コンスピラシーとメスアップ

もう何十年か前に、頭髪がふさふさの頃だったが、新聞だったか雑誌だったかで、コンスピラシー(Conspiracy、陰謀)とメスアップ(mess up、散らかし・行き当たりばったり)の比較について読んだことがある。たとえば、アメリカがかかわった何か国際的な事件があるとする。その場合に、第一は、コンスピラシーつまり陰謀史観である。あれはアメリカ帝国主義勢力が裏で画策したCIAの陰謀であると見る。第二は、またアメリカ人が馬鹿をやっているとみるメスアップの思考である。
そして、われわれアジア人、黄色人種はアメリカの行動をコンスピラシー(陰謀史観)的に見るが、イギリス人は、また元植民地の連中が馬鹿(mess up、散らかし・行き当たりばったり)をしていると見る。第一は、弱者の立場でアメリカを見る立場であり、第二は、より優越的な立場から見る、白人の発想である。
当時の日本は、今でもだが、右も左も、強者アメリカの影におびえる、アメリカより下位の立場として自己を位置づけており、おおむね第一となる。真珠湾はアメリカの陰謀である、なになにはCIAの陰謀である。第一の立場からは、ベトナム戦争は、対ソ、対中戦略から発したアメリカ帝国主義の世界覇権奪取の緻密な計画にもとづく大陰謀から発している、となるが、第二のイギリス人などの立場からは、フランスの馬鹿達の後始末に引きづりこまれて、またアメリカの馬鹿達がつまらん戦争に巻き込まれて大恥をかいている、となる。
コンスピラシーとメスアップか、なるほど納得と、とうじ附に落ちた感じがしたことがある。一つの出来事でも弱者、下位者として強者の陰謀を診るか、逆に優越的立場で、アホどもめと見るかだが、当時の日本は、政治的意見は、右も左もコンスピラシー一色のようなものであったから、この説明は新鮮であり、すこし頭がクリアになったような気がしたものである。以後、なにか政治的意見を読むとき、ついつい、コンスピラシーとメスアップどちらで喋っているのかいな、と分類しているようである。

『独立の思考』を飛ばし読みした。共著者は、元外務省国際情報局長の孫崎享氏と、元ジャーナリストで日本外国特派員協会会長をつとめオランダ・ロッテルダム出身のジャーナリスト、政治学者。現在はアムステルダム大学名誉教授で『日本/権力構造の謎』『人間を幸福にしない日本というシステム』の著者のカレル・ウォルフレン氏である。初対面の二人の緊急の共著のようである。

カレル・ウォルフレン氏は『日本/権力構造の謎』で、日本には権力の中心が誰もおらず空白であり、中枢が不在であり、ただアメリカの意思を追随するだけであり、政治的意思も哲学もないと論じて有名になったが、孫崎享氏も、日本の政治の本質は、権力中心の空白であり、盲目的なアメリカ追随であるという点で一致している。

初対面であるが、両氏の論は、日米同盟はフィクションであり、日中の対立をよろこぶのはアメリカであり、日本の政治家が反米的立場をとるとアメリカに潰されるのであり、官僚とメディアの支配するこの国では、政治的指導者は存在しないのであり、日本のナショナリストはうわべだけだ何の中身もなく、ヨーロッパはアメリカを警戒しいるが、日本だけはあえて自己属国化をしようとしている、など、ほとんどの論点は一致する。

そして論は一致するのだが、つまり両者のコンスピラシーとメスアップである。それが楽しいほど対比的である。

(孫崎)このような無礼な振る舞いは、アメリカが日本を軽視している象徴なのか。
(ウォルフレン)日本人が思っているほどアメリカは日本のことなど考えていないのです。日本にすれば「日米関係」は最も重要な外交課題でしょうが、アメリカにすれば小さなテーマに過ぎません。オバマ自身も、日本に関心など持っているとは思えない。

(孫崎)「ネオコン」と呼ばれる人たちも変わってくれるでしょうか。
(ウォルフレン)その点は期待できないでしょう。彼等は空想の世界で生きてきる、全く無責任な人たちです。

(孫崎)小泉氏は私がイラン大使を終え、日本に帰ったときの首相でした。当時は確かに驚くほどの「小泉ブーム」が吹き荒れていました。
(ウォルフレン)新聞やテレビなどのメディアが挙って持ち上げた結果です。私でも見抜けたくらいだから、近くで取材している新聞記者は皆、小泉氏の実像は十分にわかっていたでしょう。「小泉ブーム」は世界的にも奇異な現象だったと思います。

(孫崎)サルコジはハンガリー移民二世ですが、母親はユダヤ系です。ユダヤ系として初のフランス大統領ということも、彼のアメリカ追従路線の背景にあったのではない、と私は考えています。
(ウォルフレン)それはあまり関係ないと思いますよ。サルコジは単なる「セレブ政治家」です。ひとことで言えば、フランス版の「小泉純一郎」です。大衆に受けることだけが目的で、政策には中身がない。

