やっと太極拳に腑が落ちた

台風24号のくる午前である。香里園のスタバだ。隣家の前に178号が停まっていたのでついバスに乗り坂を下る。
朝、6時か、台風の前に新宅の昨日むしった草を袋詰めに行った。これがまあ終の棲家かとの感慨よりも蚊がうるさい。家前にもどり、すでに毎朝の習慣となった拳を打つ。揚家108式を一度、角のマンホールのまわりを八卦掌、黄龍反身まで、また揚家をいちど、その前後に黄氏松身五法の孫式改良版を逐次入れる。
三年前か、秋の頃に守口の詠春拳に通ったが、現代的意味のない拳法であり、それ以上に道場主M氏の人格に辟易した。一年つづけたが香港の李恒昌老師のセミナー参加でおわりにした。その後、カルチャーセンターで簡化太極拳24式をする。昨年の晩秋か、S崎氏の揚家蛇式に入る。これは機嫌よく、いまもつづいている。また揺禅という氏開発の気功運動も行う。さらにこの4月か、日曜朝の大阪城公園でのS氏の八卦掌も習いはじめる。
それやこれやで、少しは、自分なりの意見もできた。揚家太極拳や八卦掌の武術としての側面ではない。徒手格闘技としては、キックや総合の敵ではあるまい。揚家をやり、揺禅をやり、八卦掌をやり、それ以上に個人的に研究した。大体、今日の朝の要領とか感覚で良いと実感をする。
その今日的意義は、揺らすこと、波を起こすこと、振動させることだ。円を描きながらである。基本はミルキングアクションである。人間は「管」である。パイプだ。血管、リンパ管、気管、大腸、小腸その他、人体は「管」だ。神経系も筋肉繊維もそうだろう。60兆とされる細胞も、膜にかこまれた液体だ。Be Water なのだ。それを揺らす、振動させる。波を起こす。つまったパイプを揺らし、振動させることで「通す」のだ。再生、活性化させるのだ。それを中国人が気功と呼ぶのは、彼らの勝手である。血液が流れようと、リンパ液が流れようと、「気」が流れようと、メカニズムは同じではないのか。
第一が、ミルキングアクションだ。これは血管に作用するふくらはぎの筋肉のポンプ作用の事だ。全身の血液は、心臓から送られて、また心臓に戻るというように循環している。 上半身の血液は比較的容易に心臓へ戻っていくが、下半身の血液は重力の抵抗を受けながら 進まなくてはいけない。 心臓だけで一連の動きを行うと、結構な負担になってしまう。 そのときに心臓の助けとなっているのが、足の筋肉を動かすミルキングアクション(搾乳運動)という機能だ。 足の筋肉が血液の周りで乳搾り(ミルキングアクション)をするように伸び縮みすることで、筋肉の収縮によって上に血液が流れ、血液が心臓に送り返される。
ふくらはぎを動かすとふくらはぎの筋肉は伸びて縮む(収縮と伸展)を繰り返すが、これがふくはらぎ周辺を走っている血管への刺激となり、乳搾り(ミルキング)の要領で血行を盛んにさせる。ふくらはぎを含む下肢は身体の中で最も心臓から遠くに位置し、しかも流れてきた血液を重力に逆らって心臓まで押し戻さなければならないために血行不良をきたしやすい部位となっている。このせいで「冷え」や「むくみ」を生じやすい。しかし、下肢には全体の筋肉の約三分の二が集中している。ふくらはぎを使って歩くだけでも比較的簡単にミルキングアクションの効果が期待でき、それによりふくらはぎの血流量が増加すれば遠隔部の血流にも強く影響し、全身の循環系を活性化させることができるとされる。このように、ふくらはぎの筋肉は心臓のポンプ作用を補助する器官なので、「第二の心臓」とも言われている。
