インド中観派の歴史と諸論師の著作、その思想について
1.はじめに
この中観派の「空の思想」は、初学者には、きわめて難問・難解である。学習とは、知識を自己の脳内において、言語的に習得・整理することであるが、真義諦と世俗諦という立場で、日常言語と言説を否定することにより成立しているのが「空の思想」である。また型式論理学とも、おおきく違う発想ともされる。それを瞑想や覚体験の無い初学者が言語的に、つまり世俗言語で、世俗言語による理解を否定する思想を理解するのは、本質的に無理があると愚考する。
以下、2.において中観思想の概略を整理し、3.において、その歴史を整理する。
2.中観派とその思想について
中観派は、ナーガルジュナ(竜樹、二-三世紀頃)に始まる。ナーガルジュナの主著の『中論』を論拠として、一切の「空性」を中心教説とする。従来のアビダルマ哲学、説一切有部などでは、五位七十五法など「法」の実体性(実有論)が主張されていた。これは一種の原子論であり、原始仏教の諸法無我の教理から大きく逸脱する。だが『中論』では、すべての現象は、存在現象も含めて、原因(因)と条件(縁)によって生起(縁起)しており、それ独自の固有な本性はなく「無自性」である。存在現象自体が「空」であり、存在現象は「空性」を持っている。「縁起」、「無自性」、「空」を同じ意味で、また「仮」、「非有非無」、「中道」もほぼ同じ意味使い、すべての存在は固有の実体を持たない「無自性」であり、「縁起」すなわち相互依存性により存在すると断じる。
ナーガルジュナの主張は、『中論』の、第24章18詩である、「衆因縁生(因縁所生)の法、我即ち是れ無(空)なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦是れ中道の義なり」にまとめられる。因縁(縁起)=空=仮名=中道である。「相依性」に則った「無自称」「法空」、すなわち「法(ダルマ)すらも仮のもの」という考えが主張された。さらに二諦説として、言語表現の限界性を説いて、世俗諦と勝義諦を提唱した。
末木文美士『思想としての仏教入門』72頁以下は、これを、無我=縁起=無自性=仮に設定されたもの(仮)=中道 と説明する。
3.中観派の教義と教義変遷の歴史について
この中観派の歴史は、三期に分けられるようである。以下、それぞれの論師とその著述を整理するが、原著を読んで理解しているわけではないので、概観的整理である。
初期中観思想
二世紀頃から三世紀頃、後世、中観派の祖のナーガルジュナ(龍樹)によって般若経典群において称えられていた空、無自性などの思想に哲学的基礎が与えられた。ナーガルジュナの著書とされる文献が数多く残っているが、真作として確実に認められるのは、『中論』である。これは、その後、中観派の根本テクストとして研究され続けた。『中論』にはサンスクリット本、チベット訳本、漢訳本が残っているが、漢訳本の場合、青目(ピンガラ)という人の註釈が附されている。また、ナーガルジュナの著書とされる『十二門論』、『大智度論』がある。
このナーガルジュナにはアーリヤデーヴァという弟子がいたと言われる。その著書に『百論』、『四百論』などが残っているが、『百論』の方は漢訳本のみ現存し、『四百論』についてはチベット訳の完本の他に部分漢訳、サンスクリット本の断片が残っている。
さらに、アーリヤデーヴァには弟子としてラーフラバドラがいたとされる。著書としては『讃般若波羅蜜多偈』、『法華讃』のサンスクリット断片が残っている。四世紀頃になると、後に中観派と並んでインド大乗仏教を二分する唯識派が登場するが、先述のピンガラ(青目)が活躍したのもこの頃だと見られる。
中期中観思想
中期中観派においてはその論証方法をめぐって帰謬論証派と自立論証派に分裂した。帰謬論証派は、「空」でないと前提すると矛盾することを示すことで、帰納法的に「空」を論証する。自立論証派は、唯識派のディグナーガ(陳那)が作った論理学を使って、「空」を直接的に論証しようとした。
五世紀頃になると、ブッダパーリタが登場し、『中論』の註釈(『ブッダパーリタ註』)を行ったが、彼は帰謬論証によって『中論』の思想を基礎づけようした。六世紀になると、ディクナーガらによって仏教論理学や認識論が確立された。この成果を受け入れてバーヴィヴェーカが定言的推論によって中観派の思想を論証しようとした。また、ブッダパーリタによる帰謬論証による中観思想を批判した。この立場が自立論証派である。バーヴィヴェーカの著書には、『中論』の註釈である『般若灯論』、『中観心論』、『大乗掌珍論』、『異部分派解説』などがある。
七世紀になると、チャンドラキールティが登場し、バーヴィヴェーカらによる定言的推論による中観思想の論証を批判し、中観思想を論証し得るのは帰謬論証のみであると主張した。彼には『明句』、『入中論』などの著書がある。
同時代にアヴァロータヴラタがいるが、彼は自立論証派の立場から、バーヴィヴェーカの『般若灯論』の優れた註釈を書いている。
後期中観思想
