ビエンチャンに行った。ラオスの首都である。バンコクの空港から、プロペラ機で一時間。友人にタイ人がいるのだが、いかにもタイ的な時間感覚、マイペンライ気質の持ち主である。その彼がラオス人は暢気で田舎臭いという。それを聞いて、ぜひ一度行きたいと決めていたのだ。
機内で、なかなか飛行機が出ない。おかしいなと思っていたら、ドアが開いてパイロットが乗り込んできた。隣の客席の白人と中国系の青年が、ふたりで手をたたいて大笑いをしていた。ほら、これがラオス人だ、という感じ。
機内で税関書類を書き、さてビエンチャン空港についたが、税関らしきものがない。フロアを出たり入ったりしたが、しょうがないのでタクシーを呼んで市内の予約したホテルに行く。観光案内を片手にラオスの首都、ビエンチャン市街を歩くのだが、1時間半程度で、すべて終わった。じつに小さな小さな首都なのだ。首相官邸の横は、白人向けのホテルだった。デパートらしい小さな建物があるが、商品は、タイのデパートの圧倒的に商品量とは比較にならない。というより、タイで仕入れて販売しているようである。
川沿いのホテルを予約していたので、さて計画通り「メナムの残照」をみる。広く長い河の西の空が茜に染まる。空全体が染まっている。露店がならび、そこに寝転んでタイ料理より辛いラオス料理を食べる。
翌日、タクシーをチャーターしたが、じつに見るものが無い。そこでタクシーの運転手さんに君の家に連れて行け、と強引に頼む。ラオス人は、人の強く頼まれると、断れ無いようだ。トヨタの中古車をローンで買い、細君は公務員で二人の子供を育てながら、ローンを払っているとか。
彼の村に行き、家に行くと、みな喜んでいた。どうやら長男のようだった。昼ごはんのため老いた両親が畑から帰ってきたが、とつぜんの外国人に当惑しているようだった。それでもタイ人と同様に、微笑は絶やさない。ラオスももともとはタイ王国領だったからタイ語と同種である。となりの店で、ちかくの小学生におごりながら昼食。その後、ちかくを散策した。畑があり、林があり、草原がある。炭焼きの跡地もある。
静かな、落ち着いた農村の風景だった。なにやらデジャービューのような錯覚が生じた。ひょっとしたら、私は何百年前に、ここで牛でもしていたのだろうか。
夜、ふたたび河沿いでメナムの夕焼けを見ようとすると、ミニスカートの背の高い女性がくる。すぐにミスター・レディと気づいたが、付きまとわれる。タイにもおおいねとタイ語でいうと、タイは整形をしている、わたしたちは素顔だと怒って主張。ああ、そうですかと、なにやら感心。ふりはらおうとすると、とつぜんポケットに手を突っ込まれた。瞬間、走って逃げさるのだ。本能的に追いかけ、ずいぶんと走ったが、暗い寺内に逃げられた。
これはまずいと反省。外国で、地元の悪を追いかけるなど、そんな危険なことをしてはいけない。金だけだから、あきらめてまた昨日の露店の食堂にいき、寝転ぶ。でも、ひったりくりにあったのは生まれて初めてだ。なにか儲けた気がした。ラオスビールもうまく、料理もよく、人の呼び合う声も遠く、夜風もふき、満天の星空で、遠野物語ではないが、忽然と旅情を感じた。