(孫崎)民主党が中国との関係を打ち出した際にも、アメリカは恐れることはなかったのです。むしろサポートするべきだったと思います。
(ウォルフレン)アメリカという国は、世界中で様々な陰謀を張り巡らし、周到に練られた計画を実施しているように思われがちです。しかし、全く反対のように私の目には映ります。実は、戦略など持っておらず、自分たちの行動について深く考えることもなく行動しているように思えてならないのです。戦略はおろか戦術すらもない。ネオコンたちが気まぐれにつくった政策に対し、オバマが従っているだけのことです。

(孫崎)「日米同盟」によって、日本がどんどんアメリカに引きづられ、世界各地に自衛隊を派遣することになりかねない。
(ウォルフレン)私には、アメリカという国が深い考えに基づいて行動しているようには思えません。単なる思い付き程度で、戦争まで始めてしまっているように映ります。

(孫崎)そんなアメリカの意図を察するかのように、ちょうど同じ時期、外務省の高官から「棚上げはなかった」という発言が飛び出し始めるのです。
(ウォルフレン)アメリカにとっては、日本と中国の「緊張」は好ましいでしょう。しかし、両国の「紛争」まで望んではいない。また、いくら民主党政権を嫌っても、ネオコンたちは前原氏を「トロイの木馬」に使うような戦略はありません。「戦略」のなさこそ、彼等の特徴なわけです。

(孫崎)尖閣問題で日中関係が悪化したことで、日本の安保政策は間違いなくアメリカの望む方向へと走り出していますね。
(ウォルフレン)アメリカのネオコン一派は、自らの利益を追求するために国際情勢を弄んでいる無責任なグループです。問題の深刻さも理解せず、深い考えや戦略も持っていない。もはやアメリカは、コントロール不可能な国になっている。

オランダ人のウォルフレン氏は、「馬鹿で間抜けなアメリカ白人」を軽蔑しまくりなのである。『独立の思考』を読み飛ばして、この孫崎氏のコンスピラシーとウォルフレン氏のメスアップ論調がじつに対比的で、愉快でしたね。アメリカ白人に対する黄色人種の眼と白人種の眼の差ですか。日本の対米追随、自己属国化の心性も、ここの差にあるのだろうね。ツー・サイド・オブ・ザ・コインという次第である。アメリカに徹底的に阿る、しかしアメリカの陰謀を恐れる。自分は空白であり、思考停止である。結果として、その世界観の中心における空白部分が、権力中枢の不在というウォルフレン氏の疑問となる。
でも、オランダ人のウォルフレン氏には、この黄色人種の心の片思いの機微はわからんでしょうね。カマをほってほしいのです。片思いですから、でもほってほしいのですよ。

ウォルフレン氏は、『日本/権力構造の謎』で「指導者のいない国には、それなりの扱い方をしなければならない」と述べていた。つまり対日交渉にあたって、日本人は強者に対してはきわめて卑屈・迎合的であり、保護主義の一斉射撃をあびせ、れそから交渉すればよろしいと、他国は日本に対して厳しく対処しないと「権力中枢が空白」である日本という特殊国家では、物事は動かないというのである。ビル・エモット氏は『日はまた沈む』において「日本の政治家が政治問題についてはっきりした意見を持つことは異例である。いわんやそれを周知させることなどめったにない。首相は派閥力学のなかから生まれるのであって、国民投票や国民の委託を受けて誕生するのではない。政治家が閣僚になりたがるのは、人に恩恵をほどこせる地位と権威が欲しいからであって、政治目標を追求するためではない」と断じる。
このような意思決定システムの空白である日本に対して、孫崎氏のいうジャパン・ハンドラーであるアミテージ、ナイのような人物が影響力をふるい、その身振りをみて、日本政府、外務省官僚が、「それに取り入るように」「事前に彼らの意思を先取りして」対米追随に走るというのが、孫崎氏の持論である。

もとの「コンスピラシーとメスアップ」という二つの考え方でのウォルフレン氏の判断を忖度すれば、アメリカが馬鹿のあつまりのように『日本/権力構造の謎』に描かれた日本も、孫崎氏とのこの対談式の共著『独立の思考』でも、日本に対してもメスアップ視点全開である。メスアップ(mess up、散らかし・行き当たりばったり)である。
前述のごとく、陰謀史観は弱者の立場よりの思考様式だが、メスアップ思考の方々は、じつに傲慢であるともいえるが、コンスピラシー系の方々が細部を、それがすべての如く脳内で拡大するのに比較して、鳥瞰図的に全体を眺められるのであり、わたしは気に入っている。この歳になると、それほど利口な奴などいないことは、経験的にわかる。あまりいない。たまたま成功した人間は、すこし運がよかっただけだと、何度も実感しているからである。陰謀団とでも呼ぶべき卓抜したエリートの集団など、見たことも聞いたこともない。人間の能力など微差でしかない。吉本のサカタ先生がおっしゃっていたが「あんたかてアホや、わてかてアホや」が真実である。メスアップ思考で、ほとんど宜しいと考えられる。団塊世代の身体的実感である。

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