アメリカの経済誌で「第二のジョブスは誰か?」の筆頭候補はツイッター創業者でスクエアCEOであるジャック・ドーシーだそうである。1976年セントルイスで生まれ、14歳でタクシー会社用ソフトを製作。2006年にツイッター社を創業。2009年には、スマホ決済会社のスクエアを創業。スマホやタブレット端末の決済システムとして決済額は100億ドルを突破。アメリカ中に決済革命をまきおこしているという。
東洋経済誌に、そのインタビュー記事があったが、ヨゼフ・シュンペンターのいう企業家、アントレプレイヤー、新結合とイノベーションの定義にみごとに当て嵌まっている。シュンペンター先生から100点満点がもらえる。おもしろいから、彼の発言をうちこんでみる。
スクエアを立ち上げるうえで苦労はものすごくたくさんあったよ。
僕らはみんな金融業界については素人で、業界の構造や仕組みを学ぶところから始まった。ハードを作るのも初めてのことで、投資家たちになぜカード決済事業をするのにハードが必要なのか説明する必要もあった。なぜソフトで完結できないのか、と彼らは考えていたんだ。
多くを学ばねばならず、サービスを開始するのに9ヶ月もかかった。ハイテクのスタートアップの場合、大抵サービスはすぐに始められるものだが、僕らは金融機関の規則をクリアして、金融機関と交渉する必要もあった。技術自体を開発するのは簡単だったが、業界の人たちとのネゴーションは大変だった。
それから、業界の力学を変え、自分たちの存在価値を証明するには、決済のボリュームを増やすことがとても重要だった。今や年間決済額は100億ドルを超えるようになったが、これは非常に重要なことだ。
今も昔も起業の基本はまったく変わっていないと思う。父は僕が19歳のときにピザレストランを始めたが、僕は今、それとまったく同じことをスクエアでやっている。そのスピードが若干速まっただけだ。
起業に関しては、これをすれば成功する、という絶対的な要素はない。ただ、起業家には強い目的意識や、自分がこの世界で何をしているのかを把握することが必要となる。
加えて、何があっても事業を作り上げるために牛のように闘うという強い野望も必要だ。会社を成功させるにはものすごく働かないといけないし、そのハードワークが終わることはない。いったん止まってしまったらビジネスはなくなってしまう。大事なのは、自分がこの世界で何をできるか、そしてそれを可能とする労働倫理と欲望だ。
何かを作るってことはそれだけで難しい。毎日がチャレンジだ。ビジネスを起こすのは、ローラーコースターのようなもの。すべてがものすごくうまくいっているハイポイントもあれば、急に成長が止まってどうしたものかと考えたり………すばらしい気持ちだよ。
36歳である。若いなあ。うらやましいなあ。もう一度、この年齢にもどれないものかなああああああああああああ。ツィターの創業者が、こんどはスマホとITハードを「新結合」させて、あたらしいマーケット、IT決済システムを創出したわけである。
シュンペンターによれば、新結合を遂行するものが企業家、アントレプレイヤーであり、経済の発展のためには、彼らによるイノベーションが必要であるとの説である。つまり、経済における革新は、新しい欲望がまず消費者の間に自発的に現れ、その圧力によって生産機構の方向が変えられるのではなく、むしろ新しい欲望が生産の側から消費者に教え込まれ、したがってイニシャティヴは生産の側にあるというふうに行われるのが常である、となる。
スティーブ・ジョブスの常日頃いう「消費者はなにもわからない、消費者になにも聴く必要はない、彼らは自分がなにが欲しいかわからない、見せてやったら気づく」という論旨も、このシュンペンター理論にあてはまる。わたしもiPadを2台もっている。9インチとミニである。9インチは人にかなり遅れて買った。ミニは発売されたらすぐに買った。もう手離せない。いつも一緒である。それは、この36歳の男、ジャック・ドーシーにもあてはまるに違いない。
シュンペンターは、そのような種類の企業家の動機として、つぎの3つを特筆する。
① 私的帝国を建設しようとする夢想と意思(支配者となる喜び)
② 成功を獲得しようとする闘争意欲(勝利の喜び)
③ 新しい創造そのものに対する喜び(創造の喜び)
支配者となる喜び、勝利の喜び、創造の喜びは、企業家は金銭を目的とする、金儲けのためであるとの一般的理解とは異次元である。これは宗教者的でもあり、それ以上に芸術家の精神世界である。スティーブ・ジョブスもジャック・ドーシーも、この世界の住人なのである。ジョブスが何度失敗してもあきらめなかったように、ジャック・ドーシーも、将来おこるであろう波乱のなかで、外部からは不屈の男として見られることも生じるかもしれないが、最終勝利が得られるはずの男であろう。目的には世俗的成功もあろうが、最終目的は創造の喜びなのである、と感じる。
日本でも、成功した伝説の経営者は、たいがい人生論、精神論、自己の経験、経営哲学をかたりたがるものであり、あまり金銭や地位には興味をしめさない傾向がある。
入力しながら気づいたが、日本ではドラッガーが経営の神様あつかいである。ドラッガーの父親はシュンペ ターと親友だったそうである。すると、ドラッガーのイノベーション理論は、とうぜんにシュンペンターの流れであろう。
これは、まずいなあ。いま気づいたが、イノベーション教の開祖であるシュンペンターは、スティーブ・ジョブスやジャック・ドーシーのような人物が経済を革新させ発展させると考える。特異な企業家による絶えざる革新によって需要が沸き起こって市場が創造される、と考える。私的帝国への夢想のためのあくなき欲望と闘争本能をもち、それへの創造の喜びに身を浸している人物が、革新を引き起こすのである。
だがドラッガーは、というより日本でのドラッガー理解は、誰でもイノベーションができるというような解釈をされている。「もしドラ」である。一般人にも、ふつうの企業家にも、AKBのお姉さんでもできるかの如きである。だがシュンペーターのように特権的・ディオニソス的企業家がイノベーションの担い手であるとの理論の原点にかえれば、ドラッガーの諸論議は成り立たなくなるなあ。これは、ちょっとまずいじゃないか。
イノベーション理論は、スティーブ・ジョブスや、このジャック・ドーシーのような人物にフォーカスして組み立てられた理論である。「もしドラ」などあり得ない。そのシュンペンターのイノベーション理論を、友人の息子のドラッガーがマネージメントの世界で組みなおして、誰にもできますよとアメリカや日本で売り歩いて、意図せざる結果として経営の神様になったことになるのか。だが、誰でもスティーブ・ジョブスやジャック・ドーシーになれるわきゃない。種というより、脳の向きが違うにきまっとる。強烈なアニマルスピリッツと宇宙を読む力が必要となる。これはビジョネール、見えないものを見る力であり、天与のものであろう。むり、むり。
入力しながら、わが意識のながれというものが脳内で少し脱線したが、ジャック・ドーシーの記事を読んで、そう思い至った。目つきも顔つきもいい。いま流行の細マッチョである。彼は、第一義的に芸術家なのであろう。「何かを作るってことはそれだけで難しい。毎日がチャレンジだ」でも「すばらしい気持ちだよ」と言うのである。100点満点である。