2500年前のインド世界にて

朝、バンコクのホテルのトイレでふと思いついて、ソイ11の小さなホテル一階のレストランで、昼飯までテーブルで書き続けた。テーマは、 古代インドでの思想・宗教革命についてである。

1. 大きくかわるインド世界の精神
インド思想史を概観するかぎり、ゴータマ・ブッダ以前と以後では大きな変化がある。バラモン的世界観から一変して、アショーカ王の時代には仏教が国教となるような、大きな宗教的・思想的な断絶と変化が生じている。それもインド内部の変化によってである。
科学史家のクーン(Thomas S. Kuhn)は『科学革命の構造』でいわゆるパラダイム論を述べるのだが、これは科学史にかぎらず、科学・思想・産業・経済など、さまざまな分野で用いられる思考方法である。パラダイム(paradigm)とは、ある時代や分野において支配的規範となる「物の見方や捉え方」のことである。天動説や地動説に見られるような「ある時代を牽引するような、規範的考え方」をさす。このような規範的考え方は、時代の変遷につれて革命的・非連続的な変化を起こす事があり(=天動説から地動説への変化など)、この変化をパラダイムシフトと呼ぶ。
まず第 1 に旧パラダイムは、ある時代や分野において「多くの人に共有されて、支配的な規範として機能」する。また第 2 に、それでは説明のつかない変則事例や時代の変化が生じる。そこで第 3 に科学革命が起こり、新しい事態を説明し得る新パラダイムが生まれるが、それをパラダイムシフトと呼ぶ。これは時に「革命的で非連続的な交代」を遂げることがある。以上のような特徴を持つ。
まず第 1に、農業が中心であったバラモン的世界観(パラダイム)の古代インド世界において、また第 2に、商業などの発展とともに社会の変質がおこり、意識や権力構造の変化も生じ、もはや旧パラダイムでは包摂できない時代変化(危機・変則事例)が生じ、そこで第 3 に、新しい時代の変化に対応しうる世界観(パラダイム)として原始仏教が成立した、と当てはめて考えることは、充分に許されるだろう。
以下、トマス・クーンの革命理論、パラダイムシフト論に即して、バラモン教から仏教へのパラダイムシフトを整理する。
2.古代インドの正統思想と宗教
第 1の旧パラダイムは何かについてみれば、バラモン教であろうが、パラダイム論からすれば、まずバラモン教の成立した土壌を見る必要があるだろう。
そして、インドは昔も今もカーストの世界である。これをサンスクリット語ではヴァルナ(色)と呼ぶが、アリーリア人がインドを征服した際に、肌の色の違う先住のインド人を奴隷化したのが起源とされる。色差別である。この後、このアーリア人を頂点として、バラモン(祭祀者)・クシャトリア(王族)・ヴァイシャ(商工業者)・シュードラ(隷属民)の四階級、四姓制度が確立し、その後のインド社会の基礎をつくる。これは生まれつき決定づけられたものであり、現世では絶対に変更できないものである。この社会の構造に上に、征服民の子孫であるバラモン階級により、バラモン教が唱えられる。いわば、バラモンによるバラモンのための宗教であり、他の階級にも、その階級支配の正統性を強制するものであった。
末木文美士『思想としての仏教入門』54頁以下によれば、原始仏教の思想を考えるには、当時のインドの思想状況を考えねばならないとして、「インドの古代の宗教思想は、雄大な宗教詩であるヴェーダ文献、とくにリグ・ヴェーダに始まるが、その後、哲学的にはウパニシャッドにおいて深められる。ブッダの出現する頃までに成立した古ウパニシャッドのもっとも重要な思想としては、業と輪廻の思想、およびアートマン(我)とブラフマン(梵)の一致の思想があげられる。業(カルマ)は我々の善悪のことで、それによって来世の境遇が決まる、という具合に無限に生死が続いていくのが輪廻(サンサーラ)である」と解説する。
バラモン教の教理では、輪廻とは車輪の回転のように、無限に生死をくり返すことであり、この世に生きるすべてのものは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるのであり、つまり霊魂は不滅で死後また生まれ変わるという考え方である。そこでは現世で善い業(カルマ)を積めば、次はシュードラでもバラモンに生まれ変わる可能性も示されるし、あいは教えに反して悪い業(カルマ)を積めば、畜生、地獄の世界に生まれ変わることになる。
そして、さらには、この無限に生死を繰り返す輪廻の苦しみから離脱するには、アートマンとブラフマンの一致、梵我一如を体得することが必要だと説くのである。
