Ⅰ.戯論・分別・自性・煩悩・解脱・空を関連付けて述べる
竜樹「中論」をもとに今回講読は行われたが、それは冒頭の八不偈のように日常社会における言語作用の否定からはじまる。つまり既存言語習慣により我々の脳内に構築された思考の形、それが戯論、プラパンチャである。したがって、我々の神羅万象に対する認識は、その思考の形、つまり戯論の枠組みから出ることはできない。なぜなら、人間は言語によって思考する生き物であり、その思考の道具である言語の枠組み、ヴィヤハーラから出るのは、本質的に困難だからである。
その既存言語の言語慣習により、世間を判断し、その枠組みでの判断基準が分別となる。これは、日常世間における概念構造であり、ある意味では言葉そのものである。これを竜樹は世俗諦として定義するが、我々の煩悩も、その分別から発した煩悩を原因とする。
たとえば、バラモン教ではアートマンの存在を絶対の前提とする。いわば人間の魂の実存である。すなわち自性の存在を前提とする。その自性である魂のさまざまな欲望により、その最大は自己の魂の永遠性についてであろうが、煩悩が発生する。
仏教もバラモン教や他のインド哲学と同様に、輪廻転生を前提とするが、自性つまり魂、いわばアートマンが輪廻されると考えるのが、バラモン教や他のインド哲学の立場のようだ。
それに対して、仏教は縁起説や五蘊説の立場から無自性説を唱える。しかし、この立場は、既存の言語習慣の枠組み内では、理解し認識することはできない。
それを認識するには、世俗諦を超えた勝義諦の世界に入る必要がある。これは既存の言語習慣では理解しえない超越的言語の世界である。しかし、竜樹は、その勝義諦の世界に至らねば、解脱し涅槃に至ることはできないと説くのである。
すなわち、縁起により成り立つ「空」の世界である。無自性と空性は、ここにおいて重なる。
因果論においては、戯論が分別をとくり、その分別が煩悩をつくることになるが、諸仏の教えは二諦説により示されており、煩悩を滅尽し解脱するには、まず戯論と分別は世俗諦であることついて知ることが必要となる。解脱や涅槃や空は、世俗諦では理解しえず、勝義諦の立場でのみ、知る事が出来るからである。
我々の意識や分別は、既存言語により、つまり世俗諦の枠の中で作られているが、その既存言語習慣を超越したところでの認識を、仮設としての言語表現として「空」と表現するのであるから、初学者が「空」を理解しえないのは、当然だと考える。
勝義諦の内容を、世俗諦の言語表現で説明するのであるから、これは本質的に不可能ではないかと考える。
Ⅱ.本講読において勉強になった事について
竜樹「中論」をサンスクリット語で読む機会は、あり得ない機会であり、新鮮だった。本題である大乗仏教より、サンスクリット語の性質・構造などに興味が湧いた。
仕事により英語を使う必要がある。またタイに提携先があり、タイ語・中国語も学んでいる。これらは、主語+動詞+目的語の形の文法構造である。これは語順が非常に重要だ。それに対して、日本語・韓国語・モンゴル語、インド諸語等は、主語+目的語+動詞の形をとる。つまり「てにをは」のような助詞を語末に付けることで、個々の語が機能して、とくに語順は問題にならない。
サンスクリット語についても、助詞という形ではないが、格の変化を語尾に付けることにより、語順は問題にならないことが、今回講読で確認できて、新鮮だった。また、タイ語にはサンスクリット語が少し入っているが、男のプルシャがプーシャイ、車のラトナがロットヨイであることに気づき、意味もなく嬉しく感じた。今回講読の副次的な効用である。
2016年8月6日 京都において夏のセミナー
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