熟睡できないなあ

 眠れない夜に、ビル・エモット氏の「日はまた沈む」を読みながら、あるページに目が留まり付いた。1983年に当時の中曽根首相がワシントンを訪れたときに、「日本の役割を西側諸国にとっての太平洋の不沈空母になることだ」と述べた記述だ。日本列島はソ連沿岸と向かい合っており、アメリカに対するキューバと同じ位置にある。アメリカ第五空軍の基地でもあり、日本の航空自衛隊もその指揮下にある。日本に帰って非難されても、中曽根首相は「不沈空母」発言を取り消さなかった。中曽根首相は、旧海軍の主計将校あがりである。敗戦の濃いころ、日本は南の島々に航空基地を設け、これを「不沈空母」と呼んだ。島を守るのではない。そこを捨石として、日本本土を守るのである。その島など、どうでもよいのだ。その海軍時代の延長で、素直にこの言葉が出たのだろう。

 そういうことだ。これが安保条約の本質なのだ。要するに盾なのだ。どこかの。しかし、旧ソ連は崩壊し、今のアメリカの仮想敵国は中国である。オバマ大統領のアジアに回帰するという声明の実際は、経済面だけではなく、中国を仮想敵国とすると同義であると軍事評論家たちは言う。今は中国なのだ。その新しい役目の不沈空母が、それだ。日本列島の役割である。中国はアメリカの軍事管制下におかれるのを避けるために、目下、軍備の大規模増強を行っている。これは自国をアジアの超大国たらしめる布石でもある。その軍備増強の柱のひとつに、核戦力の増強がある。アメリカとは量も質も比較にならないかも知れないが、宇宙に人を送れるロケット技術があり、アメリカ本土を射程に入れる核ミサイル群を持つ。

 それに対してアメリカは、中国の核戦力を封じ込めるために、TMD(本土戦域ミサイル防衛構想)を用意する。TMDは、湾岸戦争におけるイラクのミサイル、北朝鮮の長距離ミサイルによる攻撃に対するものと言われつづけた。だが、それは表面上のことで、北朝鮮程度に対する規模ではない。あれは、世間向けのアナウンスに過ぎない。アメリカは、中国の周辺諸国にTMDを配置して、中国の核ミサイルがアメリカ周辺に飛来する前に、撃ち落す構想を持つのである。TMDは、まず監視衛星を配備する。衛星が発射を確認し、追尾する。その情報にもとづき、陸上あるいは海上に配備された各種迎撃ミサイルから適切なものを選び、相手ミサイルを迎撃させるのである。
 TMD開発においては、日本にも多額の開発負担金を出させ、完成したミサイルは日本も購入する。地球儀を見ればわかるように、中国から発射された核ミサイルは、日本列島を通過してアメリカ本土に飛行する。日本に配備してある、あるいは近海のアメリカ艦船から、迎撃ミサイルを発射する。ともかく、日本列島は、中国からの核攻撃からアメリカを防衛する第一線、すなわち不沈空母なのである。これは、日本列島のしめる地勢の宿命である。

 TMDはNMD構想に発展したが、さかんに実験が行われた。そしてイージス艦船を含むミサイル群の日本配備が、日本の自主防衛努力の一環という形で進められる。なぜ、アメリカはTMDやNMDの舞台として日本を選ぶのか?
 第一に、弾道学である。核ミサイルの速度はマッハ10くらいになる。この高速で飛来するミサイルの撃破は困難である。だがICBMは、ふつう三段ロケットである。発射後の初速は遅い。発射後まもなく通過する日本列島の上空か周辺で、速度がそれほど大きくないうちに迎撃するほうが、命中精度がはるかに良いとされる。そこで捕捉できなかったミサイルをアメリカ本土付近で迎撃すれば、より堅固な二段階のミサイル防衛網が可能になるわけだ。
 第二は、死の灰である。核ミサイルの迎撃に成功しても、もし核弾頭部に迎撃ミサイルが命中すれば、場合によっては核の空中爆発が生じる。その場合に、地表との距離が十分であれば、ある程度は爆発時の放射熱核エネルギーによる破壊は免れるとしても、爆発による「死の灰」が落下するのは避けられない。この被害をアメリカ本土で受けるのを極力減らすには、日本列島で迎撃するのが一番良いのである。
日米同盟の強化とか、集団自衛権の拡大などと、日米共同パートナーなどと浮かれていてると、アメリカの「核の盾」として利用し尽くされることになる。不沈空母としてである。

 以上は、格別の情報をもっていない市井の一人の想像である。しかし、書いて整理しながら、ううむと、うなりだしたい気分になる。かっての地政学的発想からすれば、大陸勢力と海洋勢力の角遂の歴史のなかで、その衝突点は半島とされていた。朝鮮半島が米ソの、つまりソ連・中国という大陸勢力と、アメリカという海洋勢力との衝突点として、代理戦争の戦場となったようにである。クリミア半島も、バルカン半島も、しかりである。しかし、核ミサイルの時代では、列島も、その衝突点になるということか。
 米中が、21世紀のただ二つのスーパーパワーになるとすれば、日本は大陸勢力にはなりえない。海洋勢力たるアメリカに従属するしかない。とすれば、米中の、新海洋・大陸両勢力角遂の緩衝地帯として、不沈空母になるしかない地政学的宿命ということか。日本上空の航空管制も、自衛隊の指揮権も事実上アメリカが持つのであるから。また、カレル・ウォルフレンが論じたように、おそらく日本の権力の中心は、空白である。政見をもつ政治家はいないし、マスコミについては、その耐えられない無存在について、エコノミスト誌も驚いている記事が何度もあった。ともあれ、このフレームから現在と近い将来が見てとれるのだろうか。このフレームから見ると、アメリカの尖閣列島における立場とあの手馴れた演技が、明瞭に理解できるような気がする。シナリオが明確なら役者も手際よく芝居ができるように、戦略が明確なら、上手な碁打ちのような手が迷わず打てる。戦略のない集団は、状況に右往左往するしかない。「想定外」という言葉を連発しながら、である。日本上空を米中の核ミサイルが飛び交う風景を、とうぜんのように死の灰が降ってくる光景を、誰か想像しているのだろうか。

 最近、孫崎亨氏の本をよく読む。読み続けて、その内容を信じるようになっている。領土問題に関しても、日米関係の本質についても、そして人物評についてもである。近著「アメリカに潰された政治家」では、氏は安保条約は占領軍が押し付けた不平等条約であるとして、アメリカは日本の利益など何も考えておらず、尖閣列島の日中紛争で最大の利益を得るのはアメリカだとする。かっての米ソ冷戦時代に、ソ連に対する不沈空母だった日本は、こんどは、みずから懇請して、中国の核戦力に対するアメリカ本土防衛の不沈空母になろうとしているわけだ。さらには、集団自衛権を主張する論議が活発になった。孫崎氏の別の本には、「ジャパン・ハンドラー」という表現がでるが、これは、どう翻訳すべきなのだろうか。

 アラビアンナイトのシェラザードの言葉ではないが、夜の沈潜した思考は、結論を暗澹たる方向に持ち込もうとするきらいがある。王様、朝は夜より知恵がでます、と考えて、さてお勉強もすんだし、寝るか。一人で納得した気になったから、一人で寝よう。

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