扁桃体史上主義 その2

扁桃体至上主義のその2である。つまり、この私がこの年齢にいたるまで、いかに我が意に反したヘタをうちつづけたか、本心とは逆の支離滅裂をなして、いろいろなものをぶち壊しにし、そのくせ後悔をしつづけたのか、その解きほぐし、わが心の旅路である。なんでやのん?

心の、私の心の問題である。
だが昔なら、心の問題は魂、霊魂の問題であるから、いささか救いがあるが、今日では脳科学、唯物論的世界のテーマであり、死すべき、滅すべきものの世界であるから、これはなんとも寂しい限りである。脳細胞の死が、死である。この宇宙観には誰も堪え切れないだろう。だから、不死の思想としてのさまざまな宗教が、自然現象として成り立つのだが、この日本ではむつかしい。とくに左脳人間である私には。不幸なことだ。

ともかく、心とは自我意識とは、脳の働き、脳内ネットワークが統合された現象の一つのようだと脳科学者は言う。脳のこの部位はどうした、この部位はどうしたとか。おまえなど、存在しないと。ほんとうか? まるで2500年前の釈尊の時代の諸行無常、諸法無我のような寂し過ぎる話だ。今ここにいる私は、私が私であるという意識は、私のたまたまの脳内ネットワークが統合された架空の現象であり、私という自我意識は、それこそ唯識派の言うように、ただの瞬間の偶然の「識」の働きに過ぎないということになるのか。いやだなあ、悲しくて、たまらんなあ。このような思考は。私は存在しないのか?
心は、私が私であるという自我意識は、いつかは死滅する私の脳細胞の作用の結果なのか。とすれば、ここはひとつ、脳とその作用の仕組みが知りたいものだ。以下、私の心の旅路のためのお勉強である。私のヘタを打ち続けた人生の解きほぐしでもある。

脳と心と精神の問題は複雑である。まず、ポール・マクリーンの脳の三層構造説を復習しよう。
1.爬虫類脳(reptilian brain):最も古い脳器官、自律神経系の中枢である脳幹と大脳基底核より成り立つ。自己保全の目的の為に機能する。
2.旧哺乳類脳(paleomammalian brain):「海馬」、「帯状回」、「扁桃体」などの大脳辺縁系(limbic system)から成り立ち、快・不快の刺激と結びついた本能的情動や感情をつかさどる。種の保存の目的=生殖活動のための脳である。
3.新哺乳類脳(neomam-malian brain): 大脳新皮質の両半球(右脳・左脳)から成り立つ。言語機能と記憶・学習能力、創造的思考能力など高次脳機能の中枢である。

1.爬虫類脳である脳幹は生命の基本的な機能をつかさどる最も大切な部分で、赤ん坊は生まれたときからトカゲや蛇並みの機能はしっかり備えている。
2.旧哺乳類脳は動物脳とも呼ばれる。「扁桃体」は生まれたときから働いている不安、恐怖、情動をつかさどる器官である。「海馬」は記憶の中心であるが、この機能が成立するのは3歳以降らしい。
3.新哺乳類脳は人間脳とも呼ばれる。とくに大脳前頭葉の働き方であろう。

とくに心の働きで問題となるのは「扁桃体」である。まず外部からの情報は「扁桃体」に伝えられる。「扁桃体」は「海馬」と「側座核」をコントロールするとともに、視床下部、脳幹を通じて身体もコントロールする。恐怖時に身体が硬直し、心臓がはげしく動悸するようにである。

「扁桃体」からの心の情報は、種類により三方向に向かう。
記憶認識系の情報は「海馬」におくられる。「海馬」からは、側頭、頭頂、後頭の各連合野に出力される。
意志行動系の情報は「側座核」におくられ、前頭前野と各運動連合野に出力される。
愛情や憎しみなどの情動身体系は視床下部方向に向かう。「扁桃体」が破壊され、障害の影響が「扁桃体」支配下の視床下部に及ぶと、情動障害、激怒や飢え、性欲の異常、自律神経の失調などの症状が起きる。

