社会保障の受給対象となり、世間の重荷とされ、財政再建論議でも、真っ先に非生産人口対する支給削減、社会保障費のカットが優先事項のように論じられる。働かざる者、食うべからずであり、口べらしのために、山に捨てねばならない年齢である。そして、誰よりも高齢者自身がそのように考えがちである。

 だが、家庭をつくり、子供を育て上げた後は、せめて好きな仕事をして生涯を終えたい。人生を一度、リセットしてみたらどうであろうか、と考えても良い。人生80年。
もっと、長生きになるかもしれない。

 人は生きるにもエネルギーが要る。だが、死ぬときも大きなエネルギーが必要かもしれない。
生涯をなすべきこともなく、雑事に追われながら死にたくはないものだ。

 自分が本当にやりたかったことは何なのか問いかける時期が、だいたいこの林住期(りんじゅうき)にさしかかる人だと言われている。

 それまでは、あまりの忙しさに考える余裕もなかった。
林住期は、自分と時間を取りもどす季節だ。林住期は、人生におけるジャンプであり、離陸の季節であり、それまでたくわえてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてジャンプする「クライマックス」にすべきである。「林住期は人生におけるジャンプであり、離陸である」と言う五木寛之氏の主旨も、そうなのであろう。氏は、五十を過ぎて休筆し、龍谷大学に学んで、初めて勉強の面白さを知ったという。

 林住期に生きる人間は、まず独りになることが必要だ。人脈、地脈を徐々に簡素化すべしである。人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない。

 1人の友と、1冊の本と、1つの思い出があれば、それでいい・・・と言った人もいるが、それも意見である。

 すこし整理しよう。

 アーシュラマ(?srama)または住期(じゅうき)とは、インドのヒンドゥー教社会において、ヒンドゥー男子に適用される理念的な人生区分のこと。4つの段階を経過することから四住期とも訳される。
バラモン教法典においては、バラモン教徒(シュードラを除く上位3ヴァルナ)が生涯のうちに経るべき段階として、以下の4段階が設定されている。
1.学生期(梵行期、ブラフマチャルヤ、brahmacarya) ? 師のもとでヴェーダを学ぶ時期
2.家住期(ガールハスティア、g?rhasthya) ? 家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する時期
3.林棲期(ヴァーナプラスタ、v?naprastha) ? 森林に隠棲して修行する時期
4.遊行期(サンニャーサ、samny?sa) ? 一定の住所をもたず乞食遊行する時期

 古代インドにおいては、ダルマ(宗教的義務)・アルタ(財産)・カーマ(性愛)が人生の3大目的とされ、この3つを満たしながら家庭生活を営んで子孫をのこすことが理想だとされ、いっぽう、ウパニシャッドの成立以降は瞑想や苦行などの実践によって解脱に達することが希求されたところから、両立の困難なこの2つの理想を、人生における時期を設定することによって実現に近づけようとしたものであろうと推定されているらしい。

 わたしは65歳である。まさか、こんな年齢になるとは思わなかった。だが現実である。昨年の春は、息子二人を連れてバンコクに行き、ムエタイのジムに通った。今でも庭にサンドバッグを置いて、まわし蹴りの練習をしている。不動産を見つけ、銀行と交渉し、新しい事業計画を複数立てている。生臭いことである。アルタとカーマは求めても、ダルマには縁が淡い。
 そのような男の林住期とは、さて、どのようなものになるのだろうか?

 かっての東洋なら、引退後は、郷里に帰り、「君子に三楽」あり、書を読む楽しみ、文を書く楽しみ、郷里の子弟を教える楽しみ、であったが。これも良い林住期ではあるが。なかなかに、事業主として、20年融資に際してつねに個人連帯保証をとられる立場であり、のたうちまわるしかないようだが。何か、組み立て方を間違ったのであろう。すべての返済が終わったときは、あれまあ、85歳である。そうか、わたしはそんな贅沢はできないのか。昨年、河南スタイルというラップが流行したが、クッカジ・カーボッカしかないか。企業には企業の、社会的役割があるのであり、個人精神の安寧のみを求めるだけがタオでもあるまい。農夫が次の日に突然に死ぬまで田で働くように、とりあえず、お日様、西、西で行くか。

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愛に満ちた家庭

 前に、東京のセミナーのついでに新宿の映画館で「アニマル・キングダム」を観た。オーストラリアの実在した犯罪一家をモデルに、凶悪犯罪で生計を立てる親族に引き取られた少年の葛藤を描くクライム・ドラマだった。
 メルボルンで、母と二人で暮らしていた17歳の高校生だが、母は突然にヘロインの過剰摂取で死亡する。行き場のない彼は、祖母に引き取られる。祖母には、彼の母の他に、3人の息子がいた。彼らは皆家族思いで、一見、明るく温厚な人物に見えたが、全員が銀行強盗や麻薬の密売など、あらゆる凶悪犯罪に手を染め、その収入で生計を立てていた。
 祖母は、息子たちの犯罪を黙認し、事実上裏ですべてを仕切っていた。彼の母は、そんな一族から距離を置くため、息子を連れて家を出たのだ。だが今や他に行くあてのない17歳の彼には、その家で暮らしていくしか道は残されていない

 映画は少年の目を通してこの犯罪者一家の姿を描いていく。そんな家族でも依存するしかない少年の立場である。祖母は、表面的に息子と孫に優しい。二言目には、「さあキスをして」と「愛」をしめしつづける。この祖母の歪んだ愛情と支配がこのような家族を生み出し、過去に少年の母親が出て行った原因であろう。そして17歳の彼だが、やがて、彼が犯罪にまったく無関係でいつづけることは不可能となる。祖母の非情な「愛による支配」であり、もっとも人間くさいはずの「家族を、「アニマル・キングダム=野生の王国」」あるいは「野獣の王国」と表すほど、殺伐とした世界が広がってくる。自分の「愛」のためには、息子でも孫でも殺す祖母である。頼る者のいない孤独の中で、逃げ場を失った彼は、自分自身が生き残るために、なにかを選択しなければならなくなった……。

 事実にもとづいたクライム・ムービーだった。なのに凶悪犯罪と異常な心理を淡々と描き、興味ふかい映画だった。

 これのようなことは、程度の差はあれ、どの家族にも起こる。どの家族にも起こる支配と被支配である。

 尼崎のドラム缶殺人事件だが、知人との喫茶店での暇話で、どうしたらあのように「死ねといえば死ぬ」まで人を支配できるのだろう、という話になった。すごい人物だなあと、二人で感心した。
 その角田美代子容疑者が留置所で自殺した。親族間の「アニマル・キングダム」であり、どうしても映画と重なる。複数の家庭に入り込み、相手を恫喝し、従属させて支配し、犯罪に手を染めさせる構図は、オーストラリアの事件とずいぶんと似ている。角田容疑者も、表面はその「ファミリー」に対して「愛」を十分に示していたとか。みなを引き連れ、「好きなものを買いや」「すきなものを食べや」とか。やさしい「母」である。反面、ののしりだすと、相手を徹底的に否定し、夕方からの怒鳴りが、朝までつづいたとか。この執拗きわまる罵倒を何時間も、何日も、何年も、繰り返し繰り返し受けて、みなが、やがて歪んでゆく光景の中で、健康な感覚が麻痺し、思考が停止し、その罵倒の苦痛から逃れるために「脳も従属」していったようである。結果として洗脳技術を駆使したことになる。冤罪事件の構図もそうだ。閉じ込められた空間で、「執拗」な刑事たちの追及に、やがて無罪の人が自白をはじめる。さらには改悛の涙まで流す。「ママの言うとおりだ」と。「キングダム」の完成である。妹の夫の不可解な死のほかに、この「キングダム」の中で、いくつもの保険金殺人が行われ、隠蔽のための自殺強要が行われる。

 この図式の理解として「共依存」というフレームを使えば、さらに理解が易くなるのだろうか。DV男からDVを受けて逃れた女性が、また別の同様のDV男と暮らして新しいDVを受けるというのは、よくある話らしい。DV親の子供にも同様の現象というより、症状が診られるとか。片方は暴力で支配することに依存し、もう片方は、暴力を受けて支配を受けることに依存する。不思議な構図だが、医療の大問題であるとか。程度の差はあれ、万事が自分の思うようにならないと気がすまない人間はおおい。強い自己主張と自己正当化をするが、相手に対する共感感情はないし、相手の言葉を聴くこともない。思うとおりにならねば、怒りと復讐心を爆発させるだけである。

 また、角田容疑者は、日常的に睡眠導入剤と抗うつ剤を飲んでいたとか。そして、この執拗な攻撃性、反抗挑戦性である。少女時代から地域で有名な暴力小学生・中学生であり、そして、この年齢までつづいている執拗な攻撃性である。推測だが、何時間でも相手を罵倒しつづける特殊な性向は、おそらく脳内ドーパミンからの問題とされるある診断名、アインシュタインやエジソン、チャーチルやケネディもそうであったとされるある性向から来ているのだろう。自己正当化、他者に対する理解と共感が皆無的に欠如、暴力性、はげしく執拗な攻撃性、反社会的・反抗挑戦的言動、これはみずらかもそうであり、今は南の島で医師をしている「やんばる」氏が、「自己正当化」型として分類している中にカチッと当てはまる。このタイプは、モラル・ハラスメント、パワー・ハラスメントの加害者になるとか、氏は言う。そして、まだ子供なら治療・対処の方法や治癒の可能性があるが、もう大人になれば、「被害者を逃がすしかない」というのが医療現場の実際のようだ。

 二つの話とも、極端な話ではある。でも実話でもある。「愛にみちたファミリー」の話である。鎖でつないでもいないのに、みなその「共依存」の中で安住する。実話がカリカルチュアとなるならば、これはわれわれの内面の問題である。

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漁父の利ですね

アメリカの空母二隻が日本近海に出動とか。尖閣列島をめぐり、安保条約が発動されるか日本で論議されている時期だが、さすがアメリカ。芸がじつに細かい。CIAの国だ。グローバル戦略が明確だ。これは、日本を安心させる目的であろう。事実、新聞・雑誌の論調は、うしろにアメリカが居るぞと、となったようだ。日中戦わばという馬鹿な特集をしている雑誌もある。安保条約が発動されるかとか、論議自体がお馬鹿である。

趙 且に燕を伐たんとす。
蘇代 燕のために恵王に謂ひて曰く、
今者 臣の来たるとき、易水を過ぐ。
蚌 方に出でて曝す。
而して鷸 其の肉を勞む。
蚌 合して其の喙を箝む。
鷸曰はく、「今日 雨ふらず、明日 雨ふらずんば、即ち死蚌 有らん。」と。
蚌も亦 鷸に謂ひて曰はく、「今日 出でず、明日 出でずんば、即ち死鷸 有らん。」と。
両者 相舎つるを肯んぜず。
漁者 得て之を媚せ擒ふ。
今 趙且に燕を伐たんとす。燕趙久しくあひ攻むれば、
もって大衆を敞れしめん。臣、彊秦の漁父とならんことを恐るるなり。
願はくは王これを熟計せよと。
恵王曰はく善しと。乃ち止む。

これは「戦国策」である。

かつての清朝は世界に冠たる中華帝国であり、清朝のGDPは世界の30%(当時)を占めていたといわれる。その自信の上に立っていた清朝はアヘン戦争で英国に負けたが、それは中国人にとって「驚天動地」だった。その後の100年間はまさに苦渋に満ちた、半植民地状態の歴史であった。その中で中国人が学んだことは、力がなければやられる、力がすべてだという教訓であったとか。
中国が、なにごとにつけ、なぜかくも強面に対外的に乗り出してくるのかを理解するには、こうした屈辱感をリバウンドした優越感の背景、DNA化した感情記憶を踏まえて中国の行動を見る必要があるのだろう。

安保条約は、第二次大戦の戦勝国であるアメリカが、軍事力で征服した日本において、軍事基地を以後も占有し、日本がアメリカ軍事力の支配下にあることを目的とした条約であろう。べつに他国を守るためのアメリカの軍事サービスであろうはずがない。あくまで、対共産主義の前線として、かってはソ連だったが、今は中国に対抗する前線の確保、防波堤の維持のためであろう。現地勢力をアメリカの従属下におき、軍事的育成をはかり、共産主義と対抗させようとしたのは、トールマン・ドクトリンとでも呼ぶべきだろうか。自衛隊の育成であり、韓国軍、台湾軍の育成であり、失敗したが南ベトナム軍の育成である。古典漢文式では、夷をもって夷を制すと表現される。

今回、アメリカの空母二隻が西太平洋に出動したのは、これは一種のリップサービス。日本世論誘導のためであろう。アメリカには、よいシナリオ・ライターがいるものだ。日中のほどよい衝突は、アメリカの利益、漁父の利となる。今の日中の領土紛争は、じつにアメリカにとって理想的な東アジアの状態としか思えない。両者の消耗を、高みの見物を決め込めばよいのである。中国の消耗と、日本の消耗および対米依存の強化となるからである。かって、北方四島問題でも、二島引渡しで日ソが妥結しかかった時に、アメリカは、ならば沖縄は返還しないと強力に干渉して、交渉を破綻させたとか。米ソ対立の中で、日ソの友好より、両国の対立・敵対関係こそアメリカの利益となる。以後、北方領土問題は、アメリカのシナリオのとおり、日ソ、日ロの大きな障害となった。この図式は、今回の尖閣列島をめぐる日中のケースにも、とうぜんに当てはまる。日本は、アメリカの経済戦争のライバルである。中国市場においても、とうぜんに競合関係にある。そして間違いなくアメリカの「仮想敵国」の一つである中国と日本が争ってくれるのは、利益である。日本はさらに、依存してくるだろう。また経済的にも、中国市場から日本企業が排除される状況を、日本以外の国は、みな喜んでいるだろう。アメリカ企業も、よいビジネスチャンスと笑っているだろう。雑誌の書くように、チャイナ・リスクだとして、以後外国資本が中国から逃避するなど、ありえない。手を叩いて笑っているはずだ。日本の最大の貿易相手国である中国で、日本車は以後売れず、ドイツ・アメリカ・韓国車が大幅に売れ増しているそうだ。

安保条約などと、夢物語である。空母二隻は、日本向けの、ジェスチャーでしかないだろう。米中ともに大陸間弾道弾と核兵器を持つ。戦略核をもつ国同士が争うことは、絶対にありえない。かっての米ソもそうであった。それは誰にもできない。核保有国同士の戦争は、絶対に不可能なのだ。必ず抑止しあうのだ。アメリカの利益の一切ない無人島のために、中国と核ミサイルを打ち合うという選択肢など、アメリカに、あるはずもない。核保有国同士で、限定戦争とか局地戦も、あるはずもない。尖閣列島での軍事衝突で、アメリカが出動して、日本を軍事的に支援するなど、考えるほうがおかしい。それよりも、両国が争うことで、消耗しあうことで、笑いながら漁父の利を座ったまま得られるのである。この快楽な状況が、いつまでも続けばよいと考えて普通である。

核拡散防止条約が認める核保有5カ国の核戦力を比較してみるとアメリカ、ロシア、中国だけが、ミサイル、潜水艦、航空機などの運搬手段を持っている。中国は、アメリカ西岸まで到達可能な大陸間弾道ミサイル(ICBM;DF-5、DF-31)を保有している。そのDF-31は、固形燃料によるミサイルで、8輪の巨大なトレーラーに搭載して地上を移動できるミサイルだとか。ゆえにアメリカの先制攻撃に対しても生き延びる可能性のあるミサイルであり、米国に対する抑止力の構築につながっているとされる。 日中が交戦しても、アメリカが参戦するなど、絶対にありえない。安保条約においても、その戦争の発動には、議会の承認がいるのである。アメリカの利益の一切ない他国同士の小島の紛争で、アメリカ議会が核戦争の危険を承認するなど、決してありえない。

中国は、将来の局地戦の多発地域は沿海地域、島嶼・海上であると考え、第一列島線内の南シナ海と東シナ海の防御を「近海防御戦略」と呼ぶとか。日本列島、南西諸島、台湾までの線は、ちょうど中国が太平洋に出ることをさえぎっているような地勢的特色を有している。西太平洋に進出したがる中国との間で、とくに南西諸島付近でさまざまな摩擦を起こしているわけだ。
近海防御構想は、海上多層縦深防御の態勢で対応しようとしており、第1層海区(150海里まで)をミサイル艇、砲艇、沿岸の対艦ミサイル部隊によって、第2層海区(300海里まで)を多用途護衛艦、ミサイルフリゲート艦によって、第3層海区(朝鮮海峡・東シナ海・南シナ海)を潜水艦、爆撃機、ミサイルによって、それぞれ防衛するというものだ。
グアム島は、米軍再編の過程でアジア拠点の中核的な基地となりつつある中で、そこと接する第二列島線が中国にとって意味を持つようになってきたとか。これまでの中国の近海防御戦略は、第一列島線までをしっかりと保持すれば海からの攻撃に対して安泰だと考えていた。しかし、その先の沖合いから米軍の精密誘導兵器の攻撃が行なわれれば、もう少しバッファー・ゾーンを拡大する必要性を感じて、中国海軍力の強化を図ることになったとか。その結果、中国海軍は第一列島線を越えて、第二列島線までを視野に入れた展開になってきた。つまり、中国海軍は、近海防御戦略により近海海軍から外洋海軍に脱皮しつつあるのであるとか。そこで空母の精神的必要性も生じたのだろう。
この海上多層縦深防御の中には、台湾も尖閣列島も含まれる。アヘン戦争以来、屈辱の歴史を強いられた中国では、とくに「海防」が重要視されるとか。アメリカのマハンの「海上権力史論」のような「米国が必要とするのは巡洋艦の寄せ集めではない。いかなる国の海軍にも負けない強力な戦艦群の大海軍である。米国のシーパワーの強化が通商の拡大と米国の繁栄を導く」と考える海洋勢力に対し、大陸パワーである中国は、「海防」の思想である。そして国力の充実が、第一列島線から第二列島線と拡大したが、基本は、アメリカのような海軍力が政治力・経済力・国際市場の確保に直結するという発想ではなく、あくまでアヘン戦争以来のDNAであろう。防御である。「孫子」である。地政学的な、海洋勢力の侵攻と大陸勢力の防御である。

このような中国軍の動きをアメリカの視点で見ると、QDR(4年毎の防衛政策見直し)の中には「中国の軍事戦略」と直接的な表現を避けて、アンティ・アクセス/アンティ・ディナイアル戦略(接近/領域拒否戦略Anti-Access/ Anti-Denial / Area-Denial Strategy;中国の沿岸への米軍の接近を拒否する防衛戦略)と表現しているとか。

日本の国境問題については、孫崎亨氏という元外務省局長が、さまざまな著述で意見をのべている。おそらく、氏の意見・見識が、もっとも正しかろう。だが日本のマスコミも政党も、これを無視し、ナショナリズムをあおりつづけるのだろう。日本の閉塞された状況の中で、なにかお祭りのように騒ぎ立てたいのだろう。日本版「愛国無罪」である。しかし、それの持つ歴史的リスクと、国益の損失について、誰も考えようとしないのは、これは漂流船かとあきれる。孫崎亨氏の、最近のいそぎの著書発行等は、元外交官として、現状への危機意識、無知なままの暴走への危惧のためのような印象をうける。

日清戦争の最中に、とつぜんに台湾沿岸に無人島を発見して、沖縄県に編入したという論理を、アメリカが果たしてどう考えているか。まずは教えてくれないだろう。ただ、この島での衝突で安保条約が発動されないのは確かである。はじめからアメリカから梯子をはずされているのだ。これは孫崎亨氏の述べるとおりであろう。しかし、どちらも愛国無罪の国である。黄色いハマグリと黄色い鳥の抗争を青い目の漁父はのんびり眺めて、両者が疲れきった時に捕らえて、どちらも美味しく頂きましたという極東版グリム童話になるだろう。インターネットで、林子平の地図を検索すれば、そこに答えはあるのだが。中国が、この問題で決して引くはずはないことも解かる。

それから、中学生諸君。とくに一年生。
ひとつ教えておくが、漁夫(ぎょふ)の利ではない。漁父(ぎょほ)の利だよ。漁夫は、これは漁師さん。魚をとる労働者。漁父は、釣りが趣味の旦那さんのことだよ。

それから高校一年生。
歴史を勉強しろ。重要な教養であり、必須だ。たとえば、悪用だが、東アジア史にある程度の理解がある株式投資家ならば、無知な都知事、議員、マスコミが騒ぎ立てた時に、中国進出企業の株を「空売り」したはずだ。領土問題では、必ずこうなるのは、わかりきった話だからだ。ある会社の株は5月から37%株価が暴落した。仮に1000万円手元にあるとして、じつはその3倍の額の株をかうことができるから、5月から9月末までの5ヶ月間で、5月に売り、9月に買えば、1110万円が儲かる、こんなことも現実に起こるだ。夏休みのはじめに、尖閣列島問題を調べてみろ、と言ったろ。海外の投資家は日本から金を引き上げようとしており、外資のファンドは、日本株に対して空売りをさかんに仕掛けはじめているそうだ。あほでも、かしこでも、タレントでも二世三世でも、チルドレンでもベイビーズでも、歴史を知らない人が一発勝負の選挙だけで議員、政治家を称せるようになる(これを民主主義というが)と、こういう衆愚な結果が起こるということだ。7月7日は、なんの日か。この日に国有化宣言とは。盧溝橋事件の日だ。

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英人社長に何が起こったか?

  少年時代、「ヒチコックマガジン」の愛読者だった。ノックスの十戒(Knox’s Ten Commandments)やヴァン・ダインの二十則を基準に、そこらの推理小説を批判して賢ぶっていた少年だった。たとえば、最後に警官が犯人だったというのは「フェア」ではないとか。二十則に反しているとか。今の推理小説も、この基準に照らして「フェア」ではなく、読むほどのものは皆無と勝手に決め付けている。やはり、現実の「事件」のほうが、推理小説作家の脳水準より、はるかに興味深く、読むのに体力がいる。

 「オリンパス」事件である。その謎である。

 何代か前の社長時代の失敗を糊塗するため、代々の社長がその隠蔽をはかり、最後には「飛ばし」による粉飾決算を行う。必ずしも私的な金銭利得のためではないようである。しかし、新任の英人社長が気づき、追及しようとすると、取締役全員一致の決定により、英人社長は即日解雇される。そして、日本の企業体質を象徴する事件として、国際的にも注目をあびることになる。英人社長は、とうぜんの正しい行動をした。ところが、会長、取締役全員は、彼を排除した。「なにが英人社長に起こったか?」という事件である。また、「何が日本人取締役達に起こっていたか?」という事件である。

 発端はFACTAのスクープだが、オリンパスは2008年に産業廃棄物や電子レンジ用容器という本業と無関係な零細企業を200億円以上で買収し、イギリスの医療機器メーカーを株価より40%以上高い2117億円で買収。おまけにそれを仲介した「飛ばし」業者に、3割以上の法外な報酬を支払った。

 このFACTAのスクープを読んだ英人社長ウッドフォード氏は、問題を深刻に受け止めて、菊川会長の辞任を求めたが、逆に取締役会全員一致で解任された。英人社長が社外に公表し、第三者委員会が調査した結果、オリンパスは90年代から「財テクの穴埋め」のために企業買収額を水増ししていたことが判明する。監査法人も、じつは知って、黙っていたようである。菊川会長は辞任に追い込まれ、その後1ヶ月で、株価は80%以上も下がり、東証は報告書を出さない場合は上場廃止とすると通告、オリンパスは、窮地に追い込まれる。

 この事件・社会現象の特徴は、問題を告発したのが英人前社長だという点である。ある意味、オリンパス経営陣の「外部の人間」だということである。彼がFACTAを読まなければ、オリンパスのブランドは守られた。それが会社ぐるみの隠蔽工作の理由であろう。
 しかしオリンパスは日本の会社だが、株を保有しているのは世界の株主である。英人社長が、すでにFACTAに書かれて世間に出回っている自社の問題点を放置すれば、世界の株主は黙らない。株主代表訴訟に持ち込まれれば、取締役達はひとり数十億円の賠償金を求められるだろう。そのリスクを避けるために事実を公表した英人社長は、株式会社の原則よりすれば、合理的な正しい行動である。

 逆に、日本人取締役達が問題を隠蔽「先送り」したのは、「自分だけが秘密をもらすと地位を失い、失業者になる」というリスクを意識したからだろう。だから、取締役全員一致で、ウッドフォード氏がこの問題を取締役会に提議した瞬間に、社長を解雇した。すると、個人の訴訟リスク・会社のコンプライアンスを重視するか、組織の「和」を乱して組織から追放されるリスクを重視するか、という二択判断となる。そして、全員、「外国人」ウッドフォード氏の排除を決定する。

 なぜ、この日本の組織は、そのような非合理な決定をするのか? 山本七平は、「空気の研究」の中で、周囲に同調する「空気」こそが判断の決定要因であり、そして「空気」による意思決定というより合理的決定の放棄が、日本を敗戦に導いたと指摘した。オリンパスも、日本社会の中で、それが「ウチ」で処理できる時は、合理的な行動ではないが、成り立たないわけではない。昔の日本企業は、粉飾まがいの処理をしても、銀行がOKすれば、会社は存続できた。しかし時価会計で資産評価が公表され、世界中の株主がそれを見る時代には、社内の「ウチ」の「空気」では問題をコントロール・処理できない。つねに外部の目を意識しないと、グローバル資本市場では存続が許されないのである。「閉じた社会」から「開かれた社会」に移行せねば、世界マーケットから排除されるのである。

 「何が英人社長に起こったか?」また「何が日本人取締役達に起こっていたか?」

 幾何問題の解決には、適切な「補助線」を引くのが一番である。
 この場合は「空気」だろうか。
 不正を働く社員は、「そういった空気が社内にあったからだ」という。それを咎めなかった上司は、「不正を容認せざるを得ない空気があった」という。人や組織は、常に合理的な決断をするとは限らない。感情に左右されることもあるが、「空気」も、意思決定プロセスにおいて重要な意味を持っている。では、「空気」はなぜ発生するのだろうか?どのように発生するのだろうか?

