ベトナムの男

 友人の設計士がベトナムに大理石の買い付けに行くという。それは面白そうだと同行をたのむ。日本は真夏である。とくに枚方は暑い。ベトナムはさぞ暑かろう。だが、ハノイの空港に着くと、気温は30度だった。すずしい。おどろく。空港になにやら案内人ごときがおり、その指示するタクシーに乗る。ホテルは旧市街を予約している。タクシーを降りるとき、運転手と料金で喧嘩になった。ホテルは、古いフランス風のホテルである。

 街は、フランス様式の建物がならぶ。文字もフランス文字を改良したのであり、まるでイタリアの湖畔都市のような街並だ。じつにお洒落である。来てみなければ分からないものだ。想像とまったく違った。しかし、すごい車とオートバイの量である。道幅はひろいのだが、信号機がなく、車とオートバイが魚群のように全方向から流れ続ける。交差点でよく衝突しないものだと感心する。でも、路の反対側に渡らねばならない。横断歩道はない。旅行案内書には、とまらずに横切ればよいと書いてあった。そのとおりに、流れを無視して路を横切る。すると魚群の流れはサーッとわたしを避けて流れつづける。見事なものだ。もし止まれば流れのリズムが狂い、轢かれるのだろう。ちょっとしたアドベンチャー気分だ。ハノイの街は物資であふれていた。
 翌日、設計士が到着した。その事務所の関係のベトナム人がホーチミン市で会社を興している。彼も来た。小柄で、いやベトナム人としては普通か、四十歳くらい。日本語がうまく話せる。みんなで軍事博物館に行き、デンビエンフーのパノラマを見る。ホーチミン廟でご尊顔を拝する。公園の中のホーチミン宅を見学する。上等な木材でつくったささやかな小さな家である。高床式か。こんな素敵な家で住みたいものだ。設計士も感動している。

 夜、すこし高級な中華料理店に案内される。フランス式の立派な建物である。このベトナム男はおしゃべりである。プライドが高い。「われわれは、中国と千年戦い、フランスと百年戦い、アメリカと三十年戦って、すべて勝った」とおっしゃる。それはご苦労様です。自分がいかに出来る男かもアピールされた。名物のスッポン料理があるとか。料理人がおおきなスッポンを見せに来る。なりゆきでスッポンの血を飲もうということになった。ベトナム男がその血を注いで、すすめてくれる。まあ、代金はこちらがもつのだが。飲み終わってから、彼になぜ飲まないのかと聞いた。すると、河や池のものには寄生虫があり、自分は飲まないと答える。思わず、襟首をつかみ、床に押し付けて拳骨を食らわしたくなった。知人のタイ人留学生が、ベトナムからの留学生もいるが、自分勝手で気が強いから嫌いだと言っていた。ほんとうに、もう。
 つぎの日、ベトナム中部海岸のビンまで飛行機で飛ぶ。車をチャーターしてあり、そこから西の山岳方向に。なるほど、さらに先に行けば、大理石の名のもとになった中国の大理市に行くわけだ。二時間くらいの車中。助手席に座る。視界がよかろうと思ったのだ。やっとこ二車線の道を走るのだが、じつに恐ろしい運転だった。たくさんの車、それも中古車が走る路を、すさまじい猛スピードで走る。そしてガンガン追い越しをかけるのである。対向からも猛スピードで車が来る。正面衝突寸前で、もとの車線の強引に戻るのである。肝が冷えた。案の定、道の横の田んぼには、車の残骸がひっくり返っている。こんな怖い運転をする国は知らない。
 またオートバイが多い。しかも、ありとあらゆるものを積んで走っている。袋のようなものを積んでいるので、よく見ると、金かごのなかに小型の豚を入れていた。チェックすると、銀メダルは5頭の豚を積んでいた男である。金メダルは、嫁さんと4頭の豚を積んでいた男である。

 大理石の採掘場兼工場に着いた。横の土地に立派な大理石の建物とやはり大理石のひろい池がある。あれはなんだと聞くと、オーナーの自宅だと言う。池は、そこに鯉を放して釣りを楽しむのだとか。むこうには建築中のビルが見える。四つ星クラスのホテルを建てるのだとか。もちろん、オーナーの個人資産である。ここは社会主義国ではないのかと設計士に聞くと、こんなもんだと言う。オーナー様が挨拶に来られたが、まるでフィリピンの山賊のような風貌である。工場の労働者は、だがベトコンの兵士のような筋肉質で精悍な印象だった。きびきびと良く動く。

 帰り道でホーチミンの生家を見て、夜はビンのホテルに泊まる。みな帰り、二泊目はわたしひとりだった。朝も昼も、夜も、犬のように歩き回る。朝の公園で、巨大なホーチミンの大理石像の前で、何人もが、まるで仏像を礼拝するように、真剣に祈っている。強制されているのではない。本気なのだ。ああ、そうかと思う。

 地元の市場の中に入り込む。あふれるように野菜、果物、そして屠場から来たばかりの豚肉がある。血がたれている。籠には鶏たちが押しこめられている。市場の人のためのテーブルに座り、フォーを注文する。肉汁がしみこんでじつに旨い。知らない土地で美味しいものを食べるには、地元の市場の人が食べるものを食べるに限る。街を犬のように歩き回る。ホテルのフロントには、じつに素敵なアオザイ美人がいる。夜は、レストランの彼女が見えるテーブルに座る。バーバーバーの泡ごしに彼女を眺める。見事な美人であり、目の保養だ。ベトナムで戦争があったのは、わたしが二十代の頃だ。テト攻勢は、帰省していた田舎の家で見た。報道はベトナム一色だった。

 ファントムとミグが空中戦をする。北爆するB52に対空ミサイルが発射される。南ベトナムの警察長官が、しばりあげたベトコンのこめかみに拳銃を発射する。やがてアメリカ軍が逃亡をはじめ、ある日、北ベトナム軍の戦車部隊がサイゴンに突入する。ハノイの軍事博物館では、老兵たちの集団が何組も来ていた。久しぶりの軍服を着て、襟の星を輝かし、胸に幾つもの勲章をつけ、白髪あたまの旧友たちと肩をたたきあい、笑いあっていた。さらに中越戦争では、鄧小平の大軍を迎え撃ち、これを撃破したわけである。「われわれは、すべてに勝った」わけであるか。夜の閑散としたレストランで、バーバーバーに酔いながら、アオザイ美人を鑑賞する。ベトナム戦争から四十年か。もしその頃なら、彼女も三角の笠をかぶり、黒いアオザイを着て、タイヤでつくったサンダルを素足で履き、カラニシコフをもってアメリカ軍陣地に駆け込むだのだろうか。アメリカ兵の機関銃弾が、ピシッピシッと足元にしぶきをあげる。空では戦闘ヘリがジャグルを掃射している。むこうの村はナパームで焼かれている。彼女は唇をかみしめ、まなじりを決して駆け続ける。社会主義国の地方都市の夜は静かだ。街は闇の中で眠りについている。わたしは、バーバーバーを飲みながら、妄想にふける。

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