数息観の成立

はじめに
ここ数年、上座部の仏教とマインドフルネス瞑想にこっていた。すこしその頭を整理するために、ここはひとつ論文スタイルで交通整理をする。
アメリカの最先端企業であるグーグル社が、ベトナム臨済宗のティク・ナット・ハン師をまねいてマインドフルネス瞑想の講習会を行うように、欧米系の、とくにIT企業などで、瞑想は、精神を安定させ脳を活性化させるというものとして、企業単位で取り入れられたりしている。
仏教瞑想を、その仏教色を抜き、メディティーション技法として再編し、とくにその脳科学的な効用が前面に出されている。その良否、正否はともかく、釈尊のなされた瞑想が、形を変えたとはいえ、21世紀にも連綿と受け継がれるのは、それはそれで結構なことと思う。
本論においては、呼吸を観る仏教古来の瞑想、とくに数息観について、その成立と発展を考えてみたい。数息観を説く経典は『佛説大安般守意経』(以下、『安般守意経』とする)のみであるが、さまざまな論書がその具体的な心得、修行階梯について述べている。初歩的だが、①数息観の誕生の地方と時代はいつか、②各論書を整理しながら、その具体的な手順とノウハウを再確認してみたい。
第一章、序論として入出息瞑想と文献
1-1.釈尊の瞑想をもとめて
還暦を過ぎた頃から、なぜか渡り鳥の帰巣本能のように、仏教に関心を持つようになった。日本においてはスマナサーラ長老の瞑想研修会に行き、自営業者でありタイには仕事によく行ったが、学問寺院であるワットマハタートの外国人向けのメディティーションセンターや、バンコクの寺院での朝や夕べの瞑想修行会に参加した。なかにはタンマーガイのような特殊な、高級ホテルでの、ガイディング・メディティーションというより集団催眠誘導のような金権邪教的印象のケースもあったが、基本的には、ミャンマーのマハーシ式が主流であった。ヴィパッサナー瞑想である。
やがて、釈尊はどのように瞑想されたのか、つい考えるようになった。宮澤大三郎氏が『佛説大安般守意経解読書』という本を出されている。一読して、他の経典とは文章のテイストが違い、なにか瞑想マニュアルのような印象だったが、呼吸を数えるという意味での数息観の初出の経典とされている。果たして釈尊は、このようなスタイルの瞑想をされていたのか、疑問に思うようになった。『佛説大安般守意経解読書』に付された康僧会(~250年)の序文の「佛説大安般守意経序」にも、その最初において「夫安般者、諸佛之大乗。以済衆生之漂流也」と「大乗」と表現されている(注 )のであり、これは釈尊より遥かに後の事と考えるしかない。
では、数息観は、どの時期にどの集団により成立したかが、いささか気になるようになった。以下、
① 『入出息念経』と『雑阿含経』における呼吸瞑想において、呼吸の数を数える数息観があったかどうかを確認、
② 『大安般守意経』における数息観の内容確認、
③ 他の論書における息を数える数息観を整理、
④ 数息観は『安般守意経』を初出とすることを仮定し、その成立時期と場所が、数息観発祥の地であると仮定し、それを述べる論文を探す、
最終的には、この『安般守意経』が数息観を述べる唯一のそして初出の経典であり、その撰述の時期と地域を求めて、「数息観という瞑想方法は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろうと思われる」と仮説し、それを本論の結論とする。
⑤ また同時に、各時代と各論書における数息観の変遷発展を整理し、その具体的に論ずるところを整理して、私の個人的な瞑想修行にも資するものとしたい。目的は、釈尊のなされた瞑想を知り、それを、願わくば私の体内で再現することである。
1-2.仏教瞑想の経典と論書
本論の論考を進めるにあたって、何を主たるテキスト、エビデンスとなる資料、文献とすべきかが問題となるが、まずそれを探し求めた。もとより自分の知識能力の限界は自らが知るところであり、実績ある研究者の整理にしたがうという方法である。