 Harvard Business Review(HBR)1月号「日本軍『戦略なき組織』 検証 失敗の本質」の記事とダイヤモンド社「失敗の本質」、慶大菊澤氏『組織は合理的に失敗する』の文章を読んで、少しそのメカニズムをオリンパス事件に援用しようという気になった。

 「意思決定プロセスにおける「空気」~戦艦大和沖縄特攻作戦」

 まず論文は、新制度派経済学、ノーベル経済学賞を受賞(2009年度)したオリバー・E・ウィリアムソン氏の「取引コスト経済学」を説明する。

 これまで正当派経済学つまり新古典派経済学では、完全合理的に効用を最大化する人間が仮定され、このような人間観に立って市場の効率性が数学的に説明されてきた。これに対して、ウィリアムソンは人間は限定合理的であり、すきあらば利己的利益を追求する機会主義的な性格をもつものと仮定した。 そして、このような人間が市場で知らない人々と取引する場合、相互に駆け引きが起こり、多大な取引上の無駄が発生することになる。この取引上の無駄のことを「取引コスト」と呼ぶ。

 この取引コストを節約するために、知り合い同士の取引が生まれるということ、つまり組織が形成されると主張したのがウィリアムソンなのである。この同じ取引コスト節約原理にもとづいて、さまざまな組織のデザインも説明できるし、なぜ企業が垂直統合を行うのかも説明できるのだ。

 また、この取引コストが発生するために、個別合理性と全体合理性が一致しないという現象が起こるだ。つまり、現状が非効率なので、社会的にみてより効率的な方向へと変化すればいいのだが、変化するには多くの利害関係者と交渉取引する必要があり、そのために膨大な取引コストが発生する。この取引コストを考えると、非効率的な現状にとどまる方が合理的になるという不条理が起こるのだ。

 太平洋戦争時の「戦艦大和の沖縄特攻作戦」も、「出動させざるを得ない空気」によって決行されたという。
 山本七平は日本軍組織の意思決定プロセスに注目し、空気の存在とその非合理性を追求した。そして、空気による非合理的な意思決定に失敗の本質があると結論づけた。この山本七平が空気論の典型として取り上げたのが「戦艦大和の沖縄特攻作戦」である。海軍上層部というエリート集団が、なぜ、大和特攻のような非合理的な作戦の決行を決断したのか。これについて山本七平は、「そういう空気があった」からだと言う。すなわち、戦艦大和艦長は、大和特攻作戦について論理的に納得したわけではないが、空気に従い決断した、というわけだ。

 「大和の燃料は沖縄までの片道分であり、護衛機がつかない。そんな状態で沖縄へ到達できるのか。沖縄まで到達できなければ意味がない。むしろ、大和は本土決戦で米軍と刺し違えるべし」
 時の水上艦隊司令部、伊藤長官の考え方は、極めて合理的である。
 しかし、派遣されてきた参謀長の、
 「一億玉砕の魁になってもらいたい」
 という懇願の元、理詰めで反論していた伊藤長官は、一転沖縄出撃を了承した。
 「我々は死に場所を与えられたのだ」
 と大和乗組員、および、護衛艦長達に伝え、全員が納得したと言われる。
 これは、論理的に納得したのではなく、「空気」の決定に従ったためだと、山本七平は分析している。

 伊藤長官および護衛艦長たちが、なぜ反対意見を取り下げ、「空気」の決定に従ったか。Harvard Business Review1月号「日本軍『戦略なき組織』 検証 失敗の本質」の記事と図書「失敗の本質」では、当時の関係者インタビューも加味し、ウィリアムソン氏の「取引コスト理論」をこの問題に展開して、以下のような考察を行っている。

1. 特攻作戦の非合理性と非効率性は明確であったが、それを訴えると、熱情型の軍人から卑怯者と揶揄されることが十分予想できた。冷静、かつ、論理的に反論しても、言い逃れと受け取られる恐れがある。軍人にとって、卑怯者と罵られるのは、耐え難い苦痛であった。
2. 沖縄方面の戦況について、天皇から「海軍にもう艦はないのか。海上部隊はないのか」とご下問があった。海軍上層部はこれを「水上艦艇は何をしているのか」という叱責の言葉と受け取った。
3. 若く未熟なパイロットを中心とする神風特攻隊、陸軍特攻攻撃を展開している最中、海軍水上部隊だけが無傷でいるわけにはいかない、と海軍上層部は考えた。水上部隊は役立たずと見られ始め、そういう偏見が定着すると取り除くための労力は非常に大きなものになると考えた。
4. 敗戦が濃厚であり、大和を温存すれば戦勝軍に没収され、戦利品として見世物にされることを恐れた。事実、戦後、海軍の戦艦は水爆実験の的として利用された。

 海軍のような「戦闘プロ集団」のはずの集団でさえ、合理的効率的に意思決定がなされなかった。これらの要因を「取引コスト」という。このコストは、会計上目に見えないコストであるが、殆どの人間はその存在を認識できる。そして、「空気による意思決定」に反論するためには、参加者が負担する取引コストを低減し(ゼロになることはありえない)、利害を一致させる提案でなくてはならない。それができなければ、「空気」に支配された不条理な意思決定がなされる可能性は高いのである。当時の海軍関係者は、もっとも「取引コスト」の安い、楽な決定を選んだ、個々人が主体的に選んだということのようだ。

 つまり山本七平の空気論に対し、海軍上層部は合理的思考のうえに大和特攻作戦を決断したとして、その意思決定プロセスを説明するのが、菊澤氏の「合理的に失敗する組織」等での指摘である。 

 海軍上層部にはそれなりの合理性があったはずである。山本七平が言うように、「非合理的空気」が初めから存在したというのでは、彼らの論理性、意思決定プロセスを説明しているとは言い難い。山本七平は、どのように「空気」が発生するかについて説明しないが、菊澤氏はそのメカニズムを解き明かす。

 人間同士が取引する場合、多くは駆け引きが生じる。ここに多大な無駄が発生し、それを取引コストと呼ぶ。この目に見えないコストが人間を不条理に導く。場合によっては、反社会的行動に導く。論稿では、戦艦大和の沖縄特攻においてどのような取引コストが発生したかを示す。「軍人として卑怯者と罵られることで被る取引コスト」「天皇を説得するための取引コスト」「海軍は役に立たないという偏見が定着した場合のこれを取り除くための取引コスト」などを挙げ、海軍組織が戦艦大和の沖縄特攻を「合理的に判断した」ことを説明している。

 ここで用いられている図式と「取引コスト」という概念を、先代社長から「財テク失敗」による粉飾と「飛ばし」を受け継いだ前社長で現会長、英人社長を全員一致で解任した取締役達に当てはめると、それがスッパリと当てはまりすぎて、なにやら物悲しい。自社の、もし社会に知られれば大きな打撃をうける真実を公表することによる「取引リスク」の重さ、しかし、英人社長の解雇で予測されるデメリット計量の「取引リスク」の量は? 実力者会長の辞任を求めて反撃された場合、失業は覚悟せねばならない「取引リスク」の重さ、この「ウチ」の論理は、非合理的、反社会的にならざるを得ないと述べるが、その結果、取締役全員は「ウチ」の論理に従い、反社会的行動を選択する。戦争に行っても、自分だけは弾が当たらないという心理だったのだろうか。その結果、オリンパスは売りに出されることになった次第だ。経営陣のミスの隠蔽が、その全員一致の決定が、会社の存続にまで拡がってしまった。

 「取引コスト理論」的に考えれば、
 まず、ウィリアムソン的フレームを用いれば、英人社長も日本人取締役全員も、ふつうの人間として完全に合理的でなく、また完全に非合理的でもない。
 オリンパス内部に積年の不正が内在していたことを全員が知った。全員が合理的なら、すぐに事態を段階的に、社会の理解をある程度得れる形で公表し、損害を最小限にとどめたはずだろう。FACTAのスクープで、それが社会に漏れている段階で、全面隠蔽など、できようはずもない。利害関係者全員が、その状況と、全面隠蔽による多大なリスクとコストを理解したら、より正しい方向に修正せねばならないところだ。しかし、それにも自社の反社会的行動を暴露するというコストが伴う。会長の辞任を要求するというコストも、サラリーマン取締役としては、きわめて大きかろう。これが、オリンパスの取締役会を不条理に導く。
 オリンパスにとって、不正を公表することに伴う人間関係上の取引コストが、それぞれの取締役にとってあまりにも大きければ、公表することによるメリットを差し引いても、不正の隠蔽のほうが得と個人的に判断されることもあろう。
 この場合、オリンパスにとっての社会的合理性と、組織の個別合理性は不一致となる。オリンパス取締役達は、個別合理性を選択したほうが得との判断の下で、不正の隠蔽と、外部人である英人社長の排除を全員一致で決議する。
 この時、オリンパス取締役会のメンバーの行動は、違法、反社会的となる。彼らはそれを自覚している。自分の正当性を公言できない。沈黙するしかない。やましき沈黙、これが「空気」発生のメカニズムだと菊澤氏は「合理的に失敗する組織」で述べる。人間関係を重視してきた日本型組織では、人間関係上の取引コストが発生しやすく、人々も容易にそれを認識する。メンバーは、その取引コストを即座に計算する。そこに「空気」が発生し、メンバーは「空気」に支配される。「空気による意思決定」となる。はじめから「空気」が存在したのではなく、一人一人が合理的に計算し、その結果、沈黙して大勢に従うことが得だという点で、オリンパス取締役会メンバーの計算が一致したのだ。彼らは「合理的」に「空気」を生み出し、それに従ったことになる。これが「取引コスト節約原理」である。ウィリアムソンの取引コスト理論を援用すれば、以上のようになるだろう。

 一方、英人社長のように、オリンパス組織内の人間関係が薄い人、組織の外部の人は、「ウチ」にある人間関係上の取引コストの存在を、つまり「空気」を十分に認識できない。またそのような内なる限界合理性をひそかに肯定する思考習慣はない。オリンパスの粉飾決算と「飛ばし」を、会社に危機と損失をもたらす反社会的行動であり、違法かつ非合理と見なす。そして異議を申し立てる。ところが逆に、全員一致により追放される。英人社長の表現によれば、イディオット、愚か者達によってである。

 そう言えば、ニセ・ユダヤ人イザヤ・ベンダサンの著書「日本人とユダヤ人」の中で、ユダヤでは全員一致の意見は、排除されるとあった。議論において本来ありえない全員の一致が生じたということは、それは偏見か強圧に基づくものであり、行ってはならないというのがユダヤ的叡智であるとニセ・ユダヤ人は述べていたと思うが。

 菊澤氏は、戦艦大和を論じて、知性の自立と他律を述べる。これから脱却できる知性は、カント的意味での「啓蒙された人」と論じるのだが。まあ、カントは現代日本のサラリーマン社会の人間ではないから、正論が言える。集団の中のその他大勢、取替えのきく一人ではなく、孤立した知性であるから、一応、正しいことが言える。オリンパスで言えば、準軍隊組織である企業において、そのような組織の心理、行動様式に反することが、つまり組織人としての立場に反することが、いくら「啓蒙」されていても可能かとなると、日本的組織の中にある限り、それはないだろうが。菊澤氏の机上の意見は、現場組織では、これは難しかろう。

 私見だが、クラウゼビッツ「戦争論」では、戦争は敵味方の衝撃の動的な相互作用であるとし、作戦計画もつねに現実の予測不能の「摩擦」にさらされると、「摩擦」概念を述べている。これは「取引コスト」もその一種として捉えることができるだろう、かな、どうかな。すこし違うか。「摩擦」は偶発的であり、「取引コスト」は意識的・無意識的で、ある意味主体的、自己完結的であるか。「取引コスト理論」と「摩擦理論」を、すりあわせることはできないだろうか。「摩擦節約原理」として、クラウゼビッツとウィリアムソンをギメラ化でないだろうか。いや、できそうだな。わたしがMBAの子なら、ひと屁理屈つくりあげるところだが。

 ともかく、英人社長ウッドフォード氏は、取締役会の室内において、社会に通用しないウチなる論理「和をもっと尊とし」となす菊川会長はじめ取締役全員の冷たい「目」にさらされながら、その室内に充満するアジアの異国の不気味な「空気」の中で、孤立無援のまま、社長としての、異端者としての死を宣告されたわけである。その時の、氏の驚き、心理は、察するにあまりある。「文明の遭遇」ならぬ「異国文化の衝撃」であろう。そして彼は、のちに「愚か者」という言葉の入った題名のFACTA関係者でオリンパス事件をスクープした著者の本に登場することになる。この題名は、解任された元社長マイケル・ウッドフォード氏が著者に問いかけた「どうして日本人はサムライと愚か者(イディオット)がこうも極端に分かれてしまうのか」という言葉からつけられたものだとか。ここにいう、「サムライ」とは、オリンパスの不祥事を正そうとして内部告発した社員やFACTA関係者、この本の筆者のことなのかと。「愚か者」とは、ウッドフォード氏を解任した元会長・社長の菊川氏と同調する経営陣、広報担当、筆者のスクープを後ろ向きにしか検討しなかったマスコミ、今回の粉飾を指南した某証券会社の人間、同社を上場廃止にしなかった証券取引所、あるいは筆者の主張に沿えばその裏で糸を引いている某銀行の人達のことか。

オリンパス騒動に関して、「自壊する「日本型」 株式会社 オリンパス症候群(シンドローム)」(チームFACTA著 平凡社)という本が出ている

本書はFACTA関係者、元日本経済新聞証券部記者の阿部重夫氏(雑誌FACTA編集発行人)と磯山友幸氏、松浦肇氏と元財務官僚高橋洋一氏による4人の共同執筆。オリンパス事件の背景とそれに連なる歴史を当時の新聞記者と官僚がわかりやすく解説した興味深い図書である。

1.言えない秘密(タンスの中の骸骨:Skeleton in the closet) 失われた20年の正体

20年前、本書は、山一証券が破綻した頃の話から、金融史の裏側の解説が始まる。失われた20年(lost 2 decades)の根源を著者達はえぐり出す。25年にわたり「飛ばし」を隠していたオリンパスの正体こそ、世界からは日本の不振の謎の答えであったと述べる。損失隠しを「ウチ」のためだと3代(下山敏郎、岸本正壽、菊川剛)の社長らが株主の金を使って不始末を処理してきた。
なぜ日本を代表する企業のひとつオリンパスがこのような不正を続けることができたのか。それは日本独特の「ウチ」という概念があると、著者達は指摘する。反社会的行為であるにも関わらず「会社のため」という身勝手な美徳で化粧した「ウチ」を信じ込んでいる経営者、役員たちこそが日本の病巣であり、失われた時代がまだまだ続くこと冒頭で述べる。

2.角谷通達によるバブル崩壊から始まるオリンパス事件簿とか

1985年下山社長の時代に、オリンパスは、プラザ合意による急激な円高による営業利益の減少をうけて、積極的な金融資産の運用(財テク)に走しる。5年後の1990年、バブル崩壊により損失が膨れあがったために、一層ハイリスクハイリターンの金融商品へと邁進する。その当時、もてはやされた金融商品が特定金銭信託(特金)とファンドトラスト(ファントラ)である。本書では含み益を計上しなくて済む金融商品と説明している。企業にとって、含みの利益を計上して税金を払うことは避けたいことが本音なので、広く企業に受け入れらた。この商品を開発したのが野村證券。原理は単純で、価値が変動して解約しない限り利益が確定できないことを理由に、税金の支払い義務がないこと。そして、これを担保にして銀行から融資を受ければ、企業としては借り入れとなるために、本業の利益を圧縮できるという理由からだ。

しかし株価が軟調になると、一転して、証券大手は増え続ける損失補填で大蔵省に助けを求める。そして出された通達が、角谷証券局長の通達で、損失補填は禁止され、一任勘定は名目上では投資顧問会社へ移管させられる。この金融商品・特金やファントラの損失をタックスヘイブンのペーパーカンパニーへ「飛ばす」手口は山一證券が始めた。

3.山一の飛ばしという幻のスクープ

日経新聞証券部で不自然な山一証券の財務諸表に注目していた著者の一人である阿部重夫氏が、その名もペーパー・カンパニーという社名の海外企業を使って6300億円もの巨額な損失を飛ばしている証拠を突き止める。
破綻直前の山一証券の「飛ばし」と、オリンパスの「飛ばし」の違いは、額の大小の差でしかない。山一が破綻するほど巨額債務で、ほとんどの日本の代表的な企業、そして我々の掛け金を運用する厚生労働省の年金福祉財団(現在の年金積立金管理運用独立行政法人)は苦しんでいた。そしてその傷跡はいまだ癒えていない状態、それが「失われた20年」であり、今につづく「現状」でもあることを本書は述べている。

4.宮沢喜一首相の不良債権処理を先延ばしで葬った寺村信行こそA級戦犯者だとか

金融機関の40兆円という不良債権処理が緊迫の懸案となっていた宮沢喜一首相当時、大蔵省銀行局長は寺村という男だった。寺村は、あからさまに宮沢の公的資金投入案に反対した。後に「寺村先送り行政」と言われ、決定的な不良債権処理の好機を逃がす。ここでも大蔵省と銀行頭取らの責任問題をうやむやにするという「ウチ」という共通の倫理観が優先された。
しかしすぐにツケが回ってきて、日住金、拓銀、長銀、日債銀など大手が破綻することで、ひたすら先送りする寺村信行に批判が集まる。結局、大蔵省は最後まで寺村を庇い続けるが、「巨額損失みんなで渡れば怖くない」という大蔵省の役人により、たった6000億円で金融機関を救済する宮沢喜一の案を葬ったことが、日本経済の先行きの分水嶺であったのだと、本書は述べる。

5.エンロン破綻から綿々と連なる飛ばし請負人達

山一証券や長銀などの破綻が、最初の10年とすれば、Lost Decade(失われた10年)の二巡目は2001年に起きたアメリカのエンロンのサドンデス(突然死)が発端となる。
エンロンも、デリバティブに手を染め巨額損失はChewcoやJEDIといったペーパーカンパニーに隠していた。翌年には、通信会社ワールドコムも損失を隠すために38億円の架空利益による粉飾が発覚して破綻している。どちらもオリンパスは、この手口を踏襲しているようである。このような「飛ばし」を請負う連中がエンロン以降も跋扈しているらしい。

90年代のロスト・ディケイドに「飛ばし」という商法違反を行った体制が、形状記憶合金のように戻ってきたそうだ。オリンパスの問題は、たまたまラッキーなかたちで暴露されたともいえるが、誰もが薄々感じているように、リーマン・ショック以降の不良債権にフタをしている企業は、ほかにもたくさんある。これからはそこにメスを入れていかないと、オリンパスが単なる特異例で終わってしまいかねない、とか。

6.小泉政権の規制緩和は不良債権の飛ばしの手段となった

小泉政権時代にアメリカに習い、不良債権の証券化という手法が導入された。具体的にはSPCや任意組合、匿名組合といった監査の緩い事業体が認可される。当時竹中平蔵(金融および経済財政政策担当)大臣の元で財務局理財部長として働いた高橋洋一氏は、このSPCが結局不良債権の流動化ではなく、隠れ債務に苦しむ企業にとって飛ばしのビーグルとして使われたことを指摘している。

 だから第二のロスト・ディケイドの日本復活が頓挫したことと、オリンパスの不正経理スキャンダルは、実は裏表の関係にあるのだ、とか。

7.偽りのコンプライアンスと監視不在の日本

オリンパス事件の裁判では、被告側の弁明で「経営判断原則」が焦点になるとか。オリンパスは、今回の粉飾に関して企業存続と発展のためにやっていたことだから、経営側の責任を問うなという答弁をしている、とか。 オリンパスはこの企業社会の共通認識を悪用し、露骨に「M&Aは中核的戦略」として不正を隠した例であると、本書は指摘している。ウッドフォード氏が取締役会で議題をこの問題のM&Aにしたとたん、社長信任の議題へ変更し、役員全員が不信任に挙手するといった具合に、経営陣全員が一致して不正を隠すという行動に走っている。

8.結局オリンパスは誰の所有物だったのか?

解任されたウッドフォード氏が株主の委任状争奪戦を挑むが、すぐに諦める。撤退の記者会見で、理由は、メーンバンクの三井住友銀行がウッドフォード氏の復職を歓迎しないことであると述べている。

本書では、三井住友銀行の持ち株会社である三井住友ファイナンシャルグループが、不正会計に関与していたという疑惑もあるとした上で、現経営陣を温存したままいち早く「支援」を明言していることは、不自然であると指摘している。900億円もの融資先であるために不正を暴いたウッドフォード氏に協力を求めることが最善であるにも関わらず、逆に、頑なに排除する三井住友銀行には「銀行の利益にならない何かがある」と本書では指摘している。少なくとも日本では、その債権関係と株主構成により、上場企業経営者の生殺与奪は銀行が持っている。

9.株価が上がらないのは日本市場では支配プレミアムがないため

本書は、結局日本の株式市場が低迷している理由に、オリンパスのような不祥事に対して銀行側の債権保全が優先されてしまい、銀行と経営者間の「ウチ」の論理でかたづけられるからである、と説明している。このように株主の企業統治は形骸化して、オリンパスの再建案も、三井住友銀行系SMBC日興證券が主導して資本提携先を探している。株式には転売できる「物的証券」と配当を受け取る「利潤証券」、そして経営に関与できる「支配証券」という3要素があると教科書では示しているが、日本には支配証券としての価値は欠落していることを、本書では指摘している。

10.感想:P.F.ドラッガーも指摘していた日本企業の問題

本書の書評をWeb上で、ある人が書いていた。その人は「オリンパス症候群」を読了したところ、ドラッガーを思い出した、とか。既に1981年(昭和56年)の時点で取締役会が機能していない日本企業へはドラッガーも警鐘を鳴らしていることを、その人は指摘する。ドラッガーのキーワードに「モダン」(近代的合理主義)という単語がある。ドラッガーによるとモダン時代はジェームスワットによる蒸気機関で工業社会と同時にアダムスミスにより「国富論」が発表されたことで始まる。モダンは第二次大戦で終焉し、戦後は「ポストモダン」の時代へと移ったとドラッガーは説明する。さらにポストモダンとは「組織」の時代であると、ドラッガーは定義している。組織が大切だからこそ経営者は責任とマネジメントを重視すべきと喝破している、とのその書評人は言う。

大きな町工場でしかなかったかも知れないオリンパスに充満するのは、山本七平のいう言語化できない「空気」以前のものなのか、不足するのはマッキンゼーの7Sのいうシステムと価値なのか。オリンパスは、合理的に、つまり内部の限界合理性に従って、敗戦したわけである。映画「何がジェーンに起こったか」では、二人だけの閉ざされた世界で、妹ジェーンの姉ブランチに対する呪詛は消えず、やがてジェーンは姉の人生を支配する暴君と化してゆくのだが、英人社長、菊澤氏的フレームからすればとりあえず「啓蒙された人」は、三井住友銀行の登場を見て、あきらめて故国の家族のもとに帰る。

わたしは、「摩擦節約理論」がなんとか組み立て、でっち上げられないかと、いろいろ頭をひねりつづける。もちろん、計数的に把握、表現できる形でである。

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リデルハートを読む

  和題名「ヒトラーと国防軍」である。原題は The German Generals Talk.であり、もともとは1948年、第二次大戦の直後にリデルハートがドイツ国防軍の将軍たちに直接にインタビューした図書 The Other Side of the Hill.である。
「丘の向こう側」ということであるか。第二次大戦を戦勝国である自国イギリスの側からではなく、敵側であったドイツ軍の立場、ドイツ・サイドの「眼」から、つまり丘の向こう側から、逆の立場から戦争を眺めなおそうという主旨である。
そこでリデルハートは述べる。「戦争を相手の立場から見るというのは、最もドラマティックな方法だ。それは、たとえば『望遠鏡をその反対側から見る』というのとは一つの大きな点で違っている。つまり画像が縮小されるのではなく、むしろ光景は拡大される。驚くほど鮮明に」とある。普通人は、自分のサイドでしか見れない。相手の心、立場で感じ考えることなどできない。土着の集合的無意識の中で、エーリッヒ・フロムの言うように集団の中に逃走する。しかし、グローバルな視座、多文化の視座、そしてリデルハートのような戦略家の視座としては、それは低劣な知性である。別の心理からも見ねばならない。孫子もいう、敵を知り己を知れば、百戦あやうからずと。国家興亡の大事である戦争においては、そのような土着の集合的無意識、集団の限界にはばまれた普通人の意識より、より高い領域での知性が必要となるということか。このリデルハートのアプローチが、第一に、納得のできることである。

