お婆さんギター

独り暮らしにギターはあうらしい。
二胡もやりながら昨年からウクレレとギターをはじめている。 音もだが、楽器の美術的工芸性にも素敵感がある。二胡のしっとり感もよいが、ギターはよく女体に例えられる。ウクレレを膝に抱くと猫を抱いている気分になる。時折、ベッドでひき、となりにおいたまま眠る。これは、もう愛人ではないか。

ファミリーを点呼すると、まず会社にエレガトが一台、自宅に西野春平、ヤマハ、マーチンのドレッドノートとトラベルギター、バンジョーギター、フラットマンドリン、ウクレレ、ギタレレ、二胡がある。
京都にヤマハのギターとカマカのウクレレ、二胡をおいていたが、よくいく京都のワタナベ楽器でつい八弦のウクレレと田中清人の中古品を買う。 八弦ウクレレを買ったのは、マリオ高田氏の影響だろう。真似である。田中清人を買ったのは、おそらく何でもいいから、むしょうに金を使いたかったのだろう。

ワタナベ楽器の案内では、「忠実に19世紀のギターを再現した名品」とある。
モダンなスタイルのギターです。 スプルーストップ、ローズウッドサイド&バック。 スリムなボディシェイプや極細のフレットなど19世紀のモダンな空気を演出します。 かなり丁寧な作りで高級品であることが伺えます。 サウンドホールの中には前オーナーさんが名前を書いています。 ハードケース内部も前オーナーさんの名前が書かれています。 田中清人さんはバロックギターやビウエラ、フィドルなど個性的な作品を世に送り出しています。 前オーナーさんが購入された価格は¥600,000-だそうです。

のりこ婆さん

田中氏のHPでの19世紀のギターの解説は、以下のとおり。
19世紀のギターは、楽器の構造上およそ20年毎に四つの時期に分けられます。 バロック時代からの流れを引いた1800年~1820年(19世紀初頭)、 黄金時代を迎えた1820年~1840年、次第に火が消えていく1840年~1860年、そしてその後のトーレスの時代。 これらそれぞれの時期により、ギターが使われた環境が違います。 言い方を代えれば求められた楽器の反応、つまり音が違っていた。この違いは弦の張力に反映し、そうすると自ずと楽器の構造にも影響しました。このことは、ヴァイオリン族の楽器と同様の道筋を辿ったと云えます。

1800年~1820年はバロック・ギターの雰囲気が残っていて、楽器は軽めで表板と裏板の強度はそれほど違いがありません。弦の張力も弱めでした。 音はリュートやバロック・ギターと同様に打ち上げ花火のように上方に飛んでいく感じです。

1820年~1840年は市民革命の影響で、音楽が王侯貴族のものから一般市民の ものへとなり、広いサロンやコンサート・ホールでギターが演奏されるようになりました。 演奏形態もソロだけではなく他の楽器(ピアノ、弦楽器、ハープ、木管フルート)との合奏も盛んに行われました。そうすると、当然ギターの音に力強さ、音量が求められ、 弦の張力が強くなっていきました。それに伴い、表板が厚めになっていき、それをはね返す裏板はさらに強度を増していきました。 音は平行かやや上方に飛んでいく感じです。

1840年~1860年のギターは、柔らかくふっくらとした音が好まれたようで、そのことを反映してか、表板の強度が弱められたものが多く見られます。 中には1820年~1840年のギターの補強材が1本抜かれたり、表板を薄く削ったりされたものも見られます。弦の張力はそれほど変わらなかったようです。 音はやや下方に広がるように飛んでいきます。

そして1860年代以降のトーレスの時代は、少人数の狭い空間でギターの音の微妙なニュアンスを楽しむことが多かったようです。それに伴いギターの板厚が全体に薄くなり、ボディが大型化されました。そうすると反応がやや鈍くなりますが、深い低音になり、 音の微妙な味わいが出易くなります。音は下方に飛び散るように広がっていきます。

ギターを演奏する空間は100席から500席ほどの演奏ホールが適していますが、 こういった空間では、19世紀ギターの方が楽器の性能は優れています。これらのホールでは、現代のギターは10列目の席くらいまではボリュームのある音が聞えてきますが、それ以上後方になると 19世紀ギターの方が音の遠達性は遥かに優れています。 現在の、いわゆる19世紀ギター(Romantic Guitar)は1800年初頭から1850年代までを範疇に含めています。トーレスは現代スタイルの祖ということで、19世紀ギターの範疇には含めないのが一般的です。
これら19世紀ギターは、タイプにより音がかなり違います。フランスのミルクール地方は楽器作りの長い伝統があり、ギターも作られていました。音は木管楽器のようです。ラコートはミルクール出身で、後にパリで工房を構え、スケールの大きな音作りをしました。そのラコートと一緒の工房でギター作りをしていたらしいラプレヴォットは、 写真をご覧のように数十年後のアールヌーヴォを先取りしていたかのようなフォルムです。 音は19世紀の他のギターにはない独特の反応をし、タイトで音の分離がすばらしく、他に類を見ません。ルイ・パノルモは当時ヨーロッパで流行したスペイン趣味をギターに取り入れました。音は現代のギターに近く、スペインの土の香りがします。トーレスが考案したとされる表面板の扇状の補強材はトーレス以前からスペインには存在し、ルイ・パノルモも1830年前後に採用しています。また、ルイ・パノルモやラコートはトーレスの大型の ボディと同じ大きさのボディのものも製作していました(これは現存しています)。また、イタリアの楽器製作家一族であるガダニーニの工房で作られていたギターは、1830年代から大型のものが作られていました。ですから、一般的に云われているように、ギターを大型化したのはトーレスではないのです。また先に述べたように、ギターという楽器の使われ方も、パノルモが活躍していた1830年代とトーレスの時代(1860年代)は全くと云っていいほど違っていました。

19世紀の標準ピッチについてはこちらを参照していただくとお分りのように、演奏目的、地域、時期により様々でした。18世紀になってオーケストラの大規模な編成が日常化し、また音楽家の活動範囲が広がり、活動の多様性が複雑になっていくに連れ、統一ピッチの必要性が高まっていったようです。そういった背景を受け、1752年にはクヴァンツにより統一ピッチの提案が出されています。推奨されているピッチはA=415~422で、これは1820年頃まで使われたようですが、それが浸透するまでには至らなかったようです。その後、優れたソリストが広く活動するようになり、高めのピッチが好まれ、1820年以降ますます統一ピッチの必要性が求められ、1858年から59年にかけてパリで統一ピッチに関する会議が開かれました。 結果、A=435が採択されました。これは当時の様々なピッチの中間値でありました。A=440は1939年のロンドン会議で決められたということですが、現在ではA=442が標準的に使われることが多いようです。

わたしが昨夕、発作的に買った古い田中清人ギターには、サウンドホールの中とケースに Noirko Nanba のサインがあった。なんばのりこさんか。そのギターを引き継いだ。筐体もすっかり枯れていてやさしい響きを出す。フレットが低いせいか、指もそう痛くない。からだも小ぶりである。女性は若いほうが良いが、ギターはお婆さんが良いのだろう。京都の愛人として聖護院マンションにかこおうじゃないか。のりこと命名しよう。のりこ婆さん。

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