扁桃体至上主義 番外編

「扁桃体至上主義の番外編」である。
以後、脳科学の本を濫読しながら、二点思いついて、気になることがある。
第一に、リベット実験である。
第二に、「夢分析」ではなく「雑念分析」の可能性である。

第一に、リベット実験。

ベンジャミン・リベットが行った「感覚」「意識」に関する実験研究のうち、最も引用されるものが二つある。ひとつは、光の仮現運動の研究、そしてもうひとつが意識体験がニューロン発火の後に生じる、という研究である。脳内処理にタイムラグがあり、
【結果1】あらゆる行動はそれが起こってから0.5秒後に意識に上る。
【結果2】感情は0.5秒の間に無意識が作り、意識は遅れてそれに気付く。
リベットは、意識が気付くためにはその刺激が最低400ミリ秒の時間の持続がなければならないこと、結果的に人の認識は0.5秒遅れるというセンセーショナルな発見をしたことで有名である。デカルト的に「我思う、ゆえに我あり」ではなく、 主観的な意思体験(我)は実際の知覚より遅れ、何かを行う意思を発動する前から脳の活動は始まっているという概要であるが、よく自由意志(我)はないことの根拠として引用されることのが、この「リベットの実験」である。
リベットによると、私たちは「何かをしよう」と意図するおよそ0.5秒ほど前に、その何かを実際に始動させる脳内活動が始まってるとする。つまり私たちは、直観的には意図(ないし自由意志)が行動の始動因であると考えるが、実際には意図の前に脳は活性化している。「意図→行動」ではなく、「脳活性→意図→行動」というわけであり、すると、自分の意識と思うのは錯覚であり、それは存在せず、「我々には自由意志はないのか?」ということになる。
ただ最新の知見では、この実験で人の自由意志がなくなったわけではないという説もある。脳内は複雑なネットワークが張り巡らされているので、ネットワークを通過するためには時間がかかり、各処理において当然所要時間が異なるという説である。
私なりの素人意見だが、しかしこれらの議論は、少しずれがあるのではと思う。つまり、リベットのいう自由意志は、つまり我々の意識は、「言語化」(前頭前野と言語脳に遷移)されて浮上する。
①「意図→行動」ではないかも知れないが、
②「脳活性A→意図B→行動C」ではなく、
③「脳活性A→行動C」
④「脳活性A→意図B」であり、③と④は並列の同時処理と考えるべきではないのか。
つまり、「脳活性A」と「意図B」は、本来の意識である「脳活性A」が、「言語化」されて浮上する「意図B」つまり我々の自由意識、自我意識になる、つまり前頭前野と言語脳に遷移されのであり、脳内処理にタイムラグが生じたと理解するべきではないのか。
「脳活性A」と「意図B」はフロイト的に深層意識と表層意識、無意識と意識と考えても良いかも知れないが、「意図B」は言語化(前頭前野と言語脳に遷移)されたものであり、所与の言語の、それぞれの母国語の枠組みのうちに縛りこまれ変形させられるので、完全に再現された全く同一の「完全コピー状態」ではないかも知れないが、また深層意識の言語化作業には、ずいぶんと言語の機能の限界により、捨て去れる部分もあるかも知れないが、おおむね「脳活性A」=「意図B」と考えても良いのではないだろうか。
ベンジャミン・リベットは、自由意志の存在を否定する実験研究を行いながら、苦労して自由意志は存在するという形に落とし込もうとするが、リベットのように「脳活性A」VS「意図B」ではなく、「脳活性A」=「意図B」であり、並列処理として、同時に「脳活性A→行動C」が発生していると考えれば、とくに自由意志(意識、我)を否定しなくても、話は成り立つのではないのか。
人間の脳は、約800億個の神経細胞からなる「小脳」と約200億個の神経細胞からなる「視床-皮質系」からなるが、それぞれ独立した多数のルーチン・モジュールからなり、ルーチン動作の「脳活性A・無意識」はルーチン・モジュールによって「行動C」になる。また別ネットワークにより、その「脳活性A・無意識」は、その言語化された意識としての「意図B・意識」に遷移する、つまり「視床-皮質系」の「意図B・意識」として、あたかも自由意志のように感じられるという流れではないだろうか。したがって、リベットの実験のように、感情や行動の発生の後に、「意図B・意識」が発生するという矛盾が、表面的には生じることになるのだろう。素人考えではあるが。つまり、自由意志はある、おおむね「脳活性A」=「意図B」というのが私の結論である。ただ自由意志の主体は、言語化されない「脳活性A」であって、その報告書である「意図B」ではないとなるが。

第二に、「夢分析」ではなく「雑念分析」の可能性。

フロイトの向こうを張る気はないが、「雑念分析」の可能性を考えてみる。以下は、体感による直感である。とくにエビデンス的図書はないが、インドの瞑想者のように内観により、真理にいたろうとするわけだ。

熊野宏昭氏『マイドフルネス最前線』によれば、脳のネットワークには3つあり、注意とか知的活動のセントラル・エグゼクティプ・ネットワーク、何もしていないときのアイドリング状態のデフォルトモード・ネットワーク(DMN)、その二つが切り替わるときに、目立つ刺激に気づくセイリエンス・ネットワークがあるらしい。そして瞑想のときは、デフォルトモード・ネットワークが働きを落とすらしい。同様のことは、アメリカで精神神経科の臨床医をしている久賀谷亮氏『最高の休息法』も述べる。イェール大学での10年以上の瞑想経験のある人を対象にした研究調査で、マインドフルネス・セッションでの脳活動を測定すると、内側前頭前野と後帯状皮質の活動の低下が認められるという。これらの部位は記憶・感情などに加え、デフォルトモード・ネットワーク(DMN)を司る部位でもある。これは、意識的な活動をしていないときに働く、いわば脳のアイドリング状態である。また、デフォルトモード・ネットワーク(DMN)は「心がさまよっているときに働く回路」として知られる。

私は目を閉じての瞑想スタイルだが、なかなかに雑念、妄想ばかりが浮かぶ。その瞑想時の雑念の海の中で、ふと思いついたのは、上記の「心がさまよっているときに働く回路」のデフォルトモード・ネットワークである。これこそ、私の雑念の海であり、発生源である。さらに瞑想中に考えたのだが(これでは瞑想にならないが)、フロイトは夢を分析しようとした。すると、この瞑想中の雑念、つまりデフォルトモード・ネットワークにおいて、何が飛び交っているのか、それを分析する「雑念分析」も可能ではないのか、という予感である。これは有り得る話だと思う。瞑想中の雑念を抽出し整理し分析するのである。

フロイトの「夢分析」は、今日的には海馬が夜にどう働くかの分析となるのだろうか。私が思いついた「雑念分析」は、私の脳内の覚醒時におけるデフォルトモード・ネットワークの特質や傾向である。
瞑想中に、「われながら面白いことを思いついた」と考えたが、濫読しても、そのような見解はまだ無いようだ。すると、わたしが世界最初か? 理系の人間は、頭の回転が遅いし、視野も狭い。だが、いつかは何処かで、誰かが、デフォルトモード・ネットワークでの「雑念分析」の仕事をすると、わたしは確信するね。何年後だろうか?

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