心臓から足に行く時の血液の勢いはすごく強いしかし、静脈には心臓と同じくらいの勢いをつけてくれる「モーター」がない。そして静脈には流そうとする「意志」もない。勢いがないため血流が逆流する可能性もある。そのため静脈には逆流防止弁が付いている。つまり太極拳あるいは揺禅あるいは様々な気功が無意識的に、知らないままに行っているのは、「意思」をもって「モーター」を動かすことなのだ。仏教を含むインド哲学が、思索と瞑想のみで、結果として現代の精神分析、脳科学に近い答えを出しているように、中国の養生術も、経験則的にだろうが、現代医学の説明する効果を出していたのだ。「意思」をもって「モーター」を動かすのだ。「意思」、それが「術」となり「道」となる。
アマゾンで本を注文した。ぷるぷる体操、かかと落とし、ゾンビ体操みな同様の内容である。答えは、すでに私も気づいた。それをすこし専門的に説明する本だ。福岡歯科大学客員教授で、『“骨ホルモン”で健康寿命を延ばす! 1日1分「かかと落とし」健康法』(カンゼン刊)の著者・平田雅人氏が解説する。以下引用。
「かかと落としは、背すじを伸ばしてつま先立ちになり、両脚のかかとを上げ下げする運動法です。かかとを地面につけるときに、自分の体重をかかとに伝え、“骨を刺激する”ことを意識して、1日30回繰り返します。手軽で簡単にできる運動ですが、これによって『糖尿病』の予防・改善、『認知症』や『動脈硬化』の予防効果が期待できるのです」
国内の糖尿病患者は、予備群を含めると約2200万人、認知症は約800万人にのぼるといわれる。動脈硬化が進行すれば、脳卒中や心筋梗塞など命に直結する重大な疾患を引き起こす。
さらに、同様の運動が「高血圧」の対策としても効果が期待できると明らかになってきた。日本高血圧学会によれば、高血圧の潜在患者数は約4300万人。国民の約3人に1人が悩みを抱えている疾病への新たなアプローチとしても注目が集まっている。
これらの疾患について、これまでの予防・改善策は、適度な運動や十分な睡眠時間の確保といった地道な生活習慣の改善が主流になっていた。その症状が悪化すれば、いずれも薬に頼らざるを得なかった疾患でもある。
そうしたなかで「かかと落とし運動」という極めてシンプルな予防・改善法が有効だとすれば、国民病克服に向けた新たな地平が開ける。
◆「ふくらはぎ」のパワー
かかと落とし運動によって、「高血圧」の予防効果が期待できる──そのことが分かってきたのは、高血圧を引き起こす一因となる「ゴースト血管」という概念の存在が、最近の研究で明らかになってきたからだ。
ゴースト血管とは、全身の細胞に酸素や栄養を行き渡らせる毛細血管に、様々な要因で血液が流れなくなった結果、毛細血管が無機能化したり、消失してしまう状態のことを指す。毛細血管が、まるで幽霊のように消えてしまうことから、そう名付けられた。
この概念は、4月1日に放送されたNHKスペシャル『“ゴースト血管”が危ない?美と長寿のカギ 毛細血管?』でも取り上げられ、話題を呼んでいる。番組にも出演した大阪大学微生物病研究所教授の高倉伸幸氏が解説する。
「加齢や糖分・脂肪分の過剰摂取などによって、末梢の毛細血管がゴースト血管になっていきます。ゴースト血管が増えて血液の循環が悪くなると、流れにくくなった血液を押し出すために心臓への負荷が増し、それに伴って血圧が高くなると考えられます。
ゴースト血管と高血圧の関係については、いままさに詳細な研究が進められている段階ですが、私はゴースト血管が高血圧を引き起こす大きな要因の一つになっていると考えています」
高倉氏によれば、“かかとを床から上げ下げする運動”が、毛細血管のゴースト化を防ぐ対策として有効になってくるという。それは即ち、高血圧の予防・改善にもつながるということだ。そのように考えられるカギは、「ふくらはぎ」にあるという。
「ふくらはぎは“第2の心臓”と呼ばれていて、血液の巡りをよくするポンプの役割を果たしています。加えて、体内でも毛細血管が多く張り巡らされている部分にあたります。つまり、ふくらはぎを鍛えないと、多くの毛細血管がゴースト化するし、さらにそれによって全身の血流が悪化して、どんどん毛細血管が消失してしまうリスクがあるのです。