『入出息念経』( マハーチャッターリーサカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第118経であるが、『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社より刊行されている。
洪鴻栄氏「止・観の語源」は、安般念の習修法である六息念を考える場合の諸経論中での出典として以下のものを挙げる(注 )。
それは、A『解脱道論』(大正,32.p.430b-c)・B『修行道地経』(大正,15.p.216a-b)・C『安般守意経』(大正,15.p.116b-167c)・D『座禅三昧経』(大正,15.p.275a-b)・E『清浄道論』(VisuddhimaggaPTS 1905 p. 278)・F『善見律毘婆沙論』(大正,24.p.747b)・G『達摩多羅禅経』(大正,15.p.306a-307c)・H『大毘婆沙論』(大正,27.p.934a-b)・I『成実論』(大正,32.p.934a-b)・J『雑阿毘曇心論』(大正,28.p.934a-b)・K『倶舎論』(大正,29.p.118a-b)である。
和訳された図書として、比較的に楽に入手できるのは、『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社、さらに宮澤大三郎氏『佛説大安般守意経解読書』及び正田大観氏『清浄道論』第二巻である。その他、ネット上では、諸研究者の安般念、数息観等に関する諸論文をpdf版で読むことができる。
もとよりWeb上では、「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」が公開されているが、直接に経典経文への解釈を施すことは、正直、荷の重いことであり、また誤訳、誤解釈は必定である。したがって、以後は、これらの和訳解説、諸論文等より、本論を進める。
第二章、『入出息念経』での安般念と十六事について
2-1.釈尊の瞑想―入出息念経
安般念(アーナーパーナ・サティ)とは、?na[アーナ]とap?na[アパーナ]の複合語であり、サンスクリットならびにパーリ語の?n?p?na[アーナーパーナ]の音写語とされる。念は、サンスクリットsm?ti[スムルティ]あるいはパーリ語のsati[サティ]の漢訳語である。
『入出息念経』( マハーチャッターリーサカ・スッタ)とは、パーリ仏典経蔵中部に収録されている第118経であり、『原始仏典 中部経典4』(第7巻) 中村元監修 春秋社より刊行されている。その「出入息観――治意経」出本充代訳p.161以下によれば、
出入息観を養成して悟りの智慧と解脱を得る方法を説く。雨期のあいだによく修養された比丘たちを見て満足した釈尊は、この会衆は理想的な比丘僧伽であると称賛する。そして僧伽を構成する比丘たちを四種の聖者の階位と各自が取り組んでいる修行法の種類から描写するなかで、出入息観を養成する効果を説き始める。すなわち、出入息観を「四つの 注意力の確立」(四念処)に組み合わせて養成し、「四つの注意力の確立」を「悟りにいたるための七つの支分」(七覚支)に組み合わせて養成し、最後に「悟りにいたるための七つの支分」を遠離・離欲・滅尽・放棄に組み合わせて養成すれば、悟りの智慧と解脱が完成するとして、その修行の過程を詳しく説く。[出入息観の養成法] (漢訳『治意経』、大正蔵一、九一九上―中)。
「比丘たちよ、出入息観を養成し、強化すれば、大きな効果があり、大きな利益がある。比丘たちよ、出入息観を養成し、強化すれば、『四つの注意力の確立』が完成する。『四つの注意力の確立』を養成し、強化すれば、『悟りにいたるための七つの支分』が完成する。『悟りにいたるための七つの支分』を養成し、強化すれば、悟りの智慧と解脱が完成する。では、比丘たちよ、出入息観をどのように養成し、どのように強化すれば、大きな効果があり、大きな利益があるのか。
比丘たちよ、いま比丘が森林に行くか、木の根元に行くか、空き家に行くかして、足を組んで身体をまっすぐに伸ばし、正面に思いを定めて座る。かれは意識しながら息を吸い、意識しながら息を吐く。」
2-2.十六事―十六特勝
そして十六事が説かれる(注 )。
