借金も美徳となる

 企業を運営する場合、金融機関とどのように付き合うか、距離感をもつかは、なかなか重要である。借金は悪であり、自己資金・留保だけで経営するのが理想だと考えている人も多いようである。個人においても可処分所得の範囲で何事も算段すべきであり、それを逸脱すれば、破産がまっていることになる。無借金経営こそ、理想の経営という次第である。

 これは哲学あるいは気質の問題である。

 国家規模でみるならが、国際収支における経常収支が赤字か、黒字かは、黒字がよく、赤字が悪いとは一概に言えない。お金が、国外にむかっているか、国内にむかっているかと捉えるのがマクロ経済学であり、国債の発行も、その効用を否定できない。

 お金を借りるときの核心は、「その借金により、将来的に返済が可能なリターンが得れるか」という一点である。
 現在のアメリカもそうだが、19世紀でも、アメリカでは毎年のように国際収支の経常赤字がつづいていた。鉄道や工場の建設が急速にすすんでいた時期であり、国外からの金融資本の流入が、爆発的に膨張するアメリカ経済の発展をうながしていたのである。1960年から70年代にかけての韓国も、大きな経常赤字をかかえていた。国外からの投資が、急速に経済成長に拍車をかけていたのである。つまり経済が十分なペースで成長しており、将来的にお金を返せる見込みがあるのなら、外国からお金を借りるのは合理的な選択である。

 逆に、経済成長が追いつかない場合は、これは悪い借金となる。1990年代から2000年代のアルゼンチンやロシアなどの国は、国際収支の経常赤字に経済成長がついていかず、借りたお金を返せなくなってしまった。

 これは国、企業、個人をとわず、あらゆる借金の原則である。

 企業が融資を受けて設備投資をするのは、その投資により生産性、生産規模があがり、返済に十分な収益が得られるということが前提となる。おちこんでいる工場を維持するための融資であれば、返せる見込みは低くなる。

 これは経営者の哲学というより、気質、性向の問題であろうが、わたしは以下のように考える。

 個人においても企業においても、可処分所得範囲内の借金が原則である。
 また、単なる消費、生産性・収益向上につながらない借金をしてはならない。

 だが、この可処分所得を考える時間軸・空間が、未来まで拡大できるなら、自社の収益の時間軸による調整が可能となる。今の収益を未来のために留保するのが「貯蓄」である。逆に、未来に見込まれる収益を、いま活用するのが「借金」なのである。自分のお金の「方向」がどちらか、である。

 伸び盛りの男の子たちは、ドンブリでご飯をかかわりする。オヒツは空になる。それが成長期の何年間であり、結構なことである。それは一時のものであり、ご飯を減らすより、親としては、質屋にいくか実家でお金を借りるしかない。というより、その時は借りるべしである。
 さらに、もし将来の収益を、いまの成長期に活用できる仕組み、社会的システムがあれば、つまりオヒツはいま空でも、伸び盛りの子供にドンブリ飯を食べさせられるシステムがあれば、どらえもんのどこでもドアではないが、未来のオヒツからもってこれれば、それをフルに活用するのは、これも合理的な選択である。それが、個人にも企業にも、銀行・金融機関という形で、システムが社会的に提供されている。おかげで、個人は、将来的な可処分所得を前提に、自分の所得を前借りして、住宅ローンという形で家が買える。企業は設備投資ができるのである。

 ここは物の考え方だが、したがって、一見、他者である銀行から借りているようだが、そうではない。借金、融資は、未来の自分から借りているのである。未来に見込まれる収益を、すぐに必要としている今に、計画的に移転させているだけなのである。未来の自分から今の自分に融資ではなく、融通・移転しているのである。自分のお金の動く「方向」である。
 銀行という金融システムは、ある意味、魔法の杖ともいえる。未来の自分のお金を、今の自分に融通させることのできるシステムなのである。もちろん、その手数料は必要であろう。それが利子であり、これはとうぜんのことである。
 そう考えれば、借金イズ・ビューティフルとまでは言わないが、これは正面から向かい合い、活用すべき社会の仕組み、金融のシステムである。家庭の成長と企業の発展を支えているからである。

 したがって、経済危機においてどの国も銀行を守ろうとして国民の怒りをかうが、それは意味のないことではない。資本主義社会において、お金という血液の大動脈は守られねばならない。国民生活を犠牲にしても守られるのがそのシステムである。

 個人にも企業にも、春夏秋冬、いろいろな季節がある。耕す季節もあれば、夏の草取りもあり、穫り入れる季節もある。その見込み、見通しがたつのなら、天気もよく、作柄もよいのなら、将来の自分のお金を、今の自分に融通・移転することは、これは合理的な判断なのである。まして、この低金利時代であり、数%のコストで、農地を増やし、未来収益の現在への移転が可能になるのであるから、なおさらにである。

 この考え方もあるのですよ。経理担当のみなさん。哲学的にも問題はない。単期の決算は、もとより重要です。でも長期の事業計画も重要なのですよ。タネもシカケも、あるのです。一年で考えれば、いろいろあるし、とくに成長期は腹が減るものですよ。ドンブリご飯の時代なのです。とくに重税国家における納税の時期は、頭の痛いこともおおいでしょう。ご安心を。だいたい満腹していますので、もうドンブリご飯は卒業の年齢です。
 銀行融資の元金を利益として計上せねばならない税制の仕組みで、あちこちで黒字のお父さんがおおいらしいからね。でも、伸び盛りの子供には食べさせるしかないのです。いまは、そんな季節です。行く雲、流れる水、すぐに季節は移りかわります。

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