バガヴァッド・ギーター

『バガヴァッド・ギーター』श्रीमद्भगवद्गीता、 Śrīmadbhagavadgītā、は叙事詩『マハーバーラタ』の第6巻。ヒンドゥー教最高の聖典とされる。「バガヴァッド」=聖者=クリシュナ、「ギーター」=「歌」である。馬車で戦場に赴くアルジュナ王子に、御者に扮したクリシュナが、 貴族(クシャトリヤ)としての生き方、世界の真理を説く。

物語では、クル国の王が早死にする。王母は王家断絶を避けるため、聖仙ヴィサーヤを招き、亡き息子の王妃2人に子を産ませる。王妃の一人は聖仙の姿を恐れて目を閉じたため、盲目の王子ドリターシュトラを産む。王妃のもう一人は聖仙の姿を恐れて青ざめたため、蒼白の王子パーンドゥを産む。盲目の兄ドリターシュトラに代わって弟パーンドゥが王位を継承、5人の王子に恵まれる。パーンドゥ王は鹿に化身した隠者を射殺したため、呪いを受けて死ぬ。パーンドゥ王の5王子が成長するまで、盲目の兄ドリターシュトラが王位を継ぐ。盲目王ドリターシュトラの王妃は、鉄のように硬い肉塊を産む。聖仙ヴィサーヤがこれを 100 個に分け、乳脂の壺で培養し、100 王子が生まれる。だが、老境の盲目王は弟の息子である5王子に王位を譲ろうとすると、100王子は5王子の殺害を試みる。王位をめぐって、骨肉の争う内戦が勃発する。アルジュナなど5王子はクリシュナに加勢を求め、軍を率いてクルクシェートラの戦場へ向かう。

