ブッダのことば スッタニパータ 第一 蛇の章 より

 バンコクを旅して、佛寺をまわる。暑く、人も多く、また黄金のパゴダは物思う意欲をそこなわせる。ホテルのプールサイドで岩波文庫版を読む。大乗経典は、ほとんどが偽経であろう。小乗仏教の経典には、まだ釈迦の言葉・思想の原型が遺されているとか。かってチェンマイのホテルの部屋に、聖書とともに仏典の日本語訳がおいてあり、すこし真剣に読んだこともあった。原初仏教教団における教えがまとめられたものが、このスッタニバータであろう。何句か書き出してみる。

この世に還り来る縁となる煩悩から生ずるものをいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

あらゆるいきものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

朋友、親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

子や妻に対する愛着は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、休むにも、立つにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する愛情は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角ようにただ独り歩め。

四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

出家者でありながらなお不満の念を抱いている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少なく、犀の角のようにただ独り歩め。

葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家の者のしるしを棄て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。

もしも汝が「賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者」を得たならば、あらゆる危難に打ち勝ち、こころ喜び、気を落ち着かせてかれとともに歩め。

しかしもしも汝が「賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者」を得ないならば、譬えば王が制服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

我らは実に朋友を得る幸せを誉め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近付くべきである。このような朋友を得る事が出来なければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つ腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起こるであろう。未来にこの恐れがあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

これはわたくしにとって災害であり、腫れ物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽のの熱と、虻と蛇と……これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群れを離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

相争う哲学的見解を超え、決定に達し、道を得ている人は、「我は智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

貪ることなく、詐ことなく、渇望することなく、覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽り怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

世の中の遊戯や、娯楽や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

妻子も、父母も、財宝も、穀物も、親族やほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。

「これは執着である。ここに楽しみは少なく、快い味わいも少なくて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

俯して見、とめどなくうろつくことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り、流れ出ることなく、焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。

葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

こころの五つの覆いを断ち切って、全て付随して起る悪しき悩みを除き去り、なにものかにたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。

以前に経験した楽しみと苦しみとを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。

独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には憂いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間にすべて背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

今の人々は自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益を目指さない友は得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

 紀元前のインドでのサンガでの道を求める者の心得、精神のあり方を示したものであろう。今の「生」を「無」にせよ、独り禅定し真理に到達せよと説いているのか。今のわたしにとっては、河の向こうの生きかただが。社会での交わりを絶つことが精神の独座の基礎とされているが、そうはいかない。「水に汚されない蓮」のようには、誰しも生きれない。とすると、どうれば蛇のように脱皮できるのか。「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」「犀の角のようにただ独り歩め」句末の繰り返し、こだまが、気にはかかる。

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