ウッダーラカ・アルーニとヤージニャヴルクヤのアートマン説

1.アートマンについて

世界の成立について、古代インド人は、一般には、世界は最高神、あるいは一なる絶対者によって創造されたと考えたようである。この創造説は発展し、さらに真実なる唯一神を求めた。そしてそれをブラフマンという呼び名でよんだ。ブラフマンは、世界や個々の生き物に遍在しているが、われわれの感覚には識別されず、理性によってのみ識知される。これは実在の中の実在であり、不滅で永遠で遍在で、いつも眼の前にあり、あらゆる存在するものの根源である、という。このブラフマンを認識するには、自分内にブラフマンの分身として内在する我(アートマン)を自覚したときにブラフマンを知ることができるという。いわゆる梵我一如の思想である。

前田専學は『インド思想史』16頁以下で、「人間の肉体は、死とともに滅びるが、その霊魂は不滅であると信じられていた。このような霊魂は【リグ・ヴェーダ】ではアス(生気)あるいはマナス(意、思考)と言われる。後世、プラーナ(気息)、アートマン(自我)などの言葉で表され、ことにアートマンはウパニシャッド哲学思想の中心的概念となる」と解説する。

アートマンのサンスクリット語atmanの動詞はanで、「呼吸する」の意味をもつとか。これの名詞形がアートマンで、生命の根源と考えられる霊魂の意味をもつようになる。パーリ語ではアッタンとなる。この語は身体、さらに自己という意味に変化するが、バラモン教の教義では、ブラフマンが流出転変して、われわれの生命、あるいは霊魂として内在しているのがアートマンと考えられるようになったとされる。

これについて、金倉圓照『インド哲学史』27頁以下は、「ウパニシャドに於いてブラフマンの観念が大切なのは、それが最高原理としての位置を確定したというだけに終わるのではない。むしろ他の原理アートマン(我)と同一視せられ、梵我同一の自覚の下に、繰り返し宇宙の本体としての思弁の対象にのぼらせられた所に、歴史上の重要性がある」と解説する。金倉前掲書28頁以下は、「われわれはブラフマンとアートマンの2個の原理の発見をみたわけであるが両者は共に宇宙創造の根本原理とせられ、また万有する力と考えられてきた。また一方では、大宇宙の現象と小宇宙としての人間の機構機能は、相即するとの考えも行われていた」と解説する。

すなわち、梵我一如の思想の成立である。前田専學も『インド思想史』22頁以下で、「ウパニシャッドの哲人たちは両原理の発見に終わったわけではない。かれらはさらに進んで、個人の本体であるアートマンは最高実在ブラフマンと同一である(梵我一如)と説くに至った。多くの学者はこの同一説がウパニシャッドの中心思想であると解している」と述べる。また、「今日に至るまで至るまでインド思想の主流を形成している」とする。

2.ウッダーラカ・アルーニのアートマン説

インド哲学に現れる因果論は、大きく分けて二つあり、自我も世界も唯一なるブラフマン(梵)から流出転変したと見る正統バラモンの転変説(パリナーマ・ヴァーダ)と、唯一なる絶対者を認めず個々の要素が常住であるとして、それらが集まって人間や世界が成立していると見る積集説(アーランバ・ヴァーダ)に分かれる。こういう二つの考え方の基礎は、ウパニシャッドの時代に形成されたものである。

インドにおける最初の哲学者は、ウッダーラカ・アールニであるが、これについて宮元啓一『インド哲学七つの難問』185頁以下は、「流出論は、すべて世界の始まりについて語る。ウッダーラカ・アールニの有名な有の哲学は[太初、世界は有のみであった]という一元論的主張から始まる。そして、その有が、おのずから増殖しようと考えた。そこからいくばくかの過程を経て、世界の森羅万象が流出したという」と述べて、ここで流出論的(転変説的)一元論がインド哲学史において完全な形で出現したと解説する。

金倉圓照『インド哲学史』29頁以下は、ウパニシャッド哲学の本領は梵我一如の思弁であるが、ウッダーラカ・アールニは、これを「有」satと規定して、その有からの万物発生を説明する。すべては有から始まり有に帰るのであるが、「この微細なものこそ、一切万有が本性として有するものである。それは真実なるもの、即ちアートマンである。それは即ち汝である、と彼は説いている」と解説する。古代インドにおける梵我一如思想の成立であり、この立場からすれば、ブラフマンは即ちアートマンであり、アートマンは即ちブラフマンである、大宇宙たるブラフマンと小宇宙であるアートマンは、一如であるとなる。

3.ヤージニャヴルクヤのアートマン説

古代インドの二大哲人は、ウッダーラカ・アルーニと、その弟子であるヤージニャヴルクヤとされるが、金倉前掲書31頁以下では、ヤージのニャヴルクヤの思想について、「ウッダーラカの説は、客観的な有の原理から出発し、実在論的な見方で梵我一如を説明している。万有の根源としての元素の観念も、彼に至って始めてはっきりした。しかし、ウパニシャッドには、かような実在論的傾向の外に主観的なアートマンを基礎として、唯心論的に全有の統一をみる思想もある」としてヤージニャヴルクヤの思想を解説する。結論として、金倉は前掲書32頁以下で、「この一切の根源としてのアートマンに関する真理を自覚するのが、哲学の目的であり、人生最高の帰趨であるというにある」と要約する。

これについて、宮元啓一は『インド哲学の教室』60頁以下でヤージニャヴルクヤの思想を説明して、自己は何によっても媒介することなしに、自律的に、自己回帰的にその存在が確立されている。世界は、その自己に認識されることにより初めてその存在が確立される。したがって、このヤージニャヴルクヤが発見した考えは、しばしば「自己一元論」と呼ばれる。「まず最初に自己があり、世界はその後に存在が確立されますから、これを、自己による世界の生成と捉えることが可能になります」と解説する。これは自己から世界が流出するという意味ではなく、自己は世界と関わりなく存立できるけれども、世界は自己に依拠しなければ存立できない、ということらしい。

そして宮元は前掲書60頁以下で、ウッダーラカ・アルーニは「独立自存の唯一の根本的な有から世界が流出するという、流出論的一元論を樹立した」とするが、その弟子であるヤージニャヴルクヤの思想は、「自己一元論であり、自己から世界が流出するという説」と解説する。そして、この有=自己の流出論的一元論は、その後、西暦紀元前後にヴェーダーンタ学派が継承し、ヒンドゥー教に合わせて、有=自己=最高神一元論に仕立て上げたと解説する。

ただ、どのインド哲学の著書も、ウパニシャッド期は、無条件に梵我一如であったとするるが、湯田豊『インド哲学のプロムナード』52頁以下では、初期のウパニシャッド期では、すなわちウッダーラカ・アルーニと、その弟子であるヤージニャヴルクヤの時期には、まだその思想はなかった、存在しないとする。ブラフマン=アートマン説は、すでにインド哲学での公式扱いだが、これはシャンカラの一元論説に基づくと述べる。
2016-09-13-20-37-48
以上のように整理してみると、インド哲学の歴史においての自己認識としてのアートマンから、世界認識、現象認識である梵我一如思想と、自我論が変遷・発展していくフレームと流れが理解できるような気がする。金倉圓照説と湯田豊説の「幻想としてのアートマン=ブラフマン説」は、コンフリクトを起こすのだが、ともあれ、物質主義唯物論の中で、心や魂も脳科学的、あるいはニューロンの組成と脳内ホルモンによる現象と考えさせられてる我々としては、霊魂の実在を確信し、それを思索できわめ、瞑想で直感しようとする知的・精神的努力は、なにやら羨ましいものである。

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