① 長く息を吸いながら、『わたしは長く息を吸っている』と知る。長く息を吐きながら、『わたしは長く息を吐いている」と知る。短く息を吸いながら、『わたしは短く息を吸っている』と知る。
② 短く息を吐きながら、『わたしは短く息を吐いている』と知る。
③ 『全身を感じ取りながら息を吸おう』と練習する。『全身を感じ取りながら息を吐こう』と練習する。
④ 『身体の活動を鎮めながら息を吸おう』と練習する。『身体の活動を鎮めながら息を吐こう』と練習する。
⑤ 『喜びを感じながら息を吸おう』と練習する。『喜びを感じながら息を吐こう』と練習する。
⑦『安楽を感じながら息を吸おう』と練習する。『安楽を感じながら息を吐こう』と練習する。『心の活動を感じながら息を吸おう』と練習する。『心の活動を感じながら息を吐こう』と練習する。
⑧『心の活動を鎮めながら息を吸おう』と練習する。『心の活動を鎮めながら息を吐こう』と練習する。
⑨『心を感じ取りながら息を吸おう』と練習する。『心を感じ取りながら息を吐こう』と練習する。
⑩『心を喜ばせながら息を吸おう』と練習する。『心を喜ばせながら息を吐こう』と練習する。
⑪『心を集中させながら息を吸おう』と練習する。『心を集中させながら息を吐こう』と練習する。
⑫『心を解き放ちながら息を吸おう』と練習する。『心を解き放ちながら息を吐こう』と練習する。
⑬『無常を観察しながら息を吸おう』と練習する。『無常を観察しながら息を吐こう』と練習する。
⑭『離欲を観察しながら息を吸おう』と練習する。『離欲を観察しながら息を吐こう』と練習する。
⑮『滅尽を観察しながら息を吸おう』と練習する。『滅尽を観察しながら息を吐こう』と練習する。
⑯『放棄を観察しながら息を吸おう』と練習する。『放棄を観察しながら息を吐こう』と練習する。
比丘たちよ、出入息観をこのように養成し、このように強化すれば、大きな効果があり、大きな利益がある」 (『原始仏典【第七巻】中部経典4』春秋社 pp.161-168)
この入出息念は、概して初学者向けの初歩的修行法として扱われるが、仏伝では、釈尊自身が成道前の苦行中と、成道後の安居期に行われた禅定と伝えられている。『入出息念経』では、身・受・心・法念処のそれぞれを成就する禅定として、それぞれ四種十六事(十六種の方法)を示して、これを修習して正念正知しつつ七覚支を修習すれば、解脱を獲得すると説かれる。
『安般守意経』では、この『入出息念経』の十六事に、さらに六息念(数息・相随・止・観・還・浄)という観想方法が加えられる。つまり、より発展した形となる。
第三章、『安般守意経』での十六事と六息念の成立について
3-1.数息観での修行階梯
中国仏教史上で、最初期に仏典を将来し翻訳したのは、後漢時代の安世高と支謙である。安世高は『安般守意経』『道地経』『陰持入経』などの小乗系の禅に関する多くの経典を翻訳し、支謙は大乗系の『般若三昧経』『道行般若経』など多数を翻訳した。
安世高の『安般守意経』は、数息観を説く唯一の経典である。論書においては、さまざまな論書が数息観を説くが、経典においては、これが唯一とされる。安般はアーナーパーナ、音写で、アーナは入息、アパーナは出息を意味しており、これは意識を入出する呼吸に集中して心を統一しようというものである。したがって数息観を考える場合には、この安世高の『安般守意経』が出発の基点となるのは当然である。
経の内容は、前半において主に十黠の中の数息・相随・止・観・還・浄の六段階(六事・六息念)を説き、後半においては三十七道品を説くが、重要なのは前半とされる。
① 「数息」は出入の息を数えて、繰り返し一から十に至ること、
② 「相随」は意識を出入の息に随わさせて、息になりきること、
③「止」は数と随によって意識を身体の一処に止め、息そのものを忘れ、妄念が止まり心が安定すること、
④ 「観」は出入の息に即して身体の内外を観察し、それによってあらゆるものが見えてくること、
⑤ 「還」は棄てること損ずることの意味で、精神的内観であらゆるものが落ち去ってしまうこと、
⑥ 「浄」は心が本来の清浄なるところを得て見道に達することを言うとされる。
