リデルハートを読む

 和題名「ヒトラーと国防軍」である。原題は The German Generals Talk.であり、もともとは1948年、第二次大戦の直後にリデルハートがドイツ国防軍の将軍たちに直接にインタビューした図書 The Other Side of the Hill.である。
「丘の向こう側」ということであるか。第二次大戦を戦勝国である自国イギリスの側からではなく、敵側であったドイツ軍の立場、ドイツ・サイドの「眼」から、つまり丘の向こう側から、逆の立場から戦争を眺めなおそうという主旨である。
 そこでリデルハートは述べる。「戦争を相手の立場から見るというのは、最もドラマティックな方法だ。それは、たとえば『望遠鏡をその反対側から見る』というのとは一つの大きな点で違っている。つまり画像が縮小されるのではなく、むしろ光景は拡大される。驚くほど鮮明に」とある。普通人は、自分のサイドでしか見れない。相手の心、立場で感じ考えることなどできない。土着の集合的無意識の中で、エーリッヒ・フロムの言うように集団の中に逃走する。しかし、グローバルな視座、多文化の視座、そしてリデルハートのような戦略家の視座としては、それは低劣な知性である。別の心理からも見ねばならない。孫子もいう、敵を知り己を知れば、百戦あやうからずと。国家興亡の大事である戦争においては、そのような土着の集合的無意識、集団の限界にはばまれた普通人の意識より、より高い領域での知性が必要となるということか。このリデルハートのアプローチが、第一に、納得のできることである。

 第二は、ドイツ軍人に対する、というより軍事専門家、あるいは、あらゆる職業・知性に対するリデルハートの感覚、評価基準に非常に興味をもった。

 近代軍事戦略論の代表的著書としては、クラウゼビッツの「戦争論」とリデルハートの「戦略論:間接的アプローチ」がある。プロイセン軍人であるクラウゼビッツの戦闘を全面に打ち出す決戦主義であり、強者の戦略論と呼ばれ、いまなお戦略論の王道とされる。対して、リデルハートは、第一次大戦のイギリス軍将校として、凄惨なソンヌ会戦、塹壕戦を体験している。そのため戦闘を極力回避しようとする不戦の考え方が強く、弱者の戦略論と呼ばれる。「勝利」よりも「均衡」である。
クラウゼビッツの戦略の本質的は、軍集団同士の決闘であり、敵を完全に撃滅することにある。力により、強制的に敵を服従させることである。
 それに反して、リデルハートは、暴力や軍事力によって人間を完全に征服し、服従させることはできないと考える。それゆえ、クラウゼビッツ的な直接アプローチによる戦争はとらない。戦争の目的は敵の完全撃破と強制服従ではなく、敵の脅威を排除し、敵が自らの意思で投降してくれること、有利な形での「均衡」に持ち込むことである。これは、孫子のいう「戦わずして人の兵を屈するものこそ、上の上なるものなり」の思想と同じと言えるか。ローレンツの「ソロモンの指輪」にあるように、狼の戦いは、とどめをさすまで行うことはなく、敗者の合図で終了するのである。
 そのリデルハートによるドイツの将軍たちへの評価というより、その評価の基準、フレームが興味ぶかいのである。

 その一、もともと参謀本部というものは、いかなる軍隊と雖もいつでも必要に応じて必ず供給することができるとは限らないところの、天才の代わりに作られた、集合体的代用物である。従ってそれは本来的に天才の出現を阻むようにできており、ヒェラルキーであると同時に官僚組織であり、ただその代わりに一般の能力水準を高い所へ上げるのである、とか。

 その二に、彼らの視野は職人的に狭かった。単なる軍事的目標以外の大戦略という感覚において、戦争目的という点において、こういう純粋な職業軍人というものは、ヒトラーを相手にしてやりだすと、極めて無力なものとなる。単なる戦略あるいは戦術として次元の職業的能力などというものは、ヒトラーと自分たちを穴の深みに陥れるだけであった、とか。

 その三に、軍事専門家としてだけの軍人を評価せずに、逆にその種の軍人の限界性を見る。ドイツの将軍たちの評価に際して、その持っている教養、芸術的資質の有無を、リデルハートは極めて重視していることである。まるで、そのようなリベラルアーツの高さが、その軍人の資質の高さと同義であるような表現が、この本に多々見られる。

 その四として、たとえば、ツァイトラー参謀総長について、「彼は、有能かつ精力的で、いかにもナチの気に入りそうな行動型の人間であるが、それは前任者のハルダー将軍のような、軍事問題について優れた論文を書いただけでなく、数学者でもあり、植物学者でもあったような、言わば思索型の人物とは違っている」と述べる。

 その五だが、たとえば国防軍司令官であるライヘナウ将軍。「彼は性格が強くて創意に富み、知性よりもむしろ行動と直感の男であった。やる気があり、頭が良く、教養が高く、詩人でさえあり、それでいて述べた如く強い性格の持ち主であり、またスポーツマン」でもあったと、自分の好みのタイプを褒めている。