ふくらはぎを鍛える方法としては、“その場でスキップをする”といったやり方もありますが、より簡単なのは“かかとを上げ下げする運動”です。ふくらはぎを伸縮させることで、全身の毛細血管の血流を良くすることが期待できます」(同前)以上転載。
なるほど。これも「孫式メディカルタイチ」に取り込み済みである。
では、血管はそれで良い。でも、リンパはどうすんの、となる。
大腸あたりに「乳び槽」というリンパの集積気管があるらしい。体内だから、ふくらはぎのようにマッサージできない。だが身体を、とくに大腸が動くように捩じることでポンプを利かせられるらしい。これはデンデン太鼓スワイショウで良いか。これも「孫式メディカルタイチ」に取り込み済みである。
それやこれやで、「孫式」はある程度の完成に向かいつつある印象だ。この方向性で、まず間違いないだろう。以下は、「太極拳は世界一の健康法」というある人のブログの文章であり、「太極拳の循環器系統への影響」を書いている。
体の各器官へ体液を運ぶ管系を循環系といい、これに属する器官を循環器といいます。循環系には、血液を運ぶ血管系と、リンパ液を運ぶリンパ系があります。血管系には心臓と血管があり、リンパ系にはリンパ管とリンパ節があります。
心臓の構造は、心筋と呼ばれる筋肉を主体として、心外膜で覆われています。心臓は一回の拍動ごとに、コーヒーカップ一杯分の血液を送り出し、一日10万回も伸縮して、ドラム缶40本に当たる、約17,000㍑もの血液を送り出していますから、心筋の負担は相当なものです。また血液を回流させる血管も、休む暇なく働き続けていますので、強化しておく必要があります。
血液は、体重の1/11~1/14を占めています。血液の成分は、無形成分の血漿と有形成分の赤血球、白血球、血小板です。自律神経がよく働いている時の白血球は、顆粒球が60%リンパ球が40%の状態に保たれています。この比率が、交感神経優位のときには顆粒球が増え、副交感神経優位のときにはリンパ球が増えます。
交感神経優位のときに顆粒球が増えますと、並行的に活性酸素が増えて組織破壊が起き、ガン、糖尿病、脳梗塞、十二指腸潰瘍、リュウマチなどに罹りやすくなります。
太極拳の動作は、血液の流れを促すように考えられています。腰を少し落として、前進したり後退したりする動作のときに、つま先がスネに近づいたり遠のいたりしますが、つま先がスネから離れるときには、血液はつま先の方に流れ、つま先がスネに近づくときには、血液は心臓の方に向かって戻る仕組みになっています。
動物実験で明らかにされていますが、激しい運動をする動物は、おおむね高血圧であるといわれ、病気の発生率も高いといわれています。人間も動物に違いありませんから、この根拠に当てはまります。
やわらかな動きで、適度な運動量の太極拳は、血管の弾性を強化し、冠状動脈はじめ血管を柔らかくしますから、心臓疾患や動脈硬化、細い動脈の収縮による高血圧などに効果を表します。また神経の安定性を高め、外界の適応力を増すことでも知られています。
中国で、動脈硬化の人を対象に、半年ほどかけて太極拳による代謝研究を行ったところ、鍛練した後の血液中のコレステロールの含有量が減少し、動脈硬化の症状が軽くなったことが確認されています。脂肪類、たんぱく質、無機塩中のナトリウム、リンの代謝についても、好結果をもたらしたというデータが残されています。以上、転載。
むかし出雲の家の井戸の手こぎポンプでギッコンギッコンと井戸水をくんだものだ。懐かしい。だがあれこそ、スワイショウだ。ギッコンギッコンと血液とリンパ液を循環させるのだ。雲手、ラオシーアオブその他の太極拳動作。ぷるぷる気功、かかと落としその他。