この経典が数息観の初出であり、唯一のものである。この『安般守意経』では、『入出息念経』の十六事に、さらに六息念(数息・相随・止・観・還・浄)という観想方法が加えられおり、あきらかに発展形である。時代差が認められる。したがって、これは私のもとめる釈尊の瞑想法ではないことにもなる。
3-2.インド西北部の有部偸伽行派
つまり釈尊は、呼吸の数などカウントされなかった事になるが、すると『安般守意経』は、いつの時期に、どの地域で、どのような集団により撰述されたかが問題となる。またそれは本卒論のメインテーマとなるが、幸いにも、それについて説明するデレアヌ・フロリン論文をWeb上において発見することができた(注 )。
以下、デレアヌ・フロリン論文「安世高訳『安般守意経』現行本の成立について」の内容を整理する。
まず安世高ご本人であるが、安世高は安息国(パルティア)出身の僧で、一四八年に後漢時代の中国に来て、二十余年の間に中国最初の仏典漢訳を行った。
デレアヌ・フロリン論文によれば、「パルティア語仏典や仏寺遺跡等は存しないから、安息では仏教は小規模の宗教に止まったようである。安息の僧侶はインド西北或いは西域で修学修行しそれぞれの地の言語の仏典を学んでいたであろう。安息人による漢訳仏典の部数を見ると、小乗仏教は主流であったが、大乗仏教も多少行われたことが窺われる。インドの西北部が説一切有部の拠点であったことを考えると、安息の仏教者の多くは、恐らくは有部系であったと推測される。安世高の場合も、その訳経の内容や中国の史料、当時のパルティアの仏教背景等は、彼が有部、特に有部偸伽行派と密接な関係にあったことを示唆している」とする(注 )。
さらに、「安世高は特に禅経や実践方面の仏典を訳出し、彼自身も恐らく偸伽行者であったと思われる。実は、所謂禅経は、カシミール地方で栄え全インドや西域、中国にその名を馳せた有部偸伽行派によって撰述されたと見られる」として(注 )、カシミール地方の有部偸伽行派の強い影響を論じている。
また、その時期については、「これらの多くの禅経は、二世紀のカニシカ王前後の頃作成されたらしい。『安般守意経』『陰持入経』『大十二門経』『小十二門経』『大道地経』『禅行法想経』等の安世高の禅経も同じ系統の典籍であるが、教義内容や経典体裁からすれば、他の禅経より早い時期(紀元一世紀?二世紀初)に撰せられたであろうと思われる。尚、安世高とインド西北との密接な関係を裏付けるもう一つの証拠は、彼の所謂経典に見える音写が西北プラークリット語(ガンダーラ語)に由来していることである」と論じる。
また、『安般守意経』の前半に説かれる六事について、「六事(数息・相随・止・観・還・浄)、即ち安般念の修行過程を表わし位置づけている概念は有部の毘曇教義である。勿論、この安般念の実践は偸伽行師の修行に基づいているが、有部の毘曇文献でも詳説せられている。然し『安般守意経』に於ける六事は、『大毘婆沙論』巻二十六や『倶舎論』巻二十二に見える六因より早い時期のものと思われる。『大毘婆沙論』の成立がカニシカ王以後、龍樹(三世紀)以前だとすれば、『安般守意経』の六事はそれより一〇〇年前くらいの偸伽行派の禅観を反映しているものと見てよかろう」とする。つまり、『安般守意経』の数息観が最も古いものだとデレアヌ・フロリン論文は論じる。
すると『安般守意経』の原本はインドではサンスクリット語でもパーリ語でも無く、漢訳本だけだが、その成立時期は、紀元一世紀?二世紀初であり、撰述された地域は西北インドあるいはカシミール地方であったということになる。そして、その地域の有部偸伽行派の行者たちが、数息観を開発したと推測できる。
デレアヌ・フロリン論文も、「『安般守意経』は、阿含経や毘曇文献等の素材を集成し、有部偸伽行派の実践的立場から纏められた修行者の書である」と論じる。そして「結語に換えて」として、「『安般守意経』の原本は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって著作されたであろうと思われる」と結論する(注 )のである。
