人生の総量 拡大式

さて、浦島太郎さんも理解するしかなかったように、誰もの人生において、
「幸福の総量 = 不幸の総量」であるとする。
これは人生全体においても、またその瞬間においても、通用する式と考える。たとえばある男がいるとする。ある程度の年齢になると、金・健康・家族の三つは欠かせないものだ。しかし、彼には金と健康はあるが、家族は失った。でも彼は京都の高級なホテルに気まぐれに泊り、鴨川を見ながら、ちゃんとした日本料理の朝食をとる。会社のオーナーであり、著書もあり、資産と年収もある。しかし家族を失っての一人の朝食をさびしがる。だが君よ、それは「金∔健康-家族」だ、それなりの帳尻は合うのではないのか? その朝の瞬間的にね。朝からそんな良いところで、そんなご馳走をたべて。

ここで問題となるのは、人ごとに、おそらく人生の総量、絶対数値が違うのではないかという事だ。ゴリラとして生まれる者もいれば、障害をもって生まれる者もいる。生まれた家庭には貧富もある。すると前式だけでは、成り立たない。もう一式あって連立式が成り立つし、よりしっかりと人の人生を、ついでに自分の人生を数値で眺めるという視点が成り立つはずである。

本屋の棚を眺めていると、帯に「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まる!」とキャッチコピーしてある文庫本があった。 おーっだ。 ためらわずに中身も見ずに買う。
「還暦からの底力、歴史・人・旅に学ぶ生き方」とか。読んでみると、元気な爺さんが書いた自己啓発本だ。彼は日経新聞の「私の履歴書」でそのフレーズを発見して感動したようである。わたしも気に入った。

ここで、それを整理すると、
「喜 ∔ 怒 ∔ 哀 ∔ 楽 = 総量」
という趣旨の事が主張されている。ふつうは、良い事もあったが、悪い事もあり、俺の人生はプラマイゼロと考えるが、悲観思考であり、「怒 ∔ 哀」も自分の人生の「総量」に入れるべきである。 「怒 ∔ 哀」も加算せよ、との事らしい。そりゃそうだ。 「怒 ∔ 哀」 も自分の発したエネルギー、それをマイナスと捨て去るべきではない。人の人生は会社の貸借対照表ではない。

まあ、この人はプラマイゼロを否定的思考ととらえ、わたしはプラマイゼロを一つの真理としてとらえようとするが。
同じ相手と丁半博打を十年すれば、短期的には勝ち負けはあっても、長期的に大数の法則が働き、かならず五分五分になるはずだ。

わたしの式は、 個人において、
「幸福の総量 = 不幸の総量」 である。しかし、それでは「総量」の個人差が明確ではない。そこに、
「喜 ∔ 怒 ∔ 哀 ∔ 楽 = 総量」
を入れると、それぞれの個々の人生の数値的な評価ができるのか、そんな事を考える。発したエネルギーの総量、生きた総量だな。 沈香も焚かず屁もひらず、という言葉もある。少年の頃に読んで気に入った「平妖伝」の主人公のセリフ、単鎗独騎領三軍、成即為王、敗即為寇。そんな高校生が、今はこんな計算をするかのか。

一人暮らしは時折だが、時折は良い。こんな暇な哲学が出来る。家庭に埋没すれば、それはそれで良い人生だが、こんな屁のような事は考えないだろう。空間がなくなるからなあ。その空間が、ややせつないのだが。

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