そして思うのだが、どれもすごく簡単にできる体操だ。そしてどれも全身の健康状態を改善する効果が期待できる。現代人の多くは筋肉の緊張状態が続いているし、また「老化」とはあの柔らかかった赤ん坊から固い石のような身体になることだ。そりゃ、あちこちのパイプも詰まるだろう。血管もゴースト化するだろう。骨も筋も古びたゴムのように硬化するだろう。
健康がよくなる仕組みが、血液の流れだろうが、リンパの流れだろうが、体液の流れだろうが、「気」の流れだろうが、何でもいいはずだ。中国式に「気」を言い出すから、ややこしくなる。わが「孫式」では、それを「なんか良いもの」「なんかええもん」と呼ぼうじゃないか。理屈はどうでもいいと思う。要は気持ちよく納得できる体操を日々行うことが大切なのだ。また全身を揺らして緊張をほぐす体操は精神的にもメリットがあるだろう。
でも、「なんか良いもの」でも十分だが、「気」という概念もそう悪くないとも思う。実際に「気」があるかどうかよりも、「気」をイメージできるかどうかが重要なのだと思う。数学における虚数概念のようなものだ。頭の中で「気」があるとイメージできると、意識がそこに集中する。震える体操による運動の効果(筋肉の緊張をほぐす、血液、リンパ液を循環させる)に加えて、禅や瞑想のようなリラックス効果が加わるということだ。中国気功の「存思法」は、天地の間にある自分をイメージすることは、自律神経療法と重なりそうだ。「存思法」というより孫式「存気法」だ。
「気」があるとイメージすることで、余計な雑念に捕らわれずに揺らす運動が行えるようになる、一種の方法論だ。方便ととらえても良い。だが、「気」を信じたり、イメージすることが出来ると、より養生術の効果が高まるとは思う。
以上が、今日時点における「孫式養生健身タイチ」の一般方向である。おそらく正しい直感する。そして人は「管」であるという我が理論からすると、太極拳が円運動なのは実に正しい。庭の水まきで、ホースがよく折れて水が流れなくなるのだが、ホースを折ってはいけない。空手のようにだ。ホースは緩やかなカーブの状態なら、じつに水がよく通る。ホースは折れた部分から劣化する。太極拳も八卦掌も、実に緩やかな円運動である。直線的な詠春拳はゆえにだめである。太極拳譜などの理論書も、この観点からみるとかなり正しそうだ。立身中正、虚領頂脛、気沈丹田、含胸抜背、沈肩墜肘。いや正しい。彼らは、べつなアプローチから正しい答えに達している。
たとえば、そのひとつが陳式の嫡孫の本にあった下半身と上半身のドームだ。このアーチこそ力ととく。円である。揚守中の動画の蹴りは、ひょいである。表演のY字バランスとは違う。ボイトレのブレスのように、虚だ。ひょいと出しすぐピッと引きたたむのだ。なら、リズムは壊れない。
ゆるやかに、やわらかく、円運動を行い、わが身体内に「意思」をもって「モーター」をまわすことで、「なにか良いもの」を循環させるのである。やわらかい身体と血管と心を得るのだ。「意思」をもってインナーマッスルを使いこなし、養い育てるのだ。「念」で動くまでだ。これは非日常身体操作だ。そのためには、新しいエンジンと伝導系が必要となる。新しいOSの獲得が必要となる。研鑽鍛錬、しかし楽しみながら。喜びを感じながら。ここでことは「道」となる。
秦の始皇帝は、不死をもとめた。『長春真人西遊記』によると、チンギス・ハーンから「遠路はるばる来られたからには、朕に役立つ長生の薬を、何かお持ちになられたのであろうか」と下問された丘長春は、「衛生の道あり、されど長生の薬なし」(原文:「有衛生之道、而無長生之薬」)と喝破した。養生の道こそが大切である、という意味である。]
これは、耶律楚材の話かと思っていたが、違ったな。でも、こんなもんだ。
新しいOSとエンジンをつくるのだ。

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