• 「両軍の間に私の戦車を止めてくれ。不滅の人よ」
• アルジュナはそこに、父親、祖父、師、叔父、兄弟、息子、孫、友人たちが立ってい るのを見た。…
• 「クリシュナよ、戦おうとして立ち並ぶこれらの人々を見て、私の四肢は沈み込み、口は干涸び、体は震え、総毛立つ」
• クリシュナよ。戦いにおいて親族を殺せば、良い結果にはなるまい。
• 私は勝利を望まない。王国や幸福をも望まない。…王国が何になる。享楽や生命が何になる。
• (敵が)武器を持たず無抵抗の私を殺すのなら、それはより幸せなことなのだ。
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別臭く語る。
• この全世界を遍く満たすものを、不滅であると知れ。この不滅のものを滅ぼすことは、誰にもできない」
• 「人が古い衣服を捨てて、新しい衣服を着るように、主体は古い肉体を捨て、他の新 しい身体に行く。
• 生まれた者に死は必定であり、死んだ者に生は必定である。それゆえ、不可避のことがらについて、あなたは嘆くべきではない」
• 「あなたは自分のダルマ(義務)を考慮しても、慄くべきではない。
• クシャトリヤ(貴族)にとって、義務に基づく戦いに勝るものはないから。
• あなたは殺されれば天界を得るし、勝利すれば地上を享受するであろう」
• 「それゆえ、アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意をして。
• 苦楽、得失、勝敗を同一のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない」
• 「以上、サーンキヤ(理論)におけるブッディ(知性)が説かれた。
• 次にヨーガ(実践)におけるブッディ(知性)を聞け。
• あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない」
• 「海に水が流れ込む時、海は満たされつつも不動の状態を保つ。同様に、あらゆる欲望が彼の中に入るが、彼は静寂に達する。
• アルジュナよ、これがブラフマンの境地である。…臨終の時においても、この境地にあれば、ブラフマンにおける涅槃に達する」
• 「彼にとって、この世における成功と不成功は何の関係もない。また万物に対し、彼が何らかの期待を抱くこともない。
• それゆえ、執着することなく、常になすべき行動を遂行せよ。実に、執着なしに行為すれば、人は最高の存在に達する」
• 「こころが平等の境地に止まった人々は、まさにこの世で生存(輪廻)を征服している。知性が確立し、迷妄なくブラフマンを知り、ブラフマンに止まる人は、好ましいものを得ても喜ばず、好ましくないものを得ても嫌悪しない」
• アルジュナはたずねた。
• 「それでは、クリシュナ。人間は何に命じられて悪を行うのか?望みもしないのに」
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「それは欲望である。それは怒りである。…この世で、それが敵であると知れ」
• 意(こころ)が平等の境地に止まった人は、まさにこの世で生存(輪廻)を征服している。
• まさにこの世で、身体から解放される前に、欲望と怒りから生ずる激情に耐えうる者は、専心した幸福な人である。
• 私は全世界の本源であり、終末である。私よりも高いものは他にない。アルジュナよ。この全世界は私につながれている。
• 私は過去、現在、未来の万物を知っている。アルジュナよ、しかし何者も私を知らない。
• この全世界は、非顕現な形の私によってあまねく満たされている。万物は私のうちにあるが、私はそれらのうちには存在しない。
• 私はこの世界の父であり、母である。…主である。目撃者である。住処である。寄る辺である。友人である。本源であり、維持である。
• アルジュナはたずねた。
• 「あなたは最高の秘密を説かれた。それにより私の迷妄は去った。
• 主よ。もし私が見ることができるのなら、ヨーガの主よ。私に不滅なる御自身を見せてください」
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「アルジュナよ。見よ。幾百、幾千と、神聖にして多様なる私の姿を。
• しかしあなたはその肉眼によっては私を見ることはできない。あなたに天眼を授けよう。私の神的なヨーガを見よ。
• もし、天空に千の太陽の輝きが同時に発生したら、それはこの偉大なお方の輝きに等しいかもしれない。
• その時、アルジュナは、神の中の神の身体において、全世界が一同に会し、また多様 に分かれているのを見た。
• アルジュナは言った。
• 「天空に接し、燃え上がり、多くの色をして、口を開き、燃え上がる大きな目を持つあなたを見て、私は心から慄き、冷静さと平和を見出せない。
• ヴィシュヌよ。…どうかご慈悲を。神々の主よ。世界の住処よ」
• 聖バガヴァッドは告げた。
• 「私は、世界を滅亡させる強大なカーラ(時間)である。諸世界を帰滅させるために、ここに活動を開始した。たとえあなたがいなくても、敵軍のすべての戦士たちは生存しないだろう」
• 「それゆえ、立ち上がれ。敵を征服して、繁栄なる王国を享受せよ。彼らはまさに私によって、前もって殺されているのだ。
• あなたは単なる道具となれ。アルジュナ。慄いてはいけない。戦え。あなたは戦いに勝利するであろう」
• アルジュナは言った。
• 「迷いはなくなった。不滅の方よ。あなたの恩寵により、私は自分を取り戻した。疑惑は去り、私は立ち上がった。あなたの言う通りにしよう」

『バガヴァッド・ギーター』は、インド古代文学、哲学の圧巻である。わたしはインド六派哲学でも、サーンキヤ派を「楽しもう」としているが、『バガヴァッド・ギーター』にみられる情念が、精神世界が、『サーンキヤ・カーリカー』の深層を流れるのだろう。バラモン教の基本概念であるダルマと、有神論的な帰依(バクティ)、ヨーガの極致であるギャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガの実践による解脱(モクシャ)、そしてサーンキヤ哲学、これらの集大成をなしている。スートラやカーリカより、ギーターのほうが、つまり文学のほうがより強く人の心に影響を与えることを実感する。

『バガヴァッド・ギーター』のとなえる結果を顧みない無私の行為はバール・ガンガーダル・ティラクや、マハトマ・ガンディーを含む多くのインド独立運動の指導者に影響をあたえた。ガンディーは『バガヴァッド・ギーター』を「スピリチュアル・ディクショナリー」と喩え、心の支えとした。

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