たぶん父だと思う。餅と少しの肉だったか、先生の家に届けろと言われた。暗い夜道を自転車を走らせ、弟と行ったのか、それを先生の家に届けた。もうかなり夜だった。寝て居たのではないか。小さな借家だった。それを見て、先生はにこにこ笑った。男の子も笑った。父親に似て、気の優しい良い子だった。奥さんには、いささか思いのあるような屈折を感じた。つらい生活で正月の餅をほどこされると感じたのだろうか。先生から十円程度のお年玉をもらったと思う。わたしは子供だった。北に帰る先生家族を、深夜の駅で送ったような記憶がある。
大晦日の夜は、朝の法事が楽しみだった。たくさんの御馳走がならぶ。もともと爺様は末っ子だから法事をする必要はないのに、していた。そしてこれは礼であり、神仏などいないようなことをいいながら、あの人の亡き父、つまり見たことのないわたしのひい爺様とひいばあ様しのび、こそっと恥ずかしそうに涙を流していた。それを見て笑うわたしは子供だった。
今は、独りでこんな大晦日をしている。京都の除夜の鐘でも聞こうか。わが家にとって大晦日と元旦はご先祖さまをしのぶ日でもある。法事は長男どのがしてくれる。でも、わたしも爺様のように、こそっとしのぼう。爺様とばあ様とおやじ様をだ。そして、爺様があの人の両親を思い出しただけで泣いたように、わたしも素直に泣こう。涙腺のゆるい家系のようだなあ。明日は母様に会いに行こう。