この『安般守意経』が数息観を述べる唯一のそして初出の経典である。すると、「数息観という瞑想方法は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろうと思われる」と仮説しても、そう無理はないはずである。
したがって、この結論が自動的に本論の答えとなる。勿論、それ以前にもそれ以外の地域で数息観が行われていた可能性はあるだろうが、それを知ることは出来ないので、上述の結論が、いつどこで数息観が誕生したかの、とりあえずの解答となる。
第四章、入出息念と数息観の発展と展開
4-1.数息観の方法―入る息からか出る息からか
つまるところ、このような数息観を行うものは釈尊のなされた瞑想方法ではないことになるが、素朴から精緻へ、より高度化した発展形と考えても良いかも知れず、以下、数息観にかかわる瞑想方法の整理を試みたい。
それを考える文献としては、正田大観訳本『清浄道論』、松田慎也「修行道地経の説く安般念について」、阿部貴子「入出息念の大乗的展開」などを参考にし、私個人が初学者としての瞑想修行に参考にし整理する。目的は、仏教僧団が研究しつづけた瞑想法を今日的に、私個人的に再生することである。
まず数息観の実践として、入る息から数えるか、出る息から数えるかという問題がある。
これについては、『安般守意経』などの仏典では、安那般那(?n?p?na)を、安(?na)と般(ap?na)とに分割して理解することが行われているとする。これは、数息観を修めるに際し、初めに息を吸うべきか吐くべきか、という問題にも関するものでである。
そして、諸経典を見てみると、『雑阿含経』では、安般を説く段にて「念於内息。?念善学。念於外息。?念善学」と初めており、まず入息から安般を始めるべきと説くのに対して『増一阿含経』では「出息長知息長。入息長亦知息長」とあって、その逆を説くという。
また、『達磨多羅禅経』は「入息與出息?心隨憶念」といい、同じく『坐禅三昧経』も「念入息出息生滅無常」などと『雑阿含経』と同様に説いている。
また、小乗諸派の論書では、どう説いているか。
説一切有部は、例えば『大毘婆沙論』に「答先數入息。後數出息。以生時息入死時息出故云々」(T27, pp.135a)と、赤子が生まれて初めてするのは入息であり、死にゆく者が最後にするのは出息であるからとの理由を第一に挙げて、入息から始めるべきことを主張している。この主張は有部のその他論書、例えば世親『阿毘達磨倶舎論』(T29, pp.118b)にも引き継がれていることが見られる。
なお、?n?p?naの語義に関しても、『倶舎論』に「論曰。言息念者。即契經中所説阿那阿波那念。言阿那者。謂持息入。是引外風令入身義。阿波那者。謂持息出。是引内風令出身義」(T29, pp.118a)とあるように、安那(?na)を入息、阿波那(ap?na)を出息としている点、『安般守意経』と『解脱道論』と同様の見解を取っている。
しかし、分別説部大寺派のブッダゴーサ(『清浄道論』)は、説一切有部の挙げる理由とは正反対のことを言って、息を吐き出すことから始めるべきであると主張しているらしい。同様に、経量部に属したと臆される訶梨跋摩は、『成実論』にて「問曰。息起時先出耶先入耶。答曰。生時先出死時後入。出入第四禪亦如是」(T32, pp.356b)と述べていることから、おそらく経量部は後者の見解を取っていたのであろうと推測される(注 )。
まあ、どちらであろうと、とくに修道上の問題ではないと考えられるが、今では、数息観は最初に息を吐き出すことから始めるべきと、現在一般に言われているらしい。
4-2.数息観の方法―呼吸の数え方
つぎの数息観の実践として、まず数の数え方が問題となる。つまり吐く息と吸う息を一つと数えるのか二つと数えるのか、また幾つまで数えるのを繰り返すのかを整理したい。これについては松田慎也氏「修行道地経の説く安般念について」の内容を、抽出し以下、要約する(注 )。