また、八世紀以降の後期中観派では、中期までは唯識派に対抗意識を有していたが、中観派は唯識派に接近し、かつ中観派に統合しようする動きが見られる様になった。そのため、この時期の中観派は瑜伽行中観派とも呼ばれる。
八世紀に活躍したシャーンタラクシタは三蔵玄奘も留学したナーランダー寺院の学僧であるが、チベット布教にも貢献する。その著書の『真実綱要』の中で仏教以外のインドの諸思想、アビダルマなどを批判するとともに、唯識派の外界実在論批判に同調、『中観荘厳論』でも仏教内外の諸思想を批判したが、唯識派を称揚しつつ、だが中観派の教法を最高として位置づけた。彼は中観派の中でも自立論証派の立場に立っていたので、チベット仏教はその影響下にある。
シャーンタラクシタの高弟のカマラシーラは師の『真実綱要』や『中観荘厳論』などを註釈するとともに、チベットに赴いた際に仏教入門書である『修習次第』を著した。その中でその当時のチベットで流行していた中国禅宗の頓悟説を批判して修行と教学の階梯の重視を主張した。
同時代のヴィムクティセーナも自立論証派の人で、唯識派の伝説的始祖であるマイトレーヤ(弥勒)の著とされる『現観荘厳論』の註釈を著している。九世紀のハリバドラはヴィムクティセーナの弟子と言われ、彼も『現観荘厳論』の註釈を行っているが、その中で説一切有部、経量部、唯識派を批判して無自性を論証し、中観派を最高の教法としている。
十世紀頃になると、ヴィクラマシーラ寺院の学僧にジターリが登場し、彼はその著『善逝宗義分別』の中で説一切有部、経量部、唯識派、中観派といったインド仏教の四大学派を紹介解説し、その中で中観派を最高と位置づけているまた十世紀から十一世紀にかけてラトナーカラシャーンティが『般若波羅蜜多論』を著して形象虚偽論系唯識論を完成させるとともに、唯識派と中観派の一致を称えた。
さらに、チベットにも中観派の教えが伝えられツォンカパ(1357-1419年)などに継承されている。現在のダライ・ラマ十四世も中観帰謬論証派の系譜に属している。
4.おわりに
だが、無我と輪廻説は初期・中期仏教の大きな教義基礎でもあるが、矛盾し、両立を説明するのが困難とされる。輪廻説は、死にも滅することがない永遠不変の実体を認めずして成立し得るか。アートマン(我)を否定して輪廻説、つまり仏教の基本教義は成り立つのか。中観派は輪廻する実体を否定し、唯識派は、アーラヤ識のなかの種子という実体的観念(刹那滅であり実体でないと論じるが)の採用により、これを解決しようとしたが、仏教思想史は、結局、この問題の完全解決を得ることはなかったようである。
つまり、中観派の無自性、無我の立場からは、この輪廻の矛盾を説明するのは困難ではないのか。つまり存在論、あえて言えば宗教の最大テーマである魂の存在である。最近では、宮元啓一の無我ではなく「非我説」もあるが、これは以後の学習課題である。
-
最近の投稿
- 人生の総量 拡大式 2020年9月7日
- 人生の総量 2020年8月25日
- かもめの水兵さん 2020年8月19日
- エミ 2020年8月18日
- お婆さんギター 2019年3月24日
- 溜息がとまらない 2019年3月15日
- 南京中央国術館式 2019年2月3日
- 2019年元旦鴨川河原から日の出を見る 2019年1月2日
- R先生に届けた大晦日 2018年12月31日
- 歳末三日間の記 2018年12月30日
- 道徳感情論とアメリカファースト 2018年12月4日
- 長寿者はけんかをしない 2018年12月3日
- 座頭市地獄旅をみてた夜 2018年11月9日
- Vナボコフ 2018年10月23日
- さまざまな書評 2018年10月12日
- 岡山の君の老化防止と慢性病改善に! 2018年10月3日
- やっと太極拳に腑が落ちた 2018年9月30日
- それでも子亀は金利が気になる 2018年9月18日
- 時間待ちの図書館で 2018年8月24日
- 自分は百歳を超えたという 2018年8月8日
- 数息観の成立 2018年7月21日
- 瞑想し扁桃体を止滅せしめよ 2018年5月18日
- ミック・ジャガーに敬礼する 2016年12月11日
- 出雲駅伝の頃に 2016年12月5日
- 力を抜くことで力を出す、詠春拳 2016年12月4日
- 扁桃体至上主義 番外編 2016年11月28日
- 女だけが掌握している世界らしい 2016年11月20日
- 自爆する若者たち、ユース・バルジ 2016年11月17日
- 扁桃体至上主義 その10 2016年11月16日
- 扁桃体至上主義 その9 2016年11月15日
- 扁桃体至上主義 その8 2016年11月15日
- 扁桃体史上主義 その7 2016年11月14日
- 偏桃体至上主義 その6 2016年11月14日
- 偏桃体至上主義 その5 2016年11月14日
- 扁桃体至上主義 その4 2016年11月13日
- 扁桃体至上主義 その3 2016年11月12日
- 扁桃体史上主義 その2 2016年11月10日
- 扁桃体至上主義 その1 2016年11月9日
- 上座部の瞑想をまなぶ 2016年9月20日
- プールサイドで輪廻、輪廻する 2016年9月19日
