新自由主義、新保守主義の思想と政策およびそれが齎した事態について
Ⅰ.福祉国家から市場原理主義への転換
第二次大戦後の西側諸国は「黄金の三十年」と呼ばれる繁栄の時期があった。ケインズ経済学的な、国家が市場と社会に深く介入する、たとえばイギリスなどは「揺り籠から墓場まで」と高い福祉国家をつくるのが主流となった。これは「大きな政府」と十分な財政を前提とする。また所得再分配制度により、貧富の格差もある程度解消しようとした。組合活動も、その枠組みの中で強い影響力をもった。
だが1970年代に入ると、石油ショックその他、それまでの重化学工業などの産業構造が立ちいかなる事態が生じた。イギリスなどは競争力を失い「英国病」と呼ばれるようなった。市場原理を無視する強い労働組合があり、不効率で肥大し沈滞し機能不全に陥ったのである。
Ⅱ.サッチャー政権の誕生
1979年に登場したイギリスの女性首相は、大学においてハイエクを学んだとされ、その政策にハイエクの理論を適用したとされるが、それは実施においてはフリードマンの理論と重なるものであり、いわゆる新自由主義である。アダム・スミスの市場での「見えざる手」に任すという発想をさらに強化した市場原理主義である。
すなわち、個々の自由な経済活動及び市場メカニズムによる調整が最も望ましい経済運営であり、政府介入はできるだけ少ない方がよいとする市場原理主義的または市場万能主義的な考え方が広く流行し、かつ多くの国の政策担当者にも大きな影響を及ぼすことになった。
これらは「小さな政府」か「大きな政府」かの対立であり、これは経済学史的にはハイエクおよびフードマンかケインズかの対立とも言えるだろう。これは1980年代においてレーガン大統領の下でのアメリカや日本においても中曽根内閣の下で行われた。このように世界の多くの国においてネオリベラリズム(新自由主義)的な経済思想の下で経済の自由化・国際化が推し進められてきた。国営企業を民営化し、福祉を切り捨てるものである。国民経済よりも、市場における資本家・投資家の利益を優先するものであった。
Ⅲ.新自由主義と新保守主義
レーガン・サッチャー・中曽根の三人ともいわゆる好戦的な「タカ派」であり、保守主義者である。また当時は米ソ冷戦の末期であり、経済的には新自由主義であり、外交・政治的には新保守主義の立場をとることになる。ここで新自由主義者は新保守主義者と重なることになる。だが、その政策は「租税負担を富裕層から貧困階層に大きくシフトさせる」ものであり、これは貧富の二極化という社会格差を生むものであり、社会統合に亀裂が生じる。
だが、2008年のリーマンショックからギリシャの財政危機、ユーロ危機を契機に、それまで中心であった新自由主義思想が否定されるようになった。2011年には、多くのアメリカの若者が金融界や富裕層を優遇する政策、失業問題と経済格差に抗議し「ウォール街を占拠」しようとした。過去数十年の間にトップ1%の富裕層ますます豊かになるのに対して、人口の多くを占める中間層の所得が下落し、アメリカ社会の格差を拡大してきたのである。これが新自由主義、すなわち勝ち組と負け組に分かれる市場原理主義が世界に齎した帰結である。かって「一億総中流」とされた日本においてもその兆候がみられるが、中産階級の衰退は、民主主義の基礎をゆるがすものである。