第二は、ドイツ軍人に対する、というより軍事専門家、あるいは、あらゆる職業・知性に対するリデルハートの感覚、評価基準に非常に興味をもった。

近代軍事戦略論の代表的著書としては、クラウゼビッツの「戦争論」とリデルハートの「戦略論:間接的アプローチ」がある。プロイセン軍人であるクラウゼビッツの戦闘を全面に打ち出す決戦主義であり、強者の戦略論と呼ばれ、いまなお戦略論の王道とされる。対して、リデルハートは、第一次大戦のイギリス軍将校として、凄惨なソンヌ会戦、塹壕戦を体験している。そのため戦闘を極力回避しようとする不戦の考え方が強く、弱者の戦略論と呼ばれる。「勝利」よりも「均衡」である。
クラウゼビッツの戦略の本質的は、軍集団同士の決闘であり、敵を完全に撃滅することにある。力により、強制的に敵を服従させることである。
それに反して、リデルハートは、暴力や軍事力によって人間を完全に征服し、服従させることはできないと考える。それゆえ、クラウゼビッツ的な直接アプローチによる戦争はとらない。戦争の目的は敵の完全撃破と強制服従ではなく、敵の脅威を排除し、敵が自らの意思で投降してくれること、有利な形での「均衡」に持ち込むことである。これは、孫子のいう「戦わずして人の兵を屈するものこそ、上の上なるものなり」の思想と同じと言えるか。ローレンツの「ソロモンの指輪」にあるように、狼の戦いは、とどめをさすまで行うことはなく、敗者の合図で終了するのである。
そのリデルハートによるドイツの将軍たちへの評価というより、その評価の基準、フレームが興味ぶかいのである。

その一、もともと参謀本部というものは、いかなる軍隊と雖もいつでも必要に応じて必ず供給することができるとは限らないところの、天才の代わりに作られた、集合体的代用物である。従ってそれは本来的に天才の出現を阻むようにできており、ヒェラルキーであると同時に官僚組織であり、ただその代わりに一般の能力水準を高い所へ上げるのである、とか。

その二に、彼らの視野は職人的に狭かった。単なる軍事的目標以外の大戦略という感覚において、戦争目的という点において、こういう純粋な職業軍人というものは、ヒトラーを相手にしてやりだすと、極めて無力なものとなる。単なる戦略あるいは戦術として次元の職業的能力などというものは、ヒトラーと自分たちを穴の深みに陥れるだけであった、とか。

その三に、軍事専門家としてだけの軍人を評価せずに、逆にその種の軍人の限界性を見る。ドイツの将軍たちの評価に際して、その持っている教養、芸術的資質の有無を、リデルハートは極めて重視していることである。まるで、そのようなリベラルアーツの高さが、その軍人の資質の高さと同義であるような表現が、この本に多々見られる。

その四として、たとえば、ツァイトラー参謀総長について、「彼は、有能かつ精力的で、いかにもナチの気に入りそうな行動型の人間であるが、それは前任者のハルダー将軍のような、軍事問題について優れた論文を書いただけでなく、数学者でもあり、植物学者でもあったような、言わば思索型の人物とは違っている」と述べる。

その五だが、たとえば国防軍司令官であるライヘナウ将軍。「彼は性格が強くて創意に富み、知性よりもむしろ行動と直感の男であった。やる気があり、頭が良く、教養が高く、詩人でさえあり、それでいて述べた如く強い性格の持ち主であり、またスポーツマン」でもあったと、自分の好みのタイプを褒めている。

その六をいうと、逆に、専門だけしか持たない将軍たちへの評価は低い。「ドイツの将軍たちは、その職業についての勉強を、この上もなく完璧な形で学んで行った。若いときから政治や、ましてその他の世俗的なことについてなどは、脇目もふらずに、その技術に習熟した。こういうタイプの人間は、極めて有能ではあるが、想像力には乏しいものである。」と決め付ける。「彼らは、戦争といすうものを、一つの芸術としてではなく、むしろチェスのようにやろうとした」か。なるほど、戦争もそのような立場の人間も、芸術家である必要があるのか。それは芸術家の仕事だったのか。そこらの職業的安物ではなく、真の芸術家の仕事だったのか。このレベルの仕事は、職業的機械工の世界ではないということだな。

リデルハートの将軍たちに対する資質評価の基準として、その人物のもつ知性・教養・芸術的資質の如何があるのである。あえて我流解釈をすれば、将軍のような、戦略を司る立場の人物は、たとえ軍事問題であっても、軍事専門家だけではいけない。つまりスペシャリストでは担えないのであり、ゼネラリストとである必要があるということだろうか。戦争は機械工の仕事ではない、ということか。なるほど、である。また、これは軍事だけでなく、あらゆることに言えるのだろうとも納得する。

さて、このような彼の見方が、オックスフォードを出たイギリス・ブルジュア階級出身者の皆がもつ雰囲気なのか、リデルハート個人の軍事的思考深化の帰結なのかは、これはわからない。イギリスのジェントルマンとは何かの定義から来たのだろうか、どうか。欧米での教育ではリベラルアーツがとくに重視されていると聞くし、フランス人の哲学論争ずきも有名である。さて、アジアはどうしたとか、そんな読後感も生まれた。

いや、中世の東洋の教育の第一歩は、論語の素読から発していたはずだ。それが少年の背骨をつくったはずだが。日本で言えば、明治の軍人と、昭和の軍人の種、資質、本質をわけるのは、この線であろう。
硫黄島の栗林中将は、アメリカ駐在もしているが、絵心、詩心のあった人のようである。彼のなにかの言葉に、若い将校は、教えられたことしか知らず、基本的な教養がまったく欠けており、じつに問題であると述べたとかを何かで読んだ。他の指揮官が、思考停止状態で、古い教条主義的な作戦立案、指揮を行い、敵に対する何の効果もなしに兵士を犬死させ壊滅しつづけたなかで、硫黄島だけは、既存教条に反する作戦指揮を行い、太平洋陸戦史上唯一とも言える戦果と評価をあげている。つまり、リデルハートの理論は、ここに照らしても、正しい解のようだと思われる。この理論に照らして、夜の暇つぶしに、第二次大戦の日本の将官の評価を試みたが、やはり栗林中将が、ただ唯一の合格者のようである。

このリデルハートの理論(感覚)をさらに敷衍して、実業界、経済人いやさまざまな職種、自称芸術家まであてはめて考えたらどうなるのだろう。その専門知識・能力の高さと同時に、その人の持つ哲学・教養・芸術的資質を見るのである。横軸は、その職業的能力である。縦軸は、その人間的能力である。その格付けのフレームワークがつくれないか、数値化できないか、などと読後に妄想した。1LH (リデルハート)度数、2 LH度とか。これはマイナス1.5 LH度とか。さらに、縦横のX軸、Y軸のほかに、「丘の向こう側」を見る能力のZ軸を設定して三次元化すれば、さらにこの(リデルハート)度数も、精度と有効性を増すと思うが。IQとかEQとかCQではなく、それを統合するLH指数である。なかなか、われながら気に入ったアイデアだと思う。いいかも知れない。あとは、座標軸の目盛りの数値化、設定だが。いや、統計データがあれば数学的に可能だろう。現代の観相学として、けっこう当たるかも知れない。交流分析の手法に、さまざまな設問を点数化して、それを曲線にし、そのパターンで分類するという手法がある。とすると、LH係数ではなく、LH曲線か。いや、XY軸ではなく、XYZ軸であるから、さらに数学的処理が必要か。空間と座標となるな。おもしろい。フィールズやノーベル賞は出ないにしても、人類に新しいフレームワークを与えることは出来るか。ああ、これはある話だ。LH空間で、その座標A-Eまでを、戦争や国家運営の担当者とし、T-Uは、ネクタイをした職業的機械工にするのである。中国・朝鮮の科挙制度で、その試験科目のなかに詩文がはいっていたのは、じつに正しいと考える。山岡鉄太郎の書には、じつに人を感動させるものがある。

子育て親父して、とりあえず、息子を育てるならば、この地点まで行かせねばということか。まずは「経」と「史」を学ばせることだが、サンデル教授でも良いのだが。最近の子供は、そういうわけには、いくかどうか。文部科学省一条校に通っているし。受験にさられているし。わたしの時代でも、まるで、だめだったのであるから。

子供に、大きくなったら何になるか、と聞くのもまずいなあ。子供は、大きくなったら「大人」になるのである。答えは、それ一つなのである。彼らの知的スタンスとしては、陸機「文賦」のいう、「中区にたちて玄覧し、情志を典墳にやしのう」というところから発してほしいが。

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タイ投資委員会セミナーに参加する

この6月28日、大阪帝国ホテルでタイ国投資委員会の主催する「タイの投資政策」セミナーに知人の設計士とともに参加した。すでに何度か目の参加である。タイ国大阪総領事の挨拶を聞き、タイ国工業大臣、タイ国運輸副大臣、タイ国国家経済社会開発委員会長官、タイ国投資委員会長官、バンコク日本人商工会議所会頭の講演を聞く。昨年のタイの大洪水にもかかわらず、日本企業の進出はさらに加速されているとか。
タイ高官は、みな立派な英語が話せる。タイのエリートは大体そうであるように、ほとんど欧米留学組なのだろう。設計士が、日本の大臣や政治家で、堂々と、理路整然と、ここまで話せる人物がいるだろうかと、感心している。
その大臣たちの講演を、音声翻訳機で聞きながら、成長戦略という言葉を実感した。これが、じつに成長戦略、経済成長政策なのだと。中国から東南アジアをとおりシンガポールにつながる南北経済回廊、東西経済回廊、さらには新幹線が中国からシンガポールに抜けるレールウェイ構想、アジアハイウェイ構想、みな着実に進展しつつあるのだ。このような交通網の急速な整備とともに、東南アジアはドラスティックに躍進をつづけるだろう。とくに工業大臣がタイ国は、アセアン経済共同体(AEC)の確立準備を進めているとして、さらにタイでは数年前に30%だった法人税を今年23%に下げたが、さらに来年は20%まで更に引き下げると強調していた。国家経済社会開発委員会長官は、ミャンマーのダウェイ港まで道路開通を行い、それをアジアのハブ港として活用し、域内最大の共同生産連携を行う構想を述べていた。そしてインフラ開発への投資計画を説明する。規制緩和・法人税減税・道路網・鉄道網を整備することにより、東南アジア諸国の域内接続戦略を推進し、産業と投資を呼び込み、アセアン経済共同体の中心プレイヤーになろうとしているのである。

戦略的なインフラ拡大政策と法人税の大幅減税。規制の緩和。これは見事な経済発展政策と感心するしかない。優れた碁打ちのように、打つべき場所にきっちり布石し、石を置いているのである。定石どおりである。これは伸びるだろうと直感する。大きな伸び代があり、伸びる手を尽くしている。

今、ヨーロッパでも日本でも、緊縮財政路線か成長戦略か、路線対立がある。フランスもギリシャも緊縮財政を批判し、成長戦略を揚げる候補が当選した。経済成長により雇用が増え、税収も増えて財政再建が実現できるとする立場である。上げ潮派の考え方である。

しかし、現実問題として成長戦略は、よほどの条件が整のわないと達成不可能とされている。日本では60年代に池田勇人首相が所得倍増計画を打ち出し、この政策が高度成長に役割を果たしたとされるが、じつは成長戦略をやりぬいた政治家はいない、成功したように見える人も、単に運がよかっただけというのが最近の理解のようである。
当時の日本国民の平均年齢は28~29歳。人口の4割を占める農村の若者たちが都市に集団就職して工場労働者にやることにより、低賃金で良質な労働力が大量に工業に流入することにより、中進国日本は、先進国へのタッチアップに成功する。団塊世代と呼ばれるこの階層は、家庭をもち、家をもち、テレビをもち、冷蔵庫をもち、やがて車をもつようになり、さらに消費に拍車をかけることで、国内市場はさらに拡大される。正のスパイラルであり、右肩あがりの時代である。
同じような現状は、10年前の中国で起きており、今も進行中である。いわゆる人口ボーナス期である。国民の平均年齢が若くて経済に勢いのある時代は、政治的な秩序さえあれば、世界から金と企業と人があつまってくるのだ。経済成長は、政府の経済戦略ではなく、人口ボーナス、若年労働者がどのくらい多いかのデモグラフィー(人口統計的な年齢分布)の問題なのだ。
すると、人口オーナス(重荷)期に既に入っている日本は、負のスパイラルであり、もうこの形の経済成長は望めないことになる。

このデモグラフィー以外の経済成長のための方程式は、たった一つしかないと言う。それは規制を緩和し、法人税を下げて、世界中から金と業と人を呼び込むことである。そうすると、一時的に効率の悪い国内企業は倒産し、失業率も増えるが、やがて海外からの投資が増加し雇用も増えだす、それが新しい需要を生み、その需要から新しい産業と雇用も創出されていく、とうことらしい。そしてタイ国は、まさにそれをやろうとしている。タイ国の大臣や長官の講演を聞きながら、ああ、そういうことかと得心する。タイ国の戦略は奏功するだろう、そう確信する。

ただ先進国でこの政策をとろうとしても、このプロセスは少なくとも15年はかかるとか。レーガン大統領のレーガノミクスの効果が出たのは15年後のクリントン大統領の時代とされる。サッチャー首相も任期中は失業率が増え続け、追われるように退陣したが、その15年後に効果が見られたとされる。韓国の金大中大統領は1997年のIMF危機の時に、規制撤廃、IT促進、ビッグディール政策による財閥の統廃合、英語力の強化などで経済の立て直しをはかった。しかし、その成果が出たのは10年以上経過した現在の李大統領の時代である。
ここから出る結論は、その政策をとった大統領・首相の在任期間中は、失業率が増えて倒産が増える。規制撤廃をとった本人の在任期間中は、その効果があらわれないということである。この成長のプロセスは少なくとも10年以上かかるからである。痛みをともなうのである。とすると、鉄の女がいる。あんちゃんや、おっさんや、じいさんでは、とてもである。金の草鞋をはいて、レディを探さねばならぬ。

消去法だが、2つの経済成長の方程式のうち、人口ボーナスによるものは、60年代、70年代に日本は使い切った。すると、もう1つしかないのだが、痛みをともなう10年を示して実行する政治体制、社会体制にあるかということだろう。二宮尊徳的意味で、覚悟、性根の問題となるか。タイ国の投資セミナーに参加した夜、そのような整理をしてみた。一昨年も昨年も、このセミナーに参加しているが、タイ国投資委員会(BOI)長官は、同じ女性である。相変わらず堂々とプレゼンするのだが、「持続的発展のための投資」と題して、さまざまな恩典・免除をあげ、さらに税負担の軽減策を述べるのであるが、年毎に、タイの国力向上とともに貫禄がましているように感じるのは錯覚か。

 

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グループホームに叔母を見舞う

叔母がグループホームに入ったと聞いた。盆を利用して見舞いに行く。山陰のホームである。さすがに土地はひろく、まわりは水田と緑である。だが、新しいホームなのに、廊下を歩くと、ごみがちらばっている。叔母の部屋に入ると、前にひろびろとして水田が見えた。風景はよい。だが、部屋のすみにくもの巣がある。その巣に白い埃が付いている。叔母は、神の与えた最後の恩寵の状態だった。わたしに笑いかけるが、わたしもあまり記憶にないらしい。叔母の心の平安をただ願うのみだが、ホームの汚れ、スタッフの顔にきつさが気になる。要するに、人が足りないのだ。指定のぎりぎりの人数でホームをまわしているのだ。掃除はと聞くと、毎日利用者と一緒に掃除をしていると言う。では、この床のよごれ、ごみはなんだろう。口調がきつい。
しょうがないとは思う。グループホームは、介護報酬が「まるめ」なのだ。サービスに対してではなく、施設に報酬が支払われるのだ。ホーム維持のためには、絶対に利益をあげる必要がある。それなくしては、ホームは成り立たない。収入が「まるめ」であり、それ以上の収入も、それ以下の収入もない定額である。利益をあげる方法は、たった一つ。コストのカットしかない。つまり人員の削減しかない。いいかえれば、サービスの削減しかない。最低限のスタッフを雇用し、それに担わせるしかない。より多いサービスを受けられるのは入居者の利益だが、逆に、つまりサービスをしないことでホームは利益をあげられる。入居者とホームの利益は相反するのだ。

特養もそうである。医療サービスを嫌がる老健もそうである。一時金方式の高額な老人ホームは、入居者の残存余命を何年と想定して値段設定し、その設定期間より先に死んでいただければ、ホームの勝ちであり、それより長生きされれば損が出て、ホームの負けである。あれは、保険業界の統計に基づいたギャンブルの一面もあるのだ。すべて利用者とホームの利益は相反するシステムなのだ。サービスをするとホームが損をするシステムになっているのだ。これが現実なのである。表面はどうつくろおうと、そのようなシステムなのである。
利益を確保するには、人員をけずる、サービスをけずる、そして月の定額収入を得るという形しかとれないシステムなのだ。非人間的とも言える。

その現実を、叔母のはいったグループホームで見せ付けられながら、すこし暗澹とするしかない。そして手前味噌ではなく、わが社のシステム、サービス付の住宅型有料老人ホームが、相対的にだが、もっとも良いシステムだと実感した。

訪問介護という形で、サービスは外付けの形となる。他の施設のように、一人のスタッフが複数、場合によっては十数人をケアするという形は認められない。あくまで、一対一のサービスが基本である。会話が飛び交い、より密接であり、濃厚である。放置はありえない。入居者の顔が違う。入浴していただくのは身体介護である。床の掃除は生活援助である。「まるめ」ではなく、一つ一つが加算されていくのである。サービスをたくさん受けるのは入居者の利益である。サービスをたくさんするのは事業者の利益である。利益は相反しない。しっかりと一致する。そして、逆にトータルの費用は、どこよりもわが社のシステムが安い。より良い世話をすることはホームの損失になるシステムと、逆に、ホームの利益になるシステムとどちらが良いか、これは論じるまでもない。

そう納得した。
かって介護付有料老人ホームの指定をとろう、グループホームに手を挙げようと考えたこともあった。だが、以後は考えないようにしよう。手を出すまい。その形、そのシステムの中に入れば、おそらくわたしも必ずそのような考えになり、そのようなことをするであろう、からである。そしてスタッフもそのような顔になるであろうから。今の形でよい。そう叔母から教わった。

会社に行くと、昨日の茨木マリアヴィラの夏祭りの話をしていた。焼肉大会をしたらしい。みな大喜びをしたとか。胃ろうの人が三人おられるのだが、そばで匂いを楽しんでいたとか。そしてハーゲンダッツをスプーンにいれて、なめて頂いたら、三人とも声をあげて大喜びされたとか、そうスタッフが嬉しそうに言っていた。ほっとした。

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自分を語るということ

これは所謂ブログであるが、日記代わりの個人的備忘のつもりで書いている。建前として読者は自分自身だけである。もちろん前提から矛盾しているが。
ブログ、フェイスブック、ツイッターなどのSNSが流行している。もはや社会の支柱のひとつとなった模様。しかし、なんで誰も彼もが、そんなくだらない事を書き続けるのか、またそのような他者には何の意味もないプライベートをわざわざ晒して、何が楽しいのか、自己逃避、自己表現願望の亜種なのか、そう思っていた。
雑誌に記事があった。「米国科学アカデミー紀要」掲載のハーバード大学ミッチェル博士論文。その実験は人が自分のことを話すためにとる行動選択についての心理学的試験とか。被験者にさまざまな質問を行い、その傾向を分析すると、そこには明確に人は日常的シーンでも自分のことを話すのを好む傾向があるとか。調査によれば、日常生活の30~40%もが、私的な経験や個人的な人間関係の話題に費やされているとか。
つまり、人は自分のことを話す時、快感の脳回路を活性化させていることが判明したのである。ミッチェル博士の研究によれば、「自己暴露は快感である」という脳生理の基本原理が見られるのである。どんなにつまらないことでも、人は自分を語ること、自己暴露の快感、本能を持っているということになるようだ。
個人の経験を話すことは、知識や知恵の伝授につながり、これは社会的利益となるから、人類は、自己暴露を促進する脳回路を発達させたかもしれないとか。
なるほど、SNS隆盛の裏には、それが人間の脳構造とピタリと一致していたことによるのか。フェイスブックの爆発的成功の裏には、それが人類の脳構造の満たされない根源的欲求を、自由にWEB空間に開放させたことに在るという事だったのか。それをブラックホールのように吸い集めて、若い億万長者が誕生したのか。
子育てのころ、子供たちが「聞いて、聞いて」とよく言っていたが。

カウンセラーや精神科医は、まず相手の話をひたすら聞くことから始める。この初期手順は「受容」と呼ばれて、信頼関係を構築するというのが教科書的解釈だが、同時に相手の快感を満たすという心理療法的な意味あいもあるかもしれないと。
そういえば、かってキリスト教の成功要因の一つに、あの「懺悔システム」があると考えたことがある。自己暴露を公式に行い、そして自分に勝手に免罪符を発行するシステムである。あれも、そうか。新興宗教でも、座談その他の形で、自分のことを語らせる教団が多い。あれも、そうか。企業社会でも「聞き上手」は優れた成果を挙げる率が高いのは、これは経験的にわかる。成功した経営者には話しの上手い人が多く、じつに座持ちがよい。かならずこちらに話をふってくる。みな相手に快感を与えているのだ。恋愛術でも、「ここだけの、君にだけの話だが」という秘密の共有戦術は、有効なテクニックとされている。なるほど、そんなものだ。

SNS隆盛の理由が理解できたし、読者を想定していないと称してこのブログを書いている私も、あらあら、えっ。まあ、団塊世代であり、自身のボケ防止もかねているのだが。ナボコフの「記憶よ語れ」ではなく、記憶を残せ、だが。それに、文章を書くことで、自分の思考を整理し「見える化」する効用もあるわけだし。

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チャムたちを連れて

 仕事がら、働くママさん社員がおおい。共働きは普通の時代であるが、シングルマザーとなると、その大変さは察して余りある。
とくに父親のいない環境で、男の子を育てるのは、どう考えても、何か不足がありそうである。わたしの趣味は「お父さん」である。家庭的な男ではないと思っていたが、どうして、子育てはとても楽しかった。あちこちに遊びに連れて行ったものだ。
だが、育ち過ぎた。もうオヤジについて廻る年齢ではない。捨てられた訳ではないが、もうあのような時間は、戻らない。

 二人のシングルマザー社員の小学三年の男の子二人を連れて、ユニバーサルスタジオに行った。朝、初めて会うと、男の子たちは、今日の期待で浮き浮きしている。電車に乗り、ユニバーサルスタジオに着く。じつは、初めてだ。子ども連れでななければ、この年齢で行くところではない。

 二人は同級生とか。顔をくっ付けあい、小声でおしゃべりしている。横を歩きながら、耳を立てて、その話しを聴く。たわいのない事を言いあっている。ジェットコースターに乗ることは大問題のようだ。一人の子は、去年、二年生の時、吐いたとか。もう一人の子が、もう僕等は三年生だからと、乗ろうと主張している。

 チャム世代の始まる年齢なのだろう。母親から少し離れて、同性の友達ができる。チャムのように、つまり子犬のように、子犬たちがからまいあって遊びまわるように、同性の友達どうしが、つるみ合うのである。小学校の高学年から、中学生時代か。「前思春期」と呼ばれる時期だ。この時期を同性の友達としっかり遊ばないと、よい思春期、よい成長が出来ないというのが、最近の説である。

 聴き耳を立てながら、彼等のおしゃべりを聴く。君ら男だろ、三年生なら、ジェットコースターくらい乗らねば駄目だとけしかける。オヤジのつもりだが、横から見れば、おじいさんが孫を連れている図だったのだろう。

 高一の長男は、中学生の頃、同級生たちとひっきりなしにつるみ、あちこちに行っていた。鈍行に乗り、うどんを食べに道後温泉に行くとか。中一の次男は、柔道部の同級生たちとごにごにしつづけているようだ。ボーイズライフだなあ。半世紀前が懐かしい。知人と話しても、中学時代が一番楽しかったと言う者がおおい。

 独断だが、少年達に確信を持って忠告しておく。初体験は、遅ければ遅いほど良い。これは間違いない。あれは写真の現像での定着液のようなものだ。エビデンスもある。たとえば麻薬犬は、絶対にセックスはさせないらしい。交尾を経験した犬は、繊細な感覚と集中力がなくなり、ただの犬になるらしい。犬も人も同様だ。文学的エビデンスなら、ウラジミールナボコフの小説にある。

 少年達、遅ければ遅いほど良いのだ。今は、良い同性の友達をつくり、そいつらと遊べ。師友ということである。修行に女人禁制なのは、古今東西そうである。そのほうが、より高い処にいける。

 ジェットコースターで大騒ぎをし、あれこれに乗り、夕方になる。少し暗くなり、彼等が、弟や妹のために土産を買うのに付き合う。迷いに迷いながら、ずいぶんと可愛らしいものを買っている。健気に感じる。家なんとかにして孝子いずだ。陽が落ちて、子供達を会社に連れ帰る。夜道を歩く。良い時間だ。小さい小学三年生たちが、くねくね話し合い、話しかけてくる。だが、会社に着き、母親の顔を見ると、瞬間、わっと駆け出した。そして、それぞれの母親に今日の大冒険を、口をとんがらせて語りはじめる。相棒とはそれまで、 でお終い。ましてわたしなど、あらまあ、瞬間に眼中から消えたようだ。そうか、小学三年生は、まだチャム以前だったのか。赤ちゃんのつづきだったのか。

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市信金のアンケート調査

 大阪市信用金庫がこの7月、消費税率引き上げ関するアンケート調査を取引先中小企業を対象に実施した。引き上げは「やむを得ない」とする回答が全体の57%と、不安は強いものの、国の財政再建への意識が見られたとか。逆に引き上げるべきではないは43%。増税で景気に悪影響があるは78%と圧倒的に多く、とくに小売業では85%に達した。長引くデフレで価格引下げに迫られてきた中小企業にとって、増税分を価格に転嫁できるかは大きな問題だが、転嫁しきれないと考える企業が81%を占めたとか。

 わが社は、市信金とは取引がない。だが、もし市信金からアンケートが来たら、どう答えたらよいのだろうか?