『修行道地経』で出入息を数えるのに際して、「長」と「短」との二瑕という間違った方法を示すらしい。本来、出息して「一」と数え、入息して「二」と数え、順次に「十」まで数えるべきところを、「長」とは出息し、入息しおわってはじめて「一」を数えることで、「短」とは逆に、まだ出息しきらなういちに「二」まで数えることを言うらしい。
また有部の諸論書では、①数滅失、②数増失、③雑乱失をあげるらしい。①の数滅失は『修行道地経』の「長」に、②の数増失は「短」に相当するらしい。③の雑乱失とは、入と出を間違えることを言うとする。『大毘婆沙論』では、これは有余師の説として、十まで数えたら再び一に戻って始めるべきところを、十を越えて数えることを乱数の正説とするらしい。また『解脱道論』でも、十を越えてはならないと説くらしい。『偸伽師地論』では、入息と出息のたびごとに一つずつ数える仕方のほかに、入出息を合わせて一とする数え方、さらには百息を一として十まで数えるやり方を勝進算数として修習の発展したものとして説くらしい。また、十から逆に数える仕方も述べているらしい。
私的には、どちらでも良いような気がするが、まことにプロの方々は、細部に拘泥するものであり、これは古今東西、どの職種も同様かも知れない。逆に、あまりにも形に拘泥することは、止観の本義に反するような気が私にはするが。
4-3.数息観の方法―意識をどこに置くか
また、その際に、意識をどこに置くかが問題となる。
しかし、呼吸に意識を向けこれを数えると言っても、意識を向ける場をどこか定位置に置かなければならない。つまり、どこで呼吸を覚知するかの基準点が必要である。そして、全ての仏典がほぼ同じ場所を指定している。それは鼻頭・鼻端である。『無礙解道』、そしてその説を引き継ぐ『解脱道論』ならびに『清浄道論』では、鼻頭もしくは上唇と上唇周辺も可であることを説いている。
この『清浄道論』は、仏音(ブッダゴーサ)が五世紀に書いたもので、それ以降、上座部最大の聖典となっている。この『清浄道論』で語られる「安般念」は「止」の文脈の中で取り上げられている。しかし、基本は『入出息念経』とほぼ同様の16種の観察を行う。その固有の特徴としては、3の観察においては、呼吸の最初、中間、最後という全体を観察するように説く。正田大観訳本『清浄道論』第二巻では、そのように解説されている(注 )。
鼻頭と言っても、文字通りの鼻頭[はながしら]というのではなく、鼻腔の最端部、鼻の穴の鼻先側周辺である。それは入出する呼吸を、それがたとえわずかばかりの弱い感覚(触覚)であっても、これを捕らえる場所、意識を留める場所である。
上唇ともされているのは、鼻の低いものは、むしろ上唇のほうが呼吸を感知しやすいためである(『清浄道論』説)。
『清浄道論』が引く『無礙解道』などに基づき、意識を鼻頭に留めるとき、注意しなければならないのは、息の入出を感知したときに、鼻頭におけるその呼吸の感覚に引きづられて意識の置き場をフラフラと、鼻腔の内外などとあちこちに移動させないことである。
私の冥想体験においても、意識を一点に留めることは極めて困難である。多くの人々が鼻頭に「留める」ことが出来ずに、入出する息に意識が引きずられてしまうようである。
また、『清浄道論』が引く『無礙解道』にては、鋸[のこぎり]を用いた喩えをもって、鼻頭に念を随逐(安置・触)するとはいかなることを言うのかの説明をしている。その要を言えば、鋸によって木(丸太)を切るとき、常に鋸の刃は木との接点を往来して、それによって木を断ち切っていくけれども、鋸で木を切る者は、その往来する刃に意識を従わせるのではなく、刃と木との接点にこそ念を従わせるのである、というものである。『解脱道論』にて優波底沙長老はこの譬喩を用いて安般念の修習法を説明し、ブッダゴーサもこの譬えを『清浄道論』の中に取り入れ、用いている(注 )。
ただ、六息念のように六事ではなく、八種である。
