『マハーバーラタ』は、紀元前400年から紀元後400年頃まで、およそ800年間に渡って改変加筆が成されてきたとされるが、なかなかにただの巨大な叙事詩ではなく、現代の人々にも通じる肉薄の人間ドラマ、深遠な哲学問題に触れている物語とされる。わたしが読んだのは、そのうちの一部である聖歌『バガヴァッド=ギーター』程度だが、これが世界で最も深遠にして美しい哲学的詩歌と言われるのは納得。しかし大筋は「パーンダヴァ五王子とカウラヴァ百王子の王位継承争い」だが、まるで千夜一夜物語のようにさまざまな話が山盛りに加えられている。有名な一節、「ここにあるもの総ては何処にもあり、ここに無いものは何処にも無い」である。
千夜一夜物語のように、この本筋の途中で、五王子が出会う仙人たちの昔語りみたいな形式で、山のような民話・神話が挿入されているが、これが面白い。深遠な哲学問題か肉薄の人間ドラマかはともかく、面白い。
むかしインド映画「踊るマハラジャ」を観て大笑いした。スクリーンいっぱいに花が飛びちり、歌あり、ドラマあり、哲学あり、そして集団の熱狂的ダンスありで、あとで『法華経』などの大乗経典を読むと、まるでインド映画そのまま。幾千万の菩薩や如来がドンチャン騒ぎである。他の大乗経典も、ど派手、ど派手で、基本コンセプトは「踊るマハラジャ」そのままやな、と思っていた。大乗経典の制作者たちは、インド映画の制作者たちの直系の先祖なのだろう。
さて、『マハーバーラタ』の脇道のインド的千夜一夜物語の一つに、素敵な話しがあったので、おおいに納得できる話であるし、以下、言葉にして整理しておきたい。これは哲学的問題なのか、遺伝子的問題なのか、ともかく男と女にかかわる人類の大テーマだなあ。
「杜子春」のストーリーも、ある男が仙人との約束で女に変えられ、無言をつらぬこうとするが、自分の子供が殺される寸前に仙人との約束を破り、女として母として叫ぶという話しだが、また、男が女に変身して女の立場でという話は、ほかにはあまり聞かないが、あった。『マハーバーラタ』脇道インド的千夜一夜物語にである。「女の本性」という話である。
女の歓びは、生命の生産に根差していますから、その端緒である性の交合そのものの中にすでに生命の歓びとして在るのです。それは男には感得しない女だけが掌握している世界です。男は、男が女に交合の歓びを与えてやっていると思っているが、本当は逆であり、男は女の歓びの、ほんの端くれを分けてもらっているだけなのです………。(そう女主人公は語る)
ある王がいたが、子供を授かろうと火の神アグニを祭祀したが、これがインドラ神の怒りをかった。そして、王は女に変えられてしまう。
女となった王は、世を捨てて森に行くが、そこで出会ったヨガ行者と結ばれる。そして女となった王は、女の性の底深い喜びを知ることになる。二人は交合の行に没入し、性の合一による神秘の扉を開くことに成功する。タントラの世界である。
以下、見事なポルノ小説以上の交合の場面が表現されるが、チャタレイ夫人など問題外の高みだが、すでに哲学であるし、またタントラ密教にもつながる性の合一による宗教的、シャクティの、性による神人合一の宇宙世界が展開される。
今や一つの器となった二人の体内に封じ込められたプラウマは、次第に膣内の熱に熱せられ、なべの蒸気のように滾る。ヨギニーのシャクティはヨギンの男根の熱によって燃え上がり、無数の精気の微粒子が胎内を猛烈な速さで飛び交い、一つ一つの細胞を蘇らせてゆく………。(おお、こんな宗教的哲学的ポルノがあるか。すごいぞ、昔のインド人)
その時、一瞬時は止まり、ヨギンとヨギニーの肉体は一つに溶解し、死と生、彼岸と此岸の背理と断絶は、時空のひとひねりによってつながり、限りない惨たらしさと限りない優しさの奏でる楽の音に乗って、久遠の宇宙の営みへと向かっていくのである………。(すごい表現だ、交合描写もすごいけど)
インドラ神は、女になった王を、もとの男にもどそうとする。しかし、女になった王は、それを断る。男の人生より、女の人生を選ぶという。インドラ神は驚く。
女になって分かりましたが、子供を育む愛情は、男が子に抱く愛情より、女のほうがずっと強く深いのです。なによりも先ず、性交の歓びは女のほうか遥かに深く、大きいのです。それだけで十分。その歓びをとおして色々なことを知ります。寛大さや包容力の大切さも知ります。子育ての喜びもおおきいのです。インドラさまも、一度女になってみたらいかがですか?………。
若いころ、宇宙飛行士となって月から地球をみるのが良いか、女となって子供を妊娠してみるのが良いか、二択の質問あそびがあった。わたしの応えは、宇宙飛行士より妊娠だった。ヘンリー・ミラーの『南回帰線』にも、自分が行いながら、女性が男の一部を受け容れることへの驚きがのべてあったが、しかし妊娠もだが、自分の体内でそんなことが、男の脳では想像するだけで発狂しそうな体験世界だが、女性たちは、たんたんと受け入れている。すごいなあ。