 一般論だが、わが社は介護保険という制度に依存している仕事である。そのために、制度の持続性がつねに気にかかる。財政破綻により制度が崩れるのを恐れるのは当然の心理である。月初のレセプトを国民保険連合会に出すのだが、これは病院も薬局も同様である。そして病院が診療報酬の減額で、薬局が薬価の減額で苦しんでいるのは承知している。介護保険事業者も、同様に厚生労働省のさじ加減ひとつの世界で仕事をしている。そしてこのような社会保障費用が財政の大きな負担になっているのも承知している。
であるから、税率の引き上げが、日本経済の持続的な成長と財政健全化をもたらすなら、全事業者が増税の負担を背負う価値もあるというものだろう。問題は、その実現可能性である。

 前回の増税は1997年。だが2%引き上げられると、日本経済は深刻な不況に陥り、小売売上高が落ち込んだ。今もその不況から抜け出せていないと考えられている。増税で財政赤字を埋めることができなかったばかりか、政府の税収は96年の50兆円から昨年の36兆円に急減した。日本は、90年代末から景気刺激策から遠ざかった。その後の10年間で、対GDP比の公共事業支出は6%から3%に下がり、金融引締め策がつづけられ、円は急騰し、10年物国債利回りは1%を切り、ゼロ金利政策が導入。デフレが確定した。前回増税で得たのは、減少しつづける名目GDP、税基盤の縮小、国債発行残高の急増ということになるのだろう。

 さて、アンケートにどう答えたらよいのだろう? 財政再建か経済拡張かの二択ではなく、すでに増税路線が決定されたわけだが、その結果は? 介護保険の持続性も、その結果にかかわる部分が多いと思われるだけに、悩ましい。私的な予想としては、前回増税時と同様な結果ではないだろうか。歴史は繰り返す。政治と経済の両面で惨憺たる結果をもたらす可能性が高いように印象する。介護事業者も、真剣に財政問題を考えねばならないから大変である。長期スパンで思考せねば。ホーム新設に関する銀行借り入れが恐ろしい。介護保険制度の安定と財政の安定は同義語なのだ。

 私見では、増税よりも、規制緩和・法人税減税などの上げ潮政策が正しいような気がする。高橋是清ではないが、芸者の帯にも意味があるのだ。世間に金が元気よく回るようにするのだ。そのほうが税収が逆にずっと増えるような気がする。その一手のような気がするが、やむを得ない。そこにリスクがあるのなら、そのリスクを見極め、それをどう長期にヘッジするか考えるしかない。研究するしかない。それが、わたしの仕事のようである。

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リデルハートを読む

 和題名「ヒトラーと国防軍」である。原題は The German Generals Talk.であり、もともとは1948年、第二次大戦の直後にリデルハートがドイツ国防軍の将軍たちに直接にインタビューした図書 The Other Side of the Hill.である。
「丘の向こう側」ということであるか。第二次大戦を戦勝国である自国イギリスの側からではなく、敵側であったドイツ軍の立場、ドイツ・サイドの「眼」から、つまり丘の向こう側から、逆の立場から戦争を眺めなおそうという主旨である。
 そこでリデルハートは述べる。「戦争を相手の立場から見るというのは、最もドラマティックな方法だ。それは、たとえば『望遠鏡をその反対側から見る』というのとは一つの大きな点で違っている。つまり画像が縮小されるのではなく、むしろ光景は拡大される。驚くほど鮮明に」とある。普通人は、自分のサイドでしか見れない。相手の心、立場で感じ考えることなどできない。土着の集合的無意識の中で、エーリッヒ・フロムの言うように集団の中に逃走する。しかし、グローバルな視座、多文化の視座、そしてリデルハートのような戦略家の視座としては、それは低劣な知性である。別の心理からも見ねばならない。孫子もいう、敵を知り己を知れば、百戦あやうからずと。国家興亡の大事である戦争においては、そのような土着の集合的無意識、集団の限界にはばまれた普通人の意識より、より高い領域での知性が必要となるということか。このリデルハートのアプローチが、第一に、納得のできることである。

 第二は、ドイツ軍人に対する、というより軍事専門家、あるいは、あらゆる職業・知性に対するリデルハートの感覚、評価基準に非常に興味をもった。

 近代軍事戦略論の代表的著書としては、クラウゼビッツの「戦争論」とリデルハートの「戦略論:間接的アプローチ」がある。プロイセン軍人であるクラウゼビッツの戦闘を全面に打ち出す決戦主義であり、強者の戦略論と呼ばれ、いまなお戦略論の王道とされる。対して、リデルハートは、第一次大戦のイギリス軍将校として、凄惨なソンヌ会戦、塹壕戦を体験している。そのため戦闘を極力回避しようとする不戦の考え方が強く、弱者の戦略論と呼ばれる。「勝利」よりも「均衡」である。
クラウゼビッツの戦略の本質的は、軍集団同士の決闘であり、敵を完全に撃滅することにある。力により、強制的に敵を服従させることである。
 それに反して、リデルハートは、暴力や軍事力によって人間を完全に征服し、服従させることはできないと考える。それゆえ、クラウゼビッツ的な直接アプローチによる戦争はとらない。戦争の目的は敵の完全撃破と強制服従ではなく、敵の脅威を排除し、敵が自らの意思で投降してくれること、有利な形での「均衡」に持ち込むことである。これは、孫子のいう「戦わずして人の兵を屈するものこそ、上の上なるものなり」の思想と同じと言えるか。ローレンツの「ソロモンの指輪」にあるように、狼の戦いは、とどめをさすまで行うことはなく、敗者の合図で終了するのである。
 そのリデルハートによるドイツの将軍たちへの評価というより、その評価の基準、フレームが興味ぶかいのである。

 その一、もともと参謀本部というものは、いかなる軍隊と雖もいつでも必要に応じて必ず供給することができるとは限らないところの、天才の代わりに作られた、集合体的代用物である。従ってそれは本来的に天才の出現を阻むようにできており、ヒェラルキーであると同時に官僚組織であり、ただその代わりに一般の能力水準を高い所へ上げるのである、とか。

 その二に、彼らの視野は職人的に狭かった。単なる軍事的目標以外の大戦略という感覚において、戦争目的という点において、こういう純粋な職業軍人というものは、ヒトラーを相手にしてやりだすと、極めて無力なものとなる。単なる戦略あるいは戦術として次元の職業的能力などというものは、ヒトラーと自分たちを穴の深みに陥れるだけであった、とか。

 その三に、軍事専門家としてだけの軍人を評価せずに、逆にその種の軍人の限界性を見る。ドイツの将軍たちの評価に際して、その持っている教養、芸術的資質の有無を、リデルハートは極めて重視していることである。まるで、そのようなリベラルアーツの高さが、その軍人の資質の高さと同義であるような表現が、この本に多々見られる。

 その四として、たとえば、ツァイトラー参謀総長について、「彼は、有能かつ精力的で、いかにもナチの気に入りそうな行動型の人間であるが、それは前任者のハルダー将軍のような、軍事問題について優れた論文を書いただけでなく、数学者でもあり、植物学者でもあったような、言わば思索型の人物とは違っている」と述べる。

 その五だが、たとえば国防軍司令官であるライヘナウ将軍。「彼は性格が強くて創意に富み、知性よりもむしろ行動と直感の男であった。やる気があり、頭が良く、教養が高く、詩人でさえあり、それでいて述べた如く強い性格の持ち主であり、またスポーツマン」でもあったと、自分の好みのタイプを褒めている。

 その六をいうと、逆に、専門だけしか持たない将軍たちへの評価は低い。「ドイツの将軍たちは、その職業についての勉強を、この上もなく完璧な形で学んで行った。若いときから政治や、ましてその他の世俗的なことについてなどは、脇目もふらずに、その技術に習熟した。こういうタイプの人間は、極めて有能ではあるが、想像力には乏しいものである。」と決め付ける。「彼らは、戦争といすうものを、一つの芸術としてではなく、むしろチェスのようにやろうとした」か。なるほど、戦争もそのような立場の人間も、芸術家である必要があるのか。それは芸術家の仕事だったのか。そこらの職業的安物ではなく、真の芸術家の仕事だったのか。このレベルの仕事は、職業的機械工の世界ではないということだな。

 リデルハートの将軍たちに対する資質評価の基準として、その人物のもつ知性・教養・芸術的資質の如何があるのである。あえて我流解釈をすれば、将軍のような、戦略を司る立場の人物は、たとえ軍事問題であっても、軍事専門家だけではいけない。つまりスペシャリストでは担えないのであり、ゼネラリストとである必要があるということだろうか。戦争は機械工の仕事ではない、ということか。なるほど、である。また、これは軍事だけでなく、あらゆることに言えるのだろうとも納得する。

 さて、このような彼の見方が、オックスフォードを出たイギリス・ブルジュア階級出身者の皆がもつ雰囲気なのか、リデルハート個人の軍事的思考深化の帰結なのかは、これはわからない。イギリスのジェントルマンとは何かの定義から来たのだろうか、どうか。欧米での教育ではリベラルアーツがとくに重視されていると聞くし、フランス人の哲学論争ずきも有名である。さて、アジアはどうしたとか、そんな読後感も生まれた。

 いや、中世の東洋の教育の第一歩は、論語の素読から発していたはずだ。それが少年の背骨をつくったはずだが。日本で言えば、明治の軍人と、昭和の軍人の種、資質、本質をわけるのは、この線であろう。
 硫黄島の栗林中将は、アメリカ駐在もしているが、絵心、詩心のあった人のようである。彼のなにかの言葉に、若い将校は、教えられたことしか知らず、基本的な教養がまったく欠けており、じつに問題であると述べたとかを何かで読んだ。他の指揮官が、思考停止状態で、古い教条主義的な作戦立案、指揮を行い、敵に対する何の効果もなしに兵士を犬死させ壊滅しつづけたなかで、硫黄島だけは、既存教条に反する作戦指揮を行い、太平洋陸戦史上唯一とも言える戦果と評価をあげている。つまり、リデルハートの理論は、ここに照らしても、正しい解のようだと思われる。この理論に照らして、夜の暇つぶしに、第二次大戦の日本の将官の評価を試みたが、やはり栗林中将が、ただ唯一の合格者のようである。

 このリデルハートの理論(感覚)をさらに敷衍して、実業界、経済人いやさまざまな職種、自称芸術家まであてはめて考えたらどうなるのだろう。その専門知識・能力の高さと同時に、その人の持つ哲学・教養・芸術的資質を見るのである。横軸は、その職業的能力である。縦軸は、その人間的能力である。その格付けのフレームワークがつくれないか、数値化できないか、などと読後に妄想した。1LH (リデルハート)度数、2 LH度とか。これはマイナス1.5 LH度とか。さらに、縦横のX軸、Y軸のほかに、「丘の向こう側」を見る能力のZ軸を設定して三次元化すれば、さらにこの(リデルハート)度数も、精度と有効性を増すと思うが。IQとかEQとかCQではなく、それを統合するLH指数である。なかなか、われながら気に入ったアイデアだと思う。いいかも知れない。あとは、座標軸の目盛りの数値化、設定だが。いや、統計データがあれば数学的に可能だろう。現代の観相学として、けっこう当たるかも知れない。交流分析の手法に、さまざまな設問を点数化して、それを曲線にし、そのパターンで分類するという手法がある。とすると、LH係数ではなく、LH曲線か。いや、XY軸ではなく、XYZ軸であるから、さらに数学的処理が必要か。空間と座標となるな。おもしろい。
 フィールズやノーベル賞は出ないにしても、人類に新しいフレームワークを与えることは出来るか。ああ、これはある話だ。LH空間で、その座標A-Eまでを、戦争や国家運営の担当者とし、T-Uは、ネクタイをした職業的機械工にするのである。中国・朝鮮の科挙制度で、その試験科目のなかに詩文がはいっていたのは、じつに正しいと考える。山岡鉄太郎の書には、じつに人を感動させるものがある。

 子育て親父して、とりあえず、息子を育てるならば、この地点まで行かせねばということか。まずは「経」と「史」を学ばせることだが、サンデル教授でも良いのだが。最近の子供は、そういうわけには、いくかどうか。文部科学省一条校に通っているし。受験にさられているし。わたしの時代でも、まるで、だめだったのであるから。

 子供に、大きくなったら何になるか、と聞くのもまずいなあ。子供は、大きくなったら「大人」になるのである。答えは、それ一つなのである。彼らの知的スタンスとしては、陸機「文賦」のいう、「中区にたちて玄覧し、情志を典墳にやしのう」というところから発してほしいが。

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株式会社と医療サービス

Ⅰ.株式病院というもの

医療サービスの提供主体は国、自治体、日赤、国家公務員共済組合、学校法人、社会福祉法人、医療法人、医師個人、そして社会の福利厚生を目的としての企業系病院がある。今のところ正真正銘の株式会社○○病院はない。
「医療法」の第7条に「営利を目的として、病院を開設しようとする者には許可を与えてはならない」とあり、また同54条に「配当の禁止」の2項がある。これが医師会等の株式会社参入反対派の根拠だが、この2つの条項をどう読んでも、株式会社の参入を禁止していることにはならない(賛成派)。「何が営利」かは明示されていないし、ほとんどの医院・病院は私有資産であり、その所有者は高額所得者も多い。つまり7条は、はるか昔に死文化している。親族を社員にする等、MS法人等で、さまざまな節税、営利行為、利益配当、資産保全をしているのが実際である。
さらに54条は、反対の理由として根拠がない。医療法人には持分法の定めのある法人とない法人がある。持分法のある法人では、出資者は解散時、またか退会時に医療機関の財産を個人財産にかえることが可能なので、最後に一括配当するのと同じ仕組みになっている。そして現存する医療法人の98%が個人資産にかえることが可能な持分法のある法人。現在の、日本のほとんどすべての医療機関が決して非営利法人とはいえず、私立の医院・病院は実際において営利法人以外のなにものでもない。純粋に法的に言えば、株式病院の参入を禁止する理由は、医療法のどこにもないのである。
医師会等の既存の既得権益層と、慣習的な行政とのなれあいの結果と見られてもやむを得ないだろう。しかし、現場においては、正しい法解釈がどうであろうと、よほどの大きな制度改革がない限り、慣習行政の中で、保健所等の窓口でそれが認められることはないだろう。

事実、医師法第19条により医師は召集義務が課せられており、また患者を選別することも違法となるように、一面では、医療に市場原理がなじまない部分もある。また病院経営は、国民皆保険制度とかかわっており、公的保健や税金が投入されて成り立っている理由もある。もちろん、実際は、救急患者のたらい回しなど召集義務違反は日常だが、これで罰された例はない。また、株式病院への一般企業の進出努力がないのには、かならずしも収益が高くなく、場合によっては赤字化している病院経営へのリスクを計算中ということもあろう。それほど企業資源を投資するほどの部門ではないと見なされているのであろう。

その中で、セコムおよびオリックスという2つの大資本の病院経営への関与、そのアプローチの形は、現段階において、以後、弊社が参考にすべきものとして、いささか興味深い。

Ⅱ.セコムのアプローチ

警備大手のセコムが医療機関支援に乗り出したのは、1992年からである。東京世田谷の康和会久我山病院からである。同病院、毎年数億円の赤字を計上し、負債額は20億円に達していた。セコムは社員5名を出向させ、うち3人は理事長を含む理事に就任し、負債を引き継ぐ形で経営権を承継した。
さらに1998年、セコムは、千葉県船橋市の破綻した倉本記念病院の土地と建物を買収した、それを貸し付けるという形で病院経営に参画したのである。前身の倉本記念病院は、98年3月に150億円の負債を抱えて倒産していた。閉鎖された病院の土地と建物をセコムが買い取り、同社と関係の深い医師が、セコムから土地、建物を賃借する形で、個人病院としての開設の許可申請をおこなった。セコムからは、医療事業部門の社員が転出し、副院長に就任、経営管理の事実上の責任者として再建にあたった。
その翌年、病院名に「セコム」を入れようとして地元医師会の反発を受ける。やむなく「セコメディク病院」という形で落ち着いた。
以後、セコムはこのような、土地・建物のオーナーとなり、その病院開設のための不動産を貸し付けるという形で、提携病院を増やしている。
その結果、セコムの経営支援をうけた(実質的にセコムがオーナーである)病院は、企業的な管理手法の導入や、セコムの信用力を生かした資金調達を行い、積極的な事業展開を図るところも出てきた。セコムは別会社とて病院支援、医療ソフト開発部門もつくる。セコムの支援を受けた病院の成功がここまで目立つと、既存の医療法人による病院運営の限界も、逆に見えてくるとされる。

ただ、セコムから派遣された社員は、経営支援であり、医療にかんしては口だしせず、また経営管理も、その医療法人が主体性をもってやっているということになっている。

Ⅲ.オリックスのアプローチ

リース会社のオリックスは、さまざまな金融商品を開発しているが、医療機関を対象とした新しいか金融サービスとして考案したのが、「診療報酬請求権譲渡付き融資」である。医療機関が支払い基金や国保連合会に対して持つ「診療報酬請求権」の譲渡と引き換えに、オリックスが融資を実行するという直接貸し付けである。
同社が先鞭をつけたことで、現在は市中銀行などの金融機関も、診療報酬の請求権譲渡方式を行うようになった。

資金力・担保力のない新規開業者、既存医療機関に対する金融サービスであり、支払い機関からの診療報酬は、そのファクタリング会社の口座に振り込まれる。そこより、医療機関は必要な資金を受け取るという形になる。

現在の医療機関は、法制度に守られたためでもあるが、所有=運営が一体化されている古い形となっている。公的病院以外は、医院も病院も、おおむね院長すなわちオーナーの所有であり、オーナーが院長であり、一族が社員扱いで給与等をうける。またMS法人を設立し、最大限の節税と、配当を受けようとする。実際的にも精神的にも、それは家の私有財産であり、とうぜんに、その利権を子供に承継させようとする。しかし、すでに現在の東京では、100床以下の中小病院は、ただちに廃院すべきであり、傷の深くならないうちに廃院は早ければ早いほどよいとさえ言われる。

セコムとオリックスのアプローチ。その一方で、病院の土地建物その他をファンドに売却し、そのサブリースを受けることで、持ち主から賃借人になり、その際に資金を取得する。それを原資として、新しい形の病院経営に乗り出す病院もある。ファンドを組成する信託銀行もある。大阪の幾つかの大病院でも、そのような動きがある。所有と運営の「分離」という流れである。さらに、直接医療以外は、徹底したアウトソーシング等による経営の効率化である。

ホーム事業者が、このようなことをなぜ考えねなければならないのか。
これからは、さらに高齢化の進む時代である。3人に1人の世界。そこにおいてホーム事業者である弊社は、もはや医療と介護が一体化しないと、ホームの現場は立ち行かないと実感的に認識している。弊社ホーム事業に、主体的に医療組織を取り込むことで、シームレスにすること、それにより安定して、これからの高齢化社会に貢献したいと考えつづけている。その方法を考えつづけてるいるのである。

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ラオスを旅する

ビエンチャンに行った。ラオスの首都である。バンコクの空港から、プロペラ機で一時間。友人にタイ人がいるのだが、いかにもタイ的な時間感覚、マイペンライ気質の持ち主である。その彼がラオス人は暢気で田舎臭いという。それを聞いて、ぜひ一度行きたいと決めていたのだ。
機内で、なかなか飛行機が出ない。おかしいなと思っていたら、ドアが開いてパイロットが乗り込んできた。隣の客席の白人と中国系の青年が、ふたりで手をたたいて大笑いをしていた。ほら、これがラオス人だ、という感じ。

機内で税関書類を書き、さてビエンチャン空港についたが、税関らしきものがない。フロアを出たり入ったりしたが、しょうがないのでタクシーを呼んで市内の予約したホテルに行く。観光案内を片手にラオスの首都、ビエンチャン市街を歩くのだが、1時間半程度で、すべて終わった。じつに小さな小さな首都なのだ。首相官邸の横は、白人向けのホテルだった。デパートらしい小さな建物があるが、商品は、タイのデパートの圧倒的に商品量とは比較にならない。というより、タイで仕入れて販売しているようである。

川沿いのホテルを予約していたので、さて計画通り「メナムの残照」をみる。広く長い河の西の空が茜に染まる。空全体が染まっている。露店がならび、そこに寝転んでタイ料理より辛いラオス料理を食べる。
翌日、タクシーをチャーターしたが、じつに見るものが無い。そこでタクシーの運転手さんに君の家に連れて行け、と強引に頼む。ラオス人は、人の強く頼まれると、断れ無いようだ。トヨタの中古車をローンで買い、細君は公務員で二人の子供を育てながら、ローンを払っているとか。
彼の村に行き、家に行くと、みな喜んでいた。どうやら長男のようだった。昼ごはんのため老いた両親が畑から帰ってきたが、とつぜんの外国人に当惑しているようだった。それでもタイ人と同様に、微笑は絶やさない。ラオスももともとはタイ王国領だったからタイ語と同種である。となりの店で、ちかくの小学生におごりながら昼食。その後、ちかくを散策した。畑があり、林があり、草原がある。炭焼きの跡地もある。
静かな、落ち着いた農村の風景だった。なにやらデジャービューのような錯覚が生じた。ひょっとしたら、私は何百年前に、ここで牛でもしていたのだろうか。

夜、ふたたび河沿いでメナムの夕焼けを見ようとすると、ミニスカートの背の高い女性がくる。すぐにミスター・レディと気づいたが、付きまとわれる。タイにもおおいねとタイ語でいうと、タイは整形をしている、わたしたちは素顔だと怒って主張。ああ、そうですかと、なにやら感心。ふりはらおうとすると、とつぜんポケットに手を突っ込まれた。瞬間、走って逃げさるのだ。本能的に追いかけ、ずいぶんと走ったが、暗い寺内に逃げられた。
これはまずいと反省。外国で、地元の悪を追いかけるなど、そんな危険なことをしてはいけない。金だけだから、あきらめてまた昨日の露店の食堂にいき、寝転ぶ。でも、ひったりくりにあったのは生まれて初めてだ。なにか儲けた気がした。ラオスビールもうまく、料理もよく、人の呼び合う声も遠く、夜風もふき、満天の星空で、遠野物語ではないが、忽然と旅情を感じた。

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東北大震災の最中に買出しをする

 わたしは阪神大震災の罹災者である。西宮の住居もくずれ、道は破れ、水道・ガス管が破裂して、はげしく水道水とガスが噴出していた。ほこりと塵芥の道をあるくと、高速道路は崩落し、二階建ての家の一階がくだけ平屋状態。ビルは大きく傾き、それがえんえんとつづいていた。被災地を荷物を担いで歩き、さらには知人の壊れた家に入り、その依頼の貴重品を運び出したりした。
 戦争が起こればともかく、このような風景は、もうわたしの人生では見ないだろうと、ただ驚き、あきれながら、あきれて恐怖感もわかなかったが、西宮・神戸をなんども往来した。その後、なんとなく自分が阪神大震災の罹災者、そして難民であることを話の種にした。西宮から京都、そして枚方市と居を変えた。おそらく自分が大変な体験をしたと思っていたのだろう。しかし、今回の地震と、それ以上にあの津波に驚愕した。自然の力とはいえ、あれは表現のしようがない。わたしの体験した阪神大震災も、あれに比べればささやかなものである。もう得意げに、自分が大震災の経験者である、などとは言えなくなった。

 テレビでは炊き出しがはじまり、また支援物資が送られている。避難民は避難所で、それを受け取る。それは、それでよいのだろう。しかし、違和感があった。政府は買占めをやめるように繰り返し報道している。パニックになり、物資の供給がとどこおるのは避けねばならない。これは当然であろう。
 しかし、違和感がある。わたし自身は、何週間分の非常食等を買いだした。あわてて走った。テレビでは自治体の備蓄物資が供出されている。それを見ながら思い出したことがある。

 わたしは島根県で生まれている。 はるか半世紀も前のことになる。わたしは山陰の田舎の小学生だった。その頃は、それぞれの家が、米、干した芋のつる、かんぴょう、ほし大根、芋などを備蓄していた。それが農家の風習だった。飢饉や災害に備えて、各家が、みずから備蓄を行っていたのだ。そしてやがて日本がほとんど給与所得者の国になり、その風習がなくなったのだろう。
 通っていた小学校の校庭に校庭に二宮金次郎の、例の薪を背負いながら本を読んでいる銅像があった。二宮 尊徳は、江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家である。通称は金次郎(正しい表記は「金治郎」)。諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓む。
その「報徳記」 巻之五に飢饉と窮乏の時に対するいさめがある。
【先生小田原の大夫某と飢歳当然の道を論ず】