「(1)数、(2)追随、(3)接触、(4)据置、(5)省察、(6)還転、(7)完全なる清浄、(8)さらに、それらを(還転と完全なる清浄)を観察する、という、これが意をなすことの手順となる。そこにおいて、(@)数とは、まさしく、(入息と出息)を数えることである。(2)追随とは、(入息と出息に気づき)が随伴することである。(3)接触とは、(入息と出息が身体と)接触した場である。(4)据置とは、(瞑想の境地)専注して止まる(心の統一)である。(5)省察とは、(あるがままの)観察(毘鉢舎那・観)である。(6)還転とは、(煩悩を還転させる、聖者の)道である。(7)完全なる清浄とは、(聖者)果である。(8)「さらに、それらを観察する」とは、(還転と完全なる清浄の)注視である。」と説かれる。
また、とくに(3)の接触、つまり息が身体のどこに接触するかであるが、足萎えの喩え、門番の喩え、鋸の喩えにより示されているが、「比丘は、あるいは、鼻の先端(鼻孔)において、あるいは口の形相(上唇)において、気づきを現起させて座した者となり」とあり、息の触れるところ、つまり鼻端や上唇を意識する方法が説かれる。したがって、実際には、息の触れる場所、出息、入息の3つの異なる対象を観察することになると思われる。
また、安定した集中が達成される「安止定」の状態にまで至ることを重視し、その中でも四種類のレベル「初禅」~「第四禅」をしっかりと意識せねばならないとされる。
おわりに
私自身は、五停心観(不浄観・慈悲観・因縁観・界分別観・数息観)での死体の腐敗過程を観察する不浄観など(注 )、想像するだけで腰が抜ける。この程度のやわな機根では、見道や無学の域に達するなど有り得ないことである。したがって在家の初学者で十分だが、つまりは数息観程度が私の身の程であろうから、本論において、数息観の発祥と発展を整理できたことは、個人的には有益な作業であったと考える。
スナマサーラ長老の初心者向けの瞑想ガイド本『気づきの瞑想法』を読んでの感想だが、その40頁で、「思考をカットし、感覚を止めると、心は成長する」と述べてある(注 )。そして「感覚を受けたところで心を止める」ことの重要性を語られている。また58頁では、人の心の動き、執着すなわち煩悩の発生の流れを説明されている。
①隣の人の手が、自分の手に触れたとする。
②すると「触れた」という感覚が生まれる。
③ここまでが「事実」である。
④ところが我々は「今触れたのは、隣の人の手だ」といった具合に、ついその先を考える。
⑤それは「判断」である。
⑥そのためには、たくさんの「思考」が必要である。
⑦ しかし、判断自体には実態は無い。我々の頭の中にしか存在しない。
⑧判断から執着が生まれる。余計な探求が生まれてしまう。
そして、ともかく、触れたら「触れた」、聞こえたら「聞こえた」、思いついたら「思いついた」と事実を確認して、それ以上の思考をカットしましょう、と述べている。つまり、①から③までで、④以下はカットせよと。
その解説への私の解釈だが、人間存在は無我であり、「五蘊」の産物と捉える。「色」「受」「想」「行」「識」である。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示すとされる。五蘊が集合して仮設されたものが人間であるとし、またこれが煩悩と「苦」の発生原理とされる。すると、上記の①は「色」、②が「受」になる。④がいけない、これが「想」の発生である。そして「行」で余計なことをし、⑧で「苦」の原因となる「識」が生じる。つまり煩悩が生じる。
つまり、「想」「行」「識」をカットし、「色」と「受」のみに在れと解釈すれば、仏教瞑想の一側面が理解できるような気がする。「五蘊」の生成を「止滅」させた状態に「在る」ことである。結果として、二千数百年も前に、それを「止滅」させる方法を発見していたとしたら、仏教はじつに偉大である。釈尊はじつに偉大である。
また、「数息観という瞑想方法は、紀元一〇〇年前後にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろうと思われる」というのが本論の仮説であるが、二千年も前にカシミール有部偸伽行派によって開発されたであろう瞑想法を、今も伝えられて私も行えるとは、ありがたいことである。
以上。

2018/07/21

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