 その六をいうと、逆に、専門だけしか持たない将軍たちへの評価は低い。「ドイツの将軍たちは、その職業についての勉強を、この上もなく完璧な形で学んで行った。若いときから政治や、ましてその他の世俗的なことについてなどは、脇目もふらずに、その技術に習熟した。こういうタイプの人間は、極めて有能ではあるが、想像力には乏しいものである。」と決め付ける。「彼らは、戦争といすうものを、一つの芸術としてではなく、むしろチェスのようにやろうとした」か。なるほど、戦争もそのような立場の人間も、芸術家である必要があるのか。それは芸術家の仕事だったのか。そこらの職業的安物ではなく、真の芸術家の仕事だったのか。このレベルの仕事は、職業的機械工の世界ではないということだな。

 リデルハートの将軍たちに対する資質評価の基準として、その人物のもつ知性・教養・芸術的資質の如何があるのである。あえて我流解釈をすれば、将軍のような、戦略を司る立場の人物は、たとえ軍事問題であっても、軍事専門家だけではいけない。つまりスペシャリストでは担えないのであり、ゼネラリストとである必要があるということだろうか。戦争は機械工の仕事ではない、ということか。なるほど、である。また、これは軍事だけでなく、あらゆることに言えるのだろうとも納得する。

 さて、このような彼の見方が、オックスフォードを出たイギリス・ブルジュア階級出身者の皆がもつ雰囲気なのか、リデルハート個人の軍事的思考深化の帰結なのかは、これはわからない。イギリスのジェントルマンとは何かの定義から来たのだろうか、どうか。欧米での教育ではリベラルアーツがとくに重視されていると聞くし、フランス人の哲学論争ずきも有名である。さて、アジアはどうしたとか、そんな読後感も生まれた。

 いや、中世の東洋の教育の第一歩は、論語の素読から発していたはずだ。それが少年の背骨をつくったはずだが。日本で言えば、明治の軍人と、昭和の軍人の種、資質、本質をわけるのは、この線であろう。
 硫黄島の栗林中将は、アメリカ駐在もしているが、絵心、詩心のあった人のようである。彼のなにかの言葉に、若い将校は、教えられたことしか知らず、基本的な教養がまったく欠けており、じつに問題であると述べたとかを何かで読んだ。他の指揮官が、思考停止状態で、古い教条主義的な作戦立案、指揮を行い、敵に対する何の効果もなしに兵士を犬死させ壊滅しつづけたなかで、硫黄島だけは、既存教条に反する作戦指揮を行い、太平洋陸戦史上唯一とも言える戦果と評価をあげている。つまり、リデルハートの理論は、ここに照らしても、正しい解のようだと思われる。この理論に照らして、夜の暇つぶしに、第二次大戦の日本の将官の評価を試みたが、やはり栗林中将が、ただ唯一の合格者のようである。

 このリデルハートの理論(感覚)をさらに敷衍して、実業界、経済人いやさまざまな職種、自称芸術家まであてはめて考えたらどうなるのだろう。その専門知識・能力の高さと同時に、その人の持つ哲学・教養・芸術的資質を見るのである。横軸は、その職業的能力である。縦軸は、その人間的能力である。その格付けのフレームワークがつくれないか、数値化できないか、などと読後に妄想した。1LH (リデルハート)度数、2 LH度とか。これはマイナス1.5 LH度とか。さらに、縦横のX軸、Y軸のほかに、「丘の向こう側」を見る能力のZ軸を設定して三次元化すれば、さらにこの(リデルハート)度数も、精度と有効性を増すと思うが。IQとかEQとかCQではなく、それを統合するLH指数である。なかなか、われながら気に入ったアイデアだと思う。いいかも知れない。あとは、座標軸の目盛りの数値化、設定だが。いや、統計データがあれば数学的に可能だろう。現代の観相学として、けっこう当たるかも知れない。交流分析の手法に、さまざまな設問を点数化して、それを曲線にし、そのパターンで分類するという手法がある。とすると、LH係数ではなく、LH曲線か。いや、XY軸ではなく、XYZ軸であるから、さらに数学的処理が必要か。空間と座標となるな。おもしろい。
 フィールズやノーベル賞は出ないにしても、人類に新しいフレームワークを与えることは出来るか。ああ、これはある話だ。LH空間で、その座標A-Eまでを、戦争や国家運営の担当者とし、T-Uは、ネクタイをした職業的機械工にするのである。中国・朝鮮の科挙制度で、その試験科目のなかに詩文がはいっていたのは、じつに正しいと考える。山岡鉄太郎の書には、じつに人を感動させるものがある。

 子育て親父して、とりあえず、息子を育てるならば、この地点まで行かせねばということか。まずは「経」と「史」を学ばせることだが、サンデル教授でも良いのだが。最近の子供は、そういうわけには、いくかどうか。文部科学省一条校に通っているし。受験にさられているし。わたしの時代でも、まるで、だめだったのであるから。

 子供に、大きくなったら何になるか、と聞くのもまずいなあ。子供は、大きくなったら「大人」になるのである。答えは、それ一つなのである。彼らの知的スタンスとしては、陸機「文賦」のいう、「中区にたちて玄覧し、情志を典墳にやしのう」というところから発してほしいが。

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