このような征服者であるアリーリア人すなわちバラモン階級の組み立てた階級支配正当化の宗教を、古代インドのまだ農業が中心であった世界は、その支配的宗教思想としていたのだが、それがゴータマ・ブッダ以前の世界・宇宙観、旧パラダイムである。
3.時代のプロテスト者たち
つぎにパラダイム理論の第2の段階であるが、やがて農業中心の社会から商工業が発展する社会へとインドは変わる。交易が活発化し、都市国家が発展し、時代や経済の仕組みが変われば、古い体制や思想は否定される、あるいは変革を迫られることになる。末木前掲書172頁は「仏教が形成された紀元前五~四世紀の都市国家時代から、その後のマウリア朝時代は、比較的カーストの制約が緩んだ時代」だと述べる。バラモン階級支配の時代から、クシャトリア(王族)やヴァイシャ(商工業者)に経済的実権、社会の支配力が移行した時代であり、ゴータマ・ブッダも同時期のジャイナ教の教祖も、クシャトリアの出身である。また商工業の発達は、新しい知識階層を生み出すことにもなる。
となると、農業時代の、バラモン階級のための階級支配正当化の宗教でもあるバラモン教、すなわち旧パラダイムを否定する新思潮が生まれるのは必然である。末木前掲書55頁以下は、「ブッダ出現当時には、都市国家の出現とともにさまざまな自由思想が出現し、異端的な思想家たちが活躍していた。仏教側の資料によると、その中の主要な思想家が六人いたといい、六師外道と呼ぶ。彼らはヴェーダの権威を否定し、業と輪廻の説やアートマンとブラフマンの説に疑問を呈し、あたかもギリシャのソフィストたちのようにさまざまな説を唱えた。ブッダも大きな視点からみれば、このような異端的な自由思想家の最大の一人である」と述べる。彼らは沙門、シャモンと総称される。
水野弘元『仏教の基礎知識』22頁以下によれば、正統なバラモンではない非正統シャモンの学説は、「いずれかといえば物質や肉体に中心をおき、精神もこれを物質的に考える場合が多い。この点から六師などの非正統説は唯物論的なものと見ることができる」と解説する。たとえば、宇宙・人生の究極の存在は物質としての地・水・火・風の四元素だけであり心とか霊魂とかは、この肉体の現れる仮の存在に過ぎないという断滅論とかである。正統派のバラモンは、精神的生命実体としてのブラフマン(梵)がすべての現象の生滅変化の原因(転変説)とするが、非正統派のシャモンの思考には、諸要素の離合集散により現象の生滅変化が起こるとする積集説(しゃくじゅうせつ)が見られる。水野前掲書26頁では、このシャモンたちの思考を概説して「仏教以外のインドの宗教や哲学では、すべて不生不滅の本体を問題として、種々な学説を立てていた」とする。転変説もそうであり、積集説もそうである。つまり、ゴータマ・ブッダの思考は、バラモン教を否定するだけでなく、当時の自由思想家つまりシャモンとも異なり、不生不滅の本体(バラモン教ならアートマンなど)が存在するか、しないかについて一線を画していたのである。
4.心の科学としての根本仏教
パラダイム論からみれば、この第2の、旧パラダイム崩壊後のさまざまな危機・変則事例の次に、科学革命、第3段階の新パラダイムへのシフトが起こることになるが、
前述の水野の「仏教以外のインドの宗教や哲学では、すべて不生不滅の本体を問題として、種々な学説を立てていた」のように、つまるところどのシャモンも、物質にせよ精神にせよ、バラモン教のアートマン(我)のように、それが実体的に存在することを前提としていた。しかし、ゴータマ・ブッダは、それをも否定する。それが縁起と無我(アンアートマン)の思想である。これが後に発展して大乗仏教では「空」の思想となるが、ゴータマ・ブッダの教理は他のシャモンたちとは全く異なり、直感的な言説や証明されない思いつきではなく、合理的で緻密な論理構造を持つ。宗教者のインスピレーションによる教説ではなく、哲学的な論理体系を持つことになる。これはインド思想史上ではじめて提示された宗教的・哲学的な論理構造であろう。説得力のある画期的なものであり、それゆえに同時代において圧倒的に受け入れられ、後に一つの世界宗教へと展開することになった。
まず、原始仏教においては、三法印の原理を提示する。これは他のシャモンたちのように地とか水のような実体のある元素概念ではなく、思考方法、世界観、ダルマ(法)であり、哲学的概念である。ゴータマ・ブッダの教理は、すべてそのような哲学概念あるいは認識の方法論で組み立てられている。神秘主義や絶対神や宇宙神は措定しない。合理と論理に徹されている。
そして「無記」の立場と伝えられるように、そのテーマはあくまで「人の心はどう動くのか、人はどう生きるべきか、どう世の中を見るべきなのか」に限定されており、死後世界や魂の実存などの形而上的問題に対しては、論ずることすら禁止されている。テーマは、今を生きる人間の「心」であり、ある意味ゴータマ・ブッタの行ったことは「心の科学」を極めることだとも印象する。
