秋だなあ。わたしも秋だ。春夏秋冬、一回きりだ。
おおくの社員がおり、息子が二人いる。どちらでもオヤジの立場である。育てるとは何か、学ぶとは何か、考えざるを得ない。かって息子たちの行っていたカリトック系幼稚園に、やはりカトリック系小学校の校長が父兄会の講演に来た。いわく、わたしたちの時代は学ばなくても「親」になれました。若い親には父母があり、祖父母があり、親戚の年長者があり、地域の人たちがいました。若い親でも自然に親になれました。でも、いまの時代は違います。わたしたちは孤立して生きています。学ばねばなりせん。ひとつ、ひとつ学ばねば「親」になれません、という内容だった。納得するものがあり、息子たちは、その小学校に通わせた。
経済誌の記事で、アメリカの研究者が「アメリカとオーストラリアの小学生の何%くらいが、現在、存在しない職業に従事することになるだろうか?」という予測調査を行ったとか。答えは、小学生のうち65%が、これから生まれる職業に就くという結果。つまり今ある職業は三分の一しか残らないと、そうアメリカとオーストラリアの子供は考えているようなのだ。おそらく、この彼らの直感は正しい。わたしも、そう感じる。
日本では、どこの国でもかも知れないが、子供の将来の進路をはやく決めさせて、キャリア教育をしようとする。「おおきくなったら、何になりたいですか」だな。子供にそんなこと聞くな。大人になっても答えようが無いのに。とかで、スペシャリストとしての道を、できるだけ早くはじめさせようとする。たしかに、囲碁・音楽・数学などのように、幼児天才教育が必要な才能の世界は、それも必要であろう。しかし、一般職、一般専門職において、それほどはやく進路を決めさせることが必要だろうか。まして、予測調査のように、将来三分の二の職業が入れ替わるのなら、子供のうちから職業や進路を決めさせることに、どのような意味があるのか、ということになる。職業別電話帳も、その内容が時代ごとに変わるわけだ。
長男の高一は、英語で授業をするという一貫校に行っているが、とつぜんにある仕事につきたいと受験勉強をはじめた。そうか、まあ健闘をいのるということだ。次男の中一は、大阪のトップ校に入ったのに、柔道部にはいり、すっかり格闘オタクになった。放課後は柔道部の練習、日曜はシュートボクシングのジムに通っている。将来は、格闘家になるとか。まあ、かってにしてくれの世界。
でも格闘家か。そうか。あまり早く職業など決めずに、もっと気楽に大きく学ぶことも必要だろう。そんな遊び学ぶ時期も必要だろう。青少年時代を、おおいに逸脱したわたしが言えることではないが、その逸脱のおかげで、わたしは、わたしほどの読書家をほかに知らない。
会社では、どう考えるべきだろう。ここでもオヤジなのだ。職業教育が重要なのは、学校においても企業においても間違いないが、人材の育成ということに関しては、これは学校では無理だろう。知人の国立大のMBAがおり、そのまた知人の話、教育内容を聞くが、読んでいたら御免なさい、まずそれではリーダーの育成は無理であろう。定型のカリキュラムのもとでは、過去において通用した知識やスキルは習得できても、全体を動かせる経営者や、現場で日々の業務を推進していくリーダーは育てられない。その教育方法は、ある意味では単純頭脳労働者用である。人は、現実の仕事の中で、その全体文脈、微妙な個別文脈の中で、現実の仕事のなかで経験を積みながら育つ。そして、その中で「人間力」と「直感力」が絶対的に重要である。これは現場の汗の中がでしか、得られない。ケインズのいうアニマル・スピリッツもである。
すると、オヤジの立場としては、とりあえず一般的な知識とスキルの育成はとうぜんであるが、現実の仕事の文脈の中で、その経験の中で育つ「場」をつくり出せるかどうか、がカギとなるのだろう。プロは、教科書や教室の教育では育てられない。実社会での試行錯誤の繰り返しの中で、経験を積むことにより、勘と人間的体力をつくりあげるしかない。これからのビジネス・経済社会は、かってのピラミッド型の少品種大量生産の時代の、会社あっての社員、社員はコマの世界から、定型的・組織的プロセスから、個々の能力の並立的集合体すなわち全員経営の形に移行するのではないだろう。それが、おそらく適者生存の原理に沿うものと予感される。
