エミ

  このネットのこの場所に、つれづれに、なにか心寂しいときに、読者は自分だけのメモを日記がわりに書いていたもんだ。

四十歳前後にも、つかれたように日記を書いていた時期もあった。三千メートル地下の糞壺に落ち込んでいた。売れない本を書いていた頃だった。やがて出会いもあり、息子ふたりが生まれた。可愛い。そんな暇は事をする時間はなくなった。それでも著書は時折は出していたが、ふたりのおむつをした息子たち。このままでは大学には行かしてやれない。ある人からの話をすてて起業した。それからずいぶんと忙しい日をおくることになるが、とても充実していた。

家族こそわが祖国と思ったものだ。そこそこの会社にはなった。 だが、この何年さまざまな堪えがたいことが起こり続けた。文章を書くなど、とてもじゃないが気分ではなかった。へろへろ。

この二月、さらに母様もなくなられた。 一日が終わると、深夜、目がさめてトイレに行く。ひとりの夜だ。ベッドに座ると遣る瀬無さだけが襲う。 自分をただ持て余すだけだ。
思いついて暇つぶしに大学院にいき上座部の瞑想をしらべ、彼らの現生での思いの形をしらべている。だが老病死、誰にも避けることはできない。どの宗教も、その葛藤の無理やりの辻褄合わせの哀れな残滓だ。南の島で自殺まえのゴーギャンは、われわれはどこから来て、どこに行くのか、と自問したらしい。

盆前の十二日、天満橋で長男と酒を飲む。医学生だが、小児神経内科医を目指すという。そうか、とうなづく。あの口をとんがらして駆け回っていた幼児が、こんなにおおきくなったのか。 彼に浦島太郎の話をした。 むかしむかし浦島太郎という母子家庭の若い漁師がいました。海岸を歩いていると子供たちが小さな亀さんをいじめている。太郎さんは子供たちにおにぎりをあげて子亀さんを助けて海にかえしました。ある夜、海岸を歩いていると、波がざーっと割れて、おおきなおおきな亀があらわれました。背中にはあの子亀がのっています。わたしの息子を助けてくれてありがとうと、大型潜水艦に変身して、太郎を海底深くの竜宮城にはこんでくれました。そりゃ超美人の乙姫さま、豪華な宮殿の美女軍団、太郎には思いもつかない天下の珍味、酒は旨いしねーちゃんは綺麗だ。もう、天国やん。三日三晩のどんちゃん騒ぎ。すべすべむちむちお肌の乙姫さまとのベッドでの濃厚接触も、あったに決まっている。太郎ちゃん最高-。 だが母子家庭の太郎、ふとお母さんが心配になった。年寄りを三日も放置したのだから。そこで乙姫さまに、ちょっとだけ家に帰してと願うと、あらいいわよ。でもと言って乙姫さま、綺麗な玉手箱を太郎ちゃんに。いい、太郎ちゃん、そのかわりこの玉手箱をもってて、でもどんなことがあっても開けちゃだめよーと可愛い声で悪魔のお約束。 またもとの大型潜水艦にのって、もとの海岸に着岸。おカーン、おカーンと太郎ちゃんは家の方向に一目散に。ところが家の場所つくと、このお伽話の定番どおり、家はないし、松の木などが思い切り太い。間違いなく生まれ育った海辺の村だが、何かまるで違う。村の家々もずいぶんと変わっている。なに、これ、いったいどうしたん? ? ? 太郎ちゃんはパニックになりました。そこで見たこともない村人に、ここには浦島太郎の家があるはずなのに、と質問。村人言うのに、そういえば百年前くらい、そんな名前の若い漁師がここで住んでいたらしいが、ある晩に神隠しにあって二度とこの村には帰ってこなかったとうちの爺様のから聞いたことがある、と。 なにがなにが、太郎君わけ和布。 お伽話の定番どおりに太郎君は、あれほど言われたのに、乙姫様との悪魔のお約束の玉手箱をあけちゃいました。白い煙がドバーン、もくもく、あらま、太郎ちゃんは白髪の太郎ジーちゃんになったのです。

アジアの各地にバリエーションのある古い話だ。 息子に、さてこれから得られる教訓はなにかと問うた。グーグルの入社試験に出そうな問題だぞと。 まあ問題がめちゃめちゃだから、正しい解答など有るはずもないが。以下はわたしの独創と解釈、いさかの人生経験を踏まえの新解釈だと。