申(さる)の凶荒(きようくわう)に当(あた)り、救荒(きうくわう)の道を命ぜられ小田原に至れり。
時に大夫(たいふ)某(それ)先生に問て曰く、
年飢ゑて民を救うの道を得ず。
此の時に当(あた)り何の術を以て飢渇の民を救ひ之を安(やす)んぜんや。
先生曰く、
礼(れい)に云(いわ)く
国(くに)九年の蓄(たくわ)へ無きを不足と曰ひ 六年の蓄(たくわ)へ無きを急と曰ひ 三年の蓄(たくわ)へ無きを国(くに)其(その)国(くに)に非ずと曰ふ
夫(そ)れ歳入の四分が一を余(あま)し之を蓄(たくわ)へ、水旱(すゐくわん)荒年(くわうねん)盗賊衰乱(すゐらん)の非常に充(あ)つるもの、聖人の制(せい)にあらずや。
事予(あらかじ)めする時は救荒(きうくわう)の道何ぞ憂ふる事之あらん。
然るに僅(わづか)一年の飢饉至り救荒(きうくわう)の道なしとは何ぞや。
是の如くにして国君(こくくん)の任何(いづ)れにかある。
大夫(たいふ)執政(しつせい)の任何を以て其任とするや。

大夫(たいふ)某(ぼう)曰く、
事前に備ることあらば元より凶飢(きようき)の憂(うれひ)あらず。
今如何(いか)にせん。
其の備(そなへ)なく又其の術を得ず。
此の難場(なんば)に臨み之を処(しょ)するの道ある歟(か)。
撫育の米財なくして民を救(すく)はんこと英傑明知と雖(いへど)も能(あた)はざる所ならん、将(はた)別に道あるか。

先生答へて曰く、
如何(いか)なる困窮の時といへども自然処(しょ)すべきの道なしと謂(い)ふ可らず。
唯(たゞ)行ふ事の能(あた)はざるをのみ憂ひとせり。

某(ぼう)曰く
願はくば其の道を聞かん。

先生曰く、
国(くに)窮し倉廩(そうりん)空しくして五穀実(みの)らず国民(こくみん)餓ヒョウ(がへう)を免れざるもの其の罪安(いづく)んかある。
国君(こくくん)大夫(たいふ)以下の職たるや、天民(てんみん)を預り之をして悪に陥らず善を行ひ、人倫の道を踏(ふ)み生養(せいやう)を安ぜしむるもの其の職分にあらずや、
此の勤労(きんらう)を以て恩禄を賜り父母妻子を養ふことを得。
然るに其の民を預り安んぜんとするもの思慮此(これ)にあらずして自ら安居(あんきょ)の道を計り奢侈(しゃし)に長じ、上下(じょうげ)困窮に陥り万民(ばんみん)をして飢渇死亡に穽(おとしい)るゝに至りて、猶(なほ)漠然として我が罪なることを知らず、歎ず可(べ)きの至りに非ずや。
此の時に当(あた)り救助の道を得(え)ば可也(かなり)。
若し得ずんば人君(じんくん)此の罪を天に謝し万民(ばんみん)に先立ち飲食を断(だん)じて死すべし。
然りといへども一国(こく)君を失はゞ其の患(うれ)ひ至大(しだい)にして、誰か又国家(こくか)を治めん。
然らば大夫(たいふ)たるもの君の死を止(と)め、領中に令(れい)して云(い)ふべし。
我等君(きみ)を補佐し仁政を行ひ百姓(ひゃくしやう)を安んぜんが為(ため)の職分なり。
然るに上(かみ)君に忠を尽(つく)すことあたはず、下(しも)百姓を安んずることあたはず、一歳(さい)の飢饉猶(なほ)其の飢渇を救ふことを得ず、是皆我が不肖(ふせう)にして其の罪重しといふべし。
百姓に謝するに死を以てすといへども何を以て其の罪を償ふことを得んや。
君(きみ)仁心厚くして某等(それがしら)の罪を自分(じぶん)の過(あやま)ちとなし、今領民に先立ち命を棄て万民(ばんみん)に謝し玉はんと宣(のたま)ふ。
某等(それがしら)大いに驚き一国(こく)上下の大患(だいくわん)是より大なるはなし。
君(きみ)素(もと)より臣等に安民の政(せい)を任ず。
臣其の任を受けて而(しか)して其の民を飢渇に陥らしむ。
此の罪臣等にありと言上し、君(きみ)の百姓に先立ち玉ふことを止(と)め奉りしなり。
是(これ)に由(より)て某(それがし)百姓に先んじ食を断(た)ち死を以て領民に謝する也と令し、第一に大夫餓死(がし)に及ぶべし。
其の次に郡(こほり)奉行(ぶぎょう)なるもの其の職とする所領民の危(あやふ)きを去り安からしむるにあり。
然るに其の行ふ所道に差(たが)ひ此の民を飢亡(きぼう)せしむ、是我が罪なり。
死を以て百姓に其の罪を謝せんと云(い)ひ断食(だんじき)して死すべし。
其の次は代官たるもの奉行同罪なりと云ふて食を断(た)ちて死すべし。
是(こ)の如くなれば始めて其の任に在りて、其の任を忘れたるの罪を知れりとすべし。
領民此の事を聞かば国君(こくくん)の民を憐み玉ふこと一身にも換(か)へ玉ふ。
大夫(たいふ)以下我々飢渇の故を以て其の咎(とが)を一身に引(ひ)き飢亡(きぼう)に及べり。
君(きみ)大夫(たいふ)以下何の罪あらんや。
我が輩(ともがら)平年奢(おご)りに長じ米財(べいざい)を費(ついや)し凶年の備(そな)へをなさず自(みずか)ら此の飢(うゑ)に及べり。
然るに高禄歴々の重臣之が為に死亡に至れる事我輩(わがはい)の大罪にあらずや、餓死元より当然(たうぜん)なり。
高禄の貴臣尚(なほ)食を断(た)ちて終れり。
我々の餓ヒョウ(がへう)に至らん事何の恐るゝ所やあらんやと、一同飢歳(きさい)を恐れ死亡を憂ふるの心忽然として消(せう)し其の心悠然たり。
一旦憂懼(いうく)の心去る時は食(しょく)其の中にあり。
領民互(たがひ)に融通(ゆうつう)し又は高山に登り草根(さうこん)を食とし、国中(こくちゅう)一人の餓ヒョウ(がへう)なきに至る事必せり。
一年の凶飢(きょうき)何ぞ一国の米粟竭尽(けつじん)するの理あらんや。
又百草百木も人を養ふに足れり。
然して国民飢亡(きぼう)に及ぶものは憂惧(いうく)の心主となり、食を求るの気力(きりょく)を失ひ死亡に至るなり。
譬(たと)へば玉なしの鳥銃(てうじゅう)の音に驚き死するが如し。
鳥銃玉なくんば豈(あに)人を害せんや。
然して斃(たふ)るゝものは玉ありとなし其の音に驚き死す。
一歳(さい)の凶年何ぞ人を害せんや、人飢饉の音に驚き飢渇に及べり。
是の故に政(せい)を執るもの咎(とがめ)を一身に引(ひ)きて先づ死する時は、音に驚きたる衆民(しゆうみん)の惧心(ぐしん)消散(せうさん)し、必ず飢(うゑ)に及ぶものなし。
豈(あに)奉行代官までの死を待たんや。
大夫(たいふ)餓死せば万民(ばんみん)救はずして必ず飢亡(きぼう)を免るべし。
是(これ)荒政(くわうせい)の術尽(つ)き万民(ばんみん)を救わずして救ふの道なり と云ふ。

大夫(たいふ)愕然(がくぜん)として自ら失ふが如く、流汗(りうかん)衣(ころも)を沾(うるほ)し良(やゝ)久しくして曰く、
誠に至当(したう)の道なり。

ネットでの訳文によれば、以下のようになる。報徳記 巻の5 【7】先生小田原の大夫某と飢歳当然の道を論ず

 天保7年(1836)の大飢饉に当って、先生は救助の道を命ぜられ(翌年)小田原に来た。その時にある家老が先生に質問して言った。
「飢饉の年に民を救う道を得ない。この時に当ってどういう方法で飢えた民を救い、これを安らかにすることができるか。」
先生は言われた。
「礼経に言います。
『国に9年の蓄えが無いことを不足といい、6年の蓄えの無いことを急といい、3年の蓄えの無いことを国、その国にあらず』と言います。
そもそも歳入の4分の1を余らせこれを蓄え、水害や日照りなどの荒年や盗賊・衰乱の非常に充てることが、聖人が制定されたことではありませんか。
予めそのようにする時には救助の道をどうして憂える事がありましょう。
そうであるにわずか1年の飢饉が来て救助の道がないとはどうしたことでしょう。このようにして国君の任務はどこにありましょう。家老の政治を執る任務をどうして務めたといえましょうか。」

 ある家老は言った。
「事前に備えることがあればもとから飢饉の憂いはない。今、どのようにしよう。その備蓄がなくまたその方法を得ない。
この難しい状況に臨んでこれを処置する方法があるか。恵み育てる米や資財がなくて民を救うことは英傑や明知の人でもできない所であろう、それとも別に道があるか。」

 先生はこのように答えられた。
「どのような困窮の時であっても自然に処置するべき道がないということはありません。ただ行う事ができないことだけを憂いとするのです。」

 家老は言った。「願はくはその道を聞こう。」

 先生は言われた。
「国が困窮し穀物を蓄える蔵が空っぽで五穀は実らず、国民は餓えて死ぬことを免れない、その罪はどこにあるか。
国君・家老以下の職というものは、天から民を預ってこれを悪に陥らず善を行い、人倫の道を踏み養い育てることを安らかにさせることがその職務上当然の勤めではありませんか。この勤労によって恩禄を賜って父母妻子を養うことができる。
そうであるのにその民を預って安らかにする者の思慮がこれになくて自ら安らかに暮す方法を計って度を超えて贅沢にふけり、上下が困窮に陥って万民を飢えて死亡におとしいれるに及んで、なおぼんやりとして自分の罪であることを知らない、嘆くべき至りではありませんか。この時に当って救助する道を得るならばよいでしょう。もし得なければ君主はこの罪を天にお詫びし万民に先立って飲食を断って死ぬべきです。しかしながら一国がその君主を失えばその患いはこの上もなく大きく、誰がまた国家を治めましょう。そうであれば家老は君の死を止め、領内に命令して言うべきです。私たちは君を補佐し仁政を行い百姓を安らかにするための職務についている。そうであるのに上は君に忠を尽すことができず、下は百姓を安らかにすることができない、一年の飢饉でさえなおその飢えを救うことができない。これは皆私が愚かでその罪は重いというべきだ。百姓に死んで謝罪してもどうしてその罪を償うことができよう。
君は仁心が厚く私たちの罪を自分の過ちとし、今、領民に先立って命を棄て万民に謝罪しようとおおせになる。私たちは非常に驚いて一国の上下の大きな災難はこれより大きいものはない。君はもとから臣らに民を安らかにする政治を任じられた。臣はその任務を受けてそしてその民を飢えに陥らさせた。この罪は臣らにありますと申し上げ、君が百姓に先立って死ぬことを止めました。これによって私が百姓に先だって食を断って死んで領民に謝罪するものであると命令し、第一に家老が餓えて死ぬべきです。
その次に郡奉行がその職とする所は領民を危いことを去り安からにすることにある。そうであるのにその行う所は道にたがってこの民を飢えて死なせる。これは私の罪である。死んで百姓にその罪を謝罪しようと言って食を断って死ぬべきです。
その次は代官は奉行と同罪であると言って食を断って死ぬべきです。
このようであって始めてその任務に在って、その任務を忘れた罪を知っているとすべきです。領民はこの事を聞くならば国君が民を憐れまれること、一身に換えられる。
家老以下が私たちが飢えたためにその咎めを一身に引きかえて飢えて亡くなられた。君や家老以下に何の罪があろうか。
私たちが平年度を超えて贅沢にふけり、米や財を費消して凶年の備えを行わず自らこの飢えに及んだのだ。そうであるのに高禄のお歴々の重臣がこのために死亡に及んだ事は私たちの大罪ではないか、餓死することはもともと当然である。
高禄の身分の貴い臣がなお食を断って亡くなられた。私たちが餓えて死ぬに及んでも何を恐れることがあろうかと、一同飢えを恐れ死ぬことを憂える心がたちまちに消えてその心が落ち着きます。
一度憂え恐れる心が去る時、食はその中にあります。
領民は互いに融通しまたは高山に登って草の根を食とし、国中で一人の餓えて死ぬ人が必ずなくなることでしょう。1年の凶作・飢饉でどうして一国の米穀が尽きる道理がありましょうか。また百草・百木も人を養うに足ります。そして国民が飢えて死に及ぶものは憂え恐れる心が主となって、食を求める気力を失って死亡に至るのです。たとえば弾(たま)のない鳥撃ち銃の音に驚いて死ぬようなものです。銃に弾がなければどうして人を害しましょう。
そうして倒れるのは弾があるとして、その音に驚いて死ぬのです。一年の凶作の年でどうして人を害しましょうか、人は飢饉だという音に驚いて飢えに及ぶのです。
このために政治を執る者がその咎めを一身に引き受けてまず死ぬ時には、音に驚いた民衆の恐れる心が消散し、必ず飢えに及ぶ者はありません。
どうして奉行や代官までの死を待ちましょうか。家老が餓死すれば万民は救わなくても必ず飢え死にを免れるでしょう。これが政治が荒れて、方法が尽きて、万民を救わないで救う道です。」と言われた。

家老は非常に驚いて自失するようで、流れる汗が衣をうるおして、やや暫くして言った。
「誠に至当の道です。」

 そのとおりである。三年の貯えあって国である。では、「家」ならば、どの程度の備えが必要であろうか。今、日本の自治体ではある程度の緊急備蓄を行っている。今回の震災でも、各県の備蓄を取り崩して被災地におくっている。それはそれで結構なことである。

 しかし、個々の「家」はどうしているのか。どの程度の備えが、この「地震・震災・津波の国」の「家」では用意されていたのか。というより、かってはされていたはずである。いつ、それをしなくなったのか。疑問なのである。

 被災者は気の毒であるが、しかし、備え、自助・自力の備えはどうだったのか。日本国民は、みな農民をやめて、給与所得者、消費者になっている。消費は美徳である。金でなんでも買えると思っている。だが「輩(ともがら)平年奢(おご)りに長じ米財(べいざい)を費(ついや)し凶年の備(そな)へをなさず自(みずか)ら此の飢(うゑ)に及べり」とある尊徳の言葉は、今もそのとおりであるが、すでに忘れ去られている。

 危機管理は、最悪に備えて楽観的にふるまうことだとか。今回の東日本の罹災にあたって、600キロ離れて住むわたしは買出しに走った。果たして顰蹙ものだろうか。おそまきながら、備蓄をはじめたのである。つぎに関西にくる東南海大地震のためでもあるが、家の「空白」に気づいたからである。わたしが被災しても、だれもわたしを助ける義務などないのだ。そして避難所に逃げ込んで、救援の食料をまつなどということをしたくないのである。
二宮尊徳は、「三年の備えがなければ国ではない」と言っている。国が備えなくても、むかしの山陰地方のように、それぞれの家が半年程度の備えがあれば、町も国もはるかに強度がます。日本が、こんな地震の多い国、災害のおおい国とは思わなかった。また新しい大地震が、かならず来るものとして予測されている。
買占めとそしられても、自己責任で、まずみずからの家と家族を守るしかないのだろう。東日本の災害が一段落すれば、その整備をしようと思う。知恵は、豊かになるためではない。最悪の場合、あるいは飢饉・災害にあたって、どう処するかのためにあるような気がする。飢饉・災害にあたっては、「備蓄」し「性根」を据える事を二宮尊徳は説いている。復活すべき知恵である。

 被災民が秩序正しく、配給品を受けて乱れがないことを世界の論調はほめている。そうだろうか。穏当な表現ではないが、あえて言えば、羊のような秩序ではないだろうか。津波ですべてを失った人はやむを得ないが、家がつぶれたくらいで、他者から救援されるとは、二宮尊徳なら、どう見るのだろうか。彼は、日々の心得と、その場における性根を説いているのである。

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ローレンツ ソロモンの指輪 再読

 図書の整理の途中で、ふるい本を、つい再読している。ふたたび凡てを読み返すのではない。何十年前に読んで、すこし気になっていたところをパラパラめくるだけである。あの頃は、肩まで髪の毛を伸ばしていた。今は、リアップをしている。その間に、なにをどう感じるように変化したのか、そのようなセンチメンタルな感慨であり、また当時から、なにか腑に落ちなかった部分の読み直しである。 

 動物生態学者コンラート・ローレンツは、その著書「ソロモンの指輪」の中で、じつに興味深いことを述べる。ふつう我々は、狼を獰猛かつ残忍動物だとみなすいっぽう、鳩やノロ鹿を平和な生き物だと考えている。だが、それは大きな誤解だというのである。

動物に関する話には誤解が多い。本書はあちこちでその盲信を指摘する。キツネはずるいと言われるが、けっしてほかの肉食獣以上にずるいわけではない、聡明と考えられているワシはニワトリよりもバカである、などなど。

とくにローレンツが力説し、また示唆に富むのは、モラルと武器の関係である。ローレンツの観察によれば、おとなしいと考えられているウサギやノロ鹿、これは「バンビ」のモデルだが、また優雅なクジャク、平和の象徴扱いされるハトは非常に残酷だという。本来、人間と違い自然界の生き物は「同種殺し」はやらないと考えられていた。しかし、これらの「草食系動物」は場合によっては同種の相手を死に追いやる。他方、狂暴と思われているオオカミなどの「肉食獣」は相手を必要以上に痛めつけることはない。

この一般の盲信と異なる実態をローレンツは次のように分析する。

「ある種類の動物がその進化の歩みのうちに、一撃で仲間を殺せるほどの武器を発達させたとする。そうなったときその動物は、武器の進化と平行して、種の存続をおびやかしかねないその武器の使用を妨げるような社会的抑制をも発達させなければならなかった」

ローレンツによれば、自らの牙の危険性を熟知している狼は、仲間同士で戦う場合、劣性の狼が首を差し出して降伏の意思を表すと、優勢な狼はそれ以上相手を攻撃することはないという。同一群の狼に序列はできるが、いったん序列がきまるとそれ以上無益な争いをして傷つけ合うことはなく、それぞれの役割を果たしながら仲間同士助け合って行動する。

そのいっぽう、鳩やノロ鹿のように弱くておとなしそうな動物が仲間争いを始めると凄惨な事態が起こるという。たとえば鳩の群を大きな檻の中で飼ってみると、ストレスなどが原因で争いが生じた場合、強い鳩は弱い鳩を攻撃して殺してしまうばかりか、死んだ鳩の内臓が剥き出しになりズタズタに裂けた状態になっても攻撃の手を緩めない。小鹿のバンビのモデルになったノロ鹿の場合も同様で、いったん争いが生じると強い鹿は弱い鹿をとことん追い詰め、相手の内臓が破裂し絶命してもなお執拗に攻撃し続ける。人間社会と同様に弱者に対する集団攻撃も起こる。その種の残忍さは弱い動物が具えもつ特性であるという。

争いに負けた鳩やノロ鹿が通常絶命するまでに到らずにすむのは、広い自然界の場合、敗者が一時的に逃走することにより悲劇を回避し自己防衛をおこなうことが可能だからだ。ストレスがもとで集団内に争いが生じ、しかも弱者に逃げ場がないような時には見るも無残な結果になってしまう。鳩やノロ鹿などの動物にとって「逃走」は重要な意味を持っているわけだ。

ローレンツの考察によると、生来、人間という動物は鳩やノロ鹿と同様の生態学的特質を有しており、その本性はきわめて残忍なものなのだという。
 人間は文明的に進歩することによって、自分の体とは無関係に、急速に発達した武器をもつ動物となった。急速な武器の発達はその武器の抑制能力の発達を追い越してしまっている。ローレンツの言う武器に見合う「社会的抑制」がない、それが人類だというのである。

 かって岸田秀は、ローレンツからの引用であろうが、人間は人間を殺す、本能の壊れた生物との述べていた。してみると、人間なる生き物をオオカミのように信じることはできない。人間は、オオカミのようモラルを持つことが出来ない。さらに言えば、現代社会は「逃走」することのできない箱、人工的な檻である。この人工的な「檻」の中で、逃走することのできない人間は、さて、オオカミのようなモラルを持つことができるかどうか、ということだろう。これが人類の運命を左右する、というローレンツの言葉は示唆に富む。

 そういえば思い出した。わたしは島根県の出雲部で生まれ育っているが、出雲には「狐憑き」というものがある。誰かが、ある家のことを「狐が憑いた」と噂を流す。すると、その家は地域から排除されて、いわば村八分。その家から嫁にいった娘は、かえされる。理由はない。「狐憑き」の血は、排除されねばならないからである。その家は、社会的な死を集団により与えられる。ムラは、集団で社会的殺戮をはじめる。江戸時代、明治、大正、昭和二、三十年代、その家はどこにもいけない。つまりムラという檻から「逃走」できない。貧しく陰湿な山陰から、逃げ出せないまま、切り刻まれるのである。本能だけでなく、モラル・文化も狂っているということになるのか。つい昔のことだが。

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P・F・ドラッカー「傍観者の時代」

書棚を整理していると、この本が出てきた。30代の時に読んだ本だ。ダイヤモンド社昭和54年3月の刊。
今、ドラッカーと言えば経営の神様であり、書店にも、知人の社長室の本棚にもずらりと著作がならんである。しかし、当時のわたしには経営の神様など、縁のない世界だった。それよりも、その文章と立ち位置に対して興味を惹かれていた。傍観者=バイスタンダー、自らは行動せずに時代と世界を観察する者であるとか。当時、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」論やウラジミール・ナバコフのエミグラント文学をよく読んでいたが、その当時のわたしの読書傾向の流れの一冊としてこの本を読んでいたのだろう。
ウィーン、ベルリン、ロンドン、アメリカと時代の風の中で、異郷から異郷へ、ながれつづけているドラッカーの自伝として、あるいは内面の旅の記録として読んでいたような気がする。

それから30年後。ドラッカーの経営の本を読むと、なるほど良いことを書いているとは思うが、この「傍観者の時代」を読んだときの面白さには及ばない。彼の経験した時代と人物が、じつによく書かれている。ドラッカーは小説家志望もあったと聞くが、これはつまらない小説家の愚作などよりはるかに優れた文芸だと、当時考えていた。

本書で一番面白いのは、「フロイトの神話と真実」であろう。彼の幼少時代のウィーンでは、フロイトは非常に目立つ存在、有名な存在であったとか。ドラッカーは8・9歳のとき、一度だけウィーンの町でフロイトにあったことがあるという。そのとき両親がこういったのだという。「ピーター、今日という日をしっかり覚えておくんだよ。今会った人はオーストリアで一番偉い人なんなだからね。いやそれどころかヨーロッパで一番偉い人かも知れない」当時、第一次大戦でオーストリアが敗北する以前だったので、「皇帝よりも偉い人なの?」と聞くと、彼の父は「そうだ、皇帝よりも偉い人だ」と答えたとか。

しかし、ドラッカーによれば、英語圏ではとりわけそうだが、大部分の人が、フロイトにまつわる三つの「事実」を疑いもせずに受け入れていると。第一は、生涯を通じて彼が金に困り、貧乏に近い生活をしていたという「事実」、第二は、彼が反ユダヤ主義者から多大の迫害を受け、ユダヤ人であるがゆえに正当に評価されなかったし、大学の然るべき地位にも就けなかったという「事実」、第三は、当時のウィーンの人たちが、とりわけ医学関係者が、フロイトを無視していたという「事実」である。
ドラッカーは、これらの三つの「事実」はいずれも、まったくのフロイト自身のつくりごとであると主張する。フロイトは富豪ではないが豊かな中産階級の生まれであり、少年時代でさえ何不自由なかったし、学生時代も両親から十分すぎる仕送りを受けており、パリからウィーンに帰って精神病の青年医師として開業したその日から患者がおとずれた。神経症の専門家としての彼の手腕はすぐ認められており、職業生活を切る早々からかなりの金を稼いでいた。晩年にヒトラーに追放されるまではユダヤ人として差別待遇を受けなかった。また彼は、オーストリアの医学史上、ほとんど例がないくらいはやばやと正式の評価と学問上の栄誉を受けていた。
つまり、フロイトはウィーンの医学界から無視されるどころか、非常に重要視されていたのだと。彼は、無視されたのではなく、否認されたのだという。ウィーンの医学界は、治療者としての倫理を甚だしく踏みにじっているとみなして個人としてのフロイトを否認したのであり、フロイトの理論を医学や療法ではなく、きらびやかな半面真理、詩あるいは、文芸として彼の理論を見なしたのである。
否認されたフロイトは、三つの「事実」のつくり話を自ら信じ込み、それどころか、そういった根も葉もない話を自分ででっちあげ、広めていたと書く。そして書簡の中で、そういったつくり話を繰り返し強調し、それによって、この誇り高い孤高の人物は、自己の不安を取り除いていったとドラッカーは説明する。これらは、要するに「フロイト流スリップ」であると。