- 休んでくれ、わが脳よ、俺よ 2016年9月15日
- ウッダーラカ・アルーニとヤージニャヴルクヤのアートマン説 2016年9月13日
- サーンキヤ哲学における輪廻主体について 2016年9月12日
- バガヴァッド・ギーター 2016年9月12日
- 森山先生の大乗仏教講読セミナーに参加して 2016年8月6日
- 垢の効用について 2016年7月1日
- 日本浄土教の成り立ち 2016年6月24日
- 中国浄土教の教義の特色について 2016年5月24日
- 大乗思想史 中観 2015年12月2日
- 英語を習う 2015年8月9日
- 中観思想と唯識思想の相違点を整理する 2015年7月21日
- インド哲学を整理する 2015年7月20日
- 朝鮮仏教史、高句麗・百済・新羅の仏教伝来 2015年1月5日
- さまざまな My way 2014年12月22日
- 幸せホルモンか 2014年11月19日
- あちらこちらに秋の風、いづこも同じか 2014年10月31日
- 「空」ですよ、「空」 2014年10月21日
- 四苦にため息するより、ユダヤ移民のように 2014年9月28日
- 隣席の元総領事 2014年9月21日
- タイだなあ 2014年9月13日
- 中国の浄土教 2014年9月1日
- 中国への仏教初伝をコンテクスト論でながめる 2014年8月31日
- 学習ノート2 何度も「誤読」するインドの方々 2014年8月28日
- 学習ノート1 「誤読」するインドの方々と「空」について 2014年8月27日
- つぎは大乗仏教を 2014年8月25日
- 2500年前のインド世界にて 2014年8月23日
- 2500年前のインド世界にて 2014年8月23日
- 原始仏教の特色について 2014年8月22日
- 日本の浄土教 2014年8月15日
- 新自由主義の破綻 2014年6月3日
- 学校英語を再学習する 2014年3月22日
- 微笑みの国の騒乱 2013年12月22日
- 運の研究 2013年9月22日
- 田中真紀子研究 2013年9月16日
- 性の外部経済 2013年7月16日
- ジャック・ドーシー 2013年7月3日
- 農業だよ、農業 2013年6月30日
- それがいつ来るのか 2013年6月16日
- 言葉をつくって頭を整理する 2013年6月15日
- コンスピラシーとメスアップ 2013年5月30日
- 利子率革命 2013年5月26日
- 経済のお勉強 その3 2013年5月24日
- 経済のお勉強 その2 2013年5月22日
- 経済のお勉強 その1 2013年5月17日
- 拝啓 会長殿 2013年4月16日
- 借金も美徳となる 2013年3月29日
- 仕事の哲学を読む 2013年3月22日
- ダイソーの矢野氏 2013年2月22日
- インパールなのだろうか 2013年1月22日
- アベノミクスだとか 2012年12月15日
- シニア市場の拡大と経済の衰退 2012年10月29日
- おカアさんもつらいよ 2012年10月26日
- 熟睡できないなあ 2012年10月22日
- アルカイダを読む 2012年10月22日
- 2050年の世界 2012年10月15日
- 仕事の哲学を読む 2012年10月10日
- オリンピック観戦を整理する 2012年9月28日
- 人生の四つの時期 2012年9月22日
- 愛に満ちた家庭 2012年9月22日
- 漁父の利ですね 2012年9月22日
- 英人社長に何が起こったか? 2012年9月19日
- リデルハートを読む 2012年9月9日
- タイ投資委員会セミナーに参加する 2012年9月5日
- グループホームに叔母を見舞う 2012年8月20日
- 自分を語るということ 2012年8月15日
- チャムたちを連れて 2012年5月25日
- 市信金のアンケート調査 2012年4月22日
- リデルハートを読む 2012年3月22日
- 株式会社と医療サービス 2011年11月26日
- ラオスを旅する 2011年6月15日
- 東北大震災の最中に買出しをする 2011年4月15日
- ローレンツ ソロモンの指輪 再読 2011年2月16日
- P・F・ドラッカー「傍観者の時代」 2011年1月23日
- 国境の街で 2010年11月1日
- 新しいホーム 2010年10月4日
- ベトナムの男 2010年8月9日
- タイ投資委員会セミナーに参加する 2010年7月10日
- ブッダのことば スッタニパータ 第一 蛇の章 より 2010年5月18日
- 自分を語るということ 2010年3月22日
- ローレンツ ソロモンの指輪 再読 2009年11月22日
- P・F・ドラッカー「傍観者の時代」 2009年3月15日
- 石原莞爾 最終戦争論 2009年1月24日
- 株式会社と医療サービス 2009年1月15日
- タイの高原 2008年9月22日
- 思えば遠くへ来たもんだ 2008年8月9日
- ボーイズライフ 2008年5月18日
メタ情報