今、バンコクにいる。せっせと英字新聞を読むが、電子辞書を引き引きである。Skypeでフィリピンの講師から英語レッスンを受けているが、会話の練習にはなっても英字新聞が読めるような真の英語力がつくわけではない。これはやはり、ちゃんとした文章を訳して、その時間を蓄積していくしかない。
3月19日の Nation紙の見出し。
Putin takes first steps for Russia to absorb Crimea
クリミア半島情勢も佳境である。ロイター、ブルームバーグなどの配信を参考に記事を構成しているのであろうが、小見出しは以下のとおり。
PRESIDENT IGNORES CONDEMNATIONERSIAL MOVE
モスクワの記者からの配信だが、タイの英字新聞は、この出来事をどう扱っているのか?
President Vladimir Putin yesterday took the first steps to absorb the Ukrainian region of Crimea into Russia, in what would mark the most significant redrawing of Europe’s borders since World War 2.
そうか、と思う。クリミア半島の帰属については、ロシア批難一色だが、あれはロシアでしょう。紀元前のスキタイ人やギリシャ人の時代から、ビザンチン領、18世紀までモンゴル系の汗の支配する時代がある。これはオスマントルコの属領にもなった。タタール、つまりモンゴル系の国である。1783年にエカチェリーナ2世は旧クリミア・ハン国を併合。1783年には黒海艦隊が設立。だが、このクリミア併合をきっかけに露土戦争 (1787年-1791年)が勃発。さらにナポレオン3世が1851年にフランスの実権を掌握すると、エルサレムをめぐる聖地管理問題でロシアと衝突し、 クリミア戦争(1853年から1856年)の舞台となる。ロシア革命後はソ連に帰属するが、1955年、大祖国防衛戦争勝利の10周年を機に、ニキータ・フルシチョフソ連共産党第一書記によってウクライナ融和策の一環として、あの陽気なフルシチョフおじさんの、ついのはずみでクリミア州がウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管された。
昨日の報道では、プーチン大統領は、クリミアはフルシチョフの誤りにより、まるでジャガイモが入った袋のようにウクライナに与えられたというのは、これ指す。つまり本来、クリミア半島とウクライナは何の関係もないというのである。たしかに歴史的にみれば、キエフの政府がクリミア半島を支配したことも領有した歴史的事実もない。ソ連時代のたんなる行政区画の変更が、そのまま、思いもしないソ連崩壊後に国境線化されただけであり、クリミアがロシア領かウクライナ領かといえば、それは歴史的にロシアであろう。
そのようなことは、クリミア戦争に参戦したフランス・イギリスは百も承知であろうし、また第二次大戦ではドイツ軍はソ連軍とこの地において激戦を展開している。クリミアの歴史は、ドイツ人も百も承知であろう。ウクライナとは何の関係もない。それどころか、多数のウクライナ人が反ソ連の軍を編成してドイツ軍の指揮下でパルチザン、ユダヤ人などの虐殺を行っている。キエフを中心とする勢力である。この問題でロシア人が引くはずはない。
しかし、百も承知のヨーロッパ諸国がアメリカに追随して制裁発動とは、やむを得ずにとはいえ、またなぜとは思っていた。歴史的には、欧米の主張は無理がある。だが、Nationtn 紙を読むと、そういうと考え方かと、すこし納得。第二次大戦後におけるはじめての国境線の変更、つまり戦後秩序への挑戦と解釈されているのだ。第二次大戦後の国境線については、たとえばドイツが東プロイセンなとの本来のドイツ領の回復について一言もしないように、動かしてはいけないという原則があるのだろう。その原則がEUなどを生み出したのだろう。それへの帝国主義的挑戦と理解されているのか。このような視点は、日本の新聞には見られない。単純にロシアが悪いの一色である。
ここだな。これが英語を学ぶ効用であり、最大の目的であるべきだなあ。1月の中旬にバンコクにいたが、反政府デモ騒ぎの真っ最中だった。日本の報道では危険きわまる大争乱のような書きぶりだったが、現地にいた私には平和なカーニバルにしか見えなかった。デモ行進に野次馬参加したが、じつに楽しいタウンウォッチングだった。サルトルが自分は毎朝おきるたびに脳みその骨を折るという趣旨をいっていたが、外国に行くことと、外国の新聞を読むことは、つまり自分の脳みその骨を折っていただく、という効用になる。これが英語を学ぶ効用の最大のものだ。1つの言語しか知らない人間の知性は、これは限界がある。ロシアフォルマリズムのいう言語の牢獄という思考は正しい。マザーランゲージだけで一生を終わるのは、知的存在としての人間の放棄だとも言えるかもしれない。ドメスティックなナショナリスト脳をつくるだけである。物事の一面しか理解・認識できない脳である。志賀直哉が戦争直後に日本語放棄論、日本語のもつ本質的性格がこの戦争を招来したと論じていたが、そういうことだろう。
そこで、冷や水だが、電子辞書を引き引き、他国の英字新聞を読む。テープレコーダーもCDもウォークマンもなかった団塊世代の英語力であるから、一ページ読むのも大変である。
経済欄の大見出しは以下のごとし。
End of emergency brings hope
Emergency というのは、高層ホテルの階段のドアなどに Emergency only と書かれているあれだな。電子辞書で引くと名詞であり、緊急事態とされている。この場合は、タイの首都圏に発令されている非常事態宣言と訳すべきだろう。それが今日、解除された。ツーリズムビジネスはタイの主要産業の一つであり、希望が運ばれてきた、か。それはご同慶のいたり。