その理由について、ドラッカーはまさにフロイトの理論を用いて説明する。

第一、フロイトがしきりに不満を述べていた「反ユダヤ主義的な差別」だが、ウィーンの医学界では反ユダヤ主義はない、というより、ウィーンの医師の61パーセントがユダヤ人であり、医学界の指導的地位についているのもユダヤ人であった。ユダヤ人はウィーン大学の医学部の教授の大部分を占めて、軍医総監、皇帝の侍医などの要職もユダヤ人であったのである。
逆に、フロイトの医療は反ユダヤ的であったとされた。この当時、どんな貪欲な医者でも高い地位につけば、治療者の伝統的な倫理、無欲の奉仕だけは説いていた。貧乏人に無料診療をおこなうのが当然であった。だが、フロイトはそうではなかった。そういった倫理を鼻であしらった。ユダヤの伝統が治療者に関してこの上もなく尊重してきた価値に真っ向から挑戦した。つまりフロイトは、医療を一つの「職業」と化したのである。医者は患者に一切の思いやりを示すべきではない、患者は単なる診察の対象である。これは医師の仕事を、治療者から機械工に格下げするものの考え方と捉えられた。この医師は患者との関わりを一切持つべきではないとするフロイトの主張は、医者が患者に親身になることそこ最高の薬であるとする当時のウィーンの医師の信念を逆なでしたのだ。
第二、それ以上に問題となったのは、治療法および科学的手法としての精神分析の有効性であった。フロイトはウィーンの近代医学の第二世代に属していた。近代医学は、百有余年のゆっくりした懐胎期を経て、フロイトの生まれるほんの数年前に開ようやく完全に成育したところだった。医学のおけるフロイトの時代は、科学以前の医学(いかさま医師どもの医術)から、診断し治療することのできる、教え学ぶことのできる近代医学に変わった時代である。細菌学が発展して伝染病の防止および治療能力が高まり、麻酔薬が出現して外科手術が耐えられるものになり、防腐法と無菌法が確立されて、外科手術にともなう感染で患者が死ぬ憂き目を見ずにすむようになった時代である。
いかさま医術から医学への基本的進歩は、大仰な理論や包括的な空論の構築を慎むことによって完成された。近代医学を成立させたのは壮大な理論体系の断念である。どの病気も特殊であり、病気は多様である。それぞれの特定の原因で発生し、特定の症状を呈し、特定の治療を持つという考えが近代医療をもたらした。
だが、フロイトの精神分析の理論は、あらゆる精神障害を同一のメカニズムで説明しようとするものであり、それは時代の医学の流れに逆行するものだった。
第三、精神分析の効果である。精神分析がプラシーボ効果以上のものをもつのかは当時から問題となっていた。比較研究によれば、さまざまなな心理療法のそれぞれの治療法がみな一定の効果を持つとされた。ということは効果がないということなのではないか?フロイトが練達した治療者であることはみなが認めるが、その効果を検証する適切に管理されたテストはあるのか?精神分析医の手許には、しかし、そういった疑問に答える資料が全然なかった。そればかりか、フロイトとフロイトの学説の信奉者は、成果を定義することを、そういった問題について議論することを拒んだのである。
第四、精神分析は科学か芸術か? フロイトとその信奉者以外は、精神分析の目的が病人の治療にあるのか、文芸評論にあるのかが、わからなかった。彼らは患者を説明するのと同じ論理でグリムの童話やシェイクスピアのリア王を分析した。むしろ、みなは精神分析の文学への貢献をみとめたものの、神経症の治療法としては懐疑的だった。つまり、ウィーンの医学界が困惑したのは、フロイトや彼の弟子たちが、病人を治療しているのか、「芸術批評」を一席ぶっているのか、さっぱりわからなかったのである。フロイト自身は、彼の理論が「科学」ではなく「詩」であることを、それとなく仄めかされただけでも、深く傷ついたという。
つまり、彼はウィーンの医学界から無視されてはいなかった。彼は極めて真剣に受け入れられた。そのうえで否認されたのである。
第五、性的な抑圧と金銭的な抑圧はなかった。ドラッカーによれば、精神分析の出現はしばしばビクトリア朝時代の性の抑圧に対する反動として説明がよくされるが、とりわけアメリカではそうだ。だが、イギリスには、ごく短期間をのぞいて、その種の抑圧はなかった。フロイトが開業していた当時のオーストリアにもなかった。それどころか、十九世紀末のウィーンは、性に関してはいたって放縦で開けっ広げだった、と。女性は結婚すると、婚外妊娠への恐怖から開放されるために、結婚したとたんに好き勝手なことをしはじめたと。
フロイト自身はきわめてピューリタン的であり、性は、なるほど避けられないものであるけれども、必ずしも人類のプラスにはならないと考えていたようである。
ドラッカーは、フロイトが性の抑圧の問題をとりあげたのは、当時のヨーロッパで本当に存在していた抑圧、金銭に対する抑圧の問題に直面しないための心理機制、フロイト的スリップだったのではないかという。当時のウィーンでは金銭があらゆるものを支配していたにもかかわらず、それは話題にしてはならないものとされていた。まともな家では金銭のことは口にしないのが慣わしだった。しかし、誰にとっても金銭が最大の関心事だった。それを抑圧したことにより、当時の中産階級の強迫観念となっていた「公立救貧院神経症」が生まれた。そのうち貧乏になるのではないか? 稼ぎが不十分ではないか? 家族の期待に応えてはいないのではないか? といった不安が蔓延していた。金には興味がないと称しながら、まるで憑かれたように絶えず金を話題にする神経症を、ドラッカーは当時「公立救貧院神経症」と呼ばれていたという。そして、フロイトは明らかに、この「公立救貧院神経症」にかかっていたのだ、というのがドラッカーの説である。フロイトがさかんに自分が貧困のもとで育ち、収入が人なみ以下であるとか、絶えず金銭的圧迫にさらされているとか、医師としても裕福に暮したことがなかったことを強調するのは、まさにその症状、フロイト的スリップの心理機制、不安神経症の明白な兆候だというのである。
第六、また、自分は反ユダヤ主義の犠牲者であるという彼の繰言も、フロイトが直視できなかった一つの事実を隠していると。それは、逆に、彼が非ユダヤ人を許容できなかったことであるとドラッカーはいう。フロイトはユダヤ人として非ユダヤ人から差別されたのではなく、フロイト自身が非ユダヤ人とはつきあうことができなかった。その当時のオーストリアのユダヤ人は完全にゲルマン化していたのであるが、精神分析の世界には非ユダヤ人は一人もいなかった。そこでフロイトは非ユダヤ人を懸命に引きつけようとしたが、結果としてユングをはじめとして男性非ユダヤ人とはすべて離反してしまった。彼は、非ユダヤ人たちを許すことができなかった。フロイトの周りにはユダヤ人しかいなくなった。しかし、非ユダヤ的ドイツ文化の超大家のフロイトは、それを認めるわけにはいかなった。彼は、その責めを他人に帰さねばならなかった。それを説明するために、フロイトは自分が差別したのではなく、自分が差別されたのだといいはった。こうしてできたのが彼のフロイト的スリップ、すなわち「反ユダヤ主義的差別」であり擬似迫害だった。フロイトにとってはフロイト的スリップがどうしても必要だったのは、現実が、つまり自分のユダヤ的なものと決別できないという事実が、彼にとって堪え難い苦痛であったために、それを直視し、是認することができなかったからにほかならない、とドラッカーはいう。
第七、同様に、ウィーンの医学界に「無視されている」という点も、フロイト的スリップだとドラッカーは言う。フロイトは学界から無視されたのではなく、否認された。だが学界から否認されているという事実をフロイトは受け入れることができなかった。だから、無視されたといいはるしかなった、というのがドラッカーの説である。フロイト自身も、内心では、精神分析の方法論にウィーンの医師たちが疑問を抱いているのも無理はない、と思っていたのではないかと。実はフロイト自身も医学界からの精神分析への疑念に同調するところがあったのではないか、と。だが、それを認めれば自分の唯一最高の業績を放棄せざるを得なくなる。
啓蒙思想の合理主義が普遍的に信奉されているけれども、それだけでは情動の力学は説明がつかないとフロイトは考える。だが、彼は科学の世界と科学的世界観を放棄することができなかった。 しかし、啓蒙思想の子である合理主義者としてのフロイトと、魂の暗夜を生きる夢想家にして詩人であるフロイトの二人がいた。その二人を一身の中で体現させようというのがフロイトの理論であった。フロイトは息を引き取るまで、精神分析は「科学」であり、心の働きは、合理的、科学的用語で、化学や電気現象の用語で、物理学の法則の用語で説明できると確信していたという。フロイトの精神分析は、科学的理性と非合理な内部体験という二つの世界、この二つの世界を一つの統合体にまとめようとする偉大な努力だった。したがって、啓蒙の合理の側からの批判をいったん受け入れてしまうと、夢想家にして詩人の非合理な部分まで一挙に崩壊してしまうことが必定であった。だから合理の側からの疑念をまともに相手にするわけにはいかなかった。その批判を無視し、批判は知らぬ顔して、自分は無視されているといいはるしかなかった、と。フロイトはウィーンの医師たちが自分を無視していると取り繕うことによって、逆に彼等を無視したのである、とドラッカーはいう。

ここで描かれているフロイト像は、あまりにも面白い。わたしでも、精神分析は「医学」なのか「小説・神話」なのか、あるいは「呪術」なのか、時折疑問に思ったりするが、章末尾の、「デカルト的合理性の世界と暗黒の魂魄の世界の統合を保ちえるフロイトの理論は、確かに見かけよりもひ弱かもしれないものの、そして究極的には自立できない理論かもしれないものの、それは見かけよりもはるかに魅力的な理論、はるかに啓示的理論であり、かつまた人間を揺さぶり、動かす理論」ではないか、との指摘が納得ができる。

ドラッカー・ブームである。ドラッカーについて言えば、フロイトの精神分析の理論が「科学」なのか「小説」なのかドラッカーが問うているように、ドラッカーの経営学は、さて「科学」なのか「小説」なのか? なかなかに中小企業経営者程度の理解できるところではない。だが、この「傍観者の時代」に関していえば、すぐれたノンフィクションであり、じつにすぐれた文芸作品でもあると、むかしも感心したが、今も納得する。もちろん、これはあくまでわたしの個人的な感懐であって、そのような読み方が正しいかどうかは判らないが、ドラッカー自身は、「わたしは経済学者を自称したことはない」と述べているし、「社会学者」と呼ばれたくもないという。そして、自分の基本的な自覚は「文筆家・ライター」であるという。してみると、「断絶の時代」その他、彼の経済・経営に関する著作より、やはり文芸作品であろうこの「傍観者の時代」こそが真骨頂、彼の彼たる本ということになるのだろうか。

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国境の街で

バンコクから空路一時間、タイ東北部いわゆるイサーンのチェンライ県に行く。タイの地方都市である。チェンマイほど観光開発されていないが、ここでも白人観光客がおおい。翌日、早朝のバスにのり、北に向かう。高い並木と田園地帯を走り、メーサイに着く。メーとは母の意味、つまり川である。サイ川という地名のとおりだが、タイ・ミャンマー国境は、小さな小さなサイ川である。両岸の家どうしも、まるで隣どうしの近さだ。川の向こうはタチレク。

橋の手前はタイの警備事務所。タイ軍兵士がM16を壁に立てて、寝転んで雑談をしている。国境の橋を歩いて渡る。後ろにはタイの寺院門のような国境ゲートがあり、前にはミャンマーの塔のようなゲートがある。ミャンマーの入国管理官に費用を支払う。タイとは異なり、カラニシコフをつった兵士がコッコッと巡回をしている。
ゲートを出ると、市場だった。国境の市場であり、中国製品とタイ製品がならべられている。いきあいたりばったりでホテルを決めて、ティクティクを雇う。スカート姿の中年の運転手が「置キ屋、置キ屋、リトル・レディ、カワイイ」と騒がしい。
丘の途中に寺院があった。入ってみる。大きな木々に囲まれ、誰もいない。堂にあがると仏像がまします。私はとくに宗教はないが、祖父母の葬儀は仏式。今でも線香をあげて手を合わす。淡い仏教徒とも言えるか。仏像の前に正座し、線香をあげ、祖父母と父のために手を合わす。だれもいない、見ていない静かな堂の中である。すこしの時間ほど手を合わせつづける。そのうちに涙腺がゆるんだ。

堂をおりると、さきほどの運転手が、兄弟を見るような優しい顔をしている。この国はみな仏教徒だ。それも敬虔な。自国の仏陀に手を合わせ泣く外国人に、親しみを感じたらしい。国境の町であり、タイ語がつうじる。それからは彼は静かに土地の説明などをしてくれる。リトル・レディの話はもうしない。家族はと聞くとそれにも答えてくれる。

丘の上に大きな寺院があった。入ると観光案内の娘が寄ってきた。その案内と説明を受けながら、寺院をまわる。最後は、お約束だから、彼女からなにかを買わねばならない。紙幣のセットを買う。紙幣の肖像を誰かと聞くと、大事な人、お父さんと答える。気の強そうな若い軍人が印刷されている。アウンサン将軍であろう。少年時代からビルマを支配するイギリスに対して反英闘争をつづけ、各地を逃亡しながら同士をつのり、日本軍と連携してビルマ独立義勇軍を編成。ビルマからイギリス勢力を駆逐。さらに抗日戦線を構築し、ラングーンの日本軍部隊を攻撃。マウントバッテンとの密約をとりつけ、第二次大戦後ビルマの独立を達成。しかし、その直後、若くして暗殺されたビルマの英雄である。彼女の言葉のはしはしに、建国の英雄にたいする尊敬の感情が満ちている。まるで家族を語るような口調である。そうか、アンウサンがこの人かと思う。
それにしても、その娘であるアウンサン・スーチーがイギリス人と結婚し、民主化のヒーローとして扱われ、父の元部下である軍事政権と対立し、徹底した外国人ぎらいである父とは反対の立場にたつとは、流れは複雑のようだが。

翌日、例のごとく、犬のように街や郊外をうろつきまわる。タイの豊かさとミャンマーの貧しさは比較しようがない。何車線もの舗装された並木道が国土の縦横に走るタイと、地道に古いトラックの走るミャンマー。この街、タチレクは、幼女買春の男たちが極東からくる街でもある。木陰の食堂で、路上の風景を眺めながら、ビールを飲み、タイとミャンマーの抗争の歴史を思い出す。軍事的には、つねにミャンマーが優勢であったようだ。チェンマイもアユタヤも、何度もミャンマー軍に制圧されている。そういう眼で、スカート姿のミャンマーの男を眺めると、この地の男のほうが、実際に精悍な印象である。タイの工事現場は、不法入国のミャンマー人労働者ばかりとか。タイの男は肉体労働をきらうが、ミャンマー人は黙々と働くのである。国境警備隊の将校も、じつにきびきびした男ぶりだった。だが、同様に上部座仏教国であり、街を僧侶が歩き、街の人は僧侶に道をゆずり、手をあわせ、膝をつく。タイの田舎と同様に、古い時間が流れているのも感じる。

道にまかせて、歩きつづける。やがて家がつき、山道となる。左手は崖がつづき、急流が流れる。トラックのすれ違えない山道である。旅の目的の一つに、中国の昆明からタチレク、メーサイを南下してバンコクに通じる予定の東北経済回廊、南北経済回廊を見ることがあった。このルートが開通すれば、地域は一変するだろう。その前に古いミャンマーを見ておこうというつもりだった。旅ゆけば、ところ変われば。異郷の、だれもいない植生のちがう山道を歩き続ける。一度、タイから中国の茶の産地プーアルまで歩いてみたいと思う。歩くほどに、山はますます険しく、流れはさらに急流になる。前にも後ろにも人はいない。犬のように歩きつづける。

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新しいホーム

浪速区の大国町に新しいホームが10月中旬にオープンします。しかし、この猛暑の中で仕事をされていた職人さんたちの熱心さと、そして高い技術に感動しています。驚いております。この夏にベトナムやタイを旅行することがあり、当地の建築現場を見学しました。もともとタイの人は現場の仕事を嫌うそうで、働いているのはミャンマーからの不法就労の労働者と聞きました。やすいミャンマーの労働者をタイ人が使っているのです。竹と丸太の足場で、それなりに器用なものです。できあがりの表面は、意外と立派です。日本の高級住宅地においても、あるいはひけをとりません。左官も大工も瓦も、電気工事も、彼等はなんでもやります。もくもくと働いています。しかし基礎工事も手抜きしてあり、作業も精密とはいえない印象です。浪花のホームにかかわった職人さんのようなマイスター文化は、あまり感じませんでした。日本のほこるべき職人文化なのでしょう。なのに、今は日本では仕事がないと。国境の意味がうすれて、人と物が自由に往来する時代です。そこで、東南アジアで、この人たちの技術を展開できないものと考えています。もとより、タイ国にも、外国人事業法、外国人労働者の規制などがあり、それは簡単ではないのですが。

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ベトナムの男

 友人の設計士がベトナムに大理石の買い付けに行くという。それは面白そうだと同行をたのむ。日本は真夏である。とくに枚方は暑い。ベトナムはさぞ暑かろう。だが、ハノイの空港に着くと、気温は30度だった。すずしい。おどろく。空港になにやら案内人ごときがおり、その指示するタクシーに乗る。ホテルは旧市街を予約している。タクシーを降りるとき、運転手と料金で喧嘩になった。ホテルは、古いフランス風のホテルである。

 街は、フランス様式の建物がならぶ。文字もフランス文字を改良したのであり、まるでイタリアの湖畔都市のような街並だ。じつにお洒落である。来てみなければ分からないものだ。想像とまったく違った。しかし、すごい車とオートバイの量である。道幅はひろいのだが、信号機がなく、車とオートバイが魚群のように全方向から流れ続ける。交差点でよく衝突しないものだと感心する。でも、路の反対側に渡らねばならない。横断歩道はない。旅行案内書には、とまらずに横切ればよいと書いてあった。そのとおりに、流れを無視して路を横切る。すると魚群の流れはサーッとわたしを避けて流れつづける。見事なものだ。もし止まれば流れのリズムが狂い、轢かれるのだろう。ちょっとしたアドベンチャー気分だ。ハノイの街は物資であふれていた。
 翌日、設計士が到着した。その事務所の関係のベトナム人がホーチミン市で会社を興している。彼も来た。小柄で、いやベトナム人としては普通か、四十歳くらい。日本語がうまく話せる。みんなで軍事博物館に行き、デンビエンフーのパノラマを見る。ホーチミン廟でご尊顔を拝する。公園の中のホーチミン宅を見学する。上等な木材でつくったささやかな小さな家である。高床式か。こんな素敵な家で住みたいものだ。設計士も感動している。

 夜、すこし高級な中華料理店に案内される。フランス式の立派な建物である。このベトナム男はおしゃべりである。プライドが高い。「われわれは、中国と千年戦い、フランスと百年戦い、アメリカと三十年戦って、すべて勝った」とおっしゃる。それはご苦労様です。自分がいかに出来る男かもアピールされた。名物のスッポン料理があるとか。料理人がおおきなスッポンを見せに来る。なりゆきでスッポンの血を飲もうということになった。ベトナム男がその血を注いで、すすめてくれる。まあ、代金はこちらがもつのだが。飲み終わってから、彼になぜ飲まないのかと聞いた。すると、河や池のものには寄生虫があり、自分は飲まないと答える。思わず、襟首をつかみ、床に押し付けて拳骨を食らわしたくなった。知人のタイ人留学生が、ベトナムからの留学生もいるが、自分勝手で気が強いから嫌いだと言っていた。ほんとうに、もう。
 つぎの日、ベトナム中部海岸のビンまで飛行機で飛ぶ。車をチャーターしてあり、そこから西の山岳方向に。なるほど、さらに先に行けば、大理石の名のもとになった中国の大理市に行くわけだ。二時間くらいの車中。助手席に座る。視界がよかろうと思ったのだ。やっとこ二車線の道を走るのだが、じつに恐ろしい運転だった。たくさんの車、それも中古車が走る路を、すさまじい猛スピードで走る。そしてガンガン追い越しをかけるのである。対向からも猛スピードで車が来る。正面衝突寸前で、もとの車線の強引に戻るのである。肝が冷えた。案の定、道の横の田んぼには、車の残骸がひっくり返っている。こんな怖い運転をする国は知らない。
 またオートバイが多い。しかも、ありとあらゆるものを積んで走っている。袋のようなものを積んでいるので、よく見ると、金かごのなかに小型の豚を入れていた。チェックすると、銀メダルは5頭の豚を積んでいた男である。金メダルは、嫁さんと4頭の豚を積んでいた男である。

 大理石の採掘場兼工場に着いた。横の土地に立派な大理石の建物とやはり大理石のひろい池がある。あれはなんだと聞くと、オーナーの自宅だと言う。池は、そこに鯉を放して釣りを楽しむのだとか。むこうには建築中のビルが見える。四つ星クラスのホテルを建てるのだとか。もちろん、オーナーの個人資産である。ここは社会主義国ではないのかと設計士に聞くと、こんなもんだと言う。オーナー様が挨拶に来られたが、まるでフィリピンの山賊のような風貌である。工場の労働者は、だがベトコンの兵士のような筋肉質で精悍な印象だった。きびきびと良く動く。

 帰り道でホーチミンの生家を見て、夜はビンのホテルに泊まる。みな帰り、二泊目はわたしひとりだった。朝も昼も、夜も、犬のように歩き回る。朝の公園で、巨大なホーチミンの大理石像の前で、何人もが、まるで仏像を礼拝するように、真剣に祈っている。強制されているのではない。本気なのだ。ああ、そうかと思う。

 地元の市場の中に入り込む。あふれるように野菜、果物、そして屠場から来たばかりの豚肉がある。血がたれている。籠には鶏たちが押しこめられている。市場の人のためのテーブルに座り、フォーを注文する。肉汁がしみこんでじつに旨い。知らない土地で美味しいものを食べるには、地元の市場の人が食べるものを食べるに限る。街を犬のように歩き回る。ホテルのフロントには、じつに素敵なアオザイ美人がいる。夜は、レストランの彼女が見えるテーブルに座る。バーバーバーの泡ごしに彼女を眺める。見事な美人であり、目の保養だ。ベトナムで戦争があったのは、わたしが二十代の頃だ。テト攻勢は、帰省していた田舎の家で見た。報道はベトナム一色だった。

 ファントムとミグが空中戦をする。北爆するB52に対空ミサイルが発射される。南ベトナムの警察長官が、しばりあげたベトコンのこめかみに拳銃を発射する。やがてアメリカ軍が逃亡をはじめ、ある日、北ベトナム軍の戦車部隊がサイゴンに突入する。ハノイの軍事博物館では、老兵たちの集団が何組も来ていた。久しぶりの軍服を着て、襟の星を輝かし、胸に幾つもの勲章をつけ、白髪あたまの旧友たちと肩をたたきあい、笑いあっていた。さらに中越戦争では、鄧小平の大軍を迎え撃ち、これを撃破したわけである。「われわれは、すべてに勝った」わけであるか。夜の閑散としたレストランで、バーバーバーに酔いながら、アオザイ美人を鑑賞する。ベトナム戦争から四十年か。もしその頃なら、彼女も三角の笠をかぶり、黒いアオザイを着て、タイヤでつくったサンダルを素足で履き、カラニシコフをもってアメリカ軍陣地に駆け込むだのだろうか。アメリカ兵の機関銃弾が、ピシッピシッと足元にしぶきをあげる。空では戦闘ヘリがジャグルを掃射している。むこうの村はナパームで焼かれている。彼女は唇をかみしめ、まなじりを決して駆け続ける。社会主義国の地方都市の夜は静かだ。街は闇の中で眠りについている。わたしは、バーバーバーを飲みながら、妄想にふける。

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タイ投資委員会セミナーに参加する

 この6月28日、大阪帝国ホテルでタイ国投資委員会の主催する「タイの投資政策」セミナーに知人の設計士とともに参加した。すでに何度か目の参加である。タイ国大阪総領事の挨拶を聞き、タイ国工業大臣、タイ国運輸副大臣、タイ国国家経済社会開発委員会長官、タイ国投資委員会長官、バンコク日本人商工会議所会頭の講演を聞く。昨年のタイの大洪水にもかかわらず、日本企業の進出はさらに加速されているとか。
 タイ高官は、みな立派な英語が話せる。タイのエリートは大体そうであるように、ほとんど欧米留学組なのだろう。設計士が、日本の大臣や政治家で、堂々と、理路整然と、ここまで話せる人物がいるだろうかと、感心している。
 その大臣たちの講演を、音声翻訳機で聞きながら、成長戦略という言葉を実感した。これが、じつに成長戦略、経済成長政策なのだと。中国から東南アジアをとおりシンガポールにつながる南北経済回廊、東西経済回廊、さらには新幹線が中国からシンガポールに抜けるレールウェイ構想、アジアハイウェイ構想、みな着実に進展しつつあるのだ。このような交通網の急速な整備とともに、東南アジアはドラスティックに躍進をつづけるだろう。とくに工業大臣がタイ国は、アセアン経済共同体(AEC)の確立準備を進めているとして、さらにタイでは数年前30%だった法人税を今年23%に下げたが、さらに来年は20%まで更に引き下げると強調していた。国家経済社会開発委員会長官は、ミャンマーのダウェイ港まで道路開通を行い、それをアジアのハブ港として活用し、域内最大の共同生産連携を行う構想を述べていた。そしてインフラ開発への投資計画を説明する。規制緩和・法人税減税・道路網・鉄道網を整備することにより、東南アジア諸国の域内接続戦略を推進し、産業と投資を呼び込み、アセアン経済共同体の中心プレイヤーになろうとしているのである。

 戦略的なインフラ拡大政策と法人税の大幅減税。規制の緩和。これは見事な経済発展政策と感心するしかない。優れた碁打ちのように、打つべき場所にきっちり布石し、石を置いているのである。定石どおりである。これは伸びるだろうと直感する。大きな伸び代があり、伸びる手を尽くしている。

