中観思想と唯識思想の相違点を整理する

1.はじめに
チベット仏教界においては、仏教哲学を説一切有部、経量部、唯識派、中観派の四つにわけるらしい。その中観派と唯識派の相違について、鎌田茂雄は『華厳の思想』152頁以下で、「法蔵は大乗始教を二つに分けて考えていく。一つは空始教、一つは相始教である。空始教は、諸法がすべて皆空であるという、大乗仏教の出発点になる教えという意味であり、相始教は、諸法の性相をあきらかにした大乗仏教の出発点の教えという意味である。相始教はイコール唯識になる。空始教はイコール中観になり、経典としては空を説いた般若経が入り、論では中論、十二門論がふくまれる」と概括する。
また、仏教の基本教義に無我論があるが、部派仏教においては説一切有部の五位七十五法のように物事の実体を認める所説も出た。中論は、それに対して「空」を説き、物事は縁起により成り立つのであり、実体は無いことを論証するのだが、副島正光『大乗仏教の思想』157頁以下は、大乗仏教史は「基本的な思想史の観点からすると、無我・無常の思想と、それと相反することになる人我・法我の思想との交代、もしくは交錯史として捉えることができる。もともと仏教は無我・無常の原始仏教から始まるので、実質的には人我・法我を説く場合でも、形の上では無我・無常と矛盾しないと説明する場合が多い。しかしそこにはどうしても無理が見られる」と論じる。さらに「仏教はゴータマの原始仏教より始まった。やがて部派仏教の時代になると、人我・法我を実質的に説く学派が出てきた。初期の般若経典に代表される初期の大乗仏教は、もう一度無我・無常に帰る運動であった。しかしやがて、大乗仏教の中にも実質的に人我・法我を説くものが出てきた」と概括する。
以下、上記の鎌田・副島の枠組みより、2において中観派の立場、3において唯識派の立場を整理し、4において仏教の実在論と中観派、唯識派の差異を整理する。
2.説一切有部への中観派の批判と空の思想
部派仏教での有力教団である説一切有部では、原始仏教の諸法無我の立場から離れ、五位七十五法の説を立てて、原子的な要素や原理が、不変のものとして存在すると考えた。三世実有、法体恒有、法は常住という立場だが、これは仏教古来の無常説と矛盾をきたすことになる。
初期大乗仏教においては、とくに「空」の思想を唱えるいくつもの般若経典が出現する。副島前掲書102頁以下は、「仏教思想史的に見るとき、結局般若経典の空は、正しい縁起の考え方を再説していると見られる。つまり正しい縁起の考え方は、いかなる実体も立てない見方であったからである。般若経典はそれに先行する部派仏教において、法を実体視する部派があったことを念頭において、否定的にひびく【空】の語を殊更用いたと見られている」と述べて、縁起を説いたゴータマの原始仏教を復活したと解説する。
その説は三世紀の龍樹により理論的に組み直されるのだが、ここでは説一切有部の実体説に反対する。正木晃『あなたの知らない仏教入門』197頁以下は、それを要約して、「龍樹にいわせれば、この世の森羅万象は互いにかかわり合うことによってのみ成立している。だから有でもなければ、無でもない。永遠不変の実体をもたず、つねに変転して止まない。つまり、無常なのだ。ところが人間はそれに執着してしまう。そこに、迷いの根本原因がある。したがって、悟りを得たいのであれば、なにをおいても、まず最初にこの世の森羅万象が【空】になることを認識すべきだ」と説明する。
その主張は、『中論』の、第24章18詩である、「衆因縁生(因縁所生)の法、我即ち是れ無(空)なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦是れ中道の義なり」にまとめられる。因縁(縁起)=空=仮名=中道である。「相依性」に則った「無自性」「法空」、すなわち「法(ダルマ)すらも仮のもの」という考えが主張された。さらに二諦説として、言語表現の限界性を説いて、世俗諦と勝義諦を提唱した。