とすれば、会社を発展あるいは、どのような経済情勢下でも維持存続させるためには、そうしたプロ人材が育つための「場」を創ることがオヤジの仕事となるのか。つまり、そうだな、これも暴論だが、芸者の「置き屋」のイメージである。
吉原のような売春宿のオヤジは、幼い娘を買ってきて、お化粧、身づくろいと言葉づかいだけを教えて、すぐ店に出した。置き屋の女将は、徹底的に芸をしこむ。鍛え上げ、独立して生きていけるまで育てこむ。暴論は承知だが、前者はいままでの日本の企業である。名刺がなくなったら、娑婆に出て、何一つできないサラリーマンを大量育成した。「甘えの構造」の中で、学びも自己改革もしない。後者は、今、アメリカの企業で、ウォール街やシリコンバレーで見られつつあるような形であろうか。いや、あれは違うか。やつらはギャングだから、やはり違うだろう。
では、わたしはどうすれば良いか。つまり浪速千栄子だな。勝新太郎の一番良い映画は最初の「悪名」だと思う。あれにつきる。中村雁次郎が廓のオヤジで、チンピラやくざの新太郎が、使い走りとして廓の女郎の管理、逃亡女郎の追跡などをする。雁次郎の、したたかで悪知恵達者、駆け引き達者ぶりが、いかにも廓のオヤジの味を出していた。
一方は「祇園囃子」だな。浪速千栄子がおカアさん、木暮実千代が姉さん、そして若い若い若尾綾子が半玉ちゃんなのである。女将や姉さんは若尾綾子を厳しく徹底的に仕込みつづける。一人前にして祇園に出すためである。木暮実千代は、すでに自分の家を構えて一本で仕事をしている独立営業主。妹分の半玉を守るためにおカアさんに反抗することもある。がおカアさんは怒る。庭でひとり、般若顔で目をつりあげて「なめくさって」と歯軋りする。いいなあ、あのシーン。好きだ。
なにが言いたかったのか。そうだ、つまり廓のオヤジは「色」を売り物にして、女郎を折檻する。置き屋のおカアさんは、芸子を育て、「芸」をうる。小暮実千代は、おカアさんが妹分の「色」を売らせようとしたので、祇園で禁断のおカアさんへの反抗を行った。最後のシーンで、妹分に、あんたの袖おろしはわたしがしてあげる、と言う。つまり、旦那をとっての芸子、色も売る芸子ではなく、芸だけの芸子にしてあげると妹分に約束をする。
亡羊多岐。映画にそれて、道にまよった。もとにもどれば、つまり置き屋のおカアさんとして、良い芸者衆を育てて、それぞれの個性と能力を発揮できる「場」をつくるのが、これが方向性ということかと直感している。
プロ人材、すなわち芸者である。芸者という言葉は、今は色街の女性の職業名とされるが、かっての本来は、おとこの抜群才能者に対する敬称だった。たとえば、江戸初期の高名な芸者である宮本武蔵は、その芸をもって細川藩に三千石で抱えられている。
そのような置き屋のおカアさんになることだが、それには「芸」を教えるという難問がある。古い武道の格言に弟子は師の半芸という言葉がある。「芸」は、教えられるものではなく、わたし内部にもそのようなリソースは無い。みずからが学べる「場」を創り上げられるか、提供できるか、ということだろう。山よりも大きい猪はいない、という言葉が不安なところだ。一升の枡には、一升の水しか入らない。また現実に、みんなが「芸」の世界に生きることを求めているのか、という問題もあるしなあ。個々のもつ意識と人生観の世界だからなあ。笛を吹いたくらいではだめだし。ミッションとビジョンとバリューの共有ということになるが。
支離滅裂で、結論が出ない。後日の宿題にしよう。でも、自分が変わらねばならないのか間違いない。平凡な真理だが。交流分析の箴言、過去と他者は変えられぬ。つまったから、後日、考えよう。