つまりやな、すこしの例外はあっても、人の一生において「幸せの総量」と「不幸の総量」は同量、イコールではないのかと俺は思うと、息子に。浦島氏は、三日で百年分の幸福、喜びを使った、一気に激しく消費したんやと。彼の人生の「幸せの総量」を三日で使い切ったのだ。イソップのアリさんとキリギリスさんでは、キリギリスさんは夏にたっぷり楽しみ、アリさんは細く長く冬も生き延びたわけね。そして経験則だが、俺もこの齢までいろいろなケースをみて、これはだいたい当てはまる法則だと思う。幸せと不幸の経済学ね。たとえば同じ相手と丁半ばくちをする。勝ちもあれば負けもあろうさ。だが大数の法則が働く。瞬間、短期的には勝ちと負けがあっても、何十年もつづければ、かならず勝率は半々、五分五分になる。 俺を観ろと、三十代はそれはイケメンだった。自分でいうのはなんだが、キリッとして見栄えのよい男だった。優秀だ。だが生まれついて生きる世の中の状況が状況で、ろくなもんではなく、また道をまちがえて物を書き出していたのが運のつきで、結局は食べるために土方、ダンプや長距離の運転手をしたもんさ。最低だった。糞だった。君のママと出会い、君たちが生まれ、会社を興し、承知のとうりその会社は分割してママと別れる羽目になった。でも安定してン億の利益があり、何百人の社員がいる。超優良企業の社長さんだわ。この何年で何冊かの著書を出したし、楽器演奏にこり海外公演も何回かしている。

さて、どちらがよいか。若い頃に良いほうがよいのか、年齢をへてから良いほうがよいのか。これは一概には言えん。だが、この新浦島太郎ルールは、俺にも確実にあてはまる。この年齢でかえりみて計量すれば、俺の一生においても「幸せの総量」と「不幸の総量」はおおむね同量だと感じる。みなさまは著書のたくさんある会社経営者の私を勝ち組だという。バカな、人生においてもっともよい花の花の花の花の年代を、惨憺たる負け組として頭をかかえていたのだ。健康保険証がないから、ずっと歯痛をがまんしつづけてたのだ。 そんなことを飲みながら息子に語る。

その晩とさらに二日、京都のホテルに泊まる。コロナ騒ぎでインバウンドが消失して、みな格安だ。ホテルで馬頭琴、河原で八卦掌の練習をする。盆の十五日、母の初盆だ。次男のわたしがわけあって墓を新しく修改した。弟は海に散骨するという。でも私はいつかはジー様、バー様、オヤジ様、そして母親のいるここに入らしてもらおうか。来世があるとは思えないが、今世は間違いなく有る。「今」だ。墓は今世のもの、この世のためのものだ。なくなられた人たちのためではなく、生きている者のためにある。

 墓をみながら涙がとまらなかった。「おとたん」もこの中だ。四人にただ詫びた。詫び続けた。あれほど大事にしたもらったのに、その期待をことごとく裏切った。もちろんあの人たちは、わたしを無条件に許してくれるさ。間違いない。俺が何をしてもこの人たちは許してくれる。
墓を観ながら、ふと気づいた。 俺は俺の命を自分のものと思っている。いやそれは違う。俺の命は天から、この人たちから頂いたものだ。俺のものではない。この人たちのものだ。 ふとそう気づいた。 この人たちのものだ、大事にしなければならない。身体髪膚之を父母に受く、傷つけてはならない。 俺は俺じゃない。 俺の命はこの人たちのものだ。 血も肉も。俺は今もこの人たちと、俺に身体をとうして、おれの記憶をとうして深くつながっている。 俺は一人ではない。 つながっている。俺の血と肉は、俺のものではない、あの人たちの血と肉だ。俺がそれを自分勝手にはできない。

家に一度かえる。十六日から三泊、琵琶湖畔のホテルに。ゆったりした喫茶室でパソコンをたたく。わたしに新浦島太郎ルールはあてはまる。それは一生のスパンだけでなく、一日の場合も当てはまるルールと思う。ホテルの広い喫茶室でガラス越しに琵琶湖をながめながら、コーヒーをのみパソコンをたたき、ネットから会社に自分を昇給する指示連絡をし、ひとりで寂しがっている。だが誰にも、今この瞬間に、「幸せの総量」と「不幸の総量」は同量だわ。それに棹差しあがくのは意味が無い。その配分比率はその日ごとに濃淡はあろうが。 息子の成長を観て、祖父母様、父母様のはいられた墓の前で、そう考え、いま琵琶湖を眺めながらそう脳内整理をしている。 ならば、私のものではない私を、丁寧に丁寧にやさしく、大事に大事にしようじゃないか。 寂しさは、無常観は誰にも当たり前だ、それを抱えて生きるしかない。 ふわーっと、受け容れようじゃないか。 あの人たちがおられたら、私にどう生きて欲しいか、そのようにしよう。そうするわ、おとたん。おとたん。

がたがたする年齢は、とっくに過ぎた。あたりまえのことは、あたりまえだ。
すこし脳の整理がついた。めでたい。

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