道綽・善導の浄土教の教義の特色について
1. はじめに
鎌田茂雄『中国仏教史』(鎌田2004,:192)によれば、中国浄土教は三つの流れに分類出来るとされる。第一は廬山流であり、白蓮社の「観相の念仏」の伝統である。第二は、唐の善導流で、曇鸞、道綽、善導の流れで他力の「称名の念仏」であり、第三は善導の弟子慈愍流の念仏禅である。本設題は、第二の善導流をテーマとする理解し、2においてその教理の発展の概略を述べ、3において、その教理の構造を述べる。
2.報身報土への称名念仏
第一の慧遠の念仏は、初期大乗仏典といわれる『般舟三昧経』に基づいて、瞑想により阿弥陀仏を禅観するという観相念仏であるが、長い修行と実践を必要とする。
第二の善導流は、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三経と、『往生論』の三経一論によっている。
時代的には、曇鸞、道綽、善導と系譜されるのだが、曇鸞(476-542)の著には『往生論註』がある。これは世親の『往生論』の註解であるが、阿弥陀の本願を重んじ、難易二行のうち易行道により阿弥陀の浄土に往生することを説いている。また曇鸞は『無量寿経』を中心に浄土信仰を鼓舞しており、阿弥陀信仰を民衆の中に浸透させている。
すなわち、曇鸞によれば、その時代を正法、像法、末法の時代ととらえるが、像法や末法の時代は、自力で悟りを開くことも、修行をやり遂げることもできない。従って、阿弥陀仏の力で阿弥陀浄土に往生してから、そこで菩薩となって修行し悟りに達するという方法しかない。そのため、この世に生きている間は、ひたすら阿弥陀浄土に往生させてもらえるように阿弥陀仏に願い、救ってもらうのが一番だということになる。
この曇鸞の碑文を読んで、道綽(562-645)も浄土教に転身する。その著述『安楽集』では、時代はすでに末法の時代であり、聖道(自力修行での悟りの道)はこの時代ではかなわず、「末法相応の法」しかなく、それは阿弥陀の本願にすがって、阿弥陀浄土に往生することだけが、唯一救われる道だとするものである。その方法が称名念仏であり、念仏を数多くとなえる功徳によって浄土往生を願うものである。
そして、この道綽の弟子である善導(613-681)は、極楽浄土は実在することを主張した。そして「南無阿弥陀仏」ととなえる称名念仏だけによって、機根の劣った凡夫も悪人も極楽浄土へ往生できると提唱した。
だが、このような曇鸞?道綽?善導の立場は、それまでの隋および唐初期の他の論師とは異なる見解であった。西本照真は『仏と浄土・大乗仏典Ⅱ』(西本2013,:285)で、東アジアにおける浄土教の多様性を解説し、中国仏教における、浄影寺慧遠(523~592)の『観無量寿経義疏』・天台智顗(538~59)の『観無量寿経疏』・嘉祥寺吉蔵(549~623)の『観無量寿経義疏』などによる浄土教解釈と道綽・善導などの浄土教解釈は、「応身応土」と「報身報土」の解釈によって明確に相違すると述べる。
大乗仏教の三身仏の考えで、 法身仏とその浄土・領域である法身土=法身法土は、時空間の制約も主体・客体の関係もない一如・真如の境地となる。応身応土は、煩悩を持った凡夫や未だ修業途中の仏=応身と、その限定された凡聖同居の浄土・領域=応土の事である。浄影寺慧遠や天台智顗は、『無量寿経』や『観無量寿経』の阿弥陀仏とその浄土を、こうした応身応土と考えていた。そして、悟りを開いた菩薩と発願を成就した浄土・領域=報身報土については、そうした諸師たちは、それぞれの菩薩の悟りの程度により報土に違いがあるとしていた。
西本は、『観経』に説く阿弥陀仏の仏身仏土を、浄影寺慧遠は真応二身説では応身として、吉蔵は西方の阿弥陀仏の浄土は三界の所摂である凡聖同居士とみなしていたと解説する。「往生人の素質と往生すべき浄土との対応関係で見れば、劣った凡夫は劣った浄土に往生するというのが当時の仏教界の常識であった」と解説する。
