朝、車で高校二年の息子を学校までおくる。一時間かかる。雑談をする。将来どうするか、という話で、農業を選べとつよく薦める。農業から工業へと20世紀は流れたが、21世紀後半の花形の職業は間違いなく農業になると力説した。大学も農学を専攻したらどうかと。地球の人口は爆発的に膨張する。しかし地球資源は有限である。先進国が後進国から収奪的取引して資源と食料を得た時代は終わる。100億の人類が、みな食べだす。資源・食糧問題が、これからの大事なテーマになるぞ。そして食料を確保している人間が一番強い時代が来るぞ、農業が一番重要な仕事、ビジネスになる時代が来るぞ、と彼にいう。しかし、かるく流されてしまった。ラオスの話もする。知人がラオスで学校をつくりたいと言う。
ジム・ロジャースの『ストリート・スマート』を読む。エール大学を出て、オークスフォードに留学している。2010年にその母校で講義をしたらしい。有名な投資家を前にして、学生たちは、どうすれはシティやウォール街で成功できるか聞きたかったらしい。
「あなたのやってきたようなことをやりたいんです、そのためには何を勉強すべきでしょうか、と彼らは言った。哲学だ。それから歴史も。私がそう答えると、むこうは即座にこう返してきた。いえ違います。違うんです。ぼくらはシティで働きたい。僕らはリッチになりたいんです。もしそうなら、と私は答える。君らはシティなんかいちゃいけない。また落ちぶれる日も近いからね。金融の時代は終わったんだよ。これからは農業を勉強しなくちゃ。リッチになりたいなら、みんな農業をやりなさい…私はそうアドバイスした。……MBAを取るなど時間と金の無駄だ。金融業界は今、巨額の負債にあえいである。これまでの数十年とは違うのだ。……農学や鉱山学の学位を取ればよかったのだ。……しかし、金融より農業の方がはるかに働き甲斐のあるセクターになる日がいずれ訪れる。株式ブローカーがタクシーの運転手に転職する日が近い。いや、頭の切れる者なら農家でトラクターを運転するだろう。そして農家の人間はランボルギーニを運転するのだ。」
ジム・ロジャースは、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスとともに世界の三大投資家と称される。彼が未来の最も有望な職種として、若者に農業をすすめているのが実に興味深い。と言っても、彼の講演を聞いて、シティの金融マン志望から農業に変更したオックスフォード大生は、おそらく一人もいないと思うが。
人口の増加や資源の活用という点から見て、今「成長の限界」にあると思われる。中国経済がさらに膨大な石油、鉄鋼、食料資源を必要としているように、後進国、中進国の経済と生活レベルの向上は、必然的にさらに多量の資源を必要とする。限りある地球資源の争奪がすでに始まっているのである。世界の漁場は開発され尽くされ、世界の森林も伐採の限界に達している。水資源という面だけ見ても、もう中国は国内で必要な水が確保できない寸前まで来ているのではないか。世界の現状を支える資源がもう十分にはないのである。
現在70億人。あと20~30年すれば、さらに30億人もの人間が大量消費するようになる。資源の枯渇に拍車がかかるのは明らかである。これが国家間、集団間の暴力的な戦いにつながっていくのか。これは不安定要素である。直近においても、中国、インド、ブラジルその他の開発途上国が、先進国と同じレベルで機能しようとすると、資源の面から見ても世界はそれを支えきれないのは自明である。このような時代が確実に到来するのであるから、若者に農業を勧めるのは、大人の知恵である。今からやれば、将来に大きな金銭的収穫と家庭の安定と、人生の意味を得れるのは間違いない。終戦後の日本においても、高価な着物を米すこしと物々交換した。あれほど極端でなくても、あの時代が、また必ず来ると私も予測する。これはばずれないだろう。
すると、どのような農業の形、魅力的な形が組み立てられるか、若者でも興味をもつ形が組み立てられるかである。わたしのような山陰の農家の子で、苗代作り、田植え、草取り、消毒、稲刈りその他、子供のころに体験したものと、街で育った彼らとは、ずいぶんと感覚が違うのは当然であり、ビジネスとしての素晴らしさという形でしか説明できない。
数年前にラオスに行った。首都のビエンチャンは小さな小さな街だった。街を歩くと、日本式のラーメン屋、すし屋があった。韓国式の料理店も数軒あった。意外と美味しい。マッサージ店で横になっていると、ガヤガヤと男たちが入ってくる。韓国の会社員たちだった。ずいぶんと進出しているらしい。道路工事は中国資本であり、中国の重機が工事現場にならび、中国人がラオスの幹線道路の建設工事をしている。
タクシーをチャーターし、周辺をまわったのだが、農地のあちこちに大きな建物があり、そこに韓国文字がある。運転手さんに、あれは何かと質問する。すると、韓国企業が農業会社をつくり、ラオスで米や農作物をつくっていると言う。驚いた。アメリカなどとの通商交渉で、各国は農業においてかなり譲歩している。韓国の小規模労働集約型農業が、アメリカの大農法に勝てるわけがない。だが、そのかわり、このようにラオスなどで農地を確保し、農業会社をつくっているのである。先日のニュースにも、現代グループがシベリアで農業会社をつくり、シベリア開発を行っているというのがあった。ここなのである。日本も、これをしなければならない。半世紀以上前の山陰の田舎での農業ではない。このような企業としての農業が時代の要請だと確信する。資本と近代技術を投入し、十分に採算の合うビジネスモデルを構築することにより、それは成り立つのである。そして21世紀後半の花形ビジネスとなるのである。
日本ではだめだろう。もともと東南アジアと比較して、水も太陽も薄い。土地も高いし、人件費も高く、すでに労働を美徳とする文化も薄くなっている。アフリカは遠い。アラブやインドでは無理であろう。やはり東南アジアということになる。タイは外国人の土地所有をみとめない。ラオスは社会主義国であり、土地は国有だが、使用権が売買される。研究の余地はある。タイ語はすこし話せるが、ラオスはもともとはタイ王国領であり、タイ語が通じる。タイの東北弁くらいの感じである。日本の本州のひろさに600万人程度の人口だったか。山岳地帯がおおく、メコンデルタのような広い平野はなく、酸性土壌である。メコン河の反対側のタイのイサーン地方は、米栽培だが、土地の保水性がわるく農業困難地帯らしいが、ラオスはどうだろう?まだ焼畑農業が残っているらしいが。
考え出すと、深入りしそうである。しかし、骨を埋める気でないと、これはできる話ではない。いや、人間いたるところ青山あり。国境線など意味はない。それでもかまわないが、状況が許すだろうか。この土地で生まれたのは、何かの結果であって、私の選択ではない。しかし、次の場所は、自分で選べる。ただ農業は百年継続する必要があり、ここで自分の年齢を考える。はじめてもいないのに後継者問題であるから、世の中はむつかしい。そのため「法人」があるのだが。