さて、純粋精神プルシャ(Purusa)と根本物質プラクリティ(Prakrti)の二つから世界が開展し、わたし自身もその被開展物(vyakta)であることを知る識別知(vijnaan)を得て、わたしが悟り、解脱する事がこの一連のお勉強の目的である。ここらあたりは仏教のアビダルマ、中観、唯識より六派哲学のサーンキヤ派のようが使い勝手が良い。
脳神経学者の有田秀穂氏は『セロトニン呼吸法』のなかで「心の三原色」という考え方をしめしている。神経伝達物質のなかで「前頭葉前野」の働きに影響するものは主に3つある。ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンである。そして、その神経系としてドーパミン神経、ノルアドレナリン神経、セロトニン神経がある。
ドーパミン神経は報酬系であり、努力して報酬が得られると脳は「快」に興奮する。
ノルアドレナリン神経は、ストレス刺激により分泌されるものであり、脳は「怒り」「危険」に対して興奮する。
セロトニン神経は、「前頭葉前野」の働きを高める役割を持つ。
有田氏は、
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「赤」、
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は冷静な「青」、
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経をおだやかな「緑」
とたとえて「心の三原色」だという。またこれを仏教において克服すべき煩悩の三毒である①が貧(とん)、②が瞋(じん)、③が痴(ち、不痴)と見事に対応しているという。
おもしろく、わかりやすい考え方だが、わたしなりに有田氏の考え方を修正してみた。「色の三原色」は赤、青、緑ではあるが、人の行動のゴー・ストップにかかわるテーマであり、交通信号の青、黄、赤にして考える。
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「青」のゴーサインである。
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は「赤」の停止信号である。
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経は、その中間のバランスである「黄」信号であり、「青」と「赤」の調整である。
これが人間の脳内交通信号のゴー・ストップ・システムだと思う。また、仏教よりサーンキヤ派のほうが、この場合にしっくりはまると思う。
サーンキヤ派は、精神的原理としての純粋精神プルシャ(Purusa)と、根本物質プラクリティ(Prakrti)の二つを想定する二元論である。根本物質は未開展物(avyakta)と呼ばれ、これは宇宙の質料因であり、これから被開展物(vyakta)が生じるが、それはサットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)という三つのグナ(構成要素)から成り立っている。物質世界は、この三つのグナの平衡状態である。だが、この平衡状態は、純粋精神の観照(darsana)を機会因としてラジャスの活動が起こると均衡が破れ、その結果、世界の開展がはじまる。まず最初に、統覚機能(buddhi覚、mahat大)が生じる。これは確認の作用を本質として、心理・精神・認識活動の根源をなす。この統覚機能が、さらにその中にあるラジャスによって開展を起こすと、自我意識(ahamkara我慢)が生じる。このそれぞれの個我は、三つのグナの配合率により、さまざまな性格を持つことになるのだが、自己への執着を特質として、「これは私のものである」「これは私である」といった自己中心的な観念の拠り所となる。また、この自我意は、つねに統覚機能を純粋精神、すなわち自我であると誤って考える、とする。これがサーンキヤ派での意識、自我意識の発生の構造である。
それらも三つのグナよりの開展物であるが、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)は心理的には、それぞれサットヴァ(快)、ラジャス(不快)、タマス(無気力)を、作用としてはサットヴァ(照明)、ラジャス(活動)、タマス(抑制)の働きをし、相互に依存し、支配しあう関係である。そして、プルシャに観照されたとき、プラクリティのうちで真っ先に動き、それを開展させ、心、自我意識(ahamkara我慢)を発生されるのは、ラジャスの作用である。
すると、以下のようになる。
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「青」のゴーサインである。それは、ラジャス(激質)である。
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は「赤」の停止信号である。それは、タマス(暗質)である。
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経は、その中間のバランスである「黄」信号であり、「青」と「赤」の調整である。それは、サットヴァ(純質)である。
「扁桃体」の体積には、左右差が認められ、右「扁桃体」のほうが大きいらしい。この右「扁桃体」は、闘争・逃走本能に関わるとされる。篠浦伸禎氏は、覚醒下脳手術の結果より、「扁桃体」は左右で役割が違うとする。いわゆる左脳と右脳の機能の分離と、左右「扁桃体」の機能は同調しているらしいし、また、左の「扁桃体」は攻撃、右の「扁桃体」は逃避と関係する。また現在の脳科学の成果では、脳は左半球と右半球によって機能が大きく異なるが、左半球は拒絶されることを察知する機能があり、右半球は脅威、危ないということを察知する、とする。左半球は「接近」行動の機能を持っていて、右半球は「回避」行動の機能を持っている。それと同調して左「扁桃体」は「接近」行動の機能を持っているので、できるだけ近付いて足りないものをもらおうする。それに対して、右「扁桃体」は脅威を察知するので「回避」行動を使うことによって生命の危機から自分を守ろうとする、らしい。そして、うつ病やパニック障害の研究にみられるように、この「扁桃体」の興奮を鎮静化させるのが「前頭葉前野」の働きである。
また、最近の脳科学では、脳をスキャンして、左右「扁桃体」の非対称性から、個々の人間の性格の構造を判断しようという試みも、実際あるようである。
したがって、サーンキヤ派を整理すれば、以下のようになる。
①意欲や報酬に関係するドーパミン神経は情熱的な「青」のゴーサインである。それは、ラジャス(激質)である。またそれは、左「扁桃体」である。
②集中力や危機管理に関係するノルアドレナリン神経は「赤」の停止信号である。それは、タマス(暗質)である。またそれは、右「扁桃体」である。
③人間関係を良好にし、平常心をもたらすセロトニン神経は、その中間のバランスである「黄」信号であり、「青」と「赤」の調整である。それは、サットヴァ(純質)である。またそれは、「前頭葉前野」である。
つまり、わたしの「心の三原色」は、以下となる。
①ドーパミン神経=「青」=ラジャス(激質)=左「扁桃体」である。
②ノルアドレナリン神経=「赤」=タマス(暗質)=右「扁桃体」である。
③セロトニン神経=「黄」=サットヴァ(純質)=「前頭葉前野」である。
サーンキヤ派哲学によれば、個々の人間の自我意識(ahamkara我慢)も、この三つのグナの配合率により成り立つことになるが、それをドーパミン神経、ノルアドレナリン神経、セロトニン神経、そして左「扁桃体」の働き、右「扁桃体」の働き、「前頭葉前野」の働きとして配当してみると、見事に対応すると、わたしは感じる。それはラジャス(激質)であり、タマス(暗質)であり、サットヴァ(純質)である。
これはプライオリティを主張しておこう。わたしに座布団一枚だ。識別知(vijnaan)まで至れそうである。
三千年も前から、インドの人たちは、ひたすら心と魂、そして宇宙を、執拗に執拗に考え続けていた。アートマンは、ブラウマンはと。心所、心法はと。唯識派もであり、シャンカラの不二一元論も、そうである。今日のようにTMS脳波計やfMRIは使っていないが、アビダルマ仏教も、六派哲学も、すでに二千年前に今日と同じ結論に到達していたと考えるのも、思考実験としては、じゅうぶんに可能である。
とすれば、みずからの「青」「赤」「黄」の脳内の交通信号を、みずからでちゃんと感受し把握できるかがサットヴァ(純質)への道、識別知(vijnaan)のはじまりとなるか。