そしてそれは、初期仏教経典『ダンマパダ』の、
277 一切のつくられたものは無常である。
278 一切のつくられたものは苦である。
279 一切のものは無我である。
すなわち、諸行無常、一切皆苦、諸法無我の原始仏教での三法印の教えに行く着くことになる。これらの初期仏典の教える範囲内が、ゴータマ・ブッダの、すなわち原始仏教の思想であったと思われる。
三枝充よし『インド仏教思想史』によれば、初期仏教の法の大部分は「苦」からはじまっているとして、そして同書51頁以下では、「この立場に即して眺めるならば、まず苦の問題が生じる。それはふり返って、自己(我)の問題に発展する。自己を見つめていくと、心の問題が生じる。また自己のあり方の問題も生ずる。同時に、自己と他人との問題が生じる。このあとの二つの問題から、因果関係(縁起)の問題が生ずる。さらに最高の真理(諦)となるべきは何かの問題が生じる。自己やもののありかた(法)の問題も生ずる。実践の指針(中道・八正道)の問題も生じてくる」と説明する。
また、水野弘元は前掲書第八章「十二縁起」において、「四法印を基礎として構成された学説が縁起説である。縁起説は原始仏教以来、部派仏教(小乗仏教)、大乗仏教のすべてを通じて、その根本教理をなすものということができる」と断じている。縁起説は仏教の中心思想であり、「縁起とは現象の動きのあり方を正しく見るものである」と述べる。後に部派仏教において、それをさらに体系化したのが十二縁起である。末木前掲書60頁以下では、「現象世界の問題を、超越的な原理を持ち出さず、現象世界の枠の中で説明する理論が縁起説で、これもまた仏教の特徴的な説である」と述べる。原始仏教は、ある意味ではフロイトに通じる科学なのである。
その縁起の探求から、では最高の真理(諦)は何かという発問が生じる。それが四諦説として教えられる。四諦説は、苦・集・滅・道の四つ諦である。最初の二つは煩悩の生じる原因をしめす流転縁起であり、後の二つは煩悩からの解放の道をしめす還滅縁起である。三法印を出発点として、この十二縁起と四諦説の実践が「悟りへの道」となる。そこには一切の神秘主義は無い。天国も地獄も神の罰も無い。ただ人間の心の働きへの観察と論理があるだけである。バートランド・ラッセル的にいえば、「宗教から科学へ」である。
5.おわりに
トマス・クーンの科学革命の理論を援用すれば、これは宗教革命と呼ばれるべきものだろう。したがってゴータマ・ブッダは思想における革命家ということになる。旧パラダイムへの反逆者である。末木前掲書55頁は「仏教は後世のインドの哲学者たちからは、強力な異端的宗教思想としてみられ続けた」と述べるが、そのとおりであろう。
また社会学のコンフリクト理論やマルクスの階級闘争理論を援用すれば、これはバラモン階級支配によるカースト体制へのプロテストである。末木前掲書172頁以下では、都市国家が興隆した当時は比較的カースト制が緩んだ時期であるが、「そうした時代に形成された思想の中でも、特に仏教は、階級に対してラディカルな態度をとった」と解説する。『スッタ・ニパータ』に中には「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンになるのではない。行為によって、賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」と、明確に、生まれによる身分の差別を批判し、その人が何をするかという行為こそが重要であるとの視点を提示している。またゴータマ・ブッダの教団の中では、カーストによる差別は一切なかったとされる。
やがて後世になり、仏教はインドにおいて消滅するが、ゴータマ・ブッダは、なんとヒンズー教においてシヴァ神の第九の化身として、ヒンズーの神として取り込まれることになる。だが、悪い教えを世にまきちらしたあまり良ろしくない神としてである。また逆に、現代のインドにおいて、カーストによる差別に苦しむ不可触民のアンベードカル(1891~1956)は、カーストを否定し、平等な立場から自由な信仰が許される宗教として、長い間断絶していた仏教を復活させる運動をはじめた。トマス・クーンの科学革命の立場からは、ゴータマ・ブッダは宗教・思想における革命家となるが、この階級闘争の立場からは、異端の社会革命家ということになる、と言えるのだろうか。
さて、昼飯を食べよう。まあ、これがインド仏教史のながれであろう。
8月 23, 2014. Edit

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