小乗仏教の「空」は「人空」とよび、直線的に縁起する個人の因果関係とされるが、龍樹の立場は、相依性であり、外界すべてを説明する「法空」と呼ばれる。
3.ヨーガ修行者の唯心論
大乗の学派としては、中観派と唯識派があるが、唯識派はヨーガの行と相まって、識への考究を深めた。四世紀に、マイトレーヤが学派として成立させ、その後アサンガ(無著)、弟のヴァスパンドゥ(世親)に至って完成した。
ある意味、徹底した唯心論であり、外界は存在せず、それはただ識の作用の結果でしかないとすら考える。これは「空」の思想と一致する。だが、さらに識を八つに分ける八識の説を立てる。原始仏教の六識(眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識)に七識目としてマナ識を、八識目としてアーラヤ識を立てる。マナ識は、われわれの我執であり、日常意識であるが、アーラヤ(蔵)識は、いわば深層意識であり、カルマは種子としてアーラヤ識に蔵されており、それが認識活動(現行)を行わせるとする。さらに、認識と存在の形態としての三性説を説く。
4.輪廻の主体と中観派と唯識派の立場
仏教思想史の難問に、無我説と輪廻説の矛盾問題がある。はたして仏教の前提とされる輪廻説は、死によっても滅することがない永遠不変の実体を認めずして成立し得るのかどうか。アートマン(我)を否定して輪廻説は成り立つのか。無我説を主張する以上、輪廻説は否定されなければならない。逆に言えば、輪廻を説く学派は、それをどのようなロジックで説明しようと、アートマン(我)を肯定したことになるのではないのか。
副島前掲書181頁以下では、この輪廻する主体に関する唯識派の立場について、種子識であるアーラヤ識は刹那滅であるとされるが、「一種の不変的な個我のように思われがちである」として、唯識派は、「つまり一瞬一瞬滅しながら、しかも継続していると説くのである。このように説くことによって、原始仏教以来の無常・無我と調和を図ろうとしている」と解説する。「摂大乗論でも、種子(アーラヤ識)は刹那滅であるという。それでいながら連続性もいう。この辺にやや無我・無常に反する要素が、盛り込まれている」と、唯識派の理論の苦しさを解説する。
これは中観派から、実体視されやすいものとして、きびしく批判されたようである。また、唯識派の提唱者の一人であるヴァスパンドゥは、原子の存在を説く説一切有部の理論をまとめた『アビダルマ・コーシャ』の著者でもあり、この著は、刹那滅による心の相続を解説するものでもある。
また宮元啓一は『インド哲学七つの難問』105頁以下で、唯識説は、公式には自己の存在認めない無我説前提としているが、古代インド哲学であるヤージュニャヴァルキヤの概念を忠実に継承したものであり、「ゴータマ・ブッダを飛び越えて、はるか昔へと先祖返りしてしまっている」と論じて、無我ではなく有我の立場だと解釈する。
前述のように副島正光『大乗仏教の思想』157頁以下は、大乗仏教史は「基本的な思想史の観点からすると、無我・無常の思想と、それと相反することになる人我・法我の思想との交代、もしくは交錯史として捉えることができる」とするが、中観派は無我・無常の思想に立ち、唯識派は人我・法我の思想に立つようである。
無我と輪廻説は初期・中期仏教の一つの基礎でもあるが、矛盾し、両立を説明するのが困難である。輪廻説は、死にも滅することがない永遠不変の実体を認めずして成立し得るか。アートマン(我)を否定して輪廻説は成り立つのか。中観派は輪廻する実体を否定し、唯識派は、アーラヤ識のなかの種子という実体的観念(刹那滅であり実体でないと論じるが)の採用により、これを解決しようとしたが、仏教思想史は、結局、この問題の完全解決を得ることはなかったようである。やがて如来蔵思想のように、とうぜんにアートマン(我)は存在するものとして全面的に肯定されるようになる。さらには、密教のように、いわゆるバラモン教の梵我一如と同様の宇宙観を展開するようになる。

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