 今、ヨーロッパでも日本でも、緊縮財政路線か成長戦略か、路線対立がある。フランスもギリシャも緊縮財政を批判し、成長戦略を揚げる候補が当選した。経済成長により雇用が増え、税収も増えて財政再建が実現できるとする立場である。上げ潮派の考え方である。

 しかし、現実問題として成長戦略は、よほどの条件が整のわないと達成不可能とされている。日本では60年代に池田勇人首相が所得倍増計画を打ち出し、この政策が高度成長に役割を果たしたとされるが、じつは成長戦略をやりぬいた政治家はいない、成功したように見える人も、単に運がよかっただけというのが最近の理解のようである。
当時の日本国民の平均年齢は28~29歳。人口の4割を占める農村の若者たちが都市に集団就職して工場労働者にやることにより、低賃金で良質な労働力が大量に工業に流入することにより、中進国日本は、先進国へのタッチアップに成功する。団塊世代と呼ばれるこの階層は、家庭をもち、家をもち、テレビをもち、冷蔵庫をもち、やがて車をもつようになり、さらに消費に拍車をかけることで、国内市場はさらに拡大される。正のスパイラルであり、右肩あがりの時代である。
同じような現状は、10年前の中国で起きており、今も進行中である。いわゆる人口ボーナス期である。国民の平均年齢が若くて経済に勢いのある時代は、政治的な秩序さえあれば、世界から金と企業と人があつまってくるのだ。経済成長は、政府の経済戦略ではなく、人口ボーナス、若年労働者がどのくらい多いかのデモグラフィー(人口統計的な年齢分布)の問題なのだ。
すると、人口オーナス(重荷)期に既に入っている日本は、負のスパイラルであり、もうこの形の経済成長は望めないことになる。

 このデモグラフィー以外の経済成長のための方程式は、たった一つしかないと言う。それは規制を緩和し、法人税を下げて、世界中から金と業と人を呼び込むことである。そうすると、一時的に効率の悪い国内企業は倒産し、失業率も増えるが、やがて海外からの投資が増加し雇用も増えだす、それが新しい需要を生み、その需要から新しい産業と雇用も創出されていく、とうことらしい。そしてタイ国は、まさにそれをやろうとしている。タイ国の大臣や長官の講演を聞きながら、ああ、そういうことかと得心する。タイ国の戦略は奏功するだろう、そう確信する。

 ただ先進国でこの政策をとろうとしても、このプロセスは少なくとも15年はかかるとか。レーガン大統領のレーガノミクスの効果が出たのは15年後のクリントン大統領の時代とされる。サッチャー首相も任期中は失業率が増え続け、追われるように退陣したが、その15年後に効果が見られたとされる。韓国の金大中大統領は1997年のIMF危機の時に、規制撤廃、IT促進、ビッグディール政策による財閥の統廃合、英語力の強化などで経済の立て直しをはかった。しかし、その成果が出たのは10年以上経過した現在の李大統領の時代である。
ここから出る結論は、その政策をとった大統領・首相の在任期間中は、失業率が増えて倒産が増える。規制撤廃をとった本人の在任期間中は、その効果があらわれないということである。この成長のプロセスは少なくとも10年以上かかるからである。痛みをともなうのである。とすると、鉄の女がいる。あんちゃんや、おっさんや、じいさんでは、とてもである。金の草鞋をはいて、レディを探さねばならぬ。

 消去法だが、2つの経済成長の方程式のうち、人口ボーナスによるものは、60年代、70年代に日本は使い切った。すると、もう1つしかないのだが、痛みをともなう10年を示して実行する政治体制、社会体制にあるかということだろう。二宮尊徳的意味で、覚悟、性根の問題となるか。タイ国の投資セミナーに参加した夜、そのような整理をしてみた。一昨年も昨年も、このセミナーに参加しているが、タイ国投資委員会(BOI)長官は、同じ女性である。相変わらず堂々とプレゼンするのだが、「持続的発展のための投資」と題して、さまざまな恩典・免除をあげ、さらに税負担の軽減策を述べるのであるが、年毎に、タイの国力向上とともに貫禄がましているように感じるのは錯覚か。

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ブッダのことば スッタニパータ 第一 蛇の章 より

 バンコクを旅して、佛寺をまわる。暑く、人も多く、また黄金のパゴダは物思う意欲をそこなわせる。ホテルのプールサイドで岩波文庫版を読む。大乗経典は、ほとんどが偽経であろう。小乗仏教の経典には、まだ釈迦の言葉・思想の原型が遺されているとか。かってチェンマイのホテルの部屋に、聖書とともに仏典の日本語訳がおいてあり、すこし真剣に読んだこともあった。原初仏教教団における教えがまとめられたものが、このスッタニバータであろう。何句か書き出してみる。

この世に還り来る縁となる煩悩から生ずるものをいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

あらゆるいきものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

朋友、親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

子や妻に対する愛着は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、休むにも、立つにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する愛情は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角ようにただ独り歩め。

四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

出家者でありながらなお不満の念を抱いている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少なく、犀の角のようにただ独り歩め。

葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家の者のしるしを棄て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。

もしも汝が「賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者」を得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、こころ喜び、気を落ち着かせてかれとともに歩め。

しかしもしも汝が「賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者」を得ないならば、譬えば王が制服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

我らは実に朋友を得る幸せを誉め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近付くべきである。このような朋友を得る事が出来なければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つ腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起こるであろう。未来にこの恐れがあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

これはわたくしにとって災害であり、腫れ物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽のの熱と、虻と蛇と……これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群れを離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

相争う哲学的見解を超え、決定に達し、道を得ている人は、「我は智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

貪ることなく、詐ことなく、渇望することなく、覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽り怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

世の中の遊戯や、娯楽や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

妻子も、父母も、財宝も、穀物も、親族やほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。

「これは執着である。ここに楽しみは少なく、快い味わいも少なくて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

俯して見、とめどなくうろつくことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り、流れ出ることなく、焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。

葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

こころの五つの覆いを断ち切って、全て付随して起る悪しき悩みを除き去り、なにものかにたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。

以前に経験した楽しみと苦しみとを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。

独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には憂いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間にすべて背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

今の人々は自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益を目指さない友は得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

 紀元前のインドでのサンガでの道を求める者の心得、精神のあり方を示したものであろう。今の「生」を「無」にせよ、独り禅定し真理に到達せよと説いているのか。今のわたしにとっては、河の向こうの生きかただが。社会での交わりを絶つことが精神の独座の基礎とされているが、そうはいかない。「水に汚されない蓮」のようには、誰しも生きれない。とすると、どうれば蛇のように脱皮できるのか。「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」句末の繰り返し、こだまが、気にはかかる。

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自分を語るということ

 これは所謂ブログであるが、日記代わりの個人的備忘のつもりで書いている。建前として読者は自分自身だけである。もちろん前提から矛盾しているが。
ブログ、フェイスブック、ツイッターなどのSNSが流行している。もはや社会の支柱のひとつとなった模様。しかし、なんで誰も彼もが、そんなくだらない事を書き続けるのか、またそのような他者には何の意味もないプライベートをわざわざ晒して、何が楽しいのか、自己逃避、自己表現願望の亜種なのか、そう思っていた。
 雑誌に記事があった。「米国科学アカデミー紀要」掲載のハーバード大学ミッチェル博士論文。その実験は人が自分のことを話すためにとる行動選択についての心理学的試験とか。被験者にさまざまな質問を行い、その傾向を分析すると、そこには明確に人は日常的シーンでも自分のことを話すのを好む傾向があるとか。調査によれば、日常生活の30~40%もが、私的 な経験や個人的な人間関係の話題に費やされているとか。
 つまり、人は自分のことを話す時、快感の脳回路を活性化させていることが判明したのである。ミッチェル博士の研究によれば、「自己暴露は快感である」という脳生理の基本原理が見られるのである。どんなにつまらないことでも、人は自分を語ること、自己暴露の快感、本能を持っているということになるようだ。
 個人の経験を話すことは、知識や知恵の伝授につながり、これは社会的利益となるから、人類は、自己暴露を促進する脳回路を発達させたかもしれないとか。
なるほど、SNS隆盛の裏には、それが人間の脳構造とピタリと一致していたことによるのか。フェイスブックの爆発的成功の裏には、それが人類の脳構造の満たされない根源的欲求を、自由にWEB空間に開放させたことに在るという事だったのか。それをブラックホールのように吸い集めて、若い億万長者が誕生したのか。
子育てのころ、子供たちが「聞いて、聞いて」とよく言っていたが。

 カウンセラーや精神科医は、まず相手の話をひたすら聞くことから始める。この初期手順は「受容」と呼ばれて、信頼関係を構築するというのが教科書的解釈だが、同時に相手の快感を満たすという心理療法的な意味あいもあるかもしれないと。
 そういえば、かってキリスト教の成功要因の一つに、あの「懺悔システム」があると考えたことがある。自己暴露を公式に行い、そして自分に勝手に免罪符を発行するシステムである。れも、そうか。新興宗教でも、座談その他の形で、自分のことを語らせる教団が多い。あれも、そうか。企業社会でも「聞き上手」は優れた成果を挙げる率が高いのは、これは経験的にわかる。成功した経営者には話しの上手い人が多く、じつに座持ちがよい。かならずこちらに話をふってくる。みな相手に快感を与えているのだ。恋愛術でも、「ここだけの、君にだけの話だが」という秘密の共有戦術は、有効なテクニックとされている。なるほど、そんなものだ。

 SNS隆盛の理由が理解できたし、読者を想定していないと称してこのブログを書いている私も、あらあら、えっ。まあ、団塊世代であり、自身のボケ防止もかねているのだが。ナボコフの「記憶よ語れ」ではなく、記憶を残せ、だが。それに、文章を書くことで、自分の思考を整理し「見える化」する効用もあるわけだし。

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ローレンツ ソロモンの指輪 再読

 図書の整理の途中で、ふるい本を、つい再読している。ふたたび凡てを読み返すのではない。何十年前に読んで、すこし気になっていたところをパラパラめくるだけである。あの頃は、肩まで髪の毛を伸ばしていた。今は、リアップをしている。その間に、なにをどう感じるように変化したのか、そのようなセンチメンタルな感慨であり、また当時から、なにか腑に落ちなかった部分の読み直しである。

 動物生態学者コンラート・ローレンツは、その著書「ソロモンの指輪」の中で、じつに興味深いことを述べる。ふつう我々は、狼を獰猛かつ残忍動物だとみなすいっぽう、鳩やノロ鹿を平和な生き物だと考えている。だが、それは大きな誤解だというのである。

 動物に関する話には誤解が多い。本書はあちこちでその盲信を指摘する。キツネはずるいと言われるが、けっしてほかの肉食獣以上にずるいわけではない、聡明と考えられているワシはニワトリよりもバカである、などなど。

 とくにローレンツが力説し、また示唆に富むのは、モラルと武器の関係である。ローレンツの観察によれば、おとなしいと考えられているウサギやノロ鹿、これは「バンビ」のモデルだが、また優雅なクジャク、平和の象徴扱いされるハトは非常に残酷だという。本来、人間と違い自然界の生き物は「同種殺し」はやらないと考えられていた。しかし、これらの「草食系動物」は場合によっては同種の相手を死に追いやる。他方、狂暴と思われているオオカミなどの「肉食獣」は相手を必要以上に痛めつけることはない。

 この一般の盲信と異なる実態をローレンツは次のように分析する。

「ある種類の動物がその進化の歩みのうちに、一撃で仲間を殺せるほどの武器を発達させたとする。そうなったときその動物は、武器の進化と平行して、種の存続をおびやかしかねないその武器の使用を妨げるような社会的抑制をも発達させなければならなかった」

 ローレンツによれば、自らの牙の危険性を熟知している狼は、仲間同士で戦う場合、劣性の狼が首を差し出して降伏の意思を表すと、優勢な狼はそれ以上相手を攻撃することはないという。同一群の狼に序列はできるが、いったん序列がきまるとそれ以上無益な争いをして傷つけ合うことはなく、それぞれの役割を果たしながら仲間同士助け合って行動する。

 そのいっぽう、鳩やノロ鹿のように弱くておとなしそうな動物が仲間争いを始めると凄惨な事態が起こるという。たとえば鳩の群を大きな檻の中で飼ってみると、ストレスなどが原因で争いが生じた場合、強い鳩は弱い鳩を攻撃して殺してしまうばかりか、死んだ鳩の内臓が剥き出しになりズタズタに裂けた状態になっても攻撃の手を緩めない。小鹿のバンビのモデルになったノロ鹿の場合も同様で、いったん争いが生じると強い鹿は弱い鹿をとことん追い詰め、相手の内臓が破裂し絶命してもなお執拗に攻撃し続ける。人間社会と同様に弱者に対する集団攻撃も起こる。その種の残忍さは弱い動物が具えもつ特性であるという。

 争いに負けた鳩やノロ鹿が通常絶命するまでに到らずにすむのは、広い自然界の場合、敗者が一時的に逃走することにより悲劇を回避し自己防衛をおこなうことが可能だからだ。ストレスがもとで集団内に争いが生じ、しかも弱者に逃げ場がないような時には見るも無残な結果になってしまう。鳩やノロ鹿などの動物にとって「逃走」は重要な意味を持っているわけだ。

 ローレンツの考察によると、生来、人間という動物は鳩やノロ鹿と同様の生態学的特質を有しており、その本性はきわめて残忍なものなのだという。
 人間は文明的に進歩することによって、自分の体とは無関係に、急速に発達した武器をもつ動物となった。急速な武器の発達はその武器の抑制能力の発達を追い越してしまっている。ローレンツの言う武器に見合う「社会的抑制」がない、それが人類だというのである。

 かって岸田秀は、ローレンツからの引用であろうが、人間は人間を殺す、本能の壊れた生物との述べていた。してみると、人間なる生き物をオオカミのように信じることはできない。人間は、オオカミのようモラルを持つことが出来ない。さらに言えば、現代社会は「逃走」することのできない箱、人工的な檻である。この人工的な「檻」の中で、逃走することのできない人間は、さて、オオカミのようなモラルを持つことができるかどうか、ということだろう。これが人類の運命を左右する、というローレンツの言葉は示唆に富む。

 そういえば思い出した。わたしは島根県の出雲部で生まれ育っているが、出雲には「狐憑き」というものがある。誰かが、ある家のことを「狐が憑いた」と噂を流す。すると、その家は地域から排除されて、いわば村八分。その家から嫁にいった娘は、かえされる。理由はない。「狐憑き」の血は、排除されねばならないからである。その家は、社会的な死を集団により与えられる。ムラは、集団で社会的殺戮をはじめる。江戸時代、明治、大正、昭和二、三十年代、その家はどこにもいけない。つまりムラという檻から「逃走」できない。貧しく陰湿な山陰から、逃げ出せないまま、切り刻まれるのである。本能だけでなく、モラル・文化も狂っているということになるのか。つい昔のことだが。

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P・F・ドラッカー「傍観者の時代」

 書棚を整理していると、この本が出てきた。30代の時に読んだ本だ。ダイヤモンド社昭和54年3月の刊。
 今、ドラッカーと言えば経営の神様であり、書店にも、知人の社長室の本棚にもずらりと著作がならんである。しかし、当時のわたしには経営の神様など、縁のない世界だった。それよりも、その文章と立ち位置に対して興味を惹かれていた。傍観者=バイスタンダー、自らは行動せずに時代と世界を観察する者であるとか。当時、コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」論やウラジミール・ナバコフのエミグラント文学をよく読んでいたが、その当時のわたしの読書傾向の流れの一冊としてこの本を読んでいたのだろう。ウィーン、ベルリン、ロンドン、アメリカと時代の風の中で、異郷から異郷へ、ながれつづけているドラッカーの自伝として、あるいは内面の旅の記録として読んでいたような気がする。

 それから30年後。ドラッカーの経営の本を読むと、なるほど良いことを書いているとは思うが、この「傍観者の時代」を読んだときの面白さには及ばない。彼の経験した時代と人物が、じつによく書かれている。ドラッカーは小説家志望もあったと聞くが、これはつまらない小説家の愚作などよりはるかに優れた文芸だと、当時考えていた。

 本書で一番面白いのは、「フロイトの神話と真実」であろう。彼の幼少時代のウィーンでは、フロイトは非常に目立つ存在、有名な存在であったとか。ドラッカーは8・9歳のとき、一度だけウィーンの町でフロイトにあったことがあるという。そのとき両親がこういったのだという。「ピーター、今日という日をしっかり覚えておくんだよ。今会った人はオーストリアで一番偉い人なんなだからね。いやそれどころかヨーロッパで一番偉い人かも知れない」当時、第一次大戦でオーストリアが敗北する以前だったので、「皇帝よりも偉い人なの?」と聞くと、彼の父は「そうだ、皇帝よりも偉い人だ」と答えたとか。

 しかし、ドラッカーによれば、英語圏ではとりわけそうだが、大部分の人が、フロイトにまつわる三つの「事実」を疑いもせずに受け入れていると。第一は、生涯を通じて彼が金に困り、貧乏に近い生活をしていたという「事実」、第二は、彼が反ユダヤ主義者から多大の迫害を受け、ユダヤ人であるがゆえに正当に評価されなかったし、大学の然るべき地位にも就けなかったという「事実」、第三は、当時のウィーンの人たちが、とりわけ医学関係者が、フロイトを無視していたという「事実」である。
 ドラッカーは、これらの三つの「事実」はいずれも、まったくのフロイト自身のつくりごとであると主張する。フロイトは富豪ではないが豊かな中産階級の生まれであり、少年時代でさえ何不自由なかったし、学生時代も両親から十分すぎる仕送りを受けており、パリからウィーンに帰って精神病の青年医師として開業したその日から患者がおとずれた。神経症の専門家としての彼の手腕はすぐ認められており、職業生活を切る早々からかなりの金を稼いでいた。晩年にヒトラーに追放されるまではユダヤ人として差別待遇を受けなかった。また彼は、オーストリアの医学史上、ほとんど例がないくらいはやばやと正式の評価と学問上の栄誉を受けていた。
 つまり、フロイトはウィーンの医学界から無視されるどころか、非常に重要視されていたのだと。彼は、無視されたのではなく、否認されたのだという。ウィーンの医学界は、治療者としての倫理を甚だしく踏みにじっているとみなして個人としてのフロイトを否認したのであり、フロイトの理論を医学や療法ではなく、きらびやかな半面真理、詩あるいは、文芸として彼の理論を見なしたのである。
 否認されたフロイトは、三つの「事実」のつくり話を自ら信じ込み、それどころか、そういった根も葉もない話を自分ででっちあげ、広めていたと書く。そして書簡の中で、そういったつくり話を繰り返し強調し、それによって、この誇り高い孤高の人物は、自己の不安を取り除いていったとドラッカーは説明する。これらは、要するに「フロイト流スリップ」であると。

 その理由について、ドラッカーはまさにフロイトの理論を用いて説明する。

 第一、
 フロイトがしきりに不満を述べていた「反ユダヤ主義的な差別」だが、ウィーンの医学界では反ユダヤ主義はない、というより、ウィーンの医師の61パーセントがユダヤ人であり、医学界の指導的地位についているのもユダヤ人であった。ユダヤ人はウィーン大学の医学部の教授の大部分を占めて、軍医総監、皇帝の侍医などの要職もユダヤ人であったのである。
 逆に、フロイトの医療は反ユダヤ的であったとされた。この当時、どんな貪欲な医者でも高い地位につけば、治療者の伝統的な倫理、無欲の奉仕だけは説いていた。貧乏人に無料診療をおこなうのが当然であった。だが、フロイトはそうではなかった。そういった倫理を鼻であしらった。ユダヤの伝統が治療者に関してこの上もなく尊重してきた価値に真っ向から挑戦した。つまりフロイトは、医療を一つの「職業」と化したのである。医者は患者に一切の思いやりを示すべきではない、患者は単なる診察の対象である。これは医師の仕事を、治療者から機械工に格下げするものの考え方と捉えられた。この医師は患者との関わりを一切持つべきではないとするフロイトの主張は、医者が患者に親身になることそこ最高の薬であるとする当時のウィーンの医師の信念を逆なでしたのだ。

 第二、
 それ以上に問題となったのは、治療法および科学的手法としての精神分析の有効性であった。フロイトはウィーンの近代医学の第二世代に属していた。近代医学は、百有余年のゆっくりした懐胎期を経て、フロイトの生まれるほんの数年前に開ようやく完全に成育したところだった。医学のおけるフロイトの時代は、科学以前の医学(いかさま医師どもの医術)から、診断し治療することのできる、教え学ぶことのできる近代医学に変わった時代である。細菌学が発展して伝染病の防止および治療能力が高まり、麻酔薬が出現して外科手術が耐えられるものになり、防腐法と無菌法が確立されて、外科手術にともなう感染で患者が死ぬ憂き目を見ずにすむようになった時代である。
 いかさま医術から医学への基本的進歩は、大仰な理論や包括的な空論の構築を慎むことによって完成された。近代医学を成立させたのは壮大な理論体系の断念である。どの病気も特殊であり、病気は多様である。それぞれの特定の原因で発生し、特定の症状を呈し、特定の治療を持つという考えが近代医療をもたらした。
だが、フロイトの精神分析の理論は、あらゆる精神障害を同一のメカニズムで説明しようとするものであり、それは時代の医学の流れに逆行するものだった。

 第三、
 精神分析の効果である。精神分析がプラシーボ効果以上のものをもつのかは当時から問題となっていた。比較研究によれば、さまざまなな心理療法のそれぞれの治療法がみな一定の効果を持つとされた。ということは効果がないということなのではないか?フロイトが練達した治療者であることはみなが認めるが、その効果を検証する適切に管理されたテストはあるのか?精神分析医の手許には、しかし、そういった疑問に答える資料が全然なかった。そればかりか、フロイトとフロイトの学説の信奉者は、成果を定義することを、そういった問題について議論することを拒んだのである。

 第四、
 精神分析は科学か芸術か? フロイトとその信奉者以外は、精神分析の目的が病人の治療にあるのか、文芸評論にあるのかが、わからなかった。彼らは患者を説明するのと同じ論理でグリムの童話やシェイクスピアのリア王を分析した。むしろ、みなは精神分析の文学への貢献をみとめたものの、神経症の治療法としては懐疑的だった。つまり、ウィーンの医学界が困惑したのは、フロイトや彼の弟子たちが、病人を治療しているのか、「芸術批評」を一席ぶっているのか、さっぱりわからなかったのである。フロイト自身は、彼の理論が「科学」ではなく「詩」であることを、それとなく仄めかされただけでも、深く傷ついたという。つまり、彼はウィーンの医学界から無視されてはいなかった。彼は極めて真剣に受け入れられた。そのうえで否認されたのである。

 第五、
 性的な抑圧と金銭的な抑圧はなかった。ドラッカーによれば、精神分析の出現はしばしばビクトリア朝時代の性の抑圧に対する反動として説明がよくされるが、とりわけアメリカではそうだ。だが、イギリスには、ごく短期間をのぞいて、その種の抑圧はなかった。フロイトが開業していた当時のオーストリアにもなかった。それどころか、十九世紀末のウィーンは、性に関してはいたって放縦で開けっ広げだった、と。女性は結婚すると、婚外妊娠への恐怖から開放されるために、結婚したとたんに好き勝手なことをしはじめたと。

 フロイト自身はきわめてピューリタン的であり、性は、なるほど避けられないものであるけれども、必ずしも人類のプラスにはならないと考えていたようである。
 ドラッカーは、フロイトが性の抑圧の問題をとりあげたのは、当時のヨーロッパで本当に存在していた抑圧、金銭に対する抑圧の問題に直面しないための心理機制、フロイト的スリップだったのではないかという。当時のウィーンでは金銭があらゆるものを支配していたにもかかわらず、それは話題にしてはならないものとされていた。まともな家では金銭のことは口にしないのが慣わしだった。しかし、誰にとっても金銭が最大の関心事だった。それを抑圧したことにより、当時の中産階級の強迫観念となっていた「公立救貧院神経症」が生まれた。そのうち貧乏になるのではないか? 稼ぎが不十分ではないか? 家族の期待に応えてはいないのではないか? といった不安が蔓延していた。金には興味がないと称しながら、まるで憑かれたように絶えず金を話題にする神経症を、ドラッカーは当時「公立救貧院神経症」と呼ばれていたという。そして、フロイトは明らかに、この「公立救貧院神経症」にかかっていたのだ、というのがドラッカーの説である。フロイトがさかんに自分が貧困のもとで育ち、収入が人なみ以下であるとか、絶えず金銭的圧迫にさらされているとか、医師としても裕福に暮したことがなかったことを強調するのは、まさにその症状、フロイト的スリップの心理機制、不安神経症の明白な兆候だというのである。

 第六、
 また、自分は反ユダヤ主義の犠牲者であるという彼の繰言も、フロイトが直視できなかった一つの事実を隠していると。それは、逆に、彼が非ユダヤ人を許容できなかったことであるとドラッカーはいう。フロイトはユダヤ人として非ユダヤ人から差別されたのではなく、フロイト自身が非ユダヤ人とはつきあうことができなかった。その当時のオーストリアのユダヤ人は完全にゲルマン化していたのであるが、精神分析の世界には非ユダヤ人は一人もいなかった。そこでフロイトは非ユダヤ人を懸命に引きつけようとしたが、結果としてユングをはじめとして男性非ユダヤ人とはすべて離反してしまった。彼は、非ユダヤ人たちを許すことができなかった。フロイトの周りにはユダヤ人しかいなくなった。しかし、非ユダヤ的ドイツ文化の超大家のフロイトは、それを認めるわけにはいかなった。彼は、その責めを他人に帰さねばならなかった。それを説明するために、フロイトは自分が差別したのではなく、自分が差別されたのだといいはった。こうしてできたのが彼のフロイト的スリップ、すなわち「反ユダヤ主義的差別」であり擬似迫害だった。フロイトにとってはフロイト的スリップがどうしても必要だったのは、現実が、つまり自分のユダヤ的なものと決別できないという事実が、彼にとって堪え難い苦痛であったために、それを直視し、是認することができなかったからにほかならない、とドラッカーはいう。

