仕事がら、働くママさん社員がおおい。共働きは普通の時代であるが、シングルマザーとなると、その大変さは察して余りある。
とくに父親のいない環境で、男の子を育てるのは、どう考えても、何か不足がありそうである。わたしの趣味は「お父さん」である。家庭的な男ではないと思っていたが、どうして、子育てはとても楽しかった。あちこちに遊びに連れて行ったものだ。
だが、育ち過ぎた。もうオヤジについて廻る年齢ではない。捨てられた訳ではないが、もうあのような時間は、戻らない。
二人のシングルマザー社員の小学三年の男の子二人を連れて、ユニバーサルスタジオに行った。朝、初めて会うと、男の子たちは、今日の期待で浮き浮きしている。電車に乗り、ユニバーサルスタジオに着く。じつは、初めてだ。子ども連れでななければ、この年齢で行くところではない。
二人は同級生とか。顔をくっ付けあい、小声でおしゃべりしている。横を歩きながら、耳を立てて、その話しを聴く。たわいのない事を言いあっている。ジェットコースターに乗ることは大問題のようだ。一人の子は、去年、二年生の時、吐いたとか。もう一人の子が、もう僕等は三年生だからと、乗ろうと主張している。
チャム世代の始まる年齢なのだろう。母親から少し離れて、同性の友達ができる。チャムのように、つまり子犬のように、子犬たちがからまいあって遊びまわるように、同性の友達どうしが、つるみ合うのである。小学校の高学年から、中学生時代か。「前思春期」と呼ばれる時期だ。この時期を同性の友達としっかり遊ばないと、よい思春期、よい成長が出来ないというのが、最近の説である。
聴き耳を立てながら、彼等のおしゃべりを聴く。君ら男だろ、三年生なら、ジェットコースターくらい乗らねば駄目だとけしかける。オヤジのつもりだが、横から見れば、おじいさんが孫を連れている図だったのだろう。
高一の長男は、中学生の頃、同級生たちとひっきりなしにつるみ、あちこちに行っていた。鈍行に乗り、うどんを食べに道後温泉に行くとか。中一の次男は、柔道部の同級生たちとごにごにしつづけているようだ。ボーイズライフだなあ。半世紀前が懐かしい。知人と話しても、中学時代が一番楽しかったと言う者がおおい。
独断だが、少年達に確信を持って忠告しておく。初体験は、遅ければ遅いほど良い。これは間違いない。あれは写真の現像での定着液のようなものだ。エビデンスもある。たとえば麻薬犬は、絶対にセックスはさせないらしい。交尾を経験した犬は、繊細な感覚と集中力がなくなり、ただの犬になるらしい。犬も人も同様だ。文学的エビデンスなら、ウラジミールナボコフの小説にある。
少年達、遅ければ遅いほど良いのだ。今は、良い同性の友達をつくり、そいつらと遊べ。師友ということである。修行に女人禁制なのは、古今東西そうである。そのほうが、より高い処にいける。
ジェットコースターで大騒ぎをし、あれこれに乗り、夕方になる。少し暗くなり、彼等が、弟や妹のために土産を買うのに付き合う。迷いに迷いながら、ずいぶんと可愛らしいものを買っている。健気に感じる。家なんとかにして孝子いずだ。陽が落ちて、子供達を会社に連れ帰る。夜道を歩く。良い時間だ。小さい小学三年生たちが、くねくね話し合い、話しかけてくる。だが、会社に着き、母親の顔を見ると、瞬間、わっと駆け出した。そして、それぞれの母親に今日の大冒険を、口をとんがらせて語りはじめる。相棒とはそれまで、 でお終い。ましてわたしなど、あらまあ、瞬間に眼中から消えたようだ。そうか、小学三年生は、まだチャム以前だったのか。赤ちゃんのつづきだったのか。