「空」ですよ、「空」

仏教を学ぼうとするとき、だれもが躓くのが「空」という言葉である。とうぜんに、私も躓き、なんとか噛みついてはなれないようにした。

マルクス・エンゲルスは『共産党宣言』の冒頭で「妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が」と述べている。これをもじれば「妖怪が仏教史を徘徊している。[空]という妖怪が」となるのだろうか。
仏教の初学者だけでなく、ほとんどの人が答えに困るのが、この「空の思想」なるもののようである。これに関する図書はじつに多いが、しかし、あえて言えば各人各様。じつにこまった言葉である。徳利があって、でも中に酒がないとか、なんとか。葦をむすんだら庵になるが、解けばもとの野原だとか。

テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老は、『般若心経は間違い?』において、五蘊が空であるとして、それは組み立てられたものであり、芯になるものはなく、ゆえに空だと解説する。また「空」は特別視するほどのものではなく、初期仏教においては、ただ現象の姿を説明するのにいろいろな単語を使うが、そのいろいろな類義語の一つの単語にすぎないとする。特別にハイライトして扱うほどの単語ではないと断じる。これは小乗の理解での「空」である。それは縁起のシステムを意味し、「此れあるとき彼あり、此れ生ずるより彼生じ、此れなきとき彼なく、此れ生じるとき彼生じ、此れ滅するより彼滅す」という因縁のシステムの表現の、ただの一つであり、格別に重要な概念ではないとする。

だが、中村元『龍樹』247頁によれば、「空」については、小乗は個人存在の空(人空)を説くが、大乗では法空(ほっくう)が説かれるとする。つまり小乗と大乗の空観はすこし違い、小乗の空と大乗の空は、かなり異種な概念・思想・感覚のようである。基本的に『中論』では、縁起=空=仮=中道 の図式がなりたつ。因縁所生の法、我すなわちこれを空と説く、亦これを仮名と為すが、亦これ中道の義なり。

小室直樹『宗教原論』によれば、小乗の縁起は 原因A→結果B という原因から結果への一方的な因果関係である。例えば十二因縁は、無明→行→識→名色→六入→触→受→愛→取→有→生→老死、つまり単純因果関係、線型因果関係である。これを順観あるいは逆観する。
ところが『中論』では、つまり大乗の中観派の縁起解釈、つまり「空」解釈はまるで違う。単純因果関係ではなく、それを相互依存関係として捉える。←→A←→B←→C←→A であり、互いに因となり果となり、それぞれの相互依存関係(相依性)を通じて、同時に意味が決まる。これが龍樹の因縁であり、「空」の構造である。
つまり小乗の人空が、個人を対象にするのに対して、大乗の法空は、世界の諸現象も対象にする。世の中、諸現象すべて「空」である。縁起の意味変換、意味拡大が行われたのだ。一大飛躍である。では、なぜ意味を変換する必要があったのか?

佐々木閑『般若心経』の解釈が、じつに腑に落ちる。
般若心経は、初期仏教の基本テーゼである五蘊説、十二因縁説を公然と否定する。つまりゴータマ・ブッダの原点を否定するのである。佐々木氏の説くに、釈迦の時代の「空」と大乗仏教の「空」は同じではない。釈迦仏教も大乗仏教も、たとえば「石」や「私」など、私たちが「ある」と思いこんでいるだけのまぼろしだと考えるのは同じである。しかし、五蘊や十二処、十八界のような釈迦仏教が認めた基本要素まで「存在しない」と言ったのだ。すると、釈迦が説いたこの世の法則性も、すべて架空のものとなる。要するには、釈迦が構築した世界観を「空」という概念を使うことによって「無化」し、それを超えるかたちで、新しい世界観を提示したと佐々木氏は説く。神秘主義的世界観である。
これは合理主義的な釈迦の教えの全否定であり、霞か雲かのような「空」の概念を案出して、神秘主義を導入し、小乗のように出家して修行に身をささげなくても、業の因果則から解放されるアイデアを大乗、在家の側が考案したと佐々木氏は解説する。

般若心経の底を流れるのは、合理的で端正な釈迦仏教ではなく、マントラ、呪文であり、神秘主義が充溢している。おそらく、この時期にバラモン教がヒンドゥー教に発展しインドの主流となるが、仏教側ともコンフリクトを起こしており、そのあたりも研究課題であろう。

してみると、「空」という言葉も、ある意味呪文となる。スマナサーラ長老と佐々木氏の解説で、私なりにだいたい「空」の理解ができた。スマナサーラ長老は「空」とはとくにハイライトさせるほどの概念ではないと説くし、佐々木氏は、それがハイライトされた理由を解説する。
納得である。私も少し賢くなった。「空」については、それを重要な宗教的、哲学的概念とまで扱わずに、仏教史的にみて意味が変容し、用いられ方も変質した程度の理解で足りるようである。バートランド・ラッセルは『宗教から科学へ』をのべた。龍樹は「科学から宗教へ」をのべたのか。星の数ほどの仏たちの世界である。

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