目や耳から入ってきた感覚信号は、まず視床に届き、そこらかたった一つのシナプスで「扁桃体」に到達する。次に視床は、同じ信号を大脳新皮質にも送る。しかし、そのため、「扁桃体」は大脳新皮質が何層もの神経回路を通じて情報を吟味、認識して反応をはじめるより前に、すでに反応している。これが情動が理性より先に作動する現象、神経システムである。大脳新皮質が慎重に情報を分析・判断するより一瞬早く、「扁桃体」からの命令で、人は反射的に行動を起こす。これは生物としての瞬間的な危険回避システムでもあり、プラスの作用の場合もあるが、この回路はよく間違い、誤判断を起こす。これを「脳の誤作動」と呼ぶらしい。
だが、この「扁桃体」の言葉にならない情動こそ、心の本質だという意見もある。また「私」という意識、自我意識は「帯状回」のネットワークの瞬間の作用だという説もある。

また、そもそも脳には癖がある、らしい。
ハーバード大学の神経心理学者リック・ハンソン氏『Just One Thing』によれば、脳には悪い方向に考えるバイアスが組み込まれているという。進化の中で人類の祖先は棒(危険)を避け、人参(食糧)を追い求める生活を何百万年も続けてきた。生き延びるためには棒(危険)を避けることが、より差し迫った問題だった。

  • 脳は同じ強さであっても好ましい刺激より好ましくない刺激に強く反応する。
  • 人間を含めて動物は通常楽しみより痛みを早く学ぶ。
  • 痛ましい経験は楽しい経験よりも記憶に残りやすい。
  • ほとんどの人は何かを手に入れようとするよりも、それを失わないようにするために躍起になる。
  • 通常、良い人間関係を長続きさせるためには、好ましいやり方と好ましくないやり方との比率が、少なくとも5:1は必要とされる。(扁桃体はネガティブが5でポジティブが1の比率で作動する)

つまり、脳は嫌な経験に対してはマジックテープのように密着するが、うれしい経験に対してはテフロン加工のように軽く触れるだけだという。そして、このような脳の癖、バイアスが潜在的な記憶や感情、期待、信条、嗜好、気分に影を落として、どんどん悪い方向に向かわせるという。この潜在的な記憶の中に蓄えられた嫌な経験の数々が、不安、いらいら、憂鬱といった感情を強め、他者との健康な関係を難しくするという。人間の脳は遺伝子的に、構造的にそうなっている。

これらは、動物脳つまり大脳辺縁系の働きであり、仏教では三毒、貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)とされるものだろう。だが、ふるくからなぜ人間は蛇を怖がるかという議論があった。猿も蛇を怖がる。それが本能によるのか、学習によるのか。最近では、本能であり、遺伝子に組み込まれた危険な存在への恐怖反応ということらしい。つまり、猿でも人でもそうだが、蛇を怖がる「種」が生き残り、存続できるという自然界の仕組み、動物脳の働きらしい。リック・ハンソン氏ものべるが、神経系はおよそ6億年をかけて進化をとげた。その進化の過程で、虫、蟹、トカゲ、ウサギ、猿、類人猿、人間などの様々な生き物が現れた。頭上から迫る影に気づかない生き物は、あっという間に食べられる。生存競争を勝ち抜いて、遺伝子を後世に伝えたのは怖がりで警戒心の強い生命だった。人類は、そのような生命の子孫であり、生まれつき怖がるようにできている。

では、このような先天的記憶は脳のどの部位がもつのかはともかく、その恐怖心の発動を担うのは情動器官である「扁桃体」であろう。蛇をみて、脳内の記憶から瞬間に恐怖感情を発生させ、アドレナリンをあげ、身体が恐怖に反応し、危険から逃亡するように命令するのである。

仏教はこの動物脳の働き、三毒を克服すべき煩悩の最たるものとしたが、また一面で、これは人類存続の、個人の生命存続の危機管理器官でもあり、愛と憎しみをつかさどる器官でもある。つまり、『ヨーガ・スートラ』でもいうヨーガ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハとは「扁桃体」の働きを止めよ、あるいはコントロールせよということか。 それとも、「扁桃体」の出力を、自我意識を発生させるという「帯状回」と「前頭葉」のネットワークにわたすな、ということか?

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