それに対して道綽・善導は阿弥陀仏身土を報身報土と捉えている。西本は同書286頁以下で、これに対して善導は阿弥陀仏の仏身仏土に報身報土という高い位置づけを与えたうえで、「凡夫も仏願の強力な縁によって西方の阿弥陀の浄土に往生できるとしている」と述べ、阿弥陀仏の本願力により、劣機の凡夫も往生できるという「常識的な対応関係を逆転させた大胆な発想が見受けられる」と述べる。そして善導は、凡夫の往生のための方法論として、往生の行業として五つの正行とそれ以外の雑行の二行に分け、さらに五つの正行の中で称名正行を正定の業として浄土往生の中心的実践として、その他の四つの正行を助業とした。これを西本は「浄土に往生するための行の中で称名念仏の行に選択的一元化がなされた」と論じる。
『浄土教史概観』(佛教大学,:125)によれば、「かれは道綽によって開示された末法相応の法の浄土教をさらに発展させて、本願念仏による凡夫往生の教えとして、浄土教の綱格を組織し、長安を中心にひろく通俗を教化した」と解説する。
3.凡夫往生の教理について
大乗仏教の発展とともに仏国土すなわち浄土という思想がすすんだ。小乗仏教においては、さとりへの道としてすぐれた修行者はまず阿羅漢となり仏陀となるが、大乗では菩薩となり如来となる。その時に菩薩ごとに、つまり如来ごとに一つの仏国土を持つことになる。
まず菩薩たらんとする者は、総願(度・断・知・証、四弘誓願)と別願を立てる。そして浄土宗で最も希求されたのが阿弥陀仏である。すなわち、法蔵菩薩が四十八の別願を立てておこした浄土、西方浄土である。その教理は『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経に示されている。
その『無量寿経』にある法蔵菩薩(阿弥陀仏)の第十八願「念仏往生の願」に辿り着く。念仏を唱え者には阿弥陀仏が来迎して、極楽浄土に導いてくれるという功徳であるとする教義である。つまり、極楽浄土は死後世界として存在しているとみなされており、そして道綽は道の廃れた末法の時代は、自力往生は不可能であるとし、また善導は、浄土教独自の立場として、すべての者、凡夫である普通の人間でも、心に三心を具足して称名念仏だけをすれば、仏の本願によりたやすく西方極楽浄土に他力により往生することができると主張した。佛教大学前掲テキスト126頁以下は、善導は「十方諸仏のうち西方阿弥陀仏の独尊性を主張するばかりでなく、インドの龍樹以来あい伝えられて来た称名念仏の教えに新しい意味を見出し、本願の念仏なりとうして、たとえ凡夫であっても阿弥陀仏の浄土に生まれることができると説いて、ひろく民衆救済の浄土教を組成した」と解説する。
すなわち、道綽は「末法」という自覚をバネにして浄土門に入ろうとしたが、また善導もこの時代において凡夫は、阿弥陀仏という他力に頼み、救済を願うしかないのだという末世と凡夫思想を説き、中国浄土教を確立したのである。
すなわち無数の仏典の中から、阿弥陀仏の第十八願を宝石として抽出し、さらにこの第十八願を中心に据え直して教理を選択的に編成し、出家者、特権的な一部人士のためではなく、ひろく民衆(凡夫)のために新教理を組成し、新宗教、民衆宗教を打ち立てたのである。それは、信仰対象を阿弥陀仏に一元化し、阿弥陀仏の仏身仏土を報身報土とし、時代とそこに生きる人々の資質に適合した易行(称名念仏)により、凡夫が、無学でも貧困でも、悪人でも救われる、阿弥陀仏の本願力により人間はみな救われるという宗教、浄土教である。
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