 第七、
 同様に、ウィーンの医学界に「無視されている」という点も、フロイト的スリップだとドラッカーは言う。フロイトは学界から無視されたのではなく、否認された。だが学界から否認されているという事実をフロイトは受け入れることができなかった。だから、無視されたといいはるしかなった、というのがドラッカーの説である。フロイト自身も、内心では、精神分析の方法論にウィーンの医師たちが疑問を抱いているのも無理はない、と思っていたのではないかと。実はフロイト自身も医学界からの精神分析への疑念に同調するところがあったのではないか、と。だが、それを認めれば自分の唯一最高の業績を放棄せざるを得なくなる。
 啓蒙思想の合理主義が普遍的に信奉されているけれども、それだけでは情動の力学は説明がつかないとフロイトは考える。だが、彼は科学の世界と科学的世界観を放棄することができなかった。 しかし、啓蒙思想の子である合理主義者としてのフロイトと、魂の暗夜を生きる夢想家にして詩人であるフロイトの二人がいた。その二人を一身の中で体現させようというのがフロイトの理論であった。フロイトは息を引き取るまで、精神分析は「科学」であり、心の働きは、合理的、科学的用語で、化学や電気現象の用語で、物理学の法則の用語で説明できると確信していたという。フロイトの精神分析は、科学的理性と非合理な内部体験という二つの世界、この二つの世界を一つの統合体にまとめようとする偉大な努力だった。したがって、啓蒙の合理の側からの批判をいったん受け入れてしまうと、夢想家にして詩人の非合理な部分まで一挙に崩壊してしまうことが必定であった。だから合理の側からの疑念をまともに相手にするわけにはいかなかった。その批判を無視し、批判は知らぬ顔して、自分は無視されているといいはるしかなかった、と。フロイトはウィーンの医師たちが自分を無視していると取り繕うことによって、逆に彼等を無視したのである、とドラッカーはいう。

 ここで描かれているフロイト像は、あまりにも面白い。わたしでも、精神分析は「医学」なのか「小説・神話」なのか、あるいは「呪術」なのか、時折疑問に思ったりするが、章末尾の、「デカルト的合理性の世界と暗黒の魂魄の世界の統合を保ちえるフロイトの理論は、確かに見かけよりもひ弱かもしれないものの、そして究極的には自立できない理論かもしれないものの、それは見かけよりもはるかに魅力的な理論、はるかに啓示的理論であり、かつまた人間を揺さぶり、動かす理論」ではないか、との指摘が納得ができる。
 ドラッカー・ブームである。ドラッカーについて言えば、フロイトの精神分析の理論が「科学」なのか「小説」なのかドラッカーが問うているように、ドラッカーの経営学は、さて「科」なのか「小説」なのか? なかなかに中小企業経営者程度の理解できるところではない。だが、この「傍観者の時代」に関していえば、すぐれたノンフィクションであり、じつにすぐれた文芸作品でもあると、むかしも感心したが、今も納得する。もちろん、これはあくまでわたしの個人的な感懐であって、そのような読み方が正しいかどうかは判らないが、ドラッカー自身は、「わたしは経済学者を自称したことはない」と述べているし、「社会学者」と呼ばれたくもないという。そして、自分の基本的な自覚は「文筆家・ライター」であるという。してみると、「断絶の時代」その他、彼の経済・経営に関する著作より、やはり文芸作品であろうこの「傍観者の時代」こそが真骨頂、彼の彼たる本ということになるのだろうか。

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石原莞爾 最終戦争論

どの土地にも神話が必要である。伝説の人物も必要である。つまり「物語」が必要である。第二次大戦における日本陸軍を論じる際に、つまり無策なまま暴走して自滅したわけであるから、人材不足であり、どの戦史評者も否定的言辞にならざるを得ない。唯一、能力をほめられているのが、石原莞爾である。関東軍作戦参謀として、板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起し満州事変を成功させた首謀者であるが、のちに東條英機との対立から予備役に追いやられ、大戦中は無役のまま過ごし、病気のため戦犯指定を免れている。もともと頭脳明晰、陸軍の異端児とされるが、陸士・陸大の優等生であり、関東軍作戦参謀、参謀本部作戦課長をつとめている。これは彼が閑職である京都師団長の頃の講演を著作として世に出したものである。ちょうどバトル・オブ・ブリテン。ゲーリングのドイツ空軍がロンドンに大空襲をかけ、ドイツ陸軍部隊がイギリス上陸作戦の準備をしている頃の講演である。「バスに乗り遅れるな」という風潮の時代である。

昭和陸軍最高の頭脳とされる石原莞爾の論であるから、まず、よほどのレベルと期待したのは、わたしとしては当然である。だが、はじめは当惑し、途中からすこし呆れたというのが、読中、読後感である。私見だが、軍参謀は、なによりも軍事科学者でなければならない。日本陸軍の参謀本部は、その設計者がプロイセン陸軍のメッケル少佐であるように、プロイセン陸軍の参謀大学、参謀本部をモデルとして創られたはずである。クラウゼビッツ、モルトケ以来のプロイセン陸軍であり、それはドイツ陸軍として第一次・第二次大戦を戦う。それをモデルとして創られたはずである。それは、合理主義と科学的思考を第一とするのが本義である。彼我の戦力の合理的判断、正確なる情報と全体像の把握、個別事情の勘案など、科学主義、合理主義に徹している。かってな主観や、まして宗教感情はては占いなどの入る余地のない冷徹な世界のはずである。紀元前千年の中国での、焼いた亀の甲羅で戦争の吉凶を占う時代では、とっくにない。中国でも、紀元前500年には孫子が出現している。

そして評判の知能派の、名高い本である。読みながら、陸軍中もっとも頭のよいといわれた石原莞爾がこれでは、あの戦争は、これは勝てるはずはないと思うしかない。

日本軍は、日露戦争で進歩がとまったといわれる。海軍は、日本海海戦の「勝ち」パターンにこだわり、以後革新がなかったとか。補給に有利な日本近海において、長駆遠征して疲弊消耗している敵艦隊を待ちうけ、そして艦隊決戦を挑むのである。陸軍も同様に、日露戦争の夜襲、銃剣突撃のパターンから一歩も進めなかったとか。これはプロイセン陸軍の参謀少佐であるメッケルが指導した戦術である。日露戦争での日本陸軍の「作戦要務令」は、プロイセン陸軍のそれを、そのままコピーしたものを使ったとか。その旧プロイセン陸軍、日露戦争の思想と戦術で第二次大戦を戦ったのである。しかし欧米の諸国は、凄惨な第一次大戦を経験している。毒ガス戦争を経験し、航空機と戦車による殺戮を経験し、何年にもわたる塹壕で対峙しての機関銃戦、砲兵戦を経験し、国力のすべてを使い尽くす総力戦を経験している。戦争観、戦術思想も、おおきく進化したのである。ドイツの戦史作家であるパウル・カレルだったかの言葉に、「機械の戦争に、花咲く野にフラーをさけぶ死はない」という表現があったと思う。

たしか何の本だったか、第二次大戦のドイツ軍の将軍の言葉として、戦争とは、単一面積に対して、どちらの軍がより多くの鉄とガソリンを叩き込めるかだ、とあった。勝敗はそこにかかっていると。近代戦とは、そのとおりであろう。ナチス・ドイツ陸軍は、機械化兵団と戦車軍団による徹底的な機動戦を展開している。同様に、アメリカ海軍のキング元帥の言葉だったと思うが、戦争とは補給である、これがすべてである、と書いた本を読んだことがある。

日露戦争を基礎とする教育をうけた軍官僚である石原莞爾には、そのような近代戦術の思考はないようである。精神である。銃剣派と呼ばれるべきか。ソフトもそうであるし、ハードも、日露戦争の村田式を改良した三八式であった。わたしは、ずいぶんと戦史を読んでいる。いささか詳しいほうだろう。20代のころに、旧日本陸軍の「作戦要務令」「歩兵操典」を読んだことがある。前者は将校の、後者は下士官の戦術マニュアルである。内容は、こんな感じ「第4節 突撃
1、第68
突撃は兵の動作中特に緊要なり。兵は、我が白兵の優越を信じ、勇奮身を挺して突入し、敵を圧倒殲滅すべし。いやしくも、指揮官もしくは戦友に後れて突入するが如きは、深く戒めざるべからず。
兵は、敵に近接し、突撃の機近づくに至れば、自ら着剣す。
2、第69
突撃を為さしむるには、左の号令を下す。
突撃に進め
駈足前への要領により発進し、適宜歩度を伸ばし、「突込め」の号令にて喊声を発し猛烈果敢に突進し、格闘す。之が為、突入の少々前、銃を構う。
突撃を発起せば、敵の射撃、手榴弾、毒煙(注毒ガス)に会するも断固突進すべき。
3、第70
兵、突撃の要領を会得せば。各種の状況、地形において周到なる教育を行う。この際、突撃および射撃を反復互用する動作、手榴弾の投擲に連携して行う突撃、装面して(注:ガスマスクをつけて)行う突撃などに習熟せしむるを要す」です。
しかし、鉄条網と機関銃座で防御陣地を構築し、赤外線スコープと、電話型無線機、自動式のガーランドライフルとグリースガンを装備しているアメリカ軍に、これかと。これは無理だと思ったことがある。さて石原莞爾、この本の前半で、世界の戦史・戦術を語り、当時のヨーロッパ情勢を語っているのだが、それを受けて、世界は幾つかの地域の戦争トーナメント戦になるとの結論を得ているのである。そして、最終的には世界は、その勝者によって統一されると。もちろん、その最終戦、優勝決定戦のプレイヤーに日本はなるとの結論だが。

読む限り、その兵学思想は、やはり日露戦争の形である。彼は、ヨーロッパの戦争はドイツの勝利ですぐに終了すると考えている。バドル・オブ・ブリテンはドイツ空軍が敗北し、すぐにドイツがソ連に侵攻する、どのような形であれ、アメリカが参戦し、日本もヨーロッパの戦争に引きずり込まれるとは夢にも思っていないようである。それは30年後だと。この講演と著作化が昭和15年であり、翌16年に真珠湾攻撃が起こるのであり、世界情勢がまったく読めていないが、まあ、それはよいが…。

しかし驚くのは、世界を、戦争を、日蓮宗の教義から判断しようとしていることである。元参謀本部作戦課長・大佐、現京都第十六師団長・中将がである。石原莞爾は国柱会の会員であり、宮沢賢治もそうだが、熱心な日蓮宗の信徒である。たとえば、満州国をつくった際に「南無妙法蓮華経」の垂れ幕をさげている。国柱会は、今ならカルト教団と呼ばれるような団体だが、その特徴は、「末法思想」にある。

釈迦入寂後、千年は正しい法の守られる「正法」の時代であり、それから千年は、正しくはないが形は守られる「像法」の時代であり、それ以後の万年は、法が破られ道が廃れる「末法」の時代であるとの説である。
日本の仏教教団の大概は、法華経を根本としている。しかしいわずもがなだが、法華経はお釈迦さまとは何の関係もないというのが本当だろう。あれは、後世にインドで創作され、さらに中国で編集された偽経と見るのが、まあ、そんなものであろう。ふつう仏教史研究においては、
1.原始法華の成立は西紀前一世紀
2.第二期法華の成立は西北インドに於いて西紀後一世紀
3.第三期の成立は西北インドに於いて西紀100年前後
4.第四期の成立は西紀150年前後
とされる。それが中国でさらに変容する。そして飛鳥時代の日本に伝来される。

しかし日本では、猛威を振るう。日蓮は、元寇の到来を末法の一つの証として、みずからを末法の時代を救うという弥勒菩薩、本化上行菩薩だと称した。そして他宗に対する攻撃を開始した。石原莞爾が入っていた国柱会も、その、いわばカルト思想の系譜に連なる。そして、彼も時代は日蓮の予言どおりに進展していると、世界を観るのである。軍事専門家としての、現役の陸軍中将としての石原莞爾の判断ではない。予言がそうはなっていると彼はいうのである。ゆえに、絶対的にこれは正しいと。

そして「結び」において、「今までお話して来たことを総合的に考えますと、軍事的に見ましても、政治史の大勢から見ましても、また科学、産業の進歩から見ましても、信仰の上から見ましても、人類の前史は将に終わろうとしていることは確実であり、その年代は数十年後に切迫していると見なければならいないと思うのであります」との結論を出している。この時期の数十年後なら、昭和四・五十年ということになる。その時期に、最終決戦が行われるとか。日蓮の予言に照らしてもそうなるのである。「日蓮上人は将来に対する重大な予言をしております。日本を中心として世界に未曾有の大戦争が起こる。そのときに本化上行菩薩が再び世の中に出て来られ、本門の戒壇を日本国に建て、日本の国体を中心とする世界統一が実現するのだ。こういう予言をして亡くなられたのであります」

俊材とされた石原莞爾であるが、いまの流行語でいえば、肉食系ではなく実は草食系というべきか、牧歌的というべきか。グーデリアンやマンシュタイン、ジューコフやロコソフスキーとは別種の人間である。彼は、第一義的に詩人なのかも知れない。パウル・カレルの表現を逆用すれば、「花咲く野に万歳をさけぶ死がある」と思っていたのか。日露戦争の村田銃を改良した三八式を握ってである。世界を統一するのである。これなら、永田鉄山とともに、軍の近代化を企図したかも知れない東条英機のほうが、まだ先進的だったとすら印象させる。読後感は、いろいろな時代があり、いろいろな人たちが、それぞれの固有の「物語」、あるいは集合的な「物語」を持っているのだという感慨しかない。人は、かならずしも考える葦ではない。人は物語をかかえる葦なのである。まずはなんというべきか、まずは、その時代の「空気」を嗅ぐという意味では、よい「小説」であるということなのか。当時の「物語」を知る意味でも、である。

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株式会社と医療サービス

Ⅰ.株式病院というもの

 医療サービスの提供主体は国、自治体、日赤、国家公務員共済組合、学校法人、社会福祉法人、医療法人、医師個人、そして社会の福利厚生を目的としての企業系病院がある。今のところ正真正銘の株式会社○○病院はない。
「医療法」の第7条に「営利を目的として、病院を開設しようとする者には許可を与えてはならない」とあり、また同54条に「配当の禁止」の2項がある。これが医師会等の株式会社参入反対派の根拠だが、この2つの条項をどう読んでも、株式会社の参入を禁止していることにはならない(賛成派)。「何が営利」かは明示されていないし、ほとんどの医院・病院は私有資産であり、その所有者は高額所得者も多い。つまり7条は、はるか昔に死文化している。親族を社員にする等、MS法人等で、さまざまな節税、営利行為、利益配当、資産保全をしているのが実際である。
 さらに54条は、反対の理由として根拠がない。医療法人には持分法の定めのある法人とない法人がある。持分法のある法人では、出資者は解散時、またか退会時に医療機関の財産を個人財産にかえることが可能なので、最後に一括配当するのと同じ仕組みになっている。そして現存する医療法人の98%が個人資産にかえることが可能な持分法のある法人。現在の、日本のほとんどすべての医療機関が決して非営利法人とはいえず、私立の医院・病院は実際において営利法人以外のなにものでもない。純粋に法的に言えば、株式病院の参入を禁止する理由は、医療法のどこにもないのである。
 医師会等の既存の既得権益層と、慣習的な行政とのなれあいの結果と見られてもやむを得ないだろう。しかし、現場においては、正しい法解釈がどうであろうと、よほどの大きな制度改革がない限り、慣習行政の中で、保健所等の窓口でそれが認められることはないだろう。

 事実、医師法第19条により医師は召集義務が課せられており、また患者を選別することも違法となるように、一面では、医療に市場原理がなじまない部分もある。また病院経営は、国民皆保険制度とかかわっており、公的保健や税金が投入されて成り立っている理由もある。もちろん、実際は、救急患者のたらい回しなど召集義務違反は日常だが、これで罰された例はない。また、株式病院への一般企業の進出努力がないのには、かならずしも収益が高くなく、場合によっては赤字化している病院経営へのリスクを計算中ということもあろう。それほど企業資源を投資するほどの部門ではないと見なされているのであろう。

 その中で、セコムおよびオリックスという2つの大資本の病院経営への関与、そのアプローチの形は、現段階において、以後、弊社が参考にすべきものとして、いささか興味深い。

Ⅱ.セコムのアプローチ

 警備大手のセコムが医療機関支援に乗り出したのは、1992年からである。東京世田谷の康和会久我山病院からである。同病院、毎年数億円の赤字を計上し、負債額は20億円に達していた。セコムは社員5名を出向させ、うち3人は理事長を含む理事に就任し、負債を引き継ぐ形で経営権を承継した。
 さらに1998年、セコムは、千葉県船橋市の破綻した倉本記念病院の土地と建物を買収した、それを貸し付けるという形で病院経営に参画したのである。前身の倉本記念病院は、98年3月に150億円の負債を抱えて倒産していた。閉鎖された病院の土地と建物をセコムが買い取り、同社と関係の深い医師が、セコムから土地、建物を賃借する形で、個人病院としての開設の許可申請をおこなった。セコムからは、医療事業部門の社員が転出し、副院長に就任、経営管理の事実上の責任者として再建にあたった。
その翌年、病院名に「セコム」を入れようとして地元医師会の反発を受ける。やむなく「セコメディク病院」という形で落ち着いた。
 以後、セコムはこのような、土地・建物のオーナーとなり、その病院開設のための不動産を貸し付けるという形で、提携病院を増やしている。
 その結果、セコムの経営支援をうけた(実質的にセコムがオーナーである)病院は、企業的な管理手法の導入や、セコムの信用力を生かした資金調達を行い、積極的な事業展開を図るところも出てきた。セコムは別会社とて病院支援、医療ソフト開発部門もつくる。セコムの支援を受けた病院の成功がここまで目立つと、既存の医療法人による病院運営の限界も、逆に見えてくるとされる。

 ただ、セコムから派遣された社員は、経営支援であり、医療にかんしては口だしせず、また経営管理も、その医療法人が主体性をもってやっているということになっている。

Ⅲ.オリックスのアプローチ

  リース会社のオリックスは、さまざまな金融商品を開発しているが、医療機関を対象とした新しいか金融サービスとして考案したのが、「診療報酬請求権譲渡付き融資」である。医療機関が支払い基金や国保連合会に対して持つ「診療報酬請求権」の譲渡と引き換えに、オリックスが融資を実行するという直接貸し付けである。
同社が先鞭をつけたことで、現在は市中銀行などの金融機関も、診療報酬の請求権譲渡方式を行うようになった。

 資金力・担保力のない新規開業者、既存医療機関に対する金融サービスであり、支払い機関からの診療報酬は、そのファクタリング会社の口座に振り込まれる。そこより、医療機関は必要な資金を受け取るという形になる。

現在の医療機関は、法制度に守られたためでもあるが、所有=運営が一体化されている古い形となっている。公的病院以外は、医院も病院も、おおむね院長すなわちオーナーの所有であり、オーナーが院長であり、一族が社員扱いで給与等をうける。またMS法人を設立し、最大限の節税と、配当を受けようとする。実際的にも精神的にも、それは家の私有財産であり、とうぜんに、その利権を子供に承継させようとする。しかし、すでに現在の東京では、100床以下の中小病院は、ただちに廃院すべきであり、傷の深くならないうちに廃院は早ければ早いほどよいとさえ言われる。

 セコムとオリックスのアプローチ。その一方で、病院の土地建物その他をファンドに売却し、そのサブリースを受けることで、持ち主から賃借人になり、その際に資金を取得する。それを原資として、新しい形の病院経営に乗り出す病院もある。ファンドを組成する信託銀行もある。大阪の幾つかの大病院でも、そのような動きがある。所有と運営の「分離」という流れである。さらに、直接医療以外は、徹底したアウトソーシング等による経営の効率化である。

 ホーム事業者が、このようなことをなぜ考えねなければならないのか。
 これからは、さらに高齢化の進む時代である。3人に1人の世界。そこにおいてホーム事業者である弊社は、もはや医療と介護が一体化しないと、ホームの現場は立ち行かないと実感的に認識している。弊社ホーム事業に、主体的に医療組織を取り込むことで、シームレスにすること、それにより安定して、これからの高齢化社会に貢献したいと考えつづけている。その方法を考えつづけてるいるのである。

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タイの高原

昨年の10月にタイの北西部、チェンマイの西の高原であるパイに行きました。しかし、タイの道は広い。何車線かの舗装道がえんえんとつづくのです。パイは標高が400メートルの高原地帯であり、熱帯モンスーン気候であるタイとは、別な世界です。冬は氷点下ちかくなるとか。大山の蒜山高原のような感じのハイランドをひろい道路が走っていますが、交通量はおおくありません。レンタルでかりたバイクで誰もいない道をフルスロットルではしると、気分はもうイージーライダーです。愉快の一語につきます。「俺は風だぜ」と叫びたい気分になります。警察も取り締まりません。観光客は大概、目こぼしです。つまり国際無免許で爆走していたのです。わたしを取り締まるべき警官は、パイの市場でギターを手にフォークソングを歌い、恵まれない子供への寄付を募っていました。この土地は、タイのスイスと呼ばれるとか。白人の観光客でにぎわっていました。

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思えば遠くへ来たもんだ

わたしは、いわゆる団塊世代です。といっても、山陰の田舎の育ちですので、すこし都市の同世代とはズレがあるようです。中学校の同級生のかなりが、集団就職列車で大阪に送り込まれる。そんな時代です。そういえば、小学校の頃に、日本のチベット、岩手県の貧しい子供たちに物をおくるというのが、学校行事としてありました。もとよりわたしたちも山陰の田舎の子供であり、そのようなゆとりなどありませんが、学校からのことであり、親が古着とか、そのようなものを用意し、出した記憶があります。成人して、岩手の男に、酒席で、お前は俺の古着を着たのではないかというと、とうぜんに腹を立てました。そこで、ふたりで、当時の岩手と山陰の生活、物の状態、食べたおやつやその他の比較表をつくりました。結果は、わたしのほうがひどいじゃないか、というお話。だが、その後の友人たちの傾向を見ると、都市部そだちの人間より、山陰・東北の不器用な人のほうに、心に通底するものを感じ、感覚的に親しみを感じます。ともかく、ガラス窓から隙間風の入る家で暑い夏と寒い、寒い冬をすごしました。あれからずいぶんと時間もたち、半世紀以上過ぎ、馬齢を重ねて、かなり泥水もすすり、タイムカードも百何十枚も押し、銀行に頭をさげて、融資返済と子供の教育に頭を抱え、ガンマジーテーピーに一喜一憂し、労働裁判に引きずり出され、契約違反の取引先から債務不存在の訴訟を起こされ、御社弊社などという言葉も乱発し、果てにはリアップも毎朝するようになり、それやこれやで、あれやこれやで、今は、いっそ東南アジアのどこかの海岸で、貸しボートの番人として雇ってもらえないかと思っています。パンツ一枚でひがな過ごし、ファランの旦那様にお愛想をして時折チップをいただく。食事は自分でつくります。御飯一膳と魚汁一椀で十分です。ボートは徹底的に磨き上げます。木陰で、お客様のこられるのをいつまでも陽の暮れるまで待ちます。現地のオーナー様が、食べれるだけでよいから最低限のお銭と、寝るだけでよいから雨露のしのげる小屋を与えていただければですが。

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ボーイズライフ

 わたしは島根県の田舎でそだちました。もう半世紀も前、わたしは小学生でした。ガスも水道もない時代です。春の田植え、秋の稲刈りの季節には、農繁期休校といい、小学校が休みになりました。子供も老人も田に出て働くのです。毎日のご飯は、かまどで藁で炊きます。夕方は、どの家からも夕餉の煙があがっていました。でも、それは子供の仕事でした。薪と違い、藁炊きの場合は、燃焼速度が非常に速いので、つねに誰かが、火の番をするのです。当時は子供は重要な家庭労働力でした。こんな程度は、大人のする仕事ではありません。藁の火がめらめら燃えるのを見ながら、半世紀前のあの子供は、燃えるかまどの前に座り込み、本に夢中になっていました。時折、藁たばをかまどにくべます。かまどの中は火が燃え盛っています。その灯りで読書に夢中でした。炎のあげる音と、燃える藁のはじけるパチバチという音が間断なくつづきます。顔は火の熱でほてっていました。することもない単調な田舎の小学生の日々でしたが、本の中には、さまざまな冒険や怪奇がありました。世界があり、宇宙がありました。空想癖だけが発達しました。もちろん、その空想の世界でわたしは抜群無敵のヒーローでした。勉強はあまりしませんでしたが、ずいぶんと本だけは読みました。貸本屋や学校の図書館ではあきたらず、市立図書館にも通いました。単純な時代の、単純な懐かしい日々です。当時の冬は、いつも家のまわりに雪が何十センチか積もっていましたが、今は1センチも積もりません。

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