道徳感情論とアメリカファースト

トランプ・アメリカは「アメリカ・ファースト」の掛け声で国を閉ざし、保護貿易主義を前面に出し、中国との間では制裁関税の報復合戦になっている。世界は右傾化がすすみ、どの国も自国一国主義にむかう。それはいつかは悲劇となる。行き過ぎたナショナリズムはつねに戦争に向かう。

喫茶店で読んだ雑誌での池上アタリ対談によれば、
【アタリ】は、それはある種の個人主義の行き着いた結果だと述べる。それは正確に理解されていない個人主義だと。アダム・スミスが『国富論』の中で「個人の自由な利益追求は、社会全体の利益となる」と論じたのが個人主義の大本である。しかし彼は経済学者であると同時に倫理学者であり『道徳感情論』の著者である。そこで彼は「客が幸せでなければ、自分も幸せになれない」と論じている。


『道徳感情論』では、パン屋がパン屋ファーストでは商売は、逆に上手くいかない。客ファーストでなければならない。客は満足しなければ買いに来なくなる、するとパン屋はつぶれてしまうと書いている。アメリカが自国の製品を買ってもらうためには、EU圏内の経済や政治が安定する必要があるし、中国や日本その他の国の経済もうまくいっている必要がある。つまり輸入品に高い関税をかけて「自分たちが優先だ」と排除するのは、最終的にはアメリカのマイナスになる。

【池上】は、アダム・スミスの例では、お客に喜んで貰えるパンを作ってこそパン屋は繁盛するが、これが政治となると、国民が喜ぶことをやる、つまりポピュリズムになるのではないでしょうか。

【アタリ】、そうです。これは歴史の中で50回くらい見てきた事実であり、ギリシャでもローマでも、ポピュリズムの政治がはじまると、国民の人気は得られるので最初はいい。しかし結果として、戦争などの破綻をもたらし、悲劇が起こる。いま私たちが見ているのは、その「終わりのはじまり」です。

たしか、アダム・スミスは『国富論』の中でも、資本主義の基礎は信頼である、一過性の取引なら強欲も通じるが、長年続く継続的取引では信頼関係こそ重要なものであると述べていたが、そのとうりであろうと大阪の中小企業者として私も体感する。「信用」という言葉である。近江商人のいう「三方一両得」である。Wi n Win の関係でないと、取引は継続できないし、自らの事業も維持できないのだ。「損して得取れ」は正しい。
また、協調性のあるチンパンジーは長生きするそうだが、自国ファーストは、自国アローンであり、長寿生物の戦略ではない。闘争のエネルギーと、相互のテリトリーの取り合い、排他による地域の閉鎖、移動の停止は、短命生物の戦略である。小型生物の戦略なのだ。いまのアメリカは、古典東洋的に言えば、「大国のふるまい」ではない。「徳」に欠ける。王者にも覇者にもなれない不動産屋さんが、アメリカ大統領閣下さまだが、トランプ氏はじつに不動産業者らしい不動産業者であり、不動産業者的思考の持ち主だ。勝てば官軍、知恵をつくして一発勝負、安く買って高く売り飛ばすのだ。だがこれは、農業者や工業者の発想ではない。もちろん、国家を経営する発想でもない。彼は戦後世界でのアメリカが作り上げようとしたアメリカへの信用、あるいは幻想を棄損した。そして、それは元にもどらない。アメリカ・アローンを公言したからである。あとは誰が「銭」をたくさんとるかの世界になる。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク